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栗原成和の水彩画画廊
ノート〜文章のページ

 このページを開いていただき、ありがとうございます。



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 ○ お知らせ
   
   私の主催する水彩教室の水彩画展(下記)は、11月12日を以て
    終了しました。ご来場いただいた大勢の皆様に、心より御礼申し上げます。

  ★ 水彩画展のスナップです ↓


      ↑会場内のポスター   そこに使ったスケッチ →


収穫を終えた蕎畑の脇で一列縦隊でのスケッチ


熱心に魅入るお客様も。

会場は小淵沢駅舎の中。天井が高く開放的な作り。

     




山麓スケッチ会 「水彩画展」
      
2018年11月8日(木)〜12日(月)
9:00〜17:00(最終日は〜16:00)
小淵沢駅2階 交流スペース(改札口隣)

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 山麓スケッチ会は、八ヶ岳界隈を中心に
水彩スケッチを楽しむ会です。
お気軽にお越しください!

<出展者>
今井典比古 小原勝男 久保田和彦
柴田益男 柴田悦子 城田昭夫 角野ますみ
千葉功 中村和男 平松鈴美 渡辺二郎
 栗原成和(指導)

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駐車場 
 ・駅前駐車場(駅構内、30分無料、以降 \100/30分)、
 ・第三駐車場(徒歩3分、山梨中銀斜め前、1時間無料、
    以降\100/1時間)





  ★ 画集第2弾は、当HPからお求めいただけます。

「栗原成和の水彩画集〜八ヶ岳山麓から」

108ページ、86点掲載、他に文章と挿絵、定価 ¥2500+税
当HP上でご注文の場合は、¥2500(税、送料込み)にてお送りします。

主な内容は;
・ 八ヶ岳山麓の四季・・・・   p4〜63、
                              季節毎に技法についてのコラムあり。
・ 八ヶ岳山麓をスケッチする・・p64〜73
・ 信州を描く ・・・・・      p74〜83
・ 海を描く・・・           84〜91
・ おわら風の盆を描く・・・   p92〜99
 ・ フィールドノートなど・・・  p100〜108

ご注文はこちらからどうぞ → 氏名、住所、部数をご記入の上発信願います

画面が出ない場合は下記アドレス宛お願いします。
kuri_plan@ybb.ne.jp   (kuri_plan@ybb.ne.jp )

折り返し振込先などのメールを差し上げ、可及的速やかに発送させていただきます。        


別掲のメイキングのコーナーもチェックしてみて下さい。


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   ★ 日貿出版社からの新刊ご案内(2012年)月)

日貿出版社から「水彩で描く美しい日本〜輝ける中部」が9月に発刊となりました。
好評を博した初刊に続き中部編として発行されたもので、中部にゆかりのある30名の作家
が寄稿、私の作品も3点掲載されています。 9月15日過ぎから書店にてお求めいただけます



なお、掲載作3点は、11月の個展で展示の予定で、
当HP上にも機会を改めて、掲載させていただきます。


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   ★ 日貿出版社の「水彩で描く美しい日本」に寄稿〜出版なる。(2011年8月)  
日貿出版社の創業45周年記念出版である
「水彩で描く美しい日本」
サブタイトル「人気画家31人が贈る」
が、この8月に出版されました。
私の絵も3点掲載。
既に書店、ネット上で販売されています。


なお、掲載された3点は、全て今回の個展
(9月、ギャラリー近江)に展示されます。



詳細は上の表紙写真をクリックすると
ご覧いただけます。


  
  ★ 下記水彩画集は2010年秋に増刷となりました。
    
「栗原成和の水彩画集」
お陰様でご好評につき、増刷しました。
(2010年 秋)

→ お陰様で、現在在庫はなっております。


「栗原成和の水彩画集」
発行のお知らせです。
 2009年 10月
<内容>
    ○ A4変形、58ページ建ハードカバー
     ○ 自選による下記58点を掲載
      ・ 横浜時代+α 6点
      ・ 東北を描く 10点
      ・ 八ヶ岳山麓から 26点
      ・ 信州を描く 6点
      ・ おわら風の盆を描く 6点
      ・ その他 4点
     ○ 定価 ¥2800



    




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○プロフィール

  栗原成和(クリハラマサカズ)、1942年東京生。
  現 山梨県北杜市小淵沢町 在住。
  会社を1995年に早期退職、以降絵を再開。
  2005年横浜より現小淵沢町に移住。
   連絡先eメール  kuri_plan@ybb.ne.jp 
  ・・・栗原連絡先(住所、電話番号など)をお知りになりたい方は、お手数ですがメールにてお問い合わせ願います。

  私は、3才になるかならない頃から絵を描き始め(・・たらしい)、小学校4年の頃までは誰に教えられるわけでもなく、ただひたすら
絵を描き続ける少年でした。その後中断して、それが学生時代、会社生活の長きに及び、再び絵心が甦ったのが会社を退職すると
き。辞めてから一番やりたかったことが、絵を描くことでした。そんなわけで、これといったキャリアーもなく、何処かの一門に属してい
るわけでもありません。一匹狼と言えば格好がいいのですが、ただ「私流」を貫いているだけ。東京や地元北杜市で個展を重ねてい
ますが、お陰様で大勢の皆さまから共感をいただき、大変嬉しく思っています。
  季節の訪れ、特に春と秋の訪れには何時も心を急かされます。世界にも希なこの多彩で美しい日本の四季を絵に移し取ろうと、遠
出をしては山野を駆けめぐり、スケッチをし撮影をしたりで、水彩画の制作に余念がありません。それに、富山県八尾町の「おわら風
の盆」。これに魅せられた方も多いと思いますが、この哀調溢れる雰囲気を何とか絵に掬いとろうと、ここ数年は八尾町に通って取材
を続けています。
   何時までも日本に残っていて欲しいと思うもの・・・私の絵のモチーフは、自ずとそこに向くようです。

    個展等履歴
    2002年2月  東京 日比谷にて初の個展
    2004年9月  東京 銀座にて2回目の個展 
          10月  富山県八尾町の「坂のまちアートinやつお」に出展
    2005年12月 水彩画技術書「いきいき水彩画 7」に掲載
    2006年9月  京橋「くぼた画廊」
    2007年3月  北杜市長坂町「おいでやギャラリー」にて地元初の個展
    2007年6月  銀座「ギャラリー近江」
     2007年9月  北杜市高根町「花のワルツ」
    2008年12月 京橋「くぼた画廊」
    2009年3月  北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
     2009年10月  「栗原成和の水彩画集」発刊
    2010年4月  北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
    2010年9月  銀座「ギャラリー ナミキ」
    2011年9月  銀座「ギャラリー近江」
    2011年8月  「水彩で描く美しい日本」(日貿出版社)に作品掲載
    2012年3〜5月 クラブツーリズム主催の水彩講座講師、八ヶ岳へのスケッチツアー指導
    2012年9月  「水彩で描く美しい日本〜輝ける中部〜」に作品掲載
    2012年11月 北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
    2013年9月  画集第2弾「栗原成和の水彩画集〜八ヶ岳山麓から」発刊
     2013年11月 京橋「ギャラリーび〜た」
    2014年9月  北杜市長坂町「Gallery & Shop 亜絲花(あしはな)」
    2015年 5−6月 北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
    2017年4月  八ヶ岳高原ロッジ(長野県南牧村)にてミニ個展
    2017年11月 甲府市「県立図書館」イベントスペース
    2018年11月 小淵沢駅交流スペースにて水彩教室展(第3回)

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○ メール

                                      (kuri_plan@ybb.ne.jp です)

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○フィールドノート

  このフィールドノート、当HP開設以来まる十数年に及び、大分嵩が増してきましたので、以下のように年代順に
  分類して整理しました。


Fノート
2015〜2018
Fノート
2011〜2014
Fノート
2007〜2010年
Fノート
2003〜2006年
別掲エッセイ
                                                                      *別掲エッセイは、日付やFノートの趣旨
とは関係なく折に触れての思う処を綴ったものです。
       

 
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○ いろいろとあって喜寿を歩む(6月14日記)

 もうひと月余りが過ぎてしまいました。何がって、元号が変わってからですが、私の場合はちょうど喜寿を迎えてから、 という意味があります。それとは関係なくても、今年ももう半分近くが過ぎ去ったことになります。そして春が殆ど不用意 のうちに夏となっているという、年々常態化しつつあるような束の間の春という感覚は、世に言う五月病とか、六月病と 関係があるのかも知れません。私は別に不安を覚えたり、落ち込んでいるわけではないのですが、何だか疲れる・・と いう心身の状況がこのところ顕著です。それがたまたまこの時期だからなのか、個人的な体験を重ねてつらつら考えて みると、改めて自分の置かれている年代というか年頃感覚を新たにしたりするわけです。

・ 何だか疲れるこの頃
 かねてから予定されていたことですが、妻が一昨年の左膝に続き今年は右膝の方も4月中旬に人工関節を入れる手 術を受け、一月ほどの入院を経て目下家でリハビリ中です。この間、私はひと月のチョンガ―生活を送り、加えてひと
月ほど、半人前の妻の杖がわりをしているところです。そしてこの間私は喜寿を迎えました。古希を迎えてから七十七
という7並びの年齢に達するまでは、何やら滑るようにして月日が経ったという実感です。それはまた、それなりの身体 的劣化もいろいろ顕在化してきた年月でもあります。かつて聞いていた七十代とはこんなものだという話を、いまは身
につまされて感じているわけで、先の疲れも基本的にはこの年齢と無縁ではありません。
 あるTV番組で、俳優の妻夫木某がCM出演の話をしていて、共演者との問答で、"大人とは?"と問うたら、そのとき
の相手方リリー・フランキーから、それは"子供の時に抱いていたイルージョンだ" という答が返ってきたそうで、いたく 感じ入ったという話をしていました。実際自分が大人と言われる年代になってみると、子供のころ抱いていた大人は随 分違うというわけです。同じ問答を"七十代とは"と置き換えてみると、かつて聞いたいた話以上のものだ、という答えと なるのでしょうか。周りを見ても大同小異、みんなそうした実感を共有していそうです。多少疲れを感じても仕方ないとも 言えそうです。とまあ、何だか一般論地味てきましたが、中には同じ年代とは信じられないほど元気でエネルギッシュな 御仁もいます。そういう輩はまるで世界遺産だと、私などはつい例外扱いをして、さもこちらの方が自然なのだと自らを 納得させたりするわけですが、人生百歳時代が迫っているとなると、世界遺産などと括って納得してはいられなくなるの かも知れません。いや確かに、そういう時代の足音が近づいていそうな気配であるのも事実です。

・ 高齢化社会
 もうか十数年ほど以前のことだったと思いますが、ある地方の山間部の人口構成を取り上げて、65歳以上の高齢
者が全体の25%を占めるという現実から、高齢化社会への警鐘を鳴らした記事がありました。1/4が高齢者とは!
と思ったものですが、直近の統計では、日本全体に占める高齢者の比率ですら、27.7%になっているそうです。周り を見ていても、それはそうでしょうと頷ける一方で、この比率の変わりようの早さは何だ!と改めて驚きもします。まあ、 退職年齢とか年金支給年齢などが随分と後退している世の中ですから、さもありなん。でも65歳以上を以て高齢者と する基準も、既に現実離れをしているでしょう。個人的体験ですが、私が八ヶ岳山麓に移住した当初、地区の敬老の日 に呼ばれて簡単なふるまいを受ける年齢が、まさにこの65歳以上でした。それが、確か数年後には70歳以上に引き 上げられたと記憶しており、それまで見栄を張ってご招待には応じていなかった私は、古希を機に一度だけ会に参加し たことがありました。その後私が喜寿に至る現在まで、相変わらず私は見栄の張りっぱなしで、いわゆる老人会なるも のに背を向けたままです。
 高齢者の年齢が社会的にはどこに置かれているのか、調べてみると、公的年金の受給資格を有するようになる「高 齢者」ば「65歳」、道路交通法の「高齢運転者」の定義は「70歳以上」、また「高齢者の医療の確保に関する法律」で は、「前期高齢者」が「65歳から74歳」、「後期高齢者」が「75歳以上」としてあります。会社の定年制についても、か
つての60才という時代は、いまは夢のようですらあります。何歳を以て老人となるのかは、或は自分でその歳になった と感じたのはいくつの頃なのか、これは誠に以て個人的な感覚による処大と言えるでしょう。一律に何歳とは言い難い のが現状であり、多くの人の実感でもあるかと思います。そしてこの個人差は、人生百歳時代の予感からすれば、さら に広がっていくのではないでしょうか。こういう喜寿もいれば、全然そうでない喜寿もいる。その振れ幅がかなり広がっ
てくるのがこれからの時代なのでしょう。

・ 私という老人
 年齢に関係なく自分がどのように映っているかは、自分には一番分からないことの一つではないでしょうか。いわゆる 老人度に関して、例えば外見については一応のイメージは持っているものの、たまに鏡をのぞき込んではイメージとは 違う!と慌てたり(慌ててもしょうがないのですが)、しかし世間の同年代の顔からすれば、さして愕然とすることもない か・・・と安堵したり。外見からしてこうなのですから、老人度を内面からうかがい知るのは並大抵のことではないと思わ れます。いずれにしても、自分自身で感じている老人度と、他人が観てとる老人度との間には、常にかなりの格差があ ると心得るべきでしょう。
 もう十数年前(年齢は還暦になりたてぐらい)の小田急線で、子供たちから席を譲られたことがありました。そのとき は、同情を寄せられたことに違和感を覚え、丁重にお断りしたことを覚えています。それが数年前に上京して電車に乗 ったときは、席を譲られて少し気恥しい思いをしたものの、ご好意を甘んじて受けました。私は元来白髪頭のために歳 以上の老人と見えていたきらいがあったので、車内ではなるべく座席の前には立たないようにしていたくらいですが、最 近はこうしたご好意には素直に応じようとおもう心境になりました。心境というよりも、席に座るのを自然に欲しているフ ィジカルな状況になっているからであります。
 同じような経験は、最近市役所に行ってよくすることです。後期高齢者となった時から、諸々の申請だとか手続きをす る際に、窓口の人たちの親切心が増しているのを感じるのです。まあよくもここまで足を運んでいただいて・・・と言った 塩梅で、これなどは、見かけ云々に拘わらず、実際の年齢からくる社会通念がまかり通っているわけで、それはそれで 素直にありがたいと思う反面、どこかに自分はまだそんな扱いを受けるほどではないのに・・・といった強がりというか
面はゆい想いもまた禁じ得ません。こんな体験をしながら、当事者としてはいつの間にかそうした行為を自然なものと
受け止めるようになっていくのでしょう。
 もう一つ、これは誰しも感じるエピソードだと思いますが、毎日飲んでいる薬の種類とか、分厚くなったお薬手帳から、 わが身が年相応というか、これを以て人並みというか、そのように感じられることは確かです。私自身は、ここ数年で急 にその人並みとなってきた感が否めません。それまでは、他人と較べて自分はまだそこまでは・・といったちょっとだけ 優越感を覚えていた節もあったのですが、ここ数年来、軽度の肺疾患だとか、心臓疾患、Drヘリ騒ぎからペースメーカ ー装着、さらには白内障や緑内障と言った眼の障害などなど、身体的修繕が重なるに連れて、いつの間にかどっぷり
と人並みにまみれてきたように思えます。また、周囲の知人、友人や同年輩の著名人の死に接したりしつつ、こうした
歳相応感はそれなりの説得力を増しているのも事実なのでしょう。

 歳相応の老人と言ってしまえばその通りと言えるのでしょうが、最後の砦となるところにはやはり気持ちの問題がある はずです。年齢とか老人度というのは、その半分以上は気持ちの持ちようによる処が大きいでしょう。その点からする と、実年齢と老人度という関係は、人それぞれでかなりのぶれ幅が出てくると思います。さらに言えば、老人度とはむし ろ人間の味を計る目安であるというポジティヴな見方だってあるはずです。ましてや人生百年時代、実年齢というモノサ シだけでは計り知れない個々人の老人度があって、その多様さこそが自然な時代が来ているのだと言えそうです。

 さて、ここまで書いてきて、“私ごとき年齢で何をほざいているか” という声もたくさん聞こえてきそうです。
 自分自身を図り知るとき・・・そんな時がくるとすれば、それはもっと先のことになるのでしょう。今現在、自らの気持ち について自問してみるに、唯一答えられる確かなことは、"もっといい絵が描きたい" という欲望だけは変わらずにあ る、ということでしょうか。実際この欲望は、私の生きていくメインエンジンの一つであるという想いを新たにしますし、当 HP上でもそのことを証明してゆきたいものと、とつくづく思う次第です。



○令和の春(5月14日記)

 令和の春とはややこじつけの感もありますが、今年は元号が変わってからまだ続いた長い連休の中、たけなわの春 はあっという間に通り越していった面持ちでありました。この山麓にも人々がどっと押し寄せ、何時にないクルマの数に 恐れをなして、我々住民は観光スポットを避けてひっそりと時を送ったのでありました。それでも春たけなわ、じっとして いるだけでは気がすまず、静かさを保っている場所に出かけては、今年の春を感じ取らんともしました。我が家の庭も あっという間に春が通過しつつあるようで、もうこれはここ十年来くらいの体感なのですが、この春という季節が年々短く なっているように思えて仕方ありません。そんな中で撮った写真を何点か載せます。



5月3日 我が家の餌台を求め
て飛来したシジュウカラ。背景の
ピンクは満開のミツバツツジ。


5月7日 清里の丘の公園近くにて。
新緑が輝くばかり!



5月7日 こちらは300bほど高い
標高の川上村。季節は半月ほど
遅れて今頃でもコブシが満開!


5月8日 小淵沢の田園地帯。
残雪の南アルプスを背景に
もう代掻きが。


5月8日 長坂町の酪農学校の土手
ケヤキやサワグルミの新緑が滴るよう。



5月13日 我が家の餌台の大常連
シジュウカラ。最初の写真から10日
たって、背景は緑一色です。



 ところでこの「令和」という元号、「平成」に引き続き、と言うよりももっと古くは「昭和」以来ずっと、私の名前との縁が続 いているのです。私の名前は「成和」(・・・これを「マサカズ」と読むのですが)で、三代にわたって名前のどちらかの漢字 が元号に入っています。この分で行くと、仮に私が生きている間に再び新元号が登場するとしたら(・・などと書くと大変 不謹慎なのは承知の上で)、今度はまさに「成和」と書いて「せいわ」となるのではないか。な〜んてギャグを言いたくも なります。
  ところで(・・その2です)、私の誕生日は5月2日ですが、年齢が決まるのは誕生日の前日だそうで、ですから私の場合 は、5月1日を以て満一歳として社会的に登録されるというわけです。年金支給の計算などの年齢もこの数え方に寄る のだそうです。それでもって(・・さらに続きます)、私は今年で喜寿をむかえますから、令和元年の初日に喜寿となると いう、大変めでたい巡り合わせという次第です。だからなに? と問われると、なんでもないのですが、これだけ目出度 いことが重なるのだから、金一封が出てもよさそうなものだと、独り思うわけです。まあそういう因縁で迎えた今年の5月 でした。長々とどうでもいいことにお付き合いいただいてありがとうございました。



○ 毎年のことながら・・春です!(4月22日記)

 本当に毎年のことながら、こうして絵以外にも春の素描を掲載させてもらう次第です。雪国のそれほど劇的ではありま せんが、八ケ岳山麓でも春の表情は様々で、そのどれもが輝いて見えます。今年はしかし、季節の進行が早いものと 思っていたのですが、花の開花を見ていると、どうもそうでもないのです。いっときの寒さのぶり返しとか、4月に入って からの降雪などがあったせいでしょうか、当地の状況を見ると、昨年と較べてサクラの開花が1週間ほど遅く、コブシに 至っては、もう今年は全滅かと思っていたら、2週間も遅く咲き出しました。ですから、現在はサクラもコブシもほぼ同時 期に満開という様相を呈しているのです。同じように寒暖の中に身を晒しながら、開花の遅れるタイミングがこれほど違 うというわけで、不思議といえば不思議です。でも人間も人それぞれ違うわけわけなので、植物もまた然りと言えば然 り・・・という話ではあります。足元ではユキヤナギうあレンギョウが咲きそろって、所々濃いピンクのカンヒザクラ系の花 も交じって、春爛漫の彩が山麓のあちこちで見られます。尤もコブシはやはり不作の年のようで、同じ株で昨年と較べて も花付きが劣るし、あの白い清々しさも乏しいという感じであります。

・ 富士川町の病院通いもまた・・・
  さて、今春は我が家にとって夫婦とも手術と縁が切れない巡り合わせとなっておりまして、私は眼の手術から二か月が 経過して、ほぼ通常の状態となってはいるのですが、妻の方は16日に右膝の人工関節手術を受けて目下入院中であり ます。術後の経過は順調のようなのですが、入院している病院が富士川町にある富士川病院です。前身は鰍沢病院と 称してあの有名な落語の鰍沢にあった病院で、現在はこの鰍沢町が平成の合併の一環で増穂町と合併し、富士川町 となったという背景があります。小淵沢からだと約50キロで、高速を使って45分ほど。通うのは結構大変ですが、中部横 断道を南下すると季節は一段と進んでいて、甲府盆地の際から立ち上がる山々は新緑で盛り上がるかのようです。そ こではヤマザクラがちらほらと混じっていて、河原も土手もすっかり春の装いです。一帯に広がる果樹園ではサクランボ が白い花がこぼれるように咲かせている一方、モモはあのピンクの花が殆ど散ってしまって、桃源郷はすっかり影を潜 めてしまいました。それにしても、高速道の高架の上から眺めるこの果樹園の広がりは、それを取り囲む山並みととも にまさに山梨ならではの光景! 加えて御坂山塊の上から顔を出している残雪の富士山や、南アルプスの青い山並み の切れ目から南下に伴って一つひとつその姿を覗かせる真っ白な白根三山、更に振り返ればこれまた残雪の八ヶ岳 と、この病院通いは贅沢な山梨の風景を楽しめるドライブでもあります。
例によって写真を何点か載せます。



畑中のサクラ満開!(小淵沢)


サクラ、コブシ、ヒカンザクラ そして菜の花も
一つ風景の中に同居してます(長坂)。


サクラのトンネルは帝京高校の境内(小淵沢)


道を挟んで左コブシと右サクラ(小淵沢)


富士川流域と山々は新緑の季節。ヤマザクラも点々と
見られます(富士川町)


富士川の土手から姿を見せる残雪の八ヶ岳(富士川町)



○サクラなのに雪(4月10日記)

 桜前線いよいよわが山麓にもせり上がってきたというのに今日は朝から雪が積もっています! "なんてこった" とう そぶいてみたところで、こういう事態は珍しいことではなく、これまで何度も経験してきたことではあります。しかしまあ、 この時期で今冬一番の積雪、しかも4月も半ばにかかるという時期とは、花ならずともちょいと戸惑いを禁じ得ません。 大体クルマもノーマルタイヤに履き替えてしまっているし、もう雪かきはないだろうと、それ用のシャベルは物置にしまっ てしまったし・・・。明日は今季初の水彩教室だというのに、外でスケッチができるのか、室内の教室に切り替えて教材を 準備しておくべきか、これまた悩ましいところです。いずれにしても、これで開花が少し遅れるとか、咲いた株は花の寿 命が少し伸びるということになるでしょう。よせばいいのに、雪降る中を外出して写真を撮ってきました。一応ご披露して おきます。

     

 我が家の窓からは今年一番の雪景色。         ちょっと外出して、小淵沢の道の駅に。観光客の人影もなく、
 これが4月10日、もうサクラ咲く季節なのに。      開花寸前のサクラも雪の枝を重そうに広げています。

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○春の兆し 素描(4月4日記)    収穫したフキノトウ

 山麓の遅い春、 ここ2、3日の冷え込みで少し足踏みしたものの、あちこちにそのサインを刻み始めています。言葉よ りも画像の方が手っ取り早いので、何点かここ数日に撮った写真を載せます。サクラに関しては、大雑把に言えば中央 線から上ではまだ開花に至っていないようです。ずっと下って釜無川の辺りでは既に開花しているようで、有名な実相寺 (武川)の神代桜はもう満開の様子をニュースで見ました。あそこはエドヒガンが主だと思うので、ソメイヨシノとはまた違 うペースなのかと思われます。 いずれにしても、今が一番待ちわびて開花への日数を数える頃ですが、今年はサクラ の前に森を彩るコブシの白が余り見当たりません。コブシは1年おきに花付が良かったり悪かったりを繰り返すようで、 昨年はこの白い姿が見事だったので、今年は春を告げる役割を他に譲った様です。


ここは標高700bほどの釜無川河岸丘の斜面。
サクラの蕾がほころび始め、背景には残雪の
南アルプスが。当地ならではの春の光景です。
(白州町花水)


釜無川の岸辺に下りるとヤナギが黄緑色の
新緑をまとい、まだ冬色の周囲の森に先んじて
一足早い春到来を歌い上げているかのようです。
(小淵沢と白州町の境)

谷戸野道を伝うと、残雪の鳳凰三山が快晴
の空を背景にくっきりと横たわっています。
木々の梢と畦の斜面にはかすかな春が宿り
始め、あ2週間もするとすっかり新緑が一帯
を覆うようになるでしょう。  (長坂町渋沢)


我が家の野鳥の餌台には、真冬には姿を
見せなかったアトリやスズメまでがやってきて、
賑々しく場所の奪い合いを演じています。
(小淵沢町上笹尾)



〇 入院記〜眼の手術(3月3日記)

・ 2月は入院月?
 三日前に山梨医大から退院し、我が家で落ち着いたところでこれを書いています。入院は白内障と緑内障の手術を 受けるためで,両目ともいっときに済ませたかったので、2月13日から27日までの2週間を要しました。手術と言えば、 ペースメイカーの移植手術を受けたのがちょうど1年前のことでしたから、何と2年連続しての手術ということで、まあそ れだけ後期高齢者のガタが身体のあちこちに溜まっていたということです。我が家では、妻が昨年の左膝に続いて今年 も右膝の人工関節手術を受ける予定ですので、夫婦揃ってかわりばんこ大々的な修復を施しているわけで、これらが 一件落着して漸く人心地という、そんな年頃と言えるのでしょうか。
 それで眼の方ですが、この手術日程は半年前から決まっていたので、元々は遠くも近くもとみに見えにくくなって眼鏡 ではこれ以上度が出ないところまできていたのです。白内障の手術は時間の問題だったのですが、実は私、それ以前 の数年前から緑内障の点眼をずっと続けてきましたので、紹介された眼科の先生からは、白内障の手術はいい機会な ので一緒に緑内障の手術も受けてはどうかと勧められたのでした。正確に言うと緑内障の進行防止のための手術で、 眼球内を一定の圧力に保つ役割をしている房水の流れを良くするべく、その排水溝に当たる部分を広げて、眼圧を低 いレベルに保つというのが手術の骨子となるものです。細かな話は割愛させてもらうとして、どんな手術にしてもそれを 受けるのはかなりのストレスとなるものなので、どうせならそういうストレスは一度で終わらせたいと、今回の入院となっ た次第です。

・ 同室の県人達
 この2週間、横になって看護を受ける病人というわけでもないので、2度の手術ではそれなりの緊張と忍耐を強いられ たものの、術後は次の日から歩行ができますし、眼帯着用でもモノも見られるので、時間を費やすのがなかなか大変で した。幸いというか、同室の人たちは陽気で人懐っこい地元民ばかりだったので、多少うるさかった節があったとは言 え、かなり退屈凌ぎにもなりました。昨年の入院の時も感じましたが、山梨県人同士となると、それは看護師も含めて自 ずと仲間意識が芽生え、四六時中話が弾むようです。県人は案外お喋りなのでしょうか? 4人部屋の中で私は、今は 県人とは言え、彼らからするといわゆる"来たり者"、彼らの話にはすんなりとは入れないし、第一それなりにプライバシ ーも保っていたい部分もあったので、ある時はカーテンを閉め、時々は顔を出して会話う交わしつつ一定の距離感を保 って過ごしてきました。隣の人は、私が入室してすぐに言葉遣いから他県からやってきた人だと分かったそうで、それは ほんの一言二言だけ(おそらくは"よろしくお願いします"といった程度のこと)でピンときたらしく、そんなものかと、その 後は意識的に彼らの口調を聴いていました。すると、結構頻繁に山梨なまりというものがあることに改めて気付かされ ました。例えばこんな具合です。
・・・「雨は降らんよ」「○○しちゃいれんな〜」「夜寝れん」・・・これらは否定の言葉がしばしば「ん」を伴う省略形になるケ ース。「俺のはねえだか」「ものはかんげえよう(考えよう)」「けえる(帰る)」「へえる(入る)」といったえ行変換を多用するこ と。
「行ってみろし」「寝てろし」といった命令形。他にも「怖いだよ」とか「○○になっちもう」「それはいいんだけんど・・・」など など。
・・・暇に任せてメモしてみると、なかなか馴染み易く愛嬌たっぷりとも思えてきます。
 そういう同室の人たちといつの間にか垣根も外せて、いつも出歩いてばかりいる隣の御仁に誘われて、ある時は4人 連れ立って院内の散歩もし、時間外出入り口から外に出てシャバの空気も吸ったりと、この部屋は病棟には似つかわし くないほど賑やかで陽気な部屋という様相を呈してきしました。考えてみると、こういう体験は私が暮らす地区では、数 からすれば移入者の方がずっと多くなっているし、集会では自ずと言葉遣いが標準化される方向となるので、日頃は滅 多に感じられないことなのです。だから山梨弁は貴重な体験だったし、少なからず次の手術への緊張を和らげてくれる ものでした。

・ 暇つぶしのTV
 時間を弄ぶとついついイヤホーンを耳にしてTVをつけてしまうのは人情というもので、あのかしましい人達にしても、 静かだなと思ったら、TVがついているのが常でした。他にやることもないとなると、またまたTVのあら探しが始まるのも また人情というものです。その一つが、これはいつも思うことなのですが、どの局もまるで金太郎飴のごとく(この比喩は 若い人には分からないかも?)、同じ話題、同じ切り口、同じようなコメントで氾濫しているということです。話題の良し悪 しは別として、一つの例が池江選手の白血病、続いて堀ちえみの舌癌・・・この種の話題は近年SNSでの告白に端を 発してTVが飛びつき、世に広がっていくという図式が常です。それが例えば脊髄ドナーの増加といった好ましい社会的 現象に結びつくならいいのです。しかしながら、最近殆ど毎日目にするイタズラ動画とか目を覆うばかりの忌まわしい動 画となると、報じる局の方はあれだけ繰り返し露出するひつようがあるのか、もっと自制してはどうなのかと、いつも疑問 に思います。あれでは類は友を呼ぶといった社会の悪循環を創り出すのではないのか、だとすると野放図な報道姿勢 にも罪があるのではないのか。・・・とまあ、あの金太郎飴の如き報道の現状からすると、いくつもの局が存在すること自 体、日本社会の無駄と矛盾の現れではないか、などなど・・・。
 尤も、悪い話ばかりではありません。あの「はやぶさ2」は喝采ものでした。あれは、今や少なくなった世界に誇れる日 本の技術の査証でもあり、現代社会における一つのロマンとも言える快挙でしょう。この件で一つ付け加えると、「はや ぶさ2」に喝采のメッセージを発信したあのQUEENのメンバー、ブライアン・メイは、なんと天文学者というではありませ んか! イイデスネ〜こういう話。私は"この人が!"と驚くような意外性が大好きで、例えばアメリカのNFLとかNBAと いったプロの選手の中には、弁護士だとかピアニストだとか、実に意外な顔をもつ選手も大勢いるようで、これは西欧と 日本の文化の違いと関係があるのか、日本人も画一から脱してもっと個性的であるべき、だなんて思ってしまうわけで あります。TVの報道の姿勢然りです。

 さて、手術を終えて、視力の方はそれなりに改善したのですが、元来強度の近眼で長い年月を送ってきたことや、自 身の老齢化という関係上、私の眼に適ったレンズはある程度限定的なものだったので、多くの方が経験するような遠く までスッキリと明るく見えるところまでは行かないものでした。しかし、退院後すぐにあつらえた眼鏡は視力1.0まで見え て、私としてはかつてこれほど見えたときはなかったのではないか、と思われるほどです。通常は安定した視力になるま で2,3か月はメガネはつくらないものだそうですが、私の場合は何しろゴミを捨てに行くのもクルマというクルマ社会で すから、一時しのぎを承知の上でメガネをつくったのです。 そのメガネで見て一番印象的だったのは、皮肉なことに家 に帰って観たTVでした。あの画面がここまでクリアーなものだったのかと、これは小さな驚きでした。この上4Kだ8Kだ なんて無用なことと思えてきます。
 という次第で、今後の外来での診察を経て、目の見え方や眼圧が定まった時点で、日常的なケアーや、メガネの作り 直しをやらねばなりません。しかし、懸案だった目の問題で取りあえずは関門を突破でき、今は安堵して春を迎えられ るのは嬉しいことです。しばらく途絶えていた絵の制作もま始めねば、と思っているところです。



〇 何を描いてきたか?(2月5日記)

 このように切り出すと、何か意味深な内容に聞こえますが、決してそのようななものではありません。

 来週半ばに、私は手術入院をする予定です。白内障の手術と同時に緑内障の進行防止手術を受けるためで、これが 両目で2週間の入院が必要です。現在は従って、インフルエンザなどにかからぬよう自重が必要ですし、落ち着いて作 品制作にかかれる雰囲気でもありません。それで、時間つぶしも兼ねて、自分がこれまでどんな絵を描いてきたのか、 ちょっと調べてみることにしました。元々は、最近描いている途中、モチーフがどうも甲斐駒の絵に偏っていないか、気 になったことに端を発しています。それで、同じモチーフでも八ヶ岳とどちらが多いのか、山の風景にばかり偏っていな いか、それは絵のフィールドが八ヶ岳山麓周辺なのだから自然なことなのか? などなど、日頃は気になっても振り返っ てチェックしてみる機会もなかったので、この際併せて確かめてみた次第でもあります。

 対象となる絵は、2005年当地へ移住後の14年間にわたって描いたもので、私のHPに載せている作品に限定するこ とにしました。私が描いているのは水彩による風景画ですが、ごく最近までは個人的な嗜好によって"おわら風の盆"の 絵も描いてきました。それらのうちから、代表的なものを折々の個展で披露してきたのですが、出展の機会がなかった 絵とか、ごく日常的に描いているスケッチもJPには相当入っています。数えあげてみると、その数は466点ほどで、こ れにおわらの絵(28点)を加えると、この14年間でおよそ500点の絵を描いてきたことになります。この数自体は、年間 にすると35、6点くらいなので、30号、50号と言った大きなサイズの制作は手がけてこなかった私とすれば、大した数字と は言えないでしょう。この際数が問題ではないので、取り上げてきたモチーフについてはどうだったのか、以下はそれを 探った結果です。

 先ず、最初に気になっていた甲斐駒の絵への偏重に関しては、必ずしもそんなことはなく、むしろ八ヶ岳の絵の方が 点数としてはかなり上回っていました。八ヶ岳に関しては、特に移住当初、漸く八ヶ岳山麓、それも南麓と称する地にや ってきたという感慨が大きかったせいか、スケッチでこれを描く機会が多かったので、この点を考慮すれば両者の差は さほどはないという結果です。
 次に、八ケ岳山麓という環境下とは言え、山の風景が多すぎはしないか?といった懸念についてです。これには本人 も意外と思うほどの結果が出ました。山を主体とする風景画は、当地で描いた風景画全体の40%と、半分にも届かな い数字だったのです。それでは、過半の60%を占めていた風景画は何かというと、このうち森や木々、中でも花木、そ して水など、自然に宿る四季の風景を描いたもの約6割を占め、集落などの人気が感じられる風景が約4割を占めると いった結果でした。特に後者については、移住当初は余り目が行かなかったモチーフだったのですが、山麓生活の後 半部分に至って、そこに注目の度が高まってきたという感じです。

 以上を数字で示すと次の通りです。

 ○山を主とする風景画 ・・・ 163点                   
   うち、・八ヶ岳主体        72点
      ・甲斐駒主体        57点
      ・鳳凰山など        17点
      ・その他の山が主体    17点 (うち富士山 8.秩父方面 9)

 ○それ以外の風景画 ・・・・ 236点
   うち@、樹々や水、花などをモチーフとした風景画 ・・・ 150点
        その内訳は、・川や湖など水が主体   48点
                ・森や林、樹木主体    43点
                ・サクラなどの花木や花主体 53点
                ・その他雑草など       6点
   うちA、集落など人の気配のある風景画 ・・・ 86点

 ○その他(野鳥など) ・・・7点

 もちろん、こうした風景画は複数のモチーフから成り立っているケースが多いので、必ずしも以上のような単純な仕分 けに収まるわけではありません。例えば、山を背景にしたサクラの絵とか、流れを縁取る樹々の表情とか、或いは集落 と背後の山といった当地に特有の自然風土を描いたものなど、夫々のモチーフの組み合わせで風景を捉えるのはごく ごく日常的なことです。従って、今回の仕分けは、夫々の作品について描いた本人の主観で、中でも一番のモチーフで あったか、というスタンスで振り分けをした結果といえるものですが、一つの傾を示す数値とは言えるでしょう。

 いずれにしても、人の数値的な記憶とか感覚とは随分と曖昧なもので、こうして調べ直してみると、我ながら興味深い 結果となりました。特に、決して山の風景ばかりではなく、それ以上に木々や水の織り成す風景や、自然と人の織り成 す風土といったものを描いていた点数が多かったことが数字として表れたのは、小さな驚きと同時に、ちょっとした喜び がないまぜになった気持ちでした。これを以て自然なバランス感覚で風景と接していると言えるのか、或は視点があち こちに分散されて浮気気味と言うべきなのか・・・なかなか判定のし難いところです。画家の中には例えば富士山を生涯 のモチーフとしたり、かつて東北で観た画家のように、最上川を終生追い求めて描いたり、或は一つの心象的なイメー ジを追求して描き続けるような画家もいます。しかし、自分はそのようなタイプではないし、そのような真似のできる絵描 きでもないことはよく分かっています。その意味からは、今回の調べ事は、至極く自分らしいところを再確認できたという 結果ではありました。

 "So what?" (だから何なの?)と訊かれると答えに窮します。確かに"だからこうだ"という殊更伝えたい中身もなかっ た次第で、ここまでお付き合いいただき、ただただ感謝、恐縮するのみです。ありがとうございました。



○ 野鳥のスナップです(1月24日記)

 久しぶりに小雪がぱらついた日曜日(20日)、こういう日は山で餌にありつくのが大変と見えて、我が家の餌台と水飲 み場は大繁盛! 群がる野鳥たちを部屋の中から撮りまくりました。
余りにも可愛く、また餌場や水飲み場で展開するいろいろな仕草やそこから伝わってくる必至さは、観ていると野鳥たち の世界に引きずり込まれる想いで、時間が経つのを忘れるくらい。連写して撮ったうちから何点かをご紹介します。
シジュウカラが一人気持ちよさげに
水浴びを。

そこにやってきたヤマガラ、「早く場所を譲れよ」
と言わんばかりに待機。
しばし動きを止めて「さてどうするか」と
シジュウカラ

やがて水飲み場を独占したヤマガラの
この「気持ちい〜〜〜」という仕草!
これがカワラヒワとなると、近寄ってくる者
には「出て行け〜」との激しい威嚇に。
こちらは餌台に群がるイカル。餌場争いは休まる
ことなく、常に何羽かが飛来しては何羽かが
はじき出されます。



〇 冬の徒然に(1月19日記)

・乾燥
ずっと雨が降っていないので、大地はカラカラ状態の冬です。クルマも埃がこびりついてちょっとやそっとでは取れない し、外で作業すると砂ぼこりが舞います。お湿りが欲しいところですが、そんなことを言っていて大雪に見舞われたのは 5年前の2月のことでした。あの時は二週連続で南岸低気圧に襲われて都度雪が降り、特に二度目の降雪がドカ雪とな って当家周辺で1.2メートル位の積雪になったでしょうか。普段ほとんど雪の積もらない甲府でも1メートルを超える積雪 で、こうした経験の少ない山梨県では、他県からの応援を得て何日もかけて除雪取り組んだのでした。不足している除 雪器具を手当てしようにも、店まで出られない、店に行っても商品は入らないで、大混乱を来したのですから油断は大 敵。願わくば、穏やかな冬が続いて欲しいものです。

・フラストレーション解消!
 先日このFノートでも書いた当HPの移転問題・・暫くはこれが私のフラストレーションの元でした。とにかく、こうしてHP を更新してはいるものの、HPの骨格だとかデータ処理のやり方といった基礎知識には皆目音痴状態の私のことです。 そもそもサーバーとかドメインとかURLとかデータの転送等々を正しく理解できていないので、何をどうやればいいの暗 闇状態でした。ジオシティーズからのサービス停止通告には、サーバーの移転に関する手引きが添えられていたのです が、これが何度読んでもピンとこない。新しいサーバーへの申し込みの段階からして、判断できないことが続出、何を選 択すればいいのか、間違うと修復のつかない事態にならないか、などなど、戸惑いは拭えません。それで、こうした苦境 をこのFノートに記したのですが、それが期せずして幸運を呼んでくれました。これを読んだ絵の関係の知り合いの方 が、親切にも助け舟を出してくれたのです。山麓に出向く機会があるのでお宅に行ってヘルプしてもいいという申し出!  大袈裟に言えば地獄に仏、二つ返事で協力を要請したのでした。その結果、漸く当HPの移転が相成りました。そのお 方には感謝、感謝! HP地獄を救う手がかりとなったのもこのHPだったという思わぬ展開でした。
 新しいURLは http://kuri-watercolor.staba.jp/ このFノートをお読みいただいているということは、既に新しい居 所にアクセスいだいているということなのでしょうが、ブックマークをしていただいている方には、念のためこちらのURL に切り替えておいてください。かくしてフラストレーションを拭い去ることができ、冬の青い空が心から青く映るこの頃。新 作も間もなく登場の予定です。

・ 我が家周辺は目下こんな具合
 
 百聞は一見に如かず・・・で、写真を何点か載せます。

    

   我が家の西側、広い畑地を挟んだ対岸の中央が我が家           当家北側の小径から。妻と散歩中に撮影
          

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      八ヶ岳を背景に燃え上がるどんど焼き

〇 今年のどんど焼き(1月14日記)

 私の住む小淵沢町の篠原区では、新年を迎えて第2日曜日(のあたり)にどんど焼きを行います。因みに、これは本来 小正月の行事だそうで、小正月とは1月15日ということです。元々は道祖神を祭る行事に端を発したらしいのですが、現 在は神事としての側面は薄れ、お正月飾りなどを燃やして残り火で"まゆ玉"と称する団子を焼いて食べ、迎えた年の 無病息災を祈願する祭事というのが一般的になっています。日本の各地で同様の行事があると思いますが、私はこの どんど焼き、当地に移住して初めて体験しました。
 このどんど焼きについては、以前このFノートでも写真を交えて書きましたが、前の週にやぐらを組み、カヤとか竹を集 めて組み込み、当日はそこに点火するだけで高く燃え上がるという段取りを済ませておきます。すべては当該年度の担 当役員の手でお膳立てされるのですが、私も3年前にはその一員として立ち働いたことがありました。
 今年の特徴は、何と言っても連日のカラカラ天気のせいで、点火するとすぐに勢いよく炎が立ち上がり、晴れ渡った青 空に向かってメラメラと突き上がっていったことでした。そしてこれまた乾燥した大気に煽られるようにして火勢は強かっ たものの、長持ちせずに例年よりはずっと早く燃え尽きてしまった感もありました。集まった人々は炎を仰ぎ、談笑し、 用意された甘酒とおでんを食し、残り火子供たちが中心にまゆ玉を焼いて頬張り、どんど焼きの時間はどんどんと過ぎ 去ってゆくのでした。ダジャレなどは別にして、そう言えば…と感じたことは、しめ縄とか松飾といったお正月飾りを燃や す光景はついぞ目にしなかったことです。何年か前には多少そんな光景もあったと思うのですが、今年は皆無状態、ど んど焼きも年とともにその姿を変えていくようですが、この火を囲んでのひとときは、ずっと残って続けられて欲しいもの です。火を見る、火を囲むという行為は、人間どうしの垣根を
低くするようで、これからの時代にこそ乞われる祭事ではないかと、この日もまた思ったのでありました。



集まった区民達の前で点火


直後に燃え上がった炎はあっという間に勢いを
増し、消防団員が人の輪を遠ざけるほどに、→




からから天気のお陰で火勢強く、人々は遠巻きに
燃えさかる炎を見つめます。



〇 2019年、年が明けての雑感(1月6日記)

・平成
 世の中、平成最後の年が暮れて、平成最後の年が明けたことで、何時にない年末年始であったかのように言われて います。平成最後・・・確かにそういうことなのですが、私個人の記憶はどちらかと言うと西暦を以てあの年はこうだった とか記憶にとどめている口であります。それで、昭和の頃は昭和の年数に25を加えれば西暦となっていたので、この両 者はよく結びついていました。それが平成に入ると、そのような換算式が私の頭の中ではついに確立されないままでし た。それで今年はどうなるかと言うと、新年号の元年が2019年と、これまたちょいと区切りの悪いことになりそうではあり ます。それにしても、なぜ新元号がぎりぎりまで公表されないのでしょうか?昭和からの元号入れ替わりの折は昭和天 皇の崩御という節目で(これが普通の節目なのですが)、崩御を見越して新元号を発表するなど、あってはならないこと でした。しかし今度は、事態は全く違っていて、誰もが承知した上で年号の切り替わる日がやってくるわけです。ですか ら、そうそう伏せておく理由があるのか、そこのところがよく分かりません。私は天皇制とか元号の問題にはごくごく無頓 着な口なので、実はこの種のことを書くのは珍しいケースと言えます。しかし、無意識のうちにも平成といういわば万人 が共有してきた括りの中で過ごしてきた年月とは、それなりの個人の記憶として括られるようなところもあり、私は何の 総括もしてはいませんが、筆のおもむくままに書き出してしまいました。

・旗日
 お正月に関連して思ったことの一つに、旗日ということがありました。それは、お正月の市内を走っていて、ついぞ旗 を掲げている家を見かけないことから、ふと思い及んだことです。旗日・・・こういう単語を今の人たちは知っているのだ ろうか? それ以前に、かつては各所帯にあった日の丸を、今はどれほどの所帯が保有しているのだろうか。そう言え ば当家にも日の丸はないし、旗日と言っても国旗を掲揚することなど、かつて親元を離れて結婚して以降は一度もあり ませんでした。結婚したのが50年前のことなので、この間実家に帰る時を除いて日の丸の掲揚は身近にしていないこと になるのです。私のごとき後期高齢者にしてそうなのですから、今の若い者は・・・となると、言うまでもない問題でしょ う。国旗に対する尊厳とか誇りといった感情となると、日本のそれはおそらく世界でもかなり低いレベルであるのが現状 でしょう。アメリカでは何かというと星条旗が誇らしげに掲揚されるのが常です。合衆国法で星条旗の取り扱いについて 決められているといいますし、現実にこれを見かける機会は日本とは比べものにならないほど多いし、別に特定の日で はなくてもその光景はよく見かけるものです。日本では‥となると、来年はオリンピックの年なので通常よりは日の丸の 露出が多くなるのでしょうが、そういう折に日の丸=愛国心=戦争の記憶連鎖は、どのようにして健全なものに改めら れるものか、こういう機会に一度考えてみてもいい問題かもしれません。これまた、普段私の頭の中にあるテーマとは いえない一件でありました。

・50年
さて、ずっと私個人に立ち返っての新年のことであります。いまこれを書いてきて、実は大変なことを再認識することに なりました。それは先に書いた「結婚したのが50年前のことなので・・・」という下りです。そうなのでした!今年は我々夫 婦にとっては金婚式という節目に当たる歳なのでした。世間的に言えば、還暦とか古希とか、○○式という節目には祝 い事が欠かせない・・・のだと思います。しかしどうも、これまた我が家の習慣としては定着していないので、金婚式と言 われてもピンとこない所はあるのです。ピントは来ないのですが、50年という年月は凄い、放置していてはいけないと、 そのように一方では思います。お互い子の年月を経て今があるわけですし、たまにはこうして永らえて来られた事実に 対して、素直に喜び合ってもいいのだと思います。私は1年前には心臓発作からの再起という道を辿ったわけですし、妻 はこれまた1年前に意を決して受けた左膝の人工関節手術からの復帰という道を辿ってきました。そういう節目が最後 にあった訳ですから、50年はめでたい、何かしなくては・・となるのは自然の成り行きと言えるのでしょう。それでは何を しようかとなるのですが、実はその何かをする前に、これまたやっておかなくてはならない問題が横たわっているので す。その一つが私の眼の問題で、この2月に白内障の手術を受けるのを機に、医師の勧めもあって長年治療してきた 緑内障の方も手術によってその進行を止めることになり、これは両眼共ですので、2週間ほどの入院を余儀なくされま す。そしてもう一件が妻の方で、手術を受けていなかった右足の方も膝が限界にきているので、こちらの方もまた人工 関節の手術を受けることとなっていて、それが暖かくなるタイミングでのこととなる予定なのです。つまりは、祝い事の前 にやっておかなくてはならない身体の大修理がまだ残っているという次第です。医療技術の進歩している昨今のことと はいえ、手術を受けるという一事はそれなりに精神的にも一つの関門となるものです。それらが終わって、漸く50年、半 世紀か〜と、改めてその年月を振り返ることになるのでしょう。

〇最後に当HPのこと
 急に次元が変わりますが、このHPにつき、これまでのいわば寝倉であったgeosities が急にサービスを廃止するとい う、当方にしてみれば理不尽な通告を受けて、3月末までに新たな寝倉と新たな住所を設定しなければなりません。この サーバーとドメインの変更(こういう表現でいいのだろうか?)という、私には暗闇状態にある手続きをやらねばならず、 それに取り掛かって直ぐにトラブルに見舞われて、現在とてもナーヴァスになっているところです。しかしそうも言ってお られないので、何とか入院前の近日中に、これだけはしておきたい、とそのように思っています。そんなこんなで、新作 の制作は複数手に付けてはいるのですが、これをアップするまでには多少のお時間をいただきたく、これを読まれた皆 様にはなにとぞご理解のほど、よろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<↑ここから上が2019年の記述です>

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