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栗原成和の水彩画画廊
ノート〜文章のページ

 このページを開いていただき、ありがとうございます。



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 ○ お知らせ
   
   私の主催する水彩教室の水彩画展(下記)は、11月12日を以て
    終了しました。ご来場いただいた大勢の皆様に、心より御礼申し上げます。


山麓スケッチ会 「水彩画展」
      
2018年11月8日(木)〜12日(月)
9:00〜17:00(最終日は〜16:00)
小淵沢駅2階 交流スペース(改札口隣)



                      



  ★ 画集第2弾は、当HPからお求めいただけます。

「栗原成和の水彩画集〜八ヶ岳山麓から」

108ページ、86点掲載、他に文章と挿絵、定価 ¥2500+税
当HP上でご注文の場合は、¥2500(税、送料込み)にてお送りします。

主な内容は;
・ 八ヶ岳山麓の四季・・・・   p4〜63、
                              季節毎に技法についてのコラムあり。
・ 八ヶ岳山麓をスケッチする・・p64〜73
・ 信州を描く ・・・・・      p74〜83
・ 海を描く・・・           84〜91
・ おわら風の盆を描く・・・   p92〜99
 ・ フィールドノートなど・・・  p100〜108

ご注文はこちらからどうぞ → 氏名、住所、部数をご記入の上発信願います

画面が出ない場合は下記アドレス宛お願いします。
kuri_plan@ybb.ne.jp   (kuri_plan@ybb.ne.jp )

折り返し振込先などのメールを差し上げ、可及的速やかに発送させていただきます。        

別掲のメイキングのコーナーもチェックしてみて下さい。


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   ★ 日貿出版社からの新刊ご案内(2012年)月)

日貿出版社から「水彩で描く美しい日本〜輝ける中部」が9月に発刊となりました。
好評を博した初刊に続き中部編として発行されたもので、中部にゆかりのある30名の作家
が寄稿、私の作品も3点掲載されています。 9月15日過ぎから書店にてお求めいただけます



なお、掲載作3点は、11月の個展で展示の予定で、
当HP上にも機会を改めて、掲載させていただきます。


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   ★ 日貿出版社の「水彩で描く美しい日本」に寄稿〜出版なる。(2011年8月)  
日貿出版社の創業45周年記念出版である
「水彩で描く美しい日本」
サブタイトル「人気画家31人が贈る」
が、この8月に出版されました。
私の絵も3点掲載。
既に書店、ネット上で販売されています。


なお、掲載された3点は、全て今回の個展
(9月、ギャラリー近江)に展示されます。



詳細は上の表紙写真をクリックすると
ご覧いただけます。


  
  ★ 水彩画集(2010年秋(に増刷)は、お陰様で完売、現在在庫は0になりました。

「栗原成和の水彩画集」
発行のお知らせです。
 2009年 10月
<内容>
    ○ A4変形、58ページ建ハードカバー
     ○ 自選による下記58点を掲載
      ・ 横浜時代+α 6点
      ・ 東北を描く 10点
      ・ 八ヶ岳山麓から 26点
      ・ 信州を描く 6点
      ・ おわら風の盆を描く 6点
      ・ その他 4点
     ○ 定価 ¥2800



    




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○プロフィール

  栗原成和(クリハラマサカズ)、1942年東京生。
  現 山梨県北杜市小淵沢町 在住。
  会社を1995年に早期退職、以降絵を再開。
  2005年横浜より現小淵沢町に移住。
   連絡先eメール  kuri_plan@ybb.ne.jp 
  ・・・栗原連絡先(住所、電話番号など)をお知りになりたい方は、お手数ですがメールにてお問い合わせ願います。

  私は、3才になるかならない頃から絵を描き始め(・・たらしい)、小学校4年の頃までは誰に教えられるわけでもなく、ただひたすら
絵を描き続ける少年でした。その後中断して、それが学生時代、会社生活の長きに及び、再び絵心が甦ったのが会社を退職すると
き。辞めてから一番やりたかったことが、絵を描くことでした。そんなわけで、これといったキャリアーもなく、何処かの一門に属してい
るわけでもありません。一匹狼と言えば格好がいいのですが、ただ「私流」を貫いているだけ。東京や地元北杜市で個展を重ねてい
ますが、お陰様で大勢の皆さまから共感をいただき、大変嬉しく思っています。
  季節の訪れ、特に春と秋の訪れには何時も心を急かされます。世界にも希なこの多彩で美しい日本の四季を絵に移し取ろうと、遠
出をしては山野を駆けめぐり、スケッチをし撮影をしたりで、水彩画の制作に余念がありません。それに、富山県八尾町の「おわら風
の盆」。これに魅せられた方も多いと思いますが、この哀調溢れる雰囲気を何とか絵に掬いとろうと、ここ数年は八尾町に通って取材
を続けています。
   何時までも日本に残っていて欲しいと思うもの・・・私の絵のモチーフは、自ずとそこに向くようです。

    個展等履歴
    2002年2月  東京 日比谷にて初の個展
    2004年9月  東京 銀座にて2回目の個展 
          10月  富山県八尾町の「坂のまちアートinやつお」に出展
    2005年12月 水彩画技術書「いきいき水彩画 7」に掲載
    2006年9月  京橋「くぼた画廊」
    2007年3月  北杜市長坂町「おいでやギャラリー」にて地元初の個展
    2007年6月  銀座「ギャラリー近江」
     2007年9月  北杜市高根町「花のワルツ」
    2008年12月 京橋「くぼた画廊」
    2009年3月  北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
     2009年10月  「栗原成和の水彩画集」発刊
    2010年4月  北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
    2010年9月  銀座「ギャラリー ナミキ」
    2011年9月  銀座「ギャラリー近江」
    2011年8月  「水彩で描く美しい日本」(日貿出版社)に作品掲載
    2012年3〜5月 クラブツーリズム主催の水彩講座講師、八ヶ岳へのスケッチツアー指導
    2012年9月  「水彩で描く美しい日本〜輝ける中部〜」に作品掲載
    2012年11月 北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
    2013年9月  画集第2弾「栗原成和の水彩画集〜八ヶ岳山麓から」発刊
     2013年11月 京橋「ギャラリーび〜た」
    2014年9月  北杜市長坂町「Gallery & Shop 亜絲花(あしはな)」
    2015年 5−6月 北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
    2017年4月  八ヶ岳高原ロッジ(長野県南牧村)にてミニ個展
    2017年11月 甲府市「県立図書館」イベントスペース
    2018年11月 小淵沢駅交流スペースにて水彩教室展(第3回)

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○ メール

                                      (kuri_plan@ybb.ne.jp です)

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○フィールドノート

  このフィールドノート、当HP開設以来まる十数年に及び、大分嵩が増してきましたので、以下のように年代順に
  分類して整理しました。


Fノート
2015〜2018
Fノート
2011〜2014
Fノート
2007〜2010年
Fノート
2003〜2006年
別掲エッセイ
                                                                      *別掲エッセイは、日付やFノートの趣旨
とは関係なく折に触れての思う処を綴ったものです。
       

  
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〇 往く秋点描(11月23日記)

 11月も下旬にかかり、庭の樹々には枯葉が僅かに残るだけとなりました。ここにきて氷点下の朝も増えてきて、もう冬 タイヤ装着のタイミングを計る頃合いです。鮮やかだった紅葉が残像化していくにつれ、長い冬の足音が増してきます。 師走という言葉を聞くのが嫌だという友人もいて、確かに往く秋と老人の心は、どこかもの哀しくシンクロするようで、同 じ年齢として私もよく分かります。そこにいくと、若いもんは師走と言えばクリスマスのときめきなんかとシンクロしたりす るのだろうか。そう言えば、もう死語となったかもしれない"女心と秋の空"、その女心は師走になるとやっぱりクリスマス の華やぎに心惹かれるのでしょうか。何を今さら老人がほざいているのやら、と言われそうですが、最近は若くてこもり がちな人も増えているようだし、みんながみんな同じように浮かれた心持とは言えない世相というものもまたあるのでし ょう。まあどうでもいいことではありますが・・・。
 以下、何点か高原の往く秋点描です。全てスマホでの撮影です。


秋によく見られる巻雲、この日は一筋
空を仕切るように浮かんでいます。
11月18日




新しい餌台に今期初めてやって
きてくれたヤマガラ。
11月13日

←キツネも餌を探しに人里に。遠くから
 カメラを向けると、いっとき警戒してから
 走り去っていきました。 11月6日

我が家西隣の畑地も耕起を終えて
冬支度。コナラも色褪せてしまいました。

11月16日

坂の上のコナラ、黄葉が最後の
輝きを放っていました。 11月17日

甲斐駒は既に晩秋の色に。
11月21日
  八ヶ岳が茜色に染まる日暮れ時。  11月15日



○今年の紅葉は冴えず、それでも秋点描(11月2日記)

 一言で言うと、今年は冴えない秋でした。毎年同じようなことを言っている気がしたので、このFノートを遡って読み返し てみると、紅葉が鮮やかだったのは2015年の秋で、それ以降は秋口の長雨とか、10月に入っての台風や日照不足 などの天候不順で紅葉が遅れたり、やってきても冴えないといった記述ばかりでした。それでも昨年は少し好転したよう で、10月末に行った瑞牆山周辺の鮮やかな紅葉は印象的でした。それで今年は、と言うと、複数の台風襲来による記 録的な降雨量をはじめとした異常気象の影響で、かなりのところ壊滅的と言っていいほどの状況です。色付く前に枯れ たり、色付いても冴えない色調だったりで、紅葉を愛でるといった日本古来の風習が、この分だと相当程度薄まっていく のではないか・・・そんな危機感さえ覚えるこの秋です。さはさりながら、例年のごとく写真を撮ったり絵にしたりと、私は 執拗に秋を追い求めている昨今です。ここだけ見れば秋・・といったスナップを何点か載せてみました。




施設内で見かけたガマズミの実、よく
手入れされているらしく深い赤味です。
(10月22日)


当家の庭にあるジューンベリー。
(10月23日)


当家西側の畑地にあるシラカバ。茶がかった
黄葉でスガ、空だけは秋晴れ!(10月25日)


ツタウルシはいつもの様な色づき具合。
(10月28日)


野辺山高原の空。空だけはいつもの
秋のうろこ雲(10月30日)


野辺山のふれあい公園。一番綺麗な所を撮影
(11月1日)
**上の写真は全てスマホで撮ったものです。スマホ独特の絵ハガキ的な彩度と目鼻立ちのはっきりした写真となっています。



〇 秋の伊那路へ(10月25日記)
 21〜22日、秋の伊那路を訪れました。友人夫妻と南アルプスや中央アルプスの雄大な展望を大いに期待してのドラ イブ企画でしたが、二日間とも天候思わしくなく、また10月下旬になっても秋の深まりはまだ先のことで、台風19号の 爪痕も残る伊那路でした。ですので、食や買い物主体のドライブとなってしまいましたが、今回はそれなりに発見も多く、 伊那地方の奥深さを垣間見たドライブ旅でもありました。
 一日目は杖突峠を越えて高遠から長谷村へ。その先は国道152号線を南下して大鹿村へ。そして中川村経由天竜川 を渡って、この日の宿のある駒ケ根へというルート。二日目は駒ヶ根〜伊那市一帯をうろついて、郷土の土産物を物色 するといった旅の粗筋です。

 その一日目、大鹿村への国道自体が狭い山道ですが、途中いくつかの林道に入ってみることが目的の一つでした。 それで鹿嶺高原への林道、南アルプススーパー林道方面への林道と、二カ所を試みたのですが、どちらもが台風19号 による土砂崩れや林道自体の崩壊のために途中で行き止まり。いずれも入口にあった通行止めのたて看板が道路わ きに置いてあったので、入れると思っての試みでしたが、車窓から見かけたダム湖や国道沿いの川には流木があちこ ちに散らばっていた様子から、この日の林道ドライブは諦めざるを得ませんでした。周囲の森はちょっとだけ色づき始 めた程度、紅葉には早かったようですし、この先は事前にチェックしておいたスポットを含めての行きあたりばったりのド ライブとなりました。以下、順番にちょっとだけ触れます。
・分杭峠
 ここはゼロ磁場として有名なパワースポット。狭い道を辿った山中なのに、中には団体客もいたようで結構大勢の人 が訪れていました。ゼロ磁場による気場?・・・なぜこれがパワーとなるのかは分かりませんが、熱心にパワーを浴びた がって人がなんと多いことでしょうか。私たちは感心しつつただ走り抜けるだけでした。

・中央構造線の露頭
 国道沿いに北川露頭という表示があったので、地質好きの私としては是非とも一見と立ち寄ることに。駐車場から3分 ほど下った川べりの土手にその露頭が見えました。写真の赤茶けた所から左手が内帯、右側の黒い所が外帯。日本 列島が未だ大陸の一部であった頃、南からせり上がってきたプレートが大陸に衝突したその断面が中央構造線と称す る断層で、その境目から大陸側にあった部分が内帯、あとで引っ付いた部分が外帯というわけです。日本海ができるは るか以前、1億年前という地質スケールの変動を刻んでいる場所ということで、こういうところに地質のロマンがあるので しょうか(とか言って、私は本でかじっただけのファンに過ぎないのですが)。
      
 国道沿いの河川には流木が一杯        中央構造線の北川路頭 赤茶けた色の部分右側に沿って中央構造線が。

・大鹿村のお蕎麦屋さん
 かねてより行きたかっ農村歌舞伎で有名な村。ここから鳥倉林道という道を上って紅葉と赤石岳などの雄姿を堪能す ることが初期の目的でしたが、天候と道路状況からして今回はこれを断念。村のどこかで昼食ということに。道の駅で 知った村の鹿塩地区の山中にある"するぎ農園"という名前の蕎麦屋に行ってみると、これが大当たり!天井まで吹き 抜けの民家で供する豆腐や山菜、キノコなどを調理した小鉢のどれもが美味!お蕎麦は訊けばまだ新蕎麦ではないと のことなのにこの旨さと来たら・・・! この店は国道から幾く曲がりも上がった山中にあるのですが、辿り甲斐があるこ と請け合いです。この地区は昔から塩の産地として、また鹿塩温泉としてもファンが多い所のようで、私らも時間があれ ばゆっくりと留まりたかった場所でした。ここでインスタ映えのするお蕎麦の料理の写真が載るところでしょうが、スミマ セン、その用意はありません。
  
 大鹿村のお蕎麦やさん「するぎ農園」     中川村の片桐農園 台風で倒れたリンゴの木も。

・中川村にある果樹園
 大鹿村から天竜川に下る途中、中川村の片桐農園という事前にチェックしておいたリンゴ園に立ち寄ることに。辿り着 くのに苦労したこの農園、それらしき場所にはリンゴの樹々が茂っていたのでここと断定。電話をして家から出て来てく れた農園の方の案内で食べ放題のリンゴ狩りをしました。食べ放題と言っても先ほどの旨いお蕎麦で満腹、夜はバイ キングで好評価を得ている宿の夕食が待っているので、もいだリンゴ(赤い宝玉)を一個だけ四等分して食しただけでし たが、その美味さに感動。信濃ゴールドや信濃スイーツも織り交ぜて結構な量の土産を買い込む羽目となりました。

 そんなこんなで駒ケ根の宿に辿り着いたのですが、途中山中では何箇所もの治水工事の現場脇を通り、何台ものダ ンプカーとすれ違いました。台風のあとということもあったのでしょうが、治山治水にかけるエネルギーは膨大なものが あると実感、TVで目にしていた災害の状況も重なって、これが山国日本の宿命かと思い知ったのでした。

 そして二日目、予報では終日雨だったので、この日はどこか屋内で楽しめる施設巡りしかないと思っていたのです が・・・。ちょっと箇条書き風な旅の印象記です。

"駒ケ根リゾートリンクス"での食事
 ここのバイキング形式の夕食と朝食がまた絶品!これがこの宿を選んだ理由でしたが、料理だけでなくスタッフの対 応も印象的でした。エピソードを一つ。夕食時の最後に私はお茶漬けを食べたかったのですがそのオプションが用意さ れていません。ご飯とお新香だけの茶碗を片手に、もの欲しそうにして立ち止まっている私を厨房から見かけたらしい 一人のスタッフがやってきました。私の存念を伝えると、「お茶ですか、それともだしで?」との問い。私が「だしで」と応じ ると、それでは作ってきますのでお席でお待ちくださいというではありませんか。この対応に私はすっかり喜んで、持って きてくれただしをかけた茶漬けが旨かったのは言うまでもありません。食事を終えた私は、厨房に"ゴチソウサマデシタ" と声をかけ、親指を突き上げたガッツポーズをしてその場を去ったのですが、明くる朝のこと。朝食を終えてから昨夜お 酒をついでくれたフロアマネジャーらしき人を見かけたので、「昨日はお酒、美味しかった」と声をかけると、嬉しそうにし て「今朝は、お茶漬けは?」と返ってきたのです。スタッフ内で話が伝わっていたのでしょう、この一言にまたまた感心し て、「このホテルは食事に関しては満点」と褒めると、彼も大いに喜んでくれたようでした。ただし、私は「食事以外は若 干問題もありますが・・」と付け加えるのを忘れませんでした。不満な点はあるものの、しかしそれは彼の守備範囲外の こと。そんな指摘をする私は、なんだか自分が三星なんとかの隠れ調査員のように思えたりもするのでした。ここでも料 理の写真掲載は用意していないので悪しからず、スミマセン。

・初冠雪の峰々
 この日は終日雨の予報だったのに、朝窓を開けて垣間見えた宝剣岳が雪を被っていた光景は印象的でした。出発後 は幸い雨も止んで空が明るくなっているようです。昨夜来の雨が山上では雪だったようで、この日は南アルプスも雲の 切れ目から白い秀峰が覗草間を見られたのはラッキーでした。赤石岳も光岳も白い姿で、どのピークも初冠雪だったの でしょうか、その神々しさにすっかり魅せられてしまいました。帰ってからこの22日が富士山も甲斐駒ヶ岳も初冠雪であ ったことを知りました。こちらの方は何点か写真を載せます。
  
 ホテルの窓から雪の宝剣岳が      雲間から赤石岳の勇姿が。大きな山です。    お昼頃には宝剣岳もくっきりと

・駒ヶ根から伊那へ
 この日訪れたのは、駒ケ根の養命酒工場とシルクミュージアム。そのあとは、伊那の市内へとへと農道を北上し、か つて遊んだ小黒川の上流域やよく買い物をした野菜などの直売所であるグリーンファームに立ち寄りました。小黒川で は、暴れ川の本領を発揮するような激しい水量を横目に上流を目指すと、ここもまた土砂崩れによる通行止め。諦めて 引き返し、向かったグリーンファームは、その変貌ぶりにビックリ! 聞けば今年1月からの新装オープンだったそうで、 店の面積は倍増、小動物に触れあえる一角も設けられ、相変わらず大勢の人が訪れる賑わい振りでした。
 伊那は北杜市からさほどの距離もない所ですが、訪れるのは何年ぶりのことだったか。かつて横浜にいた時代は毎 春欠かさず伊那に行っていて知人もできたほどの土地なのですが、近くになってなかなか行く機会を逸していただけに、 久しぶりの光景が懐かしく目に映るのでした。

 新装なって大きくなった伊那のグリーンファーム



〇秋らしくない秋、進行中(10月18日)

 ここ2,3日、山麓では気温が下がって、当家でも今季初の電気ストーブを持ち出して使っています。10月半ばはこん
なものだったか、冷え込むのはちょっと早いような気もしますが、その割に秋が深まりつつある気配がとても薄いので す。富士山の冠雪も、今年はいまだに観測されていません。例年今頃になると朱赤の実をたわわに付けた柿の木が目 につくのですが、今年はどうも実は小ぶりで色もくすんだ感じのまま、柿は不作のようです。10月に入ってからはまた、 大きな台風が続きました。19号は市全域で一時避難勧告は出たものの、さほどのこともなく過ぎ去ってくれました。昨年 同じ頃に来た24号のような倒木や停電には至らなかったのは幸いでしたが、全国広範囲に河川の氾濫や決壊が続出 して、改めて自然の猛威を痛いほど感じます。それとともに、これまでとは次元の異なる自然災害が常態化しつつある という感はますます現実味を増したと言えるでしょう。
 そんな中、一昨日は所用で甲府界隈まで出かけた折に、車窓から南アルプスや八ヶ岳の山腹を垣間見みると、おそ らくは千数百メートル辺りから上がやや黄ばんだ感じとなっている様子がうかがえました。何のかのと言っても、秋はす ぐそこまで下りてきているわけで、もう十日もたてば私たちの生活域周辺も秋の色味を増すようになるのでしょうか。こ
ういう時節は、外に出ても風景は中途半端なので、ついつい敬遠しがちとなってしまいます。良く見ればしかし、秋はそ こここにやってきているわけで、我が家周辺でも、栗の実は既に落ち切った感がありますし、サクラの梢もわずかに色 づいています。我が家の庭でも、ヤマボウシの実が赤くなり、一番黄葉が早い部類の我が家のカツラの木は、既に黄
色く染まって、最近の台風で随分と葉っぱが落ちてしまいました。季節は早かれ遅かれ巡り巡ってくるという、ごくありふ れた結句となってしまうわけですが、その季節の巡り合わせをあと何回経験することやら・・・そんなことも頭を過るこの 頃であります。



○ 八ヶ岳高原の空(10月7日記)

 この夏から秋口にかけて撮影した雲の写真を抜粋して載せます。
どれも、八ヶ岳高原の空に展開された雲のページェントです。
(写真に期した雲の名前はどうも自信がないのですが・・・。
  、

8月22日 薄日射すこの日、南アルプス上空を
覆う高積雲(・・・か?)

 8月29日 我が家上空
 に広がるこれは巻積雲?

9月3日 ソバ畑も花が咲いて白くなりました。
上空、山沿いに積乱雲の卵が並び立ちます。

9月3日 明野の田園地帯、色づき始めた稲田の向こう、
八ヶ岳は積雲に包まれて姿を見せず。

9月10日 この日は ドラマティック。
午前中はうろこ雲になりかけの巻積雲が。 

9月10日 お昼頃には一転、我が家南側の空は俄に
に騒がしく、モクモクと不気味なほどに積乱雲が湧き上がります。

9月10日 そして昼下がり。甲府盆地方面の
上空には今期最大級の積乱雲が出現!

9月12日 かなり秋めいて上空高く巻雲(すじ雲)が。

9月19日 もう刈り入れ間近の稲田。その向こう、
富士山上空には高層雲のたなびきから高積雲へ。

10月2日 日の出前、茜色に染まったひつじ雲(高積雲)。



○ 見上げてごらん、空の雲を(9月12日記)

 ここのところ、空が気になります。そこに浮かんでいる雲が気になるのです。秋の到来を告げてくれ留雲の表情、まだ まだ夏が終わった分けじゃないと言った雲の表情、そのどちらもが季節の移り変わりを雄弁に物語っていて、これも面 白いのです。
 昨年の夏に友人らと、「最近は子供の頃に良く見たあの入道雲を見ていない気がする」と会話したことがきっかけで、 ことあるごとにそれらしき雲の出現にはカメラを向けるのが殆ど習慣化してしまいました。そうやって良く雲を眺めている と、いろいろな雲の名前を知りたくなり、ネットで調べたりもしました。雲の名前と種類を記したサイトはたくさんあって、 そのどれもが"小学校の時に教わった…云々"と記しているのですが、どうも私にはそんなことを教わった記憶はなく、し かしそこにある雲の名前は、結構耳にしているものが多くあります。例えば、レンズ雲とか鱗雲、羊雲とか、鰯雲、確か にそうした呼称は耳にしている一方で、それらを系統立てて、どんな高さでどんな時にできる雲か、山にたなびいている のは何雲なのか、まあ積乱雲以外には、それらをちゃんと説明できる知識を持ち合わせていなかったことに改めて気 付かされるのでした。名前など知らなくても・・・と思うのですが、そこが人間、花や樹の名前然り、山の名前だって同じこ とで、知りたくなるのは人情というものです。千差万別の雲は、その気になって調べると面白そうではあるのですが、そ こまでの意欲もないので、知り得た雲についての概略を書いてみます。自分の頭を整理する意味があってのことです。

 まず、雲の形状には基本的に積雲と層雲の二種類がある。積雲は雲が重なってもくもくとなっている雲でいわゆるわ た雲。層雲は箒で横にサーっと払ったような層をなしている雲。
雲の名前は、基本的にはその形状と出る高さによって次のように決められています。

・一番高い所(上層 5〜13千m)に出る雲が3つ。
〜最も高い所に出るのが「巻雲」(すじ雲)。秋の空が澄んでいるときに見られる。
〜形状と高さの組み合わせで命名される雲は、「卷」が頭に付いて「巻積雲」(うろこ雲とかいわし雲)と「巻層雲」 (うす雲とかかすみ雲)。後者はどこか白っぽいヴェールで覆うように出来る雲。
〜ここまではどれもが小さな氷の粒が集まって出来ている。

〜これ以下の高さに出る次の雲は、全部小さな水の粒で出来ている。
・中くらいの高さ(中層 2〜7千m)に出る雲は、「高」が頭について「高積雲」(ひつじ雲)とか「高層雲」(おぼろ 雲)。後者は空一面を乳白色に覆う雲。これ以外に;
「乱層雲」(いわゆる雨雲とか雪雲)は雨を降らせる雲。

・低い所(低層 地上〜2千 m)に出る雲は、頭に何もつかない「積雲」(わた雲)と「層雲」。後者は曇り空を覆おう 雲。山の端にかかる雲もこれ。
〜両方が合わさった「層積雲」(くもり雲とかうす雲)は別名「うね雲」、言葉通り細いうね状に並んだ雲。
〜積雲が発達するとご存じ「積乱雲」となって10千メートル以上にまで達することもある。
〜これらの他に、特殊な雲として「レンズ雲」(傘雲、つるし雲)とか波状雲、ひこうき雲などもある。etc. etc・・.。

 こういう整理となるのですが、では実物を見てこれは何雲?となると、そう簡単には判定できないことが多いのです。 幸い当地は山があるので、それが高さを知る助けとはなるのですが、中天に浮かんだ雲だと高さは簡単には分かりま せん。大体においてその形となると、積雲とも層雲とも判断しかねる場合も多かったりします。さすが雲だけに、ときに 雲を掴むような話となるのです。しかしいずれにしても、空に浮かんだ雲とは千差万別でときにダイナミックな天空のドラ マを演じてくれます。あらゆる人の上空で分け隔てなく展開される空のドラマ、雲はその演じ手ですから、その名前やス トーリーを知ると、また違って見えて面白いこと請け合いです

 後日まとめて写真を載せたいと思います。




○ 雲の葬列(8月12日記)

 暑い最中に上京してきました。友人の葬儀に出るためで、上京はもとより、クルマで行って帰ってのトンボ返りと言うの も、随分と久しくやっていないことでした。それで、今回久しぶりに味わった都会のストレスについて書きます。

・ 高密度社会
 行きがけは朝の時間帯のラッシュというのを甘く見ていて、中央高速の国立IC辺りから高井戸の出口までの最後の区 間で渋滞につかまってしまいました。この渋滞を抜けるのに60分!そんな表示を見て、あ〜もう間に合わないという絶 望感に駆られたあのとき、前方見渡す限りの車列がピタッと動かなくなったあの逃げ場のないイライラ感をいやというほ ど味わったのでした。こういう事態は、わが山麓では起こり得ないことです。長い間忘れていたかつての記憶(と言うか 悪夢)が蘇るようなひとときでした。幸い時間が経過するにつれて渋滞は緩和の方向にあったようで、一時は葬儀に間 に合わなくなった言い訳まで考えたほどでしたが、高井戸のICを出たときは、このまま無事にゆけば葬儀の途中で辿り 着ける見通しとなりました。ところが一般道では環八を離れて小田急線の経堂駅近くの目的地付近で、またひと汗かく 羽目になりました。駅近くの商店街を通過するのですが、この道の狭さと来たら一体何なのでしょう。途切れることのな い通行人との接触を避けながら徐行するこの感覚、これまた逃げ場のない窮屈感が蘇る想いでした。さらにもうひと つ、道を間違えて逆方向に迷い込み、這う這うの体で引き返して商店の人に会場(ある寺のセレモニーホール)の場所 を訊ねたときのことです。これまた信じ難い反応で、お寺の名前は知らないらしく、暫く地図を睨んでから、そう言えばそ この角を右折するとお寺があったからそこかも知れない、と言うのです。結果的にはその言に従って、直ぐ先に見えて いた細い道へと右折し、目的地に着くことができたのですが、先ほどの商店とこの場所は、多分200mと離れていないは ずです。そんな近くのお寺について、その名前と場所が認識されていないという状況とは、これまたどう解釈したらいい のでしょうか。どれもこれも、わが山麓では絶対にありえないことです。

・ ボーっと生きてんじゃねーよ!
 この日の体験は、クルマと人と建物の密集、つまり都会ならではの超高密度社会というものを改めて想起させるもの でした。生活と仕事、人と社会、それらを繋ぐインフラも、全てを支える情報もまた自ずと膨大で高密度なものとならざる を得ない・・そこが都会を象徴するところなのでしょうが、その極度に密集して詰め込まれた世界であるが故に、お互い の関わり合ってなどいられない、という自然の摂理なのでしょうか。これは田舎の低密度社会を考えてみるとよく分かる ことで、例えば、田舎では200bの範囲内に何があるか、にどういう人が住んでいるのか、そうした自ずと密にならざる を得ない関連性の上に人々は暮らしているということです。都会とは全く逆の摂理と言えるでしょう。
 とまあ、少し堅苦しくなってしまいましたが、これは八ケ岳山麓という片田舎に十数年暮らしてきた者の実感です。
"ボーっと生きてんじゃねーよ!"とチコちゃんに叱られそうですが、確かにボーと暮らしてきたからこそ覚える違和感に 違いありません。都会人はこんな状況下で生きているんだな、と決してオーバーではなく感じたこの日の体験でしたが、 それはまた、私自身がすっかり田舎の人となっていた証であるとも言えるでしょう。

 帰りしなには甲州街道を走ったのですが、ここでもまた昔の感覚を呼び覚まされたのは、この街道特有の狭いレーン です。そこをかなりのスピードでクルマ同士肩を寄せ合うようにして走るのも、田舎では決して経験することのないストレ スというか、スリリングなことでもありました。都会人にしては当たり前の状況を、この日何度目だか昔の記憶からたぐり 寄せるようにして経験した次第です。ただ、この甲州街道、走っているうちに段々昔の感覚が蘇り、一端の都会っ子の ようにスイスイと走っている自分がいました。結構捨てたもんじゃない、高齢者の免許証返還などどの世界の話だ!・・・ この日珍しく前向きな気分を味わったのですが、その反面、いやいや油断大敵、何せ77歳なのだから、とたがを締め 直す自分もまたいるのでした。

・ 雲の葬列
 葬儀のこと自体は割愛しますが、距離を隔てて暫くは顔も見ていなかったものの、親しい友人の死は、やはり寂しさを 禁じ得ません。お別れの場がまた旧交を温める場ともなるのは、こうした葬儀の常なのでしょうが、この日の告別式もま たそのような機会でもありました。懐かしさと哀しさに包まれ、かけがえのない友である遺族に心を寄せ、最後は葬儀場 を出る車中の遺影に手を振ってお別れをしてきた次第です。
 葬儀の後に多摩墓地に寄って、忘れかけていたほどに久しぶりだった墓参りをして帰路につきました。この日は一日 中猛暑で、東京は勿論、中央高速で笹子トンネルを抜けると、甲府盆地もまた猛暑の大気に覆われていました。激しい 上昇気流がつくる積乱雲があちこちに立ち上がって、盆地を取り囲む山塊の上空はすべて積乱雲の壁でした。ことある ごとに雲の写真を撮っているので、このときも双葉SAに立ち寄り、何枚か写真を撮りました。茅ヶ岳から秩父の山塊に かけての上空に、西から次々と生まれる積乱雲を見ていると、この日の出来事が重なって、それがまるで雲の葬列の ようでした。写真を何点か載せます。


甲府盆地の北側、山沿いの上空に西(左)
から次々と生まれ発達する積乱雲の群

盆地南側の上空には巨大な
積乱雲が立ち上がっています。

甲府から笛吹市上空にも巨大な雲の塊
が。真下に雨柱のような影も。夕方、この
一帯には短時間大雨警報が出されました。



○「子どものように描けるまで一生かかった」(7月30日記)

 改めて言葉とは人の気持ちを動かし、心を響かせ心に残るもの。そういうことを実感したのは、妻が「これ読んだ?」 と指さした7月27日付の朝日新聞のコラム「折々のことば」でした。この日は、彫刻家である飯田善國が著した「ピカソ」 の中で語っている言葉が引用されていました。 次の二行です。

   十歳で どんな大人より上手に 描けた
   子供の ように描けるまで一生 かかった

 コラム全体の趣旨は、「ピカソが生涯求めたものは、文明の外に出ることで、本来の野生的な生命力を描き出すこと であった」という下りに言及し、コラムの筆者は、安住を嫌ったピカソの休みない追及、そのじっとしていられないという 子供の真骨頂に通じる特性こそ、ピカソを動かしてきた原動力ではなかったかと結んでいます。

・改めて自分の画歴
 "がれき"で変換したら"瓦礫"と出てしまいましたが、まあ私の画歴はそのようなものかもしれません。それはさてお き、私の心を先ずズシンと捉えたのは、最初の二行でした。思わず私自身のことをフラッシュバックしていました。私は 物心がついたときには絵を描いていました。そして小学生の頃になると、周囲の皆が同じようには描けないことを知り、 その周囲には大人たちもまた含まれているという認識を強く持つに至りました。その後いっとき・・・と言ってもものすごく 長いいっときでしたが、私は絵に対する興味を失い、絵筆も遠ざける中で大人になっていました。また描いてみたいと
思い出したのが、もう五十才を回る辺りのことで、私自身がかつての自分が居たような場所を見つけ出すまで、かくも
長き不在は〜小説のタイトルみたいですが、実に40年ほどに及んだことになります。

・子供のように描くということ
 絵を再開して四半世紀、私はずっと描き続けています。と言っても、求道者のようなひたむきさには欠けるのですが、 描くことについての自己開発欲とでも言いましょうか、もっといい絵が描きたいという想いだけは、この間ずっと持ち続
けています。ただ・・とここからが今回のテーマとなってくるのですが、私のもっといい絵を"という想いの中には、も っと上手い絵を" という想いがいまだに大きいのです。そこが表現者として、特に私の年代にしてどうなのか、そんな自 問も繰り返しつつ描き続けているのが現状と言えるでしょうか。今日このコラムを読んでハッと思ったのは、この"子供 のように描く"という一事についてでした。
 子供のように描くとは一体どういうことなのか。確かに子供のイマジネーションは面白いものだし、とても大人が真似
のできない純粋さが下地としてあります。子供に戻ってものを見、思うがままに表現すること。つまりは作為というもの
から開放され、感じたままを描き出すという自然体の表現こそ、本来求めていくべき姿なのかもしれません。ピカソはそ こを目指し、そこに辿り着いて独自の境地に至るのに一生を要したと、かの著書は語っているのです。
 そう言えば・・とここで思い出すのは、105歳で他界した日本画の小倉遊亀の絵です。歳を経るに従い、彼女の絵は 一切の作為から抜け出して、シンプルな色彩と造形で描かれていて、そこがまた観る者を惹きつけます。歳を経て子供 帰りするのが世の常であるなら、絵の世界もまた子供への回帰が一つのキーワードとなるものなのでしょうか。

・どこに向かう?
 ならばここで、"いい絵"から"子供のような絵"に、方針転換をしてみてはどうか、そういう声も聞こえてきそうです。つ まりは、作為を取り払って純粋無垢の境地を追求してみてはどうか、ということになるのですが、ピカソにして一生を要
したこの道は、そう簡単に求めて開いて行けるものではありません。邪念を取り払うには修行僧だって相当な年月を要 します。大体において、絵の道を修行と置き換えるほど、私は切羽詰まった状況ではないのです。先ほど触れた上手く 描きたいの裏返しとして、上手くいかなかった、その原因はどこにあったのか、といった分析を未だに繰り返しているの が現状です。ピカソの言に心打たれる一方で、そもそも子供のように描きたいという素直な心境は、まだ私のものとは なっていないのだと改めて気付かされます。あるとき、ある年齢になって、自然とそんな境地が芽生えるということはあ るのでしょう。いずれそういう方向に転換するものなのか、いやそうではなくて、表現の根源とか描く動機とかは人それ ぞれ、私には私の動機づけがあって、目指す処は違って当然と考えるのか。そしてどこかで二つの方向が交わるのか、 ずっと平行線のままなのか、それは今は定かではないと言うしかありません。

・日常、そして言葉について
 以下は自己分析の続きとして繰り返しになりますが、安住を嫌った休む間もない追及とか、一刻もじっとしてはいられ ない子供の好奇心は、私自身の目下の日常的な意識からは随分と遠いものと言わざるを得ません。休息はいつも甘
い囁きですし、安住もまたどこかに潜んで消えることのない願望です。つまりは凡人の域を出てはいない私が、何もピ
カソみたいにならねばならないということはないじゃないか・・・これだけ書いてきて結論はそこか、と叱られそうですが、 これもひとつの結句たり得るものです。ただしかし、この短いコラムに接して、私にはピカソを見直し、ピカソが私自身を 眺め直す鏡ともなったのでした。
 それとは別にしてもうひとつ、言葉というものの持つ力、それが人の心を動かすというごく当たり前の事実に、畑と膝
を打ったのもこのコラムだったのです。
 言葉・・・それは人間が人間たりうる証です。人の想いや感情、考えを映し出す道具です。故に言葉は文化や芸術を 醸成し、政治や社会構造をつくり出す根っこともなってきたと言えるでしょう。その言葉が、どうも昨今は浅薄でおざなり な傾向に陥ってはいないか。そんなことに思いを馳せたりもしました。殺伐とした世相、無毛な政治のシーン・・・そこで 耳にする言葉とは、ネット社会の"イイね"に集約される安易さや、無人称の発言者が発する無責任さにどこかで繋が
っているように思えてなりません。私自身がそんな状況に慣れっこになってはいないか。改めて襟を正してくれた今朝の コラムでもありました。




○気が付けば夏たけなわ(7月23日記)
 
 日照不足が続き野菜が高騰。日照時間は何でも平年比で2割とかなんとか、くる日も来る日も曇りか雨模様、まこと
に鬱陶しい気候が続いてきました。それが、今朝は窓の外に青空が! そんなに広がりを見せてはいませんが、それ でも外で直射日光を浴びると一端の暑さです。それで今日は物置からパラソルを取り出してデッキに立てました。日影 が気持ちいいという感覚もまた久しぶり。空を見上げれば、あの青色というのは実に透き通っていて、積乱雲のなりか けのような白い雲が湧いています。あ〜夏はこういうのだった、という感覚が何やら懐かしくもあります。でも考えてみれ ば7月もすでに最終週。梅雨明けも間近でしょうし、来週はもう8月という頃合いなのです。それが今頃になってパラソル はじめ、簾もよしずもそろそろと夏備えを始める有様なのですが、遅まきながら夏を体感する日々の到来を、今年はこ うして懐かしみを覚えながら迎えている状況です。ここは高原なので余計そう言う感覚なのかもしれませんが、大なり小 なり各地で同じような感覚を覚えている人々が大勢おられることでしょう。これで野菜の高騰も終わってくれれば、と期 待しますし、今いちだったモモの甘さも戻ってきてくれるだろうと、生産者ならずともホッと安堵する次第です。
 さて、絵の方は、先日アップした「ひと雨」に続き、少し季節を先取りして「野辺山高原 夏日」というのを載せました
(→「野辺山高原 夏日」)。この絵のように夏の太陽が降り注ぐ光景自体は、むろん過去のある夏日のことですが、今 年も遅まきながらその季節がやってきました。

<追記>
・積乱雲〜災害警報
 こんなことを書いた日の夕方、南西方面の空を見渡すと絵に描いたような積乱雲が立ち上がっています。これは真夏 でもあまり見られないモクモク度と言いましょうか、うちにエネルギーを秘めた立派な積乱雲です。ちょうど雷警報も出て いた日ですから、あの雲の下はさぞかし荒れ模様では? などと思いながら何枚か写真を撮りました。ちょうどそんな雲 を見た前後のこと、スマホが聞いたことのない警報音(のような)を出しました。何せスマホにしたばかりで、一瞬何事か と思ったのですが、スマホを開けると県からの臨時警報で、北杜市に土砂災害警報がでたとのこと! 北杜市と言って も何せ東京都なら23区にせまるほど広いし、私らの住む場所はどう考えても土砂災害など起こりそうもない土地柄なの で、一体どこのことかと思っていました。その後の速報やTV報道によると、土砂災害警報のレベル4ということで避難勧 告が出ているとのこと。場所は須玉町の西小尾ということで、これに私はピンと来たのでした。あの積乱雲をもう少し左 に辿ると、まさにその地域に当たります。須玉町は塩川沿いにずっと上流に遡った増富方面で、あのみずがき湖がある 場所。それに、西小尾とは御門とか神戸とか私も何度も絵にして親しみを覚えている山間の集落がある所です。その日 の気象情報では、確かに県の北部、秩父山系に接する一帯に集中豪雨をもたらす雨雲が停滞する様子がレーダーに 映っていました。警報の地域はこの一帯の西の外れ辺りです。164戸に避難勧告が出ているとのことでしたが、あの辺 りは空き家も多くお年寄りばかりの山間集落です。何事もなければと念じていたのですが、その後の報道ではこれと言 った災害を起こすことはなかったようで、私の胸騒ぎも収まったのでした。
 その積乱雲、撮影したうちから下記2点掲載します。
  
  夕方になって南西方向の空に姿を現したエネルギッシュな積乱雲。久しぶりに見たモクモク感です。




○ 緑深まる八ヶ岳(6月26日記)

 そろそろ本格的な梅雨入りとなりそうだったので、晴れたこの日(6月25日)久しぶりに八ケ岳を一周してきました。む ろんいつもの取材を兼ねたドライブで、あわよくばスケッチの一つや二つはものにしたいと思ってのこと。茅野方面から 奥蓼科を経て麦草峠へ。その先は八千穂高原に寄り道し、今回は稲子湯温泉経由で松原湖へ下り、あとは国道141号 線を野辺山経由で帰ってくるという、およそ100kmの八ヶ岳一周のルートです。数年前の秋に同じルートを走りました が、夏の季節ではどうだったか? ともかくも、これは遅ればせながらもその時の印象記です。
本文記述にはありませんが、これが最初に様子を見に
行った茅野の竜神池。縄文の尖石遺跡や三井の森別
荘地の近くにあります。近所の散歩人以外には殆ど会
う人がいません。




・「緑響く」
 これは東山魁夷が一連の作品に付けたタイトルで、その一連の作というのが青緑の色調の森と池を舞台に、白い馬 をモチーフに配した作品群です。この作画を着想したのが、奥蓼科の山中にある御射鹿池です。池と言っても、下方の 田畑に水を引くための溜池で、ほぼ四角い形状をしたその一辺が人工の土手となっていて、その端の切れ目から溜ま った水が下に続く水路に流れ出ています。土手の部分を見る限りは風情も何もないのですが、道路から池越しに見る 対岸の静けさと緑の潤いに満ちた佇まいが、何とも言えぬ風情を湛えていて観る者を惹きつけるのです。「緑響く」とい うタイトルが如何にも‥という感じなのですが、私はかつてここの夏の風景を描いていて、そのとき絵に付けた題名は 「緑滴る」でした。
 現在御射鹿池はすっかり観光スポットとしてこの辺を巡るバスツアーには欠かせない立ち寄り場所となっているようで す。賑わいは覚悟の上でしたが、この日の人出はマアマアと言ったところ。道路を挟んできれいに整備された二面の駐 車場は空いていましたし、出会った観光バスは二台だけ。そんなことはともかく、池は相変わらずの緑滴る佇まいでそ
こに待ってくれていました。やっぱりここの風景は夏が似合うようで、夏と言えば平地だと独特の重ったるい緑に覆われ るのに対し、ここの緑はやや浅く瑞々しいので、やっぱり私には緑が滴るように映ります。何せ1520メートルの高地です し、池の底には苔の仲間の植物が繁茂しているとかで、それがまた独特の湖面の色調をもたらしているそうです。東山 魁夷がこの池に巡り合ったのは、もっと手つかずの自然の中だったでしょうから、初めて接したときの印象がどれだけ 鮮烈だったことか、想像に難くありません。私は以前、この御射鹿池の夏の景色に加えて紅葉の秋の池も描いていま す。また、昨年の夏にもスケッチに来ましたが、今度はもう一度御射鹿池の夏を描こうと思っていて、以前もそうだった ように、この緑の風情をどう画面に掬い取るか、そのことをずっと頭の中で巡らせながら、池を見つめ撮影もしてきまし た。
  御射鹿池、駐車場から出てほどなく出会う最初の池の景色。
  この日は風がなく、水面は鏡のように緑を映し込んでいました。
  対岸中央左手のこんもりした樹形の木は、風景のモチーフと
  してよく写真に登場。



・峠を越えて
 御射鹿池のあとは麦草峠を越えて松原湖方面へ。麦草峠は標高2127mとあり、国内の国道では二番目に高い場所と のこと。因みに一番高いのは志賀と草津を結ぶ渋峠、若かりし頃、GW近くになるとここで良くスキーをしたものです。こ ちら八ヶ岳の峠道を辿る国道299号は、地図や標識にはメルヘン街道としてありますが、これは麦草峠という風情のあ る名前には相応しくないミーハーの権現のような名称は、かねてより残念に思っています。それはいいとして(よくはな
いのですが)、高度を上げるにつれてカラマツ林の足元をレンゲツツジの朱色が彩っています。植層はカラマツからコメ ツガなどの針葉樹ばかりとなってきて、その中をつたう峠道はワインディングの連続です。やがて白駒池の駐車場を過 ぎて下りにかかると、時折陽射しが雲に隠れるようになってきました。すれ違うクルマの数も減ってきましたが、レンゲツ ツジだけは相変わらず森の袂を所々朱に染めています。
 松原湖に向かう途中で八千穂レイクをちょっと覗いてみることに。こちらは釣り人の数も少なく、湖畔をわたる風のみ が肌に心地よく、広々感が倍増された感じでした。ここは絵にするにば殺風景に過ぎる所ですが、周辺のレンゲツツジ が彩った白樺林は印象的でした。分岐点に戻って最終目的地である松原湖へ。今度はいつもの国道から逸れて稲子 湯温泉方面に下り、温泉を右手に見て通過、そのまま山間の展望の利かない山道を左手の大月川沿いに走り続けま した。やがて小さな集落に出てきて、ここは地図で見ると新開という地名。その名の通り、比較的新しく開かれた山間
の集落と見受けます。ここまで下りてくると、それまで隠れ家くれ見えていた赤茶色の崖が切り立つ山が、はっきりとそ の姿を現してきます。地図で調べると天狗岳の北東斜面のようで、かつての噴火による山体崩落の跡をおどろおどろ
しく晒しています。やがて道が平たんになると、人家も増えて間もなく松原湖周辺に差し掛かりました。この間すれ違っ たクルマはゼロ、小海リエックスのスキー場があったり、八ヶ岳ビューロードと銘打った国道とは打って違って、静かで
鄙びた道のりでした。


八千穂レイクは釣り人のメッカ。その釣り人
も少なかったこの日、出迎えてくれたのは
湖面をつたう風だけでした。


白樺林と林床のレンゲツツジ


稲子湯温泉方面に下ると、正面に山体
崩壊の爪痕を残した天狗岳が。
深まる緑に囲まれ静かに水を湛えた松原湖。
背後のピークは、左から赤岳、横岳、硫黄岳。
この日巡ってきた中では唯一の自然湖です。

・松原湖はいま・・
 松原湖はいつもの通り、深い緑に囲まれてゆるやかに湖面を揺らせていました。もう時計も正午を大分回った頃だっ たので、一旦141号に下りてコンビニで弁当を買い、すでに蒸し暑くなっていた陽射しを避けて再び松原湖の湖畔に引き 返し、木陰で遅い昼食をとりました。
 松原湖は古くから有名な割には訪れる観光客が少なく、私らにとってはいつ行っても静かなのが美質と言えるのです が、地元の人にとっては、それでは困るというのが本音でしょうか。先の御射鹿池がある時から突然脚光を浴びて訪れ る人の多い観光スポットとなったのと対照的です。湖畔には樹々が茂っていて木陰が多く、涼を取れるのも、落ち着い てスケッチできるのも、訪れる人にとっては利点と言えるものです。その松原湖、今日見て回った湖の中では唯一自然 湖で、そもそもは887年の仁和地震により、先の天狗岳が崩壊、そのときの岩屑雪崩が、これも先ほど出てきた大月川 をせき止めて造られた湖であるとのことです。
 湖畔で見た魅力的な樹形をした2本の大きな樹が何の木だったのか。気にはなっていたものの近くに行って確かめ
ずに帰ってきてしまったのですが、それと似たような近くの木の写真を目いっぱい拡大してみると、どうも葉っぱがハー
ト形をしているように見えます。帰ってからこの辺りの植生を検索してみると、ブナとかシナノキという記述があったの で、問題の樹はシナノキの公算大・・・でも、ブナも生えている!というのは予想外でした。今度訪れたら忘れずに調べ てこようと思っています。それで関連してもう一点、実は御射鹿池でも対岸の樹々の中で一番目を引く樹形の木立があ りました。これが中心のモチーフとなる構図が多くなるのですが、以前からこれも何の木なのか気になっていました。ど うもこれまたシナノキではないのか?? 知っている人がいたら教えて欲しいものです。

 最後に松原湖畔でスケッチも一点描き、一息入れてから帰路についたのでした→2019年夏の作品




○ いろいろとあって喜寿を歩む(6月14日記)

 もうひと月余りが過ぎてしまいました。何がって、元号が変わってからですが、私の場合はちょうど喜寿を迎えてから、 という意味があります。それとは関係なくても、今年ももう半分近くが過ぎ去ったことになります。そして春が殆ど不用意 のうちに夏となっているという、年々常態化しつつあるような束の間の春という感覚は、世に言う五月病とか、六月病と 関係があるのかも知れません。私は別に不安を覚えたり、落ち込んでいるわけではないのですが、何だか疲れる・・と いう心身の状況がこのところ顕著です。それがたまたまこの時期だからなのか、個人的な体験を重ねてつらつら考えて みると、改めて自分の置かれている年代というか年頃感覚を新たにしたりするわけです。

・ 何だか疲れるこの頃
 かねてから予定されていたことですが、妻が一昨年の左膝に続き今年は右膝の方も4月中旬に人工関節を入れる手 術を受け、一月ほどの入院を経て目下家でリハビリ中です。この間、私はひと月のチョンガ―生活を送り、その後のひ と月ほど、半人前の妻の杖がわりをしているところです。そしてこの間私は喜寿を迎えました。古希を迎えてから77と
いう7並びの年齢に達するまでは、何やら滑るようにして月日が経ったという実感です。それはまた、それなりの身体的 劣化もいろいろ顕在化してきた年月でもあります。かつて聞いていた七十代とはこんなものだという話を、いまは身につ まされて感じているわけで、先の疲れも基本的にはこの年齢と無縁ではありません。
 あるTV番組で、俳優の妻夫木某がCM出演の話をしていて、共演者との問答で、"大人とは?"と問うたら、そのとき
の相手方リリー・フランキーから、それは"子供の時に抱いていたイルージョンだ" という答が返ってきたそうで、いたく 感じ入ったという話をしていました。実際自分が大人と言われる年代になってみると、子供のころ抱いていた大人は随 分違うというわけです。同じ問答を"七十代とは"と置き換えてみると、かつて聞いたいた話以上のものだ、という答えと なるのでしょうか。周りを見ても大同小異、みんなそうした実感を共有していそうです。多少疲れを感じても仕方ないとも 言えそうです。とまあ、何だか一般論地味てきましたが、中には同じ年代とは信じられないほど元気でエネルギッシュな 御仁もいます。そういう輩はまるで世界遺産だと、私などはつい例外扱いをして、さもこちらの方が自然なのだと自らを 納得させたりするわけですが、人生百歳時代が迫っているとなると、世界遺産などと括って納得してはいられなくなるの かも知れません。いや確かに、そういう時代の足音が近づいていそうな気配であるのも事実です。

・ 高齢化社会
 もうか十数年ほど以前のことだったと思いますが、ある地方の山間部の人口構成を取り上げて、65歳以上の高齢
者が全体の25%を占めるという現実から、高齢化社会への警鐘を鳴らした記事がありました。1/4が高齢者とは!
と思ったものですが、直近の統計では、日本全体に占める高齢者の比率ですら、27.7%になっているそうです。周り を見ていても、それはそうでしょうと頷ける一方で、この比率の変わりようの早さは何だ!と改めて驚きもします。まあ、 退職年齢とか年金支給年齢などが随分と後退している世の中ですから、さもありなん。でも65歳以上を以て高齢者と する基準も、既に現実離れをしているでしょう。個人的体験ですが、私が八ヶ岳山麓に移住した当初、地区の敬老の日 に呼ばれて簡単なふるまいを受ける年齢が、まさにこの65歳以上でした。それが、確か数年後には70歳以上に引き 上げられたと記憶しており、それまで見栄を張ってご招待には応じていなかった私は、古希を機に一度だけ会に参加し たことがありました。その後私が喜寿に至る現在まで、相変わらず私は見栄の張りっぱなしで、いわゆる老人会なるも のに背を向けたままです。
 高齢者の年齢が社会的にはどこに置かれているのか、調べてみると、公的年金の受給資格を有するようになる「高 齢者」ば「65歳」、道路交通法の「高齢運転者」の定義は「70歳以上」、また「高齢者の医療の確保に関する法律」で は、「前期高齢者」が「65歳から74歳」、「後期高齢者」が「75歳以上」としてあります。会社の定年制についても、か
つての60才という時代は、いまは夢のようですらあります。何歳を以て老人となるのかは、或は自分でその歳になった と感じたのはいくつの頃なのか、これは誠に以て個人的な感覚による処大と言えるでしょう。一律に何歳とは言い難い のが現状であり、多くの人の実感でもあるかと思います。そしてこの個人差は、人生百歳時代の予感からすれば、さら に広がっていくのではないでしょうか。こういう喜寿もいれば、全然そうでない喜寿もいる。その振れ幅がかなり広がっ
てくるのがこれからの時代なのでしょう。

・ 私という老人
 年齢に関係なく自分がどのように映っているかは、自分には一番分からないことの一つではないでしょうか。いわゆる 老人度に関して、例えば外見については一応のイメージは持っているものの、たまに鏡をのぞき込んではイメージとは 違う!と慌てたり(慌ててもしょうがないのですが)、しかし世間の同年代の顔からすれば、さして愕然とすることもない か・・・と安堵したり。外見からしてこうなのですから、老人度を内面からうかがい知るのは並大抵のことではないと思わ れます。いずれにしても、自分自身で感じている老人度と、他人が観てとる老人度との間には、常にかなりの格差があ ると心得るべきでしょう。
 もう十数年前(年齢は還暦になりたてぐらい)の小田急線で、子供たちから席を譲られたことがありました。そのとき は、同情を寄せられたことに違和感を覚え、丁重にお断りしたことを覚えています。それが数年前に上京して電車に乗 ったときは、席を譲られて少し気恥しい思いをしたものの、ご好意を甘んじて受けました。私は元来白髪頭のために歳 以上の老人と見えていたきらいがあったので、車内ではなるべく座席の前には立たないようにしていたくらいですが、最 近はこうしたご好意には素直に応じようとおもう心境になりました。心境というよりも、席に座るのを自然に欲しているフ ィジカルな状況になっているからであります。
 同じような経験は、最近市役所に行ってよくすることです。後期高齢者となった時から、諸々の申請だとか手続きをす る際に、窓口の人たちの親切心が増しているのを感じるのです。まあよくもここまで足を運んでいただいて・・・と言った 塩梅で、これなどは、見かけ云々に拘わらず、実際の年齢からくる社会通念がまかり通っているわけで、それはそれで 素直にありがたいと思う反面、どこかに自分はまだそんな扱いを受けるほどではないのに・・・といった強がりというか
面はゆい想いもまた禁じ得ません。こんな体験をしながら、当事者としてはいつの間にかそうした行為を自然なものと
受け止めるようになっていくのでしょう。
 もう一つ、これは誰しも感じるエピソードだと思いますが、毎日飲んでいる薬の種類とか、分厚くなったお薬手帳から、 わが身が年相応というか、これを以て人並みというか、そのように感じられることは確かです。私自身は、ここ数年で急 にその人並みとなってきた感が否めません。それまでは、他人と較べて自分はまだそこまでは・・といったちょっとだけ 優越感を覚えていた節もあったのですが、ここ数年来、軽度の肺疾患だとか、心臓疾患、Drヘリ騒ぎからペースメーカ ー装着、さらには白内障や緑内障と言った眼の障害などなど、身体的修繕が重なるに連れて、いつの間にかどっぷりと 人並みにまみれてきたように思えます。また、周囲の知人、友人や同年輩の著名人の死に接したりしつつ、こうした歳 相応感はそれなりの説得力を増しているのも事実なのでしょう。

 歳相応の老人と言ってしまえばその通りと言えるのでしょうが、最後の砦となるところにはやはり気持ちの問題がある はずです。年齢とか老人度というのは、その半分以上は気持ちの持ちようによる処が大きいでしょう。その点からする と、実年齢と老人度という関係は、人それぞれで簡単な相関関数では表せないのだと思います。さらに言えば、老人度 とはむしろ人間の味を計る目安であるというポジティヴな見方だってあるはずです。ましてや人生百年時代、実年齢とい うモノサシだけでは計り知れない個々人の老人度があって、その多様さこそが自然な時代が来ているのだと言えそうで す。
 さて、ここまで書いてきて、“私ごとき年齢で何をほざいているか” という声もたくさん聞こえてきそうです。
 自分自身を図り知る・・・そんな時がくるとすれば、それはもっと先のことになるのでしょう。先の気持ちのもちようにつ いて自問してみるに、今現在唯一出てくる確かな答えは、"もっといい絵が描きたい" という欲望だけは変わらずにあ る、ということでしょうか。実際この欲望は、私の暮らしのメインエンジンとなっていますし、当HP上でもそのことを証明し てゆきたいものとだと改めて思う次第です。



○令和の春(5月14日記)

 令和の春とはややこじつけの感もありますが、今年は元号が変わってからまだ続いた長い連休の中、たけなわの春 はあっという間に通り越していった面持ちでありました。この山麓にも人々がどっと押し寄せ、何時にないクルマの数に 恐れをなして、我々住民は観光スポットを避けてひっそりと時を送ったのでありました。それでも春たけなわ、じっとして いるだけでは気がすまず、静かさを保っている場所に出かけては、今年の春を感じ取らんともしました。我が家の庭も あっという間に春が通過しつつあるようで、もうこれはここ十年来くらいの体感なのですが、この春という季節が年々短く なっているように思えて仕方ありません。そんな中で撮った写真を何点か載せます。



5月3日 我が家の餌台を求め
て飛来したシジュウカラ。背景の
ピンクは満開のミツバツツジ。


5月7日 清里の丘の公園近くにて。
新緑が輝くばかり!



5月7日 こちらは300bほど高い
標高の川上村。季節は半月ほど
遅れて今頃でもコブシが満開!


5月8日 小淵沢の田園地帯。
残雪の南アルプスを背景に
もう代掻きが。


5月8日 長坂町の酪農学校の土手
ケヤキやサワグルミの新緑が滴るよう。



5月13日 我が家の餌台の大常連
シジュウカラ。最初の写真から10日
たって、背景は緑一色です。



 ところでこの「令和」という元号、「平成」に引き続き、と言うよりももっと古くは「昭和」以来ずっと、私の名前との縁が続 いているのです。私の名前は「成和」(・・・これを「マサカズ」と読むのですが)で、三代にわたって名前のどちらかの漢字 が元号に入っています。この分で行くと、仮に私が生きている間に再び新元号が登場するとしたら(・・などと書くと大変 不謹慎なのは承知の上で)、今度はまさに「成和」と書いて「せいわ」となるのではないか。な〜んてギャグを言いたくも なります。
  ところで(・・その2です)、私の誕生日は5月2日ですが、年齢が決まるのは誕生日の前日だそうで、ですから私の場合 は、5月1日を以て満一歳として社会的に登録されるというわけです。年金支給の計算などの年齢もこの数え方に寄る のだそうです。それでもって(・・さらに続きます)、私は今年で喜寿をむかえますから、令和元年の初日に喜寿となると いう、大変めでたい巡り合わせという次第です。だからなに? と問われると、なんでもないのですが、これだけ目出度 いことが重なるのだから、金一封が出てもよさそうなものだと、独り思うわけです。まあそういう因縁で迎えた今年の5月 でした。長々とどうでもいいことにお付き合いいただいてありがとうございました。



○ 毎年のことながら・・春です!(4月22日記)

 本当に毎年のことながら、こうして絵以外にも春の素描を掲載させてもらう次第です。雪国のそれほど劇的ではありま せんが、八ケ岳山麓でも春の表情は様々で、そのどれもが輝いて見えます。今年はしかし、季節の進行が早いものと 思っていたのですが、花の開花を見ていると、どうもそうでもないのです。いっときの寒さのぶり返しとか、4月に入って からの降雪などがあったせいでしょうか、当地の状況を見ると、昨年と較べてサクラの開花が1週間ほど遅く、コブシに 至っては、もう今年は全滅かと思っていたら、2週間も遅く咲き出しました。ですから、現在はサクラもコブシもほぼ同時 期に満開という様相を呈しているのです。同じように寒暖の中に身を晒しながら、開花の遅れるタイミングがこれほど違 うというわけで、不思議といえば不思議です。でも人間も人それぞれ違うわけわけなので、植物もまた然りと言えば然 り・・・という話ではあります。足元ではユキヤナギうあレンギョウが咲きそろって、所々濃いピンクのカンヒザクラ系の花 も交じって、春爛漫の彩が山麓のあちこちで見られます。尤もコブシはやはり不作の年のようで、同じ株で昨年と較べて も花付きが劣るし、あの白い清々しさも乏しいという感じであります。

・ 富士川町の病院通いもまた・・・
  さて、今春は我が家にとって夫婦とも手術と縁が切れない巡り合わせとなっておりまして、私は眼の手術から二か月が 経過して、ほぼ通常の状態となってはいるのですが、妻の方は16日に右膝の人工関節手術を受けて目下入院中であり ます。術後の経過は順調のようなのですが、入院している病院が富士川町にある富士川病院です。前身は鰍沢病院と 称してあの有名な落語の鰍沢にあった病院で、現在はこの鰍沢町が平成の合併の一環で増穂町と合併し、富士川町 となったという背景があります。小淵沢からだと約50キロで、高速を使って45分ほど。通うのは結構大変ですが、中部横 断道を南下すると季節は一段と進んでいて、甲府盆地の際から立ち上がる山々は新緑で盛り上がるかのようです。そ こではヤマザクラがちらほらと混じっていて、河原も土手もすっかり春の装いです。一帯に広がる果樹園ではサクランボ が白い花がこぼれるように咲かせている一方、モモはあのピンクの花が殆ど散ってしまって、桃源郷はすっかり影を潜 めてしまいました。それにしても、高速道の高架の上から眺めるこの果樹園の広がりは、それを取り囲む山並みととも にまさに山梨ならではの光景! 加えて御坂山塊の上から顔を出している残雪の富士山や、南アルプスの青い山並み の切れ目から南下に伴って一つひとつその姿を覗かせる真っ白な白根三山、更に振り返ればこれまた残雪の八ヶ岳 と、この病院通いは贅沢な山梨の風景を楽しめるドライブでもあります。
例によって写真を何点か載せます。



畑中のサクラ満開!(小淵沢)


サクラ、コブシ、ヒカンザクラ そして菜の花も
一つ風景の中に同居してます(長坂)。


サクラのトンネルは帝京高校の境内(小淵沢)


道を挟んで左コブシと右サクラ(小淵沢)


富士川流域と山々は新緑の季節。ヤマザクラも点々と
見られます(富士川町)


富士川の土手から姿を見せる残雪の八ヶ岳(富士川町)



○サクラなのに雪(4月10日記)

 桜前線いよいよわが山麓にもせり上がってきたというのに今日は朝から雪が積もっています! "なんてこった" とう そぶいてみたところで、こういう事態は珍しいことではなく、これまで何度も経験してきたことではあります。しかしまあ、 この時期で今冬一番の積雪、しかも4月も半ばにかかるという時期とは、花ならずともちょいと戸惑いを禁じ得ません。 大体クルマもノーマルタイヤに履き替えてしまっているし、もう雪かきはないだろうと、それ用のシャベルは物置にしまっ てしまったし・・・。明日は今季初の水彩教室だというのに、外でスケッチができるのか、室内の教室に切り替えて教材を 準備しておくべきか、これまた悩ましいところです。いずれにしても、これで開花が少し遅れるとか、咲いた株は花の寿 命が少し伸びるということになるでしょう。よせばいいのに、雪降る中を外出して写真を撮ってきました。一応ご披露して おきます。

     

 我が家の窓からは今年一番の雪景色。         ちょっと外出して、小淵沢の道の駅に。観光客の人影もなく、
 これが4月10日、もうサクラ咲く季節なのに。      開花寸前のサクラも雪の枝を重そうに広げています。

              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○春の兆し 素描(4月4日記)    収穫したフキノトウ

 山麓の遅い春、 ここ2、3日の冷え込みで少し足踏みしたものの、あちこちにそのサインを刻み始めています。言葉よ りも画像の方が手っ取り早いので、何点かここ数日に撮った写真を載せます。サクラに関しては、大雑把に言えば中央 線から上ではまだ開花に至っていないようです。ずっと下って釜無川の辺りでは既に開花しているようで、有名な実相寺 (武川)の神代桜はもう満開の様子をニュースで見ました。あそこはエドヒガンが主だと思うので、ソメイヨシノとはまた違 うペースなのかと思われます。 いずれにしても、今が一番待ちわびて開花への日数を数える頃ですが、今年はサクラ の前に森を彩るコブシの白が余り見当たりません。コブシは1年おきに花付が良かったり悪かったりを繰り返すようで、 昨年はこの白い姿が見事だったので、今年は春を告げる役割を他に譲った様です。


ここは標高700bほどの釜無川河岸丘の斜面。
サクラの蕾がほころび始め、背景には残雪の
南アルプスが。当地ならではの春の光景です。
(白州町花水)


釜無川の岸辺に下りるとヤナギが黄緑色の
新緑をまとい、まだ冬色の周囲の森に先んじて
一足早い春到来を歌い上げているかのようです。
(小淵沢と白州町の境)

谷戸野道を伝うと、残雪の鳳凰三山が快晴
の空を背景にくっきりと横たわっています。
木々の梢と畦の斜面にはかすかな春が宿り
始め、あ2週間もするとすっかり新緑が一帯
を覆うようになるでしょう。  (長坂町渋沢)


我が家の野鳥の餌台には、真冬には姿を
見せなかったアトリやスズメまでがやってきて、
賑々しく場所の奪い合いを演じています。
(小淵沢町上笹尾)



〇 入院記〜眼の手術(3月3日記)

・ 2月は入院月?
 三日前に山梨医大から退院し、我が家で落ち着いたところでこれを書いています。入院は白内障と緑内障の手術を 受けるためで,両目ともいっときに済ませたかったので、2月13日から27日までの2週間を要しました。手術と言えば、 ペースメイカーの移植手術を受けたのがちょうど1年前のことでしたから、何と2年連続しての手術ということで、まあそ れだけ後期高齢者のガタが身体のあちこちに溜まっていたということです。我が家では、妻が昨年の左膝に続いて今年 も右膝の人工関節手術を受ける予定ですので、夫婦揃ってかわりばんこ大々的な修復を施しているわけで、これらが 一件落着して漸く人心地という、そんな年頃と言えるのでしょうか。
 それで眼の方ですが、この手術日程は半年前から決まっていたので、元々は遠くも近くもとみに見えにくくなって眼鏡 ではこれ以上度が出ないところまできていたのです。白内障の手術は時間の問題だったのですが、実は私、それ以前 の数年前から緑内障の点眼をずっと続けてきましたので、紹介された眼科の先生からは、白内障の手術はいい機会な ので一緒に緑内障の手術も受けてはどうかと勧められたのでした。正確に言うと緑内障の進行防止のための手術で、 眼球内を一定の圧力に保つ役割をしている房水の流れを良くするべく、その排水溝に当たる部分を広げて、眼圧を低 いレベルに保つというのが手術の骨子となるものです。細かな話は割愛させてもらうとして、どんな手術にしてもそれを 受けるのはかなりのストレスとなるものなので、どうせならそういうストレスは一度で終わらせたいと、今回の入院となっ た次第です。

・ 同室の県人達
 この2週間、横になって看護を受ける病人というわけでもないので、2度の手術ではそれなりの緊張と忍耐を強いられ たものの、術後は次の日から歩行ができますし、眼帯着用でもモノも見られるので、時間を費やすのがなかなか大変で した。幸いというか、同室の人たちは陽気で人懐っこい地元民ばかりだったので、多少うるさかった節があったとは言 え、かなり退屈凌ぎにもなりました。昨年の入院の時も感じましたが、山梨県人同士となると、それは看護師も含めて自 ずと仲間意識が芽生え、四六時中話が弾むようです。県人は案外お喋りなのでしょうか? 4人部屋の中で私は、今は 県人とは言え、彼らからするといわゆる"来たり者"、彼らの話にはすんなりとは入れないし、第一それなりにプライバシ ーも保っていたい部分もあったので、ある時はカーテンを閉め、時々は顔を出して会話う交わしつつ一定の距離感を保 って過ごしてきました。隣の人は、私が入室してすぐに言葉遣いから他県からやってきた人だと分かったそうで、それは ほんの一言二言だけ(おそらくは"よろしくお願いします"といった程度のこと)でピンときたらしく、そんなものかと、その 後は意識的に彼らの口調を聴いていました。すると、結構頻繁に山梨なまりというものがあることに改めて気付かされ ました。例えばこんな具合です。
・・・「雨は降らんよ」「○○しちゃいれんな〜」「夜寝れん」・・・これらは否定の言葉がしばしば「ん」を伴う省略形になるケ ース。「俺のはねえだか」「ものはかんげえよう(考えよう)」「けえる(帰る)」「へえる(入る)」といったえ行変換を多用するこ と。
「行ってみろし」「寝てろし」といった命令形。他にも「怖いだよ」とか「○○になっちもう」「それはいいんだけんど・・・」など など。
・・・暇に任せてメモしてみると、なかなか馴染み易く愛嬌たっぷりとも思えてきます。
 そういう同室の人たちといつの間にか垣根も外せて、いつも出歩いてばかりいる隣の御仁に誘われて、ある時は4人 連れ立って院内の散歩もし、時間外出入り口から外に出てシャバの空気も吸ったりと、この部屋は病棟には似つかわし くないほど賑やかで陽気な部屋という様相を呈してきしました。考えてみると、こういう体験は私が暮らす地区では、数 からすれば移入者の方がずっと多くなっているし、集会では自ずと言葉遣いが標準化される方向となるので、日頃は滅 多に感じられないことなのです。だから山梨弁は貴重な体験だったし、少なからず次の手術への緊張を和らげてくれる ものでした。

・ 暇つぶしのTV
 時間を弄ぶとついついイヤホーンを耳にしてTVをつけてしまうのは人情というもので、あのかしましい人達にしても、 静かだなと思ったら、TVがついているのが常でした。他にやることもないとなると、またまたTVのあら探しが始まるのも また人情というものです。その一つが、これはいつも思うことなのですが、どの局もまるで金太郎飴のごとく(この比喩は 若い人には分からないかも?)、同じ話題、同じ切り口、同じようなコメントで氾濫しているということです。話題の良し悪 しは別として、一つの例が池江選手の白血病、続いて堀ちえみの舌癌・・・この種の話題は近年SNSでの告白に端を 発してTVが飛びつき、世に広がっていくという図式が常です。それが例えば脊髄ドナーの増加といった好ましい社会的 現象に結びつくならいいのです。しかしながら、最近殆ど毎日目にするイタズラ動画とか目を覆うばかりの忌まわしい動 画となると、報じる局の方はあれだけ繰り返し露出するひつようがあるのか、もっと自制してはどうなのかと、いつも疑問 に思います。あれでは類は友を呼ぶといった社会の悪循環を創り出すのではないのか、だとすると野放図な報道姿勢 にも罪があるのではないのか。・・・とまあ、あの金太郎飴の如き報道の現状からすると、いくつもの局が存在すること自 体、日本社会の無駄と矛盾の現れではないか、などなど・・・。
 尤も、悪い話ばかりではありません。あの「はやぶさ2」は喝采ものでした。あれは、今や少なくなった世界に誇れる日 本の技術の査証でもあり、現代社会における一つのロマンとも言える快挙でしょう。この件で一つ付け加えると、「はや ぶさ2」に喝采のメッセージを発信したあのQUEENのメンバー、ブライアン・メイは、なんと天文学者というではありませ んか! イイデスネ〜こういう話。私は"この人が!"と驚くような意外性が大好きで、例えばアメリカのNFLとかNBAと いったプロの選手の中には、弁護士だとかピアニストだとか、実に意外な顔をもつ選手も大勢いるようで、これは西欧と 日本の文化の違いと関係があるのか、日本人も画一から脱してもっと個性的であるべき、だなんて思ってしまうわけで あります。TVの報道の姿勢然りです。

 さて、手術を終えて、視力の方はそれなりに改善したのですが、元来強度の近眼で長い年月を送ってきたことや、自 身の老齢化という関係上、私の眼に適ったレンズはある程度限定的なものだったので、多くの方が経験するような遠く までスッキリと明るく見えるところまでは行かないものでした。しかし、退院後すぐにあつらえた眼鏡は視力1.0まで見え て、私としてはかつてこれほど見えたときはなかったのではないか、と思われるほどです。通常は安定した視力になるま で2,3か月はメガネはつくらないものだそうですが、私の場合は何しろゴミを捨てに行くのもクルマというクルマ社会で すから、一時しのぎを承知の上でメガネをつくったのです。 そのメガネで見て一番印象的だったのは、皮肉なことに家 に帰って観たTVでした。あの画面がここまでクリアーなものだったのかと、これは小さな驚きでした。この上4Kだ8Kだ なんて無用なことと思えてきます。
 という次第で、今後の外来での診察を経て、目の見え方や眼圧が定まった時点で、日常的なケアーや、メガネの作り 直しをやらねばなりません。しかし、懸案だった目の問題で取りあえずは関門を突破でき、今は安堵して春を迎えられ るのは嬉しいことです。しばらく途絶えていた絵の制作もま始めねば、と思っているところです。



〇 何を描いてきたか?(2月5日記)

 このように切り出すと、何か意味深な内容に聞こえますが、決してそのようななものではありません。

 来週半ばに、私は手術入院をする予定です。白内障の手術と同時に緑内障の進行防止手術を受けるためで、これが 両目で2週間の入院が必要です。現在は従って、インフルエンザなどにかからぬよう自重が必要ですし、落ち着いて作 品制作にかかれる雰囲気でもありません。それで、時間つぶしも兼ねて、自分がこれまでどんな絵を描いてきたのか、 ちょっと調べてみることにしました。元々は、最近描いている途中、モチーフがどうも甲斐駒の絵に偏っていないか、気 になったことに端を発しています。それで、同じモチーフでも八ヶ岳とどちらが多いのか、山の風景にばかり偏っていな いか、それは絵のフィールドが八ヶ岳山麓周辺なのだから自然なことなのか? などなど、日頃は気になっても振り返っ てチェックしてみる機会もなかったので、この際併せて確かめてみた次第でもあります。

 対象となる絵は、2005年当地へ移住後の14年間にわたって描いたもので、私のHPに載せている作品に限定するこ とにしました。私が描いているのは水彩による風景画ですが、ごく最近までは個人的な嗜好によって"おわら風の盆"の 絵も描いてきました。それらのうちから、代表的なものを折々の個展で披露してきたのですが、出展の機会がなかった 絵とか、ごく日常的に描いているスケッチもJPには相当入っています。数えあげてみると、その数は466点ほどで、こ れにおわらの絵(28点)を加えると、この14年間でおよそ500点の絵を描いてきたことになります。この数自体は、年間 にすると35、6点くらいなので、30号、50号と言った大きなサイズの制作は手がけてこなかった私とすれば、大した数字と は言えないでしょう。この際数が問題ではないので、取り上げてきたモチーフについてはどうだったのか、以下はそれを 探った結果です。

 先ず、最初に気になっていた甲斐駒の絵への偏重に関しては、必ずしもそんなことはなく、むしろ八ヶ岳の絵の方が 点数としてはかなり上回っていました。八ヶ岳に関しては、特に移住当初、漸く八ヶ岳山麓、それも南麓と称する地にや ってきたという感慨が大きかったせいか、スケッチでこれを描く機会が多かったので、この点を考慮すれば両者の差は さほどはないという結果です。
 次に、八ケ岳山麓という環境下とは言え、山の風景が多すぎはしないか?といった懸念についてです。これには本人 も意外と思うほどの結果が出ました。山を主体とする風景画は、当地で描いた風景画全体の40%と、半分にも届かな い数字だったのです。それでは、過半の60%を占めていた風景画は何かというと、このうち森や木々、中でも花木、そ して水など、自然に宿る四季の風景を描いたもの約6割を占め、集落などの人気が感じられる風景が約4割を占めると いった結果でした。特に後者については、移住当初は余り目が行かなかったモチーフだったのですが、山麓生活の後 半部分に至って、そこに注目の度が高まってきたという感じです。

 以上を数字で示すと次の通りです。

 ○山を主とする風景画 ・・・ 163点                   
   うち、・八ヶ岳主体        72点
      ・甲斐駒主体        57点
      ・鳳凰山など        17点
      ・その他の山が主体    17点 (うち富士山 8.秩父方面 9)

 ○それ以外の風景画 ・・・・ 236点
   うち@、樹々や水、花などをモチーフとした風景画 ・・・ 150点
        その内訳は、・川や湖など水が主体   48点
                ・森や林、樹木主体    43点
                ・サクラなどの花木や花主体 53点
                ・その他雑草など       6点
   うちA、集落など人の気配のある風景画 ・・・ 86点

 ○その他(野鳥など) ・・・7点

 もちろん、こうした風景画は複数のモチーフから成り立っているケースが多いので、必ずしも以上のような単純な仕分 けに収まるわけではありません。例えば、山を背景にしたサクラの絵とか、流れを縁取る樹々の表情とか、或いは集落 と背後の山といった当地に特有の自然風土を描いたものなど、夫々のモチーフの組み合わせで風景を捉えるのはごく ごく日常的なことです。従って、今回の仕分けは、夫々の作品について描いた本人の主観で、中でも一番のモチーフで あったか、というスタンスで振り分けをした結果といえるものですが、一つの傾を示す数値とは言えるでしょう。

 いずれにしても、人の数値的な記憶とか感覚とは随分と曖昧なもので、こうして調べ直してみると、我ながら興味深い 結果となりました。特に、決して山の風景ばかりではなく、それ以上に木々や水の織り成す風景や、自然と人の織り成 す風土といったものを描いていた点数が多かったことが数字として表れたのは、小さな驚きと同時に、ちょっとした喜び がないまぜになった気持ちでした。これを以て自然なバランス感覚で風景と接していると言えるのか、或は視点があち こちに分散されて浮気気味と言うべきなのか・・・なかなか判定のし難いところです。画家の中には例えば富士山を生涯 のモチーフとしたり、かつて東北で観た画家のように、最上川を終生追い求めて描いたり、或は一つの心象的なイメー ジを追求して描き続けるような画家もいます。しかし、自分はそのようなタイプではないし、そのような真似のできる絵描 きでもないことはよく分かっています。その意味からは、今回の調べ事は、至極く自分らしいところを再確認できたという 結果ではありました。

 "So what?" (だから何なの?)と訊かれると答えに窮します。確かに"だからこうだ"という殊更伝えたい中身もなかっ た次第で、ここまでお付き合いいただき、ただただ感謝、恐縮するのみです。ありがとうございました。



○ 野鳥のスナップです(1月24日記)

 久しぶりに小雪がぱらついた日曜日(20日)、こういう日は山で餌にありつくのが大変と見えて、我が家の餌台と水飲 み場は大繁盛! 群がる野鳥たちを部屋の中から撮りまくりました。
余りにも可愛く、また餌場や水飲み場で展開するいろいろな仕草やそこから伝わってくる必至さは、観ていると野鳥たち の世界に引きずり込まれる想いで、時間が経つのを忘れるくらい。連写して撮ったうちから何点かをご紹介します。
シジュウカラが一人気持ちよさげに
水浴びを。

そこにやってきたヤマガラ、「早く場所を譲れよ」
と言わんばかりに待機。
しばし動きを止めて「さてどうするか」と
シジュウカラ

やがて水飲み場を独占したヤマガラの
この「気持ちい〜〜〜」という仕草!
これがカワラヒワとなると、近寄ってくる者
には「出て行け〜」との激しい威嚇に。
こちらは餌台に群がるイカル。餌場争いは休まる
ことなく、常に何羽かが飛来しては何羽かが
はじき出されます。



〇 冬の徒然に(1月19日記)

・乾燥
ずっと雨が降っていないので、大地はカラカラ状態の冬です。クルマも埃がこびりついてちょっとやそっとでは取れない し、外で作業すると砂ぼこりが舞います。お湿りが欲しいところですが、そんなことを言っていて大雪に見舞われたのは 5年前の2月のことでした。あの時は二週連続で南岸低気圧に襲われて都度雪が降り、特に二度目の降雪がドカ雪とな って当家周辺で1.2メートル位の積雪になったでしょうか。普段ほとんど雪の積もらない甲府でも1メートルを超える積雪 で、こうした経験の少ない山梨県では、他県からの応援を得て何日もかけて除雪取り組んだのでした。不足している除 雪器具を手当てしようにも、店まで出られない、店に行っても商品は入らないで、大混乱を来したのですから油断は大 敵。願わくば、穏やかな冬が続いて欲しいものです。

・フラストレーション解消!
 先日このFノートでも書いた当HPの移転問題・・暫くはこれが私のフラストレーションの元でした。とにかく、こうしてHP を更新してはいるものの、HPの骨格だとかデータ処理のやり方といった基礎知識には皆目音痴状態の私のことです。 そもそもサーバーとかドメインとかURLとかデータの転送等々を正しく理解できていないので、何をどうやればいいの暗 闇状態でした。ジオシティーズからのサービス停止通告には、サーバーの移転に関する手引きが添えられていたのです が、これが何度読んでもピンとこない。新しいサーバーへの申し込みの段階からして、判断できないことが続出、何を選 択すればいいのか、間違うと修復のつかない事態にならないか、などなど、戸惑いは拭えません。それで、こうした苦境 をこのFノートに記したのですが、それが期せずして幸運を呼んでくれました。これを読んだ絵の関係の知り合いの方 が、親切にも助け舟を出してくれたのです。山麓に出向く機会があるのでお宅に行ってヘルプしてもいいという申し出!  大袈裟に言えば地獄に仏、二つ返事で協力を要請したのでした。その結果、漸く当HPの移転が相成りました。そのお 方には感謝、感謝! HP地獄を救う手がかりとなったのもこのHPだったという思わぬ展開でした。
 新しいURLは http://kuri-watercolor.staba.jp/ このFノートをお読みいただいているということは、既に新しい居 所にアクセスいだいているということなのでしょうが、ブックマークをしていただいている方には、念のためこちらのURL に切り替えておいてください。かくしてフラストレーションを拭い去ることができ、冬の青い空が心から青く映るこの頃。新 作も間もなく登場の予定です。

・ 我が家周辺は目下こんな具合
 
 百聞は一見に如かず・・・で、写真を何点か載せます。

    

   我が家の西側、広い畑地を挟んだ対岸の中央が我が家           当家北側の小径から。妻と散歩中に撮影
          

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      八ヶ岳を背景に燃え上がるどんど焼き

〇 今年のどんど焼き(1月14日記)

 私の住む小淵沢町の篠原区では、新年を迎えて第2日曜日(のあたり)にどんど焼きを行います。因みに、これは本来 小正月の行事だそうで、小正月とは1月15日ということです。元々は道祖神を祭る行事に端を発したらしいのですが、現 在は神事としての側面は薄れ、お正月飾りなどを燃やして残り火で"まゆ玉"と称する団子を焼いて食べ、迎えた年の 無病息災を祈願する祭事というのが一般的になっています。日本の各地で同様の行事があると思いますが、私はこの どんど焼き、当地に移住して初めて体験しました。
 このどんど焼きについては、以前このFノートでも写真を交えて書きましたが、前の週にやぐらを組み、カヤとか竹を集 めて組み込み、当日はそこに点火するだけで高く燃え上がるという段取りを済ませておきます。すべては当該年度の担 当役員の手でお膳立てされるのですが、私も3年前にはその一員として立ち働いたことがありました。
 今年の特徴は、何と言っても連日のカラカラ天気のせいで、点火するとすぐに勢いよく炎が立ち上がり、晴れ渡った青 空に向かってメラメラと突き上がっていったことでした。そしてこれまた乾燥した大気に煽られるようにして火勢は強かっ たものの、長持ちせずに例年よりはずっと早く燃え尽きてしまった感もありました。集まった人々は炎を仰ぎ、談笑し、 用意された甘酒とおでんを食し、残り火子供たちが中心にまゆ玉を焼いて頬張り、どんど焼きの時間はどんどんと過ぎ 去ってゆくのでした。ダジャレなどは別にして、そう言えば…と感じたことは、しめ縄とか松飾といったお正月飾りを燃や す光景はついぞ目にしなかったことです。何年か前には多少そんな光景もあったと思うのですが、今年は皆無状態、ど んど焼きも年とともにその姿を変えていくようですが、この火を囲んでのひとときは、ずっと残って続けられて欲しいもの です。火を見る、火を囲むという行為は、人間どうしの垣根を
低くするようで、これからの時代にこそ乞われる祭事ではないかと、この日もまた思ったのでありました。



集まった区民達の前で点火


直後に燃え上がった炎はあっという間に勢いを
増し、消防団員が人の輪を遠ざけるほどに、→




からから天気のお陰で火勢強く、人々は遠巻きに
燃えさかる炎を見つめます。



〇 2019年、年が明けての雑感(1月6日記)

・平成
 世の中、平成最後の年が暮れて、平成最後の年が明けたことで、何時にない年末年始であったかのように言われて います。平成最後・・・確かにそういうことなのですが、私個人の記憶はどちらかと言うと西暦を以てあの年はこうだった とか記憶にとどめている口であります。それで、昭和の頃は昭和の年数に25を加えれば西暦となっていたので、この両 者はよく結びついていました。それが平成に入ると、そのような換算式が私の頭の中ではついに確立されないままでし た。それで今年はどうなるかと言うと、新年号の元年が2019年と、これまたちょいと区切りの悪いことになりそうではあり ます。それにしても、なぜ新元号がぎりぎりまで公表されないのでしょうか?昭和からの元号入れ替わりの折は昭和天 皇の崩御という節目で(これが普通の節目なのですが)、崩御を見越して新元号を発表するなど、あってはならないこと でした。しかし今度は、事態は全く違っていて、誰もが承知した上で年号の切り替わる日がやってくるわけです。ですか ら、そうそう伏せておく理由があるのか、そこのところがよく分かりません。私は天皇制とか元号の問題にはごくごく無頓 着な口なので、実はこの種のことを書くのは珍しいケースと言えます。しかし、無意識のうちにも平成といういわば万人 が共有してきた括りの中で過ごしてきた年月とは、それなりの個人の記憶として括られるようなところもあり、私は何の 総括もしてはいませんが、筆のおもむくままに書き出してしまいました。

・旗日
 お正月に関連して思ったことの一つに、旗日ということがありました。それは、お正月の市内を走っていて、ついぞ旗 を掲げている家を見かけないことから、ふと思い及んだことです。旗日・・・こういう単語を今の人たちは知っているのだ ろうか? それ以前に、かつては各所帯にあった日の丸を、今はどれほどの所帯が保有しているのだろうか。そう言え ば当家にも日の丸はないし、旗日と言っても国旗を掲揚することなど、かつて親元を離れて結婚して以降は一度もあり ませんでした。結婚したのが50年前のことなので、この間実家に帰る時を除いて日の丸の掲揚は身近にしていないこと になるのです。私のごとき後期高齢者にしてそうなのですから、今の若い者は・・・となると、言うまでもない問題でしょ う。国旗に対する尊厳とか誇りといった感情となると、日本のそれはおそらく世界でもかなり低いレベルであるのが現状 でしょう。アメリカでは何かというと星条旗が誇らしげに掲揚されるのが常です。合衆国法で星条旗の取り扱いについて 決められているといいますし、現実にこれを見かける機会は日本とは比べものにならないほど多いし、別に特定の日で はなくてもその光景はよく見かけるものです。日本では‥となると、来年はオリンピックの年なので通常よりは日の丸の 露出が多くなるのでしょうが、そういう折に日の丸=愛国心=戦争の記憶連鎖は、どのようにして健全なものに改めら れるものか、こういう機会に一度考えてみてもいい問題かもしれません。これまた、普段私の頭の中にあるテーマとは いえない一件でありました。

・50年
さて、ずっと私個人に立ち返っての新年のことであります。いまこれを書いてきて、実は大変なことを再認識することに なりました。それは先に書いた「結婚したのが50年前のことなので・・・」という下りです。そうなのでした!今年は我々夫 婦にとっては金婚式という節目に当たる歳なのでした。世間的に言えば、還暦とか古希とか、○○式という節目には祝 い事が欠かせない・・・のだと思います。しかしどうも、これまた我が家の習慣としては定着していないので、金婚式と言 われてもピンとこない所はあるのです。ピントは来ないのですが、50年という年月は凄い、放置していてはいけないと、 そのように一方では思います。お互い子の年月を経て今があるわけですし、たまにはこうして永らえて来られた事実に 対して、素直に喜び合ってもいいのだと思います。私は1年前には心臓発作からの再起という道を辿ったわけですし、妻 はこれまた1年前に意を決して受けた左膝の人工関節手術からの復帰という道を辿ってきました。そういう節目が最後 にあった訳ですから、50年はめでたい、何かしなくては・・となるのは自然の成り行きと言えるのでしょう。それでは何を しようかとなるのですが、実はその何かをする前に、これまたやっておかなくてはならない問題が横たわっているので す。その一つが私の眼の問題で、この2月に白内障の手術を受けるのを機に、医師の勧めもあって長年治療してきた 緑内障の方も手術によってその進行を止めることになり、これは両眼共ですので、2週間ほどの入院を余儀なくされま す。そしてもう一件が妻の方で、手術を受けていなかった右足の方も膝が限界にきているので、こちらの方もまた人工 関節の手術を受けることとなっていて、それが暖かくなるタイミングでのこととなる予定なのです。つまりは、祝い事の前 にやっておかなくてはならない身体の大修理がまだ残っているという次第です。医療技術の進歩している昨今のことと はいえ、手術を受けるという一事はそれなりに精神的にも一つの関門となるものです。それらが終わって、漸く50年、半 世紀か〜と、改めてその年月を振り返ることになるのでしょう。

〇最後に当HPのこと
 急に次元が変わりますが、このHPにつき、これまでのいわば寝倉であったgeosities が急にサービスを廃止するとい う、当方にしてみれば理不尽な通告を受けて、3月末までに新たな寝倉と新たな住所を設定しなければなりません。この サーバーとドメインの変更(こういう表現でいいのだろうか?)という、私には暗闇状態にある手続きをやらねばならず、 それに取り掛かって直ぐにトラブルに見舞われて、現在とてもナーヴァスになっているところです。しかしそうも言ってお られないので、何とか入院前の近日中に、これだけはしておきたい、とそのように思っています。そんなこんなで、新作 の制作は複数手に付けてはいるのですが、これをアップするまでには多少のお時間をいただきたく、これを読まれた皆 様にはなにとぞご理解のほど、よろしくお願いします。

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