山麓絵画館


フィールド・ノート 2015〜2018


<ここまでが2018年>

〇 ゆく秋、くる冬(12月2日記)

 いよいよ師走! 家に帰るとクルマを降りるときワイパーをたてるのが日常的となってきました。氷点下となる朝が増えてきたため で、師走に入っていよいよ本格的な冬が始動し始めたという感があります。始動し始めた・・というと重複した表現と思われるでしょう が、この始動の期間が結構続く間、冬への備えをいろいろとすませるわけです。この時期を通り越すともう冬にとっぷ
り浸かるといった案配で、手帳を見ると去年も今頃までには家の主暖房の電源を入れたり、冬タイヤへの履き替えを済ませたりして いました。物理的な備えだけでなく、心身的な備えを図るとでも言えるようないっとき、それこそ"ゆく秋くる冬"とでも言いたくなるような 山麓の師走が駆けだしています。
 そんな中で、先週は小春日和の日もありました。この日は教室のスケッチで白州の方まで下り、ある畑中に陣取って紅葉の残照を とどめた森や山腹の広がる風景を俯瞰してスケッチをしたのですが、ふと見上げると青い空に刷毛で履いたような筋状の雲が広がっ ていました。風も弱まって陽射しも暖かいこれぞ小春日和! 気持ちのいいものです。余談ですが、この小春日和、先日観たTVで は、アメリカだとインディアンサマー、中欧・北欧では「老婦人の夏」、ロシアでは「女の夏」、イギリスでは「聖マルタ
ンの夏」などと言っているそうです。なぜ女が出てくるのか不明ですが、日本語の小春日和が語感や意味合いから言ってもベスト!  日本語の美しさを表す一語だと思います。

 ところでこの秋は、私にとって結構あわただしく、しかし一面濃密に過ぎていった秋でした。11月に4年ぶりの教室展を開催したことも ありますが、それとは関係なく、秋口にかけてかなり精力的に絵を描いてきたこともあります。こうした絵に係っている時の流れは充実 して感じるものですが、それとは関係のない些事が結構多かったとが、逆に忙しなさを増幅させていたのかも知れません。些事と言っ ても、この歳相応にやっておくべき終活の一環とも言えることもあった次第で、お墓の問題とか処分しておくべきお荷物的資産と言う べきか、そういう問題などもそこに含まれています。
 そんな個人的な体験とは関係なく過ぎ去っていった2018年の秋の一齣を写真付きで綴ってみます。



紅葉はいまいちだったものの、逆光に透けたコナラの
黄葉はやはり秋を代表する色彩と言えるでしょう。↑


この秋は日照に恵まれて柿が豊作だったようで
山麓を走っていると、あちこちで青空を背に朱色
の実をたっぷりとつけた柿の木を目にします。
老齢化に伴い干し柿を作る世帯も少なくなって、
柿の好ましい循環が失われつつあるのは残念な
ことです。



これまた陽に透けて白く浮かび上がるススキの群落。
この秋はよく絵のモチーフとして、このススキを描き入れました。



← 「坂の上の蒼い天に、もし一朶の雲が輝いているとす
ればそれのみを見つめて坂を登ってゆくであろう」 
・・・司馬遼太郎 の「坂の上の雲」、その書き出しの一節に
ある雲ってこんな感じであろうか。
 これは甲斐駒の上の一朶の雲・・ でした。

↓ 高圧線のはるか上空に刷毛ではいたような巻雲。
  これもまた秋の風物と言えます。



〇1年半ぶりの上京記(11月22日記)

★ 高密度社会
 所用あって久しぶりに上京しました。このFノートの回想を見ると、前回行ったのが昨年の5月、ということで1年半ぶりの東京というこ とでした。この1年とか2年という年月は、その中身を顧みるとどうも判然としないおぼろげさが付きまとうものですが、いつ行っても東 京は変わった、東京は目まぐるしくて疲れる‥といった感想を抱くのは常の事です。そんな感想の節々を思い起こし
てみると;
・先ずは往きの特急あずさの車内…"この列車は終着駅新宿着におよそ2分の遅れが生じております。遅れまして誠に申し訳ありま せん"という車掌のアナウンスを耳にしたときでした。中央快速線ラッシュアワーに伴う遅れとかいうことで、このおよそ2分の遅れを謝 罪するなど、改めて高密度社会、高効率社会の断片に触れた思いで、これは東京に限った話ではないのでしょうが、
私の暮らす八ケ岳山麓からすると、かなりかけ離れた生活実感ではあります。
・二番目、特急が八王子駅で停車した時、このホームに群がる人の数は、これもわが山梨県では甲府駅といえども普段は目にするこ とがないものです。殊に、ホーム反対側に電車が入り込んできて、その車窓悉くが人の群れで埋め尽くされ、電車の向こ
う側の車窓風景が隠されてしまっている!…甲府駅でも決して目にすることのない東京の日常光景に、やけに驚いたりするの
でした。

★ 変わり続ける都会
・車窓の風景も、高尾、八王子、立川辺りは通るたびに高層ビルが増えていて、変わりつつある都会を象徴するものです。今現在どこ を走っているか、これもi-padのgoogle mapを見て確認しつつ、暇つぶしをしていたのですが、ざっと眺めている範囲内では、中央線も 際に近い部分程変化が激しいようで、三鷹、吉祥寺辺りになると戸建ての家並みと緑が点在し、高架の上から眺
める限りは、かつてのそれらしきエリアが続いているといった印象でした。因みに私は小学校低学年から会社時代の中堅社員に至る までは阿佐ヶ谷に住んでいたので、風景を眺めながらもつい知った店などを目で追っては、降りてみたいという気をそそ
らされるのでした。
・新宿で乗り換えてこの日かつての遊び仲間との再会の約束があった東京駅に直行し、地下街を彷徨い歩き、これはもう毎度
のことながら、店の数に圧倒されっぱなしです。八重洲地下街だけでも、食べたいもの、飲みたいものは何でも揃って店開きし
ている様・・・これは長く都会に暮らしている人には分からない感覚かも知れませんが、普段当地では目にしたり経験することの決して できない光景で、この選択の多様さに直面すると、もう改めて目を見張るばかりです。懐かしい面々と昼間から飲みなが
らのいっときは、時のたつのも忘れるほどで、3軒目に行った大丸のグルメ階にある蕎麦屋から眺めた丸の内方面の光景もまた圧巻 でした。
・翌日、多摩墓地での墓参りと私を以て引き継ぐ者のいなくなる墓地の今後について、斎苑事務所で話を聞き、墓参りをして後今回上 京の最後の目的である高校時代のクラス会に出席するために新宿に。新宿南口では、新しいバスタといい、広いテラスやプロムナー ド、気の利いたスナックやビュッフェといい、そのスマートな変身ぶりにまた恐れ入るのでした。クラス会は小田
急ホテルセンチュリーサザンタワー"とかいう面倒な名前の19階にある中華レストランで、普通は迷いようがないのであろうこの場所 にも、お上りさんの私は隣のビルに紛れ込んだりして、直行とはいかなかったのでした。それで再び昼酒をやって、全ての日程を終え てから帰路に。改札への道筋で見かけた"オイスターバー"は、若かりし頃のニューヨーク研修時代、パンナムビルでよく飲み食いした 思い出が重なったのですが、後ろ髪を引かれる思いを振り切って帰りの特急に乗車したのでした。
・こうした事々の他にも、都心でなくても乗り降りした中央線の三鷹とか西武線の大泉学園とか、何処も駅前は一段と整備され、例え ばトイレに入ってもその清潔さ、最新の設備など、田舎者となった私には見違えるほどで、これは帰路の乗り換えで甲府の
トイレに入ったときも、中央との格差を改めて感じさせる一事でありました。

★ 変わるものと変わらぬもの
・こんな具合に私が都会で目にし、変わりように驚いた背後には、私が八ヶ岳に移住し生活してきた13年余り、知らぬ間に山麓の住 人として当地の風土に馴染んできた歳月があるわけで、あらためてその歳月に想いを馳せることにもなった次第であります。
 その一方でもうひとつ、振り返れば、古き友人たちとの再会や実姉との兄弟水入らずの時など・・・何でも変わりゆく中でホッと一息 つけた貴重な時間、変わらずにいてくれた存在、それが珠玉のものと感じられたことが、今回の上京の一番の収穫であっ
たと言えるでしょうか。生きているうちはお互いが元気でいたい、お互いにそのことを確認し合いたい、という思いを新たにした
上京でもありました。



○ 漸く紅葉の便りが(10月28日記)

 10月も半ばを過ぎ、ここ数日は秋晴れの日も多くなった先週の水曜日(24日ですが)、紅葉の状況を見に久しぶりに増富から瑞牆 山方面へと出かけてみました。瑞牆湖から右手増富温泉の方にクルマを進め、少しばかり高度を稼いできても、山はまだくすんだ緑 色の域を出なかったのですが、増富温泉を抜けて通仙峡に入る辺りから、谷沿いの木々が俄に色づき始めてきました。つづら折れ の道を本谷川渓谷に沿って進むにつれ、この辺は紅葉の名所なのでそれなりに彩りは増して目を楽しませてくれ、クルマを停めては 撮影する回数も増え始めました。標高1200bほど、渓谷を抜け金山平に出ると視界が開けて、一段と鮮やかな紅葉の世界が広が ります。ここにあった手打ちそば処は、この季節には紅葉の裏山が迫る庭で食すのが野趣に富んで楽しみだったのですが、お歳のせ いか休業となっていたのは残念でした。さて紅葉の本番はその先にありました。標高にして1400b辺りに達し、瑞牆山が身近に迫る 自然公園に来ると、ここは例年通り紅葉の森の中から、あのすべすべと青みを帯びた岩峰が秋の陽を浴びて屹立しています。瑞牆 山は近づいてもその姿を晒す場所が少なかったのですが、この自然公園が開かれ
てからはいつ来てもその特異な姿が楽しめますし、紅葉の海が広がる光景もまた得難い場所となりました。

 公園をあとにして信州峠方面への道に分け入ると、黄や赤の一段と鮮やかな木々が道路にせり出して壁のように連なってい
ます。人もクルマも余り来ないせいもあるのか、手つかずの紅葉の森という感が深く、しばしクルマを停めて周囲の森に魅入っては写 真を撮るのでした。その先少し走ってからの分岐点で信州峠方面の標識に従って右折すると、やがて道は未舗装になり、かなりのオ フロード走行となってきました。参考まで書きますと、この分岐点から信州峠方面に出たい場合は、標識にある増富方面に左折し、そ のあとに出てくるT字路を右折し、黒森経由で県道を走った方が賢明と言えます。私が入り込んだオフロードは、一度通ったような、い やそのときとは様子がまた違うような、ともかくも台風などで水が路面を削り、至る所大きくえぐれていて、私のSUVでも底を擦りそう なほどです。曲がりくねってはその先がまだまだ続き、ナビ上では峠への県道が始終向きを変えつつも一向に近づいてくる気配があ りません。こんな山道で倒木でもあったらそれこそ大変!引き返そうにも切り返せるスペー
スがないのです。冷や汗もので慎重なオフロード走行を強いられること30分近く、漸く県道らしき切り通しが見えてきたときはホッと一 息という状況でした。この間、左手に瑞牆山が木立の間から見え隠れしていたのですが、もう紅葉を愛でたり写真を撮る
気分ではなかったことは言うまでもありません。県道に出てからは信州峠を越えて川上村に入り、そこから野辺山高原で2時間遅れ の昼食をとり、帰りしなにこれも紅葉で観光客が押し寄せる清里の赤い橋に立ちより、川俣渓谷の写真を撮ってから帰ってきたのでし た。
 それから2,3日過ぎて我が家周辺でも色づきが一応ピークになってきたように思えます。陽射しを浴びれば多少物足りない紅葉も 輝いて目に映るもので、これを書いている日曜日の今日などは、昨年ほどではないにしても、木々の葉は結構色鮮やかに風に揺れ て輝いています。

 以下、当日撮った写真で話を追ってみます。

  
↑ 金山平に出ると視界が開け、紅葉の山が眼前に。
↑ みずがき山自然公園は、今年も紅葉と岩峰の一大ページェントが。
  
↑ 信州峠への道は紅葉の壁で、クルマを停めてはしばし撮影。
↓ 時折頭上が抜けてカラマツとコナラの明るい山道も。

↑ 脇道を入るとこんな紅葉の世界にも浸れます。

  



清里に戻って川俣渓谷の赤い橋の所。
権現だけを背景に、紅葉は今がピーク。





〇 10月ですが・・ (10月17日記)

 秋晴れ! という日が本当に少ない今年の秋、陽射しに恵まれないまま、10月も半ばとなってしまいました。そのせいか、我
が家周辺の紅葉もいまいち冴えない様子で、カツラの木は西側だけが黄色く色づき始め、現在は黄葉しきれない緑っぽい葉と入り混 じった状態、ジューンベリーも然り、どうも全体的にそんな感じで推移していくようです。ドウダンツツジも鮮やかな赤となる予感がどうも 薄く、冬の到来を前にして鮮やかな色どりを見せて欲しいところなのですが、果たして今年は期待に応えてくれる秋の深まりはあるの でしょうか。
 この間、ちょこちょこと取材に出変え、気が向けばスケッチもしたのですが、あの秋晴れの高い空の下でという環境に置かれていな いせいか、充足感は得られないままです。空れでも、昨今すっかり常態化したインスタ映えではありませんが、いくつかの画像を交え て、目下進行中のこの秋を拾ってみます。



 台風24号の爪痕は、通過後1週間過
 ぎても、山麓のあちこちに倒木が手つ
 かずのままだ。

← 我が家から1qほど北に上がった
 所、大木が電線に より架かっていて
 この先は進入禁止。

→ 右は大門ダムからの曲がりくねった
 山を走っていると突如行く先を塞がれて
 200bほどバックで引き返す羽目に。





 10月2日は数少なかった秋晴れの一日

← 美鈴池の上空には、乱舞しているよう
 なホウキ雲が出現。

→ 右は刈り入れ直前の稲田の先にゆっ
 たりと八ヶ岳が。
 10月16日 薄曇り

← 富士山が初の雪化粧。

→ 標高1400bのふれあい公園は紅葉
 の盛りと思いきや、ちょっとくすんだ色合
 いで、まだ早いのか、今年はこんな感じ
 なのか・・・。






〇 台風一過(10月1日記)

・ コシアブラの木が倒れた!
 台風24号が日本列島を縦断して抜けていきました。列島の、それも本州を通過する台風が今年は続きます。幸い21号の時ほどの 被害はなかったようですが、県下でも大分風雨が激しかったものの、これといった被害もなくて済んでおります。それでも、
我が家では夜来激しい雨風の音が叩き付けるように続き、朝起きて庭を見ると、コシアブラの木が一本倒れていました。7、8bに育っ たひょろ長い株で、かつて伊那の山の中から数十センチくらいに育った苗を掘り起こして持ち帰ったうちの一本です。この時移植した コシアブラ4株はその後良く育ち、当家の庭では毎年新芽をいただくのが楽しみでした。当家の庭では‥と書きましたが、実は種が臨 家の庭にも飛んで、何時頃だったか"アラッ、あんな所に立派なコシアブラがある"と年々目立ってくるまでに大
きく育ち、これが我が家のそれらよりも親子が逆転して数段デカい株に生長したのであります。春先は一番に新芽をたくさんつ
けて、傍目にも美味そうなのですが、夏場以外にはあまり来られない別荘の庭なので、ただ指をくわえて眺めているだけなのでありま す。それで、台風のあと我が家のコシアブラは3本だけとなってしまい、うち一本は痩せて背も低いので、かなりの戦力ダ
ウンと言わねばなりません。尤も、当家の庭で育ったコシアブラは、故郷の伊那野山のそれほどは香りも立たず、これがやはり土の せいなのか、他の山菜も然りで、グレードダウンは免れません。

・ 「安全な場所からお伝えしています」・・??
 台風襲来でNHKは終日台風報道で明け暮れました。この間、どうも私は、NHKのリポーターが中継する際に必ず入れる一言に、都 度違和感を覚えて仕方ありませんでした。それは、「安全な場所からお伝えしています」と最初に発する一言です。皆さんはこれを聞 いて何も思わないでしょうか? 一聴して、安全第一なのはいいことだ、と思いがちですが、果たしてそれでいいのか。おそらくこの一 言は、これまで特に民放などで付き物だった台風報道、つまりリポーターが吹きすさぶ風の中とか、叩き付けるような波風の最中で、 それもときに若い女性がそんな中でリポートしているといったさせていたショーアップしたような報道に対する批判からの反動ではない かと思われます。しかししかし、考えてもみてください。報道、特にTVはリアリティーをどう伝えるかが生命線ではないでしょうか。事実 を事実として伝える・・そこに報道の、もっと言えばジャーナリズムの根幹があるはずです。
台風接近のその最前線で、立派な施設の中に閉じこもって、「安全な場所からお伝えしています」では、果たして前線でのリポートと言 えるのか。私の違和感はまさしくその一点故のものです。その発声が、私には「手抜きをしています」と聞こえて仕方ありません。
 元より、状況に応じてどう伝えるか、それも如何にリアルに伝えるかという点に関し、多少のリスクはつきものと言えるでしょう。その リスク管理をどうやるかは、それこそ伝える側はプロとして、当然それなりの万策を講じて臨んでいるはずです。私は何も派手に、迫 力を出して伝えるとは一言も言っていません。プロたるリスク管理の上に立って、事実を事実として可能な限り視聴者に届けるのが皆 さんの役目ではないのですか? と私はNHKに問いたいのです。
 この点に関してもう一つ驚いた、というか哀しく感じたことがあります。この「安全な所から・・」は、いつ頃からこうなったのか、
ちょっとネットで調べようとしたら、何と、この「安全な‥」が、視聴者に大そう支持されている気配ではないですか。その大半は、行き 過ぎの報道ぶりへの反発であるらしいのですが、だからと言ってこういう事なかれ主義の報道を支持する風潮とは一体何
なのか。私には何かと重箱の隅をほじくるように教育の現場に注文を押し付けるPTAとダブって映って仕方ありません。そういう風潮 が結局は子供たちにとっていい教育への循環を断絶させるのではないか。まあ、教育問題ほど深刻ではないにしても、報道の精神 を、ひいてはTV報道への曖昧さを助長させるような視聴者の声には、報道の側のみならず、我々視聴者も冷静に考
えて欲しいし、ましてや報道を主導するメディアとしてのNHKには、基本に立ち帰って目を覚まして欲しいと強く思うのですが、如何でし ょう。



○秋です!(9月18日記)

 9月も半ば過ぎ、稲穂も大分黄色く垂れてきました。あの猛暑の夏は、いつ頃から遠ざかっていったのか、思い返すと、陽が
大分家の中に射し込むようになり、雲の輪郭が真綿のようにフワッとしてきた頃から、潮が退くようにして遠ざかっていったように思え ます。ここのところ、秋雨前線が下がったり上がったりを繰り返し、その都度大気が入れ替わっていますが、秋の気配は潮が満ちてく るようにして、日に日に濃くなりつつあります。

・自然災害の多かった夏

 待望の秋!ではあるのですが、その入り口であの北海道の地震、これには驚くとともに、夏に続いた大きな自然災害が、ここにきて また日本列島に重いパンチを繰り出したかのようで、自然災害の怖さを改めて思い知らされました。札幌の友人に聞くと、40時間ぶ りにライフラインが復旧してからは、さしたる苦労もしていないようなのですが、あの胆振地区での被災状況は、地理的な近さも合って か我々本土にいる人間よりも、被災者へのシンパシーが他人事ではないようです。私たちにしても、あの悲惨な山崩れの映像を見る につけ、言葉通り足下が揺らぐ想いでした。あの一帯は火山灰や軽石などの火山噴出物が堆積した土壌のようで、これまでも斜面崩 壊を繰り返してきたいわくつきの土地柄のようです。そこで思い起こすのは、7月の西日本豪雨
災害で、こちらはまさ土といって花崗岩が風化して細かく堆積した不安定な土壌で、広島県では4年前に大規模な土砂災害で
多くの犠牲者を出したばかりでした。今回の北海道も7月の西日本も、曰く付きの軟弱な土壌であったわけです。それなのに何故繰り 返し悲劇が、それも元々警戒すべき地区で繰り返されるのでしょうか。私にはいつも二つの側面が想起されます。一つは「こんなこと は初めて」という被災者の声、もう一つは「あそこは元々○○という軟弱な地盤だったのです」という後付けの解説です。この二つは災 害に対する十分な予知能力という面で、もっと有効に結びつけられないものなのか。
 日本は世界に例を見ない火山国で、かつまた日本列島は世界に希な複雑な構造の上に成り立っているそうです。であれば、住民 はじめ地域社会全体で地質への関心と感度をもっと高め、災害への想像力を逞しくするべきではないでしょうか。そして思
うに、地質学者はもっと発言力を高め、説得力のある情報を発信してもらいたいものです。マスコミ然り、金太郎飴のような横並びの 報道に終始するのではなく、こうした問題提起をしていったらどうなのか、私などはそのように考えてしまうのですが・・・。

・季節が変わり、世間の風向きも?

 さて、私の住む北杜市は、幸い大きな災害もなく、台風のあとも稲穂が垂れてしまった光景も余り見ないままで済んでいるのは幸い なことです。この分だと順調な収穫が期待できるのではないか、と思ってしまうのですが、農家の人達にとってはこれからが勝負時。  皇国の荒廃この一戦にあり、なんていうと眉をひそめる方もおられるでしょうが、そんな心積もりで天気予報に目を配りつつ、満を持し ているのではないでしょうか。稲田ばかりではなく、蕎麦畑も一面白い花を咲かせて、収穫の間近いことを知らせてくれています。新 米、新蕎麦とくると、いきおい味覚の秋へと展開していく流れですが、私はさしたる食通でもないので、秋深まれば酒ますます旨く・・・ 先ずはそんなことが思い浮かびます。次に折角豊漁だったサンマが、北海道地震の影響から立ち直
ってまた値段が安くなってくれるか、なんていう俗っぽい思案が頭を過ぎったりします。それから新鮮で旨い卵!こちらは水彩教室の 生徒さんを通して、埼玉の暴落農家の生産するとびっきり美味しいものを手配しているのですが、これが夏の暑さにやられて玉が小さ くなって味もちょっと、という感じでしたが、ここのところ再び大きさと味を取り戻してきたのは嬉しいことです。白いご
飯に美味しい卵かけのご飯は、日本の食の基本形といってもいいくらいで、新米が出る頃はこれがもっと旨くなるでしょう。季節変わっ て、世間を渡るいやな風向きも変わってくると良いのですが・・・。

・芸術の秋

 もう一つ、言わずと知れた芸術の秋! 絵描きとしてこちらはどうなっているのかと言うと、実はこの春以降、ずっと旺盛な制
作意欲が持続していて、絵の数も質も我ながら結構満足のいくものなのです。こういうことを自分で語るのは、どこか白々しく居心地 が悪いのですが、ともかく精力的に絵と向き合っている様は、ちょっとこれまでにはなかったくらいで、ここに来て自分は画
家と名乗って姿勢を正しても良いか、と思ってしまうほどです。ひとつはやはり、あの一連の入院騒ぎを経て、大袈裟に言えば再び人 生を取り戻したというか、そのありがたみと充足感のなせる処が大いいのだと思います。ですので、この手前味噌は大目に見ていた だくとして、それでは、あの大事がなかったら、画家とは名乗れなかったのかと質されると、言下には否定できない自分が情けないと 言えば情けない・・・と、これは謙遜も含めての一言であります。それはともかく、せっせと描いていて、描く対象も、身近にある木々や 花、雑草といった生命力を感じさせるモチーフが多くなっています。仕上がるタイミングとの関係で、全てこの
HPに掲載はできないのですが、いずれどこかで皆さんにお目見えする機会があろうかと思っています。
 それから、この秋には久しぶりに教室展を開催します。11月8日から5日間、小淵沢の新駅舎内にある交流スペースで、いずれこ のHP上で告知する予定です。
 芸術の秋はそんなところですが、もう一つ、最近はクルマでしか聴いていない音楽を室内で楽しめる環境を取り戻さねばならないと かねがね思っているところです。というのは、目下我が家のオーディオ装置は、水彩紙やマット紙、描きかけの絵などに覆われている という憂慮すべき状況で、これではグールドもB・エヴァンスも聴けたものではありません。やるべきことがいっぱい控えている秋でも あります。



○ 2018年夏の記憶 (8月8日記)

 先日、夏の積乱雲のことを書き、写真も載せましたが、これはその続きとなる一編です。
今夏の異常な暑さは、ここ八ヶ岳山麓でもいよいよエアコンが必要かと思案を巡らせるほどのものでした。いやいや過去形ではなく て、これはまだ続くのかも知れませんが、そんな暑い毎日、何をしようにもなかなか腰を上げ難く行動は沈滞気味。ただただ、この暑 さをやり過ごそうと日数を送っていたような気もします。そんな中で、私が唯一こまめにやり続けていることが、空を眺め雲の様子を探 り、これはと思うとカメラを手に飛び出して撮影するという一事です。首都圏の友人が、最近なかなか入道雲を見ないと言っていたの がきっかけで、それなら我が方で、と証拠写真を集め始めたのをそのまま続けているだけの話なのですが・・・。それで撮り続けると、 様々な夏雲の表情が面白く、また、これだけ連日湧き上がる雲のオンパレードな夏もそうそうはないと、興味も増してくるのでした。そ れはそうでしょう、煮えくりかえるような地上の暑気が上昇気流を間断なく生みだし、雲の供
給源となっていくわけですから、今年ほど積乱雲の花盛りもまたないと言えるのかも知れません。ただ、その一方で、あまりに大気が 暑過ぎて空全体がサウナのようになってしまうと、例えば暑さでは人後に落ちない甲府盆地方面など、その上空に鮮やか
な積乱雲の形がいつも見られるとは限らないというということも分かってきました。それにしても、入道雲とはその名の通り、むくむくと 力こぶをかざしつつ立ち上がり、刻々と形を変え、空の一画でまるで番兵のようにして存在を誇示するものです。
 そんな雲の表情をいくつか載せてみました。この夏の猛暑の記憶です。




7月31日 南アルプス上空

この日はまた格別の暑さで、我が家から少し下った見通しのいい場所から、正面鳳凰 三山の上空に積乱雲が乱立していました。次から次へ、ますます高く・・・と、我が夏の 舞台で競演を繰り広げているようでした。


7月31日 原村方面上空

夕方近くクルマで出かけて撮影した一点。
中央線の線路を越えた三峰の丘辺りから西の空を見晴るかすと、これは立派な積乱 雲が勢力を誇示していました。茅野市辺りの熱気を集めてのものか、ずっと遠方上空 のドラマは、空がクリアーだったらもっと迫力のある一枚となったかも知れません。




7月31日 西の空、入笠山面

刻々とその姿を変える日没前の空は、雲が逆光に縁取られて影絵の舞台のようです。 カメラを向けたそのときの雲は、ゴジラが口から雲の子を吐き出しているような一幕でし た。






8月1日 我が家のデッキから。

この日も昼下がりからしきりと入道雲が湧き上がっていました。我が家のデッキからお 隣の屋根や梢越しに、まるで噴煙のごとく積乱雲が次から次へその姿と高さを変え、ま るで森の先に噴火口が存在しているようでした。







8月6日 北杜市上空

所用で甲府に出かけた帰り道、国道20号韮崎辺りで、ちょうど八ヶ岳上空辺りから雲 が立ち上っていました。これまた、まるで山が噴火したようで、思わずクルマを停めて撮 影。
八ヶ岳は独立山塊であるため、この一帯で湧き出る雲は全て八ヶ岳での上昇気流が供 給源で、いつも様々な形で上空に流れ、興味深い表情を創り出してくれます。



8月6日 甲府方面上空

上の写真と同じとき、甲府方面を振り返ると、そこには巨大な積乱雲の塊が。
ちょうど39度の焦熱を体験しての帰り道だったので、この雲はさもあらん、と納得する
のでした。
この日の夕刻、甲府はゲリラ豪雨に見舞われました。










〇 猛暑は八ヶ岳高原にも(7月16日記)

 千メートルの高原でも猛暑となりそうなこの日、朝から上空に漂っている雲は大気が既に暖まっているせいか、輪郭がボンヤ
リと霞んだ状態です。昨日は暑さを凌ごうと、この辺では最も涼しいスーパーに出かけ、買い物がてら店内でいつも以上にのんびりと 時をやり過ごしたりしました。八ケ岳高原は避暑地なので、涼むためにスーパーなんておかしいとお思いでしょうが、強烈
な陽射しの下ではどこかの木陰のある水辺にでも行かないとなかなか凌げそうもないのです。そういう場所はすぐ近くにあるわ
けじゃなし、やっぱり手ごろな冷気と言ったら近くの商業施設ということになってしまうわけです。こういう時に本屋があることはありが たいことで、涼み客は本屋にとってさぞかし迷惑かと思いきや、じっくり本を手に取っているうちにやっぱり買ってしまうケー
スが結構あるもので、だから決して迷惑なことではないわけであります。
 話を戻して、暑いと言っても山麓では日中でも夕方から夜半にかけては暑さが引くことも多く、クーラーなしでも寝られるところが都会 とは違う点でした。しかし今年の夏は少し様相が異なっています。梅雨も短く早くから夏到来となって久しい感じですし、
積算日照量にすると今年は例年をはるかに超えた数字となっているに違いありません。我が家の庭などを見ていると、いつも
以上に木々の葉は生い茂り、雑草の伸びも早い感じです。一部の樹木には既に紅葉したような葉が認められます。山麓界隈では余 り使うことのないクルマのクーラーも大活躍、野菜の生育なども早いようで、この分だと秋の訪れも早いのでしょうか? 
 
 そんな期待感も頭を過ぎったりする昨日、今日ですが、首都圏在住の友人が、最近入道雲を見ていないということだったので一昨 日からそれを見たら写真に撮ろうと外出時もカメラを離しません。尤も、このカメラ持参は私にとってはごくごく日常的なことで、いつ何 時でもこれといった画想が浮かぶ風景に出会うと、先ずは写真を撮ることを常としています。それで、冒頭のスーパ
ーに行った 帰り道、八ケ岳上空に雲が湧き上がっている光景に出会ったので早速撮影。反対側の南アルプス上空も、いつも
だと積乱雲の発生地帯なのですが、この日は上空に風があるせいか、しっかりした雲に発達する前に崩れてしまうようでした。
また、名だたる暑気地獄状態を呈する甲府盆地方面は、大気自体が暑さで霞んでいる状態で、いつも遠い山沿いに立ち昇る
積乱雲の乱立は、この日は認められないままでした。そして陽が落ちていっとき夕立があり、地面や木々が冷やされると、南の空に 浮かんだ入道雲が夕日を受けて暑い一日の終わりを告げているかのようでした。写真をご覧下さい。

  

<追記> 一夜明けた17日の朝、この追加分を書いているのですが、昨夜は暑く蒸しました。こういうことはあまり記憶にない
のですが、枕元の気温系は27度を超えているという、いつものクールダウンが見られない夜を明かしたのです。う〜ん、こうなると都 会並ではないのか、などと一人悪態をつきつつ、また暑い一日を迎え撃つ態勢をとっている次第です。でも・・・この猛暑の
最中、西日本の被災地では住民もボランティアも大変な思いをしながら救出と復旧活動に取り組んでいる・・・それを思えば、暑いの 蒸すのと言ってはいられないでしょう。何もできない私などは、そう自らを戒めて暑さを乗りきる気付け薬とすべきなのでしょう。



〇 サクラ以降(5月1日記)

 前回コブシの記事を書いたのが4月6日、それから約一ヶ月が過ぎようとしています。この間、山麓はサクラが例年よりも10日ほど 早く開花したと思ったら散る方も早く、例年になく短い開花期を終えると、代わってヤマザクラが浅い新緑の山を彩るようになりまし た。我が家の庭も狭いながらも花や木々の新芽が春の賑わいを見せてくれました。そして4月の終わりごろには花影が薄れ、現在は すっかり新緑の季節に移って日に日に黄緑が鮮やかさを増しつつあります。
この間、私は例年以上に忙しく出歩いては撮影したり絵を描いたりしてきました。ともかくも年末からいろいろあって、ひと山ふた山越 えてきた感のある私としては、春の息吹がひとしお愛おしく美しく感じられたからです。この間のスケッチは山麓絵画館で展示してある 通りですし、その他にも現在制作中の絵も何点か当HPへのアップを待っている状況です。それで、GWの人とクルマ
の混雑を敬遠中の現在、山麓のそこここや我が家の庭を通り過ぎていったそんな春を写真でご紹介しようかと、このFノートにアップ する次第です。




    ← 4.10 蕪の桜並木は満開
       (長坂町中島)

4.16 ヤマザクラが林を彩ります。→
(高根町箕輪)


4.18 ジューンベリーの枝にシジュウカラが
(我が家の庭)





↑ 4.19 スモモの花満開

  4.19 黄金色に輝くカツラの新芽→
(いずれも我が家の庭)


4.21 あらを隠して撮った我が家の庭


4.21 ミツバツツジが蕾を付ける。
(我が家の庭)


4.27 ミツバツツジが咲き揃う。
開花前に少し世話をしたので今年は
例年になくきれいに咲いてくれた。

← 4.27 コシアブラの若芽
ちょうど食べ頃!(我が家の庭)
   
       4.26 野山は新緑の盛り →
            (高根町長澤)






〇今年はコブシが凄い!(4月6日記)      

 山麓に春がやってきました。例年より少なくとも1週間は早い春、それは先週から急にほころび出してアッという間にまだ冬枯れの林 を白く彩り始めたコブシが証明しています。まさに"春告花"・・・これは私の造語ですが、本当に「お待たせ」っという感じ
でコブシは咲くのです。今年はそのコブシが凄い!大体隔年でやってくる当たり年のようで、例年になく、と言うよりも、この山麓に来て 初めてと言っていいくらいの見事な花付きを見せています。やはり一足飛びに初夏になったような陽気のせいでしょうか。見慣れたは ずの風景の中でも、あんな所にも、こんな所にも、といった風で、今年は一段と白く数多くのコブシがその存在を誇
示するかのようです。私の住むこの辺りでは、コブシがほころびるとその10日ほど後からサクラが開花します。この辺りから標高を下 げて行くと、これまた例年よりもずっと早いサクラが既に薄いピンクの樹冠を柔らかに膨らませています。さらに甲州街道まで下るとも う満開を通り越した風情で、「(来るのが)遅いっ」と叱られているような気になります。何だかあっという間の春襲来
といったここ数日、私などは絵の題材を仕入れんと忙しなく動き回る羽目に陥っているわけです。
 これを書いている4月6日現在は、陽気が一転して空気も湿り気を帯びてきました。正午前後には空がいっとき晴れて彩雲も見られ ましたが、夕方近くには雨がぼつぼつと降り始めました。この分だとサクラの開花も少しスローダウンしてくれそうだし、コブシも花もち が少し長くなってくれそうで、恵みの雨となりそうです。
 ともかくも、コブシについてはここ2,3日でたくさんの写真を撮りました。とやかく書き連ねるよりも、その何点かをご覧いただ
いた方が、百読は一見に如かず・・・でしょうか。


冬枯れの森を背に逆光に透ける一本。


農家の傍に一本、ちょっと北海道みたい。


遠くの林でもコブシの彩りが。


レンギョウの生け垣越しにコブシ咲く森が。

↓生活のシーンにもコブシが点在。


中央本線の線路脇にも。


長坂町中島の一本は山麓で最大級。




 3月の雪の日(3月22日記)

 本当に春が近くなったり、また少し遠ざかったり・・・繰り返しながら3月も下旬に突入です。これを書いている今日は終日雪、明日の 朝まで降り続く予報ですが、湿気たっぷりで粘りつくように重い雪です。明朝は物置から出しておいた雪かき用のスコップが活躍しそ う。こんな雲行きなので、我が家の餌台は野鳥たちで賑わっています。あの陽気なヤマガラもやってきて、忙しなく餌台と庭木の間を 往きかっています。いつも団体でやってきては餌代を占有してしまうカワラヒワは我が家では厄介者扱い、当家のお気に入りでいつも 行儀よくフレンドリーなシジュウカラやヤマガラの邪魔にならぬよう、カワラヒワは時として追い払われたりし
ます。カメラを持ち出してきたときに餌代に居残っていた数羽のシジュウカラを何枚か撮影しました。






この日は終日雪、うっすらとモノトーンと化した外の
光景の中で、シジュウカラだけが目を楽しませてく
れた。台に次々とやって来ては、ヒマワリの種を
啄み、次なる一羽と交代する姿がとても愛らしい。




○ 霧ヶ峰からの風景(3月18日記)

  今週の日曜日、天気が良くて割と暖かな一日、友人夫妻と霧ケ峰方面に出かけましたので、そのときの眺めた山岳風景をこの場で お届けしたいと思います。撮影したのが11時前後でかなり日が中空高く上がっていたため、山々は陰影を欠いていまひとつくっきり感 には欠けますが、本州のど真ん中辺り、標高1600m辺りからの展望は、東は八ヶ岳連峰から、正面の南アルプス、中央アルプス、西 の際には北アルプスと、日本の名だたる山稜を一望に収めた豪勢なものでした。視界にある深田久弥の日本百名山を数えると、なん と16座!私には今や登山など遠い世界となっていますが、こうして山を眺め、その名前をあげ連ねることが大好きなのです。その16 座をちょっと並べてみますと;―蓼科山、八ヶ岳、富士山、鳳凰山、甲斐駒ケ岳、北岳、間ノ岳、仙丈ケ岳、空木岳、木曽駒ケ岳、御 嶽山、乗鞍岳、穂高岳、槍ケ岳、常念岳、そして立っている所が霧ケ峰・・・とこれで計16。それらの写真を添えます。
 


白樺湖(中央左)の向こうに蓼科山。




東に連なる八ヶ岳連峰。左端天狗岳から右端の編笠山までを
一望に収める。分かりにくいが、中央に一段と白く高いのが赤岳。


正面左手には南アルプスの雄峰。左から鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳、
そして仙丈ヶ岳となるのだが、よく見ると甲斐駒の右奥に北岳と
間ノ岳が頭を覗かせている。


八ヶ岳は編笠山の斜面中程に富士山が顔を出してくれていた。





正面奥に中央アルプス。
真ん中白い一帯が木曽駒ヶ岳、その左手奥が空木岳



御嶽山は独立峰としてのボリュームが圧倒的。
そんな姿を誇示するかのような安定した構えである。


乗鞍岳の山塊は、霧ヶ峰特有の草地の向こうに、その
白い山稜をゆったりと広げている。


西端に北アルプスの高峰群。
左の穂高岳連峰から右手大キレットの窪みを越えて右手、ちょっと
分かりにくいが槍ヶ岳の黒い穂先も。右端は一段と白い常念岳。

 写真のように日本の名だたる高峰を一望できるこの霧ヶ峰、走っていて不思議に思うことは、森林限界の高さに至ってはいないの に、一面が草で覆われていて樹木が少ないことです。帰ってから調べてみると、その理由は、かつてここが茅場として人間の手で管理 されていた名残りであったことが分かりました。茅の需要が激減したことは身近の例では我が家の西隣で目にして
いるところです。そこは12年前に越してきた当初は一面の茅の原で、業者が年に一度茅を刈り取っていったのですが、いつの間にか その業者も姿を見せなくなり、現在は地主さんの手により、野菜や花畑と化しつつあります。同じことがはるかに大きな
規模でこの広大な高原地帯に起こっていたわけで、そこには日本の文化を支えてきた人の汗が染みこみ、それが霧ヶ峰特有の光景 を創り出していたということです。それを知って現地に立っていれば、また風景を見る目も変わっていたことでしょう。その霧ヶ峰、現在 は少しずつ樹木が増えつつあるそうで、何年か後にはまた趣の異なる風景を創っているのかも知れません。



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〇 この冬に起こった私にとっての一大事!(2月25日記)
 〜ペースメーカー移植記〜

 この冬というか、いやいや私の余生にとっての大きな出来事となった心臓のペースメーカーの移植手術について、この場を借りてそ の顛末を綴ってみました。手術を受けたのが2月15日、8日間の入院を終えて退院してきたのが先週のこと。扉のページで書きまし たように、実はそれ以前に遡って、生死を揺さぶるような目に私は遭遇していたのでした。

・ ドクターヘリ
 昨年12月8日、私は心臓発作で倒れました。とあるレストランでのことで、倒れたときはすぐそばに元看護士だった教室の生
徒さん(水彩教室ですが)がいたことは幸いでした。その人の適切な措置に助けられて即救急車、さらにはドクターヘリによる県立中 央病院への搬送というオマケまでついて、私は緊急の治療を受け、窮地を脱したのであります。オマケ・・などと言っては不謹慎なの ですが、Drヘリに乗るといったわが身におころうとは夢にだに考えてもなかった経験は、それだけ一刻を争う事態に直面していたとい うことで、むろん私の意志とは無関係に救急スタッフの即決によって現実のものとなったわけでした。ヘリのロー
ター回転音を聞いて間もなく、私は機上の人となったのですが、おそらく生きた心地もしていなかったその一方で、ヘリの乗り心地は 意外に静かでスムースなものだと感じている自分がどこかにいたことを覚えています。
 発作は極端な徐脈(20〜30といった脈拍)によるもので、正式病名は洞不全症候群。三枝ブロックと称し心臓内の伝導線に問題が あることも指摘されました。そして緊急措置を受けてのち一旦退院を許され、年が明けてから改めて手術という運びとなり
ました。
 振り返ってみれば、昨年11月の甲府での個展に向けた準備に始まり、その開催から事後処理、予定されていたこととは言え
そのあとすぐの妻の入院と手術、そして独身生活中での心臓発作と、まったく息次ぐ間もないほどいろいろなことが私の上を駆け抜け ていったのでした。

・ 何という間"の悪さ
 私が倒れて緊急入院となったちょうどそのとき、妻は懸案だった左膝の人工関節手術を終え、リハビリのために入院中でした。家に は誰もいない、妻は自力では動けない、私は集中治療の最中という最悪のタイミング。治療の一環で首筋からテンポラリー・ペースメ ーカーを入れる段では家族の事前了解が必要でしたが、入院中の妻だと狼狽するだけと思い、遠方にいる実姉
に連絡を付け彼女経由で入院中の妻に連絡を入れてもらったりもしました。こうした一連の場を凌ぎ、落ち着いて入院していら
れる状況となったのは、何人かの近しい人達のお陰でした。
 幸いなことに、間もなく私は小康状態を得ることができ、この流れで医師の勧めに従っていっそのことペースメーカー移植に踏み切 ってしまう選択肢もあったのですが、その場合、私の入院が長引いている間に妻の退院〜半人前での一人暮らしという事態となるの で、それは避けねばならず、私自身もまた本当に意思が固まってはいなかったこともあって、取りあえずは夫婦揃っ
て年末年始を過ごし、年が明けて仕切り直しということになった次第です。
 繰り返すようですが、私のこの出来事は、これも妻にとっての一大事であった手術入院と重なるようにして起こったことで、これはい かなる神の采配だったのでしょうか。そんな恨みの矛先もない状況を救ってくれたのは、遠路駆けつけてくれた実姉はじめ妻や私の 送迎や混乱時の後始末などに奔走してくれた友人夫妻や隣人、そして生徒さんたちで、そのご好意を身に染みてありがたく感じた次 第です。

・ ちょっとしたブランク
 半人前同士それでも夫婦そろって年を越し、私自身も手術に臨む意思を固め、年明け間もない頃の外来でその段取りと2月
8日という日程まで決めてきました。そして心静かにその日を待つという生活が始まりまったのですが、この間、心臓の方は何の問題 もなく推移していたので、本当にPメーカーが必要なのだろうか?などといった小さな疑念が頭を過ることもありました。しかしそれは、 文字通り転ばぬ先の杖。あの12月のような事態を二度と招いてはならないし、何よりも共に年を取ってただでさえお
ぼつかなくなっていく私ら老夫婦にとって、Pメーカーは大きな安心を担保してくれる存在であると、その都度自らに言い聞かせ
たのでした。それにしても・・・心静かに過ごすという一事は、なかなか難しいことのようです。何かに没頭して知らぬ間に時が過ぎてく れればいいのですが、人間簡単には邪念を払拭できないものです。それでも、私の場合、絵を描くことが邪念を薄れさせ
てくれる一つの手段だということを今回発見し、体験してきました。当HP上でも何点かスケッチ風の作品を掲載しましたが、その陰に は私のそんな所存あってのことでもあります。
 実際の入院と手術の日程は、インフルエンザ流行による病棟への入院制限の関係で、また1週間先送りとなってしまったのですが、 こんな具合でしたから、この延期は身の置き所を暫く失ったような感じでかなり堪えました。

・ 再入院〜手術
 今度こそは、ということで迎えた手術当日は、他の手術も集中的にあった関係で、私の手術は夕方5時半まで待たされ、終わ
ったのが夜8時前のことでした。委細は省きますが、医師によれば順調に推移して何の問題もなく終わることができたとのこと。目隠し はされていたものの耳の方は全開、全てのやり取りを聞いていた2時間でした。特にPメーカー本体と心臓を繋ぐ2本のリード線挿入の 時は、慎重で緊迫したやり取りにハラハラさせられました。無事終了して手術台の上で半身に起こされたとき、私は思わず「終わった 〜」と発してしまいました。それほどまでに、ここ3か月弱の間の肩の荷が下りたと言いましょうか、いやいや胸のつかえがとれたと言 った方がいいのか、この後に控える退院から日常への復帰が脳裏に浮かんで、明るい陽射しを見る思いであったのです。

・さあ、これからは・・・
 その後の経過も順調に推移し、1週間の入院を経て21日退院の運びとなりました。久しぶりのシャバの飯は旨かったし、久し
ぶりの晩酌も心身に染みわたりました。しかし何といっても、久しぶりに自身に宿っている明るい気分こそ、一番のご馳走と言うべきで しょうか。そして徐々にではありますが、日常に復帰しつつあり、このように書き物に精を出せるようにもなりました。近々このHP上で 本来ご披露べき描きもの"の方も本腰を入れていく積りであります。また、こういうことがあって、健康や家族、そして近しい人たちの 存在が改めてありがたく感じられます。そのありがた味は、本来普段の生活や人間関係を投影した鏡のよう
なものでしょうから、そこを忘れてはならないと、これもまた改めて思うのでありました。

 何はともあれ、私はペースメーカーという生涯のフルタイムヘルパーと余生を共にすることになりました。ペースメーカーという
ものは、本体とそリード線とで成り立っていて、そのリード線の先端部が常時心臓の動きをモニターし、設定された一定のレベルを逸 脱すると(私の場合は下回ると)Pメーカー本体を作動させ、心臓の鼓動を助けるという仕組みとなっています(ということを
今回初めて知りました)。このヘルパーによって担保される"安心"こそ、私と私の家族が余生を送るよすがともなり得るものです。Dr ヘリのローター回転音を聞いた日から間もなく3か月、そんな余生の再スタートの舞台に立てたことを改めて感謝しつつ、この報告を 締めくくることにします。

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〇 寒中閑話(1月26日記)

 再来週の手術を控えて、目下のところ私は静かにそして平静を心掛けて毎日を送っています。当然のことながら暇なので、こんな書 き物を始めたりもしています。こんな風に書くと暇つぶしに付き合ってもらうようで気が引けるのですが、お許しのほどを。

 さて、山麓はとびっきり寒い冬の最中にあります。大寒が過ぎて数日なので、寒いのは当たり前ですが、朝が零下12度とかそこら で、北寄りの風が吹きすさんでいると、家全体も人間でいう体感温度というものの影響を被るようで、建物が冷え切ってしまいます。家 中の暖房を総動員して暖めるのですが、これが薪ストーブとなると、焚き付けから始めねばならず、暖まるまでが大
変です。野辺山の知人宅などは、朝、家の中が氷点下になるそうで、起きて一番にすることがこの薪ストーブの焚き付けと言います。 また、南麓に住む友人宅では、外気温が零下10度近くともなると風呂桶に溜まった水が氷るそうです。局所的にしてもそれくらい家 の中も冷え込むわけですが、薪ストーブは一度燃え出したらこれに勝る強力な暖房はありません。家づくりは冬を以
て旨とすべきこの山麓では、夫々の家がそれぞれの暖房対策に怠りありません。床暖房プラス薪ストーブという強力な暖房布
陣の家では、厳冬期何するものぞ。 悠々と薄着でいるのが、傍からは羨望の眼で見られたりもするのです。当家は夜間電気
による蓄熱式暖房が主体なので、朝になるとそこそこ暖まっているのですが、最近は補助暖房の総動員をかけてようやく20度ちょい という室温にもっていくのが、ここ数日の寒さです。

22日(月)に漸く降雪が。それでも20数pというのは
都心並み? この積雪が →右の写真へ
(当家の写真)

4日経った金曜日、日向でもこんな感じで解けずに残って
います。日中でも氷点下の気温と冷たい北風のせい。
(当家西側に広がる畑地の写真)
 ところでこの雪、日中も氷点下なので、数日前に積もった雪がなかなか解けません。4日続きの強い北西風も手伝って、体感温度 はさらにきついものとなるのですが、それでも陽が照ると家の中まで温もります。日光とはありがたいもので、これが注がない日など は、昼間から暖房に気を遣わねばなりません。ここ数日は数年に一度の寒波が列島を覆っていて、日本海側などはかつての38豪雪 が脳裏をよぎるほどの大雪が警戒されたりしています。TVはそうした状況を取材してさも大変そうに報道していますが、元々雪国であ る地元民の受け止め方とはだいぶ乖離しているのではないでしょうか。寒さだけで言えば、日本海側の都
市部や山間部にしても、私らの住む八ヶ岳山麓のそれよりもずっと緩いものです。それは天気予報を見ていれば一目瞭然。吹雪や 積雪への対応さえ問題なければ、雪国ならではの冬の温もりという恩恵にあずかれるというものです。雪見酒などはさぞかし美味い だろうな〜!

まあ、こんなことをくどくど書いても、北海道のそれも内陸部となると、何言ってるのやらと一笑に付されることでしょう。所変わればな んとやらで、都心部での雪の報道を見ていると、その程度で、と思う一方、備えがない環境ではさぞかし大変だろうと、両方入り混じっ てしかし結局は高みの見物といった具合になります。降雪でダイヤが乱れ、駅構内は入場規制があったり長い列に
並ばねばならなかったり、都会、特に都心部は普段便利な分だけ、こうした機会は不便を被るわけで、それは仕方ないことなのでしょ う。あれだけ混雑するなら、腹をくくって通常に戻るまでは居酒屋で一杯・・・といった行動パターンを取る口人たちもいるようで、私など は経験上大いに頷けます。そんなサラリーマン生活をしていたのは、もう二十数年前のこと。懐かしくもあり、想像するだに億劫この 上なくもあり、これから後期高齢者への備えともなる手術を受けようとしている私は、つい年月のギャップを思い起こしては感慨に耽っ たりもする次第です。



〇 この冬の山麓は(2018年1月15日記)

 久しくFノートらしいことを書いていないままでした。昨年秋からの諸事(と言っても大きな諸事ばかりでしたが)の連続によるも
のでしたが、年が明けていっとき小康状態を得ておりますので、この機会に少し山麓の今について綴ってみたいと思います。
 この冬は、師走に入ってから早くも本格的な冷え込みに見舞われたのですが、松の内は何とか平和で穏やかな日々があり、
そしてこの1週間は再びこの季節らしい寒い日々が続きました。特徴的なことは例年よりお湿りの日が極端に少ないこと。日本
海側では大寒波襲来で大雪のトラブルが相次いでいるようですが、ここ八ヶ岳山麓では乾いた晴天が多く、この冬に入ってまだちゃん とした積雪を見ないままです。申し訳程度に地面が白くなったのが二回だけで、それもあっという間に溶けて青空に覆わ
れる日が殆どといった状況です。まあそれでも、夜中に雨音を聞いた朝などは、山々は雪化粧をし直して輝きを放ちます。
下の写真を参照願います。
← 我が家を出て少し下った草地の
向こう側から北側を振り返ると八ヶ岳
木立越しに連なって見えます。

その左端の編笠山は中腹から上が
真っ白で、まるで八甲田山のよう →

 八ヶ岳は標高2千メートル辺りから上が真っ白になって、小淵沢からは大きく見える編笠山の普段は凡庸な丸味も、まるで冬
の八甲田山の様に一面真っ白な姿と化しています。すぐ隣の凹凸が権現岳。ここからは主峰の赤岳は隠れて見えませんが、八ヶ岳 南側の連なりもなかなか存在感があってどっしりと青空を切り取っています。お向かいの甲斐駒も晴れた朝は一段と彫の深
い彫刻のような姿で稜線から立ち上がっています。 例年のように、スケッチや取材で出かけることが殆どないのですが、いつも外出 の時は一応をカメラを携えてクルマに乗り込みますので、これらはそんな折に撮ったものです。



アサヨ峰から甲斐駒、鋸岳へと続く南アルプスの
稜線。朝のいっとき甲斐駒は一段と彫りの深い
 表情を見せる。
当家から南下して中央本線の踏切を越えると
よく撮り鉄達のカメラの放列を見るスポットが。
夕暮れの富士をバックに特急あずさが通過。




こちらは武川まで行ったときに撮影した一点。
前夜の積雪で一段と白い八ヶ岳の遠景である。
  一番左が編笠山。右端が主峰の赤岳。




〇 山麓のコスモスを巡って(10月7日記)  

 山麓の秋は咲き乱れるコスモスが、華やかさの峠を越えると、いよいよ本格化してゆきます。ここ2、3日はめっきり冷え込んで、我 が家では納戸から電気ストーブを引っ張り出して今季初めて点火。暖かいことがいかに気持ちいいか、10月初めにして
早くも味わったところです。体育の日を含むこの週末は、気温が例年並みに戻っていますが、そんな気温の乱高下の中、稲田
の黄金色は日に日にその面積を狭め、あちこちにはさ掛けの風景が増えつつあります。田園風景の一角には、コスモスのピンク系軍 団(という言い方はおかしい?)が風に揺れています。そろそろこれで最後と言っているようでもあります。私の場合、教室で生徒さん を連れて行く関係上、また、自分自身の歳時記をアップデイトしておきたい気もあって、めぼしいスポットの今がどん
な感じとなっているか、時折下見に行くのが常です。それを取材と勝手に称しているのですが、その取材の最中のこと。コスモスがか たまって咲いているスポットでクルマを停めて撮影中に、もう一台クルマがやってきました。慌てて自分のクルマを移動させようとした ら、下りたった女性が「私も仲間ですから、大丈夫」と言って、手慣れた風にカメラを花に向けています。その女性によれば、ここら辺 ののコスモスは殆どが"センセーション"という品種だそうです。華やかな反面、一種儚さが同居するコスモスの印象からすると、セン セーションという派手なイメージは似つかわしくないように思えますが、コスモスの原産はメキシコということですから、それなりにラテン のDNAを引き継いでいるのかも知れません。コスモスはまた、肥料ともなるので、田畑の端に好んで
種をまいて育てたそうで、なるほどコスモスの生育地にはそういった背景もあったものかと、改めて納得がいくのでした。


八ヶ岳をバックに陽を浴びるコスモス
はさ掛けの風景がそこここに。


こちらは甲斐駒を背景に咲き乱れます。
 そんなことのあった翌週、これはミニ・コスモス街道と言っていいほど、比較的新しくできた農道の片側にコスモスの群落があ
る場所に行ってみきました。高根町小池という所です。スケッチをしていると、通りがかりのお婆ちゃんが話しかけてきました。何でも、 ここのコスモスはこの近くに移住して家を建てた御仁が、一人で種蒔きから生育まで手がけて来たそうです。2車線の直進道路が上 下にうねって続くこの場所は、八ヶ岳も甲斐駒も良く見える広々とした気持ちのいいポットで、よくカメラマンたちが撮影している光景を 目にする所です。そのお婆ちゃんはしかし、この気分のいい風景が楽しめるのもあと僅かだと残念そうに言います。当地に食品メーカ ーのカゴメが大規模野菜農園の建設を進めるのだそうで、開発が進むと道の両側の凹凸も平らにならされ、殺風景な野菜ハウス軍 が出現するというのです。
 同じような話が北杜市の別の場所でも進行中で、その一つが、大泉町谷戸の金生遺跡の東隣に建てられた大規模な室内野菜農 園です。デズニーランド向けの野菜供給基地としてオリエンタルランド社が建設したもので、北杜市では問題となっている太陽光発電 プラントの増殖に加えて、こうした大規模な野菜生産システムの建設が進められる雲行きです。これは新しい一次産
業の形として、市の新しい財源を潤し、雇用機会を増やす方策として市の産業政策に適ってはいるのでしょうが、一方で環境と景観と いう市の本来持っていた資産価値を損なう要素となることもまた事実です。そこのところを市政はどう天秤にかけ、どう対応しようとし ているのか。これだけの広さを誇る北杜市ですから、もう少し景観と環境に調和した土地利用の在り方があっていいと思うのは、移住 組の私たちの誰もが思っていることです。自分たちの本来有しているかけがいのない自然風土が多くの移住
者を魅惑し、これからも多くの人達を惹きつけるであろうことを、肝心の市長はじめ市政に携わる人たちは灯台もと暗しで正しく認識し ていないのではないか、そうした価値観の違いは埋まりようのないものなのか、やるせない思いが募るばかりです。

 コスモスの話が横に逸れました。そんな現実とは無縁のようにピンクの濃淡や白の花々を風に揺らしているコスモスは、見て
いるとよけい儚く、愛らしく見えてくるのでした。



〇 水田は黄金色(9月17日記)

 山麓のあちこちで黄金色のパッチワークが見られるようになりました。写真は13〜15日に撮ったもので、実はこの写真のよう
に八ヶ岳がスッキリとその全貌を見せてくれるのは久しぶりのことです。教室でスケッチに出た13日は甲斐駒は上部が雲の中に隠れ たままでしたが、15日になると実に久しぶりに両者の揃い踏みとなりました。私が記憶している限り、これはひと月ぶりくらいではない でしょうか。そして週末を控えて、一部の水田ではもう刈り入れが始まり、所々でコンバインが動きまわる姿を見かけるようになりまし た。この連休に台風が来そうなので、刈り入れを早めているようでもあります。今年は、あれだけ8月の天候不順があったのに、お米 の作柄は例年並みだそうで、お米好きの私としてはホッとしているところです。昨日、武川にある農産物の直売所に行くと、もう武川米 の新米が出ていたので、早速買って帰ったところです。


 このFノートを書いている今日、台風15号が今夜半にはここらあたりに接近するというタイミングですが、昨日から急速に冷え
込んできました。9月も中頃のこの時期で、冷え込むという表現は如何なものかと思いますが、今日(日曜)などは、最高気温もついに 20度に届かない一日となりました。昨夜は掛け布団も綿毛布を重ね、今朝からは、大分先と思っていたジャンバーを引っ張り出して重 ね着をするようになっています。明日には台風一過となって、季節はまた急速にセットバックするのでしょうが、それにしても、朝、布団 の中の温かさを気持ちよく感じる日が、こんなに早くやってこようとは思いもよりませんでした。



★ ○○の秋に・・・(9月1日記)

 暦は9月、夜がだんだん長くなる長月となりました。新学期が始まりますが、私どもは無論のこと、月が替わっても何も変わりませ ん。ただ、この月替わりに符合する形で台風15号の影を受け、朝晩は大分涼しくなってきました。
 秋・・・読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋、・・・。健康面から文化面に至るあらゆるジャンルにわたってベストシーズン の訪れです。よく、夏の出会いの別れしなに、"涼しくなったらまたゆっくり"などと口をついで出るものですが、そういう時節
になってきたということです。だからといって、言葉通り事が運ぶかどうかは別問題なのですが。それはさておき、秋は落ち着いて何か に取り組むにも、落ち着きから立ち上がってイベントなどを開催するにももってこいの季節。文化祭などという行事も、私の属している 地域社会でも、町や地区のレベルで、さらには大小さまざまの団体においても開催されます。私個人で言えば、秋も深まる11月に、私 の絵をじっくりご覧いただければ、という趣旨で1年前から予定していた個展を開催します。自身の制作活動という点でも、芸術の秋に まさに適った季節と言えるのですが、お尻に火が付いた状態での製作活動では、どうも芸術の秋とは別物と言うべきでしょう。それで も、あのまとわりつくような蒸し暑さから解放されるのは、絵筆さえも軽く運べる気分となるので、これはいいものです。

・音楽の秋
 ○○の秋で、私的には音楽の秋というのが一番ピッタリくるでしょうか。野外での音楽シーンというのもありますが、私の場合、音楽 といえば室内でオーディオ装置から聴く音楽であり、それは暑くて窓を開け放った状態ではちょいと音場空間としては相応
しくないわけであります。秋になって窓も閉めるようになり、外気と遮断された部屋の中で流れ来る音楽が、何と言っても一番落ち着き ます。そういう状況で聴こえてくる音楽が一番気持ちに触れてくるものです。グレン・グールドのバッハがますますその麻
薬度を増し、クリフォード・ブラウンのトランペットがますます心を揺さぶります。もう一人、田村翼という日本人ジャズピアニストのこと も。この人の繊細なタッチに耳を傾けるのも秋が一番似つかわしい季節と言えそうです。私は今年になってあるジャズの紹
介本からこの名前を知ったのですが、田村翼は残念ながら20年も前に咽頭癌で他界してしまい、生前もさほどメジャーの舞台に立っ ていたわけではないので多くの音源を残していません。特にCDとなると発売中のものは残っておらず、私も何とかわずかばかりのダ ウンロード音源に辿り着いて、そこからCDに落として聴いているだけです。私が苦手なこんな操作を何故そこまでやったかと言えば、 この人のクールで繊細、そして歌心溢れたピアノをいつでも聴けるようにしておきたい、ただそう願ったからです。
 この3人について書くと、ある符号に付言せざるを得なくなるのですが、3人ともに若死にでした。G.グールドは脳卒中により
50歳で他界。田村翼は55歳で咽頭癌により他界。この二人が人並みに長生きして人生の熟成期を迎えたとき、彼らの奏でる音楽 の熟成とはどんなものであったか、そこには想像を超えた世界が広がっていそうで興味は尽きません。C.ブラウンに至っ
ては、交通事故により25才で不世出の才能を一瞬のうちに葬り去ってしまいました。もっと生きてくれていれば、彼のトランペッ
トはどんな艶を帯びて人の心を打ったことか、これまた想像の翼が広がるところです。しかしその一方で、限られた人生だったからこ そ、彼らの音楽が輝きを放ったと言えるのかも知れません。秋の夜長はまた、そんな想いも道ずれにして音楽が鳴ってくれそうです。
 もちろん3人の演奏家以外にも耳を傾けるべき演奏家は他にも大勢います。クラシックだと作曲家からの音楽談義もまた尽きせぬ 感興をもたらしてくれます。ただ、私には秋の夜長という点に関してカミングアウトしなければならない事情があります。毎晩晩酌を欠 かさない私は、夕食後はソファーにくつろいでTVを観るでも観ないでもなく、うつらうつらとだらしなく寝入ってしまうのが常なので、秋の 夜長を楽しむといった風情とは程遠い状況なのであります。ですから、以上書いたことは、かつてそんな時間を持っていた自分を愛お しむ感傷も交え、またそんな時間を持ちたいものだという願望を含めての書き物という次第でした。

 以上、またまたフィールド・ノートらしくない書き物に終始してしまいましたが、外に出ると、水田ではもう稲穂が垂れ始めていて、全面 が黄金色に変わりつつあります。秋は間違いなくすぐそこに忍び寄ってきています。個展に向けての制作もまだ続きますが、秋の高い 空の下で気持ちよくスケッチなどもしてみたいところです。



〇お盆休みにこんなことが・・(8月12日記)
〜退屈しのぎにでもお読み下さい〜

 今年もお盆の季節がやってきました。と言ってもお盆が一体いつから始まっていつまでなのか? 今更なにをアホなことを、とお思い でしょうが、東京生まれでお盆の行事にはほとんど無縁、お盆休みでの帰省経験も皆無で来た私は、このことをしかとは知らないでい ました。女房も同様で、ちゃんとした自覚のないまま、二人ともそろそろ今年もお盆休みの季節だからこの辺は混
雑して大変になる・・・といったほどの認識でいたわけです。それはまた、年によって曜日の並び具合如何で異なるものだとも思
っていました。それでネットで調べると、それは8月13日の盆入りから16日の盆明けまでの4日間ということです。言うまでもなく
(と私が書くのは見栄に過ぎませんが)この日程は不変ということです。今年はまた11日の「山の日」が金曜日だったので、お盆休みと いう点では6日間に及ぶということも改めて認識した次第です。
 
 さて、私らは休みになると人々が繰り出すその先に住んでいるわけですから、お盆の季節ともなると、外出は敬遠して家の中
に閉じこもることを常としています。時々は近くのコンビニ辺りまで出かけて、世間は大混雑だ!などと高みの見物を決め込んで悠々 と過ごすのも結構優越感を覚えていいものです。今年もそんな具合でお盆の季節を迎えたのですが、ちょっと魔がさしたとでも言いま しょうか、お盆休みはまだ初日だし今にも降りだしそうな天気だったので、こんな日のしかも朝方なら人出も少なかろ
うと、二人で出かけてしまったのです。お目当ては清里のキッツメドウ・スキー場にある「清里カフェ」、そこの美味しそうなパンケーキを 一度食べてみたかったのです。あとで気付いたのですが、出かけた12日はお盆休みの二日目にあたっていたのでした。やっぱクル マが多いね、みんな朝早く発ったのかな、などと道中会話しながら標高1500メートルのレストハウスにやって来ると、スキー場の広い 駐車場はクルマで埋まっています。一番下の一角に誘導され、そこからレストハウス内に入っていって驚きました。建物に入って直ぐ の地下一階レベルから相当な人混みです!そしてそこから広い建物の中央、ダブルのエスカレーターが
ある階段を抜け、一つ上のフロアの出口に至るまで、最近見たこともないほどの行列が続いているではありませんか!こういう事態 への免疫性を失っている私らは、ただビックリ仰天。並んでいる人に尋ねると、これがリフトの切符を買う行列と言います。リフト?近く で整理にあたっていたスタッフに確認すると、パンケーキはリフトで上がった所にある「清里カフェ」だけであるとのこと。そんな馬鹿 な! うろたえる私たち二人に対して、並んでいる人たちはいたって平静、馬鹿な事態などと考えている人は皆
無のようですし、行列がどうしたの?といった面持ちです。確かに都会人にとって、これくらいの人混みや行列はどうという事態
でもないでしょう。ましてや貴重なお盆休みに、ちゃんと調べた上で目的地へやってきたわけですから、行列が長かろうと、雨が降ろう と、高原のカフェでひとときを過ごすという所定の行動は、簡単に放棄するわけにはゆかず、ただ淡々と実行するのみ・・・であるわけ です。ウ〜ン、要するに面食らっている私たちだけが、場違いに浮いているのでありました。この場から退散することにして再び駐車 場に出て周囲のクルマを見渡すと、品川だ横浜だ多摩だ浜松だと、よそ県ナンバーばかり。殆ど見当たらない
県ナンバーの私たちは、間抜けな地元民として笑われているような気さえして、肩身の狭い想いで脱出を急ぐのでした。

 いつものスーパーに下っていく途中も、上り車線は相当な交通渋滞です。お盆シーズンなど、やっぱり家に閉じこもっているに限 る・・・そう再認識したこの日は、食べそびれたパンケーキ代わりに、スーパーで大きな生シューを二つ買って帰ったのでした。あとで 調べて分かったのですが、このスキー場には右のリフトを上がると標高1700メートルの「清里カフェ」、左のリフトを上がる
と標高1900メートルの「清里テラス」と、二本立ての看板ハウスがあって、高原気分を満喫しながら食事やスウィーツを楽しむのが、こ この売りとなっているようです。あんなところ閑古鳥が・・・と高をくくっていて何も知らない手合いは案外と地元民に多く、だから気軽に 何か食べに行こうなどと思い立ったりするのです。スミマセン、そういうおっちょこちょいの地元民はさほど多くはないと思われますが。 よく状況を知った上で行動しろ、という反省の弁であります。



〇 涼味の似合う夏・・待望(8月3日記)

 先に水害の話を書きましたが、8月に入ったというのに今度は日照不足が続いています。私の住む八ヶ岳南麓は日本一日照時間 が長いのが謳い文句なのですが、今年はちょいとばかり様相が異なります。千メートルの高原は本来爽やかな空気が恵みと思いき や、どうも連日湿っぽく、湿度は連日65〜75%、肌にまとわりつくような湿気が堪えます。私は水彩画家ですので、紙と水は切っても切 れない縁なのですが、ここのところ水彩紙が湿り過ぎていて、手を焼いています。いつも使い慣れているはずの紙なのに、吸水性とか 発色の具合が明らかにいつもと異なり、何だか初対面の紙をだましだまし使いながら制作を進める有様
です。日照不足の問題はこんな身近なところにもあるわけで、むろん我が家の小さな畑もキュウリやトマト、ナスなども実り具合がいま いちです。普段からちゃんと面倒を見ていない点は棚上げし、しかしやはり恨めしく思う日照不足です。山梨県の誇るモモがやはり日 照不足のせいで糖度が不足しているといった話も耳にします。お米はどうなのか? 農業への影響が深刻にならな
いことを祈るばかりです。

 さて、夏は涼味を生活周辺に求めるのは自然の成り行き。北国はさておき、日本の住宅は夏を以て旨とすべし、ですし、浴衣なども 眺めているだけでも涼し気な気分になるのは日本人ならではの夏の風情です。そして食は何よりもソーメン! これは賛同者も多いこ とでしょう。そういう涼味が似合う夏であって欲しいところですが、どうも最近は8月になってもぐずついていてスカッ
としません。せめて絵だけも涼しげにと思いたってかつて、何度かモチーフにしている大武川の風景を描いてみました→2017年夏 の作品へ。紙が湿っていて云々は、その時の感想です。甲斐駒を水源とするこの川は、昔から暴れ川で長い間大規模な治水工事 が行われてきて、それが完工となったあとは、川幅は広げられ、護岸は直線的に整備され、いささか野趣に欠ける姿
となってしまいました。しかし水量が多いときは、広い河床を走る幾筋もの流れがときに合流し、ときに分岐し、随所にあがる水
しぶきが、この川の本性を覗かしたりします。そして流れの上流ずっと彼方に、甲斐駒からアサヨ峰に連なる南アルプスが横たわって いて、この遠近空間の中に静と動の同居する風景はなかなか他には得難く絵心を誘います。この絵の場所は、国道20
号線に架かる橋の一つ上流寄りの橋の袂からの光景で、私は何回かこの辺りのスケッチをしたり、教室で生徒さんを連れてきたりし ています。 大武川は絵の場所から少しばかり下って釜無川に合流します。その釜無川は、甲府盆地に下って富士川となり、県を切 り分けるように南下します。すべて一級河川ですが、この夏は私がよく目にする釜無川も絵に描いた大武川も、水が随分と少ないよう で、何だかひえ上がってしまいそうな心許ない様相です。日本中あちこちであれだけ集中豪雨があったのに、
どうもこの辺りは雨量が少ないまま盛夏を迎えたのか、関東地方で言えば、水不足で取水制限を実施している荒川水系などと同じ状 況なのでしょうか。尤も、8月ともなるとこの程度の水量にまで落ちるのは珍しくはないのかも知れません。それで、せめて絵の方は水 量をなみなみと増やした流れとして描いてみました。瀬音が聞こえてきて涼味を誘うようであればいいのですが・・・。



〇 梅雨が明けて(7月20日記)  

 お隣の庭に白いアジサイ・・アナベルという種類なのだそうです・・がきれいに咲いています。周囲の緑の中でその白さが際立
ますが、梅雨の雨の下だったらまた、さぞかし潤いを増すに違いない、などとぼんやり想像しながら、巡らせた様々な想いを綴ってみ ました。
             
・梅雨明けって?
 関東甲信越では昨日が梅雨明け、とニュースが報じていました。東京では平年の半分も雨が降らなかったとかで、利根川水系では すでに取水制限が始まているようです。こちら八ヶ岳でもやはり雨が少なく、連日暑い陽射しが注ぐ日々が続いて、梅雨で
あったことなど忘れていたくらいでした。大体においてこの梅雨明け宣言なるもの、気象庁が毎年出すのを我々日本人は何か
一つの区切りであるかのように人々は待ちわびて、そこから本格的な夏に臨むといった習性を持ち合わせてきました。しかし、昨今の 異常気象振りから考えると、梅雨前線なるものが日本列島を覆うような一定期間など、これからも定期的にちゃんとやってくるとは限 らないかもしれません。梅雨自体が従来のパターンと変わってきつつあるのなら、その曖昧な梅雨がいつ終わるかあるいは終わった かという問題は、あまり意味がなくなってくると言えないでしょうか。梅雨明け宣言など、最早無視してもいいという時代となってくれば、 もう自分なりの気象状態の把握をベースに行動すればいいわけで、例えば私の場合、外でのスケッチが基本となる水彩教室は、6月 下旬からは梅雨なので休講としてきたのですが、それも考え直していい時期が来ているということになるのでしょう。

・雨と水資源
 水不足という問題に戻って、毎年梅雨時の一定量の降雨を安定的な水の供給源として当てにしてきた日本にとって、この一定量が 不安定になると、これは生活の支えがぐらつく一大事です。その分集中豪雨とか台風が補う面もあるのでしょうが、これだ
けの災害が付きものでは恵みの雨と仰ぐわけにもいきません。それも半世紀に一度というほどの想定し難い集中豪雨の恐ろしさ、特 に線状降水帯なる怪物の出現は、ここ何年かで急速に現実の脅威として我々も認識するようになってきました。あれだけ事前に特別 警戒警報が発せられていたにもかかわらず、結果として大惨事をもたらしてしまうのは何故なのか? 山と川に挟まれた狭隘の地で 耕作と居住を続けている集落は、日本中あちこちに存在する現実です。同じような状況下にある集落は、先日のような異常事態をど うかわせば良かったのでしょうか(或はかわしようがあったのでしょうか)。山国、日本の孕んでいる災害リスクというものは、従来のモ ノサシを改めたスケールで考え直す必要が出てきたと言えるでしょう。

・改めて森の存在について
 これはマスコミもあまり取り上げないし、災害コメンテイターらしき人たちもあまり指摘していないようなのですが、私は九州での集中 豪雨被害のニュース映像を見ていて異様に思うことがありました。それは、あの災害を大きなものとしたした要因の一つである流木 が、ことごとく枝葉と表皮を剥がされた丸太状態の姿を晒していた光景です。真っ直ぐな丸太状態の木々は、大半がかつて山に無秩 序に植林された杉でしょう。山を埋め尽くすようにして植林され、その後手入れもされないまま密集状態で温暖で
湿潤な九州の気候の中でどんどん育ち、根を張る場所もないまま密生していったいわばモヤシのような人工林。保水力も土壌保持の 力もないその斜面が崩壊し、大量の流木となってひしめき合いながら枝も表皮もそこで削り落とされ、そしてまさに凶器
のようになって流れ下っては家や橋を破壊していった、そんな姿をあの異様な映像が物語っていると思えてならないのです。想像を絶 する降雨量もさることながら、あのように災害を肥大化させたのは、かつての野放図な植林政策という人災の側面だってあるに違い ありません。その点について触れた報道には接していませんが、この因果関係は想起されるべきではないでしょうか。特に九州には そうした杉の人工林が多いと聞きます。例えば同じような豪雨が東北の山村を襲ったらどうなるのか、その際山がブナの原生林であ れば事態は相当違ってくるのではないか・・そんなことに考えが及ぶのでした。

・自分だったら?
 翻って、わが八ケ岳南麓の住人として、災害への想像力ということを想像してみるとどういうことになるのか。移住者を魅了す
るこの南麓の斜面も災害と無縁とはいかないようです。過去に遡れば、その大半は大雨による土砂崩れ(山津波と言われています) で、大泉とか白井沢、小荒間など、あちこちにある水に因んだ地名が、この土地の特性を物語っています。家を建てたり
畑を開墾するときに一定の区域でゴロゴロと出てくる大きな石もまた、かつて山津波の痕跡と言われています。ハザードマップを見て も、土砂災害への特別警戒が必要とされる区域が、この界隈には所々の沢筋に沿って表記されています。もちろん、これ
は想像を超えるような雨を想定した場合ですが、その想定外と思われる異常気象はこの温暖化の中で常態化しつつあります。私たち 住人はどう対処したらいいのか、例えば地区民が集まる公民館はそうした災害を想定して造られたものではありませんし、その場所 からしても、これなら自分の家の方が安全と思われます。もっと下の方にある中学校とか小学校、さらには総合会館などの公共の施 設への避難について考えると、先ず当地区民はどの施設に移るのかさえもちゃんと把握していないことに愕然とさせられます。避難 の判断を人任せにせずにできるかとなると更に心許ないことになりそうです。周囲の眼とか行動に左右
されはしないか。まさか自分たちがといった根拠のない楽観が判断を誤らせはしないか。"自分事"として確たる行動ができるのか何 とも心もとない状態・・・こういうことだったのでしょうか、あの3.11のとき、或はつい最近の集中豪雨のときに被災者たち
が置かれた状況も・・・。大事な自分事への想像力を大いに働かせねばならない、異常気象が常態化する時代に、改めて私た
ちが自問すべき問題と言えるでしょう。

<23日追記>
 これを書いたあとで、例のアナベルが咲いているお隣と話す機会があり、花の話をしたら地生えの苗を幾本か掘り取ってくれ
ました。以前住んでおられた船橋では上手く育てられなかったこのアナベル、当地で植えたらまたたく間に増えて立派な花が咲いたと 言うことで、どうやらここの気候風土がこの花に合っているようです。クルマで走ってもあちこちにアジサイを見かけますが、その殆ど がこの白い花です。早速当家でも頂いた苗を植えたその翌日、久しぶりに雨が降りました。アジサイだけでなく、木々や乾いた地面が 濡れていくのを見るのは、気持ちまで潤ってくるようでした



〇 7月〜文月〜天の川 (7月7日記)

 もう7月に突入!1年の半分以上が過ぎ去ったことになります。木々の緑がいよいよ豊かに膨らんできました。冬場は枝の隙
間から覗いていた南アルプスの山稜も生い茂った木々にすっかり隠されてしまいました。昨年12月に思い切って剪定した我が家の 庭木、ちゃんと萌芽してくれるか心配だったのですが、春先には切り口の付近から新しい萌芽が見られ、現在はそこから
枝葉が勢いよく伸びつつあります。自然の再生力とは大したものです。そして困り者は一雨降るたびに勢力を増してくる庭や畑の雑 草。またひと汗かかねばならず、暑い中での労働が思いやられます。ただ、雑草との闘いは、自分と雑草の生命力をぶつけ合うよう な作業でもあり、それだけに刈り終わったあとの爽快感は、大袈裟ながら生きている実感とでも言えるでしょうか。ウン、だからやらね ば。

 7月を文月というその語源は、七夕の短冊に歌や言葉を書き、書道の上達を願った七夕の行事に因んで、文を書く月に転じ
たという説が有力だそうです。天の川を挟んだ織姫と彦星の出逢いといったロマンティックな伝説など、今の子供たちはどのように受 け止めているのでしょうか。私たちの子供の時代は、都会でも夜空を仰げば天の川の存在くらいは分かったものでしたが、今の時代 よほどの田舎にでも行かない限り、天の川体験なんてプラネタリウムの中でできるくらいかも知れません。その天の川体験、私が一 番感動したのは、学生時代八丈島に行ったときのことでした。もう半世紀以上前ですが、孤島のそれも町外れの
灯り一つない道路に友人たちと寝転んで見上げた夜空。そこは青白い満点の星々に覆われ、その点滅する様はまさに星が降
り注ぐようで、仰ぎ見ているこちらの方が天空に吸い込まれていくような感覚を覚えたものでした。その時中空を過っていた天の川 は、milky way の名の通り、こぼれたミルクが夜空に染み入り溶け込んでいるかのようでした。ついでながら、この天の川がなぜその ように見えるのか、つまり、直径十万光年と言われる円盤状をなす銀河系の中に位置する地球から円盤の奥行きの方を見たとき、そ の何万光年に及ぶ距離を埋め尽くす無数の星たちがこの天の川なのだ、というわけ・・・これを知ってから、私は俄かに宇宙への興味 を抱き、それはまたSFを読み漁ることにも繋がったのでした。尤も、この宇宙熱は数年間のことで、その後
は人並みと言いますか、人間が織りなす現という宇宙(?)の方に興味が移っていったのでした。
 今日はちょうど七夕、そこからこんな懐かしい連想に及んでしまいました。いま私がいる八ケ岳山麓でも、良く晴れた夜空には天の 川が見られるのではありますが、いつの間にかそれを見に行くこともしなくなってしまいました。



〇 山麓も空梅雨(6月17日記)

 「こちら北杜市農政課からのお願いです。降水量が少なく水不足となっていますので、田んぼの節水にご協力いただけますよ
うお願いします」。 今朝、近くの連絡スピーカーから流れてきた音声です。こんな放送は当地に移住してからの12年来、一度も耳に したことがありません。それだけ空梅雨の影響が出ているということでしょう。八ヶ岳と言えば、豊富な湧水群で知られ、山
麓の対岸である南アルプス山麓ともなると、ミネラルウオーターの産出量では日本有数。南アルプスを水源とする大武川とか尾白川 といった河川もあって、北杜市全域をとっても水は豊富な地域という印象が強い所です。ただ、八ケ岳山麓側は火山性堆
積物の大地ですから吸水性が高く、地表では大きな河川が見当たりません。数ある湧水郡もそれだけでは限界があるので、農業用 水となる溜池があちこちに造られています。田んぼに使用する水を制限して欲しいということは、この用水池からの取水を
コントロールして欲しいということなのでしょう。
 八ケ岳山麓と言えば、かつて開拓の頃の深刻な水争いに対応した工夫が、三分一湧水とか大滝裕水の堤に見て取れ、それ
らは現在でも実用と風物を兼ねた観光資源ともなっています。私らも数年前までは小淵沢町のずっと下った所で何家族かで土地を借 りて畑をやっていたのですが、水はすべて大滝湧水から用水路を流れ下った潤沢な水を使っており、それは多少の空梅雨でも絶えた ことがない自然の恵みであるといつも実感していました。近年、その大滝湧水の水源近くに太陽光のプラントを造
る計画があり、水源への影響を巡って問題となっていたことがありました。その後計画がどうなったのか気になるところですが、水の 恵みという当地の宝を守れないのであれば、それこそ行政の不在との誹りを受けても仕方ありません。

・漸く恵みの雨?(6月20日追記)
 さて空梅雨ですが、明日あたりから漸く雨模様で傘マークの日が増えてきました。私の場合、明日は水彩教室の日なので、外でスケ ッチができなくなるのは残念ですが、そうも言ってはいられません。何せ地面は乾いて、隣の畑からは土埃が舞ってくるし、木々の緑 もやや疲れ気味という面持ちですから、明日は恵みの雨到来!となりそうです。やはり、山麓の初夏から真夏にかけては、水っ気とい うものが大事な要素となってくるのです。それは木々や草の緑の潤い、稲の苗が黄緑色を増していく水田の移ろい、それに、涼を提 供してくれる川の流れなどなど・・・殺風景になりがちなこの季節の風景にまさしく潤いを与えてくれる要素と言えます。というのは絵描 きの繰り言で、そんなことよりも耕作物はじめ、万物の実りを促す天の恵み。気象庁も、市の農
政課も、そしてもちろん農家の人達も、ひとまずはホッと胸をなで下ろすことでしょう。



〇久しぶりに上京して(5月31日記)

 以下は久しぶりの上京を機に感じたことを綴った体験記風エッセイです。Fノートには相応しくない内容ですが、退屈しのぎにでも一 読いただければ幸いです。

・ OB会 〜年月と風貌
 この案内があって、たまには義理を果たさねばという想いから、久しぶりに先週は東京に出かけました。この種OB会というもの、私 のいたのは大企業と言える会社でしたから、キャリアーを踏んだそれぞれの部署でこのOB会があるわけで、私のごとき都会を離れ 田舎に定着した者にはとても付き合いきれるものではありません。加えて私には、どうしたものか組織への帰属意
識というものが薄いようで、まあ格好良く言えば一匹狼という雰囲気が好き。他人様より一足早く独立したとはいえ、ずっと大企業に身 を置いてきたわけですから、これは単にあまのじゃくと言われても仕方ありません。そんなこともあってこうしたOB会の類への参加を 遠ざけてきたわけですが、かつての仲間、それも自分の人生でエポックメイキングであった期間を共にした仲間に
再会するのは懐かしさもひとしお、というものです。

 さて前置きはいいとして、私が出かけたのは私が5、6年属していたある部署のボスを囲む会で、その御仁が傘寿となったお
祝いを兼ねたものでした。集まったのはボスをはじめ、当時の20代の新人〜若手だった連中(この部署は一つの教育機関的性格も 帯びていたものでした)、それに両者を繋ぐ師範代的な役的であった私のような中間管理職という面々です。この回自体は毎年開催 されているのですが私が出るのは久しぶり。80才になったボスに続いて私はちょうど後期高齢者となった年、そして集まった当時の新 人や若手軍団は52才を最若手にしてもう定年も見えてきたという50代のヴェテラン社員たちという顔ぶれでした。加齢とともに年齢格 差というものは縮まってくるような印象を持つのは私だけではないでしょう。その点からすると、集まった当時の若手の面々は、当時も 今も20歳前後という年齢差に変わりはないものの、どこかぐっと自分たちに近づいてきたという
感覚があって、それゆえに親しみが増すのは面白いことでした。・・・などと年上の上から目線で、下から見れば我々が随分爺になっ たものだと映るのではありましょうが・・・。自分のことを棚上げした物言いをするなら、彼らの顔には当時から数えて30年! 増えた皺 の分だけ丸みと滋味が外見と内面に備わっているわけで、それが自ずと風貌というものを作り出しているのでしょう。
そう思うとまた親しみも一段と増すのでした。とは言え、いくら年月を重ねてもやっぱり往時の面影が覗くところに懐かしみを覚えるも ので、そこにこの種OB会の吸引力があるのかも知れません。

・ 何故5月?
 ついでながら、この種の会合というもが圧倒的に5月が多いのは何故なのでしょう。私の場合でも、先のOB会の他に二つの会が5 月にありました。5月という季節は、私が暮らしている八ヶ岳山麓の四季の上では最も輝きを増す月と言えるものです。外に出て絵を 描くにもる教室の活動を密にするにも、そして田畑の生産活動や、ただ単に自然を愛でる上でも、この5月は一番の刈り入れ時。な ので、都会からのお誘いは、できれば5月を外してほしいものと思うのは、田舎暮らしをしている者なら等しく思う人情というものでしょ う。その点、都会暮らしの立場から言うとどうなるのか、新年度が始まる4月やいよいよ梅雨入りかという6月よりは、中間の5月が気 分的にも気候的にも外に出たくなるときで、この種集まりの吸引力が増すという所以なのでしょうか。結局最後は多数決の論理で、 我々遠方に住む者は少数派の不利に甘んじるというのが現状です。まあそれも仕方りません。改
めて思えば、それくらいの不利益は覚悟の上でやってきたわけですから・・・。今さら愚痴ってもしょうがないのについ愚痴を呟いてしま う・・・それも田舎暮らし12年の年月故なのでしょうか。

・ 若者とスマホ
 今回の上京ではその若者の生態の一部を垣間見て少々愕然としたことがありました。それは、目にした若者たちがあまりにもスマ ホに毒され過ぎてはいないか?という危惧というか率直な印象です。上京中は電車や地下鉄を利用することが多かったの
ですが、乗り合わせた若者がほぼ例外なくと言っていいほど、座っていても立っている者さえも、かた時たりとスマホから目を離
さないという状況でした。それはお年寄り優先席であろうとなかろうと関係なく、周囲の状況などに目を配らせるのでもなく、スマホの小 さな四角い世界に没頭しているという実態です。泊まったホテルでの朝食時でも然り、こちらの場合は十代くらいの少年少女たちです が、食べ物のプレートの横にはスマホが置かれ、目は食べ物とスマホ画面を行き来し続けているという光景でした。これが近ごろの都 会の若者の実態と言うべきなのか、そもそもわが北杜市では若者に接する機会が少ないので、尚更ショ
ッキングな光景として映った次第です。最早いっときの風物詩としてではなく、このまま恒久的な現実として深みに陥っていくの
ではないだろうか。ある新聞の論説にあった一節を思い出します。
「・・・ 分別ある使い方をすれば、ネットは新たな恵みをもたらしてくれる。だが、私たちは機器を使うのではなく、使われている。…こ うした機器は中毒になるように作られている。私たちを狂わせ、気を散らし、刺激し、そして欺くのだ。私たちは求められる
がままにプライバシーを差し出し、「いいね」がつくのを待っている。・・・」
 画面の中の架空のリアリティーとか、SNSという薄っぺらい言葉の交信がつくり出す世界に現を抜かす姿には、五感を通して
覚える喜怒哀楽とか自然や人間への畏敬の念といった人間を人間たらしめる要素がどんどん抜け落ちていく、そんな危惧を禁じ得な いのでした。こうした環境で育ち、やがて社会の中核をなしていくであろう大人とは、どんな表情でどんな言葉を発するのか、そしてど んな社会を創りだしていくのだろうか。自分らはもうこの先長くはないから心配してもしょうがないけれど、子どもや
孫たちの世代はどうなるのだろうか・・・とはよく口をつぐ台詞ですが、子供のいない私などは、まさにこれ以外にものの言いようもない 都会の光景でした。



〇高原のヤマナシ探訪(5月20日記)

 コブシは春を告げる花、サクラは春を謳う花・・・とすると、ヤマナシは春を送る花とでも言えるでしょうか。高原にこのヤマナシの白 い花が咲くのは5月も終盤にかかる頃ですから、もう初夏がすぐそばまでやってきているときで、周囲が新緑から色濃い緑に移ろいゆ く 頃です。群生することがなく、林や畑地の中に一本の株がスックリと立ち上がるヤマナシは、花期が終わって全体が葉の緑に覆わ れていくと、“これで春は終わり” という合図を受け取ったかのように、周囲は緑一色の装いと化してゆきます。 ヤマナシは山梨県 の県花ということになっていますが、八ヶ岳山麓では清里からお隣の長野県は野辺山、川上村にかけての高原で、牧場や畑の中とか 明るい林の中に、その白い姿を見ることができます。気温がぐっと上がって夏日寸前となった昨日、私はそのヤマナシの様子を探り に清里方面に行ってきましたので、以下は写真を添えての報告です。


よく手入れされたまきば公園の
ヤマナシは見事な花付。地元TV
局が訪れた家族を取材中でした。
(清里)


クロースアップしてみると可憐
な花がびっしりと。花弁はナシ
の花と殆ど同じです。


水辺の林にポッカリと浮かぶような
一株のヤマナシ。近くを散策中のカップ
ルを捉えてみましたが、分かるでしょう
か?  (野辺山のふれあい公園)


農道の真ん中に立ち上がる有名な
一本ヤマナは樹齢250年の老木。
殆ど花が咲かなくなって立ち枯れ寸前
だったのですが、最近大々的に剪定
され、今年は残った枝に目一杯花を付
けていました。  (川上村)



○風薫る5月です! (5月3日記)

 いよいよ風薫る5月です。この辺りでも漸く葉桜となり、コブシもいつの間にか散って周囲の森と同化し、ちらほらと新緑が目立つよう になってきました。山麓を走ると、もう半分以上の田には水が曳かれ、高山の残雪も日に日に少なくなって沢筋をはっきり形取るよう になっています。

世間的には後期高齢者の仲間入り?
 この5月も2日を以て私もとうとう後期高齢者となりました。この後期高齢者という呼称、医療制度上の仕切から来ているもので、一 般的な呼称としては特に法令などの裏付けがあるわけではないようです。ともあれ、運転免許証更新に当たっての必要な段取りを済 ませて新たな免許証の交付を待つばかりですし、健康保険証も「後期」と明記されたものを手にしました。後期頼ん
でもいないのに高齢者医療保険という高い入門料のような保険料を課せられ、有無を言わせず後期高齢者の仲間入りとあいなった ということであります。かくなる上は、安定して健康的な高齢者たらんと、別に意気込んでいるわけではありませんが、その
ようにポジティヴに臨むことが肝心。そう言えば、ここのところいっときの体調不良から漸く脱しつつある感もあります。このFノートでも 書きましたが、3〜4月は絶不調とでも言いたいくらい、風邪から始まって低血圧、神経痛、腰痛、食欲不振など、どこかお
かしく我が身が信用できない日々が続きました。それが、この数日間には以前の体調を取り戻したような感覚があって、食欲も戻って きているのです。5月生まれの私には薫風が心身に良い化学反応をもたらすのか、お酒も美味くなってきました! 昨年来悩まされて いる五十肩の症状にしても、僅かながらも治りつつあるのではないかと、希望的観測を抱いているのですが、油断大敵、何ごとも用心 が肝要な年頃なのだと、これも我が身に言い聞かせているところです。

・ せっせと創作に
 さて、そんなわけで、このところ創作意欲も高まっています。私は通常何点かの描きかけの絵を抱えつつ、次なる一作に取り
かかってしまうという、結構ケジメの悪い制作態度となってしまうのが珍しくありませんでした。そんなことを続けると、空いた木製パネ ルがついには手元からなくなってしまい、新作に取りかかろうとしても中断のやむなきに至ることもあるのです。 それが、ここ何日か で馬力をかけ、放置していた絵を仕上げてきました。そうやって、新しく水張りしをしては、いざ次なる一作を、といつに
なく準備万端の態勢となりつつあって、これも薫風のなせる技かも知れません。結構長い間手元にあって完成待ちだった絵を少しず つ完成させて当HPにアップしていくことにします→2017年春の作品

・ そして世間はGW真っ盛り
 都心がガラガラになり空気がいつになく澄んでくる大型連休、その分行楽地ではクルマが忙しなく行き交い、店や施設はいつ
にない人混みで大いに賑わっています。ここ八ヶ岳山麓もそんなGW狂想曲の最中、特に私の住む小淵沢は、ICや道の駅からさほど 離れていないし、付近に別荘も多いことから、いつになく人とクルマの賑わいに満ちています。いつもはもぬけのカラの別荘に見慣れ ないクルマが停めてあったり、レストランはどこも満杯状態、当家の横の通常は人が入り込まない草地に家族連れがうろついていたり で、この非日常的光景は、眺めている限りは結構外野席的楽しみをもたらすものですが、その光景の中に
入り込んだ当事者となると戸惑いを覚えざるを得ないところあります。今日、足りないものがあったので近くのスーパーまで買い出しに 行くと、いつもはほぼ所定の場所を確保できる駐車場は満杯、交通整理のアルバイトがいるほどでした。レジも行列で少々苛つきま す。運転中でも、いつもは殆ど左右確認だけで曲がれる一時停止でやり過ごすことになったクルマが左右から計
13台。そしたら、同じく一停で私の後に待っていたクルマが4台の行列に。信号のある幹線道ならいざ知らず、これらはこの辺
りの生活道でのこと。当地では極めて珍しい事態で、最早大渋滞とと言わねばなりません。そんなところがGW狂想曲といった
情景です。それでも新緑は日に日に輝くようになり、レンギョウやミツバツツジなどの鮮やかな色合いも目に付くようになりました。当家 では一昨日にジャガイモを植え付けを終え、トマトやキュウリの柵作りなどの準備にもかかりました。気候はGWであろ
うとなかろうと、5月ならではの気持ちの良い日々が続いています。



〇遅ればせながら花の春(2017年4月19日記)

 東京ではもうとっくに葉桜の風情となったでしょうが、わが北杜市ではまさに春本番を迎えているところです。正確には、春本番が移 行中ということで、それは低地から高地へと迫り上がってきていると言うべきでしょうか。北杜市の面積は東京23区から杉
並区を引いたくらい広く、かつ居住地区だけをとっても500〜1400mとざっくり言えば千メートルの標高差の中に広がっているので、標 高によって春の進行具合が異なるからです。私の住む小淵沢の千m辺りでは、漸くサクラが満開になりつつあって、現在は市の中央 帯に位置する7〜800m辺りが盛りといったところです。先日の報道では、サクラの開花は100b上がるのに3日
を要するそうですが、それも気象次第。ここ2,3日の陽気で市内のサクラは一気に色めき立った様子からすれば、計算よりも
ずっと早まっているように見受けます。それにしても今年は春の進行が遅かったので、一斉に花の春がほころび始めた今日この頃で す。サクラの前に咲くコブシにしても、今年はなかなか見かけなかったのですが、目にするようになったのはここ2、3日のこと。サクラ もコブシも昨年よりも1週間から10日は開花が遅れていたのですが、それが今は揃って咲きほころびています。梅の花もまた同時に 咲いている状態で、この分ではモモの花も今頃は咲き誇っているのかも知れません、そんな最近の山麓を撮ったショットをいくつか載 せてみます。

実相寺のエドヒガン・・標高500b
(4月13日 武川)

我が家近くで咲くコブシ・・・標高千b
(4月20日 小淵沢)

長坂湖のソメイヨシノ・・・標高700b
(4月19日 長坂)


〇 ぐずつき(4月1日記)

 今日からは4月、というその日は朝から一面の銀世界です。友人に「当地で見る雪はこれが最後かも・・」などと「名残雪」まが
いの文章を書き送ったのが3月22日でした。あれから春の気配蔓延かと思いきや、2,3回降雪に見舞われるなど、お天気は行
きつ戻りつで、どうもここ何日かはぐずつき加減。まるで私自身の体調のようです。ニュースで見る東京のサクラ何分咲きとか、全国 の開花情報と較べると、わが北杜市は前線のかなり後方を、われ関せずといった面持ちで歩いているかのようです。その北杜市より も、昨日例のミニ個展の搬入で出かけた野辺山辺りではもっと冬に逆戻りで、八ケ岳高原ロッジ周辺では、搬入を終えて外に出ると すっかり冬景色に様変わりしていました。

デッキ下ノックリスマスローズ
(3月14日撮影)

デッキ下のフキノトウ
(3月14日撮影)

本日(4月1日)朝の雪景色
 この季節の停滞具合、先ほど我が身に似てということを言いましたが、この3月はそのわが身もずっとぐずついてきた感がありま す。月の前半は風邪(インフルエンザではありませんでした)に悩まされ、中盤は薬の飲み合わせによる副作用とかで、急激
な低血圧症状に見舞われ、下旬になると何とか治まる傾向にはあったものの、ちょっとした労働や外出が続くとすぐにあの熱っぽい 身体感覚や咳、くしゃみが顔をもたげ、脇腹のダル痛さ(?)のような腰痛症状までも現れて、結局のところわれ健康なり!といった感 覚からずっと遠ざかったままのひと月でした。私も来月早々には75才、そういう歳の節目なのでしょうか、どうも我が
身が信用できなくない状況に捕らわれたままです。早くこのぐずつきから脱出して、安定的高齢者(?)になりたいものです。

〇八ケ岳高原ロッジでの展示会が開始(4月1日記)

 昨日無事搬入と展示作業を終えてきました。足の悪い女房とぐずつき模様の私という頼りない老夫婦での仕事でしたが、小さなスペ ースで展示点数も12点、それも比較的小さな額サイズの作品が主でしたので何とか恰好を付けることができました。
「八ヶ岳高原の春」という副題をつけての個展というかミニ展示会としましたので、高原の春を描いた作品を揃えての展示です。しかも これまで経験してこなかった高原ロッジ利用の宿泊者という私としては馴染みのないオーディエンスを主たる対象とした展示ということ ですので、これまでの個展で既出の作品とか、手持ちのものからピックアップした小品などを集めて、会場を春一色に染めてきた積も りです。花とか小鳥の絵もあって、その点では従来とは変わった雰囲気とはなっています。ただ、基本的にこ
の展示会は高原ロッジに一旦全作品を託し、売買が生じた場合も代金清算や引き渡し(多くは顧客がその場で持ち帰る)は高原ロッ ジと顧客間で行われる形となります。私が会場に顔を出すのは4月2日(日)と、8日、15〜16日の週末で、いずれもお昼前後になる予 定です。



〇 "名のみ"ではない春が(3月6日)
 毎年この季節となると決まって口ずさむのがあの「早春賦」。最近はCMソングとして大手企業がこの替え歌を使っており、それを耳 にするたびに本歌が口をついで出てきてしまいます。そしてここ2、3日の気象の緩みからは、いよいよ春も名のみではなくなりつつあ る感じを抱きます。年とともにこの春の兆しは嬉しく、しかしその一方で何かに背中を追われているような、そんな感じもまた増してい るようです。我が家のデッキ下ではクリスマスローズがすでにずっと前から咲き出しており、フキノトウの硬い芽も顔をのぞかせていま す。北寄りの風はまだ冷たいのですが、陽だまりは本当にうららか。まだ草の芽吹いていない西お隣の広
い草地では、モグラどもが相当活発に動き回っているらしく、至る所黒褐色の土盛りがその数を増してきました。

・我が身体の話
 そんなありがたい春先なのですが、私自身は?というと、どうもあまり胸を張って言えるようなことが何もなく、先週は風邪で発熱して ダウン、もう数か月前から悩まされている五十肩は、今度は左肩にも出てきて今や両腕とも後ろの方には回らなくなしました。風でろく なものも口にできなかった1週間だったのに、期待した体重はどういうわけか何も変わっておらず。そして花粉症も軽度なものとはい え、然るべき日にはちゃんと出てきています。私の場合は鼻水と目のかゆみくらいでしょうか、大した対策も取らぬままで何とか凌げ るのですが、多少憂鬱と言えば憂鬱。それはそうと、私の基礎体温が随分と下がっていることがこの1週間で分かりました。もともとは 36度ちょいといったところだったのですが、それがどうも35度台まで低下しているらしいのです。尤もそれは、体温の源泉たる食べ 物の摂取量が先週は少なかったので差し引いて考えねばならない所もあるのでしょうが、若い盛
りの37度台から36度台を経て今は多分36度ちょうど位と思っていた基礎体温の変遷からすると、あまり気にも留めていなかったう ちに35度台突入は当然の帰結のようにも思えてきます。

・絵の方は?
 前回小出しに載せた絵の中から何点かと、昨年載せるタイミングを逸したままファイルに置いてあった春の作品から季節の若い順 に何点か絵画館にアップします。併せて今冬最後の作品となる一点(「ケヤキのある集落」)も冬のコーナーにアップしますので、ご覧 ください。

八ケ岳高原ロッジでの展示
 急なお知らせとなりますが、4月1日(土)〜20日(木)まで、「八ヶ岳高原ロッジ」イベントスペースでの個展を開催することに なりました。詳しくは別掲お知らせをアップしますが、これは個展というか、期間中は高原ロッジの管理下での展示即売説いた形で、 作家(私)が会場にいるわけではありません。それと、限られたスペースなのでおそらく展示数も10点ほどとなるでしょうか。いずれに しても、かねてより機会あればと申し入れをしていたもので、ただ、人気のあるスペースなので相当待たねばならないといった状況でし た。このたび、キャンセルが出たのでいかがですか?との先方からの打診があり、それなら、と今後の実績作りのためにも応じてみる こととなった次第です。これから作品の物色にかかりますが、手持ちの作品の中から選んでいこうと
思っています。



○ 立春(2月7日記)

 立春とは名ばかりで・・・ という言い回しはこの季節のいわば常套句となっていますが、今年の2月4日はその名の通り春が立ち上 がったような一日でした。我が家の南前にある別荘の屋根にしつこく残っていた雪が濡れ跡を残すのみとなり、当家庭の北側にへば りつくように陣取っていた残雪もようやくその面積が僅かばかりに後退。見渡しても土の色が一面を覆うようになってきました。いよい よ・・・と思っていたその矢先にまた雪が降りました。今回は湿った淡雪のような状態だったので、この先いくらも
残らないのでしょうが、景色はいったん冬に逆戻りしたような今週の気候です。そんなこんなで、やがて三寒四温、杉の木立は
びっしりと黄褐色に染まり、花粉もやがて大手を振って飛来する季節がすぐそこまで来ています。

・早くも春を描く
 毎度季節ネタばかりですが、こうなると書く方だけでなく描く方も春の柔らかな色彩を描きたいという誘惑に駆られてきます。それで 一足お先に昨年の得たモチーフをいま描き起こしています。瑞牆山の風景です。上田方面に抜けるかつての信州往還道、その最深 部にあたる黒森の集落を抜けると信州峠への上りにかかり、最初のカーブの所から振り返ると瑞牆山の全貌が望め
ます。それは足元に黒森集落の畑地を配して、この辺にしては珍しく開けた風景です。実は瑞牆山という山、程よい距離からなかなか その全貌を見せてくれない山で、花崗岩からなる独特の岩峰は、ズームインすればその迫力ある一部を、逆にずっとズ
ームアウトして遠望すると周囲の山に溶け込んでしまい、屹立した全体の容姿を披露してくれるのはこの峠道だけと言っていい
くらいです。今描いている新緑の春もいいのですが、ここは秋もまたカラマツの黄葉がつくり出す独特の風情を見せてくれます。

ps 少し春らしい雰囲気を・・と思い、季節に先立って描いた何点かを予告編的に載せてみます。

        


・風景と山について
 この山麓で暮らしていると、季節を問わず風景と言えば山が入り込んでくるのが普通です。中でも八ケ岳か甲斐駒ケ岳は常連さん で、山の風景と言えば半分はどちらかが入っているのではないでしょうか。たまにはそこから離れたくなって、第三の山的な存在とな ると、南アルプスだと鳳凰三山、次に秩父山系の金峰山とかこの瑞牆山といったところで、どれも日本百名山に名を連ねる名山で す。読者には何故富士山がここまで登場しないのかと訝る向きがあるかもしれませんが、この富士山、円錐形のシ
ンメトリックなニッポンの象徴を描くのは結構大変なのです。富士山となると、どんな風に絵に取り込もうが、富士は富士、その
主張は生半可なものではありません。富士山を描くなら、始めからそれを主人公にしてどのような絵とするのか、腹をくくってかからね ばならないところがあるのです。加えて、いい加減な仕上がりでは許してくれないような、富士山の絵とはそういう復命を
背負っているようにさえ私には感じられます。おいそれとは気軽に描けない…それが富士山のある風景と言えるでしょう。
それはさておき、以前にも書いたことがありますが、県道韮崎増冨線を遡って秩父山系に入っていったその先にあるいくつかの集落 や瑞牆山周辺は、山の様子も人々の暮らしぶりも八ケ岳山麓とは趣を異にするもので、そこがまた魅力である一帯です。街道沿いに 散見される山村集落は独特の風情であり、暮らしの歴史がそこはかとなく漂っている風景が、絵に奥行を与えてくれるような気もして います。ですので、どんな風に風景を切り取ろうが、そこに一つの物語を綴じ込めてみたくなる、そんな気持ち
にさせてくれる土地柄と言えるでしょうか。

・「日本百名山」のこと
 話ついでに日本百名山について少しだけ触れさせてもらいます。この北杜市から望める日本百名山は、これまで出てきた八ヶ岳、 甲斐駒ケ岳、瑞牆山、金峰山、富士山の五山に加えて、甲斐駒から繋がる鳳凰三山、日本第2位の高峰北岳、の計七座
をあげることができます。ごく限られた地点からは穂高と槍ケ岳の北アルプスの連なりも遠望できます。これほど多くの名山を望める 市町村というのも珍しいのではないか、調べたことはないのですがおそらく日本有数と言えるでしょう。この深田久弥の名著である「日 本百名山」、私の大好きな一冊で、いつも枕元の小さな棚に収めています。山を愛した著者の温かく深い眼差しに溢れた文章が、ど の山の項を読んでみても、それぞれの山がまるで人格を持ったように読む人を誘ってくれます。著者の豊かな
感性と知見、体験と想像力が土台としてあるのは論を待ちませんが、それらを紡ぎ出す品格の高いスッキリとした文章がこの本の魅 力となっているのではないでしょうか。希代の名文であると私はかねがね思っています。私は登山が趣味と言えるほど山登りの経験 はしていません。学生時代を含めても百名山で頂を極めたのは十座を数えるほど。肺と体力に問題を抱える現在は低山たりとも足が 向かないのですが、ずっと山は好きで、山を眺めたり、感じたり、語ったり、そして読んだり・・・、上に書いた山を描くことも、そもそもこ の地を移住先に選んだことも、みんな同根の背景があってのことです。そんな私にこの本はいつも"いい時"を与えてくれます。それ が、この本がずっと枕元に置いてある理由です。



○ 大寒過ぎて雪のことなど(1月25日記)

 当家デッキに置いてある寒暖計では、二日続きでマイナス10度前後の寒い朝となりました。いきなり余談ですが、最近の若者にはこ の寒暖計なる言葉は通じないようで、それは温度計のことだとネット検索でも出てくるくらい・・のようです。ったくもう。それで予報によ ればもう一日同じような気温となりそうです。先々週に降った雪が、さしたる積雪ではなかったのに雪かきをしていない所では残ってい て、それが日陰ともなると凍結しています。大寒が過ぎてこれから日中の気温が上がり出すと、少しずつ溶けていくのでしょうか。これ が標高千メートル辺りの当家付近での状況ですが、同じ北杜市でも下に下るにつれて、地面がどんど
ん姿を現してきて、風景が様変わりしてきます。こんなところで当地は例年とあまり変わらない冬ですが、日本海側はじめ大雪に見舞 われている所は大変そう。特に山陰は平年の十倍とかいう積雪で苦労されていることでしょう。ここ甲信越でもあの大雪に見舞われて のが何年前だったか、にわかに断定しかねるのは年のせいでしょうか。ちょっと記録を辿ってみると、あれは2014年の2月のことで した。もう3年も前になる!? 改めて驚かされます。年月の早さだけでなく、わが記憶装置のいい加減さに。
そのことは置いておいて、あの時は凄かった。我が家の庭で1m20pほど! こうなると多少の雪かき労働だけでは文字通り
活路が開けません。私もスナップザックにチョコレートと飲み物、それにスコップへの雪の付着を防ぐためのワックスを詰め込んで、一 旦事に当たったら半日がかりを覚悟の雪かきでした。それでも2,3日は買い出しにもゆけず、そんな拘束状態がかえっ
て自由な開き直りの気分をももたらしてくれるのでした。もう焦っても仕方ない、何もせずに待つしかないと開き直ったときの開
放感・・・それを今思い出しました。窓の外見渡す限りの雪に覆われた日々は、束の間の安息の時間だったとも言える不思議な感覚 はなかなか得難い体験だったかと今にして思います。それに較べれば、今年はさしてドラマティックなこともないまま大寒の季節を過ぎ ようとしています。

・スキーの話(続き)
 雪に関連してもう一つ、こちらは雪と戯れた話ですが、先週8年ぶりにスキーをしました。以前このFノートでも書いたように(別掲エッ セイに転載)、当地に移住した当初2度スキーをしたっきりであとはスキーパンツと腹の出具合がミスマッチとなったまま、もうスキーを することもなかろうと8年が経過。それが地区の役員仲間でスキー部をという話となって、スキー靴だけは手当てを
しておいたのですが、問題のスキーパンツは数軒試着して周ったものの、ついに我が立派なウエストとその割には短足にフィッ
トするものが見つからず(多分市場には出回っていない?)。結局はナイロン製の冬の普段着であるいわゆるシャカシャカパン
ツで間に合わせることに。スキー板は、新調した靴がとっておいたスキーのビンディングにピッタリ合ったので、この古い一物8
年ぶりに使用することに。それで18日に一行9名の行った先は「ブランシュたかやま」という白樺湖奥にあるスキー場。斜面に
降り立つと、これは自転車と同じでスキーに乗って滑るという感覚はどうと言うことはなかったのですが、結論から言うと、この日は何 とか無事滑り終えたといったところでしょうか。読者諸氏を喜ばすほどの無様な姿を曝け出さずに済んだ一方で、私自身がイメージし ていた"せめてこれくらいは"といったレベルの滑りには届かないままに終わったといった一日でした。そこに8年のブ
ランクがあったわけですが、それ以上に実感したのはこの間の体力の衰えです。ですから、予想通りと言うより予定通りだった
のは、すぐに息せき切っては誰よりも早く休憩に上がってしまったこと、一番大変だったのがスキーを履いての階段登行とか平地での ストック頼りの前進滑走であったことで、こればっかりは他の人について行けず、今更ながらわがCOPDの我が身を呪うのでした。そ んなこんなで、しかしともかくも地区のスキー部初顔合わせだけは無難に終えたという一事にホッとするとともに、仲間うちの最年長者 (こういう事態は経験していなかったかも)であり、唯一の70才代として、多分それなりの配慮にも預かりつつ楽しませてもらえたこと に改めて感謝。 “シーハイル!”・・・ かつてはこれを唱和して、一日を締めくくったものですが、この日の気分は”スキー万歳“より も、怪我なく終えられて小さくガッツといったところでした。



○ お正月を終えて高齢者の所感など (2017年1月7日記)

 2017年のお正月も終わり、年の瀬で秒読みをしていたのはいつだったのか、そんな普段の時の感覚が戻ってきました。念頭
の抱負といったものにはさして拘らない私ですが、今年は七十路半ばでのアクセントをつけるくらいの気持ちで、秋に個展を開
催することになりました。当HP扉のご挨拶にも書きました通り、11月13日からの1週間、山梨県立図書館のイベントスペースを使って の個展です。2年半ぶりの個展となるのですが、ということはつまり、一昨年の6月以降、今現在でもすでに1年半もの間、私は自分の 作品のお披露目をしていないということです。そのidle期間 とも言うべきときが今年の秋には2年半に及ぶという勘定になるわけです。 この間、何度となく思ったのは、やはり絵描きという者はただ黙々と描いているだけでは世間様からの距離がま
すます遠のくばかり、という至極当然のことでした。これは絵描きに限った話ではなく、噺家で言えば人前で落語をしないのと同
じことでしょう。それでやはり人前に出てえ〜毎度馬鹿々々しい・・・"とやることにしたわけですが、むろん本人は馬鹿々々しいなど とは思っておらず、第一そうであってはお客様に失礼です。しかしかと言って、これは一見の価値のある作品群でありまして・・・、など とは決して口にはできず(心のうちで思っていても)、人前に作品を並べるというのはどこか俎板の鯉に似た心境となるのが個展と言 えるでしょうか。その個展、私はかねてより甲府で開催しようと思っていたことは以前このFノートで書いた通りです(11月4日付け)。県 民の皆様にご覧いただきたいという気持ちはありますが、県外からも遠路お越しいただけるなら、作家として望外の喜びであるのは 論を待ちません。このように今年は個展によってお尻は点火状態となりました。それが創作へのエネ
ルギーに転化されてくれればいいと思いながら今年が動き出しています。

 あとは・・・と言えば、今年の5月で私も満75歳、後期高齢者の仲間入りをする・・・と思っていたら、高齢者の仕切りは今年から75歳 になるという世間の風向きとなってきました。まあ、後期などという苦し紛れの言葉は元々気に入らない言葉だったし、クルマの免許で は頼んでもいないのにお金を払って特別講習を受講せねばならないのも気に入らないのですが、75才は75歳。私自身も高齢者にな ったものだという実感があることに変わりないのだから、ブツブツ言っていても始まりません。ちゃんと身体にガ
タが来ているのは確かで、その一つが骨や関節の老朽化によるトラブルで、一昨年から昨年にかけては頸椎変形によるひどり肩凝り に悩まされ、それは枕を変えたことによって嘘のように快方に向かったのはいいとして、どうも今度は右肩、というか右の上腕部がお かしい…に変わり、いよいよもって右腕が後方部に回せない事態となってきてもう2か月余り。この歳になって経験する五十肩というや つです。それとこれはどこかで書いたかも知れませんが、かつての長年の喫煙習慣からくるCOPD(ステージ
1と診断)のせいで、人並み以上に息急ききるところは、端から見ればおそらく相当程度の老人風情と映るに違いありません。
加えて今年は年末以来歯痛が激しくなってきており、これはずっと歯医者を恐れ、敬遠してきたツケがまわってきた証です。まあ入院 だ手術だと大事にまではなっていないことがせめてもの幸い。直すべきは直す、付き合っていくべきは上手く付き合う、時の経過を待 つべきはじっと待つ。いずれにしても平穏なときが早くやってきてほしいと願うばかりです。

・・・・・・などなど、そうした中で、私は絵だけは関係なく描き続けてゆきたいものと思っています。そういうコトやモノを持ち合わせてい るのは幸せだと人は言いますが、言われる私自身も同感と言わねばなりません。続けていく中から、まだ潜んでいるであろう未知の 自分を追い求めるとでも言いましょうか、そういう自分がいるのではないか、いやいやいるようだ、いるに違いない、と自己開発の三段 活用ではありませんが、自己開発を続ける能力とか姿勢こそが、創作の原動力となるものと改めて思う昨今であります。



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以下 <2016年>


○ 師走〜改めて風景、風景画(12月20日記)

 この"師走"というテーマ、このFノート上でもほとんど毎年書いているでしょうか。人は年の瀬も押し迫ると何かと区切りをつけ
たがるもので、それはつまり、人が1年という暦を如何に生活とか人生のリズムの中に取り入れている証でしょう。自分はそんなリズ ムを超越していると言う人もいるでしょうが、周りを取り巻く自然から暦が出来上がっているわけで、そんな摂理から脱する
ことはできないのです。温暖化だ何だと言ってもちゃんと四季のリズムは刻まれています。そしてその四季、four seasonsという
そのfour の様相を日本ほど律儀にそして美しく刻む国は他にないと言っても過言ではありません。それは日本の置かれている緯度 帯とか海洋国としての立地、それに伴う温度とか湿度、海流や風の条件などの気象条件、それら諸々が相俟ってこの季節の彩を生 み出しているわけで、奇跡的な巡りあわせのなせる技と言えます。そんな中で日本人の歴史が営まれ日本の風土が
育まれてきたわけで、風景画の絵描きとして日頃目にし、何とか味わいを描き出そうと向き合っている日本の風景には、こうした奇跡 的な巡り合わせの長い道程が潜んでいるとも言えるのです。改めてこんな言及となるのもまた師走だからでしょうか。

  さてそんな師走の最中、私は普段はしない庭仕事に汗を流し、家の窓とか網戸の清掃をし、年賀状のデザインを考え、女房からの おせちについての相談に乗り、酒は不足しないかをチェックし、お正月を迎えるための年の瀬の作業に勤しんでいます。世間はボー ナスが出てはしゃいでいる向きもあるでしょうが、これには無縁です。しかしともかくも、この八ヶ岳山麓での年仕舞いを迎えている姿 は世間並みと言えるのでしょう。
 先ほど書いたの日本の四季の風景という点で関連して思い出すことがあります。こんな国は他にないと書きましたが、私の知る限り ではニュージーランドがこれに近いかと思われます。NZは30年以上前、私がシドニー赴任時代お正月休みに出かけ
たことがあります。南島だけでしたが、1週間以上レンタカーで真夏の島内を走り回りました。氷河の削った大岩壁を目の当たりにし たあの迫力や、湖の対岸を黄色く染めたミモザの大群落、瀟洒で落ち着いた海岸沿いの都市など、どれも豪州では出会えない風景 で、この島からはなかなか離れがたい想いをしました。この島国では秋の光彩や厳格な冬とそれを越した春の煌めきなど、季節の鮮 やかさは想像に難くありません。しかしあまりにも無垢で鮮やかな自然は、ともすれば絵ハガキ的な美しさに陥
るきらいがなきにしもあらずで、そこに培われてきた風土という点では日本ほどの奥行きや深さに欠けると言わざるを得ません。
さて、これは私が絵描きとしての目と好みでの物言いであります。私はよく、風景画とは光と影を描くことだと生徒さんたちに言
います。また私はよく、"○○の四季を描く"といった副題を個展などの際に使います。風景画のこの二つの柱に加え、私にはその地 に染みる風土を汲みとりたいという気持ちも強くあるのです。風景のどこかに潜む人間の営みを抽出するような確かな目をなくさない でいたいとかねがね思ってもいます。風景画の魅力とは、煎じ詰めればこういうところに行き尽くのでしょうか。まあ、まだまだ煎じて煮 詰まる年齢でもないでしょうから、これからもあれやこれやと煎じていきたいものです。



○ 庭木と格闘(12月7日記)

 剪定と言っても、剪定鋏などを使って形を整えるあの品のいい作業ではありません。このままではどこまで伸びるか知れたも
のではない樹木を、この際思い切って短く切ってしまおうという、いわば生長防止策のための伐採で、鋏よりも大部分は鋸を使
っての作業でした。そういう選定をしたのは移住後間もない頃に買って植え付けた苗木6本で、当時は大体2メートル前後の背丈でし た。10年後の現在、それらは5,6メートルから7,8メートルに生長していて、特に落葉高木であるカツラやアオハダなどは放置して おくといずれ手に負えなくなってしまう代物です。南隣の家からの目隠し的な目的もあって植えたアズキナシやナナカマドは、今や軒先 をはるかに超えて伸び、これに伴ってカーテンの役割をしていた樹冠部分の茂みが上方に追いやられるもの
ですから、肝心の窓辺りの高さは透け透けとなってしまいました。なんとまあ、これら樹木たちの生命力とは見上げたものです。近所 の庭木を見ていても、伐採したその先から翌年には新しい萌芽が始まって瞬く間にまた上へ上へと伸びていくのです。当家の樹木 は、私がそれを好んで買い揃えたのですが、株立ちしている木が多く、従って生長を止めると言ってもちょいと面倒なも
のでした。つまり真ん中の幹をばっさりやれば事足りるというものではなく、何本も背比べのごとく立ち上がっている幹を程よい
バランスを考えながら空いたり高さを揃えたりして伐採しなくてはならなかったのです。むろんド素人ですからやり方はテキトーです。と もかくも仕上がった後の写真をご覧ください。大体半分の高さにまで背丈を低くしてしまいました。この作業に体力のない
私は3日もかけることになり、前もって3メートル高の脚立も購入したのでした。庭全体が(と言っても見渡すほど広くはないのです が)、上が空いて明るくなったような感じですが、いくつもの生々しい切り口を見ていると、来年ちゃんと萌芽するだろうかと心
配になったりもします。伐採した枝木は結構な分量となって、半分はお隣がストーブの焚きつけ用に引き取ってくれ、残りは細かくして これまたお隣の茅の原の地主さんが、こういうときのためにと掘ってくれていた穴に捨てさせてもらいました。
 とまあ、日頃はアトリエに籠って戸外での労働など滅多にしない私が3日間も労働をしたものですから、あえてここに書き綴っ
てみた次第です。こういうときだけ、ご近所の旦那衆と肩を並べているようで、ささやかな自己満足と達成感を味わったのでした。

お隣の軒先より低く剪定した左隅アズキナシから
ナナカマド、右奥カツラ。

これまでの背丈を半分くらいに詰めました。
(左からジューンベリー、アオハダ、ナツバキ)



○ スキー靴を買う・・・今さら?(11月29日記)




○ 11月というのに初雪が・・ (11月24日記)

 雪は23日の夜半から降り始めたようで、真夜中にカーテンを開けて見たらうっすらと積雪が認められる程度で大したことはなかった のですが、起床してすぐ外をチェックすると、既にすっかり雪化粧! 今日は水彩教室の当日で、一向に降雪の勢いが
収まりそうもなく、この先未だ積もりそうだったので、朝から教室中止の電話連絡に追われる羽目となりました。写真は9時ごろに撮っ たもので、この時点で15pは積もっていました。今冬の初雪ということで、この辺りでも11月に降るのは54年ぶりだそうですが、なに も教室当日でなくても良さそうなものを・・・と愚痴っても相手は天気、仕方ありません。

・お天気と教室
 教室はひとまず1週間延期することにし、ちょっと振り返ってみると、この秋(9月
下旬から今日まで)計9回の教室を設定して、天候の具合で外に行けなかったの
が本日を含めて3回。あと6回は戸外でスケッチできたので、確率からするとマア
マアでしょうか。ではあるのですが、どうもこの秋は季節が先行したり、また戻って
暖かくなったりで、順調に推移するということが少なかったと言えるでしょう。戸外
でスケッチと言っても、風の強かった日や季節相応以上に気温の低かった日な
ど、思い出すだけでも3日はありました。その都度、当日の風向きや気温状況を
見てその影響を受けにくい場所を選んできたわけであります。ここでモノを言うのが私の風景の引き出しです。その中からその日その 日に適ったスポットを思い浮かべて選び出すわけで、これはまあ、他の人にはなかなか真似のできない仕業ではないかと、つまりはち ょっと自慢しているわけであります。それでもどうでしょうか、今年は紅葉が思わしくなかったこともあって、なかな
かこれぞ秋"といった風景をものにすることはできなかったかも知れません。尤も、それが理想的な秋だろうがそうでなかろうか、人 は出会った風景から描きたいもの、感じ取ったものを描けばいいわけで、それは得てして風景自体が美しすぎたり完璧
過ぎたりすると、かえって描きにくいものです。あまりにも整いすぎた美人は描きにくいのと同じことでしょうか。均整の取れすぎ
たある種の冷たさよりも、どこか愛嬌のある非均整の中にこそ人間的な一面を見出せるものですし、それこそが絵のモチベー
ションとなるものです。それと同じで、何でもない風景の中にも季節感とか絵のチャームポイントとなり得る要素が潜んでいるはずで す。どこにそれを見出すか、どう感じ取って絵に掬い取るか、その人ならではの個性が絵の味となる・・・とまあその方が思わしいこと ではあります。難しいことですね〜、だったら教える方から苦労して最適な場所を選んではそこを描かせるといった行為など、かえって 生徒さんの感性を鈍らせるのかも知れません。難しいところです、そこのところが…。
 雪による教室の延期で、自分のアトリエにとどまりながら、こんな一文を書いてみた次第です。中止を決めてから2時間弱が経
ったいまでも、窓の外では相変わらず雪が降りしきっております。

   
 我が家のリビングルームから窓の外を撮影。これが11月なんて!!(午後3時頃)



○ お〜寒! のこの頃(11月4日記)

・ 初冠雪
 ついに我が家でも氷点下の朝を迎えたりするようになりました。朝水道の蛇口をひねると、最初は冷たい水ではなく生温い水が出て くるようになりました。凍結防止用のセンサーが働きだした証拠です。と言っても本格的な冬到来はもう少し先のこと。い
まは、季節が時折先走ってやってくるといった段階でしょうか。室内ではまだ赤外線ストーブと灯油ストーブとをとっ換え引っ換え使って は寒さを凌いでいて、主暖房である蓄熱式のストーブは未だスイッチオンにはしていません。通常暖房態勢が100%整うのは11月 末くらい、この辺りから長い冬に突入して行きます。"お〜寒"と口をつく頻度は年々増えてきているような気がするのですが、そんな 中で迎える八ヶ岳での冬はこれで12回目となります。
 さて、甲斐駒が初冠雪したのが11月1日で富士山冠雪に遅れること6日ほど。この日の朝方にかけての雨が山では雪だったようで す。平年より5日遅いそうですが、この日は所用で行った甲府からの帰り道で、雲の合間から姿を見せた甲斐駒の左肩に白い一角を 確認できました。もっと凛とした冬姿となっていたのが、これまた雲間に現れた間ノ岳です。白根三山の真ん中のこ
の峰しか見えなかったのですが,久しぶりに白銀の山に接した思いでした。白根三山は甲斐駒より百bちょっとしか高いだけで、甲斐 駒の位置する南アルプス北縁から少し中に入っただけなのですが、それだけで積雪状況が随分と異なります。それが何故なのか、解 明するのはあとに譲るとして、こうして雪化粧をしていく山を目にする日々が、今年もまたまたやってきました。この日はカメラも持って 出なかったので撮影をし損ねました。

・来年の個展
  この日、甲府の帰り道にと書きましたが、甲府に行ったのは県立図書館のイベントスペース利用申し込みのためでした。施設の申し 込みは1年前の当該月1日ということで、11月1日のこの日、来年11月の利用を目指して朝早くから出向いたわけです。県民の皆さ んはよくご存じと思いますが、4年前に新築なったこの県立図書館は、駅前広場から道を隔てた対面に位置する利
便性と、新しい建物の放つ清潔感とか心地よいユーティリティー空間を併せ備えた優れた施設で、人口10万人当たりの図書館数で 日本一という山梨県の面目躍如たる存在と言えるものです。この中にあるイベントスペースもその広さと使いやすさから、
次回個展をやるとすれば甲府で、それもこの県立図書でと、ずっと以前から思っていたわけです。それならもっと早く手を打っておけ ば良かったものですが、この1年前の月一回のみの申し込みの機会とか、申し込んでも抽選となる可能性大とも聞樹及ん
でいたことから、甲府まで出向く億劫さも手伝ってこの日まで引きずってきてしまったのでした。それで、当日行ってみるとさほど申込 者が殺到しているといった具合ではなく、私も若干の調整を受け入れることにはなったものの、殆ど希望通りの日程で使えることとな りました。来年の11月13日(月)〜19日(日)の一週間、場所は甲府の県立図書館イベントスペース、そこで私としては2年 半ぶりとなる個展が決まったという次第ですかなり広いスペースなので、その気になれば40〜50点の展示が可能です。これま では東京と現地(北杜市)での個展ばかりで、広く県下の皆さんにご披露を、といった趣旨の機会がなかったものですから、この甲府 での個展では、アーカイブス的な要素も入れて、これまでの代表作めいたものも何点か含めて展示してご覧いただける機会にしてみ たいと今から思っています。当HP上でも、来年は折に触れてこの個展の告知をしてゆく積りですので、皆様にはまたよろしくお引き立 ていただけますようお願いします。



○ 制作の合間に(10月17日記)

・ 今年の紅葉はあまりよろしくないようで・・・

 毎年時節を迎えると目を光らせてチェックしている紅葉の具合。今年は夏から秋口にかけての長雨と日照不足のせいで、紅葉は思 わしくないであろうとは予測していたのですが、案の定思わしくないようです。一昨日行ってみた野辺山高原の八ヶ岳ふれ
あい公園、ここの落葉広葉樹の森はしばしば描いていて、そろそろいい頃ではと思って出かけたのですが、現地に近づいても一向に 紅葉の兆しが認められません。そして例の湖畔に立つと、下の写真(右)のような具合で、昨年と比べると相当紅葉が遅れています。 また、紅葉の進捗にしても、早めに紅葉するシラカバやサクラなど、いずれもくすんだ色合いで、紅葉する前に枯れ始めていたりで、 これから鮮やかになるといった気配が薄いのです。同じ場所の昨年と今年のそれの写真からも、それがよく分かると思います。公園 で立ち話した人によると、昨日走った八ヶ岳横断道沿いも、とっくに紅葉のピークであるはずなのに、全線を通して冴えない状況であ ったとのこと。昨年のこのFノートを振り返ってみると、昨年は紅葉が早くやってきて鮮やかな装いを見せ、割合早めに収束していった という具合だったので、今年はこれとは好対照、紅葉は遅れ、しかも鮮やかな彩りの変化を見せないままでいつの間にか終わってし まいそうな、そんな期待できそうにない年となりそうです。
             <八ヶ岳ふれあい公園の紅葉の様子>
     
   昨年の写真(2015年10月15日)                今年の写真(10月15日)


・ノーベル文学賞?

 このFノートネタとは言い難いノーベル文学賞について一言。この話題は余りにも唐突としているので、中身は別掲エッセイに載せる ことにします(→別掲エッセイ)



○秋晴れ!(10月12日記)

 漸くやってきてくれました! 秋晴れの一日が。それも教室の日の今日、久しぶりに文字通りの天下晴れての戸外でのスケッチがで きました。高根町の箕輪というなだらかな棚田を見下ろす場所で八ヶ岳も甲斐駒も一望できるスポットに出かけ、一同絵に没頭。稲の 刈り入れは半分くらい済んでいる状況で、一帯は刈田と黄金色の稲田が入り混じっています。どういう訳か、季節の風物とも言えるは さ掛けの光景はありませんでしたが、こうして北に八ヶ岳を、南には鳳凰三山から甲斐駒へと連なる南アルプスの両方の勇姿を、これ ほどくっきりと捕らえることができるのは久しぶりのことです。私たちはもう何年かにわたり何度となく甲斐駒や八ヶ岳のある風景を描 いているわけですが、それでも、こうして秋晴れの空を刻んだ山の勇姿に向き合うと、その光景があたかも引力を持っているかのごと く、私らの目と絵心は自ずとそこに向かっている、といった具合なのであります。そうして描いた絵は、これがまた同じような風景画で であっても、ある種の旬な風味ともいうべきものが画面から湧き出ているのが不思議です。上手いとか上手くないという問題は別にし て、そしてそれが私の絵であっても生徒さんの絵であっても同じように言えるこ
とです。何がそうさせるかと言えば、月並みにいえば経験とか練度とか、進歩とか心境の変化とか、いろんな要因が挙げられるのでし ょう。ではあるのでしょうが、何にも増して言えることは、描き手がその都度風景に接し、風景と対話をしながら描き進めていくそのとき どきの時間、そこに流れる空気や風の音がそのときに固有のものだからこそ、描き出されるアウトプットもまた固有のものとなるという ことです。もっと簡単に言ってしまえば、その時々に固有の絵心のなせるところで、それが風景画の醍醐味とも言えるのかも知れませ ん。

 さてそんな秋晴れのスケッチ日和、私自身も合間を縫ってスケッチ、それもデッサンだけは欲張って2点も。帰って着色した一点を 載せました(→山麓絵画館)。昼近くになると空はますます高く、刷毛ではいたような雲が八ヶ岳の上空遙かの高みに舞い
踊っているかのようです。ふと、近くに目を転じると、杭の上にアキアカネがじっと止まって微動だにしません。思わず天空と目の前の 両方の写真を撮ってしまいましたので、このFノートに掲載します。赤トンボにつられて、つい「紅トンボ」が口をついて出てきてしまいま した。♪"新宿駅うら紅トンボ・・・"という千秋なおみのあの歌、最近YouTubeで覚えたばかり ・・・ スミマセン、脈絡を欠くどころか、 まるで雰囲気を欠くような話でした。
 木々はまだくすんだ緑色をしていますが、秋は高い空の上と小さな生き物の身の上で進行中、という季節のメモでした。

久しぶりにくっきりと稜線が空を抉る八ヶ岳







とまって動かないアキアカネ ↓




 八ヶ岳上空を掃いたような秋の雲→


○ 制作の合間に(10月7日記)

 暦はいよいよ10月に入りました・・・という点で二つの感想があります。
一つはあと残すところ3か月足らずでこの年も暮れるということ。もう一つは、折角の秋さわやかな季節なのに、先月から引き続いて 予報は雨マークが多く、高く安定した秋晴れの空が続きそうにないことです。それでも時間は進行し、我が家の庭木も緑が色褪せて、 ジューンベリーの木などは枝先の葉が黄ばんできています。ヤマボウシの赤い実も半分以上が落ち、道端に咲くコスモスは既に華や かさを失いつつあります。刈り入れの季節ですが、今年は雨でぬかるんでいるのでコンバインを動かすのも思うに任せないところがあ るようです。野菜も軒並み不出来で、ついに値段も上がり始めました。・・・ちょいと所帯じみてしまいましたが。そんな中、一応家の中 で制作活動は続けているのですが、どうにも窓から入ってくる光量が不足することが多いので滞りがち。ただでさえ集中力の持続が 問題となっている昨今、一つの絵がなかなか完成を見ないまま放置されていることが珍しくあり
ません。絵を描くということに限らず、制作活動というのは一つの勢いというかリズムが大事なわけで、これが分断されてしまうと、出 来上がっていく絵そのものの持つ吸引力と言いますか、作家を鼓舞し続ける原動力のようなものが損なわれていくようで、これは思わ しいことではないのです。とか何とか言って、自分がさぼっているのを正当化しているだけでは? と指摘されると、
返す言葉に窮するところもあります。まあ、言い訳でもなんでもいいのですが、筆を休める間に間に軽くエッセイを書いてみようと、こ の一文を書き出したわけですが、ここで思いとどまりました。とどまって何をするかというと、さぼってきた罪悪感というか、勝手にその ような思いに駆られて、停滞していた絵を引っ張り出し、いざ一気に完成させてしまおうと、そのように趣旨替えをし
た次第であります。
・・・・それでしばしこのノートは中断。
・・・・そして2時間後、描き上げたのがこの一作「紅葉の散歩道」です(→山麓絵画館)。何やらこの一文は、この一作のための序文 のような帰結となってしまいましたが、ともかくも絵の方をご覧いただければ幸いです。



○東京から帰って思ったこと(9月14日記)

 先週末、高校時代のクラス会があって久方ぶりに東京に行ってきました。蒸し暑い最中、あの人ごみの忙しなさと騒音の洗礼を身に 浴びてきたわけであります。予期した通り、疲れ果てて戻ってきました。小淵沢の駅に降り立って、高原の空気を胸いっぱい吸い込 み、ホッとしたのは良かったのですが、明けて次の日もその次の日も、心身にこびりついたような疲れが取れず、おまけに、ぎっくり腰 のあの前兆のごとき電流さえもが背中を走ったので、ずっと我が家でボーっとして過ごしたのでした。そう言えば、一週間前のおわら の時も同じで、なかなか疲れが取れなかった。それが年のせいと言ってしまえば身も蓋もないのですが、今回東京から帰って、どうも それ以外に思い至る節がいくつか浮かんできました。それらは、あまりにも普段の生活に馴染んで
しまって日頃は意識外に追いやられていたことばかりでした。

・山麓生活とのギャップ
 その一つは、私がこの八ヶ岳山麓にもう十年以上住み着いて、高原のきれいな空気を吸い続けてきたことです。何を今さらという話 ですが、どうも私の身体は、このきれいな空気の一種の中毒症状に陥っているのではないか。きれいな空気に汚染されているという 言い方は変ですが、都会の汚染された空気を吸い続けると、ある種の禁断毒症状が出てくるらしいのです。それが蒸し暑さとも相俟 って、酸欠状態にあえぐので、疲れが倍加するという理屈です。
 二つ目は、何といっても普段歩かない分のしわ寄せが、都会ではすぐ出てくることになるという点。これは、帰ってこちらでの普段の 生活に戻って直ぐ気付いたことで、つまり一歩家を出ればクルマの運転席に座り込む、クルマを走らせて用事を済ます、というのが改 めて私たちの日常生活という事実です。ゴミ一つ出すにも、当地は1キロ先のゴミステーションまでクルマ。コンビニで買い物というとき は、2.5キロ先まで、銀行は3キロ先、何処に行くにもクルマです。従って歩かなくなり、むろん人込みを縫って急ぎ足という事態も皆 無。身体がなまって贅肉が増え続けるという悪循環に陥っているのであります。この点都会では、何処に行くにも、移動手段が地下鉄 であれ何であれ、必ず徒歩が付きまといます。途中階段もあれば人混みもある、蒸し暑いにしても何にしても歩かねばなりません。考 えてみるとこの違いは凄く大きいものに思えてきました。文明の先端を行く都会では、二本の足を使って歩かなければならず、文明よ り自然寄りの当地では、意識しないと歩くことがなくなる・・・ そういうパラドックスに改めて思い至ったわけです。

・歩かねば
 さて、歩こう、歩かねば、という危機感のようなものは普段からあって、私もときとして思い出したように散歩に出ます。私の場合は両 手にストックを持ち、苦手な上り坂などはその助けを借りて歩くのです。リズムも出てくるので、これが後押ししてくれる利点もありま す。しかし、これを見た他人から、"ノルディックウォークですか"なんて言われると、恥じ入るばかりです。肺機能に難のある私の場 合、このストックは本当に腕の助けを借りるという、いわば手足の四輪駆動による徒歩を意図してのことなのですから。実はこの肺機 能云々に関し、最近検査した結果、軽度のCOPD(慢性閉塞性肺疾患)と診断されたところです。過度の息切れとか低い肺活量な ど、この疾患については確信犯であろうとずっと思っていたのですが、やはりそうでした。タバコはもう止めて5年以上なのですが、そ れまでの長年の喫煙が祟ってのことだと思います。さらに言えば、中・高生の頃からマラソンは大の苦手で、呼吸困難に陥って大体は 途中でこっそりとコースアウト。目立たぬように帰還していたくらいです。まあそんなことで、と言いますかだからこそ、私は意図的に歩 かねばならない、そのように自覚はしています。話を戻しますと、都会での疲れも、先の背景に加えてこういう事情もまたあってのこ と、という次第です。

 フィールド・ノートというよりは、私の身体能力に言及したカミングアウト的なノートになってしまいました。山麓ではこれから一足早い 秋の訪れを迎えます。それに先んじて仕上げたばかりの秋の絵を載せてみました(→山麓絵画館)。
 







  ○ 2016年 おわら
    (9月3日記)

 
 今年は初日だけおわらに行くことにしました。前々回が2012年、前回が2014年でしたから、結果的に1年おきのおわらとなったことに なります。昨今は暑い最中にあの坂道だらけの八尾の旧市街を歩き回ることを考えると、出かける決断がどうしても鈍っ
てしまいます。その一方で、これが最後のおわらになるかも知れないという想いもあって、双方のバランスるところが1年おきと
いう間隔となっているのかもしれません。このところ出かけたのはずっと最終日だったのに今回は初日、これからという始まりのおわ らに接するのは珍しいことです。かつて今よりは多少血の気も多かったときは、車中で2泊も3泊もしたのですが、昨今はこれまた一泊 が限度。それも這う這うの体で乗りきっているのが実態なのであります。

 さてその八尾、交通規制のかかる前に市街に入ったものの、いつも渡っていた井田川の橋が閉鎖されて新しい橋がルートに
なっていたので、珍しくまごついてしまいました。車中泊をするための町民広場周辺に着くと、駐車規制がさらに強化されていていつも スペース周辺は全面的に駐車禁止に。最後の砦のように見当をつけておいた広場の上の道に出ると、もうそこだけという道の脇に何 台か先着組が止めていて、その残されたスペースに何とか割り込むことができました。まずは一安心。
 この町民広場が今や全体的に随分とスッキリした佇まいとなって一頃とは様変わりした感があります。これは、行事をつか
さどるおわら運営委員会が、コストのかかる特設ステージを廃止したり、環境上の問題などから露店を制限したり、町内の駐車規制 を強化したり、いろいろな手を打ってきた結果のこの姿なのでしょう。それに伴って露店は一切姿を消し、仮設のトイレとか洗面台もそ の数がずっと減っています。われわれクルマ組も締め出される側に入っているわけですが、それは致し方ないこと。改めて考えてみれ ば、300年の歴史を経て手を加え洗練の度を加えつつ脈々と受け継がれてきた伝統ある行事が、この小さ
な町で少子化社会の現在まで途絶えることなく続き、我々部外者をも魅了し続けているのは一種の奇跡と言ってもいいくらいなのです から。

 さて、久しぶりの昼間のおわら、正直照り付ける太陽の下では観るだけにしても辛いところがあります。あのかつて行動拠点となっ ていた居酒屋は、いまや建物も撤去されて更地になっています。アルコール燃料を補給する適当な基地がないのもまた
辛いものです。あえぎながら鏡町と上新町の境辺りへと上り詰め、日陰に陣取って流しや花踊りが来るのを待ちました。ややあってか ら、同時刻に初日のそれもスターターともなる上新町と鏡町のおわらに接することができました(→写真)。そのあと諏訪
町に移動、ここでも輪踊りに出会うことができました。とはいえこの時間、踊っているのは子供や年少さんたちが多く、青年男女の踊り 手が極端に少ないままです。それでも初日のおわらは、今年もまたやってきた、というそんな新鮮さをみんなが共有して
いるように見受けました。諏訪町では、昼間とは言え成人の踊り子が少ないように思い、そばにいた地元の若奥様風のお二人に話を 聞くと、この時間帯は出られる人だけ出るので仕事の都合や帰省の都合などで、どうしてもこうなってしまうとのこと。さらに、少子化に よる踊り手不足で最近は既婚者も踊っているのでは?との当方の邪推に対して、確かに踊り手を集めるのに苦
労するのが常だそうですが、今もって踊り子はみんな独身者で通しているとのお話でした。このお二人、聞けば5,6年前まで踊ってい たそうで、だとすると私がカメラを向けて何度かシャッターを切った踊り子だったかもしれないと、急に親近感がわいてきたのでした。 それで調子に乗って記念に写真を撮らせてほしいと言うと、たちどころに拒否されてしまいました。そりゃそうですよね、見知らぬ人に スッピンの顔を撮らせるなんて、私としたことが・・・。 



← 上新町での最初のおわら  ↑ 直ぐ後の鏡町でも初日のおわらがスタート
                  
        町民広場から見る対岸の市街の灯り

 そして夜の部へ。となるのですが、この間に早くもルマに戻って仮眠するという大休止が入っています。すっかり夜のとばりに覆わ れた八尾の旧市街、町民広場からそれを眺めやると坂道を照らす灯りの列がいかにも八尾といった風情です。そして、そ
のとばりを縫っておわら節が漂い聞こえてきます。やっぱり夜が"おわら"本番、すでに8時を回っていたので、再び気合を入れ
直して市街に足を向けました。今度は街の下半分、坂下の方に向かいました。途中今町の流しに合い、下新町では例によって八尾 八幡社の舞台で踊るおわらを垣間見てから、「工芸まこと」という店の軒先に用意されたテーブル席でビールをいただくことに。この店 はかつて「坂の町アートin やつお」というイベントに参加した折、私の展示会場として使わせてもらった店で、おわらで行く都度顔を見 せては一杯やっていくのを常としています。今回は近くの店で買った寿司折りをここで開けさせてもらうつもりだったのが、ひと仕切り 中のスペースに通され、そこで居合わせたオーナーや奥さんのかつての同級生達との話しに交ってのリラックスしたいっときを楽しま せてもらいました。狭い町なので同級生たちはいつまでたっても身近にいて何かあれば寄り集まるとのこと、いいですよね〜この人と 人の距離感、この親密さ加減。小さな田舎の町ならではのことでしょうか。
 最後に行った天満町。ここのおわらは演奏も踊りも定評があって、私もずっと贔屓にしてきた町です。他の町内からは少し離れた 一角なので、比較的に見物人が少なく、ゆっくりおわらを堪能できるのも天満町の利点と言えます。ここでじっくりと流しを楽しませても らいました。歌も演奏も踊りも丁寧で手を抜かないところがいい。どこかピンと張った空気を引き連れるようにしておわらが遠くから近 づいてくると、観ている方も自ずと気分が高まります。そして流しを目前にすると踊り手の気迫が伝わってきて思わず知らず感動を覚 えている自分がいるのです。これが天満町ならではの美質と言えるところで、他の町内でも等しく味わえる
というものではありません。先ほど触れた静かな環境という点もこの町のいいおわらに貢献しているのでしょうが、かつてのおわらは どの町にしても似たような静かな環境の中で繰り広げられていたであろうことは想像に難くありません。天満町のおわらを
十分味わうともう11時近く、再び坂を上がっていくつかの町内を覗きながら諏訪町に戻ってみると、既に動きがなくなっており、最後の 鏡町ではちょうど初日最後のおわらが終わったところ。そしてそろそろ日も変わる頃、市街をあとにしてクルマに戻ることにしました。

 車中でぐったりと疲れに押しつぶされるように眠って夜を明かし、あくる2日の朝、目が覚めて外を見ますと、泊まっていたクルマは 一台もいなくなっています。つまりは日がかなり昇った7時過ぎ、のこのこと動き出したのは私は一人。閑散とした広場では二日目に 備えて清掃作業をする人だけが立ち働いていました。帰路は、今年がおわらに接する最後となるのかなるかもしれない、そんな感慨 を過ぎらせながらも疲れで支障が出ないように黙々と運転に集中しながら、41号線を南下していったのでした。これが2016年のお わらでした。



○ 夏の終わりに(8月24日記)

 ここのところ最高気温が30度を下回る日が続いています。日本の近海で発生したいくつかの台風で8月の月間雨量は急速にキャッ チアップされたようで、お蔭で畑の雑草がまた一段と元気を取り戻しています。例年なら残暑がうるさく付きまとうこの季節、西日本は 違うのでしょうが、ここら辺はこのまま秋になってしまうのか、何とも気持ちの構え用がありません。まあ、そんなに構えて臨む季節の 変化でもないのですが、よしず張りをしたり簾をかけたりと、いろいろやった暑さ対策が実らないうちに夏が終わってしまいそう。札幌 の友人にょれば、8月もお盆を過ぎると、誰ともなく雪の話題を口にするそうで、そんなものかと感じ入っ
てしまいます。そう言えば、あとひと月もしないうちに大雪山の紅葉が始まるのですよね。

★ リオ五輪も終わりました。

 気候とは別に、今年は夏場のTV観戦で忙しい想いをしたのは私だけではないでしょう。お盆のシーズンなどは何処に行っても混雑 しているこの八ヶ岳界隈では、外出を控えて暇になるのですが、その分ちょうどTV観戦の忙しさが穴埋めをしてくれた感じ
です。最も多かれ少なかれこれがオリンピックイエアーならではのこと、日本では多くの人が共有したオリンピックの夏でした。

 ところでそのリオ五輪、みんなが寝不足だなんだと言いますが、私の場合はちっともそんなことはありません。これはと思う深夜の中 継は録画したりするのですが、それを再生して観たり、或は熱心にその日の五輪レポを観るのは日本いい結果を残した場合だけ・・・ という、友人の言葉を借りれば“後出しジャンケン”的な観戦態度だからです。特に年を取るに伴って、没頭して観
戦した挙句に落胆するような事態には耐えがたく、オリンピックもまた結果を知ってから気分よく見ることに徹した次第です。だ
から応援疲れといった事態とは無縁なのですが、しかしそうではあっても、やはり日本人選手が勝てば気分はハイとなって感動だって します。どうもそういう御仁は訊いてみると私以外にも大勢いるようで、夜を徹しての応援は元気な人達にお任せし、後出しジャンケン 組は控えめながらも日本をサポートし続けたい・・・かように思う次第です。
 リオの感動シーンをいちいち取り上げて書き出すときりがなくなるのでそれは止めにしておきます。止めにしますが、三つあげるとす れば、やっぱり陸上の男子400メートルリレー・・これは私の方針に反してリアルタイムでの観戦となってしまったのですがゴールライン に突入する際は、私も身を乗り出して気張っていたのでした。もう一つがバドミントン女子のダブルス。高松ペア―の粘りと集中力は 見事! 結果が分かっていて観てもしびれるものでした。そしてもう一つがやっぱり男子体操。団体も個人も
あの逆転劇は誰が描いたシナリオなのか、オリンピックだからこそ描き出せる筋書きに日本中が湧きかえった瞬間でした。こうなると 他にもあれこれと出てくるのですが、三つで打ち止めにしておきます。
 止める前に二つ3つ。 4連覇ならなかった吉田沙保里ですが、あんなに泣きわめく以前に、王者として先ずは相手を湛えるフェアな 振る舞いを見せて欲しかった・・・そのように思ったのは私だけでしょうか。連覇はいつか途絶えるもの、あれはあれで立
派な銀メダルだったと思います。最後に閉会式でのハンドオーバー・セレモニー。日本アニメのキャラクターは良かったものの、地球ト ンネルから飛び出たのが阿部首相とは?! スポーツの祭典に首相がそれもマリオ役で出てくるなんて、見ていて恥ずかしくなりまし た。それも、東京オリンピック組織委員長であるかのM氏の入れ知恵とか。それを知って暗澹たる気分になったのは、これまた私だ けでしょうか。

★ 間もなく秋の夜長〜秋の夜長と言えば音楽

 と書くのはまだ気が早いのですが、少しだけ音楽の話です。音楽と言っても、最近はクルマの中で聴くケースが殆どで、それも一枚 のSDカードに収録したお好みの楽曲に耳を傾けるわけです。ということは、別に秋の夜長ではなくてロングドライブ中の耳
の暇つぶし? とまあ、そう言ってしまうと身も蓋もないのですが、音楽というと秋の夜長が枕詞のごとく浮かんでくるものです、
ハイ。私の場合だと、相当昔ウクレレなどを弾きながら歌っていた中に、「秋の夜は更けて」という、これはハワイアンだったか〜があ りました。"秋の夜は更けて すだく虫の音に 疲れた心癒す 我が家の窓辺 小さな小さな 幸せはここに" という歌詞だったか。  一応ネットで確認してみるとちょっと違っていました。まず曲の名前は「幸せはここに」。次に一番の最後のフレーズは"静かにほのぼ のと 幸せはここに"でした。それと、そうそうこれは大橋節夫のつくった歌でした。細かな点は別にして、言いたかったことは、歌の世 界も仲間内での演奏の機会も、いまよりはずっとうぶな時代だったということが第一点。高校生だったかそこいらでウクレレ片手に仲 間と口ずさんだ音楽のシーン、その多くもまたうぶで他愛ない詩とメロディーに包まれていたという感慨が第二点です。多感な時代の 音楽体験が未だに心のどこかに浸み込んでいるわけで、だから秋の夜が更けると音楽に結びついてしまう・・・そんな風に思考回路が つくられているらしい、というわけです。

 さてしかし、クルマの中でもっぱら聴いているのはピアノを中心としたクラシックとジャズ。ピアノの打鍵が作り出す粒立ちのい
いメロディーは弦とか管のそれよりもドライブのシーンには向いているように思えます。最近は特にジャズでピアノトリオを聴く機会が 多くなりました。ビッグバンドのジャズは私には耳障りにすぎますし、あまり熱のこもり過ぎた演奏とか、逆にスピリチュアルに過ぎて不 協和の世界をさまようような小難しいジャズも御免です。やっぱりドラムがリズムを刻み、ベースが抑揚を加え、それに乗ってピアノが 歌う・・・そういうジャズがいい。運転しながらハンドルに添えた指先がリズムを刻んでしまう、そういう乗りがい
いのです。ピアニストの歌いまわしの上手さとか個性が、時としてぞくっとするように心をえぐったりします。名だたるプレイヤー
の中でも、私がよく聴いているのが割と平凡な歌い回しでスタンダードを演奏することの多いハンク・ジョーンズのトリオ。通は余り評価 していない演奏家のようですが、決して通ではない私には、彼らの演奏がドライブ中に心地よく聞こえるのです。無論他にも素敵なプ レイヤーたちの奏でるリズムと旋律がSDカードには収められていますが、これも一々書き出すと切りがありません。
 ところでこう見えても(どう見えているのか知りませんが)私、実は普段家で聴く曲にしても、戸棚に並んでいるCDにしても、ク
ラシックの方がずっと多いのです。クルマで聴くクラシックとなると、やはりピアノ曲が多いでしょうか。そして、クルマの中で聴い
ていてもバッハのクラビア曲にはときとして宇宙を感じます。モーツアルトは心をえぐるのではなくて、心の中を駆け抜けていきます。こ うなると"音楽ってやっぱりいいですよね〜" (似たセリフで終わる映画の番組がかつてのTVにありましたっけ)。そしてやっぱり音楽 は“秋の夜長に”ゆっくりと味わいたくなるというものです。



○ わが町の花火大会〜「八ヶ岳ホースショーinこぶちさわ」(7月31日記)

 昨夜9時を過ぎるとかなりの至近距離でドカーンドカーン。小淵沢の花火大会が始まりました。正確に言えば、「八ヶ岳ホース
ショーinこぶちさわ」の今年が第38回目、その最後を飾る花火の打ち上げです。山梨県馬術競技場というこれはかなり大きな馬術大 会も開催する所で、毎年7月の終わりの週末に昼から夜にかけての各種ホースショーが繰り広げられ、そのフィナーレに打ち上げ花 火が夜空を飾ります。この小さな町のビッグイベント、大体1万数千人の観客が集まるとのことです。当家はこの会場から1.5qほど しか離れていないので出かけようと思えばいつでも気軽に、散歩がてら出られるのですが、いつにない混雑振
りなのでずっと敬遠しています。 静かな環境下で十年余り暮らしていたら、群衆の中に入っていく勇気が消え失せてしまいました。こ ういうことだから、上京するのもちょっとした覚悟の上ということになるわけです。それで過去何年かは家の中でいつもの通りTVなどを 見ながら過ごし、例のドカーンという音に尻を叩かれるようにして部屋の中からデッキに飛び出すのが常となっています。高みの見物 ということになりますが、実は会場と当家の間にある森のせいで小さな花火は頭の方がちょこっと見えるくらい。これが尺玉となると森 の頭上にヒュルヒュルと駆け上がり、中空でドカーンと炸裂する様がほぼ100%見えます。花火の輪が広がり舞い降りる様はなかな か迫力満点! まあその数1500発程度と言いますから、この近くでいえば諏訪湖や市川大門町の花火とは比較になりません。それ でも折角だから・・という気でデッキに陣取って尺玉を待つわけです。それが上がると、当家背後の茅の原の向こう側とか鬱蒼とした 木立のそこここから歓声が上がります。かなり広い暗闇の空間のそこここに人が繰り出していることが初めて知れるという次第です。 そして打ち上げも歓声も途絶えると物音一つしない間がいっとき続き、そうなるとい
つもと全く同じ夜のしじまが支配する・・・そういうところが、我が家から眺める花火の夜の風情で、都会とは趣を異にするところす。そ して30分も経てば打ち上げも終了、打ち上げの現場では会場をあとにする人やクルマでひとしきり混雑しますが、雑踏が去るとそれ こそ潮が退くようにしていつものような静かな小淵沢の界隈に立ち戻ってゆきます。
  ↑上3点は我が家のデッキから撮影。東側の森蔭(下部の)黒い部分)が邪魔をして尺玉でないとこのようには撮れません。
  ↓花火に先立つホースショー、戦国武将のクライマックス (ネット上の写真を借用)

         

 因みに、このホースショーはこれまたなかなかの見物です、小淵沢は乗馬で有名な場所柄で、この近辺にも乗馬施設がいくつかあ ります。馬や乗り手の数も質もかなりなもので、大河ドラマの乗馬や戦のシーンには主人公クラスの吹き替えとか群馬のシーンのエク ストラとして大事な出演陣の一角を担っています。ホースショーでは特に戦国武将の人馬一群が火の上や火の輪を
くぐり抜ける見せ馬は圧巻です。
 因みに・・その2、として、このイベントが終わってから、未成年の非行の芽をつみ取るべく会場や駅周辺を見回る通称「愛のパトロ ール」が実施されています。町の福祉関係の委員とか各地区の委員が駆り出されるのですが、昨年は私も篠原区の委員と
して、このパトロールに参加しました。暗闇にたむろしている少年少女の姿を見つけると、「もしもし君たち帰りなさい」と、ぺッパー警 部のような呼びかけをするわけです。私の時は幸いそのような事態には遭遇しなかったのですが、心許ない夜道の歩きっぷりだった 私の方が補導されてしまっては洒落にもならんと必至で一向にくっついて歩いたのでした。あれから1年が経ったのだと思いしつつ、 今年はデッキの上で写真を撮りつつマイペースな一時を過ごした次第です。



○ 七十四歳にして思い惑うことごと(7月23日記)

★ 昭和の残像

 このところTVで目にする画像や、TVから聞こえてきたりくる音楽が、時代を数十年も引き戻してくれています。それらは「夢であいま しょう」のテーマだったり、シュビシュビシューダバダバ・・・の「イレブンPM」のテーマなど。言わずと知れた60年代のTV草創期から興 隆期にかけて、ブラウン管を彩った番組のテーマで、このような現象は、引き続いてこの世を去った永六輔と大橋巨泉というTV時代 の普及をリードした二人の巨星の追悼番組によるものです。「イレブンPM」は家族揃ってという訳にはゆかなかっ
たでしょうが、毎週土曜日の夜10時の「夢であいましょう」などは、多少夜は更けても週に一度家族内揃ってブラウン管に対座して楽し んだいっときでした。私のごときこれら番組が青春時代と重なった人間たちは、いっときの昭和に浸っているわけで、きっ
と同じような想いの方が大勢おられることでしょう。そう言えば、ブラウン管などという言葉も液晶画面の登場によって過去のものとな り果ててしまいました。昔の映像を見るたびに目にする丸っこいTV画面とか丸いチャンネルセレクターも、既に博物館入りの代物と化 しています。それにしては、"チャンネルを回す"という表現は今なお生き残っているのは不思議といえば不思議。 「イレブンPM」は確 か途中からカラー化したと記憶していますが、TV黎明期を象徴する街頭テレビの力道山のときから、白黒テレビは17,8年続いたの でしょうか、私は小学生だった頃から大学時代までは、家でずっとこの白黒画面にすがりついていたことになります。ついでながら、当 時の映画はシネマスコープの登場とカラー化がどんどん普及していった時代で、映画の広告とかタ
イトル画面には、必ずこの"シネマスコープ"とか"総天然色"という記載があったものです。“総天然色”なんて如何にも大仰な言葉で すが、それが売りで大したことだった時代です。

★ 行く末 < 振り返る過去

 この昭和の話と関連するのですが、最近・・というか、とみにここ1年くらい、私の脳裏にはノスタルジー現象が募る一方であり
ます。年なんですかね〜。むろん、年を重ねるにつれ昔を懐かしむ風潮が増していくのは誰も同じなのでしょう。それが73才から74才 を迎えるに至る最近において顕著なのは何によるのか、しかとは断定できないまでも、親しかった友人や仲間たちの死や不調などに 接して、そして私自身や女房にも忍び寄る老化を見るにつけ、先細りする行く末を感じるからに他ありません。途方
もなく大海となって膨らむ過去の中に、頼りない記憶を遡っては往きし日々のことを懐かしむというわけなのであります。
 今年の春先、房総保田にノスタルジック・ツアーをしたのも、私の実質的な故郷への回帰を、幼馴染とともに体験してみたかったか らでした。その後この5月には、二人の山麓の仲間が相次いで亡くなりました。二人とも私とさして変わらぬ年輩でした。こうした身近な 死は、残された遺族の悲しみの大きさに接して増幅され、私はこれを契機にずっとやり残していた終活ノートというものを作り上げまし た。A4のワープロ書きで12ページ。これが多いのか少ないのか測りかねますが、この作成を通して私は"私の亡き後"についての現 実を客観視するという経験をした次第です。自分史を書きながら思わず覚えた感傷については、このノー
トに現すなど、差し控えるしかありません。以下は身辺整理に関連して思ったことです。

★ 絵の整理に四苦八苦

 j上記に触れました終活ノートに、私の家に残る貴重品という箇所がありました。さしたる貴重品など何も思い至らなかったのです が、家には自分で描き残した作品がそれこそたくさんあるのです。まあ絵描きですから当然のことなのですが、これらは、それが価値 あるモノと思う人には貴重品のようでもあり、別に関心などない向きにとっては貴重品とは言えない代物です。いずれに
してもこれら作品群を少しばかり整理しておかねばならないと思い至ったのです。これらの作品の数々は、個展などに展示した際額 装された状態のまま保管されているモノと、スケッチだとスケッチブックに収まったままのモノ、そこから外されたまま無造作に保管さ れているモノ、そしてカット紙やブロック紙の作品だと用紙のサイズごとにホルダーに収められているモノがあります。しかしその他に、 いろいろな目的で保管場所から引っ張り出したり引っ込めたりを繰り返すうち、行き場を失ったような状態のモノが存在していたりで、 これは到底描いた本人以外には仕分けの仕様もない状態でした。そこで、描いた年代順、サイズ別、そしてスケッチと完成画の分類 などを考慮した、ある程度系統だった保管形態にしてゆこうと作業を始めたのですが、これがそんなに簡単なことではなかったので す。特に展示目的で一度本来あるべき所から取り出したモノについて、いつ何時描いたものか、およその見当はつくのですが定かで はない。そういうモノは一応目録として記録してあったファイルと照らし合わせて同定してい
くのですが、このファイルにある作品名と実際の絵がどれなのか、これがまたそうは簡単には一致しないのです。 最近でこそ絵のど こかに描いた年月日と用紙の名称を記していますが、かつてはこれをせずに、描き終えると絵画目録というファイルに題名や制作年 月日などを記入していただけでした。つまり画像ではなくて文章情報のみ残していたわけです。この点、このHPに掲載しているモノに ついては画像ともども記録されていますのでこれは助かります。それで目録との照合に頼るわけですが、こんなときに大まかな年代を 決める大きな手がかりとなったのは、絵に記してあるサインです。これは今でこそずっと安定していますが、以前は一定の期間を経て 変わってきていたので、大いに参考となりました。その一方で、絵の稚拙さとか技術的な要素で、絵の描かれた年代を辿るのは思っ たほど簡単じゃない。まあ、私が集中して描きためてきたのはここ20年ほどのことですから、おおよそこの辺りという見当は付きます。 つくのですが、ある二つの作品を並べて年代的にどっちが先か後かという問題は、技術的な要素からはなかなか推し量れないもので す。よく学芸員が著名な画家の作品を見て、この描き方はこの時代のモノ・・・といった講釈を耳にしますが、この尤もらしさという点 は、どこか眉唾的で私にはずっと引っかかるところでした。

★ 自作に宿るエネルギーの多寡

 こうして自身の作品を振り返ってみると、作品の発するエネルギーの多寡が、制作年代によって違いがあることに気付かされます。 ある年には作品数がぐっと増えて意欲が漲っているかと思えば、ある年によっては作品数が減って停滞してしまうとか、また作風が変 わってきているような節目も見えたりで、自分の絵描きとしての足跡を観察するような心地がするのでした。
 改めて印象深い点をいくつか挙げてみますと、50才代の後半〜具体的には56,57才あたりは相当エネルギーに満ちていて、我な がらよくもこう次から次へと意欲的な絵を、という想いがあります。絵を再開してから3年目くらい、すっかり感覚を取り
戻し、これから先に突き進んでいこうという自信と喜びが、いま振り返ってみてはっきりと感じ取れるのです。最初の個展が59才の時 で、その時にこうした時期の絵を展示し、予期せぬほどのインパクトがあったことは、今になってみると合点がゆくのでした。それから 2年後の二回目の個展では60才初めのころまでの作品が並んだわけですが、このときも勢いの余韻が引き継がれていました。作品 的にはよりこなれてきた感がある一方で、いろいろな作風というか雰囲気の絵を試みた跡も見て取れます。その一方で、これは"早く も"と言うべきか、いろいろ試みた作風は出尽くした感もあって、上手く描くという点では腕を上げたものの、もっと冒険をして未知の自 分を発掘しようといった意欲はトーンダウンしてしまった感がしないでもありません。人の心をとらえるごつごつとした部分、そういう粗 野とも言える要素が洗練さの中に埋もれていったとでも言えるでしょうか。
 それから60才半ばからの傾向として、少なくとも年齢とともに淡い色調で、人が良く言う癒し系の作風が増してきたことも認められま す。この間、もちろん自分なりに満足できる絵もたくさんあって、それらの多くは技術的な面で言えば、かつての勢いの良かった頃に は決して描けなかったレベルでもあります。70才代に入るといい意味では枯れた作風の絵が増え、悪い意味ではちょいと波風の少な いインパクトに欠ける感じが出てこないでもない。そしてここ2,3年は描く点数も減って、我ながら集中力の欠如を感じる今日この頃 であります。こうした傾向は、何も絵の世界だけではなくて一般的にも通じる年齢的な傾向と軸を同じくするモノなのでしょうか。70才 の中盤にかかり世にいう後期高齢者(・・・それにしてもこの“後記高齢者“という言葉は、人を貶めるようなイヤな言葉ですね〜)への 道を辿る者として、今更内燃機関の出力を上げようなどと無駄な抵抗はしない方がいいのかも知れません。 そのように自分を客観 視したりもするのですが、いやいや歳なりの年輪とか洒脱な遊び心とか、自分の絵はもっ
と進化するのだと、今回こうして絵心の変遷をなぞってみるにつけ、いろいろと考えることが多いのでした。私は現在、何ら個展の予 定が入っていないというここ十数年来なかった状況下で過ごしています。これは楽ちんである一方、メリハリを欠いたつまらなさも禁じ 得ません。どうもそうした中途半端さが絵筆を鈍らせているとすると、これは絵描きとしての矜持にも係わる由々しき
問題でもあります。論語では四十にして惑わず、五十にして天命を知り・・・これが七十となると「心の欲するところに従えども矩
をこえず」となるのですが、さてさてこの歳にしてなお惑うこと多くして思うがままには生きられていないと思うこの頃であります。

 以上は愚にも付かぬ絵描きの独り言でした。私の絵がどうなっているのか、どうなっていくのか、それはご覧いただく皆さんに判断し てもらうしかありません。



○梅雨なのか盛夏なのか(7月11日記)

★選挙が明けて

 参議院選挙が終わって、毎度のことながら、私と世間様とは考えがかけ離れているのかな、といういつもと同じような思いを今回も 抱きました。そもそも参議院は良識の府であり、チェック機能が生命線なのですから、こうも与党に票が集まるというのは参議院の存 在意義が根底から揺らぐ事態ではないかと私などは思います。それはつまり、選ぶ方が参議院の在り方など端っから度外視して選挙 に臨んでいるという一事の査証でもあるし、世間様を映す鏡であるべきマスコミ然り、こういう視点での報道も論旨にもついぞ出会わ ず仕舞いなのはお寒い状況と言えるのではいでしょうか。審判を下すにあたって、今の政治の在り方、国会の趨勢などに対する有権 者としてのバランス感覚を欠いている、と言われても仕方ないでしょう。18歳から選挙権を有するようになった現在投票を促すのも大 事だろうが、こういうことをちゃんと見直して正視できるような状況をつくるべきではないかと思うわけです。でなければ、参議院など最 早不要なんじゃないか。オッと、政治向きのことはこの辺で要軌道修正です。

★夏日

 選挙の喧騒が終わって・・と言いたいところですが、実際には我が家周辺から選挙カーの音声が聞こえてきた記憶がありません。そ れほど当地は人口密度が低い地域で、こんな所で汗水流すよりはもっと人が多い地域で選挙運動を、と誰しも考えるところでしょう。 投票所である公民館に行けば、顔見知りの選管の委員が座っていたりする場所柄です。それはそれで如何にも田舎らしい穏やかな 光景と言えます。一方、穏やかでないのは暑さのことです。選挙明けの天気だけは昨日に引き続き朝から盛夏の様相を呈していて、 この北杜市で34度という予想が出ているのです。"あってはならない" と叫びたくなるほどの気温で、なんたってここは千メートルの高 原地帯、一般的には避暑地なんですから、そこんとこヨロシクと天にもの申したいところです。
 日中の中断を経て再びこれを書き出した夕刻のいまは、結局この日の最高気温が32度近くまでで終わったのでホッとしているとこ ろです。夕方のいっとき、ヒグラシが鳴きだして涼しい外気が部屋の中に入ってきています。それでも街中まで下りて行った日中はク ルマもエアコンを入れっぱなし、こういうことは夏場でもそうそうはない暑さだったのです。

★抑揚を欠いた風景

  この季節となると緑も憎々しいほど濃くなって、しかも濃淡も薄れてすっかりモノトーン化してきます。さすがにスケッチをする気も萎 えてしまって、クルマには常時カメラを携帯しているのですが、それを手にする機会もぐっと減ってしまいます。従って、盛夏の風景画 は極端に少なくなるのです。ですから、よく八ケ岳山麓の四季とか銘打って絵を披露する機会があるのですが、夏の
絵を探すのに苦労します。必然的に、撮りためた夏の風景写真の中からこれというモチーフを拾っては絵にするわけです。そのように して描いたのが →この一作です。それでも、描くときは現場で得た皮膚感覚と言いますか、風景に接したときに"ここならこんな風に 描こう"といった感覚を大事にしています。つまりは、そういう感覚を得られなかった風景は写真にもなっていないし、絵になることもな い。同じように他人が撮ったり本に載っていたりといった写真は、そもそも絵のモチーフにはなり得ません。むろん描こうと思えばそれ なりの絵はできるでしょうが、自分の作品として生命を吹き込むような絵とはなり難いという意味です。ちょっと話が横道にそれだしま したが、夏の風景でした。それが抑揚を欠くものだし、ましてや暑い日差しを浴びながら、というのは
過酷なことなので、つい風景から目を背けがちとなるという趣旨でした。それでも風景を見つめ直せば、抑揚を欠いた憎々しい
ほどの緑の風景でも一服の絵にできるはずです。一種の気だるい気分・・・そういう世界を描こうかとという気持ちがあることも事実で す。それがここに登場するのかどうかお楽しみに。話はここまでとしておきます。



○ 初夏をスケッチ(5月21日記)

 スケッチと言っても画像と文章による初夏点描です。今年は夏の訪れが早いようです。楽しみにしていたヤマナシの花も随分
と早く開花したようで、GW後に様子を見に行ったときは既に満開を通り越していました。田に水をひくのも例年より早いようで、今日 絵を描きに行った甲州街道沿いの田んぼでは、既に田植えが始まっていました。当家では今年から再開した畑で、ジャガ
イモやトマト、キュウリ、長ネギなど、既に大方の野菜の植え付けを終えています。そう言えば、今年はカッコーの鳴き声を聞か
ないうちに植え付けを始めてしまったわけで、思い返すと霜の終結を知らせるそのカッコーの声、今年は聞かず仕舞だったように思い ます。至る所、新緑はどんどん深緑へとギアーチェンジしているようで、むろん高低差のある当地では、そのいろいろなステージが楽 しめるわけですが、通いなれたどのスポットに行ってみても、季節の進行はこちらの予想を上回るスピードです。この分だと夏が長くな るのか、或はまた猛暑が来襲するのか、ともかくも、山麓の暦も急速に夏モードに変わりつつあります。

 山麓絵画館に今日のスケッチを載せましたが、この場所は小淵沢から甲州街道に下って西進、長野県に入って蔦木宿を過ぎて間 もなくの左手、釜無川を渡る橋の近辺でスケッチしたものです。川向こうの集落は北杜市白州町の大武川という地区で、ここはお隣の 長野県に半島のように突き出た一角。前面を川、後ろを迫りくる山に囲まれた孤立地帯の様相を呈した山梨県の集落なのです。今 日は晴れなのに霞がかかっていて山が良く見えなかったので、このような里の風景を描くことに方針転換してこ
こにやってきたのですが、実はこの地も季節ごとに様子を探りに来ては写真撮っては帰っていた場所で、一度は絵にしたいと思って いたスポットです。むんむんとするような新緑を描き入れたかったのですが、改めて風景と対峙すると、新緑というよりも背
後の山の様子は既に夏が迫り下りてきているようで、絵の題名も従って「夏迫りくる」としてしまいました。それでも手前の釜無川沿い には白いニセアカシアの花が咲き乱れ、川の流れもまだ春特有の勢いのある水量で瀬音も高く、まだ春の風情でした。
 途中の水田では至るところ田植えが始まっています。今日は5月の週末のせいか、一家総出で昔ながらの人手に頼った田植え光 景が繰り広げられています。大勢の人影に混じって子供たちが畦道で遊んでいたりで、なんだか懐かしい一幕に巡り合え
て嬉しくなりました。

まきば公園のヤマナシは5月
8日現在でもう満開。

5月12日に訪れた浅川集落は
田に満面の水を湛えていました。

5月21日、山麓では田植えが始まっています。
<追記> 5月21〜22日の週末を過ぎると、山麓の田圃では早苗の列が急に目に付くようになりました。この前後好天に恵まれた ことと、週末の人員動員による作業進展のせいなのでしょうか、いっとき空を映した青い鏡模様のような水田の光景も、この辺で見納 めのようです。この間、併走するようにして連日気温上昇が続き、大気は霞がかって山の展望を遮る日が多くなりました。北海道が日 本で最も暑くなる日が続いたのもこの間のことです。幸い我が北杜しては、気温が上がってもまだ夏日止まり。甲府などと同じ典型的 な内陸にありながら、ときに6,7度もクールな気候の中で夏を過ごせるのは、ひとえに高原たる標高の違い故。この季節になると改 めて思い知らされます。


○ GWの表裏(5月3日記)

 もう5月、GWも半ばとなってしまいました。GWの進行はどうでもいいのですが、私にとっては今年ももうこんな季節! というのが驚 きであり、嘆かわしいところであるわけです。春たけなわからもう直ぐに夏、というこの間のスピード振りは、季節の移り変わりの中で 一番かも知れません。まあしかし、そう愚痴ってばかりいても始まりません。この山麓が1年のうちで一番賑わうGWは、例によってク ルマ密度も人口密度も急速に高まっています。お昼ともなると、普段あまり人気もないレストランも駐車場は満杯。人気店となると空き 待ち状態となっています。小淵沢に来たことがある方ならよく分かると思いますが、ICから北上して道の駅の交差点まで、そこを右折 して突き当たったT字路を右折したリゾナーレ八ケ岳まで、逆に左折だと100メートル内外の道沿い・・・この一帯を小淵沢銀座と称 し、道沿いにはレストランが10数軒、コンビニ2軒、ホテル2軒、それに道の駅や温泉施設も建っています。この時期、そこにクルマと 人が集中するわけで、なるほど銀座と称したくもなるこのGWです。と言っても超一流店があるわけではなく、店と店の間隔もスケス ケ、クルマ社会ですから銀ブラもどきの歩行者もほとんど見かけません。これらの施設によるGWでの売り上げが年間売り上げにめ る割合がどれほどなのか(今度何かの機会に訊いてみたいと思いますが)、この時と夏休みシーズン特にお盆の頃の売り上げを併せ ると、年間の半分近くには行くのではないか? そんな下種な勘ぐりさえ頭の中をかすめます。
  私の家はこの一帯から北東方面に1.5キロほど離れた緑豊かな一角なので、銀座の喧騒とは別世界、今日は木々を激しく揺
する春の風音が聞こえてくるくらいです。花々に新緑が取って替わり、その新緑は日ごとに濃くなっています。例によって、周辺
に数多くある別荘にもクルマが駐車しています。いきなり生活じみた話題になりますが、昨日はゴミステーションに行ってみると、燃え るゴミの小屋は天井近くまで埋まっていて押し込むのに一苦労しました。このゴミステーション、実は我々の住む篠原区の
財産であり、区民が管理している施設です。本来は区民以外の人が利用できるような筋合いではないのですがこんな状態で
す。むろん中には別荘会員となって応分の負担をし、利用有資格者の方もいますし、別荘によっては管理組合がゴミ処理に当
たっているところもあります。中にはゴミを持ち帰る方もおられるようで一概には言えないのですが、これだけ満杯となるということは 大勢の別荘族が勝手に捨てて帰るという証拠でもあります。今に始まった問題ではありませんが、ゴミ処理に限らず、側溝の清掃と か道沿いの草刈、街灯や標識の整備など、区民の手で住環境が守られていることに対し、別荘住人は押しなべて目を背けがちです。 満杯で賑わう華やかさと、これまた満杯のゴミステーションとは、GWの表裏をなす姿と言えるでしょう。

 釜無川に沿って続く七里岩の森は、いまが新緑の盛
り。むせかえるような黄緑色の樹木群が一斉に膨らみ
せめぎ合うように空間を埋めていく様は、さしずめ春の
シンフォニー、第三楽章といったところ。やがて終楽章
にかかり、最後のコーダが鳴り止めば、森はたちまち夏
の装いと化していくことでしょう。


 さて、ちょっと話がスライスしてしまったので元に戻しますと、写真のように山麓はいま、鮮やかな新緑で潤っています。古くか
らの集落には鯉幟が翻っていて、天気が良ければ残雪の山も目に鮮やかな五月晴れの風景となります。沢山絵にもしたい5月です が、季節の進行が早すぎて追いつけません。少し遅れ気味で春の絵も登場させる予定でいます。ともかくも一年中で一番
爽やかで光り輝く季節! 因みにこの私メは5月生れ。人間も然りで爽やか・・・と言えるようでありたいと願う次第であります。



○ 2020年東京オリンピック・エンブレムのこと(4月27日記)


  


○ サクラ前線迫り上がる(4月12日記)

 強い寒の戻りがあって氷点下の朝を迎えた今日、陽が上がるとみるみるうちに気温も上がってきました。一昨日に続いて今日もサ クラのチェックで外出。家の周辺では開花寸前という感じだったサクラですが、高度を900〜800bと下げていくと、二日前に走った ときとはがらっと様変わりで至る所既に満開! この八ヶ岳山麓にも漸く遅い春爛漫がやってきたようです。少し時系列を整理して言 いますと、二日前に取材したときは甲州街道まで下って行って初めて満開のサクラを目にし、武川の実相寺やその上手の實原の並 木では、まさにピークに発達した雲のようなサクラを目にしました。それからさらに足を延ばし、穴山のフルーツロードまで上がってくる と、こちらはモモと菜の花とサクラが一斉に短い春を歌い上げているようでした。それでも我が家から少し下ったいつも走り回っている 一帯ではまだ開花の手前で留まった板状態だったのです。それが2日後の今日は堰を切ったように満開です。いつもは町中に位置し ているので余り足を運ばないン長坂湖に行ってみると、ここならではの華やかなサクラが咲き
誇っていて、その密度が見苦しい建物群を隠してくれています。こうなると、甲斐駒や鳳凰三山を背にした湖畔の風景もなかな
か見事なものです。とやかく言うよりも写真をご覧いただいた方が一目で分かりますので、何点かご披露します。


武川は真原のサクラ並木


新府の桃園


長坂湖畔のサクラも満開


○ 春先の諸々(4月4日記)

 開花の便り

 毎年のことながら、ここ八ヶ岳高原では実際に開花を見る半月ほど前から、里からの開花便りが来るべき春を告げるかのようにあ ちこちから聞こえてきます。所用で高原を下ると、先ずは白いコブシの咲いている光景が目に飛び込んできて、季節の先行を目の当 たりにできます。さらに下って韮崎から甲斐市辺りに来るとサクラも満開!気温もグッと上がって、こうなると、振り返り見る八ヶ岳はま るで別世界のような佇まいを見せていて、私はそんな世界から下界に下りてきた異人種のような存在に思えてしまうわけです。それで 帰りは高原に舞い戻るにつれて季節が逆戻りしていく様を目にできます。我が家近辺ではコブシが漸くほ
ころびようとしているところですし、サクラは薄茶とピンクの混合色となった梢がざわめき始めているといった様子です。ここ数日はぐっ と気温も緩んできて、当家でも暖房の電源を切るか切らないか微妙な気候となってきましたが、4月に入ったばかりの八ヶ岳高原は、 まだ野に満つる光はあれど 若草も敷くによしなし・・・"といったところでしょうか。

我が家近くの光景。形のいいコブシの木に花が
咲き始めました。

そして2日後にはこんな感じに ↑

★ 房総へのノスタルジック ツアー(3月29〜30日)

 そんな季節に、かねてからの念願であった房総半島の保田に行ってきました。現在の正式名は千葉県安房郡鋸南町で、房総西線 の鋸山トンネルを抜けるとそこが鋸南町保田です。物心がついてから小学校2年の春まで、私は疎開先であったこの保田で幼少期を 過ごしました。その保田の住まいは、東京に引っ越してのちもずっと残っていて、私は毎年友人と連れだってその家で夏を過ごしたも のです。中高生から20代くらいまでの青春時代のことでした。社会人となって何年かの年月が過ぎ、両親も亡
くなって兄弟5人の名義となって残ったその家は、その後廃墟状態で放置され続け、このままでは相続上も面倒なことになりか
ねなかったので処分に踏み切ったのが10年ほど前だったでしょうか。その後この物件を買った人が大きな建物を建て、かつての我 が家はその痕跡さえ留めなくなってしまいました。
 そういう歴史のある保田は、私にとっては故郷のような存在で、よく夢に出てくる場所というのは決まってこの保田の家というくらい、 思い入れが深い懐かしい存在でした。幸い2,3人は幼少時からの記憶に残っている人が保田にはいて、そしてどういう風の吹き回し か、東京で知り合った飲み仲間の一人がこの保田の地で第2の人生を送り、かつ私の幼馴染と仲良しだったリという偶然が重なっ て、家はなくなったものの保田との縁は繋がってきているのでした。加えて、私が絵をやり個展を開くような立場と
なったおかげで、近県に住む幼馴染が個展に来てくれるようになり、そういう懐かしい面々と一度は揃って保田に・・・という想いがずっ とあったわけです。 そして保田へのノスタルジーが募ったこの3月末に、そんな機会が実現。同級生だった二人の女性と久里浜で落 ちあい、フェリーで保田に向かい、保田在住の面々と再会して一泊を共にし、積もる話に花を咲かせました。幼少時代のそれぞれの 家の周辺散策は懐かしく、また次から次へと当時の人の名が出てきて、このツアーの白眉ともなる時間でした。それにしても、小学1 年生の時の通学路がなんと狭く感じられたことか! それに距離感も記憶に残るよりもずっと短い! この印象は誰にも共通するも ので、幼少の頃の低い目線で見ていた世界が愛おしく思い起こされるのでした。そしてこの目線の違いの中に66年の歳月が流れて いることを改めて実感した次第でした。

喫茶店「岬」のある明鐘の磯

小学校の裏山に登ると保田の町と海が見渡せます。
中央はこの海の風景を象徴する浮島。
・ 因みに、私たちが通った保田小学校は既に廃校となり、昨年末からその名も「道の駅 保田小学校」と命名され、TVでも取り上げら れたこともあってすっかり観光ポットとして生まれ変わっているのでした。教室はレストランや宿泊スペースに、講堂だったところは物 販センターに衣替えしていましたが、庭の一角にあった往時の二宮金次郎像はそのまま残っていました。むろん立ち姿勢、クルマが 危ないから座らせた像を作る・・・なんぞは金次郎の育った時代的背景を無視したまさに「笑止千万!」な仕業です。
・ 因みに続きで;
 房総半島はさぞや桜が満開かと思っていたら、内陸のサクラの名所となっている佐久間ダムでも、漸く開花したのかまだして
いないのかといった状況。 保田川の桜堤も同じような状態で、今や温暖の南房総より、都心の開花の方がずっと早いという、これは 既に全国的な趨勢なのでしょうが、そのせいあってお花見だけは機会がないままでした。
・ 吉永小百合主演の「不思議な岬の物語」の舞台となった鋸山先端部にある喫茶店「岬」にも立ち寄りました。ここは明鐘という磯の ある高台で、映画では最後に焼失してしまうのですが、ホンモノは映画の主人公(と言っても脚本家は何の取材もせずに自分のイメー ジだけで物語を作ったということですが)とともに、ちゃんと営業していて客足も絶えない人気スポットとなっていました。

★ また畑を始めることに!

 我が家西隣の茅の原は、既に東側が畑地として開墾され、移住してきた農業家が借りてこの春からジャガイモなどの植付けが始ま るようです。随分と木も切られ、かつての茅の原の面影がなくなってきました。他人の土地だから仕方ないと思っていた矢先、地主の Hさんが「栗原さん畑をやらないか」、その気があるなら当家玄関から出て10歩と離れていない所を耕起してくれると言うのです。それ なら、とお願いすると、たちまちユンボを操って100uほどの土地を耕し、次の日には鹿などの動物除けとして、伐採した木の枝を何 本も使った策作りが始まりました(写真)。私はさすがに疲れたので今日はお休みと思っていても、いつの間にかHさんだけでなく、ご 近所の夫婦もそこで立ち働いているので、当の私らが知らん顔もできず、意に反して連日作業が続くのでした。そうしているうちに立 派な柵ができ、二度三度と耕運機が耕し、私ら夫婦は皆のわいのわいのという労働に促されて、畑を始める体制になってきているの でした。しかしまだ、畝建てや施肥、苗や種芋の買い付けと、もうやることはないと思っていた労働に立ち向かわねばなりません。そう は言いつつも、女房にとってはこれが励みになり、大好きなジャガイモやトマトを食す楽しみとの引き換えとなる畑仕事ですから、わが 身に鞭を打ちつつ勤しんでゆく積りでいます。因みにジャガイモは男爵と
少々のアンデスを、あとはトマトとキュウリ、ナスくらいか。いずれにしても手間がかからずに虫も少なく草むしりの手間も省ける
マルチも多用しつつ、歩いて十歩の畑に、今年はせっせと足を運ぶことになりそうです。保田から帰った1週間は、農夫となって立ち 働く日々でありました。

鹿よけの柵に囲まれた畑。牛でも飼えそう!?


    ↑上は東側から撮ったもの。中央白い家が我が家。

○冬の名残の一日(3月15日記)

 ここのところ、朝はまだ氷点下ですが、次第に気候は緩んできています。未明まで雪という予報も大したことはないと踏んで朝カーテ ンを開けると、久しぶりに一面の白い世界です。10pくらいの積雪! でも気温の上昇に伴って直ぐ解けてしまいそうな
ので、身を引き締めねばという気持ちは何も湧き起こってきません。ここが真冬時と違うところで、雲が切れたら久しぶりに撮影に出 かけようと、暫くは家の中で待機していました。

・ 野鳥
 こんな雪の朝は決まって野鳥が我が家の餌台を目指して飛来してきます。今朝も然り、時折吹く強い北西風の間は木立の中に籠も り、合間を縫って餌台の先陣争いを繰り広げます。この日は常連のシジュウカラとカワラヒワ、それにスズメと珍しくイカルもやってきま した。そんな中で、これはヒマワリの種が目当てではないのでしょうが、見るとアカゲラが餌台を窺っています。正確には餌台の傘の 辺りを窺っていると言うべきで、ともかくもアカゲラはヒマワリの種は食さないので、この古びた餌台そのものを観察してそこに潜む虫 の存在を探しているのです。ここには度々こうしてアカゲラがよじ登ってくるので、餌台の枠が外れたり支柱に小さな穴が空けられてい るのは みんなこのアカゲラが主犯というわけです。それでも仕方ないと思えるのは、この自然が創り出した軌跡のような衣装とひょう きんにも見える愛らしい動きのせいです。今でこそアカゲラを見かけるのは珍しくなくなっていますが、当地に移住して初めてこの野鳥 に出会ったときはちょっとした感動ものでした。写真でしか見たことのなかったあの赤と黒と白の軌跡の衣装をまとったアカゲラが目 の前で動いている!!どうもこの体験が、その後の野鳥との親密な付き合いの
始まりでもあったかと今にして思います。そんなアカゲラ(この日はオス)の写真を撮ったのでここに披露させてもらいます。
        
    餌台によじ登ってきたアカゲラにはどこか不審な動きが。                 甲斐駒を背景に小海線のハイブリッド車両が・・・。

・ 今冬最後の降雪?
午前10時頃を回って漸く山にかかっていた雲が切れてきたので、これも久しぶりの撮影に出かけました。足下では既に上昇しつつあ る気温で雪が溶け始めているのですが、山の方はまだ深雪をまとったままです。春の気配が潜む里と冬山の同居、これが今頃の季 節を象徴する風景で、つまりは冬の名残を留めた最後の日々とも言うべきでしょうか。尤も、サクラが開花しても雪が積もることがあ るので、こうなると常日頃とは異なった珍しい風景ということになってしまうのですが・・・。ともかくも、冬の名残
を感じるのは悪い気分ではありません。それは春の兆しを感じる一歩手前とでも言うべきか、やはり春遠からしといった喜びが心の基 部に宿っているからです。この日は甲斐駒を中心とした南アルプスがきれいだったので、カメラはそちらの方ばかりに向いています。 ついでにフキノトウでも見つからないかと枝道に入り込んでいるうち、以前何度か来た小海線がループを描いて高
台へと回り込んでいるその内側に出てきてしまいました。小淵沢駅を出て西に向かい、ややあったから右手に大きく回り込んで高度を かせいていくそのループラインの懐といった場所で、ここは夏期には田圃アートが出現したり、甲斐駒を背景にした小海線の車両の 撮影などによく使われる場所です。クルマが一台停めてあってカメラマンが待機していたので、小海線のダイヤを知ってます?と訊く と、「11時14分発がもうすぐやって来ますよ」との返事。自分もカメラを構えて間もなく、電車の音が聞こえてきました。やって来たの はナント一日何本も走らないあのハイブリッド車両です! 撮り鉄ならここで○○系とか何とか直ぐ言うところなのでしょうが、私はそこ まで分かりません。ともかくもシャッターを何枚も切り、このハイブリッドの小海線と雪の甲斐駒という一枚をものにしたわけです。た だ、逆光だったので、銀色に黄と青のあしらったあの車両は写真ではよく分かりませんが・・・。

 降雪があっても春の足音は感じられるこの季節、毎年同じような風景なのに撮影に出かけたり絵を描いたりと、これまた同じような ことを繰り返しつつ待望の春を迎えています。ただその春の足音というやつは、年とともに嬉し差の度を増して感じられるのは私だけ ではないでしょう。もうこれで当地では11度目の春です。都会に較べれば変化の度合いはずっと少ないのでしょうが、八ヶ岳山麓でも あちらこちらで家ができたり太陽光発電のような今や当地では忌み嫌われ者の施設ができたりと、風景は年とともに変わりつつありま す。我が家の周辺も例外ではありません。今こうしてこれを書いているときも、我が家から数十bと離れていない一角からは古い別荘 を取り壊す音が聞こえてきます。我が家西隣の茅の原も、お気に入りのシラカバの大樹から向こう
側は今年から畑となる予定で、再耕起と堆肥まきが間もなく始まりそうです。そのためにかなりのアカマツやカラマツが伐採され、ひと 頃とは風景も随分と変わってしまいました。十年余の歳月ですから何かがなくなり、何かが現れ、そうして風景も少しずつ変わってゆく のは世の趨勢です。そのことをとやかく言うつもりはありませんが、そんな中でのこれからを我が身に照らしてみると、風景は急にピン トがぼやけて視界から遠のいていくようです。同時にこの話も行き場を失うのが関の山ですので、この辺で打ち止めとします。



○ ある月刊誌への寄稿ご紹介(2月11日記)

 以下は、「ふるさとネットワーク」という田舎暮らしの月刊情報誌に寄稿した文章です。ふるさと情報館という田舎物件を取り扱
う会社が発行している雑誌で、私もこの情報誌が発端で、現在の八ヶ岳に居を構えるきっかけとなった経緯があり、そのご縁で何度 か依頼を受けて寄稿したりしてきました。日頃・・と言うか、よくこのFノートでも書いているようなことのいわばマトメ的な文章でもありま すので、この場でご披露させていただく次第です。関心のある読者諸氏には一読してみて下さい。

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絵描きのひと昔
  〜八ヶ岳山麓から〜  ◆栗原成和

 八ヶ岳山麓に移住してから昨年の夏でまる十年、ちょうどひと昔が過ぎ去ったことになる。しかし、月日
が経つのが驚くほど早くなっている今の感覚だと、このひと昔はほんの数年に過ぎないようにも思える。
それでも、年月の証拠はちゃんと周辺に刻まれていて、例えば移住の時新築した我が家もそろそろ外
壁の塗り直しやデッキの修復をしなければならなくなってきたし、引っ越してから植えた我が家の庭木
は、一体どこまで伸びるのやらと仰ぎ見るほどに空間を占有しつつある。確かに同じ時は我が身にも刻
まれてきたのだが、それは化学変化を引き起こして変遷の道筋を曖昧なものとしてしまったようだ。

風景の引き出し
 そんなひと昔の間、私が変わらずにやってきたことは、絵を描き教えてきたことである。この地で風景
と対峙してきた十年、こちらの方は確かなとき≠フ集積を残してくれている。それはたくさんの作品と
は別に、たくさんの風景の引き出しという形での集積だ。 季節によって、時間帯によって、描きたいモチ
ーフによって、何時どこに行けばどんな風景に出会えるか・・この八ヶ岳界隈において、私以上に豊富な
引き出しを持っている人はいないのではないか。そんな自負さえ持っている。人呼んでビュー・ハンタ
ー=E・・誰もそう呼んではくれないのでこれは自称に過ぎないのだが、ともかくも、私は当地に来てから
風景を求めてあちこちを飛び回ってきたし、未だにその性癖はさして衰えてはいない。農道や畦道、怪し
げな山道、そこに行けば宝石が見つかるかもしれないと思うと、空振りも恐れずにとりあえず確かめに
行ったのだ。道が途絶えて引き返すのに苦労したり、いきなり他人の庭先に出てしまったことは枚挙に
暇ない。そうして出来上がった風景の引き出しは、いわば私の絵心のファイルとして絵描きの活動を支
えてくれている。

山麓の隣人たち
 さて、そんなファイルの中で主役を張っているモチーフと言えば、さびれた山間の集落なども挙げられ
るのだが、やはりこの地をこの地足らしめている山々であろうか。元々八ヶ岳山麓に移住してきた人達
には、山々に対する親近感とか畏敬の念を抱いている人が多いと思う。私もその一人で、山々に囲まれ
ると一種胎内に抱かれているような安堵感を覚えるのだ。この界隈には、八ヶ岳の峰々をはじめ南アル
プスの甲斐駒ケ岳や北岳、鳳凰三山、秩父山系の茅ヶ岳や金峰山、瑞牆山、さらには遠くしかしスッキ
リと全容を見せる富士山と、視線を巡らせば錚々たる名峰たちが佇んでいる。里の風景は年月とともに
変わってくるものだが、山は太古から刻まれてきた風貌を変えることがない。その個性豊かな風貌を私
は幾度となく絵にしてきた。目をつぶっていてもおよその輪郭をたどれるそんな山々は、いつもそこにい
る隣人のようでもある。風景は見慣れてくれば鮮度感が落ちていくものだが、毎年初冠雪した山々を見
ると気持ちが引き締まる思いがするし、雪解けの頃山腹に咲き始めるコブシを認めると心がほぐれる。
山々をめぐる季節の移ろいを目にすると、いつものことながら心の内が初期化され、鮮度感が甦ってく
る思いがするのだ。隣人たちがこぞってそんな四季の装いを見せてくれるのだから、ひと昔もの間付き
合っていても、色褪せることがない。

 私の風景の引き出しには、こうした隣人たちを望むポイントがいくつも収められている。何をどこで描く
か、どこに生徒さんたちを引率するか、私はその都度先ずは引き出しにあるファイルを手繰り寄せては
その光景を思い浮かべてみる。昨今しかし、お目当てのファイルになかなかヒットしないのは、寄る年波
とファイルが増え過ぎた両方のせいだ。それでも、絵心が退化しない限りこの引き出しは増え続けるだ
ろうし、この八ヶ岳界隈には次々とネタを供給してくれる深い懐がある。この引き出しだけは断捨離の対
象外であり続けると思う。

   

  広大な雪の畑から八ヶ岳西麓を一望      初冬の八ヶ岳東面(水彩画)      甲斐駒を背にした茅葺き集落
  (以上は掲載写真とそのキャプション)

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○ 暖冬〜厳冬2016年 1月25日記)

 今年も早一月が過ぎようとしています。雪も降らなければ梅が咲き出しているのを見かけたり、言われていたように暖冬だと思って 過ごしていたら、ここ一週間はいきなり厳冬期に引きずり込まれた感があります。結構な積雪があったのがちょうど一週間前、我が家 の周辺では40pかそれ以上積もったのですが、手を焼いているのはその後ずっと寒い日が続いて積もった雪が凍結して一向に解け ないことです。日射しがあっても寒い!今朝は我が家のデッキにおかれている寒暖計がついにマイナス10度を超えていました。幹線 道は除雪されていて道幅もあるのですが、一旦枝道に入るとクルマ一台分しか除雪されていないため、対向車があると交わすのに難 儀するわけです。注意しないとスリップのリスクもあるので、クルマで出かけるのは緊張感を伴い
ます。と言ってもクルマ社会、歩くとなるとなお大変なので、一番いいのは開き直って家に閉じこもり、ふんぞり返っていることで
しょうか。そんな昨今、山々は本来この季節はかくあるべきといった白い輝きをまとうようになって、こうなるとまた絵でも描かねばとい う気になってきます。年明け以降ずっと暖冬ダレのような気分に陥っていて、おまけに教室が始まったり地区の仕事が重なったりで結 構忙しく、絵とは遠ざかったままでした。早く絵描きに戻らねば・・・と目下自らを鼓舞させているところです。あと一
日二日でこの寒さも峠を越えるようで、そのあとはまた暖冬気味に推移するらしく、まあそうなると早咲きの梅などを探しに出かけるこ とになるのでしょう。
 この間の写真、地区のお正月行事の模様も含めて何点か載せます。

 1月17日に地区恒例の行事
 「どんど焼き」を実施。乾燥した
 大気を切り裂くように炎が勢いよく
 燃え上がりました。

 → 右は、子ども達が残り火に繭
 玉をかざして焼いているところ。


どんど焼き前日はこんな風に雪の欠片も
ない暖冬風景。金峰山から左瑞牆山への
山並もピーク近くにちょっとだけ冠雪が。
明くる朝はご覧の通りの雪景色。左と同じ
山並も厳冬期の表情に。
我が家のデッキから見渡す雪景色。雪明け3日目
なのに気温が低いので一向に雪が解けません。



以下は <2015年> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


○ 師走入り (12月4日記)

 友人との会話やメール交信の中で近ごろよく出てくるセリフ、それが「早いね〜月日が発つのが。あっという間に今年も終わりだから ね〜」。 同年代の誰もが抱く実感なのでしょうが、その早さが年とともに加速していく様は驚くばかりです。そしてこれを書いている今 日は師走入りして4日目。今朝は朝起きてカーテンを開けてみると、真っ白な光景が目に飛び込んできました。予報では何も触れてい なかった初雪です。一瞬身の引き締まる思いがしますが、今年は秋が早く通り過ぎたかと思っていたらその後暖冬気味。我が家の主 要暖房手段である蓄熱暖房機に電源を入れたのも、昨年よりずっと日がたってからのことでした。早くから枯れ木と化した付近の林 にしても、その後の暖冬傾向にやや身を持て余したかのように陽に晒されていました。初雪の今日
にしてもとびっきり寒いわけではありません。雪はすぐ解けてしまいましたが、分厚い雲に隠れた山々は、この1日でかなり白く
なっているはずです。こうなると、早く冬タイヤに替えねばと気が急きます。我が家はいつも馴染の修理工場に行って替えてもらうので すが、SUVの17インチタイヤなので最近は物置からこれを出してクルマに積み込むのが骨なのです。つい億劫になってもう少しいい か、となってしまいます。

 そんな季節、先日も書きましたように、私自身には年内の主要行事は終わってしまった状況です。いやいや、そうは言ったものの、 やっておくべきことは何時だってたまっている状況に変わりはないのでありますが・・・。その大きなことの一つが、今流行語のようにな っている"断捨離"。洋服類にしても、この先サイズが合うほど痩せるとも思われないので取っておいても無駄なもの
が山ほどあってこれが整理されていません。特にスーツ類となるともう着る機会もなかろうに、と思いつつ気に入ったスーツなどは相 変わらず洋服掛けのかなりのスペースを占有したままです。本もCDもしかりで、前回書きましたように、それでもなお新し
いものを購入しようと物色したりしているのですから、我ながら優柔不断、踏ん切りの悪さが情けないくらいです。それと、床下
にある倉庫には、かつていそしんだアウトドア関係の用品がこれまた山ほど眠っています。つい先日手にしたシルバー川柳の本に、 「想い出が 身辺整理の 邪魔をする」という一句がありましたが、そんな心境がよく分かります。これでは「断捨離」の本を
一度読んだ方がいいのかもしれませんが、アマノジャクな私はベストセラーなる本を買うなど無駄なプライドが邪魔して敬遠して
しまうのです。身辺整理・・・こういうことが身につまされるのも師走ならではのことでしょうか。

 冬の足音とともに賑わいを増すのが我が家の庭。デッキに備えられた野鳥の餌代目当てに野鳥の飛来し、時としてスケスケとなっ た枯れ木を埋めるように餌の順番待ちをします。特に天気が悪いと山でも餌が取りにくくなるらしく、野鳥たちの餌台データ
ベースにあるらしい我が家のそれに群がるのです。目下のところシジュウカラとヤマガラが主力ですが、もう少し冬が進行するとカワラ ヒワが勢力を伸ばしてきます。いつ見ても彼らの行動は愛らしく興味が尽きないところがあって、まさしく我が家の冬の風物詩となって います。それを家の中から眺めてはいっときをやり過ごすわけで、そんなことが度重なってだんだんと外に出るの
が億劫になっていくという塩梅です。例の散歩にしても(人がそう言うのに乗っかって、ノルディックウオークと気取っているので
すが)、朝一は憚れるようになり、だんだんと夕方近くの陽があるうちに時間帯が変わりつつあります。帰ってくるとその足で近所のス パティオという温泉施設に直行します。と言っても、この辺はどこに行くのもクルマですから、クルマを駆って温泉につかり、終わると暗 い中へッドライトを点けながら帰ってくるわけですが。

 とまあ、またしても絵とは関係のない話ばかりとなってしまいました。でも、"安心してください、描いてます"。忘れ去ったわけではな く、集中が途絶えがちながら描いてはいるのです。そんなわけで、再び流行語をかりつつ師走の一節を締めくくらせてもらいます。



○冬ごもり前(11月18日記)

 毎年11月も半ばを過ぎると、今年も残るところあとわずか、いくつかのイベントも終えてサアあとはどう過ごそうかと思いを巡らすこと が多くなります。ちょっとノートを手繰ってみると、昨年の紅葉の盛りの頃は久しぶりに高校時代のクラス会をこの八ヶ岳山麓で開催。 私が言い出しっぺの幹事役だったので結構事前チェックやら手配に飛び回ったりしていました。その一年前の2013年は画集の第2弾 作成(上梓が10月)とそれに続く11月には東京での個展という私としては大きなイベントが重なった年でした。こうした事々を順序立てて 列記できるのは、このマイノートの記録などがあったからで、それがなければ俄かには順序立てて語ることができなかったかも知れま せん。情けないことに…。子供や学生のことの記憶が鮮やかなのに直近の出来事がヴェールの向こうで判然としないのは、若いころ の記憶はそれだけ何度も思い起こす回数を重ねているのでしっかりと記憶に残っているのだ
という説もあるようです。直近の出来事程思い返している時間が少ないという訳で、果たしてそういう理屈が成り立つのか、もう
一つスッキリとは理解しかねますが。それはそれとして、さて今年の場合はどういう展開があって"今年もあとわずか"の頃合いに至っ たものか、思い起こすとこれといった節目となるようなイベントがなかった反面、何やらちょこちょこと忙しかった記憶ばかりです。   忙の理由の一つは私が住んでいる地区(小淵沢町の篠原区)での役員の順番が回ってきたことで、普段他人に任せている役回りをこ なさねばならなかったこと。 今一つは頸椎変形がらみの右肩と右腕の凝りと痛みに悩まされ、この不名誉な
事態によって制約され,普段のペースが乱されていたことが背景にあります。

  前者の地区関係の仕事はもう少し続くのですが、やはりこうした非日常の体験は忙しなさを増幅させずにはいられないも
のです。その反面、地域のことを考え、意見を述べ、行動するといった経験は、同じ地域に暮らす人たちを知り身近に感じて、私自身 の地域へのアイデンティティーを深められたまたとない機会でもありました。同時に率直な感想なのですが、大半が自分よ
り年下という一団の意向と行動力に付き合っていくのはちょいとしんどくなっている節は否めません。後者の肩凝り問題につい
ては、この対策として始めたウオーキングが何とか習慣化しつつあるのは我ながら上出来です。じっとして家で過ごすより少しでも動 いて血行を良くする方がいいことは頭では理解していたのですが、実際やってみてそれがさしたる時間を割いているわけではないの に歩くことがだんだんと快適さに繋がってきています。ここ一週間くらいは、枯葉で覆われた小径を朝日を浴びながら歩く心地よさが 加わりました。しかしその一方で、寒さが増すと外に出るのが億劫になりがちです。朝起きて雨などが降っているとウオーキング中止 の言い訳ができてホッとしたり、この先が思いやられる兆候が出始めていて、情けないですね〜、怖いですね〜。

  何をくどくど書いているかといえば、私自身の日常がこれまでとはちょっと違った中で、そろそろ冬籠りを迎える頃合いと相成った・・・ という次第なのです。大した次第ではないので、この先書き続けることも大した内容ではありません。
 肝心の絵の方は制作意欲が少し薄らいでいて、これじゃいけないと自らに言い聞かせているところです。背景にはここに至って次 の個展の計画がまったくないといった前例のない事態であることがあげられます。東京での個展もブランクがまる2年、こういうことは これまでありませんでした。県民である以上甲府で一度という気持ちは強いのですが、行動が伴っていません。企画
を請け負ってくれるというオファー(むろんこれは商売上のことですが)も煩わしく思えたのでお断りしました。なんといっても適当
な会場確保が面倒という阻害要因があって、次回個展は何も具体化していないのが現状です。こうした目標なくしては制作意欲も殺 がれるというものですが、やっぱり絵描きは作品の露出をしてなんぼ。そこに絵描きとしてのレゾンデートルがあるわけで、これを欠い てなお画面と向き合うストイックさとか自然体までは、わが身に未だ備わっていないようです。ウン、ということは未だ若いということ か! 勝手に悦に入っている次第です。

  以下、付け足し的に書き続けます。終活というものが以前から気になっていて、その一環となる書き置くものに着手したことがありま した。しかし保険関係の把握がちょっと面倒くさくなり頓挫したまま。と言っても大そうな保険をかけているわけではなく、証券類の在り かとか照合が思うに任せなかったからです。終活を始める一方で、これはどういうことなのか、私には新しいモノの購入意欲が今以 て衰えていないという、断捨離とは真逆の状態が止みそうにありません。その一例が音楽のCDを性懲りもなく欲しがること。私の場 合はかつて食器棚として使っていた棚が全部LPとかCDの音楽関係の保管棚と化しているのですが、中
には持っていることすら忘れたまま眠っているCDも結構あるのです。それなのにまた新しい音源が欲しくなる・・・それらをじっく
り聴いて過ごす時間が潤沢とは言えなくなっているのに・・・です。ネット通販という文明の利器もいけません。田舎暮ら


しでも関
係なく何でも簡単に買えてしまうネット社会です。最近はとみに往年の名演奏とか一時代を担った演奏家の音楽を聴いてみたくなり、 これまで拘っていた音質を度外視してネットで探し求めたりしています。最近手にした代物には、偶然ですが二人のクリフォードによ る演奏があります。一人がクリフォード・カーゾンという私の生まれる前にクラシック界で名を馳せた英国のピアニスト。彼のピアノは気 品に満ち、自然で心地よい粒立ちでモーツアルトの協奏曲や四重奏曲を奏でてくれます。こういう演奏を耳にするのは現代ではそうは ないと言えるのではないでしょうか。もう一人は知人から教わったクリフォード・ブラウン。こちらは若くして他界した天才ジャズ・トラン ぺッターで、才気に満ちた彼のソロは聴き手を酔わせ、特にしっとりしたフレーズはジャズの陶酔を
一段と深めてくれる演奏です。どちらも聴き応えがあって、優れた才能とは時代を超えて人々に感動を伝え続ける力があると改めて 実感。この二人の演奏などは、さしずめこの文章のタイトルである冬籠りの恰好の備えともなるものです。そんなわけで、物欲という煩 悩だらけの自分を少し戒めねばならないところですが、物欲もまた未だ若気の至りなのでしょうか。だとするとやっぱ
り私はまだ若いということで、またまた勝手な悦に入りながら、この変な理屈を以て本文の締めくりとさせてもらう次第です。



○ 2015年 秋点描(11月1日記)

 秋を探して描いたり書いているうちにもう11月。いよいよ秋深まると言いたいところですが、早朝は氷点下となる日も出
てきて、既に冬の足音が近づいてきているようなこの頃です。紅葉も今振り返ってみると、今年は早くやってきて早く終わりそう。ここ 何年かの記憶を辿ると、大体1週間ほど早いでしょうか。我が家の庭は普通今頃が鮮やかなのに、もう殆ど落葉してしまいました。こ の辺りの家は既に暖房を入れていて、我が家でも朝晩には補助暖房を欠かせなくなっています。そん
な季節柄、撮り貯めた写真を基に今年の秋点描をお届けしたいと思います。

 













刈田に猛禽類が飛来。稲のはざがけの上に留ま
り足で鷲掴みにしたネズミか何かの獲物を悠然と啄
み始めた。夢中でシャッターを切っているうちにやお
ら飛び立ったのだが、あとで調べるとこの辺で良く出
没するノスリであることが判明。稲を刈り取ると獲物
を見つけやすくなるらしく、秋はノスリにとってもかき
入れ時であるようだ。(10月6日)



   



八ヶ岳山麓には余り目にはつかないのだが池が
いくつかあって風景に変化を与えてくれている。

 左は野辺山の五光牧場の敷地内にある池。
のんびり絵など描きたいところだが、私有地で
夏場以外は人が居ないためこの日は写真に収める
だけで退散。(10月13日)



 上も野辺山の一画、かつて村営のスケート場
だった所が“ふれあい公園”として開放されている。
散策にはもってこいで、対岸を歩くカップルは我々と
殆ど同じシニア世代か、こうなるとなかなか好感が
持てるというもの。(10月15日)




 ススキの原の向こうに赤岳から横岳に伸びる
八ヶ岳の稜線が。野辺山も1500メートルを付近の
高地までは野菜畑も開墾されておらず、この
ような牧草地が広がる。(10月19日)

 

 ← 
  信州峠の所々、森が伐採されていてそこから
  瑞牆山の勇姿が望める。全山黄葉の落葉広葉樹
  の山並は、奇岩の山容をことのほか上手く引き立
  てくれているようだ。(10月19日)
            →
八ヶ岳南西録をぐるっと巻くように走
る八巻道路。大体1200bくらいの
標高を保つこの道路の周辺は、ちょ
うど紅葉の盛りであった。
(10月23日)







 



10月も終わりに近づくと川上村の山々は全山が黄色
く染まったカラマツの衣装をまとう。やがてくすんだ茶
褐色に変わってから葉を落とし、少しずつ冬着へ
と衣替えをしてゆく。   (10月27日)

  ← 
  良く散歩で通る我が家近くの別荘通り。紅葉は
  最後の華やぎを放って道行く人の目を楽しませ
  てくれている。 (11月6日追記)


見事に紅葉したカエデの前でスケッチする教室の
一齣。鮮やかな紅葉を描くのは案外難しい。
(10月20日)



   




○ 秋ですね〜(10月8日記)

 ここ千bの高原ではあっという間に秋に突入した感じです。紅葉は最低気温が8度を下回って寒暖差が激しくなると本格化すると言 いますが、当地の朝はここのところ4〜6度! 我が家の水道では凍結防止用のセンサーが働いて、朝一番に水を出すとなま暖かい 水が出てくるようになりました。今朝はまた風も冷たく、早朝の散歩でははじめて手袋をして歩きました。こういう陽は澄み渡った秋空 が上空を覆い、山もくっきりと姿を現してくれます。八ヶ岳も見上げるとカラマツの黄葉がかなり下ってきているようで、当地周辺ではシ ラカバやカツラ、サクラなどが色付いています。秋ですね〜・・・と、何故かこの言葉、こんな時節になると
改めて口をついて出てくるものです。"女心と秋の空"などと最近は余り言わなくなったようですが、それは女が強くなったのと男女双 方が中性化しつつある査証なのでしょうか。まあそれはいいとして、"秋ですね〜"には、そのあと直ぐ冬が来て、つまりは
直ぐ年が変わってという疾風のごとき時の流れに対する悲哀が込められているせいなのでしょう。“秋ですね〜”。

秋に因んだ少し身近な生活圏でのことです。
 私の住んでいる所は住所表記には載っていませんが、篠原区というかつての開拓村一帯です。現在は世帯数にして3百世帯ほどで しょうか。もうその半分以上が我々のごとき新住民で、別荘も多数存在しています。標高で言うと900〜千b強の八ヶ岳南麓の緩や かな斜面に広がり、篠原の森と称されたりします。もっと下の市街地に住む人たちは、あそこは一括りに"山"とて認識しているようで、 移住当初、ある木の株を探していたら「そんなもんは山に行けばどこにでもあるよ」と造園業の人に言われたことがありました。その 山というのは私らが住んでいる周辺のことだと知り、事実近所の林で捜し物だった株を発見して失敬し、なるほどそういう所であるかと 思ったものです。さてその篠原区には5つの組があって、今年は当家がその中の3組組長の任に預かっている年であります。組長の 仕事は諸々の雑用が多く、特に秋口からは防災訓練とか開拓祭、町(小淵沢町)の体育祭、区の文化祭と行事が軒並みで結構大変 なのです。今年はこの篠原区への入植が戦後直ぐだったことから開拓70周年に当たり、開拓祭も記念すべき行事となりました。そこ で、今年は子供達に開拓の歴史を教える紙芝居を作ろうと区長さんからの提案があり、中身は分かり易い漫画風の紙芝居を企画、 その際表紙だけはプロの画家に、ついては栗原さんに、とあいなった次第です。口車に乗せられて描くことになった紙芝居の表題は 「篠原今昔物語」。区民の共感を得るにはどんな情景がいいか、どんな色彩とか季節感が懐かしさを演出するか? などなどそれなり に考えて描いた一作が下の一作です。結果的に評判は良かったようで、ささやかながら区民の皆さんに貢献できて嬉しいことでした。 余談ですがこの紙芝居、絵をスキャンしてPCに取り込み、ナレーションも録音して、上演はプロジェクターとPCを繋いでスクリーンに 写し出すというスタイルです。自転車の屋台に群
がって飴玉を練りながら、といった光景ははるか夢の彼方・・・これも時代ですね。

   
  

○ 秋の入り口に(9月28日記)

 シルバーウイークが去って、わが高原の森のあちこちで目にした白いクルマがその姿を消しました。白いセダン・・・当地別荘族には これが多いということに、今回気付きました。白いセダンとなると、やはりこれは都会の象徴なのか、その姿が少なくなった現在、つま りは普段に戻った別荘地を散歩していると、ワゴンやいわゆるSUVタイプのクルマ、さらにはコンパクトや軽も多く、色的にはさまざま で決して白主流とは言えない山麓の原風景を再確認できるのでした。
 
 クルマのことはいいとして、散歩をしていると最近はあちこちでクリが落ちているのを見かけます。所によってはそのクリのイガイガ を避けて歩かねばなりません。よく足元を見ると、中には虫の喰っていないきれいな皮のクリも見かけます。それで思い起こすのは1 0年ほど前、私たちが当地に移住した当初は、嬉々として栗拾いをしたものでした。拾ったクリは皮をむいてふかして食しました。都会 ではありつけない森の恵み! クルミも探したし、春はタラの芽などを発見すると我先にと採って帰ってきたものです。それが現在はク リが落ちていても目線が行くだけでという始末です。周囲には拾っている人の姿も見かけません。ちゃんと
選別して拾ってくれば、それはそれで美味しい秋となるのに。また、今年は9月に入って雨が多かったのでキノコがいいようですが、森 に入り込むのが億劫で重い腰が上がりません。タラの芽もこの辺のモノは香りが立たないものが多く、今は見かけても触手が伸びま せん。それでも芽が摘まれているケースが多いのは、いっときの我々のような新参者が手を出しているのでしょう
か。自然の恵みに対する我々定住者の鮮度感は、案外長続きせずに低下しているものらしいのです。加齢という曲者もまた感度を鈍 くしている犯人なのでしょう。そりゃ〜買ってきた方が粒はそろって大きいし甘いし・・・我ながら現実の味っ気なさを冷めた目で呪った りする昨今であります。
 
 白いセダンが去ったことも、栗の実が落ちていることも、つまりは本格的に秋が始まっていることを意味します。そういう目で周囲を 改めて見渡すと、漸く我が家のカツラの葉が黄ばんできました。どうもまだらだし色もくすんでいて鮮やかとは言い難い黄葉の始まりで す。シラカバも株によっては黄葉が始まっています。これも我が家のすぐ西隣ですが、広い萱野原(現在はカヤが減って雑草の生い茂 る草地となっている)では、気が付けばこれはフジバカマの仲間でしょうか、薄紫の花穂が群落をなしています。黄色い小さな花は何な のか? 私も然り、我々人間はすぐ名前を知りたがりますが、草地の中に季節が来れば密かに花を咲かせる命がある・・・本来はそ れで十分なわけなのですが。いずれにしても、今年の秋はどんな具合になるのか、天候不順が黄葉にどう影響するのか。楽しみと心 配が半々で秋を迎えました。写真のように、既に高い空が
広がっています。
 〜以下の写真は我が家の西隣に広がる草地で撮ったものです〜
←フジバカマが群生


天高い秋!



○ オリンピック エンブレムのこと(9月17日記)



○残暑見舞いなど(8月10日記)

「皆様 残暑お見舞い申し上げます」

  もう今年も残暑の季節となりました。ちょうどお盆休みの週で、当地はいつにないクルマの数で高原の非日常たけなわです。もう海で はクラゲが出始めているんだろうな〜と、少年時代は房総の海で毎年過ごしていた私としては、山に居ながら
もこの季節の海のことが頭を過ぎります。ニュースを見ているとクラゲどころかもっと怖いサメの出現とか! この映像が出てくると決 まってJAWSのテーマが流れるので、怖さが余計募ります。お陰様で八ヶ岳高原はそういう恐怖とも無縁で、このところ何度も接近し ている台風に見舞われても、四方を囲む大きな山塊が勢力を殺いでくれます。今年はしかし、この高原でも連日32〜33度という具 合で、家の中で息を潜める毎日が続いています。大概の家はエアコンなど装備していないので、こうして息を潜めて日が傾くのを待つ わけです。それでも夜は熱帯夜とは無縁なので、都会に暮らす人たちが気の毒。
TVの街頭インタビューで、「早く冬が来ないものか」と発した人が居て思わず笑ってしまいました。しかししかし、その気持ちは分かると しても当地の冬はやっぱり早く来て欲しいものではありません。それどころか、札幌の友人は、お盆が終わると紅葉、そして早くも雪が ちらつく冬の到来を連想するのだそうで、所変われば季節の感じ方は随分と変わるものです。

・肩凝りの話・・続き
 前回書いた肩凝りの話ですが、その後の経過を少し綴ってみます。前回書いた6月末以降かなり紆余曲折がありました。先ず、牽 引とか電気治療はどうも思わしくなく、また通っていた整形外科のリハビリスタッフがいい加減なので自主的に取り止めとしました。ど うしたものかと思案していた頃、腰痛は脳の誤作動によるとしたNHK特集を目にし、これは頸椎〜肩腕痛にも当てはまるのではと勝 手に解釈して、恐れず身体を動かすことを試み始めたのでした。痛み止めを服用しつつなるべく身体を動かす、散歩も始める、草刈 りなどの肉体労働もするように方針転換をした訳です。次に、何人かの勧めで県下でも有名なK整形外科に行って(全て予約制で電 話してからとれたのが何と3週間先でした)MRIもとってもらい詳しく診てもらいました。診断は同じ
でつまりは頸椎の一部変形による神経の圧迫が諸悪の根元です。対応策としては、薬が効くのなら当面それを服用しつつスト
レッチなどなるべく体を動かすといい、リハビリは止めた方がいいという我が意を得たりの診断。大いに気をよくした私は、その後も勇 んで普段通りを心がけた自主トレのような毎日を送っている次第です。
 お陰様で、あれほど悩まされていた肩と右腕の痛みは、かなり後退した感じで、これが一時的かまだ予断は許しませんが、最近は 毎日欠かせなかったロプソニンも殆ど張らずに済んでいます。もちろん油断は禁物。 いい気になって長時間PCなどに向かっている と、肩こりの再来のようなものを感じたりします。それに、首のかったるさとも言うべき症状は相変わらず残っていて、首を快適に保持 してくれるハイバックの椅子もいいものが欲しいという気が強くなってきました。ついでながら、例のNHK特集の話は、K整形外科の先 生に訊くと、全てのケースに当てはまるわけではないものの、研究が進めば治療シーンも変わってくるかも知れないとのこと。それと、 私のケースは悪化すると真っ直ぐ歩けなくなる事態となり、そうなったら手術しかないとのことでした。このところ、毎日とは行かぬまで も散歩も日課となり、ここ2,3日は久しぶりに絵を描いたりもして(本日アップしました) 、まあ少しずつ健全な方向に立ち直りつつあ る・・・そういう実感に我が身を鼓舞しつつ過ごしている夏であります。



○デザインと東京オリンピック(8月1日記) 


 

○梅雨の合間に(6月29日記)

 個展終了以来、しばらく手を付けられないままだったこのHP,少しは賑わいを取り戻したいとこれを書き出しました。実は以前書い た肩凝りが目立った回復をみせないまま2ヶ月余り、梅雨空以上に鬱陶しい状態が続いています。それで絵も満足に描けず、このFノ ートにしても長期間PCとの睨めっこは肩凝りの大敵、ために暫く手つかずの状態を余儀なくされてきました。

・ その肩凝りのこと 
 整形外科医でレントゲンを撮ってもらったら、痛みの原因は頸髄にありました。第5と第6頸椎の間が狭くなっていて神経 圧迫し、そ れが肩から腕にかけての神経を刺激して筋肉を凝らせているのだそうです。私の場合は右側だけで、この治療には首の牽引と局部 に電流を流す電気治療が有効ということで、それを始めたのが先々週のことでした。しかしどうも、牽引の方はかえって痛みが増すよ うで思わしくありません。電気の方は幾分肩が軽くなる感じなので、こちらの方は続けてみようかと思っていると
ころです。一方で痛み止めの飲み薬と貼り薬は相変わらず併用していて、一時的にしてもこちらの効果は高いので当分頼りとするし かありません。いろんな人の勧めもあって、MRI も含めた精密検査を改めてやってもらうことも考えています。この間、友人の経験談 に習って、枕も変えてみることに。テンピュールの低反発枕というやつで、現在 納品を待っているところです。こういう
事態に陥ってから思うことは、世の中には同類相哀れむ同士とも言うべき人や経験者が結構たくさんいるということです。それぞれ一 家言あるし関心も高いようなので、私の場合の顛末もしばらく書き続けてみることとします。

・ 新聞をとる
 最近、10年ぶりに新聞を取り始めました。以前書いたことがあるのですが、当家周辺の主要道から外れた枝道となると配達の対象 外。それでも、とりたい場合は主要道沿いに設けたポスにいれてもらい、当家だとそこまで百数十b歩いて取りにゆく以外になかった のです。これでは冬場など大変です。それが当地区の配達業者が変わり、家のポストまで配達可能となったのが
つい最近のこと。私らがそのことを知ったのは、ご当地の山梨日日新聞(通称サンニチ)が個展の取材に来てそれをイベント欄
の記事にしてくれたことがきっかけでした。その記事の載った新聞を配送業者が20部程家に持ってきてくれたとき(こんなことがこの 辺ではあるらしいのです)、今後はちゃんと配達できるので是非、とお願いされたのでした。それで我が家では新聞が必要なら買いに 行くものから、毎日配ってもらうものというごく世間並みのレベルに引き戻されたわけです。それから10日ほどが経つ
のですが、10年も続いた習慣とは恐ろしいもので、私も女房も朝起きても新聞が来ているという事実を認知しないまま、先ずはTVを つけてはしばらくボーと過ごし、朝食を終えたころになって、そういえば、と思い至るという始末なのです。その一方で、あの手にして開 いてみる一覧性という新聞の魅力は、まだ10日ほどしかたっていないのに早くも色褪せてきつつあるようでもあり、
加えてこれは老眼の進んだせいもあるのか、読むという意欲も予期したほど甦っても来ません。意外だったのは新聞に挟まれている 広告を見る新鮮さで、女房などはこういう楽しみがあったことを忘れていたと言います。広告とは、案外と世相を物語っているよ
うな処があって、考えてみると新聞から遠ざかっていたハンディキャップがあるとすれば、この毎日の広告に接していなかったことによ る日常情報との乖離という面の方が大きかったのかも知れません。


○個展のアレコレ
 話が前後しますが、久しぶりの「おいでやギャラリー」での個展のことです。

・肩凝りと個展
 肩凝り問題もあって準備もままならず(例えば出展しようとしていた数点は描けずじまいに終わったり・・)、会場に詰めていれば肩の 痛みが増すだろうとの恐れもあったり、はたまた案内のDMも印刷が上がってみると出来映えは最悪。こうなるともう開き直り、今回の 個展はあまり気張らずに、軽いタッチの絵も交えて数を揃え、気を楽にして臨もうと思って始まったのでありました。それが開催後は 雲行きが変わってきたようで、新聞社が3紙もイベント欄に写真入りで取り上げてくれたのはこれまでなかったこと。先の山日に至って は、小さい扱いながらも取材記事まで出してくれ、そういうことが幸いしたのか新規のお客様も大勢来られ、また今回は昨年9月以来 という短いインターバルりであったことから人々の記憶に新しかったせいか、思いのほか大勢のお客様が足を運んでくれました。とり わけ、熱心な来場者や、既に何度も来ていただいている馴染みの方々からの熱い視線を感じることができ、開催者として手ごたえの ある個展となったことは感謝に堪えません。加えて、当地での個展では通常あまり期待
出来ない作品のお買い上げがあり、それは個展終了後に吟味の上購入を決められたケースも含めて大変作家冥利に尽きることでし た。改めて御礼申し上げます。肩の力を抜いて臨んだ今回の個展、開催中はひどい肩懲りと闘ってきたものの、終わればホッと肩の 荷が下りる結果となったという、何やら肩繋がりの顛末となった次第です。

・やっぱりアナログ?
 会期中、一人でやってきた高校生とも大学生ともつかぬ男子のことです。一通り見終えると中央の長椅子に陣取って「やっぱりアナ ログはいいな」と独り言のように漏らすのです。話しかけると、山の絵をどう描くかに関心があったようで、つまりは絵を描く
男子である様子。どんな絵を描くの?水彩? と私。するとこっくりと肯いてキャリーバッグの中からipadを取り出すのでした。怪訝な 表情の私に、「デジタル」とその男子はごく当たり前のように言い放ち、その場で画面を開いてストックしてある作品を見せてくれまし た。そして別に要求したわけではなかったのですが、その場にあった花をモニター上のパレットとタッチペンを使ってサラサラと描き始 めるのでした。ややあってから再び彼のところに戻って画面をのぞき込むと、確かに花の水彩画が出来上がっています。なかなか器 用でそれなりの技量と言えます。背景の表現について少し感想を述べると、意を汲んだ彼はたちどころに消したり別の色を加えたりグ ラデーションを付けたりで、それはそれでかなりいい方向に改善されて満足気ではありました。「でもや
っぱりアナログがいい」と再び漏らした言葉を耳にして、彼が何を言っていたのか私は初めて了解するのでした。彼は、デジタル水彩 のこうした簡易さという利点を楽しむ一方で、物足りなさとか表現しつくせないもどかしさを感じ取っていたに違いありません。私の絵に 接して「やっぱりアナログが・・・」と言わせたなら、それは若い者への刺激となったわけで幸いなことです。それにしても、I T 申し子の ような世代には、水彩画と言えばデジタル水彩とアナログ水彩という二つが先ずありきということなのでしょうか。私にはとんと実感の 湧かない現実を垣間見せられた思いを禁じ得ないのでありました。



○連休が明けて(5月9日記)

 連休だ、GWだと言っても、年中連休の身には特にどうと言うこともないのですが、やはりGWが明けたという感慨は禁じ得ないもの です。それは、世間とは遠縁となりながらもそどこかで繋がっていたいという心理状態と、身を以て体験する周
辺のGW狂想曲といえる様相のせいと言えます。一年の暦で言えばやはり大きな節目であるGW、私らにとってはGoldenではないに せよどこか格別のWeekというわけです。

・賑わい
  非日常の卑近な例が常にないクルマの数! それは山麓では滅多にお目にかかれない車列に遭遇したりして、それをやり過ごす べく停止していると、今度は待っている私の後ろにたちまち別の車列ができてしまう・・・という都会生活ではありふれた渋滞に久しぶり に巻き込まれたときに感じます。都会ではごく普通のことが、この静かな山麓の一交差点で起こっているわけです。小淵沢はICから 道の駅やアウトレットのある一帯、そこからさらに東寄りにリゾナーレやレストランなどが点在する辺り 〜ここらは小淵沢銀座などと 俗称があるようですが〜ここは我が家からも1〜2`の場所。ここでは、クルマや人の往来に交じって時々乗馬の列が通り過ぎます。 何だか久しぶりに表参道(いやいや少し遠慮して千駄ヶ谷界隈?)にでも来たかと錯覚するくらいでした。施設の駐車場もレストランも 人とクルマであふれかえっています。この賑わい!面食らうというよりも、かえって懐かしくも思うもので、そうなると腹立たしさなどは打 ち消されてしまうようでもあります。みんな一生懸
命遊んでいる、その姿は傍目にもいじらしくすら思えるというものです。

・肩凝り
 そんなGWに入る以前から、私はかつて経験したこともなかった肩凝りに見舞われてきました。2週間ほど前からそれは始まって、 はじめは夜も眠れないほど、どうあがいても痛みが収まりそうもない日々を過ごしました。医者は内臓からくる疾患と関連したものでは ないとの診断で、即注射、その上で張り薬と飲み薬を施され、薬の助けを借りて忍んできたのですが、凝りは方から右腕の超けだる い痛さを伴って飛び火してきました。漸く痛みが和らいでどうにか普通の一日が遅れるようになったのが、つい2,3日前、それでも根 を詰めて何かをすると痛みがぶり返してくるといった塩梅です。これまで肩凝りとはほとんど無縁でやってきた私がなぜこうなったの か? 犯人探しをしてみるに、容疑者らしきものが浮かび上がっては
きます。一つはメガネの度(特に近い方)が合わなくなってきて、ここ半年ほどはPC作業をしていると肩が凝る傾向が出ていたこと。も う一つはなかなか思うに任せない身辺の諸事情がわが身に降りかかっていたことです。後者の事情の一つには、今年度が私の住ん でいる篠原区の第3組組長をやらねばならなくなり、年度初めから夜の会合(酒などは一切関係あ
りません)が続いたり、慣れない区費の徴収に奔走したり、一応32世帯を管轄する立場で動き始めたことがいつにないス
トレスとなっていたことが挙げられます。事情その二として、5月末からの個展に向けて頼んでいたDMの印刷ミスがあって出来上がり が十日以上も遅れ、加えて印刷の色調が信じられないほど悪い上がりであったことが、焦りと落胆の二重のス
トレスとなったこともありました。さらに・・・。第3の容疑者として浮かび上がるのは、もう聞き飽きたくらいの"加齢"という問題です。こ ればっかりはどうしようもありません。何が真犯人かは置いておくことにして、何事も開き直って事態を受け入れるしかないわけで、今 こうして何とかFノートなども書き付けているのもそんな開き直りの一環です。言い訳になりますが、この間絵筆も取れないままだった ので、個展に向けての巻き返しが図れるのかどうか。新作のいくつかについて、計画は先送りととなっている状況です。

・新緑
 それにしてもなんとお天気に恵まれた1週間だったことでしょう!せっかくのサクラのシーズンが悪天候で色褪せた分、それを取り返 すかのように新緑の訪れは例年より早くしかも好天に恵まれて例年にまして輝きを放っています。特にこのGW期間中は、山麓でも黄 緑色の萌えるような新緑がふもとの方からせり上がってきて、訪れた人たちの目を楽しませたに違
いありません。そんな好天を肩凝りのせいで恨めし気に見ていた私も、取材のために人のやってきそうもない地域に出か
けたりしました。須玉は増冨ラインに沿った比志や小尾の集落、川上村から野辺山にかけての畑地、白秋は国道から山の手に上が った一帯、どこもGWとは無縁のいつも通りの佇まいです。私が好んで出かけては描いたり写真を撮ったりしている地域は、人が集ま る観光スポットからは随分とかけ離れていることを改めて気付かされるのでした。アマノジャク故か、私という絵描きの目の好みによる ものか・・・いずれにしてもそこここに溢れるばかりの新緑は清々しく、爽やかな気分にさせてくれるものでした。残念なのは、ここ何年 か顕著となっている急速な夏化現象とでもいうべき気象状況です。芽吹きの春
はできることならゆっくりと時間が経過していって欲しいと思うのは私だけでしょうか。



○春点描(4月15日記)

・ せっかくの春なのに
 せっかくの・・と嘆くのは、この天候のことです。ようやく4月、桜前線もすぐ近くまで上がってくるというタイミングで、雨や曇天、寒の 戻りと続き、今日まで晴れ渡った日は一日か二日という有様、これだけ日照量の少ない4月はないと言えるのでないでしょうか。今年 は春爛漫の風景を描いてもらいたいと教室の日程を集中的に4月に配したのですが、どうにか外で描けたのは一回だけ。今日も朝 窓を開けると青空が!と思っていたのも束の間、一転かき曇り今こうしてFノートを書いている今は、雨音が絶えなくなりました。この恨 めしい気分を煽っている一因は、最近手にした新しいカメラにもあるのです。7日に手元に届き、いろいろ設定をやり終えていよいよ サクラなど春の撮影を、と意気込んで以来、日差しが遠ざかったままなのです。

・ 新しいカメラ
 ちょっと触れたカメラのことで、最近これを買い替える羽目になりました。私はペンタックス党でもう何台もペンタックスの一眼レフを 使ってきたのですが、どうも昨秋あたりからピンが甘くなっていると感じていて、それがもしかすると加齢による手の震えとか(そんなこ とは未だ自覚していないものの)、或は最近とみに焦点が合いにくくなった目のせいだと思ったりしてい
たのでした。ところが、2月だったかファインダーに小さなゴミか黒いしみのようなものを取り除いてもらおうと、ペンタックスの(現在は リコーの)修理センターで点検してもらったところ、ゴミは問題なく除去できたのですが、カメラがあとピンになっていて、これを直すのに 必要な部品がもうないというのです。どうもあとピンとなった原因はカメラに与えた衝撃であるらしく、
そう言えば・・・と思い当る節が結構あるのです。粗末に扱ったことへの反省と同時に、買ってからまだ7年だというのに部品がないと はどういうことか!という怒りが湧いてきたのでした。どうも昨今の電化製品然り、通信機器にしてはなおさらなの
でしょうが、製品の寿命はどんどん短くなり、それに伴ってアフターケアーの体制も部品の用意もどんどん手薄となっているようで、こ れが時代と割り切らねばならないのでしょうか。モノは大事に長く使うのが美徳と教えられ、そのようにしてきた私などの世代には、何 とも合点のゆかぬ事態であります。それで買い替えることにしたのですが、いくつになってもカメラ好きの私には、これが格好の言い 訳となり、妻には新しい機種を購入する正当性を堂々と主張できたのでした。それでこのペンタックスの一眼レフデジカメだけで3台目 に当たるK-3という新しい相棒を手にし、合点がゆかぬなどと怒っていたのも忘れて、諸々の設定やら撮影に嬉々として没頭する有様 なのでした。

・ 高遠蕎麦と伊那の山菜
 話は2週間ほど遡りますが、4月2日の日に思い立って伊那方面に足を向けてみることにしました。かつては春になると毎年の恒例 行事のように何人か誘い合って山菜採りを楽しみながら伊那の春を過ごしたものです。その後少しばかり疎遠となっていたのですが、 私らの住む小淵沢からは諏訪に出てそこから杖突峠を越えればもう高遠、つまりはひとっ走りで伊那市に行けるわけです。それで天 気の良い朝に思いついて出かけてみることにしたのですが、目的は二つありました。一つは、先日TVで見た高遠蕎麦なるものを食し てみること、もう一つは、フキノトウとアサツキを採取してくることでした。後者の山菜たちは、先日も触れましたがここらで採れるもの は、どういうわけか(多分八ヶ岳の火山性土壌の問題?)、わが山菜体験の故郷たる伊那の山で採れるものと較べると風味に欠ける のです。そんなことで、久しぶりに採集民族の血が騒ぐ女房と勇んで家を出たのでした。

 高遠蕎麦とは通常の蕎麦つゆの代わりに大根の辛味汁と味噌を混ぜたものを使う食べ方のお蕎麦です。通常の蕎麦つゆも出てき ますので、いろいろな食べ方が楽しめます。・・・という説明は実際に食したのちの解説なのですが、TVで見て美味しそうだったので一 度行って食べてみよう、それならサクラの咲き誇るシーズン前でないと混雑して大変だと、こういう前段があってのことだったのです。 その高遠蕎麦は町の蕎麦屋ならどこでもメニューにあるようです。 私らが行ったのは「壱刻」という店、もちろんネットで調べて評価 の高かった蕎麦屋で、実際に食してみると、これが期待にたがわずなかなか美味なのです!大根汁とお味噌のたれは無論十分に舌 鼓を打たせるものだったのですが、それ以前にこの店のお蕎麦とつゆもなかなかの代物です。どのような食し方にしてもこれなら美味 いわけで、人間拘って入った店で食べたものが美味しいと、この食体験の喜びは倍加するもので、もうこれだけで杖突峠を越えてやっ てきてよかったと思うのでした。スミマセン、昨今のブログと違ってメニューやお蕎麦の写真を載せる趣味はありませんので悪しから ず。
 一方、勇んで出かけたもう一つの目的である山菜の方は、かつて知ったる場所ですから、抜け目なくお目当ての浅葱とフキノトウを 持ち帰ることができました。浅葱はこれがたくさん自生している土手があって、何株か根こそぎいただいて庭に移植しました。以前持 ち帰って植えたものと合せて、我が家の粗末な庭にはこの浅葱が何か所かに点在しています。どうも長野の地元の人には、さほど浅 葱が評価されている様子でもなく、これをありがたがる私らが不思議に見えるようです。でも
いいですよね! 味噌汁やご飯、うどんや納豆などに振りかけるのは。 この香り、この苦み!我が家では青ネギに負けないくらい重 宝がられている山菜なのです。
 高遠はサクラの開花前で、あの混雑を控えてのまだ静かな町の佇まいで
した。この日は伊那の何か所かを回って、ひっそりと咲いているカタクリの
花を目撃することもできました。そういえば、4月に入って終日天気が良か
ったのは、この伊那に出かけた2日のことだったかと思います。どうもそれ
以来冴えないままの天気続きでしたが、教室がある明日は久しぶりに太陽
を浴びてスケッチできそうです。


カタクリの花


○春近し(3月22日記)

フキノトウ
 ここ数日続いた暖かな日々は、一足飛びに暦を通り過ぎて春到来の感がありました。尤も、来週に入るとまだ寒の戻りで浮かれか けた身体を震わせるのかもしれません。しかし、しかし・・・。もう3月も残すところ10日ほど、桜の便りも南の方から聞こえ始めまし た。年とともにこの春の訪れは嬉しさが増してくるようで、同年代諸氏においてはこの感情が大いに頷けるものと思います。
先日は友人宅の土手で採ったフキノトウを帰ってから食しました。 我が家でも南側のデッキの下で早くからこのフキノトウが芽を出し てはいるのですが、どういうわけかこれがあまり匂わず風味に欠けるのです。フキノトウは天ぷらが定番です
が、我が家ではこれを刻んでスパゲッティにまぶします。半分はスパゲッティを和える際に混ぜて余熱を通し、残り半分は
皿に盛り付けた上からまぶします。こうすると、程よい苦みとあの香りが口に広がり、まさしく春の味わい豊かなパスタとな
るのです。アサリときのことかあっさり系のソースとよく合います。
 
七里岩
 レシピの話はいいとして、その近い春の兆しを求め、一昨日は下界にスケッチに出ました。下界と私が呼ぶのは国道20号周辺、標 高500メートルにも満たない辺りのことです。 この日は武川から韮崎方面にかけて八ヶ岳の遠景を入れたスケッチをしたいと目論ん でのことでした。行ってみると、さすがに足元はまだ緑なすところまでは至っておらず、通りすがりに見た桜の蕾もまだ固いままです。 それでも大武川の橋の上に出ると、水量は少し勢いを増し、気のせいか水ぬるむ流れが春を運んできているように思えます。釜無川 方面を振り返ると、新緑では春一番のヤナギが淡い黄緑色となって河原周辺を彩っているのが見えます。上空は晴れ渡って甲斐駒 や鳳凰三山はくっきりと浮かび上がって見えるのですが、八ヶ岳は中腹から上が雲に囲まれています。その雲もいずれ動いてなくなる だろうとの読みだったのですが、これが結局はしつこくまとわりついたままで、残雪の稜線がいっとき輝いて浮かび上がったあと、午後 になるとすっかり雲のカーテンで隠されてしま
いました。この日は、遠くからでも釜無川の所在を示す七里岩の壁とそのはるか後方に横たわる八ヶ岳の遠景を絵にしようと企んで いたのですが、こちらの方は当てが外れてしまいました。高台の展望の効きそうな高台の道の脇にクルマを止め、恨めし気に風景を 眺めつつ目を転ずると、正面に光線の具合で彫を深くした七里岩の壁が立ち上がっています。そして足元の釜無川縁を沿うように、 あの黄緑色のヤナギの木々が何本か並んで見えます。今日はこの光景を描くことにしました。七里岩というのはかつて八ヶ岳が噴火 した際の溶岩や岩屑流が遠く甲府盆地の方まで押し出し、その堆積した台地が長い年月をかけて釜無川に浸食されてできた断面と いうことです。その長さがおよそ30kmに及ぶことから、七里岩と命名され
たものです。私の絵にも何度か部分的に描かれてはいますが、七里岩そのものを主要なモチーフとして描くのは初めてと
言っていいでしょうか。出来上がったのが展示した一作で、このいつにない面持ちのモチーフは結構新鮮な気持ちで描けました(山麓 絵画館にアップしました)。


南の空は抜けるように晴れ渡り・・・
甲斐駒からの流れも春の勢いが。

北の空は雲が八ヶ岳に取り付いて離れません。
右手奥が七里岩。


・・・・・・・・・・・・以下はFノートの趣旨から少し外れますが・・・。

 増殖するソーラー発電所への懸念
 わが北杜市では最近やけにソーラーパネルの一群を見かけることが多くなり、ここ何年かでこんな所にも・・!と驚くほど、この太陽 光発電所が目に飛び込んできます。今日もまさしくそうでしたが、私のように風景を求めて人があまり入り込まな
い山地にまで踏み込んでいったときも、いきなりあの鈍い光を発したソーラーパネルの大群落に出くわして戸惑い、まさに
目を疑うほど驚かされることも少なくありません。そこここに大小さまざまなスケールの太陽光発電所があり、それが今後も増えていく ことになるとは一体どういうことなのでしょうか? この緑なす北杜市において、この観光と環境を謳い文句に掲げる北杜市において、 それはどういうことなのか? これらソーラー発電の基地は、間違いなくそこにあった木々は伐採され、緑の潤いに換わって乾いて焼 けるようなソーラープラントが巣食っていく姿でもあります。明らかに北杜市の観光資源
であり、環境資源であるものがその分削り取られ、全体としての市の価値がそぎ落とされていく、そういう姿を我々は目の
当たりにしているわけです。太陽光発電=エコロジーの促進を謳い文句に、市の需要を上回る電力供給基地を造ることと、その分市 の財産たる貴重な緑を失っていくエコロジーロスとの天秤を市は一体どのように考えているのでしょう。太陽光発電の事業者にとって の関心は、エコロジー以上に事業益であろうことは想像に難くありません。この問題は追及し出すとFノートの趣旨とはどんどんかけ離 れていくので、一市民の疑念と嘆きとしてこの問題に触れるにとどめます。私や大勢の移住者たちが魅力を感じてやってきたこの北 杜市の大事な資産、それが削り取られていく姿を見るのは慚愧に耐えません。最近はこうした動きを抑制すべきとする市民運動も始 まっていますが、健全で良識ある行政の舵取りを強く期待するのは私だけではないはずです。



○ 集落四図(2月11日記)

 今回のFノートは、珍しく作品に寄り添った記述です。
 今年に入ってから最近とみにモチーフにすること多い集落の四季の絵を“集落4図”として現してみました。それは、春の図「萌木色 の集落」から始まって、夏の図「草緑色(そうりょくしょく)の集落」、秋の図「山鳩色の集落」、それに冬の図「藍色の集落」の4図からな っています。それぞれの絵の色調から和の色を当てて絵の題名としました。今回の作品を描くに当たっては、風景からインスピレーシ ョンを得た色調を大事にし、それを基調として彩色を施してみました。しかし、描いているうちに当初頭の中にあった色調とは微妙に 変わっていったりするもので、従って、出来上がった画面の色調からそれに近い和の色を当てて絵の題名としてみた次第です。その 際、一応語呂もいい色名を拾ってみました。ちょっと回りくどい命名と受け取られるかもしれませんが、日本の原風景である集落を描 いた4図として、どこか和風の題名としたいという洒落心が湧いてきたわけであります。絵の題名となった色調以外にも、今回の4作 は画風についてもそれぞれ異なった雰囲気を現そうと心がけ、それぞれを異なったタッチで描いてみたものです。

 集落に関して、それをなぜ絵にする機会が増えてきたのか、すでに何度か個展の際の一言で書いてきましたし、拙著「栗原成和の 水彩画集」でも綴っております。 この八ヶ岳山麓に移住してきたのは、絵心という観点から言えば、大自然の風景を描けるという環 境あってのことでした。特に山々、それも峻厳な岩峰はずっと私を捉えてきたモチーフです。そういう風景を求めて走り周り絵にしてき た私ですが、特にこれというきっかけとか閃きを得た覚えもないまま、いつの間にか私の眼山間の集落に向いていたのです。ただ、当 地の風景を描いていると、その一景として家屋を描き入れることが多く、それが積り積もっていつの間にか家屋から集落へと視線が 向いていたという背景はあります。山間の人里、それも昔の名残をとどめた集落に惹かれていった感応の根底にあるものを探ってみ ますと、やはり自分自身に内包されている日本人のDNAともいうべきところに辿り着きます。日本の原風景に触れる想い、それも衰退 していく原風景を惜しむ心情が、私の絵心を少しずつ刺激し、絵筆を動かしてきたようなところがあるのです。この4図に命名すること になった和の色に通じる心持ちも同じところにあると言えるでしょう。
 
 という次第で、季節ごとの掲載というこれまでのやり方から外れ、この4図を一つのテーマとしてまとめて掲載することとしました。原 画は次回の個展(5月29日から10日間、北杜市)で展示する予定ですが、季節色の起承転結を当サイトでお楽しみいただければと 思います。なお、秋の図「山鳩色の集落」は、下記Fノートで書きましたモノトーンでの制作過程で一旦
筆を止め、さてその先をどうするか思案した一作です。その後、秋の気配を最小限の色合いを施して完成させてみました。制作の過 程を垣間見ていただければと思います。



○ 雪中ドライブ(1月25日記)

 清里から野辺山方面、標高の高い所の雪景色を求めてスケッチに出かけました。普段踏み込むことの殆どない場所で風景を発掘 したいという想いで辿り着いたのが清里の東外れ。ちょっと説明し難いところですが、黒森に抜けるクリスタルラインの入って直ぐの所 を山側に上がった人里のどん詰まりとも言うべき一角です。開けた場所に出て目にした南アルプスの連なりはなかなかのもの。そこで クルマの中から描いた一作が山麓絵画館に展示したものです。

 さて今回の本題はこの後、南牧村へ抜ける雪道の走破です。スケッチの場所からは南牧村方面へ抜ける道があるので
すが、行ってみるとここは通行止。仕方なく一旦141号に引き返し、平沢の部落から平沢峠に抜ける道を走ってみることに。峠への 分岐点を北上するともう除雪車が入っていない雪道です。やや走るとまたまた通行止めの看板、その横に凍結のためとあります。し かしこの日は気温も緩んでいますし、比較的新しい轍もいくつかついています。ちょっと雪は深そうでしたが構わず行ってみることに。 ダメだったら引き返せばいいといったほどの気持ちでしたが、高度が上がっていくにつれて雪は深くなり、傾斜もきつくなってきました。 時折タイヤは空転、お尻も振り出します。深く刻まれた数台分の轍も左右にぶ
れていて先行者もかなり苦戦した形跡が窺えます。この轍から外れると深雪なので、引き返そうにも切り返しが難しそう。むろん人影 も何もない山道で、一度停止してしまうとそのあとが面倒なことになりそうです。スタックせずに上り切ることを祈るような気持ちで、ス テアリングとアクセルを冷静に操作します。血圧がかなり上がってきていることが自分で分かります。ク
ルマに装備されているXモードなる悪路走行モードを使ったり、マニュアルモードにしてローギアーを駆使したり、オフロード走行機能を フルに使いながら、緊張を強いられるドライブが続きました。最後のカーブをクリアーして獅子岩の駐車場が見えてきたときは、さすが に小さく喝采。そこにはクルマが数台駐車しています。私と同じようなモノ好きがいるものだと、そこに並んで駐車。ホッと落ち着いた 気分を取り戻すと、国道で買ってきたおにぎりを頬張り温かいお茶を口にしたのでした。
 この平沢峠は太平洋側と日本海側を分ける分水嶺となっています。標高1450メートル、眼下の清里一帯を隔てた先に屏風のよう な八ヶ岳連峰がせり上がり、殆どその全貌をさらけ出すようにして横たわっています。そんな八ヶ岳の姿を欲し
いままに出来るのは、苦労して辿り着いたご褒美のようなもの。平沢峠のこの駐車場で積雪は悠に30センチを超えているでしょう か。とめてあったクルマはどれもSUVで、飯盛山への雪中登山らしく誰も乗っていません。どうも雪道と景色だけを求めてきた物好き は私だけのようでした。

平沢峠から雪道を振り返る


峠の獅子岩駐車場から八ヶ岳の全貌


峠を下りきってから国道に抜ける農道。
こちらはしっかり踏み固められています。
 ここから野辺山方面への下りもまた深雪の中ですが、今度は緩い下り傾斜なので先ほどよりは気が楽です。轍の数も増えているこ とから、大半のクルマはこちらから上がってきたことが分かります。途中上がってくるクルマとすれ違うと厄介だと思っていたら案の 定、カーブの先から喘ぎながら登ってくるクルマが。半分以上深雪に入り込んで待機、相手もまた私のクルマをかわすために半分ほ ど深雪に入り込みむと、今度はそこから脱出するのにかなり苦労しています。後退から前進を繰り返し、漸くすり抜けてゆきました。や がて山道を下りきって再び国道を走り、今度は広大な畑の中を抜ける農道に。峠道の深雪を走ってきたあとですから踏み固められた 雪道はもうハイウエイのようなもの。いつの間にかスケッチや取材そっちのけでドライブを楽しんでいる自分がいます。オレも結構若い もんだ・・・と一人悦に入ってその先へと雪の野辺山を疾走するのでした。


○雪の朝の取材(1月16日記)

 降雪の明けた朝、いい具合に積もっていて天気がいいと、私はクルマを駆って雪景の取材に飛び出すのを常としています。と言って もいろいろ条件がそろうのは一冬に2,3回でしょうか、たいがいは雲が切れていなかったり、湿気の多い雪で風情を欠いたりと、なか なか思うに任せないことの方が多いのです。それをいいことに、昨今はだんだん出かけるのが億劫になってきたので、行かない言い 訳を探し出しては家に留まるケースが増えているのが実情なのですが。
 それで今朝は積雪が十数センチ、結構冷えているので雪も締まっていそうです。これでは行かないわけにもゆかず、朝食を済ませ てから早速クルマの雪落としにかかったのですが、陽は昇ったのにフロントガラスを厚く覆った雪は凍っていて簡単には融けそうもあ りません。デフロスターを目一杯効かせ、根気よくブラシで剥がしにかかり悪戦苦闘すること15分ほど、漸く小さなブロック片となって 剥がれるようになりました。まだ氷点下3度の中を出発、こんな日でも散歩を欠かさない犬ずれのご近所の方とすれ違いざま挨拶を 交わし、凍った坂を下って目当ての場所を目指します。通勤らしいクルマがちらほら走っているだけで、ところどころ日陰が青くなった 道は、人気もクルマっ気もなく静かなものです。こんな朝に仕事でもないのに出かける私などは物好きでしかないわけで、そのように 人に見られるのは今もって憚れる処是あり、雪かきをしている小道などは敬遠して入ってゆきません。中央線を越えて標高700bあ たりに下って来るとかなり雪景色の雰囲気が変わってきました。積雪そのものが少なかったのと気温上昇が速いせいか、木々に着い た雪が少なくなってきて、風景に占める白い割合が少なくなっています。私の住む千メートル辺りの厳しい冬景色とは明らかに趣を異 にしています。それで、移住当初街中で良く耳にしていた「この分だと山は雪」という言葉を思い出し、自分たちが住んでいる八ヶ岳高 原と括られる一帯の環境を改めて実感したりするのでした。
 それでもよく訪れる下笹尾の集落に来てみると、茅葺の民家も雪帽子をかぶり、そのずっと奥の高みに甲斐駒が斜光を受けて輝い ています。予想通りいい雰囲気の雪の朝、たちまちいくつかの画想が頭に浮かびます。どういうわけかこの雪景色にしても古い民家、 それも古い家ほど似合っているのです。轍もない農道に分け入って何枚か撮影、この日はスケッチブックをもってきていないので、も っぱら撮影に終始しました。この辺の枝道はまだほとんどクルマも走っていないようで、走るとタイヤが雪を押し付ける軋み音が心地 いいのです。変わった人だと他人は思うに違いありませんが、私は私、こういう時間が楽しいのです。いつの間にか没頭している自分 に気付いたりで、考えてみると、もう十年ほどこういうことをやってきたことになります。そしてこういうことをしたいからクルマも頼もしい 相棒を選んだわけで・・・などと振り返り思いながら、移動を続け撮影をし続けるのでした。
 小一時間ほどたって日が高くなると景色から風情も段々薄らいできました。それを潮時に幸せ気分にも見切りを付けて帰路につき ました。取材現場の写真を2点載せます。
   
         下笹尾の農道で                                八反歩堰への坂道で



○ 新年点描(2015年1月3日記)

 皆様、明けましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 新年を迎えることこれで72回目、もう毎年似たような年の明けです。新鮮な気分は段々希薄になる一方ではありますが、世間が動 きを止める元日の日々は、さほど世間様とかかわりを持たない私でもゆったりくつろげるというものです。

 ここ八ヶ岳南麓では、うっすらと雪をかぶって迎えた元旦、日中になっても氷点下という真冬日でした。そんな中、朝は一番でコンビ ニに新聞を買いにゆきました。何度か書いたように思うのですが、当家は主要道から入り込んだ枝道の突当りにあるので、ここまで は新聞配達をしてくれないのです。それでせめて分厚い特集がたくさんある元旦号くらいは目にしたいものと、毎年これを買いに行く のが元旦の恒例行事、御神酒と多少のおせちの始まる前に行ってくる必要があるわけです。氷点下5度で、まだ道は凍結状態、山は 雪雲をかぶっていて中腹以下しか見えません。この辺も年越しを過ごす人が結構いるようで、2,3日前からクルマも増えています。ま してや今朝などは初詣客でコンビニとは反対方向の身曾岐神社方面はさぞかし賑やかだったことでしょう。何しろ県下では甲府の武 田神社に次ぐ二番目の初詣動員数を誇る神社です。当家は記憶にある限り初詣など行ったことがないので、むろん当地に移住して からもお参りとは無縁です。
 お神酒と雑煮をいただいてからTVで全日本駅伝を観戦、と言っても途中からほろ酔い気分で寝入ってしまいましたが。まあ、年末 年始のTVなんて、どのチャンネルを回しても似たような雛壇タレントの百花繚乱、それも大半は事前に撮り終えたものです。めでた そうに賑々しくやっていますが、娯楽とは言えその安っぽさとどの局も同じ金太郎飴具合は見ていて辟易とさせられるものです。と文 句をいいつつも、TVを観ている私はやっぱり一緒になってバカになっているということで、まあ新年早々ガミガミ批判しても始まらない か・・・などと弁明しながらTVに現を抜かしている次第です。しかしその一方で、“老いては子にしたがえ”ということが、この場合安っぽ いTV娯楽にも甘んじて付き合えと言うことなら、うるさい爺で通した方がナンボカましだと、改めて思い直したりもするわけです。
 年賀状がいつまでたっても配達されません。もう夕方4時、こうなると年賀状などの習慣は、当地のような郵便僻地ではもう止めた 方がいいようにも思えます。私は元来、なるべく年賀状の出し入れは少なくしたいと思いつつ、それでももらえば返事を書かねばという 気はあって、だからこそ、元旦にもらった分はその日のうちに返事(と言ってもさりげなくこちらも始めから出したと思わせたいところが 半分で)を投函しておきたいところなのです。それなのに、日も暮れかかっても配達がないとは何とケシカラン話でしょうか。日本郵便 (株)もあれだけ宣伝するなら、せめて元旦のうちは周到な配達体制を築いておくべきです。これでは若者ならずとも、年賀状離れは やむを得ない話だと、新年早々腹立たしく思うのであります。

 二日になれば朝から箱根駅伝の観戦、これは毎年の楽しみです。食卓に座っているときからちらちらTV画面に目がゆきます。この 日も御神酒が回って観戦場所をソファに移す頃は、まだスタート直後の団子状態。これからばらけだすと俄然面白味が増してきます。 私どもは現役時代に国道に近い大井町の社宅に住んでいたことがあり、その当時はこの箱根駅伝でも東京マラソンでも、沿線に繰り 出して見物したものです。TVを観ていて先頭が品川の八ツ山橋にかかる頃合いを見計らって社宅のある高台から1号線に下りていく のですが、その時は既に先頭が通り過ぎてしまっていることもあり、ランナーたちの予想以上に速いスピードに驚かされたりしていまし た。その点、TV観戦だと、時としてほろ酔い気分で居眠りしてしまったりで、楽ちん気分なTVのこちら側と過酷なレースを繰り広げる TVの向こう側という、この距離感を楽しめるのがやっぱりお正月の醍醐味と言えるかもしれません。

 年賀状に話を戻しますと、ここら辺りでは二日の日も何枚か“忘れてました”とでも言わんばかりに配達されます。三日ももちろん配 達があるのですが、これまた夕方近くまで待たねばなりません。それで、3日間とも返事を投函するために近くのポストまでクルマで出 かけるわけで、これもあってほろ酔いは昼過ぎまで引きずっていてはならないのです。


 3日になると、TVにも飽きて時折アトリエで絵をいじくったりします。まあ描き初めということになるのですが、絵は昨年末よりデッサ ンを起こしておいた一点で、その彩色にかかりました。よく描いている場所の風景なので、今回は変わった色味の絵にしようと殆どモ ノトーンで全体を塗ってみると、これがなかなか好ましい雰囲気なのです(↓の画像)。こうなると、この先どう彩色を施したものかどう か、少し迷ってしまいます。カラー写真をモノクロに編集してみるとなかなかいい感じ!ということはよく経験しますが、これが生の絵と なると簡単に編集というわけにはゆきません。この時点で進路決定をしなければならないわけで、どのように彩色するとどうなるの か、最大限の想像力を働かせねばならないことになります。こうした想像力…イマジネーションをフル回転させるところが、透明水彩 の絵を制作する上では結構大事な刹那になると言えるかもしれません。どうなったかは、後日このHP上でご覧いただくことにします



 以上、とりとめなく、これといった特筆事項もない私のお正月点描でした。お付き合いいただき恐縮でした。




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