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栗原成和の水彩画画廊
ノート〜文章のページ

 このページを開いていただき、ありがとうございます。


 
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 ○ お知らせ(これまでの主なお知らせ)


 ★2024年・・・以下の企画展は6月29日をもって終了しました。

「燦々」
〜百歳の朝まで描き続けてほしい作家たち〜



ギャラリーからのオファーを受けての出展です。
私を含め山梨県下の5人の作家が出展します。

       日時  6月20日(木)〜29日(土)
      場所  ギャラリー1045 (旧「元麻布ギャラリー甲府」)



 ★ 2022年・・・下記個展は11月7日をもちまして、終了しました。
   



「元麻布ギャラリー甲府」での水彩画展、
お陰様で、盛況のうちに無事終了しました。
    お越しいただいた大勢の皆様に、     
         心よりお礼申し上げます。
山梨日々新聞 21日文化欄です。





 ★ 以下の水彩画展、終了しました。
   
水彩画展

〜栗原成和( と 山麓スケッチ会〜



2022年10月1日(金)〜11日(月)

おいでやギャラリー
〒408-0021 北杜市長坂町長坂上条2340 
 
 

  ★ 画集第2弾(下記)はお陰様で完売となりました。

「栗原成和の水彩画集〜八ヶ岳山麓から」

2013年9月発刊、108ページ、86点掲載、他に文章と挿絵、定価 ¥2500+税
当HP上でご注文の場合は、¥2500(税、送料込み)にてお送りします。
kuri_plan@ybb.ne.jp   (kuri_plan@ybb.ne.jp )
        

別掲のメイキングのコーナーもチェックしてみて下さい。


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 ★ 日貿出版社からの新刊ご案内(2012年)月)

日貿出版社から「水彩で描く美しい日本〜輝ける中部」が9月に発刊となりました。
好評を博した初刊に続き中部編として発行されたもので、中部にゆかりのある30名の作家
が寄稿、私の作品も3点掲載されています。 9月15日過ぎから書店にてお求めいただけます



なお、掲載作3点は、11月の個展で展示の予定で、
当HP上にも機会を改めて、掲載させていただきます。


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   ★ 日貿出版社の「水彩で描く美しい日本」に寄稿〜出版なる。(2011年8月) 
 
日貿出版社の創業45周年記念出版である
「水彩で描く美しい日本」
サブタイトル「人気画家31人が贈る」
が、この8月に出版されました。
私の絵も3点掲載。
既に書店、ネット上で販売されています。


なお、掲載された3点は、全て今回の個展
(9月、ギャラリー近江)に展示されます。


詳細は上の表紙写真をクリックすると
ご覧いただけます。

  
  ★ 下記水彩画集は2010年秋に増刷。現在僅かな部数を残すのみとなっています。

「栗原成和の水彩画集」
発行のお知らせです。
 2009年 10月
<内容>
    ○ A4変形、58ページ建ハードカバー
     ○ 自選による下記58点を掲載
      ・ 横浜時代+α 6点
      ・ 東北を描く 10点
      ・ 八ヶ岳山麓から 26点
      ・ 信州を描く 6点
      ・ おわら風の盆を描く 6点
      ・ その他 4点
     ○ 定価 ¥2800



    




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○プロフィール

  栗原成和(クリハラマサカズ)、1942年東京生。
  現 山梨県北杜市小淵沢町 在住。
  会社を1995年に早期退職、以降絵を再開。
  2005年横浜より現小淵沢町に移住。
   連絡先eメール  kuri_plan@ybb.ne.jp 
  ・・・栗原連絡先(住所、電話番号など)をお知りになりたい方は、お手数ですがメールにてお問い合わせ願います。

  私は、3才になるかならない頃から絵を描き始め(・・たらしい)、小学校4年の頃までは誰に教えられるわけでもなく、ただ
ひたすら絵を描き続ける少年でした。その後中断して、それが学生時代、会社生活の長きに及び、再び絵心が甦ったのが会
社を退職するとき。辞めてから一番やりたかったことが、絵を描くことでした。そんなわけで、これといったキャリアーもなく、何
処かの一門に属しているわけでもありません。一匹狼と言えば格好がいいのですが、ただ「私流」を貫いているだけ。東京や
地元北杜市で個展を重ねていますが、お陰様で大勢の皆さまから共感をいただき、大変嬉しく思っています。
  季節の訪れ、特に春と秋の訪れには何時も心を急かされます。世界にも希なこの多彩で美しい日本の四季を絵に移し取ろ
うと、遠出をしては山野を駆けめぐり、スケッチをし撮影をしたりで、水彩画の制作に余念がありません。それに、富山県八尾
町の「おわら風の盆」。これに魅せられた方も多いと思いますが、この哀調溢れる雰囲気を何とか絵に掬いとろうと、ここ数年
は八尾町に通って取材を続けています。
   何時までも日本に残っていて欲しいと思うもの・・・私の絵のモチーフは、自ずとそこに向くようです。

    個展等履歴
    2002年2月  東京 日比谷にて初の個展
    2004年9月  東京 銀座にて2回目の個展 
          10月  富山県八尾町の「坂のまちアートinやつお」に出展
    2005年7月  横浜市から北杜市へ移住
    2005年12月 水彩画技術書「いきいき水彩画 7」に掲載
    2006年9月  京橋「くぼた画廊」
    2007年3月  北杜市長坂町「おいでやギャラリー」にて地元初の個展
    2007年6月  銀座「ギャラリー近江」
     2007年9月  北杜市高根町「花のワルツ」
    2008年8月  北杜市にて水彩教室開設
    2008年12月 京橋「くぼた画廊」
    2009年3月  北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
     2009年10月  「栗原成和の水彩画集」発刊
    2010年4月  北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
    2010年9月  銀座「ギャラリー ナミキ」
    2011年9月  銀座「ギャラリー近江」
    2011年8月  「水彩で描く美しい日本」(日貿出版社)に作品掲載
    2012年3〜5月 クラブツーリズム主催の水彩講座講師、八ヶ岳へのスケッチツアー指導
    2012年9月  「水彩で描く美しい日本〜輝ける中部〜」に作品掲載
    2012年11月 北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
    2013年9月  画集第2弾「栗原成和の水彩画集〜八ヶ岳山麓から」発刊
     2013年11月 京橋「ギャラリーび〜た」
    2014年9月  北杜市長坂町「Gallery & Shop 亜絲花(あしはな)」
    2015年 5−6月 北杜市長坂町「おいでやギャラリー」
    2017年4月  八ヶ岳高原ロッジ(長野県南牧村)にてミニ個展
    2017年11月 甲府市「県立図書館」イベントスペース
    2018年11月 小淵沢駅交流スペースにて水彩教室展(第3回)
    2021年10月 北杜市長坂町「おいでやギャラリー」にて、「栗原成和と山麓スケッチ会」水彩画展
    2022年11月 甲府市「元麻布ギャラリー甲府」にて5年ぶりの個展
     2024年6月  甲府市「ギャラリー1045」で開催の企画展「燦々」に出展


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○ メール

                                      (kuri_plan@ybb.ne.jp です)

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○フィールドノート

  このフィールドノート、当HP開設以来まる十数年に及び、大分嵩が増してきましたので、以下のように年代順に分
類して整理しました。

Fノート
2019〜2022
Fノート
2015〜2018
Fノート
2011〜2014
Fノート
2007〜2010年
Fノート
2003〜2006年
別掲エッセイ
                                                 *別掲エッセイは、Fノートの趣旨なく折に触れての思う処を綴ったものです。 
                               
  <2025年>

〇断捨離・・続き(7月3日記)

 これも断捨離絡みの話です。ある日部屋の片隅などに置かれていた段ボール箱の一つを取り出してみる
と、中からは二十年以上前の手紙やはがき、それに何点もの印刷物が出てきました。どちらも当地に越し
てくるときに引っ越し荷物としてしまわれたままの状態で、当然ながら断捨離の対象ということになります
が、再びここで葛藤が始まるのです。礼状などのありきたりのものは破棄に回るのですが、どうしようか手
が止まるのは、手書きの手紙やはがきを目にしたときです。手書きというだけで差出人の想いが込められ
ているようで、邪険に葬り去るのが憚れます。辿っていく文面からは、改めてその人の心境が偲ばれます
し、差出人が亡き友人であったりすると、とても破棄できません。いつの頃からか、私も手紙はワープロで
打つようになってしまいましたが、大事なものを手放してきたような気持ちさえしてきます。
 一方、積み重ねられた印刷物の方は、私が数年間投稿してきた機関誌でした。全てエッセイなのです
が、どんなことを書いていたのか、当時のおぼろげな記憶に対面するような気持ちで走り読みをしてみる
と、これが結構面白くてなかなか止まらないのです。いまさら自画自賛しても始まらないのですが、よくもこ
れだけの分量と多岐にわたる中身を書いたものだと思います。当時の好奇心とか観察眼、考察力、さらに
は文章化していくエネルギーなどなど、その旺盛さに改めて感心したりもするのでした。それに比べていま
は・・・などと言っては身も蓋もありません。そんなこんなで、この日も断捨離が中断することの多い一日でし
た。



〇断捨離を始めてみると・・(6月25日記)
 
 いよいよ断捨離めいたことを始めました。懸案だった当地からの転居計画が、現実的なタイムテーブル
に上り始めている昨今、先ずは家の中に積もった21年間の垢を処分してゆかねばならないからです。

・トキメクか?
 多くの人が経験し、その難しさを知るように、断捨離とはそう簡単には運ばないのが常の様です。そのモ
ノにときめきを感じるか否か・・それが断捨離の可否の決め手と言いますが、このモノサシは人それぞれ
で、そう簡単な基準があるわけではありません。トキメキとは、過去が蘇る〜懐かしさが爆発する〜愛おしく
思う〜これを捨てるなんてとてもできない・・・という感情の帰結なのでしょうが、自分がいまトキメいているの
かどうか、それを判断するのはなかなか難しいのです。結局のところ、自分の優柔不断が露呈されて、い
つの間にか懐かしい過去に浸って時間が過ぎ去るケースが増えています。断捨離を決める段取りとはどこ
か違った回路に迷い込んでしまうのです

・これもゴミ?
 そんな事情もあって、私の場合は断捨離以前に、悩まなくて済む小モノから手を付けていて、当面は可
燃・不燃ごみの量が増えています。次に粗大ゴミの排出も増えつつあり、これまでになく、市の作ったゴミ分
別リストをじっくりと点検することが多くなりました。
 ひとつ困った問題が出て来ました。私の水彩画の処分に関してのことです。私のアトリエには描き溜った
絵がホルダーに収められたリ、額装した状態のままで専用の棚に収納されるか、段ボールに収められた状
態で、あちこちに置かれています。それでも油絵などと較べればかなりスッキリしてはいるのですが、これら
全ては、この先の住処となるであろう集合住宅にはとても収納しきれず、どこかトランクルームなどに保管
せねばならなくなるでしょう。一方、いわば失敗作というか人様に披露するには憚れる絵もまたかなりあっ
て、それらの処分をどうしたものか、ちと迷っているのです。そういう絵でも簡単に破棄できなかったの、そ
こに描いた時間が沁み込んでいるからでしょう。そこで考えました。これらの絵も人さまには別の価値観を
見出せるものともなり得るかも知れない、特に教室の生徒さんたちには、この絵の何処が問題なのか、ど
こが作品として披露しかねるのか、それが汲みとれる生きた学習素材となり得るかも知れません。燃えるゴ
ミとする前にさてどうするか、この続きはまたどこかで書くことにします。

・こんな一幕も
 部屋の隅からは、ビデオテープやらカセットテープを治めた段ボール箱も出てきました。写真にあるのは
その一部です。
 ビデオテープの方は、一部は買い求め、一部はTVから録画したどれもスキーの映像ばかりで、デモンスト
レーター達の華麗な滑りが収められています。当時は吉田某とか佐藤某といった日本を代表するデモンス
トレーターに憧れ、彼らの滑りを穴のあくほど観てはその滑りを頭の中に刻み込んでいたものです。もう普
通のサラリーマンとなり、スキーで飯を・・といった非現実的な考えは消え失せていた頃でしたが、こうしたビ
デオテープは滑りのイメージ作りに欠かせないものだったのです。そして年を経てスキーもしなくなった今、
再生するビデオデッキも家にはないいま、これらはさほど悩むことなく燃えるゴミと化すことになりました。
        
 問題は大変な数のカセットテープの方です。こちらはLPの音源から録音したクラシック中心のものと、FM
チェックによるポピュラー系のものなど、悠に百本以上はあります。時代は数十年以上遡り、本格的な音楽
鑑賞となるとLPを鳴らしたのですが、これにはカートリッジの選定とか針圧調整だとかいろいろ手間がかか
るので、手軽に楽しむには、こうして録画したカセットテープを聴くことが多かった時代です。しかし、カセット
への録音といっても、メタルだのクロムといったテープの選定から録音レベルの設定やノイズリダクションな
ど、それなりに最適の音源とするための手間暇をかけることが常でした。CDの普及をはじめオーディオ環
境が劇的に変わってくるのはそれから暫くしてのことで、技術革新に伴って使う機会の減った媒体が山積
することになっていったのは、多くのオーディオファンも経験した通りです。
 さて、これらを簡単に断捨離できないのは、やはりそこに手間暇をかけてきた濃密な時間があるからでし
ょうか。そうした時間とは愛おしいものです。トキメキの原点はその辺りにあるのでしょうか。 こんなことも
考えました。捨て去るのはモノであって、記憶そのものではないのです。いやいやしかし、そうした時間の記
憶自体が断捨離するまでもなく老化現象の中で消え失せてくいくであろう現実も無視できません。ウ〜ン、
だから断捨離とは一筋縄ではいかないものなのです。
 


〇昔を懐かしむ会のこと(5月31日記)

・五月ともなると
 OBOG会とかクラス会など、この種昔を偲ぶ会の開催は、どういうわけか五月が一番多いようです。凌ぎ
やすく外出しやすい季節柄ではあるのでしょうが、それ以外に、学年とか年度が切り替わって一息つくとい
う時節柄のもあってのことなのでしょう。一息ついて生じる心の余裕が過去への想いを誘うのかも知れませ
ん。八ヶ岳山麓に居住する私にも、この五月には四つの会の案内がありました。そして例年のように、私は
どの会へも参加せず仕舞いでした。懐かしい再会を果たしたい気はあるのですが、会場が遠いという理由
や、一部参加者の顔ぶれを想像すると、どうも参加意欲が削がれるところがあったりで、腰を上げる気持
ちが殺がれるからです。しかし本来、そんなこととは関係なく、ただ単純に再会を楽しみたいという素朴な気
持ちの人が多いはずで、その点私はちょっとひねくれ者と言われても仕方ないのかも知れません。
          
・絆の濃淡
 OBOG会について、私の身近な二人の友人たちを見ていて最近思い至ったことがあります。二人ともを熱
心な会の企画者であり参加者でもあるのですが、一人は一拍旅行を、もう一人はゴルフコンペを中心に、
それぞれ何十年にもわたって毎年欠かさず会に係っています。この二人のバックグランドに共通するの
は、ともに電機メーカーのOBという点です。モノづくりに携わった仲間というのは絆が深まるようで、それが
OBOG会への強いモチベーションとなっているのは確かでしょう。実は、この気付のきっかけとなったのは
NHKのロボットコンテストなる番組でした。勝者であれ敗者であれ、そこで見た企業や学生たちによるロボッ
トの制作チームの様々な喜怒哀楽のシーンが実にドラマティックであったのです。あれだけの歓喜、あれだ
けの無念さ、あれだけの涙を共有する熱量、その背景には、モノづくりに向けて培った強い絆があってのこ
とと、一人合点が行ったのでした。私のような総合商社とか、おそらくは金融関係とかサービス分野の
OBOGにして然り、そこまでの絆を生む土壌ではなかったかと、振り返って感じた次第です。
 この点、同窓会とかクラス会となると、事情は異なります。私の場合、高校時代のこの種の集まりが長く
続いているのですが、その求心力となっているものは、巣立ちに至る曲折した感情を共にしたその時代な
らではの精神的土壌にあると言えるでしょう。
  

・一枚の写真
 先日、ある会の幹事さんから、参加者の写真ファイル付きのメールが届きました。そこには数十名に及ぶ
全員の集合写真の他にも、テーブルごとに撮られた写真や、スナップショットなど殆ど全員の写真が網羅さ
れていて、暫しファイルを覗き込んでしまいました。意外だったのは、それぞれの顔にさぞかし懐かしく接す
るであろうと思っていたのに、一目ではその人とは判別できない顔が大半だったことでした。それを助けた
のが夫々に参加者の付けたネームカードで、一々照合しつつ ”あ〜この人はこんなに老けたんだ” と驚い
ていたのですが、自分も逆の立場だったら、さぞかしみんなを驚かしたに違いありません。そうやってひとり
一人の当時と今を重ね合わせなが写真を繰ってゆく中で、その人と気付いたとき、しばし時間が止まった
一枚がありました。もう三十年ほどになるであろう長い空白が一瞬埋まったような感じで、こんな体験もま
た、この種集まりならではの産物と言えるのでしょう。
  とやかく書くのならちゃんと参加すればいいじゃないか、という声が聞こえてきそうです。確かにその通りで
はあります。

○春のショットをいくつか(5月9日) 

 先に不景気な話を書いてきたので、少し明るい気分になる春のショットをいくつか載せます。
     
   我が家のクロフネツツジ      タンポポの草原越しに望む南アルプス      春の畦と残雪の八ヶ岳



〇82歳の冬から春(5月5日記)

 先に、1月末から2月初めにかけて身体絶不調と書きましたが、実はそんな状況が3月いっぱい続くとい
う、振り返るとまるで疫病神に憑りつかれたような冬でした。この間、低血圧による立ち眩みなどの血圧の
不安定や、虫歯の抜歯による痛みの後遺症としての頭痛、さらには排尿不調の元となっている細菌退治の
ための強めの抗生物質投与・・などなどが続き、何がどう関係しているのか、ともかくもいろんな病院で受
診し、最後はHドクターの進言から地元総合病院での諸検査〜そこから諏訪日石病院に回されてさらなる
血液検査、という展開となりました。

・検査〜即入院
 3月11日の諏訪日石での検査では、血小板の数値の異常低下が指摘され、転倒などをして出血すると
命にかかわると言われ、即入院を告げられました。入院中は輸血、骨髄組織検査、連日の点滴など諸々
の治療を受け、血小板の数値は通常レベルに戻って安定したのが三日後のこと。血小板の問題は、投与
中だった抗生物質が悪さをしたという因果関係が判明したとの説明を受けました。血液内科としては一応
問題解決をみたことと、病院のベッドでの寝起きがもたらす背中の痛み(背中の腰部分の鈍痛で、私の場
合これが酷い)に耐えかねて、私の方から早期退院を願い出た結果、退院したのが3月17日のことでし
た。

・予後の日々
 退院後は地元の総合病院の内科での再検査を受け、特に問題なしとの結果も出て、家での予後の日々
を送ることになりました。しかしどうもスッキリしない・・その後も血圧が不安定であったり、便秘状態が続い
たり・・・。こういう状況を何と言えばいいのか、暫くは疫病神がまだ身体のどこかに潜んでいるような気分
が拭えないまま冬が過ぎてゆきました。4月に入って漸くそんな気分も薄らぎ、今年も無事春を迎えられた
という気分で、実に40日振りほどとなる晩酌も始めました。いろいろ滞っていた事々にも手を付け始め、か
ねば・・・と、久しぶりの日常を送り始めていたのでした

・事故か体調不全故か?
 そんな具合であった4月27日のこと、当日は友人夫妻が私の誕生祝を兼ねた外食の機会があり、久し
ぶりの昼酒も楽しみました。その帰りしなのこと、友人のクルマの後部座席から外に出て立ち上がった瞬
間、俄かに立ち眩みを覚えて意識が遠のき、その場に倒れたのです。何秒か後に強烈な額の痛みを感じ
て意識が戻った時、私はアスファルトの上で横になり、懸命に立ち上がろうとしていました。右側額のコブ、
右目横の擦り傷、眼鏡右レンズの破損など、一瞬にして起こったこの一事。驚いた同行者や妻たちが懸命
に応急措置を施してくれ、家に戻ってきたのでした。
 その後、ちょうど連休中だったので家で、家で二日ほど様子を見たのち脳外科を受診。参考まで、最初に
行った整形外科では受信を断られました。整形外科の診察は首から下が対象であり、首から上は脳外科
の領域という理由で、こんなことを初めて知りました。CTスキャンの撮影結果、脳に異常はナシだったので
ひと安心。ただ、顔面の傷跡は直ぐには消えそうもなく、その後のケアーと損傷した眼鏡の作り替えという
手間を残して今日に至っております。

 いま、83歳になって数日後の我が家でこれを書いています。結局のところ、昏倒の原因は例の低血圧
(今回は昼酒による血圧の低下)による立ち眩みであったと推察され、例の血圧不安定という傾向がまだ
解消されていなかったかと思われます。つまり私の体調は完全回復には至っていなかったということで、こ
の事実はちゃんと受け止めて、年齢相応の慎重な体調管理を心がけてゆかねばなりません。 何ともあり
きたりの教訓ではありますが、そのありきたりの事々にこそ、一層腐心して臨んでゆかねばならない、そう
いう年齢であることを痛感させられる今年の冬から春にかけてのことでした。






〇この冬(2月12日記)

 この冬は寒い日々だった・・と、まだ2月半ばでまで冬は続きそうですが、既にそんな締めくくりの言葉が
頭に浮かんでいます。そして"辛い日々もあった"、と言うことも書き加えたいところです。事実この寒さはこ
こ何年来のもので、当家のある標高千mでは、最低気温が氷点下10度前後になったことも何度か。山は
ほぼ例年通り雪で真っ白なのですが、地表はたまに数センチの積雪があってもすぐに消えてしまうので、そ
の乾き具合が余計寒さを感じさせるような日が多くありました。

・ 身体絶不調
 そんな中、1月末から2月の初めにかけて、私はかつてなかったほどの体調不良を来していました。風邪
っぽい、いっときは39度を超える発熱が、胃腸不調、排尿不調・、tc,etc・・・医者で診てもらうと、コロナや
インフルではなかったのですが、血液検査では体内に黴菌がいるとのこと。抗生物質を含む処方薬を飲み
続けるうちに、熱も下がり排尿も改善、そして食欲も徐々に戻ってきた、という次第でした。この間十日間ほ
ど、腰痛とか口内炎とか最後な蝕まで、私の悪い部分が悉く発症した感があり、何とも辛く、ふさいだ日々
を送ったのですが、それが歳をとったということだと、何人かに言われもしました。確かに弱い部分が雪崩
的にやられるのは、それだけ免疫力が低下したわけで、年齢的な問題もあってのことに違いありません。こ
とわっておきますが、頭だけはやられませんでした。そうご本人が思っているだけだと、これも他人から言
われましたが。

・春告花
 少しずつ元気を取り戻す中で、TVで梅の蕾がそろそろという映像が映りました。ウメは"春告花"(或は春
告草)ともいうそうで、これが咲き出す頃合いは、三寒四温の季節で、春はそこまでやってきているというサ
インでもあります。私は、かねてより"春告花"はコブシだと思っていたのですが、コブシはもう少し季節が進
んで、春到来を告げる花といった処でしょうか。周りが未だ芽吹き前のくすんだ色の森に、コブシが白く固ま
った一角を作っている風情は、あ〜春が来ている、といった感慨をもたらすものです。
 そんな春を待ち望む一方で、今年はまたたくさんたまったままのやるべきことに手を付けて行かねばなり
ません。急に現実味を帯びた話になりましたが、そんなことに目を向けられるようになってきたのも、日常を
取り戻しつつある証なのかも知れません。

 そして最後に、他の番組では菜の花と桜の咲くローカル線の映像のことを。いや〜、何ともいい光景で
す。そんな感想を例年以上に強く感じるのも、これまた歳を取ったせいでもあるのでしょうか。
    "忘れものをさがしに菜の花を行く"
   
  誰かが詠んだこんな句の光景が頭に浮かびますが、確かに寒い冬の明け時には、こうした情景に包まれ
たいものです。



〇富山市が世界で行くべき場所に選出〜おわらへの懸念(1月10日記)

 毎年NYタイムスが発表する"世界で行くべき52か所"で、2025年は富山市(30位)と大阪市(38位)が
選ばれました。富山市は、能登半島支援に繋がる観光や富山湾の食材を生かした和食、隈研吾氏設計に
よる「富山ガラス館」の存在、それに伝統行事の「おわら風の盆」などが選出の理由で、大阪市は「グリーン
グリーン開発」などの先進的都市づくりなどがその理由だそうです。一昨年の盛岡市と福岡市、昨年の山
口氏に続く選出でした。

 私がこのニュースに接して気になったことが一つ、それは、富山市選出の理由の一つが「おわら風の盆」
であったことです。富山市郊外の小さな町である八尾が、今日まで繋いできた伝統行事へのインバウンド
増加がどんな事態をもたらすのか、眼に見えるようであったからです。おわらは、演じ手と観衆の微妙なバ
ランスの上に成り立っているものです。行事の核となる八尾の旧市街は、おわらの期間中はクルマの乗り
入れが規制され、宿泊施設も期待できないという環境下にあります。かつておわら通いをしていた中で、私
自身、静かに鑑賞するという不文律の約束事を理解し、身に付けてきた立場から、同じことを初めてのしか
も外国人に求めることは至難の技であろうことは、想像に難くありません。今回の富山選出を大歓迎してい
る市当局や市民の声が報じられるにつけ、これだけでいいものかと不安が過るのは私だけではないでしょ
う。
   

 いまや、インフラ不足や地元民の日常生活妨害など、いわゆるオーバーツーリズムの諸問題は、市民の
日常生活に深刻な影響をもたらしています。伝統文化を紡ぐ希少で貴重な機会であるおわらの風の盆、そ
の情緒や風情が損なわれることのないよう祈るばかりです。町の関係者が頭を抱える様子が手に取るよう
に想像されますが、予測される事態に備え、関係者は行事の趣旨と観衆のマナーへの注文を事前に発信
し、今から観光客に対する啓蒙を図ってゆくべきではないかと、勝手ながら気を揉んでいるところです。
SNSの環境下、いまやインバウンドは団体旅行主体から個人旅行が主体となりつつある時代です。観光者
個々に対する情報発信が、これまで以上に求められているという時代認識を新たにする必要もあるでしょ
う。
 
 ついでながら、このNYタイムスの評価のみならず、日本人が、ミシュランの評価をはじめとした海外諸機
関の評価に一喜一憂する風潮は如何なものでしょうか。政府は、未だにインバウンド増を国策に掲げてい
ますが、インバウンドはそろそろ安定期への成熟を図っていくべきときが来ているのではないでしょうか。そ
してまた、我々日本人自身が、本来持っている"日本的なるもの"への誇りとか重要性を、この際再認識し
てゆくべきではないか・・そんなことまで考えさせたNYタイムスの評価でした。




〇お正月の企業広告(1月9日記)

 「すべては、志からはじまる。」
 「アドベンチャースピリット。」
 この二つのキャッチコピーは、それぞれ日本を代表する総合商社の企業広告として、新年の新聞紙面を
飾りました。一方は"志"を、他方は"冒険"を、それぞれキーワードに掲げ、それが企業の、ひいては未来
を切り開くと言った趣旨のコピーが簡潔に書かれています。前者は見開きの2ページ全面を使い、後者は1
ページの全面を使い、夫々カラー広告で、私がとっている一般紙の朝日新聞に掲載されたものでした。
 

 私がこれを書く気になったのは、1月3日の朝日新聞をめくっていて驚いたからです。そこには、見開きの
2ページいっぱいに、「すべては、志からはじまる。」のキャッチコピーと何人もの世界の若者の顔が掲載さ
れていました。広告主は"Mitsui & Co.Ltd"、つまり三井物産(株)で、そこには見慣れたロゴも載ってもいま
した。見慣れた・・というのは、それが私のかつて勤務していた会社で、しかも最終キャリアーが、こうした企
業PRを主戦場とした広報室だからでした。一種の親近感とかタイムスリップしたような感覚を覚えたことも、
これを書く大きな動機となっています。
 それから数日たった9日の朝刊には、三菱商事の企業広告「アドベンチャースピリット」が片面一杯を使っ
て掲載されていました。先述した通り、両者とも日本を代表する総合商社です。そして、ここ何年か、このよ
うな企業イメージを訴求する広告を目にしたことがなかったのに、一般紙である朝日新聞の朝刊に、かくも
大々的に掲載していることに、驚きが倍増したわけです。
        

 かつて商社と言えば、流通に絡んでの口銭商売が主たる収益源であった時代がありましたが、現在は主
として投資のリターンを収益源とした企業に変革しています。 ・・・ 余談ながら、書いていて、オヤッと思っ
たのは、漢字変換で、先の"口銭"という言葉が大分後の順番になってから出てきたことでした。つまりは"
口銭"なる言葉は、もしかすると死語となっているのかも知れず、口銭=commissionを生業とする商社と
は、最早過去の姿でしかないということです・・・
 いわば、消費者の目からは遠いところにある総合商社が、新年のこのタイミングで、こうした企業イメージ
を大々的に訴求しているわけです。その目的と背景が段々見えてきました。主目的はいい人材の確保に違
いありません。時あたかも就職シーズン、そして人材不足の世の中です。学生と主対象とした企業の発信
はかつてないほど重要な企業戦略となっているはずです。

 何だか解説めいてきましたが、前にも書いたように、もう30年ほど前になるとはいえ、私は総合商社の中
にあって企業PRという仕事を希望し、そこで最終キャリアーを送った変わり者でした。そこでの5年間は、
私が在職中最も注力し、面白がり、充足されもした年月でした。もう、こんな履歴に触れることなど一切ない
と思っていたのですが、新年に目にした企業広告が、私をそんな過去に誘ってくれたのです。
 ここから先は書きだすとキリがないので概略に止めますが、その頃の物産の謳い文句は"自由闊達"の
社風で、当時"組織の三菱"に対して"人の三井"とも言われていました。そんな時代、私はかなり思い切っ
た企業イメージの訴求に注力し、"いい会社"を企業概念に据えて、日経新聞をはじめとしたPR媒体に継
続的に広告を打っていました。中には「心が動くとき」といったキャッチコピーを銘打った意見広告のシリー
ズもあり、会社や業務内容には一切触れることなく、いわば企業を人格化して社会への発信を続け、大き
な反響を得たこともありました。ちょっと自慢話になりますが、私の広報時代、三井物産は学生の人気企業
のNo.1が定位置となっていました。
 その後何年も経て、いつの間にかこの会社は見違えるような企業収益をあげながらも、その存在は世間
から遠のいていた感があり、換って総合商社の代名詞的存在となったきたのは伊藤忠でした。OBとして、
これも時代の流れかと受け止め、当時からは気持ちも随分と遠のいていたところに目にした新年の企業広
告だったのです。この二社の広告は、人手不足の世の中で、いい人材の確保が企業の生命線となってき
た時代を如実に物語っているものでしょう。そんな目で見ていると、最近は複数の総合商社がTVCMを打
っているのも見かけます。私を30年前に引き戻してくれた企業広告、改めて時代の流れを感じさせます。


    

〇82回目の新年(2025年1月1日記)

 2025年が明けました。私にとっては82回目の新年。だからどうしたと言われると、これがどうしたという
訳ではなく、この"どうした感"は、年々薄れていくようです。実はこの文章、年末に何か書き収めをしておこ
うと思っていたその機会を逸し、ならば新年に‥と一応は気分を一新して書き始めたものです。人の宿命と
言えば大袈裟ですが、この地球上で人は誰もが暦に従いつつ生きているわけで、年が暮れて新しい年が
始まるという区切りは、無意識のままには通過し難い生活律といえるものです。

・振り返って
 前置きはいいとして、さてこの一年はどんな年にしたいのか、いやその前に、振り返って昨年はどんな年
だったのか、その締めくくりとなるような一言がなかなか見つからないのが現状であります。先に"忘年会と
言っても、忘れ去るべき事柄が既に曖昧模糊としたヴェールの中にあるという事実,は如何ともし難く、それ
はつまり、順調に老化が進んでいるという査証と言えるのでしょう。
 若いころ、特に学校に通っていた時代は、小・中・高・大学の区切りが記憶のベースとしてあるし、会社生
活が始まってからは、仕事内容の変遷とか転勤などがベースとしてあったわけです。退社後も、私の場合
は自分で仕事を起こしたり、絵を再開して個展などを開催したり、何度かの引っ越しなどの生活環境の変
化が記憶を辿る手掛かりとなってきました。そして、こうした区切りの最後となっているのが、ここ八ヶ岳山
麓への移住です。その山麓生活が20年という年月を重ねてしまった今、記憶の手がかりとすべき年表や
起承転結は、加齢も伴って整合性を欠いたまま、この曖昧模糊とした記憶の塊と化してしまった感が拭え
ません。

・これから
 この年月の記憶の積み重ねは、その中身よりも、これからどうしていくのか? その"これから"への対応
に思いを巡らす源泉のようになっています。歳を取ると、時間的にも物理的にもできることとが限られてきま
す。そうした避けようのない事実を目の当たりにしつつ、何か手を打って行かねばなりません。大きな生活
環境変化への備えを、初めて行かねばならない・・・そういう新年になる、ということでしょうか。

・どんな"これから"? 
 一言で言えば、山麓生活から拠点を都会に移すということです。そこで、その先に控えるさらなる老後の
様々な変化に備えてのひと時を過ごす・・ということになります。既に書いたように、八ヶ岳山麓での生活は
今年で21年目に入り、これまでで一地域としては最長の期間を過ごしたことになります。そして私も妻も八
十路に入って、これまで通りには頭も体も言うことを聞いてくれなくなりました。当地は、バスも電車もなく、
一歩玄関を出ればクルマ、喧騒とはかけ離れた空間で、だからこそこの地への移住を決めたという場所で
す。その決め手となった諸要因が、いまはハンディとなる面も出てきつつあます。特に、もう数年前に運転
免許証を返還してしまった妻は、好きなときに好きな場所に行けるような余生を願望するようになっていま
す。それは良く理解できるところで、元々当地に連れてきてしまった感のある妻を、今度は望みの場所に連
れて帰らねばならない、そういう義務感というようなものもあります。これが人生最後のターニング・ポイント
となるのでしょうか、そこを乗り切ってゆかねば、と思っているところです。

 新年にしては、夢とか希望とは関係のない話になってしまいましたが、それが私たちが目の当たりにして
いる現実ではあります。しかし一方で、希望というか光明というものをなくしてしまっては、これからの生活の
推進力を失いかねない・・・書いていて、このことを改めて心しなければ、とも思う新年であります。

 皆様には、それぞれ良いお年を過ごされますよう、最後に付言したいと思います。





 この上が<2025年> ↑


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<2024年> ↓    

〇繰り言・他人事・自分事(12月20日記)

・メッチャうまい
 最近の若者の言葉遣いを聞いていると、この"メッチャ"が頻繁に出てきます。メッチャ旨い、メッチャ早
い、メッチャでかい・・・などなど。この"非常に"を表す副詞は殆どと言っていいくらい、この"メッチャ"に統
一されている感さえあります。いっときは"超うまい"もあったり、元々は"凄く"とか"物凄く"がごく普通に言
われていました。それがいつごろからか、そんなに以前からのことではなかったように思えるのですが、"メ
チャクチャ"の短縮形が固定化されてしまったようなのです。この背景には、もSNSの影響があるに違いあ
りません。味もそっけもないとはこのことで、微妙な違いを表現し分ける日本語の繊細さ喪失は元より、世
の中が随分と平板になっていくようで、そんな危惧を抱くのは、私のような年寄りだけなのでしょうか。
  関連してひとつ付言・・・それは、綺麗も素敵も何でもかんでも”カワイイ”で一括りにしてしまう言葉遣いで
す。これまた簡略化して手早く手短に伝えることを旨とするラインか何かの影響なのでしょう。”メッチャ可愛
い” などと口にしている若者を見ると、どの顔もみんな同じように見えてくるのもまた、私だけでしょうか。

・山形県の志津温泉
 今年は降雪が例年以上に多く、北海道から北陸に至る積雪地帯では、12月も中頃というのに積雪が増
えて雪掻きに苦労しているとの報道に多く接します。これも海水温の上昇と関係があるようで、日本海の海
水温が高い分、上空に水蒸気が多くなり、それが大陸からの冬将軍の風に運ばれて日本海沿岸に雪を降
らせるという循環のようです。
      月山の地蔵沼 2009年5月

 積雪の多い場所の代名詞のように、よく青森県の酸ヶ湯温泉が取り上げられますが、先日あるTVで、実
は山形県の志津温泉もこれに劣らぬ積雪地であり、今年もすでに大量の雪に覆われていると報じていまし
た。志津温泉・・・ 聞き覚えのある地名で、その映像をみていてはたと思い出しました。あの月山の山懐で
す。その志津温泉から更に深く入ったブナ林の新緑。私はこれに惹かれて何度か訪れたことがあり、その
都度地蔵沼の畔にある「月山荘」という国民宿舎に泊まったものでした。そこで描いた絵もHPの2003年5
月のところにに載せています。懐かしくなってグーグルマップのストリートビューを辿ってみると、あの沼の畔
は草の生えた平地が広がっているだけで、確かにこの場所にあった筈の国民宿舎が見当たりません。さて
は? といろいろ検索して分かったことは、ここにあった「月山荘」は既に取り壊され、現在は慣らされた土
地にその痕跡を僅かに留めるだけ、ということが分かりました。あれから20年以上、風景とは変わっていく
ものです。
 ありし日を懐かしく思い出したので、当時描いた残雪の山並みをの一作を添付します。は建物らしきもの
が一つもありません。

    残雪の山稜


・田原総一朗の質問
 これは、あるときの朝日新聞の記事で、執筆した記者が田原総一朗氏への取材の一齣を書いたものでし
た。その取材で、いの一番に当の田原氏から、「君は、今の日本経済の弱体化は、どこに根源があると思
うか?」と質問されたことに触れていました。その記者は一寸言葉を失ってから、効率化を追求し過ぎた点
にあるのでは・・といった答えを返したそうです。そこで氏がどんな言葉を返したのか、何も触れていないの
ですが、読んだ私は、自分ならどんな答えを返すのだろう? と自問した次第です。
・・・ 改めて考えるに、経済とは人間活動の総和をお金という価値に置き換えて表したものと言えるでしょ
う。従って、経済の弱体化とは、その人間活動の総体としての低下を意味し、それは、数字の根本となる人
間の数そのものの減少に加え、一人一人の力(生産力、労働力、購買力、などなど)の生産性の低下が指
摘できるでしょう。それに加えて危惧されるのは、生産性とか生活水準を左右する人間個々の質的低下も
また、見逃せない要因となっているのかも知れません。日本経済の弱体化は、日本人の人間力の弱体化
を意味し、それは即ち、国力の弱体化をも表しているとも言えるのでしょう。だとするとこれは、ちょっとただ
ならぬ状況と言えるのかも知れません。
 これから日本はどうしたらいいのか・・・この先となると、私の考えも及ばない迷宮に立ち入ることになりそ
うなので、この一文はここまでとさせてもらいます。田原氏はこの記者とのやり取りの続きをどう展開したの
でしょうか、興味深いところです。

・忘年会
 もうこの時節です。私もこの人も店も少ない山麓で暮らしながら、忘年会なるものをいくつか既に実行し、
予定されてもいます。忘年会とは、年忘れの会であり、つまりは嫌なことは忘れて新しい年を迎えようという
趣旨の会であるわけです。しかしながら・・・とここからが言いたかったことで、私らの年代では、忘れてしま
おうとする以前に、その大半をすでに忘れてしまっているわけで、わざわざ会を催すまでもないというわけで
す。それを言っちゃ〜身も蓋もない? その通り、身も蓋も味わいましょうよ、という次第です




〇SNS禁止法案に拍手喝采!(11月30日記)  

 と言っても、以下はオーストラリアでの話です。 
 ニュースで大々的に取り上げられたので、ご存じの向きは多かろうと思いますが、豪州議会は"16歳未
満の子供がSNSを利用することを禁じる" 法案を可決しました。施行は来年からということですが、法案は
インスタグラムやエックスクなどのSNS運営会社に、16歳未満の子どもが利用できないような措置を講じる
ことを義務づけるもので、違反した場合は最大で4950万オーストラリアドル、日本円でおよそ49億円の罰金
が科されるというものです。まさに画期的! 私もこのFノートでも度々触れてきたSNSの弊害につき、国家
レベルで、これほど正面切って指摘し、法制化までしてその弊害を取り除こうと踏み切ったのは、私自身の
想像をも超える事態で、豪州政府に"あっぱれ"をいくつも上げたい心境です。

 とまあ、以上は個人的な感想ですが、当のオーストラリア国民の間でも、この法案に賛成する割合は7割
以上ということで、これまたオーストラリア国民に"あっぱれ"を差し上げたいくらいです。むろん、この法案
を暗澹たる思いで受け止めている当の子供達は多いわけで、しかしそれを分かっていて、大人の判断でこ
うした法制化に踏み切った連邦議会と内閣は、さすが豪州ならではと、今さらながら恐れ入る想いでもあり
ます。オーストラリアは、私自身も現役時代に4年間赴任していた国で、豊かな自然と資源に恵まれ、おお
らかでストレスの少ない国民性・・・人間そんなにあくせくせずとも幸せでいられるではないか、といった価値
観を共有しているお国柄です。それが、この法案成立の背景をなすものかと、改めて感じ入る次第です。

     

 むろん、SNSを身近なものとしている世代の大多数が、こうした流れには抵抗大であろうかと思われます
が、実はオーストラリア以外の多くの国でも、SNS抑制への政治的施策が施行されたり、検討されつつある
のは事実のようです。
・ フランスは去年、SNSの運営会社に対して、保護者の同意がないかぎり、15歳未満の子どものアクセス
を制限するよう義務づける法律を制定。
・ アメリカの一部の州でも、未成年のSNS利用を規制する法律を制定、ユタ州やNY州などでは、SNSの運
営会社などに、配信には保護者の同意を義務付けるなど、いくつかの州法が成立済みのようです。
・ ノルウェーでも、現在15歳未満の子どもがSNSを利用することを禁止しようという議論が進んでいます。
・ イギリスでは去年、インターネット上の有害な情報から子どもを守ろうという法律が成立しました。

 という具合で、SNSと子供の関係にブレーキをかける法制化は、今回のオーストラリアほどではないにせ
よ、次々と現実となっているのは事実のようです。わが日本ではどうなっているのでしょうか? どうもこれ
からその検討に入るとか何とかと甚だ心許ない状況です。これは我が国のSNS社会という現実認識への
後進性を物語るものと、私は危惧している次第です。



〇繰り言・他人事・自分事 (11月12日記) 

・ノートルダム寺院の火災から5年!
 またまたTVから拾った話題で恐縮ですが、これからもTV絡みは多いと思いますのでご容赦のほどを。
先日、あるTVニュースで、今年12月にノートルダム寺院の一般開放が再開すると報じていました。火災か
ら5年とのことで、驚き違和感を覚えたのは"火災がそんなに前のことだったのか"、と言う点です。あの燃
えている映像はかなりショッキングなもので、よく覚えています。それは、私の体内時計というか記憶時計で
は、昨年か一昨年のことで、つまり3年も4年もずれがあり、その分ときは早く過ぎ去ってしまったのです。
この感覚のずれとは、何がどうなって生じているのでしょうか? この間に集積されたであろう記憶は、一端
脳裏に刻まれて記憶の引き出しに収まり、やがてその引き出しの仕切りとか在りかさえ曖昧模糊となって
掴みどころのない気団の中に紛れ込んでしまったような状態で、それが加齢による現象ということなのでし
ょうか。
 関連して思い出したのが沖縄の首里城。調べてみると、これが全焼したのも同じ2019年の10月のことでし
た。ここでもまた、数年感のギャップがあり、それはつまり、ひと塊の記憶の気団化が、ここでも生じていた
という次第です。それはもう嘆いても始まらないもので、まあそういうことかと割り切るしかありません。
・本から遠ざかった現代人vs スマホ     
  いま、ひと月に一冊も本を読まないという人が、6割以上いるといいます。町から本屋が消えていく現状
も、このことを物語っています。若い人を中心に、本から遠ざかる傾向はかなり以前から顕著で、それに伴
って本の代わりを果たしてきたのが、・・と言うとかなりの語弊があるのは承知の上で・・スマホであると言え
るのでしょう。私のような老齢者にして然り、スマホは日々欠かせない情報源であり、生活の一助となってい
るのは事実です。しかしその一方で、本を読んだり、本屋で時間を費やして育ってきた私のような世代から
言わせると、本から遠ざかっていく風潮とは、なんとも寂しく、なんとも心許なく、これでいいのか? という
一抹の不安を禁じ得ないところがあります。

 文芸評論家で最近これに関連した本を出したという三宅香帆氏は、スマホとは自分にとって必要な情報、
役に立つ情報だけを手に入れ、あとはノイズのようなものとして切り捨てると指摘しています。氏はまた、"
読書とは、自分から遠く離れた文脈に触れること"・・・と、大変印象的な言葉をも残しています。遠く離れた
文脈とは、先のノイズと同じ意味合いですが、そこには人間の情緒や感性を育む大事なものが散りばめら
れているということです。私も大いに同感、スマホ中心の生活習慣は、その文脈に触れるチャンスを遠ざけ
てしまっていると思えてなりません。 私のように出来上がってしまった老人ならいざ知らず、これから何で
も吸収し、血肉としていく子供や若い世代は、是非読書の世界を取り戻してほしい、様々なノイズの中から
何かを汲みとっていって欲しい・・そう願うのは私だけではないでしょう。
 "問題ないよ、スマホがあるから"・・・この言葉こそ問題なのです。


・渋谷の交差点
 よくTVが、東京の話題と言えば決まり切ったようにして映し出すのが渋谷の交差点の映像です・・・一体こ
れは何故なのでしょう?どの局もまるで金太郎飴の如く渋谷の交差点を取り上げるのはどういう了見なの
か、何か業界内で暗黙の了解でもあるのか、或はともかくも手抜きにして右へ倣えなのか、全くもって首を
かしげるばかりです。東京を象徴する光景なら、ほかにいくらでもあるでしょう。その時の話題に相応しい場
所やシーンなら、この広い東京でいくらでもあります。例えばサラリーマンの話題だと東京駅の丸の内とか
新橋のSL広場、若者の話題だと原宿の竹下通りとか表参道・とか・・・しかしこう並べてみると、これまた創
意工夫のなさを事例になってしまうのですが、いずれにしても何かにつけて渋谷の映像が出てくるのは、TV
局の手抜きだや無神経さを表すもので、観ていて腹立たしく思うばかりです。特に、最近のハロウインに象
徴される不心得の者たちのはた迷惑、地元民の大迷惑を問題視した報道にして然り、わざわざそれを煽る
が如き渋谷の映像を流すという無神経さはどうでしょう。元より、TV映像のもたらす影響は大です。報道者
の基本に立ち返って"相応しい映像とは何か"、再検討して欲しいものです。

○ 冬近し(11月8日記) 

 秋が途切れ途切れと書きましたが、その秋が落ち着いたのは束の間、今度は冬が押し寄せてきたような
今日この頃です。温暖化の名残、不純な季節変動、そういうものの常態化・・・と、もう気候のことは書きあ
ぐねている感もありますので、今更ながら触れることも憚れるのですが、そんなこんなと言っているうちに、
冬間近となりました。 
 先日、眼科の定期検診を終え、次回二か月後の予約を入れたのですが、これがもう来年のお正月明けと
いうタイミング! もう年越し後のことなのです。眼科医の先生ともども、もう来年なんですね〜、と溜息をつ
いたものでした。季節の移行が順調には行かなくなっているとか何とか言いつつも、月日は間違いなく過ぎ
ていきつつあり、その足並みは変わってはいないのです。むしろ、歳とともにつるべ落としに早くなっている
感もあります。話は逸れますが、この"つるべ落とし"という表現は、若者には伝わらなくなっていると
か・・・。
 それにしてもこの秋、天候不順故に紅葉は思うに任せない様子です。先日書いたことの繰り返しになりま
すが、暑さが何時までも残ったり、いきなり秋めいたかと思えばまた逆戻りしたり、逆に勇み足のように先
走ったり・・・ともかくも、紅葉を促す自然のリズムか今年は相当狂っていることはあげ実です。私は風景画
を描く手前もあり、四季の移行具合には人一倍敏感でよく観察もしている積りですが、今年の紅葉は全体
的には遅れている(多分十日から二週間くらい)、色付いても黄葉は順調に進まず、樹木によっては途中か
ら 早くも落葉が始まっている、だから斑模様の貧相な紅葉となっていると言えるかと思います。
同じ場所で撮った昨年と今年の写真を載せましたので、違いが良く分かるかと思います。

      
     昨年10月31日の瑞がき湖 紅葉の盛り           今年11月6日の同じ瑞がき湖 紅葉はごく初期



〇途切れ途切れの秋?(10月16日記)

 秋の日が続くと思えばまた逆戻りしたり、どうも安定を欠いた季
節の移行は、今年に始まった訳でもありません。でも今年は特に・・・ということでしょうか、樹々もどう衣替
えしたものか戸惑っている様子です。我が家も暖房を入れるほど寒いと思えば、日中は窓を開け放ったり
する日もあり、着るものにしても日替わりで変えざるを得ない状況です。それでも、途切れ途切れとは言
え、秋は深まっていくでしょう。標高の高い所に行くと、紅葉の様子はひとつの先行指標として視認できま
す。問題はしかし、目を見張るような紅葉の景色を期待できるのかどうかで、昨年同様かそれ以上に、色
付きの跛行性は不可避かも知れません。
 9月初めだったか、大雪山の紅葉の様子ニュースで、こんな解説がありました。
 大雪山の紅葉は、早朝の気温が8度になると、そこを引き金として色素の分解が始まり、その後十分な
陽射しを得れば、赤い色素が生成され続け、2週間たつと見事な紅葉が見られるようになる。

 これは大雪山の自然状況下でのことではあるのでしょうが、一定の気温低下とその後の継続的な陽射し
が紅葉の決め手になるというところは、全国的な共通項と言えるものでしょう。気温の行きつ戻りつや、雨
が多いこと・・などは、紅葉の敵となるわけで、これは、色付く前に枯れてしまうような光景を多く見受けるよ
うになった背景として肯けるところです。

 地上ではどうもスッキリしない秋への移行ですが、上空を見ていると、9月に入ってからは、秋っぽい空、
秋らしい雲が、夏のそれらに取って換っていく様子は窺えました。高い空に尾を引くような巻雲が多く見られ
たり、まだ出来損ないながらも鱗雲が出てきたり・・・日によっては夏の名残の積乱雲が、黄金色の田圃の
上に登場したり・・・。それでも、秋空と言える気持ちの良いい透明度や色味を感じる日が多くなってはいま
す。 秋空の写真をいくつか載せます。

   
10月12日 刈り入れもすっかり終わった上空には夏の名残が。  10月10日の秋晴れ、鱗雲になりかけては消えてゆきく雲

  
 10月15日 西の空に尾を引く巻雲の筆あと                同日の八ヶ岳上空は巻雲乱舞




〇繰り言、他人事、自分事

・名前が出てこない(9月30日
 人の名前が出てこない・・この事態、最近とみに増えてきています。一昨日も、絵を展示しているあるお祭
り会場で、"暫くです"とある女性から声をかけられ、誰だったか確証に至らないまま、しばしの会話を進め
てしまいました。顔は覚えているのです。むろん相手は私のことをよく知っていて、話を進めるうちにどんな
知り合いだったのか凡その検討はついてきたのですが、名前が・・・?。結局、そのまま会話を切り上げ、
その方も他の人との会話に移ってしまったので、やれ助かったとその場を離れたのですが、その後もずっ
と名前は思い出せないままです。そしてあの場合、"失礼ですがお名前は何でしたっけ・・"とか素直に質し
ていれば良かったと、あとで思った次第です。まさしく" 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥"ではあるので
す。
 名前、特に人の名前は、どういうものか、一番忘れがちのように思えます。知人にしても、全く面識のない
縁者や著名人にしても、顔が良く浮かぶのに名前だけが出てこないのは一体どうしてなのか。もちろん、モ
ノの名前とか地名も然りで、忘れるケースが日ごとに多くなっていくのは、脳の老化のせいではあるわけで
す。しかし、人の名前となると、より忘れてしまう傾向は何故なのか・・・それは、その人の表情とか動いてい
る画像が思い浮かぶだけに、出てこない名前とのギャップが大きくなるということかも知れません。左脳の
記憶が右脳と繋がらない嘆きとも言えるのでしょう。或はまた、名前とは記号のようなもので、人の記憶とい
うものは、その人の表情とか行動とか、画像こそが記憶にとどめるべき本質であるからでしょうか。そもそ
も名前とは、人間が言葉を持ったからこそ、その人の代名詞となったもので、人間のみの持つ特異性に由
来しているとも言えそうです。それはまた、動物の場合と較べれば明らかなことで、名前という記号を持たな
い動物にとって、気臆とは表情とか動作とか臭いとか、五感により得られた情報と言えるものでしょう。
ちょっと哲学めいた話になってきましたが、これも老いボケの繰り言に過ぎないものとご理解ください。


・名前ついでに〜最近の女子の名前(10月7日記)
  以下は、最近の女子プロのゴルフトーナメントの成績です。TV観戦しながら、隅っこに出てきた成績(1
位から5位タイまで)を示したスーパーを写真撮影したものです。ここに載っているプレイヤーの名前の多く
が読めないので、都度実況アナの音声(必ず姓名を言うに耳を傾けていたのですが、どうもスッキリしない
のでこの撮影に及んだのでした。皆さんはちゃんと読めるでしょうか?
   
 上から順に、オゼキアミユ、タケダリオ、カワモトユイ、サトウミユ、フルエアヤカ、サクマシュリ、クワキシ
ホ、スガフウカ・・・です。いくつ読めたましたか? 因みに、このトーナメントの決勝に残った40位タイまで
の結果をネットでみると、○○子と"子"の付く名前は、22位だった大里桃子の一人だけでした。'98年生ま
れの26才・・・と、こんなことを調べるなんて、ヒマですね〜、と言われそうですが、確かにヒマではありまし
た。
 ヒマついでに、昨年生まれた赤ちゃんの名前ランキングというものがあり、それを見ると事情は概ね同じ
で、フリガナを振ってもらわないと読めない名前が半分ほど、"子"の付く名前は50位までには一人も見当
たりませんでした。"凛"とか"翠"といった一文字の名前もかなりあります。
 私らの年代で代替同世代の周りを見ると、女性の約半分が○○子です。次に多いのが〇〇恵や〇〇江
などの"エ"がつく名前でしょうか。この"子"が敬遠され始めたのは、いつ頃からだったのか、やはり、男女
の機会均衡が叫ばれ始めたのと軸を一にしていると思われます。"子"は古い、女性差別だ、子供に付け
ては可愛そうだ、といった風潮が蔓延して、"子"は影を潜めるようになり、やがてすっかり姿を消し去たよう
で、換って現代風というか個性的でシャレた名前が増え出したのでしょう。やがてそれは、新味とかカワイ
サを求める競争のようになって続々と新しい名前が登場し、多分その中でも流行り廃りのようなこともあっ
て今に至っている、ということかと思われます。最近の親は、子供な名前を決めるのに、さぞかし苦労して
いることと推察されます。男子の場合は面倒なので調べなかったのですが、やはり先のゴルフトーナメント
に出てくる名前には、同じような傾向が見て取れ、全然読めなかったりする名前も少なからず出てくるようで
す。
 こうして生まれ、世に蔓延した名前は、ちゃんと世の中に馴染んでいるのでしょうか。私らの時代は、学校
などの点呼の際にちゃんと読めなくて、本人が読みを教えるケースはごく稀でした。私はそんな稀な名前の
持ち主だったので(成和→マサカズ)、都度いやな想いとか面倒な想いをしてきたものです。しかし現在はど
うなのでしょう? おそらく先生もその大半をちゃんとは読めず、従って事前にフリガナが必要不可欠となっ
ていて、本人が読みを教えるケースはさほどない、というのが常態化しているのでしょうか。
 私(私ら)の世代は、こうした状況に拒否感とは言わないまでも、半ば呆れ顔でいるといった処です。そし
て、名前よりもご本人が可愛く、賢い人であってほしい・・などと要らぬ心配をしている向きも多分あることで
しょう。
 若い子の名前ついでに、現代の風潮について、名前以上にただ事ではないと思うのは、男子の化粧で
す。美顔とか美肌に現をぬかしている最近の男子を見ていると、同じ男、同じ国民とはどうしても思い難く、
情けないと思うのもまた年齢ギャップ故なのでしょうか。”そんな顔や姿を磨く前に、心を磨け!” とつい小
言を言いたくなるのは、私だけではないと思うのですが・・。




〇9月も終盤に(9月25日記)

 いつの間にか秋の気配・・と思ったらまた暑さがぶり返したり・・そしてこの週初めには一気に秋最中とい
った涼しさで、最低気温が10度まで下がり、我が家では厚手の掛布団に替えたりしました。飲み物も熱い
ほうじ茶やコーヒーが増え、あの暑さは一気に遠ざかった感があります。しかし予報では、10月に入るとま
た暑さがぶり返すようで、何だか忙しなく秩序を欠いた季節の移行の中に取り込まれている感じがするこの
頃です。TVで誰かが"途切れ途切れの秋"と表現していましたが、しばらくはそんな感じで推移するのでしょ
うか。冬は平年並みにやってくると愛い長期予報もあるので、どうやら、短い春に次いで短い秋ということに
なりそうです。
 秋めいた空のショットをいくつか載せます。どれも、いつも持ち歩いているスマホで撮った写真で、"この瞬
間"が撮れるのが、スマホの最大の長所です。


9月9日 ススキの穂の向こうにはまだ積乱雲が。

9月13日 蕎の花は満開

9月16日 縦縞のひつじ雲


9月19日 朝焼けにはうろこ雲も混じる。

9月19日 風になびき尾を引く雲の重なりが。

9月20日 上空に漂ういくつもの高積雲の島。



〇暑い暑いと言っても秋が・・(9月6日記)  

 先に夏が長引いて一体いつ季節の変わり目が? と書きましたが、気が付けば、陽が随分と部屋の中ま
で射し込むようになってきました。我が家では、南面のウッドデッキの照り返しを防ぐため、2本のパラソル
を広げて日陰を作っているのですが、その日陰も大分手前に移動して屋内の中にまで伸びてきました。そ
れでも日中は相変わらず暑く、気象情報でも秋の訪れは大分遅れると報じています。

  そんなこの頃ですが、昨夜はちょっと飲み過ぎた身体を冷まそうとデッキに出てみると、オヤッと思うこと
がいくつかありました。風はないのに外気は結構ひんやりしているではありませんか。そして、あちこちから
虫の音が・・・。スズムシとかマツムシとか、大合唱とまでは行かぬまでも、遠くから、近くから、沸き立って
は切れ目なく続く控えめなバックグラウンド・コーラスといったところでしょうか。こんな虫の音は今季初めて
聞いたような気もします。見上げる夜空は、一面の星々で、その中をゆっくりと移動する飛行物体の光が、
かなり頻繁に表れては消えて行きます。暗闇に耳を澄まし、目を凝らしていると、今度は近くの森の向こう
から踏み切りの警報音が。ややあってから聞こえてきたリズミカルな電車の走行音は、小海線の上り最終
列車でしょうか。
 ここ、千メートルの高原では、暑い暑いとか、夏が長いと言いつつも、ウ〜ン、なんか秋ですね〜、といっ
た感じの一夜、身体の火照りもすっかり治まっているのでした。


〇8月は夢花火(8月25日記)  

8月は夢花火 私の心は夢模様 ・・・
  ご存じ、井上陽水の「少年時代」の歌詞です。どこか掴みようのない歌詞ですが、夏休み、海水浴、夏
祭り、お盆や台風、人出が増え、賑わいが増し、そして去っていく8月を、そこはかとなく物語ってもいるよう
です。私の少年時代から学生時代は、夏になれば保田(現在は鋸南町)という内房総の田舎で何日も過ご
したので、8月〜夏休み〜海は、夏の記憶連鎖となっています

湘南 引き潮 砂の中のサンダル ・・・
 こちらは、加山雄三の「湘南引き潮」からです。あまりヒットはしなかった曲でしたが、私はよく口ずさんだ
歌でした。ウクレレが刻むスローで哀愁を帯びたメロディーとも相俟って、喧噪の去った海辺の様子や、秋
への寂しげな潮目の変化がよく伝わってきて、耳にするとかつて何度も経験してきた夏の終わりが甦るよう
です。

 その潮目が変わる9月ですが、今年は暑さの傾向は当分変わらないという長期予報が出ています。目下
は台風10号接近がそんな予報を退けている感がありますが、台風一過がどうなってくるのか、長期予報通
りとすると、10月になってもなお暑さの名残がなくならないとのことです。そうなると、天高い秋、馬肥ゆる
秋、冷たい大気と紅葉への予感・・そういう季節への移ろいは一体何処に行ってしまうのか、ダラダラと気
が付けば秋ということになるのでしょうか。もちろん、農産物へのダメージとか、生活、経済面への深刻な影
響が懸念されるところなのでしょうが、ここは人間の心情というところに絞って話を進めます(尤も、私はこ
れしか話しようがないのですが・・)。

 季節の変わり目というのは、古来より人を情緒的、感傷的にさせるもので、特に四季の明瞭な日本に生
まれ育った我々日本人にはその傾向が強いと言えます。言うまでもなく、俳句はそんな日本固有の風土か
ら生まれた文学ですし、日本の文芸には四季の要素が盛りだくさん取り入れられています。日本ほど明瞭
で美しい四季の移ろいがある国はないことは、海外で暮らしてみて確信しました。考えてみると、私が風景
画を描き出した一番の動機も、この四季折々の表情を汲み取りたいという処にありました。 しかしどうも、
ここ何年かずっと残念に思い、昨今は動かし難い事実として立証されつつあるのは、春と秋の短縮化と、そ
の裏腹にあのが夏長期化です。毎年早々とやって来る夏は、春を楽しむ間もなく追い払い、何時までも居
座っては秋の到来を遅らせ、冒頭に書いたように夏の余韻を消し去りつつもあります。何ともやるせなく無
念に思うのは私だけではないでしょう。
   

 こうした気象変化は一方でまた、夏ならではの風物詩をもどこかへと追いやりつつあるようにも思えます。
 例えば海水浴。一頃は夏と言えば海水浴で、ピーク時にはシーズンで3千万人を超えた海水浴人口が、
いまや9割減にまで落ち込んでいるといいます。海の家がさびれていくのは最早避けがたい傾向だそうで、
この背景には、レジャーの多様化とか、街中でのプールなどのレジャー施設拡充、そして猛暑があるそうで
す。"海水浴"というレジャーアイテムが存在感を薄くしつつあるのは、私のような少年時代を送った者にと
っては、ちょっと寂しい気もします。
 "夕立ち"も最近はなかなかお目にかかれなくなりました。それに取って替わっているのが、ゲリラ豪雨と
か線状降水帯といった激しい降雨です。あのクールダウンを誘う夕方のいっときは、まさに夏の風物詩でし
たが、もう私たちは体験できなくなるのでしょうか。加えて、団扇とか風鈴、蚊取り線香が登場する夕涼みな
どの夏アイテムもまた、遠い過去の風物となっていくのかも知れません。

今はもう秋 誰もいない海・・・   
 ご存じトワ・エモアの歌った「誰もいない海」です。秋の海辺ほど、人影もなく静かな場所はなく、波の音だ
けが、一夏の思い出を甦らせてくれます。そう言えば、この”一夏”という言葉、一冬とはあまり言わないよう
ですし、春も秋にも使われません。何故夏だけが”ひとつ”で括れるのか? それこそ”夢模様”と表現して
いいほど、いろいろな体験が詰まった夏だから、”一夏”がしっくり来るのだと想像されます。そんな一夏・・・
まさしく季節の移ろいあってこそ偲ばれるところなのでしょうが、これまた、消えゆく運命にあるのかも知れ
ません。青春初期のことですが、私にも、そんな海辺で感傷に浸った頃があって、束の間、そんないっとき
が甦ります。とは言え、私の現在地は、そんな多感を通り越した達観にある、と言わねばなりませんが・・。




〇SNS万能の世で・・(8月8日記)

 私たちは、八十路のこの私にしてもSNSが日常化した社会で生活しています。便利になったと思う反面、
何だか世の中が薄っぺらくなっているような、人々がおしなべて不感症気味になっているような、そんな感
覚に今さらながら溜息をつくことも多い昨今です。このテーマに関連して思いつくいくつかのことを書きま
す。

・電報が廃止に
 2,3日前のニュースでは、NTTが電報の取り扱いを止めると報じていました。かつて電報は市民の身近
な伝達手段で、ピーク時の昭和38年(1963年)に9500万通あった取り扱い実績が、令和4年には380万通
まで、なんと96%も減ったそうです。言うまでもなく、この減少を埋めてきたのがメールとかライン、トゥイッタ
ーなどのSNSです。関連してNTTは、タウンページの発行停止とか、104とか177といった電話問い合わせサ
ービスも廃止するとのことで、そう言えば・・と、私にしてもいつの頃からか、こうしたサービスとは無縁にな
っていることに気付きました。

・パリ五輪でも
 パリ五輪でも話題になっていますが、最近はSNSによる誹謗・中傷が日常茶飯事な社会現象となってい
ます。プラットフォーマー側の管理責任も問われていますが、これは何と言っても、匿名で何でも発信でき、
拡散できる無責任極まりないSNSの持つ宿命的側面あってのことです。名を名乗ってものを言うコミュニケ
ーションの基本は、いつの頃からか胡散霧消してしまったようで、発信サイドはただただ不確定多数に向け
て発信し、フォロワーの数を増やすことだけが目当て、拡散する方は単に面白がったり、鬱憤晴らしをする
だけという、そこに個人としての責任とか礼節はすっかり消え去ってしまっています。そんな世界の中で、社
会的良識は確実に失われつつあるのが現状で、一体こうした流れを変える潮目が来るのか、誰しもが不
安を感じるところでしょう。

・ここまでスマホに没頭!?
 最近ニュース映像を見て驚き、かつ信じ難かった街中のシーンがありました。それは、昼日中の表参道
でのこと。暴走したクルマが駐車中のクルマにぶつかって横転した瞬間を街頭カメラが捉えていたのです。
驚いたのは、かなりの衝撃音が周囲を包んだはずなのに、歩道にいた何人かはこの衝撃に気付いた風で
もなかったことです。それは、歩きスマホをするか、立ち止まってスマホに熱中していた人達でした。やや間
をおいてから、やおらスマホから顔を上げた人もいましたが、事故の刹那も意識はスマホの中にあったとい
うのは一体どういう神経なのでしょう。当然ながら、同じ画面には衝撃のショックに驚く何人もの通行人も映
っていました。これは、同じ映像が繰り返される都度、注意を払って確認したことで、私にとっては交通事故
以上に衝撃的でした。
・小説を読んでいて  
 いま、横山秀夫の小説「ルパンの消息」を読み直しています。因みにこの人気作家の小説は殆ど読んで
いて、ここ数年では「ノースライト」という一作は秀逸でした。「ルパン・・」が書かれたのは2007〜8年頃、そ
の主たる舞台となるのは、主人公たちが15年前の不良高校生だった時代、つまり、今からはおよそ30年前
の社会ということです。30年前とはどういう時代だったのか、自分に照らして振り返ってみると、私が早期退
職する直前の頃で、ちょうどワープロがほぼ社員全員に普及し、携帯の前身、ポケベルが普及していた時
代です。
 他の本もそうですが、同時代の小説を読んでいると、決まって登場するシーンは;・・・誰もが煙草を吸う、
連絡には電話(固定電話)を使う、大事な話は会って相談する、会議も頻繁にする、概して人が移動するこ
とが多い・・・などなど、なるほどそうだったと振り返る馴染み深いことばかりです。この本では、ある窃盗を
計画し実行した高校生三人組が、犯行の現場で思わぬ殺人事件に遭遇し、その事件から15年後の時効
が迫った日に警察の捜査を受け、当時を振り返った供述と取調室の現在とが交錯しつつ物語が進行して
ゆき、やがて思わぬ方向に展開を見せていく,といった粗筋です。読んで思うことは、物語を動かす要因は、
人と人が頻繁に会い、顔を突き合わせ、相手の顔色を窺ったり、物事を肌、で感じたりと、まさしくこうした
実体験の数々が物語を紡いでゆく、ということです。 だからこそリアリティーに富み、迫真に満ちた面白さ
を感じるものです。そもそも、現在のSNS社会における効率優先や疑似体験氾濫の環境下でこの種の物
語は成立し得るものか? そんな感想も併せ持つのでした。

・信頼とか誠意ということ 
 関連して、"信頼"とか"誠意"についてです。それは、人間同士が相互に理解し合い、違いを認識し、そこ
から育まれてきたコミュニケーションの土台をなす大事な要素と言えるものですが、簡単に増殖していくトモ
ダチ、広がる人間同士の薄っぺらい関係性・・・そうしたSNS万能のリアリティーに乏しい世界の何処から、
この"信頼"とか"誠意"が育まれて行くものなのか、これまた答えに窮するような問題です。

・新しい試みも
 アメリカの先進ITやAI関係機関が集まる地方都市(どこであったか?)での話を思い出します。その地区
のエグゼキュティヴ達の子息が通うそ学校では、授業へのスマホやI-padの持ち込みを排除しているそうで
す。先端分野の最中にいるトップたち自身が、自らが関わるSNS社会の危うさを認識してのことなのでしょ
う。かつての教育現場に立ち戻ること、つまりはリアリティーを伴った学習環境の方が、子供達の未来に資
すると考えたからで、これはまた、人間同士のコミュニケーションという土台を取り戻そうという流れに沿うも
のだと思います。この話、その後どうなっているか、是非とも知りたいところです。

 かく言う私も、その機能の半分も使っていないにしても、相当部分をスマホに依存している老人でありま
す。SNSの危うさを指摘しながらも、レストランや医院での待ち時間には、当然のようにスマホを覗きこん
だり、手を動かしたりと、それが自然体であるかのように振る舞ったりもします。自己矛盾ではないかと言
われそうですが、ひとつだけ言いたいことは、周囲の人や諸々の環境への"目"だけは見開いておこうと、
自らに言い聞かせていることです。




 〇戯言、他人事、自分事

*パリ五輪開会式はフランス料理(7月30日)  
 開会式を観た方は大勢おられたでしょう。私は翌朝に放映されたものを観ました。セーヌ川の船下りが入
場行進というアイデアは、新しいオリンピックの運営を目指したフランスらしいやり方だと、当初から興味
津々だったのですが、予期していた通り、周囲の建物と織り成す式典の様子は、とても新鮮かつ絵画的で
興味深いものでした。コロナ禍の異例な開催となったとはいえ、お金をかけ新しい施設を建設し、これまで
のやり方を踏襲した東京大会とは大違いで、新しい五輪の未来をも感じさせるところもありました。
 さて、途中までは良かったのですが、入場式の合間合間に次から次へと繰り出されるアトラクションや、こ
れまた変わった聖火ランナーの映像のカットイン・・・と、どうもなかなか完結しそうのない展開に、見続けて
いるのが疲れてきたのは私だけでしょうか。それでも、漸く辿り着いたクライマックスのオリンピック旗や聖
火の入場は、フランスらしい煌びやかで絢爛豪華なもので、感動的でもありました。しかしやっぱりという
か、既にお腹が一杯の状態でこれを観ることになった点が残念に思えました。
 
 私はやっぱり日本人? そのことを改めて感じさせたパリの開会式・・それはいわば濃厚なフランス料理
であったと言っては言い過ぎでしょうか。次から次へと味付けたっぷりのメニューが提供され、香り高い芳
醇なワインを飲み、ゆっくりとお喋りをしながら味わうフランス料理そのものに、私には感じられました。私
のように、端麗辛口の日本酒と繊細な日本料理を好む淡白な日本人には、やはりちょっと満腹感を禁じ得
ないメニューという印象を拭いきれなかったのです。もちろん、こうしたイベントは国民性とか文化の違いを
見せつつも、それを越えた感動の渦に誘い込むところに、演出の真髄があると言えるでしょう。その意味で
は、感動の渦を待ちくたびれて何度か呼吸を整えたくなった今回の開会式でした。


*値上げ、値上げの世の中で(7月26日記)
 先日、久しぶりにかつての常備スナックであった亀田の「柿の種」を食べました。しかしどうもおかしい。記
憶にある味とはちょっと違う、はて? そして、どうもピーナッツの量が少ないのではないか、と気付いたの
でした。私の記憶では、オカキとピーナッツの割合は、8:2だったはずです。それが明らかに1割にも満た
ない感じです。まあ、値上げ値上げの世の中なので、中身を変えて実質値上げを図るのは常道ですが、ピ
ーナッツ不足は"亀田よお前もか"と思ってしまうのでした。
 分量減やサイズダウンによる実質値上げは、その後値段そのものの値上げとも相俟って、 "みんなで渡
れば怖くない"世となり変わってしまった感があります。一頃の商業道徳らしきものなど、拘っていては商売
にならない状況なのでしょうか。私は日常的に買物に携わっているわけではいのですが(従って値段そのも
のの変遷となると良く分からないのですが)、日用品の消費者としては、サイズダウンの方が敏感となりが
ちです。例えばティッシュボックスが随分と小型化したとか! トイレットペーパーの幅が随分と狭くなった!
とか。 慣れとは恐ろしいもので、最近は諸々のサイズダウンに違和感を感じなくなっている自分もまたい
るわけでして・・・。
 こんなことを書いていたら、もう一つ未だに馴染んでいない値上げの例を二つ思い出しました。
 ・・ひとつは私のお気に入りだった某パン屋さんのフランスパン・・・かつて¥300だったものが¥350に
なったすぐあとに、手にするとちょっと哀しい気分にさえなるほど小さくなり、この小型化はその第二弾もあ
ったことでした。
 ・・もう一つは当家お気に入りの出汁パック。どうも最近出汁の効きがかつてほどではないと首をかしげて
いたのですが、ハタと気付いたことは、パックの中身(昆布)がかなり減っているらしいということでした。今
まで1パックで出汁が取れていたのに2パックにするか、他の出汁で補充しないと物足らないのです。まあ、
出汁だけに、相手に出し抜かれていたということか、ダジャレを言っている場合じゃあありませんが、これま
た"お前もか"!
 以上、生活臭プンプンのFノートでした。

〇暑くて長〜い夏(7月26日記)  

 一頃の夏の暑さはすっかり過去のもの。それはいつ頃からだったか、少なくともここ数年は季節感が随
分と変わってしまった感は否めません。標高1020mにある当家が、主として冬の備えを厚くするためにエ
アコンを設置したのが2020年秋のこと。あくまでこれまでの蓄熱式暖房機を補完する意味合いで設置し
たものす、当時は、夏のクーラーにも使えそうだし・・くらいの算段あってのことでした。その後4年間、年とと
もに夏のエアコンとしての使用機会が増えてきて、この二年くらいは夏には欠かせない存在になってしまい
ました。それも今年は梅雨入りのずっと前から使用する機会が増えていて、夏の長期化という感覚は、高
原に住んでいてさえ定着した感覚となっています。
 世界に目を向けると、各地での熱波、豪雨、異常乾燥等々、改めて温暖化の地球規模での恐ろしさや不
安が伝わってきます。一方地元の山梨県、ここでは甲府や勝沼といった盆地での暑さがしばしば日本一と
なること有名です。どちらも三方を山に囲まれた標高300メートルに満たない甲府盆地のいわば鍋底に当
たっているためです。私が居るのはそこよりも標高にして700mも高い所で、高度差だけで4度前後は涼し
いのが常です。空気が澄んでいて滞留することが少ないので、実際はそれ以上の温度差があることもしば
しばです。しかしその反面、陽射しは強烈、紫外線の量もかなり多く(何でも、東京都心より13%多いと
か)、気圧が低い分酸素濃度も幾分希薄になるので、肺疾患のある私などは、当地にいるときと甲府にい
るときでは、呼吸のし易さが異なるのです。先月も企画展で僅か三日間甲府にいたのですが、知らぬ間に
呼吸が楽になっていて、そのことを、帰ってきて感じた次第でした。

 今日は最高気温が30度に満たないと、天気予報で言っていましたが、ここのことろ予報はさっぱり当たり
まっせん。またエアコンを入れるか入れないか・・・そんな中、我が家の広いウッドデッキでは、広げた二本
のパラソルが照り返しをかなり防いでくれています。木々が風にそよぐ様は、それだけで涼を誘う光景で
す。夏だけはやはり、高原の恩恵にあずかっていると、改めて感じてはいます。 今年は遠のいているとい
う秋到来、都会の方には何を言っているのかとなじられそうですが、それでも一日も早い秋を待ちわびてい
ます。
    



〇心動いた二つの音楽シーン(7月8日記)

 二つの演奏〜厳密にはひとつの演奏ともうひとつは歌唱〜についてです。どちらも最近TVで観た時間に
すれば数分程度のパフォーマンスに過ぎないものでしたが、強く心に染みるものでした。演奏の方は、元
NHK交響楽団のコンサートマスター、篠崎史紀(愛称"まろ")による「タイスの瞑想曲」、歌唱の方は、桑田
佳祐が"JAZZとシャンソンと歌謡曲の夕べ"で歌った「よいとまけの唄」です。
            ♪♪ ♪   

 「タイス・・」は、有名な楽曲で多くの演ヴァイオリ二ストが多くの名演奏を残してきましたが、篠崎が「徹子
の部屋」で披露した演奏は格別でした。繊細な音色で紡ぎ出される「タイス」は、繊細にして艶やかな音色
で、ときに福々と膨らみ、ときに美しく減衰し、聴いていると夢見心地となるものでした。実はヴァイオリン・ソ
ロはさほど熱心に聴いてはこなかったのですが、それは私が単に余所見をしてきただけの話であったかと
思わせるほどの演奏だったのです。技術論は置いておくにして、音楽を紡ぎ出す原動力には演奏者の人
間味のようなものが滲み出るもので、それが人を魅了する大事な要素であったかと改めて思いました。
  
 一方の「よいとまけの唄」、これまた多くの歌手がカバーしてきた歌謡曲の名盤です。多くの人が何度も耳
にしてきたこの歌を、桑田佳祐が熱唱しました。一人の少年が苛められて母親にすがりたいと帰る道すが
ら、土方に混じって働く母親の姿を目にし、それが少年の生きる道を変え、少年の支えとなっていく・・全部
で6番以上ある長い歌詞を、桑田は訥々としかし熱を込めて歌い上げました。実は私には、この唄の文脈
が初めて腑に落ちて聴こえてきたのです。最後は眼がしらが熱くなりました。感動の源は、ここでも歌い手
の歌詞への共感とか熱量といった人間的要素であったに違いありません。

 ここにあげた二つのケース、どちらにも"いぶし銀"とか"ヴェテランの味"といった面が共通して言えること
は確かですが、それ以上に表現者のヒューマンファクターがあったと指摘できるでしょう。それがジャンルを
超えて聴く側の心と響き合う大きなエッセンスとなっていると改めて思い知らされました。この人間味という
要素は、音楽に限らず芸術全般や文学全般にわたって言えるものだと思います。 絵を描く身としても、観
る人の心と響き合えるような作品を作ってゆきたいものと、そんな想いを新たにするのでした。



〇老人(7月4日記)

 スーパーの入り口横にベンチが二つ並んで置いてあります。夏日の暑い盛り、ここは庇の陰で風が通る
ので、しばしの休息にはもってこいの場所。 私が買い物を終える妻を待ってその隅に座ったときは、既に
手前の端に老人が座っていました。暫くすると、もう一人、今度は老婆がやってきて、測ったように我々二
人の中間に座りました。私は、というか私だけが、最近の若者風に手にしたスマホをのぞき込んでいます。
 田舎町の静かな昼下がり、出入りする客もそう多くはありません。やや時間が経過し、妻はまだかと顔を
上げ、ついでにベンチの二人を観察しました。どうも歳の頃は私よりは上、つまり八十才でも半ば以上かと
思われます。二人ともフチなしの老眼鏡らしきものをかけ、髪は真っ白、顔の皺も年季が入ったもので、と
きおり遠くを眺めては、やはり何かを待っている様子です。そのうち端っこの老人が、駐車場に入ってきた
バスを目で捉え、腰を浮かしました。どうやらお待ちかねの送迎バスがやってきたようです。真ん中の老婆
も、ややあってから迎えが現われて、よっこらしょっとベンチから立ち上がりました。

 一人ベンチに残ってふと思ったのは、もしかすると二人のお歳は私とさほど変わらないのではないか? 
いやひょっとするとどちらかは私より若いということもあり得たかも知れない・・・とそんなことでした。私は今
82歳、その割には若く見えると他人からは言われます。これがお世辞半分とすると、通りかかった人が見
た光景は、かなりの老人が三人、ベンチに静かに座って時間をつぶしている・・誰が年上とか歳下とか、そ
んなこと抜きで、かなりの老人が三人そこに座っている・・・と単にそんな光景を捉えただけではなかった
か。そして今更ながら、私は三人の老人の一人にすぎなかったかと、そんな想いがどこか切なく頭の中を
過りました。そして最後に、妻が"あらこんな所にいたの"、とやってきて、私は殊更毅然とベンチから立ち
上がったのでした。

〇 TVの威力〜企画展を終えて(7月2日記) 

 先週の土曜日に十日間の企画展を終えました。終えたと言っても、私は5人の協演者の一人で、こういう
スタイルは初体験。やり終えたというよりも、先ずは終わったという感覚です。企画展の趣旨が"百歳の朝
も描き続けてほしい作家たち"で、だから私の年齢前後のシニアな作家さんたちばかりかと思っていたら、
50代という方もいて、ジャンルもいろいろ、作風はそれ以上にそれぞれ個性的、鑑賞される側からはなか
なか変化に富んだ絵画展ではなかったでしょうか。こうしたいわば異業種協演という場だと、私の如き透明
水彩の作品はどうも存在感が薄れがちとなるものですが、今回は展示の配置などいろいろ配慮いただい
たせいもあってか、一応私の場所は私の空気感が確保されていたように思えます。大事なことは、他と競う
のではなく、他とは違う空気感を観る方に感じとってもらうという、その一事を再確認できた展示会でした。

 私は中間の三日間だけ在廊していただけで、名だたる甲府の暑さに見舞われたせいもあってか、客足は
静かなものでした。この雰囲気を一気に変えたのがTVでした。NHKの取材は私が画廊にいた最初の日に
あったので、私も取材される巡り合わせとなり、お隣に展示していた作家さんと私の作品が放映当日には
企画展の作品紹介としてコメント付きで取り上げられました。それは良かったのですが、列島ニュースの山
梨からの話題としてこの企画展が報道されたのが、なんと終了日前日の朝だったのです。当日午後の列
島ニュースでも同じ話題が取り上げられ、うち一つは東京でも(或は全国でも?)放映されたようです。そし
てその中のナレーションのシメは、"この企画展は甲府の「ギャラリー1045」で明日まで開催されています"
でした。ウ〜ン、もうちょっと早く放映されていれば、と関係者の誰もが思ったに違いありません。それでも、
放映当日とその次の最終日は、会場の賑わいがまるで違ったもので、問い合わせも来場者数も急に増
え、賑わいのうちに終了するという、TVの威力を思い知った幕引きとなりました。

 私個人としては、放映当日にご近所さんや他県の方からも電話とかメールをもらいました。"映っているよ
"とか、"ニュースで出たよ"とか。その様子は、山麓絵画館にも紹介した通りですが、なかでも、企画展を終
えた翌週、薬をもらった薬局の方から、"TVで観ましたよ" と言われたのはビックリでした。特に面識のなか
ったこの方は名前を覚えてくれていたようで、まだ開催中であれば観に行きたかったとも言ってました。日
頃TVには苦言を呈したり、チクリと嫌味を言ったりしてきた私ですが、このときばかりは、ちと反省せねば、
という気になった次第です。



〇夏色(6月20日記)

 さてこのFノートは、言うまでもなくField Noteの略ですので、今度は屋外の話を。そこで、当地の夏ショット
をいくつかお届したいと思います。全て6月半ばから昨日までの写真です。
  
← 田圃にも広がる積乱雲

   道端の白い花 →
   オルレアという名前?
  緑の渓流〜清里の浅尾地区
  を流れる大門川
    ←橋の上から上流
     下流方向 →

  
   
  <我が家の庭で>


ユスラウメの実 〜酸っぱ甘い


  サンショウの実
  〜強い香り!
  
  ジュンベリー 〜うっすら甘いだけ

 当地もそろそろ梅雨入り、来週からは雨音が絶えない毎日が続くかもしれません。そこを通り越すと、ま
たあのモクモクと湧く積乱雲と、不愛想なまでの緑に覆われた季節到来となります。



〇繰り言、他人事、自分事

★ 日本人の野球好き(6月10日記)

 日本人は本当に野球が好きですね。今さら何を、と言われそうですが、TVのスポーツ中継、特にBSはど
のチャンネルも野球中継オンパレードとなると、いささか食傷気味になるのは私だけでしょうか。
私は野球が嫌いというわけではないのですが、あのゲーム運びの冗長さはちょっと付き合い切れない処が
あるのは否めません。元々昭和世代ですから、子供の頃の身近なスポーツと言えば野球とか相撲くらい。
草野球に興じたり野球観戦に出かけたりといった経験はほとんどなかったものの、日常的には近くの広場
でキャッチボールをしたり、河原で石を投げたり、庭で素振りをしたりと、何かと遊びの中で野球的仕草は
自然と身に付けてきた口です。なので、最近の子供たちはおろか、いい若者たちまでが、ぎこちない投球フ
ォームやおぼつかない補給動作をするのを見ていると、実に情けないと思ってしまいます。

 そんな私ですが、TV画面でのMLBやプロ野球の過剰なまでの露出を目にするにつけ、他のスポーツだっ
てあるだろうにと思ってしまいます。MLBの話題にしてもあの大谷一辺倒はさすがに行き過ぎで、彼の一挙
手一投足や細かな記録がどうしたこうしたとか、三流週刊誌並みの取り上げ方をするような報道態度はも
ううんざり・・・最近はチャンネルを変えてしまうこともしばしばです。むろん、オオタニという不世出のスーパ
ースターの存在は日本人として誇りに思いますが、他にも日本人メジャーリーガーはいるだろうに、そして
日本人が活躍している他のスポーツだってあるでしょうに。まあ、野球への反発というよりも、TVメディアへ
の反発と言い換えた方が当たっているようで、元々金太郎飴的報道にはついつい批判的になってしまう私
です("金太郎飴"なる表現はいま通じる?)。

 現在、日本の子供のスポーツ人口は、野球よりサッカーの方が多いと言います。世界の競技人口を見て
も、野球はサッカーの第5位(2億6千万人)を大きく下回って第8位(3500万人)と極めて低いレベルにあ
ります。そんな数字なんか関係ないよ、という声が聞えてきそうですが、一億総ナントカに陥りがちな国民性
は、常に忘れてはならじと思っている私であります。

<追記> この話題に関連して、TVを観て”なるほど”と頷いてしまったことがありました。最近の若い者には
野球用語が通じなくなっているという話です。例えば「直球勝負をする」とか、「相手とのキャッチボールから
始める」とか、「これが最後の打席だと思って臨む」とか・・・我々世代が日常会話や会社仕事の中で当然
のように使っていたこれらの野球用語は、いまや誰にでも通じるわけではないのが現実なのです。先に記
したように、野球人口の総体的減少傾向からすれば、これは肯ける話なのですが、その一方で、相変わら
ず野球だらけのTV報道の現実とは、どう折り合いをつけて考えたらいいのでしょうか。TVは野球用語全盛
時代の大人の世界に軸足を置いたままということなのか? かくして若者はTVから遠ざかっているというこ
となのか? ちょっと首を傾げるのですが、考えてみれば”さもありなん”と頷かされる話ではあります。
「オッ変化球できたな」とか「まるで逆転満塁弾」・・・なんて言っても分からない人が多いことを肝に銘じいて
おかねばなりません。


★ 石原慎太郎最後の一冊(6月15日記)

 最近読んだ本に「『私』という男の生涯」という石原慎太郎の本があります。特に慎太郎贔屓という訳では
ありませんが、妻が買ってきたのでつい読んでしまいました。ご存じの方も多かろうと思いますが、この本
は、著者がかなり以前から書き溜めていて、亡くなる前に何度も推敲を重ねていたという原稿が文庫本化
されたものです。自分と妻の死後に発刊することを条件に盟友であった幻冬舎の見城社長に託していたそ
うで、かなり具体的で、赤裸々に綴られているのが特徴です。
 その中身は、全編ノンフィクション、公私にわたる行動とその背景を書き連ねた告発本とでも言うべきも
のです。子供の頃から大学生、「太陽の季節」で名を馳せてのちの文筆活動、関係した事業、政治活動、
闘病生活と死の床に至るまで、そのひとつひとつのステージでどんな心理状態で何を考え、誰と知り合いど
んな行動をとったかが、克明に綴られています。弟のこと、都知事時代の裏話も出て来ます。特に氏のプラ
イベイトな一面、就中、海(航海)の話、そして自認してはばからない旺盛な好色の話に至っては、さこれが
氏の行動力を支えたビタミン剤のようなものであったかと、妙に感心させられました。 

 読み終えて確信したこと、その一つは、ここまで書ける背景には、常に自分の想いや周囲にいた人々の
ことを、折に触れ事細かに書き留めておいたに違いないということです。そこが小説家、そこが文筆家なる
所以なのか、それはおそらく少年時代から学生時代に習慣化されたもので、政治家としての日々にして然
り、そして死の床にあってもなお絶えなかった習慣であったかと思われます。氏の小説や随筆の類は、須ら
くそこから文章化された上澄み液とも言うべきものだったのでしょう。
 もうひとつは、あるとき慎太郎の子息である石原良純氏がTVで話していた父の回想話に関連します。そ
れは病床で慎太郎が漏らした言葉で、"自分は子供達への関心がどうしても湧いてこなかった・・・すまなか
った" という述懐めいた一言だったと言います。氏が最後まで物書きを貫いた貪欲さ 物書きの業という
べきものの根底にあったのは、強烈なまでの自己愛ではなかったか・・・この本は、それを実証する一冊で
あったかと、そんな感想を強く抱きました。

★ 企画展(6月18日記)   

 当HPのお知らせにある通り、6月の20日から甲府で絵画の企画展が開催されます。「燦々」と題し、"百
歳の朝も描き続けてほしい作家たち" という副題がついた画廊主催の企画展です。今年初め、画廊側から
出展をしてくれないだろうか、とのオファーがあり、私は気軽に"いいですよ" と答えて、あれよあれよという
間にいよいよ明日が搬入、明後日が初日ということと相成りました。私の他に県下の4人の作家さんが出
展する予定で、それがどんな人たちであるのかもDMが出来上がって初めて知りました。何やらしっくりこな
い、そして何か忘れ物をしたままのような気分がどうも拭えません。私は、これまで何回も個展とか教室展
を開催してきました。それは、その都度私が主導し、アピールしたいことを考え、展示の方法を考え、工夫
を凝らして開催してきたものです。それに対して今回の展示会は、あくまで画廊側の意図とペースで運ば
れ、私はそれに乗り、出展する作品(今回は点ですが)を搬入し展示し終えれば、あとは会期が過ぎるのを
ただ待つだけ・・・とまあ、極論すればこういうことなのです。時折顔を出す積りですが、これまでのように会
場で一々お客様を迎えることもしません。なんかへん・・・主体と受動、その違いと言えばそれまでですが、
とはいえ、出展する作品に手抜きがあるわけでは一切ありません。まあしっかり10日間のお勤めを果たし
てきて欲しい・・・何だか、子供をイベントに送り出すような、今回はそんな気分がいつもとは違う、と言える
のでしょうか。
 ともかくも、6月20日から29日までの十日間、場所は甲府の「ギャラリー1045」(元「元麻布ギャラリー
甲府」)での開催となります。お越しいただければ勿論大変ありがたく、嬉しく思います。



〇ネクタイの時代(5月28日記) 

 故あって家の中の片づけをしています。断捨離の事始め的なもので、要らないものを処分して家の中を
幾分かでもスッキリさせ、幾分かでも空間を広げる・・この意図の下での作業がここ一週間ほど続いていま
す。処分する嵩が一番多いのが衣服。それは、肉付きが増える度に衣服を買い換える都度、いずれ痩せ
ればまた着用の機会ありと思ってとっておいた衣類の年輪となったようなものです。お察しの通り、この甘
い予測は一貫して裏切られ、今回、そのほとんどを処分する羽目となりました。処分と言っても、衣類のリ
サイクルはかつてほど言われなくなり、そのニーズも低下しているようなので、全ては"燃えるゴミ"として破
棄するだけです。改めてその分量の多いこと! タラレバの負の遺産は、こうしていくつもの燃えるゴミ袋に
押し込まれ、小分けをしてゴミステーションに持ち込まれることになります。
  
 この作業の途中、何本にも束ねられたネクタイを入れた袋が出て来ました。何本あるのか、とにかく相当
の数です! 言ってみれば、これは私のサラリーマン時代の証! よくもまあ、これだけのネクタイを調達
し、その日その日の背広に合わせて選んではなるべくカッコよく首元に結びつけ、鏡で一目確認しては家を
出る・・・そんな日常を長きにわたって繰り返してきたものです。私は商社マンでしたが、いつも客の前に立
つ仕事をしていたわけではありませんでした。それでも、身だしなみ、特に背広やネクタイの色や柄合わせ
には、かなり気遣う方だったので、自ずとその数も多くなったもので、ネクタイの山は会社勤めの日々の蓄
積と言えるものです。
  私は今、このネクタイとは無縁の田舎暮らしで、それが20年続いています。考えてみれば、ネクタイを
するのは冠婚葬祭のとき、それも年がらから言って葬の機会ばかり。色も黒と決まっています。こうしてネク
タイの山を眺めてみるに、全く用をなさなくなった代物を何故とっておいたのか不思議な気もします。そし
て、その理由を改めて思い出したのは、”いつかこれらを洋裁の生地に使ってみたかったから捨てなかった
の”という妻の一言でした。むろん今となっては、そんな妻の野望も胡散霧消し、二人とも、とっておいたこと
自体も忘れ去っていたのでした。すべてを廃棄する前に、せめての記念にと、その一部を写真に撮りまし
た。何だか、そこに折り重なっている遠い過去を眺めている気分でした。

〇久しぶりに散歩すると・・(5月4日記)    

 このFノート、暫く沈黙続きで、何も書き加えていないままでした。それがひと月ちょっとたった今頃はGW
の最中。気候はぐっと夏めいて半袖でも外を歩けるくらいです。この間、サクラが開花した4月上旬では、
一挙に季節が逆戻りしたり、いきなり夏めいてきたりで、結局この4月は、記録に残る中では最も暑かった
4月であった地点が列島各地で多数あったようです。もうかなり以前から感じているように、季節順化がま
まならないまま、じっくりと春を味わうことはもうなくなったような季節感覚が、気候変動の最中で常態化され
ているということなのかもしれません。
 まあそれでも、3月末から5月初めまでの間で、フキノトウ、フタバハギ、コシアブラ、と楽しみにしていた春
の味を一通り楽しませてもらいました。一方で、4月中頃からか、ここ何年か縁のなかった花粉症が復活し
たようで、私の抗体はリミッターを越えてしまったものか、目がかゆく、鼻はズルズル・・・そろそろヒノキの花
粉も終わる頃なのに一体何の花粉なのか、光り輝く春は要警戒の春でもありました。

 他にも所用いろいろありで結構忙しない日常を送り、この間散歩も怠ったままでした。それで今日は久し
ぶりに散歩に出てみました。私の場合は、肺疾患で直ぐ息切れする身体なので、散歩と言っても家の周り
をちょこっと歩くだけなのです。それでも道端の花々がいろいろ目に飛び込んできて、しばらく歩いていない
でいるうちに、周囲は花や新緑で賑々しくやっているではありませんか! やっぱりクルマに乗ってばかり
では気付かないものです。この気候変動の中でも、春の訪れと熟成はちゃんと進行中なのでありました。
スマホでパシャパシャやった写真を何点か載せます。
 

バイカシモツケ

青空に映えるサトザクラ

タラの木と甲斐駒

道端を埋めるヤブガラシ

コナラの新葉

ウワミズサクラは今が満開




〇繰り言、他人事、自分事(3月25〜27日記)

★ ポリーニが亡くなった
 25日の朝刊で、マウリツィオ・ポリーニの死が報じられていました。この世界的ピアニストの演奏は、私も
長きにわたってLPやCDを通して接してきました。あの正確無比の打鍵が生み出す音の粒立ちは、それま
で聴いたことのないほど揺るぎのない明確さと美しさに満ち満ちていました。特に切れ味抜群で美しく駆け
上がるパッセージが素敵でした。その最後の右手小指による打鍵は、ポリーニをおいて他のピアニストか
らはなかなか聴き取れなかったもので、ポリーにの代名詞とも言えるところだと私は思っています。もちろ
ん、だからと言ってポリーニの演奏が機械的で無機質では決してなく、その鮮やかな打鍵の強弱やニュア
ンスの上に、彼ならではの音楽性が紡ぎ出される・・そういった演奏でした。享年82歳、私と同じ年である
が故に、どこか他のピアニストにはない親近感もあったでしょう。訃報の記事に接し、私の頭の中には、彼
の奏でるショパンのエチュードや前奏曲集、それにチャーミングはモーツアルトが、鮮やかに駆け巡ってい
ます。







  
★ フキノトウ
 山麓に暮らしていて一番楽しい季節は? と問われれば、春という一言よりも、春の入り口と言います
か、もう直ぐそこに春が来ているといった感じの頃だと答えるでしょう。そんな頃合いの始まりは、フキノトウ
の芽吹きの頃と言えるでしょうか。他の山菜は冬ごもりがこれから明けようとしている頃で、野に山に芽吹
きの兆しがあちこちに見られる頃になると、人はもうその先のことしか眼中になくなるようです。この先への
膨らみ・・これこそ心躍るものです。ただ八十路を歩き出した私などは、そんな膨らみとは縁がない歳では
あります。それでもしかし、私を迎えてくれる環境が膨らんで見えれば、それで幸せだと言えるでしょう。

★ "オオタニ劇場"は・・・
 TVをつければ、どこかのチャンネルで"オオタニ"の名前を聞かない日はありません。この加熱した感の
ある報道ぶりには、いささか辟易とさせられる面も否めないのですが、彼の実績や優れた資質について
は、私も世間同様に大いに認めているところです。特に、ここ何年来の腹立たしく憤懣やるかたない世界の
ニュースに接してばかりいると、"オオタニ"は一種の清涼剤のように我々を癒し、ポジティブにさせてくれる
存在でもありました。まさしく"大谷劇場"をみんなが楽しんでいたと言えるでしょう。そこに不意に舞い降り
てきた、通訳、水原一平氏の事件です。事の経緯とか今後の推移など、これまた憶測が乱れ飛んでいて、
それは世界のヒーローを覆う疑惑と不安の暗雲となって広がっています。個人的には、ファンだった一平さ
んの裏切りは残念でなりませんが、大谷はこの暗雲から解き放されて、野球に専念できるのか気になると
ころです。あまり報じられることのない新婦も含めた私生活の面も然り、水原夫妻の喪失を埋める手立て
はあるのだろうか、マスコミならずとも邪推を禁じ得ず、大谷劇場の行方が気になります。

★ ライトアップ
 いまや観光地や名所は、どこに行ってもライトアップが珍しくなくなってきました。桜の季節は特にこのライ
トアップが常套手段で、これをやれば夜でも観光客がやってくるし、お金も落としていくというわけです。私
は、かねてよりこのライトアップには批判的で、特にお城とか神社仏閣など、これ見よがしにライトを当てて
浮き上がらせるのは如何なものかと思っています。日本古来の美や伝統は、昼は陽を浴び、夜は月明かり
の下でひっそりと息づいてきたその時間の積み重ねの上に残っているものです。夜、その伝統に触れたけ
れば、暗がりの中での佇まいを味わいそこに流れてきた時間を思うべきでしょう。歓楽街や賭博施設では
ないのです。何でもかんでもライトアップというのは商業主義の最たるもので、第一安っぽく品性にも欠けま
す。また、これこそエネルギーの無駄使いとも言えるものです。
 世界ではいま、"Earth Hour"なるいっときを設定し、その日の夜は、都会でも名所旧跡でも電気を消し、
暗がりの中で地球温暖化に思いを馳せるという消灯リレーが実施されています。WWFがこれを発足させ、
現在は170を超えるの国や地域にこの運動が広がっているといいます。何でもかんでもライトアップの流
れは、この際向転換をする方向で関係者全員が考えていくべきではないでしょうか。




〇春近し! (3月17日記)

 3月に入ってから雪が結構降り、寒さがぶり返したりしてきましたが、ここ二三日はすっかり春めいた陽気
となりました。昨日は所用で韮崎まで行ったのですが、道中クルマの運転席の窓は開けっぱなし。韮崎で
は昼前にすでに19度。帰路、我が家に辿り着くまでは600mほどの高低差を上がってくるので、気温も最
後は15度まで下がりましたが、それでも暖かな陽射しの下、八ヶ岳や南アルプスは、どこか陽炎のかかっ
たような大気の中にその白い姿を輝かせていました。週明けとともにまた寒さが戻るようですが、気温は一
応三寒四温のサイクルに入っているようです。
       我が家の庭の残雪もさすがにその領地を狭め、デッキ下ではクリス
マスローズの脇にフキノトウが姿を現しています。予報では花粉が最も
多く飛んでいりうらしく、昨日来どうもくしゃみが出て、鼻もズルズルす
るのはそのせいのようです。花粉症は、ここ何年かは治まったいたと
思っていたのですが、ウ〜ン、どうもこの歳にして復活? そんなことも
あるのでしょうか。

 それでも、サクラの開花予報を聞くにつけ、気持ちが華やいでくるの
は日本人の証しなのかもしれません。当地では、甲府で開花してから
十日ほど遅れての開花となるので、今年も4月の頭には白い梢が風に
なびいている姿を見ることができるでしょう。昨年はどうだったか、写真
ファイルを遡ってみたりするのも、この季節ならではのことです。
 

〇今年の降雪(2月10日記)

 もう毎度のことながら、雪の便りをちょっと。暖冬だ、雪が少ない、などと言いつつ、降れば降ったで、写真
を撮ったりで余年がありません。降雪は2月5〜6日にかけてで、雪明けの朝に計ったら28cmほどの積雪
でした。大雪警報が出ていた二日間でしたので、中央線や中央道では、閉鎖が相ついでいて、それなりの
魂胆をもたらした南岸低気圧の通過でした。
    ←我が家の東側

 我が家は市道から入った枝道の更に上の方に上がった突き当りなので、通常除雪車はここまでは入って
きません。"赤道"と地元では呼んでいて、かつて工事や伐採などのために造られた道で、市町村道のいず
れにも属さないという道なのです。ですので、例えば市や町に工事の要請をしても、管理下ではないので相
手にされません。結局、居住区の自発的組織たる区や組の中で適宜処理される問題となるのですが、そ
れはさておき、降雪があると、我が家へのアクセスは、最後まで雪が残るのが常です。こういう環境下なの
で、積雪があると先ずすることは、デッキと玄関周りの除雪に続き、アクセル部分をクルマで走って轍を付
けることです。轍を付けておくと、後に陽が当たってから溶け出すのが、轍の部分だけ周囲よりも早いという
理由です。むろんそういうことのできるクルマでないといけないわけで、スバルの四駆(現在はフォレスター)
はこういう折に実力を発揮してくれます。そうしてできた轍部分を使って、後によたよたながら配送や郵便配
達のバイクなどがやってくるという寸法です。ならば、自分でスコップなどを使用して除雪すればいいではな
いか、とい話になるでしょうが、実は最後に曲がって家までの距離が50mほどはあるし、肺活量が極端に
低下している我が身では、とても除雪作業などおぼつきません。
       ← 轍を付ける

 降雪後今日で4日目、轍部分とその周辺は徐々に地面が現われつつあります。生活に不自由することは
殆どありませんが、時折北側の屋根からドスンという音が聞えてきます。凍った雪の塊が滑り落ちているの
です。周辺の家の屋根を見ると、別荘の家は最後まで雪に覆われたままです。人がいない=暖房未使用
なので、屋根もいつまでも暖まらないというわけです。暖かみというのは、こうした降雪後の光景からも伝わ
ってくるものです。


〇 百貨店の思い出(2月4日記)  

 百貨店の売り上げは、コロナのステージ移行やインバウンド増加、高級志向などなどによってここのとこ
ろ伸びているらしく、一頃の衰退傾向とは違った局面にあるようです。それはさておき、百貨店でいくつか思
い出すことを書いてみました。と言っても、ここ何十年か、私は百貨店とは殆ど無縁の生活でしたので、か
なり昔話に属することばかりではありますが。

★新宿に行くと伊勢丹 
  デパートの記憶が一番多いのは、かつて私が中央沿線に住んでいた20〜30歳代の頃です。この頃
は、ちょっとした買い物と言えば新宿へ出て、何はさておいて伊勢丹(現在は三越伊勢丹)に行ってみたも
のです。伊勢丹に限らず、当時のデパートは地下の食品から地上の雑貨、洋服、電気製品から食器、家
具類まで、売り場はフロアごとに分かれていて、まさに百貨店という名に相応しい存在でした。結婚とか引っ
越しとか家の模様替えとか、折に触れて買物をした中には、新婚旅行用にあつらえたジャケットがありまし
た。女房も同じ時に上下のスーツをあつらえましたが、それ以前もその後も、こ衣服にれほど気張っ支出し
たケースはなかったと思うほど、オシャレなカジュアル・ウエア―でした。しかし残念なことに、新婚旅行以降
は二人ともなかなか着る機会がなく、年月を経て持ち主のサイズが変わってとても着られなくなり、以後長
い間どこかにしまったままになっています。気に入った家具とか食器も、多くは伊勢丹で調達しました。その
後どれほどたってからか、伊勢丹は専門店ばかりが居並ぶ店舗と化し、それに伴って私も足が遠のいたま
ま今日にいたっています。

★百貨店と友人たちのこと

◆伊勢丹で思い出すもうひとつのこと
 それは、小学校以来の友人のS君のことです。ある時相談があると言って不意に私の仕事場を訪れたS
君は、"クリは結婚するときの決め手は何だった?"と訊くのです。ウ〜ン、何だったか・・・と曖昧な言葉を
返しつつ事情を問い質すと、付き合っていたS嬢に促されて伊勢丹の家具売り場に行ったときの話をし始
めました。何でもS嬢がロッキングチェアーの前で立ち止まり、"これを私に買って欲しい"と言ったそうで
す。"何故?"とS君。すると、"私、結婚することになったので、そのお祝いに"とS嬢が・・。内心慌てふため
いた彼は、"そんなまだ早いのでは"とか何とか言ってその場を凌ぎ、次の日に私の職場に現れたのでし
た。
 私がどんなコメントをしたか定かに覚えてはいませんが、ひとつ言ったことは、"要は、君がS嬢を他人に
取られてすむのかどうか・・それだけの問題じゃないのか"。なかなか気の利いたセリフを言ったもんで
す・・・と勝手に自負していますが。その後の経緯は、S君はプロポーズをし、目出度く結婚が決まり、ついで
に私に仲人になって欲しい、という展開となった次第です。こうして同い年の新郎の媒酌人として式に参列
した記念撮影で"はい、新郎さんはこちらに"と間違われたりするシーンもありました。伊勢丹に因んだ懐か
しい想い出です。
京王百貨店では  
 もう一つ、新宿〜百貨店がらみでは、京王デパートを取り上げねばなりません。京王電鉄の新宿口にあ
ったこの店舗は、現在西口再開発で新しいビルになるとかで、百貨店自体の今後はよくは分かりません。
このデパートには、私の高校時代の友人I君が勤めていて、私もよく顔を見がてらでアパートに出かけて
は、彼の社員優遇の恩恵にあずかったりで、ビジネススーツもお決まりの京王オリジナルの売り場で何着
か仕入れたりもしました。彼とは会えば屈託のない冗談ばかり飛ばし合っては楽しんでいた中で、例えば雑
貨売り場では、私が、"このタワシを一個下さい"と言うと、真面目面をしてI君は、"当店では百個単位でな
いとお売りできません"と平然と返してきたりするシーンが・・・まあ、こんなエピソードは数多くありました。そ
のI君、頑張って役員になって間もなくの頃に癌が発覚。悪化したり好転したりを繰り返しただ五十歳代半
ばにして帰らぬ人となってしまいました。喉頭癌でした。私の近しい人の中では一番早く他界したI君、今で
も彼の屈託ない笑顔を懐かしく思い起こします。もう四半世紀前のことでした。

 百貨店にまつわる悲喜こもごもの話でしたが、私は横浜に転居後は、百貨店と言えば、たまに十合や駅
中の高島屋に買い物に行ったくらいでしょうか。そしてその後、当地八ケ岳山麓に移住してからは、たまに
甲府のオカジマに行っていましたが、そのオカジマノも閉店後、隣のビルのわずかなスペースを借りて細々
と営業を続け、既に百貨店とは言えない業態となっています。かつてのビルは現在大規模な改修工事の最
中で、山梨県も百貨店なるものは存在しない県となってしまったことを、女房が寂しがっています。




〇幻の大雪警報(1月22日記)

 今季初の大雪警報が出た20日(土)は、我が居住区である篠原区のゴミステーション清掃の日でした。
前日からの気象情報では、南岸低気圧接近に伴う大雪警報が、関東〜甲信地区の山沿いに出ていて、こ
の日は午後から本降り、ひょっとすると朝から雪が舞うといった予報でした。それ相応の格好をして臨んだ
のですが、結局清掃中は雪が舞うことはなく、終えて帰ったからの日中も降雪は大したこともないまま日が
暮れました。添付は、夕方に撮った庭の写真です。 これが翌朝はこんなに真っ白に!・・として写真を?点
並べる算段だったのですが、翌21日の朝が開けて窓の外を見ると、”な〜んもだ”・・・。 結局夜中の降雪
は雨に変わり、申し訳程度に積もっていた雪をすっかり融け流してしまったという次第でした。警報まで出て
いたのでホッとする反面、期待外れの拍子抜けが相待った朝でした。  
    ← この翌朝はすっかり雪も解けて・・・  

◆それでちょっと振り返ると・・・   
 移住して間もなくの頃は、積雪のあった朝は一番にクルマを駆って出かけたものでした。お目当てのスポ
ットに急行し、雪山の風景に心躍らせ、クルマの轍を刻み、撮影をし、後に絵に描き起こしたりするのが常
でした。これは60才代中盤くらいまでの話で、20年という年月を振り返ると、あの頃は若かったものだと今
にして思います。それに、あの頃は今よりもずっと降雪の多かった冬でした。

        ←こちらは2006年2月の写真 

 それでもう一つ思い出したのが、20数cmは積もったある朝、標高1600メートルほどの平沢峠を目指し
たときのことです。通行止めの看板もあったのですが、何本かの轍が横をすり抜けていたので、私もそれ
にならって峠越えを試みたのです。途中、深雪の中でスリップしたり、蛇行運転を余儀なくされたりで悪戦苦
闘。何とか峠のピークに達して真っ白な八ケ岳を目の当たりにしたときは、達成感と危機を乗り越えた安堵
感で深く息をついだものです。それが2015年の冬。つまり9年前の話で、いやいや72歳のその頃もまた
若かったのだ! と思い直したりもします。今はそういう無謀なことは絶対しないし、積雪の朝が来ても、家
の周りをうろつく程度のことしかしない・・・多分、というのが81歳現在の心境であります。

〇 「松のうち」あれこれ(1日記)

  "明けまして"と言うのも、大分憚れる気分となった5日の日にこれを書いています。今年は新年早々の
能登半島地震の報道に接し、あの東日本大震災の衝撃が蘇るような感覚を覚えました。さはさりながら、
私は私の正月を送っていて、同情とわずかばかりの支援の志を表す以外に、この日常の変え様がありま
せん。支援の手が広がり被災者の方々が少しでも安んじて過ごせる日が、一刻も早く来ることを祈るばか
りです。

 さて世間は昨日から仕事始め。この周辺の別荘地では、年末年始に見かけたクルマの数も一気に減っ
て、いつもと変わりない日常が戻ってきました。幸い、割と暖かなお正月で、八ヶ岳や甲斐駒ケ岳の姿もほ
とんど毎日見ながら、松のうちが明けようとしています。この"松のうち"という概念、私などはかつて家族
揃って七草粥を食べた7日の日までという、漠然とした認識を持っていましたが、最近の若者たちにはそん
な感覚もなくなっているのでしょう。また、関東と関西ではその期間が大きく異なっているようでもあり、つま
りは、年々この言葉も死語となりつつあるのでしょうか。

 世間は仕事始めと言っても、仕事をしていない私などは、朝から飲む気分もなくなったとか、年賀状の配
達を気にしないようになるとか、和風出汁を利かせた料理はちょっと遠ざけよう・・とまあ、そんな気分になっ
ているのがこの時節です。この和風出汁敬遠の気分に関しては、3日に早くも高じてきて、お昼には近くの
コンビニでパンを買ってきたほどでした。

 年賀状の配達事情については、付言しておきたいことがあります。当地での賀状配達は午後も大分陽
が回ってからとなるのが普通で、気軽に歩いて行けるポストはなく、そこに投函しても集配は午前中の一回
だけ、一日でも早く相手先にと思ったら、6,7キロ先にある市内で唯一正月も開いている郵便局までクル
マで行って投函しなければならない・・・といった事情があるのです。ですので、朝のおとそ気分はその分量
とか切り上げる時間とか、厳密な自己管理を強いられ、それは賀状のもたらすお正月気分を大分殺ぐもの
です。本来なら、1月2日などは一杯やりながら「箱根駅伝」を楽しみたいのですが、そうも行かない事情が
あるのです。

 2024年問題は郵便配達の人手不足の面も然りで、それは当地では早くから始まっていると言えます。
人口の少ない田舎では仕方ないとはいえ、人口の高密集地である都会ではどうなのか、はるかに高効率
の配達態勢を享受できているのではないでしょうか。この効率という問題は、都会と田舎の格差をますます
広げる要因となっていますが、効率だけを優先する社会、それを司る政治の在り方、更には日本人の幸福
度という概念そのものも、そろそろ方向修正すべき時代が来ているのではないか・・そんな想いもふと湧い
てくるお正月のひとときです。

 年賀状自体に話を戻すと、歳とともに書くのが段々億劫になり、何人かには"今後賀状は割愛させてい
ただきます"とお断り付きで出している人も大分増えてきたように思えます。実情はしかし、そう書いて出し
ておきながら、自己管理と記憶が行き届かないまま、翌年にはまた出してしまっている・・・こういう事態もま
た私だけではないでしょう。たかが賀状、されど賀状。年々同じ感想を持つ松のうちです。


  ↑ ここから上が2024年
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  
  ↓ これより下が2023年

<2023年>
〇 印象的だった「最後の授業」(12月30日記)  

 今年もあと2日を残すだけとなりました。今年を振り返ってどうこうというのではないのですが、ひとつだ
け、印象に残ったTV番組について書きます。またTV絡みの話かとお思いの向にはひとつご容赦願います。
 番組は、NHKで11月25日に放映された、建築家 伊東豊雄の「最後の講義」です。
伊東氏は1941年生まれ、建築の世界的な賞をいくつもを受賞している日本を代表する建築家の一人で
す。「最後の講義」には、建築家を目指す学生(おそらくは選抜された何人か)が受講しており、氏の話に耳
を傾け、質疑応答を交わして濃密な時間をともにしていました。
以下、書き記したい一部だけ。

 伊東氏は、数多くの国際的コンペや大規模な施設などの建築に係わってきた中で、東日本大震災後の
復興に携わって、建築家としての大きな示唆を受けたと言います。その一つ、復興集合住宅の設計では効
率よくコンパクトな住まいの設計を意図していた中で、利用者たちの声に耳を傾ける機会があり、そこで彼
らが望んでいたのが入居者同士が寄り集まって過ごす空間であったことを知ります。プライベイトな居住空
間よりも、住民同士が交流し、地域性を培ってきたまさにその環境を繋ぎ停めてゆきたかったというわけで
す。 関連して、元々は、それぞれの特性を持った市や街が、復興後は何処も同じような顔となってしまっ
たことが、氏には残念でどうにも理解しかねることであったといいます。どうしてなのか? ここで伊東氏は
建築と文化について触れます。故岡本太郎氏は文化(culture)とはcultivate(耕す)からきているという話を
引用して、文化とは長い歴史の中で育てられてきたものであり、建築とは本来そこに寄り添っていくべきも
のではなかったかと述懐します。最近の東京における開発のいくつかを引き合いに出し、近代建築は文化
を捨てて、文明だけで全てを片付けようとしているのではないか" という指摘もまた強く印象に残るところで
した。そもそもこの話の一部は一学生の"建築において大事にすべきことは何か?"との質問に答えての
話に出てきたもので、質問をしたその学生も、何度か深く頷き、 "ありがとうございました"と、心から振り絞
るような声でお礼を口にしていました。
 この学生も含め、全体的に印象深かったのは、聴講していた学生たちの目の輝きと、真剣な表情でし
た。彼らのこうした姿を目にして、これが若さというもの、それも未来を感じさせる若さではないか・・・こんな
風に大いに共感を覚え、清々しい気持ちとなったのは久しぶりのことでした。何だか豊かな気持ちにもさせ
られた「最後の授業」でした。



〇今年もあとわずか(12月23日記)

 年の瀬とは何時頃からのことなのか、12月も20日を過ぎるとその感が強くなります。今年はどんな年だ
ったか、来年への抱負は・・などと構える気などさらさらない私ども八十路夫婦は、大掃除も諦めて最小限
の御節だけを揃えようとか、薬は年始まで大丈夫かとか、そんな算段だけを考える年の瀬です。私個人
は、年末とお正月を過ごすお酒だけは、早くから買い貯めてあります。
 例によって、思いつくままの繰り言です。

◆ 先生

 思い返すと、私は当地に移住して間もなく、人に請われるまま水彩画の教室を始め、ずっと今日まで15
年間、それを続けてきました。一番大勢いたときは生徒さんが20人を数えました。よくもまあ、そんな大勢
の人たちに教えていたものだ、と思う傍ら、生徒さんともども楽しんでいた頃を、懐かしく思い出します。
 そんなことで、私は"先生"と呼ばれて久しく、そう声をかけられても何の違和感も覚えないようになってい
ます。そういう我が身に照らすと、先生という呼称はかなり軽いもので、呼びやすいものでもあろうとの認識
を新たにしています。私が先生であった場面は絵以外に何かあったかと振り返ると、一つだけ思い出すの
がスキーの先生をしていたときくらいでしょうか。ゲレンデの斜面に居並ぶ何人かの生徒さんを前に、説明
をしたりデモンストレーションをしたりと、若い頃は結構もて囃されていい気になっていたものです。
 一方で私は、誰かを面と向かって先生と呼ぶような日常があっただろうか、直ぐには思い起こす人がいそ
うもない・・・考えてみると少し不思議な気がしてきます。学校の先生や研修などの場は別です。師と仰ぐ人
物がどうもあまりいなかった、と言うかそのような関係性を自分から避けてきた、とも思えてきます。一匹狼
と言えば格好つけ過ぎですが、私にはどうも独り歩きをしたがる性癖があるのでしょう。先生と呼んだ例外
的なケースは、スキーやスキューバダイビングを習ったときくらいなのです。
 とまあ、なんと言うこともないのですが、冒頭の水彩教室は、その後生徒さんの数が年齢的問題や健康
上の理由などなどによって漸減し、私の方は自然減を受け入れて特に補充もしないまま今日に至っていま
す。それで今は5人だけで続けているのですが、だからといって手間も意欲も減じたわけではなく、ともに楽
しみながらという基本姿勢もまた変わってはいません。上手くなりたい、教えて欲しいというニーズに答えて
いくことは、八十路となった自分にとってもひとつのインセンティヴであります。一緒に楽しみながら・・もま
た、教室のおいてのみならず、日常を送る上でますます欠かせない要素となっています。
 


◆ 人間の可愛さ

 元Jリーグのチェアマンであった川渕三郎氏が23年度の文化勲章を受けましたが、その授賞式の映像を
TVで観た方は多いと思います。川渕氏は授賞式の挨拶をしたとき、妻への感謝の念を表すために壇上に
妻を呼び、"これまでずっと支えてくれて・・・"と声を詰まらせながら言葉を継ぎ、最後にはハグまでしたので
す。ぎこちないハグではありましたが、観ていて私もこみ上げるものがありました。川渕氏は今年87歳、私
よりも6歳年長ですが、欧米人ならごくありきたりのこんなシーンを、日本人の年長者が公の場でとることは
殆どなかったのではないでしょうか。私はそんな氏を見ていて、人間の可愛さとか男の優しさを感じ、大い
に共感を覚えたのでした。男女を問わず、人はいくつになってもどこかに可愛さを宿していたいものです。
それは、自制心とか羞恥心といった日本人に特有の価値観を補完し、素直で魅力的な日本人像ともなり得
るのではないか、などと思ったりもします。

◆関連して”言葉の素直さ”について

 上の話題と少し関連して思い出したのが、これまた司馬遼太郎の「風塵抄」に書かれていた一節です。そ
こでは、NYでの歌舞伎公演に先立って行われた日本人のある著名人のスピーチについて書かれていまし
た。この御仁は長い間そつなく言葉を継ぎ、スピーチを終えましたのですが、会場でアメリカ人と一緒にそ
れを聞いていた一人の日本人が、いたたまれない気分を禁じ得なかったというのです。この項で司馬遼太
郎は次のようなことを書いています。
 ”話し手の正直さこそが、言語における魅力をつくりだすのである。それが唯一の条件ではないにせよ、
正直さの欠けた言語はただの音響に過ぎない”
そして、決して日本人が不正直と言うことではなく、正直さを表す練度が不足しているのではないか・・と続く
のですが、この先は割愛させていただくこととし、つまりは、このスピーチに欲しかったのは、この本音とか
素直さを表すさりげない表現ではなかったか、と書いているのです。日常的に政治家とかどこかのお偉いさ
んの建前論的な言葉ばかりを耳にしている我々としては、まさに肯ける指摘でした。

◆ 翔平のことば

 日本人のみならず、MLBファン全員が注目したであろう大谷選手の去就、それは12月17日のドジャー
ス入団記者会見の場で、一つの締めくくりを見ることになりました。私もTVでその場面を観ていた一人です
が、契約自体のことはさておき、入団のスピーチを聞き、またその後の記者との質疑応答の下りを見るに
つけ、彼の発する言葉が実に的確で関係先への配慮を欠かさず、その上でいつも自分の言葉で話してい
た、という点が大変印象深いものでした。そしてここでもまた、日本の政治家の体裁と責任回避のみに徹し
た言質を引き合いに考えざるを得なくなるのでした。大谷翔平29才は、そのプレイのみならず、言質に置
いても優れた日本人であると言えそうです。
 ちょっと話は離脱しますが、最近いろいろ言われている大阪万博に要する大阪府負担分の費用負担は、
1116億円とも言われています。府民一人当たりの負担が2百万円以上云々・・・。これを聞いた妻の一言
が、「大谷なら一人で賄える額じゃない」 ・・・でした。然り、でもそんな比較をするのはゲスというものでしょ
う。



〇 今年の紅葉はどうだったのか(11月18日) 

 当地八ケ岳山麓では、標高によって晩秋〜そろそろ初冬へと、紅葉の表情は様々です。我が居住帯であ
る千メートル前後では、大分樹々の梢も透けてきて、見えなかった山の稜線が見えるようになり、地面は落
ち葉に敷き詰められてしまいました。側溝のある道路では所により落葉が堆積して清掃が必要にもなって
きています。11月の半ばには、季節が平年並を通り過ぎ、13日には八ケ岳南面に冠雪を見ました。同日
はまた、甲斐駒ヶ岳の初冠雪が報道されました。平年より14日遅れだそうです。我が家でも一昨日の早朝
でマイナス2度、寝室の室温も13度と今季最低、もちろん日中でも暖房なしでは過ごせない日が続いてい
ます。ただ、来週になると気温の戻りがあるようで、平年並みを上回ったり下回ったりを繰り返しながら、師
走へと流れ込んでいくのでしょう。  
            八ヶ岳南面(権現岳)の初冠雪

 それで、今年の紅葉はどうだったのか‥少し振り返ってみますと、確かに9月は暑さが残り、例年の秋雨
は殆ど見られない乾燥状態で10月に突入。さすがに暑さも和らぎ、空も高くなってきたものの、雨は相変
わらず少ないままで、全体として秋の進行具合は大分遅れていたと言えるでしょう。そして11月、例年なら
秋たけなわと言っていい日和が続くのですが、これが長続きせず、半ばになって寒さが急に訪れたのは先
に触れた通りです。
       
      イチョウは鮮やか          一方で紅葉の前に枯れてしまったケヤキ(風景の中の茶色の部分)

 紅葉の具合は一言で言うと、こんな気象状況の受け止め方が樹木によってまちまちで、全体的には歩調
が合わずすっきりとしない感が否めません。その進捗具合が時期や色付きの度合いという点で不揃いで、
季節ならではの鮮やかさに欠けるということです。そんな異変などどこ吹く風と鮮やかに色づいたのはイチ
ョウくらいでしょうか。逆にこれは大変だと慌てふためいたのがケヤキでしょう。ケヤキはかなり早くから紅
葉の前に枯葉となっている姿がほとんどで、これは毎年欠かさずに目にし、絵にもしている風景から見て取
れることです。森の紅葉が精彩を欠く最大の要因が、このケヤキにあると私は思っています。それで気にな
ってネットでチェックしてみると、ケヤキは今年の夏の猛暑を子孫繁栄上の危機と受け止めたらしく、例年
より早く実を付けたため、早くから葉が枯れ落ち始めたといいます。通常ケヤキは結実が落葉を促すのだ
そうで、秋に入っての結実とこれに伴う葉っぱへの栄養補給遮断、そして紅葉という、このいつもの工程が
狂ってしまったらしいのです。

 以上はこの界隈を見ていての印象で、全国的にはどうだったのでしょうか。いずれにしても、 気候変動
の影響は植物の世界でも多種多様、樹々はその姿も性格も多様なので、紅葉の具合もまた文字通り、色
とりどりと言ったところでしょうか。
                以下は、それでも綺麗だった瑞がき湖畔の紅葉
         
                



〇 繰り言づくし(11月6〜15日記)

 自分事はさておき、ここのところ"ケシカラン"と思うことの数々を書きなぐりました。
口さがない年寄りの戯言シリーズです。

◆クマの出没、無責任な声
 今年は里へのクマの出没が異常に多い年で被害件数が記録的となっています。この背景にはクマの餌と
なるブナをはじめとするドングリの不作があるようですが、特に東北の秋田や岩手の皆さんは、さぞかし
戦々恐々で大変だろうと察します。人里に出て来て餌にありつき人を恐れなくなる習性は、放置すると遺伝
子に受け継がれ、遭遇事故が日常的にエスカレートしていくとも言われています。従来の山〜里山〜居住
区の棲み分けがあやしくなっているこんな状況下、人命に及ぶ事態ですから時に駆除をするケースも増え
ているようです。
 この種のニュースを観ていてケシカランと思ったのは、TVへの登場機会が増えているある若手教授(?)
の言でした。この事態に対するコメントを求められると、"元々はクマの住んでいる領域を侵してきたのは人
間の方ですから"と、臆面もなく言うではありませんか。何と無責任かつ短慮に過ぎるコメントか! そんな
ことは言わずもがなで、今後その棲み分けをどうしていったらいいのか、ポイントはそこにあるわけです。大
体この御仁、自分の住んでいる家や庭の中にクマが出没し、家族が危険な目に遭っているとしたら、ぬけ
ぬけとそんなコメントをしてはいられないはずです。駆除をするたびに非難の声をあげるネット上の無責任
な連中の顔が見えるようなコメントでもありました。


◆首相の不人気
 岸田内閣の支持率が下がる一方です。政策の問題もさることながら、内閣の枢要を占める議員の不祥
事やお粗末さが目に余ります。このお粗末さを報じる側も、不支持の背景にある本質に触れていない点を
歯がゆく思っている方もまた大勢いるのではないでしょうか。朝日新聞で一度だけ「旗を掲げない首相」とい
った趣旨の見出しの記事を目にしたことがありました。私も、本質はここにあるとかねがね思っていました。
大体一国の首相たる人は、この国のあるべき国家像を示すべきで、そこに向けていま何が問題で、どう取
り組んでいったらいいのか・・・そこを明らかにすべきでしょう。これがポリシーというもので政治の基本にあ
るべきものです。政策や人事はこれに沿ってやっていくべきです。政治家がpolitician、statesman と言わ
れる所以で、その旗を掲げることなく、その場その場を凌ぐ政策を打ち出すという、いわば対症療法に終始
しているところに、不人気の最大の要因があると私は思っています。まあそれでも総理になれるわけで、派
閥の論理、調整能力だけで物事が進められる政治は、一体いつになったら風向きが変わるのでしょうか。



◆関連して、議員の資質とは?
 上記の中で触れましたが、資質を問われるのは首相や大臣たちだけではありません。国の行く末を左右
する立法をという大事な任に当たる国会議員のそのものの資質が、今ほど問われている時代はないでしょ
う。男女の議員比率云々以前に、議員そのもののクリアーすべき資格や資質とは何なのか、選挙以外に
篩のかけようがないのか? 一度原点回帰で考えるとべきではないでしょうか。 その任に当たるに相応し
い人として、選挙以前に立候補をできる資格試験を考えていいのではないか、と思うのです。例えば司法に
携わる人には司法試験があり、あらゆる種類の公務員にも公務員試験があり、入社試験、入学試験は言
うに及ばず、建築家も乗物の運転も、皆試験を通過してその資格を与えられます。試験という篩を通過して
初めてその任に着くわけです。政治の世界ではこれがありません。人脈と金さえあれば立候補できるという
今のやり方が、二世、三世議員の増加や、議員としての資質低下をもたらしている現状は見ての通りでしょ
う。議員定数の問題、二院制の問題などなど・・・しかしそれ以前に、国会議員のこの資質の方が根本問題
であろうと、私はかねがね考えています。


◆日本各地のナントカ村〜今更ながら・・
 日本人の未だ根強い外国、特に西洋への憧れ? 各地に林立する西洋を模したナントカ村・・・スペイ
ン、ドイツ、オランダなどなどは、やはり島国ニッポン、鎖国の歴史を持つニッポンの哀しい性を物語るもの
なのでしょうか? 先日TVで宮崎の海岸沿いに、あのモアイ像が立ち並んでいる光景を見て驚きました。あ
れは実寸大なのか、あの風光明媚で私がかつて新婚旅行にも行ったあの海岸線で一体何が?? と思っ
たのですが、ちょっと調べてみると、サンメッセ日南という施設がオープンした1996年に、その目玉として
モアイ像が建設されたそうです。何でも本場のモアイ像復元に日本チームが貢献したことがきっかけで、イ
ースター島からの許可も得てつくられたとか。27年も前からモアイのいわばコピー版が居並んでいたわけ
で、私などはTVを見て愕然とし、何故何もなくても美しく他に代えがたい日南の海岸に? との疑問を新た
にするのでした。例えば私が外国で、日本の陽明門のコピー建造物を見たとしてどう思うか、何とも幼稚で
文化度の低い仕業だと思うに違いありません。 今や、インバウンドの増加の背景にはホンモノのニッポン
に接したいという風潮が強まっていると聞きます。AIが時空を超えるような疑似体験を可能にしている時代
であるからこそ、我々日本人はホンモノを見直し、他に代えがたいニッポンを再認識すべきでしょう。
 ああそれなのに・・・と、つい先日はまたTV番組で、黒部渓谷の入り口にある宇名月でアルプスのツエル
マットを摸した街づくりをしているといった報道に接し、まさか宇名月までが? と訝しく思いました。黒部峡
谷もその入り口である宇名月も、世界に冠たる魅力を秘めた観光資産です。その良さを肝心の地元が汚さ
ぬように願うばかりです。


◆富士山麓で何が・・
 これもTV山梨版で目にしたことでした。 富士山麓の森に生えた樹齢何百年と言われるミズナラの大木
を、倒木の恐れありとして伐採することになったという話です。画像を見ると、周囲の森を圧するような威厳
に満ち、幹回りは一体どれほどあるのかと、見当もつきかねるような大木です。その大木の上の方から枝
を払い、幹を少しずつ切り、最後はその太い幹の根元まで伐採してゆきます。観ていて違和感を禁じ得な
かったのは、現場で立ち会った林業関係者でしょうか、その多くの人達が、これは思ったほど損傷が進ん
でおらず、いい材として使えそうだと手放しで喜んでいる様子を観たときでした。画像からはしかとは分から
なかったものの、倒木の怖れがあるとすれば、主幹を蝕んだ証の大きな洞があるはずなのに、それほどの
ものは見当たりません。関係者を喜ばした理由の一つはこの点にもあるのでしょうがしかし、そうであるな
ら、そもそも伐採の必要などなかったのではないか? 下の部分だけ残して伐採すれば別に倒木の恐れも
なかったのではないか、一体どんな理由で皆伐採に踏み切ったのか、少なくとも私には、自然遺産をしっか
りケアーして保存するといった視点が著しく欠けていたように思えて仕方ありません。

 これは山梨県の県風に関係してのことか、関連して思い起こすのが、富士登山鉄道構想の話です。山梨
県では富士山への登山客増加と環境破壊への対応策として、現在のスバルライン沿いに登山鉄道を建設
し、乗り入れ規制と併せて新たな観光資源創出を図るという構想です。初めてこれを耳にしたときから、そ
んな大工事以前にやるべきことは山ほどあるだろうに、という一事でした。登山客増加、中でも装備不足や
富士山という山への尊厳を欠いた外人客の増加は、このまま放置すると世界文化遺産たる資格と品位を
損ないかねません。まず事前の十分なPRに取り組むべきでしょう。ことさら大規模な整備などせずとも、一
日の入園数を規制している自然遺産は世界にはたくさんあります。登山鉄道の建設構想には論理の飛
躍、自然保護という衣の下に観光収益を優先しようとする意図が見え見えです。中部横断道やリニア新幹
線の建設への前がかりな姿勢も然り、どうも当地の県政には、この種の風潮が強いようで、かねがね気に
くわない処です。
 この富士登山鉄道、地元の富士吉田市は、真っ向から県の構想に反対していて、これには共感を覚えま
す。今回は一般市民、県民の声を聞こうとアンケートを実施しているので、私も反対の意見を認めたところ
です。


・・・・・そして以下は、"ケシカラン"という話ではありません。むしろ好意的に書き添えたいことのいくつかで
す。

◆ 大谷翔平〜日本人の野球好き
 MLBの歴史を塗り替えている選手の活躍に酔いしれ、それを讃えているのは、我々日本人だけではない
ようです。それにしても、日本人の野球好きは今に始まったわけではなく、MLBの主要な試合をすべて放映
するという句には、米国以外にあるのだろうか?と思ってしまうほどです。少なくとも大谷の存在が、この流
れに拍車をかけているのは確かでしょう。かく言う私は、特に野球好きというほどではないのですが、あの
WBCで優勝した喜びは他の人と等しく(多分同じように)味わいました。その一方で私は、加熱する報道を
よそに、大谷の野球に注ぐストイックな情熱が、年齢的にみても墓穴を掘ることになりはしないかと早くから
懸念してきた一人です。その危惧は皆さま存じの通りの顛末となりましたが、今はストーブリーグでの加熱
した報道が連日繰り広げられております。日本の小学校への6万個のグローブ寄贈も話題となっていま
す。一帯全部でいくらくらいか?などとゲスな計算をしてはいけません。同じようなお金持ちでも、こんな行
為をしている人は少ないのではないでしょうか。今や一番多いスポーツ人口はサッカーだそうです。野球人
口は減少の一途であったようで、おそらく大谷の願い通り、グローブ寄贈もまた、野球をやりたい少年少女
を増やすことは間違いないでしょう。

◆谷村新司の死
 いろんな著名人の死が報じられ、いちいち縁遠いことではないと思うのは、もちろん年齢のせいがあるで
しょう。今年も"あ〜こんな人が"と思わせる訃報にいくつか接しましたが、歌手の谷村新司他界のニュース
は、一段と惜しまれるものでした。享年74歳、若すぎます。 その死が身近に感じられたのは、彼の歌をた
くさん歌ってきた思い出があるからです。ときにマイクを片手に歌った曲は、「昴」、「忘れていいの」、「サラ
イ」、「いい日旅立ち」、そしてこれは作詞だけのようですが「終止符」もいっときは十八番としていました。"
歌は世につれ、世は歌につれ"と言っても、もうピントこない世代が大半となっているのでしょうが、私の場
合は谷村新司の歌が、私の過ごしてきた時間のどこかに重なっているのです。あの歌声と人柄もまた、惜
しい人を亡くしたと思わせるところで、そんなこんなが、死を惜しむ所以であろうと思います。むろん、歌とい
うか音楽そのものも、大なり小なり人の人生を彩っているもので、歌い手の死とは、そんな気持ちを思い起
こさせるものです。





  

〇 スキーの話 〜雪よ岩よ我らが宿り・・・(10月2日記)

 これは、ありし日のスキーの話です。こんな思い出を振り返ることになったきっかけは、ある捜し物があっ
て古いアルバムをひっくり返し、そこで何枚かのかつてのスキーの写真に再開したことでした。 そこには、
半世紀以上前のスキーをしている溌剌とした自分の姿がありました。

★車中の歌声
 話は中学3年の冬、亡兄と姉との三人で行った初めてのスキー体験から始まります。石打からの帰り、列
車に乗ったときのこと。列車がホームを後に動き出した夕暮れ時、車窓には茜色に染まった雪山が流れて
います。初めて体験したスキーの興奮や、その雪の舞台から別れる名残惜しさで胸一杯となっていたそん
なとき、車内のどこからか男性数人の歌声が聴こえてきました。 "雪よ岩よ我らが宿り♪・・・" 当時は山男
の間でしか歌われていなかったこの曲が「雪山賛歌」であることは、後になって知りました。聴こえてくる歌
声・・"俺たちゃ町には住めないからに♪ ・・・"この瞬間、電撃に打たれたように、私はスキーの虜になっ
ていたのでした。

★スキーに入り浸った学生時代
 高校受験が待っていたので、二度目は高校生になって初めての冬休みで、その後はスキーが毎冬の行
事になり、やがて大学進学も果たすと、毎冬、毎春先、そして時には夏まで雪を求め、雪の上でエネルギー
を燃やし続けてきた学生時代でした。多い年は、年間40日前後はスキー場にいたでしょうか。ときに指導
員のアルバイトで旅費を稼いだりもしていました。冬・春休みはもちろんスキー場で送り、その後社会人とな
ってからも年末年始は欠かさずスキー場で過ごしてきました。こんな具合でしたので、青春はスキーに捧げ
尽した・・・というとちょっと言い過ぎすが、そんな学生時代を送ったものです。当時はまだ宅急便もなかった
し、高速道もそれほど発達していなかった時代です。スキー行きは常に長いスキーと大荷物を抱え、夜行
列車に乗ると先ずスキーを網棚に吊るし、床にスペースがあれば床に横になったりもしたものです。クルマ
もいつも暗い一般道走っていた記憶ばかりです。それでも何の苦も感じずに雪を求めていたのですから、
これぞ若さ、青春時代の馬力というものでしょう。

★当時のスキーなど
 社会人となってか結婚もして中年を迎え、社内ではそれなりの地位に近づいて部下もできる頃になると、
さすがに馬力も失せ、そうは休暇を取ってもいられないようにはなりましたが、年末年始や連休のとき、や
りたいことの最前列にいつもスキーがありました。
因みに、一般スキーにおける技術の変遷は、使用するスキーやスキー靴の作りとも相まって、毎年少しず
つみられてきました。特にスキー板はその長さが年々短くなっていく傾向が続き、素材的にはグラスファイ
バーが主流となってきました。一頃は、上級者ほど長めのスキーを履くのが自負心となっていて、私の場
合、20代の中頃には166pなのに205pの板(フィッシャー製のメタルスキー)を履いてブンブン飛ばして
いたときもありました。顧みると、馬力は衰えたとはいえ、技術的には中年期の方が充実していたかと思う
ほどです。

★曲がり角〜現在へ
 しかし、さしもの私も、スキーへの熱が徐々に冷め始めたのは、カ―ヴィング・スキーへの移行に伴って
極端に短いスキーが主流となり、誰もが比較的楽にターンできるようになった頃からでした。その頃はま
た、スノー・ボーダーが増え始め、その影響もあってか、だぼだぼなスキーパンツに代表されるように、スキ
ーのルックスも一変して、かつてのスキーの面影は随分と変わってしまいました。年齢的には、これが60
才台前後からのことでした。
 私が八ヶ岳に移住してからは、それこそ手の届く距離にスキー場がある環境にもかかわらず、私のスキ
ー用具は物置の中で埃をかぶったままとなりました。体力的な問題や、身体的な問題もこれあり(こちらの
方がトホホで、スキーパンツなどいくら頑張っても履けない体型となり果てていて・・)、スキーは遠い彼方の
ものとなってしまいました。実は、一度近所の仲間に誘われて、往年の姿を見せんとスキーに出かけたこと
があったのですが、それが7年前のこと。私の足腰は既に別人となり果てていて、みっともない姿を晒してし
まったかもしれません。

 ここに載せた何枚かの写真は、スマホで撮り直し改めてデジタルファイルに入れた、かつての自分の雄
姿です。先のおわら風の盆の話といい、昔を振り返り懐かしむのも、歳のせいと言えるのでしょうか。こんな
機会も、もう二度とはないかもしれませんので、手前味噌を大目に見てもらえれば、と思う次第です。
 
   
          1967年 蔵王 大平コース                        1969年 5月の山田峠
 1968年 苗場 筍山




〇高原の秋たけなわに(10月19日記)

 いよいよ秋めいてきました。ここ、八ヶ岳山麓の標高千メートルより上の辺りでのことです。我が家では庭
のカツラが、黄葉した葉をもう半分以上落としています。秋晴れの意も多くなり、いつもの散歩道も密集した
ススキの白い穂が道を防ぐほどです。標高1020mの当家でこんな感じ。昨日スケッチ教室では、もっと高
い所は紅葉が見ごろになっているはず、と踏んで訪れた美鈴湖(1633m.)は、まさにそのピークでした。そ
のときの写真とスケッチを載せます。八ヶ岳の山腹も、日に日に黄葉の色を濃くまといつつあります。あとひ
と月ほどは、高い所から低い所まで順番に下ってく紅葉を楽しめことでしょう。そしてその紅葉の下りてくる
に伴って、冬の足音があとを追うように大きくなってくるでしょう。でも、今はその先をあまり考えず、日々紅
葉を追っかけて過ごしたいところです。
    

我が家の東隣から。シラカバはまだ青味が。  ススキで覆われる散歩道       標高1633mの美鈴池は紅葉の最中



〇 10月、遅れを挽回する秋(10月6日)
 
 10月に入り、あれほど残暑の厳しかった9月はあっという間に遠ざかり、今年はついに過ぎゆく夏への感
傷などはどこかに吹っ飛んでしまった感じです。そして秋は急いでその遅れを取り戻すかのような毎日が続
いています。例年秋一番のように報じられている北海道旭岳の紅葉と冠雪は、例年より9日も遅かったそう
です。これを書いている5日の朝は、富士山の初冠雪が報じられました。こちらは昨年よりも5日遅く、平年
比では3日遅れだとか。
    我が家のカツラ、黄葉はまだこの程度なのに、風は冷たい初冬のよう。

 ここ八ヶ岳山麓の当家付近では、今朝の気温が7度、寝室の室内温度は17度台で、ちょっと暖房を入れ
たくなるくらいでした。今日も日中の最高気温も16度くらいだそうで、ここのところ、札幌の最高気温をも下
回る日々です。季節は一挙にひと月ほど先行、ウールのベストを取り出して寒さをしのぎ、風邪気味の体調
が鬱陶しい昨日、今日、ゆっくりと秋の訪れを味わいたかったのに、最近の季節の進行はそんなことなどお
構いなしにで、薄情なものです。
 10月3日の天高い秋空の写真です。
   
  大泉の田園地帯。上空は掃いたような巻雲が    清里では茅ヶ岳の向こうに富士山が重なって・・。


〇 山麓は急激に秋へ(9月25日記)

 今日は日曜日、今朝の気温は12度まで下がりました。日中で22度、ここ何日かの平均からすると、朝
は7度前後、日中で5〜6度は下がって、漸く秋の大気に包まれたような一日でした。それはそうでしょう、
もう9月も24日なのですから。日没前に少し散歩をすると、実に久しぶりに陽射しが心地よく感じられまし
た。大分ススキの穂も白っぽくなり、コスモスは満開、紅葉し始めた木の葉も見られます。今週の後半には
また、気温が上がる日もあるようですが、遅まきながら夏の気配が消え、秋の舞台が広がりつつある山麓
です。写真を少しだけ。
ps これをアップした日の朝は9度、ついに10度を下回りました!
   


〇高原は秋へ(9月6日記)

 9月に入っても、相変わらず厳しい残が全国的に続いているようです。加えて、一頃は日照り続きで東京
の水瓶も危うい状態だったようですが、こちらは台風のハイシーズン到来で、何とか見通しが立ったのでし
ょうか。多分親せきや友人が多くいるせいからか、東京のことは、他人事として静観して済ますわけにはゆ
かないところがあります。
 さて、こちら八ケ岳高原は、秋のサインがあちこちで見受けられるようになっています。空は既に秋模様
で、巻雲が尾を引いていたり、羊雲が広がっていたり、山の端ではさしもの積乱雲も、その勢いを日に日に
弱めつつあるようです。日に日に高くなりつつある空を背景に、アキアカネも飛び交うようになりました。スス
キの穂も白くたち始め、コスモスもあちこちで咲き始めています。
 

田圃は黄金色に(8月31日)

散歩中に出会ったコスモス(8月31日)

高い空に飛行機雲(9月1日)

夏の終わりを告げるような茜色の日暮れ(9月2日)

ススキとひつじ雲(9月4日)

クリの実も一人前に(9月5日)
 当家では、この夏エアコンを入れたのは計4日ほど。現在夜は結構冷えるので、窓は締め切って寝るよう
になっています。先日は、南隣の住人で6月に埼玉県に引っ越したIさんが、週末の避暑のために戻ってき
ていて、立ち話をする機会を得ました。Iさん曰く、"いや〜向こうではエアコンを切るときがありませんよ。こ
こ(小淵沢)の良さは、ホント、離れてみて分かります" ・・・とまあ、千メートルの高原ですから、これくらい
は自慢させてください。尤もその分、冬は厳しいこと言うまでもありません。その冬の到来まで、短い秋をせ
いぜい楽しみたいものと思っています。


○久しぶりに「おわら風の盆」のこと(8月27日記) 
 
 ・・・と言っても、久しぶりに現地に行ったという話ではなく、以下は久しぶりのおわら思い出話です。
 今年もおわらの季節がやってきました。コロナ禍の制約が解けて、今年は何の制約もないおわらが盛り
上がることでしょう。私は2016年を最後に、おわらとはずっとご無沙汰状態が続いています。あの暑い中
での夜を徹しての行事は、私の体力ではもう付いていけないのが現実。おまけに八尾の旧市街は全て坂
の町、肺疾患のある私の行動域からは外れてしまっているのです。

 それでも・・・ここからが、今日書きたかったことの肝となってきます。八尾に行けなくても、私にはあのお
わら節が聞え、踊り子たちの所作が目に浮かび、あのおわら独特の静かな喧騒が、私を包みます。今年
は友人と行った近所の食事処で、そこのオーナーが富山出身でおわらの話で盛り上がったかことがきっか
けとなって、余計その想いが強まりました。記憶を辿って踊りの所作などもなぞってみたり、改めてYtubeで
確認したりで、もう6年にもなる空白を埋めようと試みたりもしました。山麓絵画館に展示した「おわら風の
盆」も、そうした思いが高じてこれまた久しぶりに描いてみたものです。この流れに乗って、これまでのおわ
ら行きのことを手帳などから紐どいてみたりもしました。もう随分前の話で、一部は記憶の彼方に消えかけ
ていたのですが、記憶を呼び起こすと概略以下のような備忘録となるものでした。
    
  ・TVで風の盆のことを知り、初めて八尾に行ったのが2000年のこと。
  ・2003年までの4回は連続で、遠路横浜より通った。
  ・2005年以降は移住先の現小淵沢より通う。
  ・その後は途中何度かの中断をはさみながらも、2016年までの16年間で計12回に及ぶ。
  ・最後のおわらは2016年、74歳の年、体力的な限界を覚えてこれが最後となる。
  ・大体は単独行であったが、人を連れて行ったり現地で会って案内したりが半数近く。
  ・最盛期(私自身の)には、"かどや"という鏡町の飲み屋を拠点に、飲んでは町に繰り出すという
  おわらを楽しむのマイペースが定着(残念ながらこの店は2010年頃店仕舞い)。
  ・おわらとは別に、八尾の町には二度訪れている(2004年には「坂の町アート展」参加で数日間
   八尾に滞在)
  ・おわらの絵を描いたのは初回の2000年以降のことで、以後12年間は毎年制作を続ける。
  (当HP「おわら風の盆」 参照)。

 ・・・こんなところが振り返って整理できたことで、まあ人さまにはどうでもいいことながら、私の短くも思い
出深いおわら史でした。私自身、何かに感動して追っかけ的な行動をとった例はこのおわら以外はな、通
えなくなって久しい今になっても、おわらの季節が近づくとその想いが蘇ったりします。私の年齢故のことで
しょうか、おわらそのものも、おわらと縁のあった人たちのことも、今更ながら懐かしく思い出します。
 

 ・・・以下は後日談としての追記です。
 9月2日の夜、NHKがおわら風の盆の中継番組を放映しました。BS4Kを記念した3時間に及ぶ番組で
したが、嬉しかったのは、この放映のこと、今やっているよ、といった声掛けを何人かの友人たちからもらっ
たことでもありました。おわら全体の中継となると、とても無理な話ですが、この日は諏訪町と鏡町という人
気の町内を中心に、それも正式な時間帯内でのおわらを垣間見るといった作り方でした。私は、録画をし
ておきながら、結局全部観終えることになってしまいました。我が家で酒を飲みながら、三味線や胡弓の音
色に浸れた幸せな時間でした。



〇繰り言、他人事、自分事

◆ 関東大震災百周年(9月1日記)
 9月1日は朝からTV各局は災害への備えを訴えかける記念番組を放映していました。十万人という犠牲
者の数に目を奪われますが、元々は相模湾を震源としたM7.9の地震で、倒壊家屋や土砂崩れなどの被
害は、神奈川県が最も多かった事実は、あまり認識されていなことでした。犠牲者の多くは東京下町に集
中していて、大半が火災旋風に襲われたものでした。当時の木造家屋の密集が、火災旋風を煽った一因
でもありますが、千度の熱風とは想像し難いことです。まだ記憶に新しいマウイ島の災害も、この火災旋風
の威力で、海に逃げ込んだ人の生命を奪った恐ろしい現象だったようです。

◆ 再び東京への一極集中の危うさが
こうした番組を見るにつけ、東京への一極集中という事実は、改めて危険と隣り合わせであるという認識を
新たにさせます。私がいっとき注目していたコロナ下での東京からの転出数が転入数を上回るという傾向
も、コロナが下火になるにつれ、また元の転入増にもどってしまったようです。先々月の上京で目にした東
京の変わり様、際限のない開発ラッシュは、全て経済原理優先のスパイラルに沿ったもので、そこには安
全優先、人命優先といったテーゼは埋もれて浮上し得ないまま、一極集中が止めることのなできない勢い
となっている ・・・それが今の東京の姿と言えるのではないでしょうか・・一個人の大言と取られようと、私の
抱く危機感は変えようもありません。方向転換をもたらすのは政治であり、それを動かす民意でもあるでし
ょう。ときのリーダーたちは、この問題をどう捉えているのか、報道はその点をどう見据えているのか、私に
は伝わってこないままの記念日でした。

◆ 火葬場が足りない(8月某日記)
 大分次元の異なる話かも知れませんが、これも一極集中の矛盾を示す一事として、最近目に留まったニ
ュースがありました。最近、首都圏では火葬待ちが顕著で、平均4〜5日、場所によっては1週間以上、火
葬の順番を待たねばならないというのです。死亡者数の増加は、この40年で2.2倍以上となり、高齢化に
伴って今後更に増えていく傾向がある一方、火葬場の数は首都圏で58ヵ所と変わらず、いろいろな理由で
増設もままならないという現状を報じたものでした。上記の大震災でも起こったら一体どうなることか、考え
るに恐ろしい事態ではありなすが、これまた憂慮すべき一つに違いありません。



◆ 音信不通(9月3日記)
 音信不通というのは、どこか気になってほっておけない事態であります。現在のネット世代では、例えばラ
インでは既読、即変が通常時とすれば、音信不通という事態は、よほど特別な事態ということにはなるので
しょう。しかし、我々の如く、手紙から固定電話、その後にメールという音信の手段を経験した者からする
と、メールのやりとりで音信不通とは、およそ半月からひと月くらいの無言状態という認識でしょうか。それ
は、相手との交流の濃さも関係するでしょうが、我々のような年齢ともなると、音信不通は何か良からぬこ
とがおこっているのでは、とついつい憶測しがちです。さもなければ、こちらからのメールを無視する何らか
の理由があるはずだと、とこれまた余計な憶測をしがちです。こんなことを書くのは、最近、何故音信不
通? と思わせるケースが続いたからです。そして、その答えは既に出ていて、ともに拍子抜けするもので
した。ひとつは海外旅行で不在だったことが理由、もう一つは、返事をしなければと思いつつ出し渋ってい
ただけということでした。後者のケースは、先方からの詫びの電話でそれが分かりました。ともに拍子抜け
する結末でしたが、やはり、一言でも返信しておいた方がよろしかろう・・・と、なんということもない結論に帰
する話でした。実はもう一件、音信不通が長く続いているケースがあるのですが、これは相手が私よりもず
っと年下だし、現役の働き手でもあるので、取り越し苦労はしないに越したことはなさそうです。




〇 眠れぬ夜の司馬遼太郎(8月15日記)
 私はかなりの不眠症だと自認していて、昼間や晩酌後のいっときには眠りに落ちる(しかも、居眠りの度
を越して)のに、さて床に就くと眼が冴えてしまうのです。そして夜な夜なトイレに立っては寝床に戻りを繰り
返して、朝を迎えるのですが、どうも真夜中に当たる3時前後には、自分でもどうかしたのかと思うくらい眼
が(多分頭も)冴えて、ここで抗うのは無駄とばかりに眠りは諦めてしばし本を読んだりスマホを覗いたりし
ています。本は枕元に数冊の文庫本が置いてあって、気分次第でどれかを手に取って適当にページをめく
ります。
 本の一つが、司馬遼太郎の「風塵抄・・二巻」。氏が産経新聞に連載していたエッセイをまとめたもので
す。題材はその辺の日常とか世相とか史実などからとったもので、大体が4〜5ページの章建てになってい
て、どこを選んで読んでも肩は凝らないし、読書を切り上げるのも後を引かないで済みます。もう何度同じと
ころを読んだか知れませんが、それでも読ませる処が司馬遼たる所以でしょうか。ここでは、私ごときが氏
の論評をするのはおこがましいので、いくつか改めて気付くことを抜き書きしてみます。


◆司馬”私観”
 司馬史観とよく言われ、その史観なるものの位置づけがが歴史上のどの辺にあるのか・・などと論議され
たりしています。しかし私は、史観もさることながら、より広い意味での司馬私観とも言うべきものを感じ取
っています。私観となると誰でも(ことにモノ書きは)一つの視点として持ってはいるはずですが、司馬私観
は、知性の大きさと感受性の豊かさに加え、常に物事の本質に迫る氏特有の探求心とか好奇心から醸成
されているところに魅力を感じます。既成の価値観とは一線を画した氏独特の手作りた感とでも言いましょ
か、そこが説得力やある種の温度感を伴って読者の譜に落ちていく、そういう司馬私観に私は惹かれま
す。

◆いくつかの心に刺さる個所を
 こんな調子で、私自身の論証を進めてもに何の説得力もなさそうなので、読んで心に刺さるいくつかの個
所を取り挙げてみます。文章の断片ながら、こちらの方が司馬私観の一端が沁み出ているかも知れませ
ん。
<「言語の魅力」より>
〜NYでの日本人のあるスピーチに触れて
 ・・・話し手の正直さこそが、言語における魅力をつくりだすということである。それが唯一の条件ではない
にせよ、正直さの欠けた言語は、ただの音響にすぎない。・・・政界のやりとりをみると、ついそう思ってしま
う。 
<「高貴なコドモ」より>
 ・・・人間はいくつになっても、精神の中にゆたかなコドモを胎蔵していなければならない。でなければ、精
神のなんの楽しみもうまれないはずである。
 ・・・人は終生、その精神の中にコドモを持ちつづけている。ただし、よほど大切に育てないと、年配になっ
て消えてしまう。
<「悲しみ」より>
〜この項には印象に残る言葉がたくさんある〜
・・・さらにえらい凡夫は、百万遍もの人の世の無常を感じつつ、そのつど自分流の哲学をもって人生を再
構築する。
 ・・・ユーモアを一枚の紙にたとえると、上質のむなしさと、気品のある楽天主義とが表裏をなしている。そ
のはざまで弾けるのがユーモアで、洒落や冗談とはちがう。
 〜この流れで漱石に触れ、漱石の俳句"菫ほど小さき人に生まれたし"に触れる。
 ・・・私自身の思い入れのせいか、漱石の人と生涯と作品が、この一句でわかるような気がする。
 ・・・文学の基本が、人間本然の悲しみの表出であることは、いうまでもない。

 まだまだ枚挙に暇ありませんが、最後の一節などは、司馬氏の透徹した視線が感じられ、何度も読み返
してしまいます。

 「風塵抄」の各エッセイが書かれたのは、86〜96年の間ですが、何処を読んでもでも古さは感じられま
せん。時代が変わっても変わらぬ本質に触れているためです。その一方でしかし、もし司馬氏がSNSやAIと
の密な結びつきの上にある現代社会に戻ってきたら、一体どんな感想を抱くのでしょうか。是非呼び戻して
訊いてみたいのは私だけではないでしょう。



〇食い物の恨みは・・(7月25日記)

 食べ物、それもレストランで供された食べ物についての不平についてです。TVではしばしば美味いものが
紹介され、リポーターやゲストがそれらしい食レポを目にする度に、一度はそこに行って食べてみたいと思
っていたのはもう何年か前までのこと。私はそもそも並ぶのはイヤだし、何よりも八ケ岳の麓に生活してい
る身で、そんな旨いもの屋が周辺にあって気軽に行けるわけではありません。そんなシーンは別世界のこ
とと受け流すだけとなりました。それはさておき、普通グルメレポートと言えば、写真入りの美味しいものの
食体験ですが、以下は実体験で、それも不味かったケースの体験記です。かなり不愉快な想いをそれも二
度連続して味わったので、これを書く気になりました。ちょっと買い出しに出た折に入った市外のレストラン
でのことです。

 ひとつは、ある大型商業施設内にある中華レストランでのこと。何軒か並んだ店の大半はすでに何度
か入ったことがあって、これといった決め手を欠いたまま消去法のようにして選んだこの中華の店で、私は
冷たい系の中華そばを、妻は酢豚定食を注文。出てきたメニューの品を食した途端、どちらもこれが中華
料理を商う店の味かと疑念を沸かせるものでした。プロのやっているはずの店なのに、代金に見合うだけ
の味が一切感じられないばかりか、これでは自分で作った方がよほど美味いと思わせる代物だったので
す。以前来た時はこれほどじゃなかったと思う一方で、よくもここまでこんな料理を客に出し続けてきたもの
かと、呆れるばかりでした。後日、この話をした友人もまた同じ店で炒飯をテイクアウトした経験があり、世
にも不味い代物だったと酷評してので、誰の目にも明らかな評価であろうと思えました。

 もうひとつは甲府市内のある和食のチェーン店での話です。これまた積極的に選んだ店では一切なく、
夏休み入りしてどこも子供ずれも多く落ち着けそうもなかった中で、あそこなら結構静かかもしれない・・と
いった程度の思い付きで入った店でした。それで、先ずは派手な料理の写真をたくさん配したメニュー、一
品に詰め込んだ品数の多さ・・・などを見て、早くも選択を誤ったかと思いつつも注文を。やってきた料理を
目にして既に食欲が失せました。何とも安物の天ぷらの色と触感、柚の風味と書いてあったはずなのに得
体のしれない香りを放つ麺、見ただけで味は知れています。じつはその前から、従業員の接客態度や客層
を見て、こういう店だったかとわが記憶力に自信喪失を覚えつつ、結果的には料理の多くを残し、逃げるよ
うにして店を退散したのでした。先の中華といい、この和食といい、そう言えばどちらも店内は混んではいな
かったなどと思いつつ、SNSの声など消費者の目が厳しくなる環境下で、よくもこんな店が存続するものだ
と、ちょっと不思議な感覚さえ覚えたものです。

 さて、このように我が身の不運を呪う経験をした一方で、対照的とも言えるあるシーンを最近目にして、こ
れまた世相なのかと思ったりもしています。それは高速インター近くのコンビニでのことですが、暑かった
のでちょっとアイスでも買いにそこに立ち寄って驚きました。駐車場は満杯、店内は長いレジを待つ人の
列。そしてレジ待ちの誰もが手にした買い物かごの中にかなりの量の食べ物が詰め込まれていました。こ
れを滞在先の宿で食べるのか、或は帰路クルマの中で渋滞への備えとするのか、いずれにしこの光景
は、隣接した老舗土産屋と食事処の空いている駐車場とは対照的な光景でした。
 最近・・と言ってもすでにかなり以前からと言うべきでしょうか、インスタントやレトルト食品には当たり外れ
がなくて美味しいものが多く、コンビニなどは特にこれらを厳選して並べているので、私なども時に今夜のお
かずにと買いに行くくらいです。これでは、その辺のレストランも安閑とはしていられないと思うのです。つま
りこういう状況であるのに、先の二店舗は一体何だったのかと、不運に見舞われた一犠牲者としては、そ
のはけ口としてこれを書いた次第です。いつの世も"食い物の恨みは怖い"ものです。



〇繰り言、他人事、自分事

◆いまさら問われるITとの親和性

 ITとの親和性・・IT literacy、一頃こういう慣用句があって、IT文化への馴染み具合を表す言葉としてよく使
われていました。今更こんな言葉を持ち出すのも時代にそぐわない感もありますが、世間の実態は依然と
してIT literacyが問題視されるような組織や業界などがあるものです。それはITがAIにその主役を奪われ、
chatGPTに代表されるように、人間vs人工知能のせめぎ合いが現実的に問題視される時代になっている
のに今更ながら・・・と言うべきでしょうか。まあ、こんなことを書きながら、私自身のIT文化への馴染見具合
は棚に上げてこれを綴ります。

 先ごろ、裁判所の文書保管の問題を取り上げたニュースに接して驚いたことがありました。それは、最高
裁主催の裁判所長間の会議で、歴史的、社会的意義を有する多くの裁判記録が破棄されている現状に触
れ、文書保管の改革の必要性を認識しようという趣旨の会議でした。そのニュースでは、かつて少年法の
下で裁かれた裁判記録が破棄されている事実を引き合いに出して報道していました。その中で、犠牲とな
った幼い子供の父親が、裁判記録の破棄は大事な社会的記録の喪失であり、父親としては、子供にとって
の生きた証の喪失をも意味するものだと語っていました。裁判所ではこれまでの重要な判決に係る裁判記
録につき、一部を除いてその大半を判決後何年もしないうちに破棄してきたのが現状という事実が最初の
驚きでした。さらに驚いたのは、その破棄の理由として保存の場所が足りないという事由があげられていた
ことでした。保存場所がない?? このITの時代、このAIの時代にあって、日本の司法府は旧態依然たる
原本主義や判子捺印の紙媒体に拘り、保存場所がないという事由で大事な社会的記録を破棄してきたと
いうのです。ICチップにすればわずかな枚数で収まる文書の電子化という問題に手をつかないまま今日に
至っている・・・それが司法界の現実なのです。

 関連して、マイナカードを巡る混乱した事態の続発は眼を疑うばかりです。これは個人情報の担保という
システムの根本が危機に晒されている事案で、不測の事態というよりも、起こるべくして起こった現実という
点が問題なのです。言うまでもなく、マイカ制度はデジタル社会実現に向けた国家レベルでの取り組みであ
り、国民への浸透を図った鳴り物入りのプロジェクトでした。本来デジタル化とは、システムの標準化を通し
て全体の効率化を目指すところにその意義と目的があるはずで、このマイカ制度もこれによって従来関係
省庁間で分断されていた個人識別を横断的に統一して効率化を図ろうという趣旨であったはずでした。そ
れがどうでしょう。トラブルの元たるシステム上の問題も、行き着くところ省庁間の旧態依然たる縦割組織
の弊害に起因し、その弊害はトラブルへの対応面でも色濃く出ているという始末なのです。一体デジタル庁
の設立とは何だったのでしょうか? 裁判記録の問題も同根で、どうもこれは、IT literacy後発性だけに留
まらず、日本の中枢における組織体の器量が問われていると言われても仕方ないでしょう。
・・と、以上は未だアナログ系に安堵感を覚える一老人の嘆き節でした。

◆通り抜けていくだけのAI音声  
 
 最近TVではAI音声によるニュースを聞く機会が増えています。ニュースを男女のアナウンサー(実は男女
の音声)が交互に読み上げるのですが、一聴して何の支障もなく普通のニュース番組を視聴している感じ
ではあります。しかしどこかメリハリに欠けると言いますか、聴き手を掴まえるところがないまま聞き終えて
しまう、という印象は免れません。発音やアクセントは正確なのですが、聴き手の心に刺さるような、メリハ
リとか強弱とも言うべきか、そういうものがないのです。そしてその印象は、画面隅に表示されている"AI音
声でお送りしています"という小さなテロップを目にして、ハハ〜なるほど、と初めて納得させられるのでし
た。

 もう一つ、同じような印象を受けたのは、ある唱歌が録音されている音源を耳にしたときでした。「あすな
ろ」と題する童謡で、私はあるドラマで登場人物が口ずさんでいたこの歌を久しぶりに耳にして懐かしく、改
めてどんな歌だったかを知りたくなって検索すると、見つかった音源がAIの音声で歌われたものでした。こ
れまた抑揚というものがなく、音符の全てが一定の正確な音程と音質でなぞられ、それが繋がって音声に
なっているといった印象です。揺らぎがない音源とでも言いますか、人間の歌う息遣いとか間というものが
ないのです。そして聴いているうちに、歌というものは逆にそうした揺らぎのが聴き手に届き、聴き手の心に
共鳴する・・それこそが歌というものであったかと、改めて思ったりしました。

 二つの経験から、私たちが喋ったり、語ったりするとき時に発する音声には、この音律とか間とか強弱と
いった揺らぎというべきものが自ずとあって、それは私たち誰もが、意識せずとも自然と発しているという事
実に改めて気付かされます。話すときも歌うときも決してフラット一辺倒ではない、そして、その揺らぎこそ
人間の感情の発露であり、人と人のコミュニケーションを促す要素であったかと、改めて気付くのです。これ
が自然体というものでしょう。AIはその自然体を備えるまで至ってはいないということなのかもしれません。
 関連してもう一つ、例のchatGPTの作る文章からも似たような印象を覚えます。押しなべてフラットでスム
ースな文章なのですが、ある種のとっかかりを欠いたままスラッと読み終えてしまう、そういう印象が拭えま
せん。音声同様に欠けているのは抑揚とか一種の揺らぎであり、或はこれこそ個性と言うべきでしょうか。
AIは人の心を掴まえたり響かせたりする個性を手にしてはいないのが現状ということかもしれません。


◆日本の空は世界一    

 日本の空は世界一だと思う・・気象予報士でもある石原良純氏がどこかの講演会で発した言葉です。私 
はその言葉をTVで耳にして、思わず我が意を得たり! と膝を叩きました。空が世界一ということは、そこ 
に漂う雲が世界一面白く、変化に富んでいるということでしょう。そもそも雲は地上の水蒸気が蒸発し、上 
空で冷やされて水滴や氷となったものです。その出来方は、地上の地形や気象条件によっ て異なり、様々
な表情を見せてくれるものです。

・空が世界一なら地上も世界一
 日本の雲は世界一変化に富んでいて面白い、ということはつまり、日本の地形や、気象的要件もまた世
界一変化に富んでいて面白いということになるのです。実はこちらの方が、私が常々実感してきたことで、
ここで言いたかったことでもあります。日本列島は、大陸を背に太平洋を前にした島国であり、四つのプレ
ートがせめぎ合ってつくられた複雑で変化に富んだ地形の上に成り立っています。これに温帯で多湿、明
確な四季の存在など、日本の置かれた地理的要因が加わり、これらの奇跡的出会いの上で、世界にも希
な変化に富んだ列島の営みを続けています。この奇跡的出会いは一方で、地震や噴火に代表される自然
災害のリスクをも内在するもので、私たちはその代償としての美しさを私たちは享受していると言えなくも 
ないでしょう。しかもその美しさ、多様さは海と山の両方に及び、多様な植生も手伝って醸成されるもので
す。
 私は風景画を描いていて、この日本の風景のかけがえのない美しさをごく日常的に感じ、そこに暮らして
いることはありがたいことだと思 っています。それは例えば、セザンヌやゴッホなどが目にしていたであろう
風景を想像してみるとよく分かり ます。自然の風景という点につての話ですが、彼らが描いていたのは概し
て平板な台地と荒涼とした岩 山、植生も単調な自然風土ばかりです。そこに人々の生活の気配がなけれ
ば、およそ風景としての単調 さは拭えない、といった感じではなかったでしょうか。あくまで風景を創り出す
自然要因に限った話で、イギ リスの或はオランダの風景にしても大同小異と言えるのでしょう。

・日本の若者も・・・
  さて、繰り返しますが、こうした風景の多彩さを作る地形と気象要件は、そのまま空のそして雲の多才な
表情をつくり出すものです。そんな環境の中で育ち日々を送っていることは、改めて顧みられることがごく稀
なことと言えるでしょう。さらに言えば、こうした類稀な自然の中で育まれた文 化もまた、世界に類い希なも
のとして改めて想起されるべきでしょう。インバウンド増加の最中にあって、世界が日本に向ける視線は、
この我々の寄って立つ自然と文化の美質に注がれていると言えるのではないでしょうか。我々自身もまた、
この美質を見つめ直す必要があると思います。特に、日本の若者には、日本と いう国の持つ世界に稀な
資質につき、ときに目を向け改めて誇らしく感じて欲しいものです。時代が如何様に「変わろうとも、自らの
寄って立つ足元を再認識し誇りに感じてこそ、世界に対峙できる足元もまた盤石なものになるというもので
す。
         

 
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〇変な5月〜そしてもう6月(6月5日記)

 今年も早や6月。私は先月81歳となり、今年2月に八十路入りを果たした妻ともども80歳の壁登攀にか
かっています。かつて他人から80才になるとまた一段といろいろあると言われてきたその年代になり、いよ
いよ・・と言うか、後戻りできないというか、いやいや後戻りする道筋も思い起こせないというか、そういう老
境になった次第です、ハイ。もう6月か、という感慨を覚えつつ、自然と私の誕生月であった先月のことに想
いが及んで書きだした次第です。

 さてその5月、風薫る爽快な季節であるはずなのに、何だかへんてこな五月でした。これは今に始まった
わけではなく、"春"という期間が昨今極めて短縮されているという既に何年も前から経験している、地球規
模での気候変動の一環なのでしょうか。今年はその春の訪れも早く、サクラの開花は全国的に例年より2
週間ほど早く、それが全国的に同じ前倒しの傾向となりました。そしてこの早い季節の展開は、新緑然り、
高原に咲く花々の開花然りで、4月から5月へと諸事諸々前倒しの季節展開となり、ついには夏の到来も
その分早くやってきたように思えます。
少し歳時記風に書くと、毎年虎視眈々と収穫を狙っているフキノトウも、採りに行ったときはすでに時遅し
で、毎年楽しみにしている庭のコシアブラの芽を採取したのは4月23日前後で、一頃よりも十日前後早い
収穫時期でした。スミマセン、歳時記風と言いながら山菜の話ばかりでした。そして中旬になって17日は3
1度という5月としては過去最高の真夏日となり、風薫る季節は一足飛びに熱中症に要注意の季節に突
入。ところがその後再び3月の気候へと極端な後戻りをしたりで、この寒暖の激しい日々は、老体には堪え
るものでした。

 この間、いくつかの検診が重なって、いつもの内科検診、歯医者、眼科医・・・と、あちこちの病院に行きま
した。老人同士の会話に欠かせないこの話題、私はこのFノートでもできるだけ避けてきたのですが、つい
に登場です。かいつまんで言うと、歯医者は歯周ポケットに黴菌が入ったようで、久しぶりのあの大嫌いな
痛みを発症、そして久しぶりの歯科の治療台に乗り、久しぶりの痛み止めのお世話になったりもしました。
眼科の方は、実はコロナ下でもう2年以上敬遠していた術後(緑内障)の定期検診の再開で、こちらは施術
を受けた大学病院からかつてお世話になっていた近くの眼科に引き継いでもらう手筈とし、診断書(引継ぎ
のための)持参でその眼科を訪れたのでした。先生お久しぶりで・・と馴染みの女医先生に挨拶するや否
や "どうしてもっと早く来なかったの" と一喝されました。検診の結果、叱った余勢のように思えないでもな
い目薬点眼の再開を命じられ、目下先生の怖い顔を思い出しつつ、点眼を続ける毎日です。内科のホー
ムドクターの所では、最近とみに激しい息切れのことを相談するや、次回は血液検査と心電図チェックとあ
いなりました。「80歳の壁」で推奨されていた健康診断回避、医者からの独立独歩は、そんなに上手くは行
かないという現実と目下向き合っている最中です。

  6月、山麓では至る所水田に早苗の光景が広がっています。

 そんなこんなでもう6月。夏のシーズンインとなって水彩教室の方もお休みに入り、郊外での活動も減りつ
つあります。そんな人間活動の小休止など意に介さないように、自然は刻一刻と変わりつつあります。緑は
ますます濃く単調なトーンに変わり、大地では草が伸び放題。一昨日は家の周辺で刈払機を回しました。
私は老体を理由に肉体駆使の活動は免除させてもらっているのですが、ちょうどこの日が地区の環境デイ
で、朝から聞こえてくる刈払機の音を耳にして、せめて我が家周辺だけでも・・・と、意を決しての労働となっ
たわけです。1時間もしないうちにくたばってしまい、この疲れは結局終日消えないままでした。しかし庭を
見れば、以前から気になっていた庭木が驚くほどの逞しさで伸びているので、こちらの伐採もやらねばなり
ません。八十路の身では屋外のこうした労働も限界を感じますので、そろそろ我が山麓生活も見直さねば
ならないのかと、昨今はそんなことも頭を過ります。となるとこのFノートもまた・・という想いもまた湧湧いてく
るという、そんな具合で過ごしている初夏ではあります。



〇繰り言、他人事、自分事 (5月1日記)
◆ 本屋が消えていく  
  日本中の街のあちこちで、本屋がその姿を消しつつあるようです。身近な例として、隣の富士見町では、
良く買い物に行くショッピングモールにあったI書店が3月末を以て閉店しました。自然や風土に関連した本
を多数揃えたいい本屋で、私などはこのモールに行く目的は、スーパーとこのI書店がセットになっていたく
らいですから、この閉店を惜しむ人は大勢いたはずです。もうかなり前のことでしたが、これも隣の韮崎市
では、R堂という大きな書店の閉店もありました。広い駐車場と広い店内が魅力で、韮崎市に行くときは必
ずといていいほど、先ずはこのR堂にクルマを停め、中を覗いていっときを過ごしたものです。この書店の
閉店後の大きな敷地はコンビニにとって代わったのは、世間の潮流を見る思いでした。
 
 同じような流れは大都市でも見られました。甲府では老舗百貨店オカジマの閉店と規模を縮小しての移
転に伴い、店内にあったこれも大きな規模のJ書店も姿を消しましたし、東京駅のあの「八重洲ブックセンタ
ー」が姿を消すというニュースに接したのもつい最近のことです。ブックセンターは再開発で建つ総合ビル
のテナントとして復活するのだそうですが、オープン当日に5万人が押し寄せたというあの地下一階、地上
八階という本屋ビルが姿を消すのも、時代の流れを象徴するものと言えるでしょう。
本屋というのはいわば本のある広場的存在でした。それは、新聞の優れた資質である一覧性の魅力と通
じるところがあり、世間を見渡すようにして書棚を物色したり、気になる本を手にしては中身を覗いてみたり
と、この立ち読みの良さとは、通販では味わえない魅力であったといえるでしょう。本が目当てか、本屋が
目当てか・・・ 一種のウキウキ感を共有する世代にとって、時勢とはいえ寂しさを禁じ得ない本屋さんの消
失であります。

◆ ETCはあのミナミちゃんの声!  
 日のり子という声優を知っている人は、そんなに多くはいないかも知れません。かくいう私も、その声優
の名前は知らなかったのですが、あのコミック「タッチ」のヒロイン、浅倉南のことは、アニメ化されてのちは
レンタルビデオ屋から借りて来ては何度も見ていたのでよく知っていました。もう30年ほど前の話ですが、
あのちょっと甘ったるい声、双子の主人公をときにたしなめるお姉さんぶった声は、男性ファンのみならず
多くの視聴者の心をくすぐる"おんなのこ"の声だったと言えるでしょう。
 その日のり子が出演したあるTV番組で、ちょっと意外な事実を知ったのはつい最近のことでした。誰も
が耳にしているあのETCの声・・・"ETCカードが挿入されています。有効期限は〇〇年の○月です"・・・これ
が彼女の吹きこんだ声だったのです。多分に大人びた番人向きの声とはなっていたものの、我々ドライバ
ーはクルマを動かすたびにあのミナミちゃんの声を耳にしていたわけです! 
以上は、だからどうという話ではないのですが・・・。


◆ アナログ〜デジタル〜そしてAI
 私も齢80歳ながら、一応外出にはスマホが欠かせない身ではあります。PCは使い始めてもう30年近く
になります。今さら言うまでもないのですが、ネット環境というものは、若者のように身に付いたものではな
いのです。いわばアナログ時代から脱し切っていないデジタルの漂流者とでも言えるのが私らの世代の特
徴でしょうから、際限なく続くシステムの更新とか刷新というたぐいのことは、もうそっとしておいて欲しい、も
う構わないで欲しいと思うばかりです。
 それで、気にくわないことを縷々書きだすとキリがないし、大体辻褄のあった文章にはできそうもないの
で、以下私の憤懣をブチまけてみる次第です。

・ Windows11 など勝手に導入しおってケシカラン! 何時からそうなったのか知らないが、私は今の
W10導入のときさえ怒っていたし、それに馴れてきた頃になってまたヴァージョンアップとは何事か。リスク
管理上のニーズもあるらしいだが、どうもマイクロソフトの身勝手な振る舞いに思えて仕方ない。私はW10を
変える積もりはないし、もっと言えば、私はかつてのお気に入りであったXPで十分だったのだ!

・ ウエブブラウザーもまた勝手にMicrosoft Edgeなるものに切り替えられてしまった。いろんなアプリの仕
様を再設定させられたり、使い勝手が悪かったりで、未だに馴染んでいないのだが、Internet Explorerで何
の不自由もなかったし、こっちの方が使い易かったのだ。ったくもう・・・。

SNSプレイヤーの端くれとして自分も参画にしているfacebook・・・考えてみると、あんな単純な仕掛けを
提供しただけで億万長者をつくりだすSNSの現実! そしてその舞台で踊らされているのが自分?・・・こん
な哀れな関係から抜け出せない現実が頭にちらつくことしばしば。 fbookついでに、あの繋がりの元たるト
モダチとは何と軽い存在であることか! 出会い系サイトを思わせるようなトモダチリクエストには何度も遭
遇したので要注意! (私は大系サイトを利用したことはありませんが・・) 

・ 最近話題のChatGPT、留まるところを知らないAIの進化をどう受け止めていけばいいのか。傍観者の
つもりが当事者の一人となっていたりで油断がならない。
 尤も、ChatGPTは、パンフレットの類の一通りの説明とか、テストの答えとか、一定の条件検索とか、もの
は使いようといった面は多々ありそう。 一つ格好の使い道を思いつきました。皮肉を込めて言うなら、国
会の質疑の原稿・・・無難で没個性の応答原稿などにChatGPTは最適かも知れません。いずれにしても、
間違っても個性が問われる書き物などに使ってはなりません。

◆ また、やらかした!
 言葉通り、またやらかした!・・・反省しきりな事態に最近陥りました。旅先で財布を無くした一大事に直面
したときんことです。お先真っ暗、女房に一生言われる・・・そんな暗澹として気持ちになったのは、実は初
めてではなく、これまで何度か経験してはいます。財布とかハンドバッグとか、大事なものほど、置き忘れた
り落としたりとこれは自分の抗いきれない性分とさえ思ってしまいます。今回の一件は、あの菜の花の旅で
の出来事で、二日目の帰り道の途中でした。小布施を後に上信越道に乗り、中愚横断道に入って一休み
のために佐久南インターを下り、近くの道の駅に着いた時のことでした。財布を出そうとベストの内ポケット
に手をやると、そこには何の厚みも感じられず、待てよっと車内を探してもどこにも見当たらない! 落とし
たのかどこかに置き忘れたのか・・次に襲われたのは、またやらかしたかという自分への不信と不安な気
持ちでした。その不安の中で懸命に自分の取った行動を遡り、最後に財布を使った小布施の店に思い当
たりました。すぐさま電話をと、土産物の包装紙にあった電話番号にダイヤルを。あってくれという願いを込
めて、出てきた人に訊ねます。"財布の届け物はありませんでしたか?"相手から返ってきたのは、"黒っぽ
い結束バンドで止める財布でしょうか?""そうです、そうです、それです、中には現金○○円ほどと、障害
者手帳とクレジットカードが入ってます"と私。ややあってから、"お電話をいただいて良かったです"と相手
が。なんと幸いなことか、それは土産物を買ったレジの傍にそれはおちていたのでした。後日送ってもらう
ことにして、やっと生き返った気分を取り戻し、この話は一件落着となるのですが、これはしかし、日本なら
ではの顛末で海外では考えられないことです。先方もまた老舗の菓子屋であったことも幸いしたものか、相
手のS堂には感謝の念が絶えません。



〇菜の花を行く(5月1日記)
 北信濃の飯山市に「菜の花公園」なるものがあり、そこは「朧月夜」のモチーフとなった千曲川沿いの丘
陵地帯です。かねてから一度行ってみたいと思いつつ、毎春見送ってきたこの場所に今年は友人夫妻と一
緒に行ってきました。菜の花と言えば、この冬に外房を旅行した際、かの菜の花鉄道たる「いすみ鉄道」の
脇をドライブしてきたばかりです。2月だったので、菜の花は探せば咲いている所が見つかるといった程度
でしたが、そもそもそんな寄り道をしたのは、例の「プレバト」でこの鉄道のポスターに添える一句というお題
があり、そこで一等賞に選ばれた立川志らくの句に誘われたからでした。
「忘れ物をさがしに菜の花を行く」
・・・今回の菜の花公園もまた、その流れを汲んでの旅でした。
       

 今の季節、菜の花は日本中どこに行っても目にできるのですが、飯山市の「菜の花公園」は、一面の黄
色い絨毯の中に身を置くと、そんな名前を付けた理由が十二分に頷けます。高台から見下ろす前面には、
千曲川のゆったりした流れがあり、そこからせり上がる段丘のあちこちを菜の花畑が埋めています。そして
対岸の山並みの向こうには残雪の妙高のピークが覗き、後ろを振り返れば山間の斜面にまるで時が止ま
ったような集落の佇まいが眼を和ませます。まさに私が接してみたかった光景が広がっているのです。この
「菜の花公園」から千曲川流域を下ると、流れの蛇行する先々にもそんな懐かしい光景が出現するようで、
私一人なら一日中でも場所を変えては撮影とスケッチに明け暮れたに違いありません。尤も、現代人が抱
くであろう"なくしもの探し"といった感傷にまで浸ったわけではなく、それは歳のせいで仕方のないことでし
た。なにせ、なくしもの、忘れ物だらけで一杯なのが我が身というわけですから・・・。 




○春・・その2(4月11日記)

 4月に入って山麓は俄かに春めいてきました。ときに5月並みの気温という日も珍しくなく、ここのところ毎
年感じることですが、今年もまた順調とは言えない季節の移ろい具合です。サクラの開花が全国的に1〜2
週間も早いと言われる中、わが北杜市でも大分早い開花から満開という経過をたどりました。でも2週間も
早いとは言えず、昨年の写真を参考に今年の開花〜満開の程度を比較してみると、どうも昨年比だと1週
間ほど早かったと言えそうです。サクラに較べると、コブシの開花がさほど早かったわけではなく、感覚的に
はサクラなどの早い開花に、これはおちおちとしてはいられない・・と後押しされて開花を早めたようにみえ
ます。自然界に"世間"はないのでしょうが、どうも世間の声に煽られて慌てて咲き出した感が拭えないので
す。
 これは別として、毎年のことながら、散歩をしていて草木の華やぎを目にするのは嬉しいことです。しか
し、こちらとしてはゆっくりと春を味わいところなのに、実際は一旦春へのギアーチェンジが入ると、人間の
気持ちなどは置き去りにしてせっせとその勢いを増していくのが自然界の常のようです。
 それでも、山麓の良さは標高差にして600bの中で春を追っかけることが出来る点です。その分春を長く
楽しめるのが、山麓人として嬉しい点です。いくつかの春の表情をご紹介します。



まだ芽吹いていない森を背に咲くコブシ

サクラ満開

菜の花畑で

サクラと甲斐駒馬、そこに馬との出会いも



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  
我が家のダンコウバイは蕾が膨らんだ状態  株分けしてもらったラッパスイセン  クリスマスローズはこんなにしっかりと・・。

〇春の兆しを楽しむ(3月20日記)    

 サクラの開花は日ごとあちこちで発表されています。甲府では3月18日で、これまた最速タイだとか。北
杜市では一番標高の低い武川辺りで3月末に開花となるのでしょうか。いずれにしても、毎年繰り広げられ
るサクラの追っかけは、4月に入ってからが忙しくなりそうです。追っかけとは、サクラの撮影やスケッチの
ために低い所から高い場所へとサクラを求めて行動範囲を変えていく年中行事のようなことです。始まりは
韮崎〜武川から、以降白州〜長坂、高根、そして4月も下旬になってからは我が小淵沢とか富士見町辺り
へと、標高を追って場所を変えていくわけです。

 さてそんなサクラの開花以前に、身近な所でも春が萌し、日に日にその領域を広げつつあります。我が家
での初フキノトウは3月11日のこと。これを書いている20日現在で、裏側の日陰で6株の芽出しを確認し
ています。友人宅からもらったラッパスイセンも元気に花を咲かせています。アサツキも結構しっかりと立ち
上がりつつあります。待望の我が家のコシアブラは、まだまだ固い芽がついている状態なので、収穫できる
ようになるのは4月の下旬でしょうか。
     
   春雪に覆われた野辺山高原       バッコヤナギの芽吹きが。    動物の足跡があちこちに

 昨日の日曜日は雨上がりのいい天気となりました。山の方は雪明けでこの季節らしくない冬化粧の様相
を呈していたので、久しぶりに野辺山方面に取材に出かけました。開拓碑のある1400m辺りでは、今頃
はやや温もった土が現われているのでしょうが、一面雪に覆われ、その雪原の先に立ち上がる八ヶ岳は雪
と岩の表情をくっきりと見せていました。雪景色ではあるのですが、春の日差しを浴びてどこか暖か味も漂
っています。雪原の端にある灌木地帯では、バッコヤナギの芽が丸く膨らませていました。全体に春の気
配を漂わせつつ、しかしむしろ冬の名残を楽しんでいるような野辺山の風景でした。
         顔を出したフキノトウ(左)と収穫物
   
 野辺山から帰りしなに、秘密のフキノトウのスポットに行ってみました。標高1400メートルの雪原から、8
50bまで、標高差550bを下った田園地帯は春が兆し始めたところで、フキノトウはそろそろと思ってのこ
とでした。私だけが知っているポイントに辿り着くと"来るのが遅い!"と言われているような状態ではありま
せんか! こちらも芽出しが早かったようで、その分幾分か貧弱ではあるのですが、数はそこそこありま
す。いつもクルマに用意してある万能ナイフとビニール袋を手に早速収穫に乗り出し、結構な数を袋に忍ば
せて帰ってきました。天ぷらとフキノトウ風味のスパゲッティが待っています!

 山麓の春、その輝きはまだまだこれからのこと。今はその序章を愛で楽しんでいるといったところです。




〇繰り言、他人事、自分事(3月2日記)

 このタイトル、私がかつてある同人誌に3年余りにわたって掲載してきたエッセイのタイトルです。このよう
に並べ書きしてみると、本文の中身は何であれ大体のところ三つのうちの一つに当たる、という我ながら上
手くひねり出したタイトルだと思っています。という次第で、またこのFノートに使わせてもらいます。

◆ 腰痛
  1月中頃に腰痛に見舞われました。私は忘れたころに現れる腰痛持ちですが、今回のそれはギックリと
いう感じではなく、どうも鬱陶しい痛みが右腰からわき腹辺りにかけて感じられるといった程度のことから始
まり、二日後には紛れもない腰痛という状況に様変わりしていた・・といった経緯でした。その原因はこれと
いうほどのことは思いつかなかったのですが、そう言えば・・と思い出したのが、片足で椅子から立ち上がる
腹筋テストのようなことをちょっとやったことです。いやしかし、その時もその後も痛みを感じたわけではな
かったので、これが遠因かどうかは今もって定かではありません。経験上、無理せずにひたすら一週間も
日数を稼いでいればそのうち治るであろうと高を括っていたのですが、一週間、十日間とたっても回復の兆
しが一向に見えてきません。これは年齢故なのか、或は腰痛の背景に内臓の疾患が関係しているのでは
いか、などと疑いつつ、およそ半月ほどたってから痛みが和らいで覚えてきました。そして立ったままでの
パンツの着脱ができるようになった(回復の目安)のは、20日目のことでした。腰痛は歳をとるほど完治に
時間がかかる厄介なもの、と実感させられた今回の経験でした。

◆ そこで一句・・・  
 私は肺句をたしなむ人ではないのですが、昨今TVの影響もあって関心が高まりつつあります。ご存じ「プ
レバト」、あの夏井先生の的確な講評が面白く、有名人の意外なセンスに感心したり、俳句を楽しめるのは
日本人なればこそ、と改めて感じたり・・。かつての飲み仲間の間で気楽に読詠んだ句が、その道の先輩
から褒められたことを思い出したりで、俳句は目下の処鑑賞するだけですが、ちょっとしたマイブームなの
です。
 1月下旬の「プレバト」は、観光地のポスターに添える一句というお題で、一つは千葉県のいすみ鉄道(通
称"菜の花鉄道")、もうひとつは京都の三条大橋のそれぞれのポスターが題材でした。夏井先生の一番押
しは、次の句で、どちらも破調といわれる十七音の句で、そこがまた印象的でした。
 いすみ鉄道 ・・・ "忘れ物をさがしに菜の花を行く"  (立川志らく)
 三条大橋  ・・・    "初蝶の止まる擬宝珠の刀傷"  (千原ジュニア)
               *擬宝珠=ギボシとは橋や手すりに施された飾りのこと)
 前者は現代人の心の隅にあるであろう"わすれもの"が、菜の花の中で見つけられるかも知れない、とい
った心境を詠ったもので、この鉄道に誘うようないい句だと思いました。
後者は、初蝶という季語を発掘したことと、それを古都ならではの光景に詠み込んだこれまた優れた句だと
の講評でした。
 因みに、いすみ鉄道は、番組を見た後の外房の旅の途中、私らは一目だけでも見てこようと線路わきを
わざわざ走ってきました。まだ菜の花は早い時期でしたが、ひとつの俳句が、早速自分たちを誘ったわけ
であります。


 先に触れたかつて試みた‥の話の中で、私は「おわら風の盆」を詠もうとあれこれひねってみた経験があ
ったのですが、このプレバトついでに過去の優秀句なるものを検索したら、次の一句を発見しました。
 "もてなしの豆腐ぶら下げ風の盆"  (柴田理恵)
なるほど、こういう普段着の視線で捉えた風の盆もまたいい句だと、いたく感心した次第です。因みに、柴
田理恵は八尾の老舗旅館と縁の深い同町出身の人です。


◆ トイレのモーツアルト ♪♪
 外出先でトイレを借りる経験は誰でも経験するところでしょう。ある冬の日にお隣の韮崎まで所用で行っ
たその途中、もよおした私はショッピングセンターでトイレをかりました。個室の方で用をたしていると、天井
からモーツアルトが聴こえてきたのです。有線放送だか館内放送だか、それはコロコロと打鍵から奏でられ
るピアノソナタでした。なかなかいいものだと思う一方で、ちょっとモーツアルトはこの環境に相応しくはない
だろう、などなどと割り切れないところもあります。それじゃあどういう音楽なら相応しいのか? と自問した
りもして、結局のところ、その答えに行き着かないまま無事用を済ませた私は、結構清々しい気分でトイレ
を後にしたのでした。清々しければモーツアルトで良かったよかったのか・・・? この先は結論を得そうもな
いようなので、考えるのは打ち止めにしました。


◆ 県民人口が80万人を割り込んだ(3月1日)
 山梨版ニュースで、県民人口が43年ぶりに80万人を割り込んだと報じていました。
減少傾向は2000年の89万人をピークに年々続いていたのですが、昨年ついに大台を割り込んで799,
238人となったのです。その内訳は、転入>転出ではあったものの、死亡>出生でトータルではマイナスと
なったとのことです。

→ 日本の出生数が80万人を割り込んだ
 上記山梨県の人口は、奇しくも昨年の出生数799,728人とほぼ同数でした。こちらの方は1899年の統計
開始以来初の80万人割れということで、10年で10万人という急激な減少ぶりです。先進諸国での減少傾
向はみられるものの、日本のそれは相当な激しい減少率と言います。同じ80万人割れと言っても、その意
味するところは、日本の将来が危惧される深刻な事態と言えるでしょう。

→ 関連して異次元の少子化対策?
 以下は少し硬い話になりますが、少子化は現政権下でも大きな問題として、首相が異次元の少子化対策
に乗り出すと大風呂敷を広げたのはつい先日のことです。それで蓋を開けてガッカリ!中身は相変わらず
出産と育児への費用補助ばかりで、これらは前政権に遡ってもずっと論議され施行されてきたて現在に至
っているところです。つまりは異次元とは金額のレベルのことらしいのです。首相の(政治家たちのと言うべ
きか)日本語のレベルや、思考能力がこの程度とは思いたくもありませんが、少子化の根っこにある問題
にメスを入れてこそ異次元の施策というべきでしょう。

→ 以下は独り言をブツブツ
・・・・一番の問題は若者たちが結婚しない、できない、結婚しても子供を作りたがらない・・・生活設計がで
きないといったところにあるのでは・・・その背景に今や全体の46%にまで達した非正規社員の雇用割合と
いう現状は無視できない・・・これはひた走ってきたグローバリゼーションのツケ〜 つまりは株主優先の効
率化を最優先してきた結果としての雇用コストの削減と非正規雇用の拡大、という因果関係が。・・・グロー
バリゼーションが若者の未来を危うくする一方で、企業には500兆円という社会に還元されることのない膨
大な内部留保をもたらした・・・この問題の是正には企業の社会的責任という面を避けては通れない・・・そ
れを促すような施策こそ、異次元足り得るのではないか・・・・・ブツブツ。

◆ バックカントリー 
 スキーシーズンになって、よく耳にする"バックカントリー" という言葉があります。スキーの遭難の大半
が、このバックカントリーで起こっており、そこに踏み入るのは外国人が多いので、必然遭難事故の殆どは
外人スキーヤーがしでかしているわけです。このback country・・なかなか適当な日本語がないのですが、
辞書では; 奥地、辺境、農村地帯などとあります。スキーで言えば、ゲレンデとして整備されていない自然の
ままの一帯ということで、"コース外"とか、スキー場の管理区域外、ということになるでしょうか。私も半世紀
ほどの長きにわたってスキーに親しんできましたので、誰も滑っていない新雪の世界ほど魅力的なものは
ないことはよく分かっています。当時は現在ほどゲレンデが整備されておらず、ゲレンデ脇に少しけ踏み込
んだだけでその新雪の世界を楽しめたものですが、今は事情もかなり違っていて、コースの仕切りロープを
越え、見つからないうちにいち早く奥の方へ、といった心境になるのでしょう。自ずと雪崩の危険性が高い
バックカントリー深くにまで踏み入ることになるのだと思います。
 このバックカントリーは、外人とりわけ西欧系の白人たちの血を騒がせるようで、これはコロナ下でも管理
されることを嫌う彼らの行動様式からしても大いに頷けるところではあります。私も、かつてカナダでスキー
をしたとき、信じ難いほど遠い雪の稜線まで登っていく彼らの姿を目の当たりにして驚いたことがあります。
それは、管理下に留まって何が楽しいのかと言わんばかりでした。いずれにしても、遭難すれば危険で金
のかかる救助活動を伴うわけで、迷惑を被るのはスキー場です。事前に危険性の周知徹底や、行動計画
の自制を呼びかけるなど、何らかの予防措置の強化が求められるのは言うまでもありません。いまや、有
名スキー場は外人に乗っ取られかねないような状況を呈しています。だからこそ、彼らには身に染みている
はずの"自己責任"を、この際日本のスキー場でhくどいほど喚起しておくに越したことはありません。



〇久しぶり‥そのA "海を見る" (2月15日記)

 "久しぶり"シリーズというわけではないのですが、前回雪の話の久しぶり ついでに、海を見に行った話を
少しだけ。これまた既に一週間以上過ぎた2月中旬の話です。

 暫く海を見ていない・・という感情は山間に住んでいると、"常に"と 言っていいくらい心のどこかに潜んで
いるものです。年が明け、頃合いを見てというタイミングで、かねてより友人夫妻にコミットしていた海辺へ
のドライブ旅行をしてきました。今回は外房で、私は、幼少時代を送った内房には馴染が深いのですが、外
房となると一度鴨川に言った覚えがある以外、ほとんど行ったことのなかった領域でした。行程は、当地を
発って東京横断する形で海ほたる経由木更津に出て、そこから房総半島を殆ど横断するようにして銚子
に。近くに一泊した翌日は九十九里を下って、我が懐かしの保田にちょこっと立ち寄り、久里浜フェリーに
乗って帰路につくというものでした。ところが・・・。
  
 初日は終日雨 と強風。二日目は折悪しく南下してきた寒気団の中、強風に加えて房総なのに寒い、とい
う一日で、何とも恵まれない天候の中でのドライブに終始したのでした。ですので、これぞ房総半島・・・とい
う温暖な春の兆しを綴りたかったのですが、それらは一切ないまま終わってしまった次第です。ただ、そん
な中を二日間走り回ってみると、上総、下総の国とは大きなもので、我が甲州の国が何とも狭隘な土地に
あるという想いを禁じ得ませんでした。例えば、木更津から銚子までの横断道は、いくら走っても車窓には
低い山並みとその合間に点在する集落といった光景が、一向に変わることがなく続いていました。帰路に
は、地図上ではちょうどいい立ち寄り先と思えた勝浦が、工程の長さと所要時間の関係で、かなりの回り道
となってしまうので諦めざるを得なかった・・といった状況もありました。
 私のふるさとと言っていい内房の保田は、今回ゆっくりすることはできず、「道の駅・保田小学校」と、幼馴
染の家やかつての我が家の周辺を一筆書きのように一巡してきただけに留めました。それでも、行けば"
いつでもそこに待っている" という懐かしい故郷のような地を、束の間ながら感じることができました。
 
いつか、もう一度仕切りなおしをしてみたい、そんな房州の旅でしたが、旅の合間に撮影した海の写真をご
紹介させていただきます。
    
ホテルから見た朝の海辺(九十九里)      日の出              帰路に立ち寄った金谷港から見た懐かしの鋸山



〇久しぶりの雪景色(2月20日記)  
 
やや古くなりかけた話です。今冬は降雪が少なく、折角の冬タイヤが泣いていると思っていたら、2月10〜
11日にかけて久しぶりの大雪警報がありました。南岸低気圧と寒気団の南下という組み合わせです。この
時期、TVのニュースを賑わしていたのは大雪や寒波による交通渋滞で、日本海側では殆ど連日、昼夜を
またがる大渋滞の状況を報じていました。わが山梨県でも今季初の大雪警報でしたが、結果から言うと警
報級の積雪はなかったようで、小淵沢の我が家周辺でも、一夜明けた11日の朝で25センチといったとこ
ろでした。それでも、久しぶりの積雪!用意しておいた雪かき用のスコップやデッキブラシがこれまた久し
ぶりに役立つことになりました。尤も、私は雪かきの前に、クルマを駆って雪景色を撮りに出かけ、雪道に
轍を付け、パチパチと撮りまくって帰ってきました。どういうものか、当地八ケ岳山麓での雪景色は毎年目
にするもので、特に今季のそれが特別なものではないのでしょうが、その冬初となるとどこか特別な感覚を
覚え、年甲斐もなく興奮したりします。何なのでしょうね、この毎年繰り返し覚える感覚は? 人はこうしてリ
フレッシュメントを重ねつつ人生を送るということなのでしょうか。急に哲学じみてきましが、この日撮った写
真を少しご披露します。
         
   2月10日、久しぶりに雪中の運転         明けて11日、我が家から4q南下した八反歩堰は一面雪の世界でした!

 思い起こせば、当地での大雪はこのFノートを手繰ってみると、2014年2月のことでした。もう9年前にな
るわけですが、この時の積雪(当地で160センチくらい)は、まさに非日常の世界! 玄関先とクルマの除
雪は何とかしたもののその先は雪の盛り上がりだけで手を付けられないまま。家の前まで重機が除雪にや
ってきたのは、雪明け三日目のことで、それまでは家から出られない缶詰状態を強いられました。我が家
はちょうど車の買い替え時で、家には軽しかなかったときです。新車はその年の3月末、消費税が上がるま
でに納車してもらうことになっていました。そしてその時の新車が今年4月には4回目の車検です! 9年間
で四回も車検する必要が一体何処になるのか!全くこんな無駄を繰り返す国は世界広しといえども日本だ
けのようです。車検の都度憤懣やるかたない想いをするのは私だけではないでしょう。この旧癖にメスを入
れられるのは、族議員が多い現自民中心の政治では望むらくもありません。
 この先は雪の話から逸れてますます政治向きになってしまうので、ここで打ち止めです。


〇事と言の葉(2022年8月〜)

  再び書き留めておいたメモが溜まっていました。その中からのピックアップです。
ちょっと長いですが、読み飛ばしもらえれば、と思います。

〜22年8月
◆位置情報共有アプリ
 いまや若者には欠かせないこのアプリにより、相手が今どこにいてどっちに向かっているかなどがたちど
ころに分かる時代ですから、待ち合わせという概念もすっかり様変わりとなっているようです。何時、誰と、
何処で、何時に・・を手帳に書き込み、当日はこれに遅れまいと待ち合わせ場所に急いだりと、私どもの時
代の待ち合わせ光景が、愛おしくさえ思えきます。いまは、あとどれくらいで着くといったリアルタイムの情
報を相手に伝えたり、遅れる方も待つ方もお互いにスマホの画面で確認するだけという待ち合わせは、
我々世代からするとなんとも味気なく、便利が人を幸せにするのだろうか、などとつい考えてしまいます。
 関連してスマホが習慣化してから、電話の仕草が受話器を耳元から、スマホを斜め前にかざして・・・とい
う具合に変わってきているらしいのです、ハイ。
 
〜9月
◆許されるのか、NHKの台風報道(喝)
 みなさんは、NHKの台風報道の現場から "安全な場所から中継しています。(または) 撮影しています"
 という前置きを聞いてオカシイとは思わないでしょうか。 この現場リポートでは必ずと言っていいほど耳
にする一言。私はこれを聞く度に"これは何事か、誰に断っているのか?"などと、いつも腹立たしく思いま
す。一体何が元でこのような前置きを入れることになったのか? 誰のための前置きなのか? 報道する
側の姿勢に"喝"を叫びながら、常々そんな疑問をぶつけたくなっています。予想される危険は重々折り込
んで必要な対応を施し、現場のリアルな状況を伝えるのが報道のプロというものでしょう。ホテルのロビー
から"外はこうなっています(危険なので分かりませんが)" と報じるのがNHKの台風報道なら、最早NHK
は報道者としての資格も矜持をも全く欠いていると言わざるを得ません。更にいえば、そんなNHKに受信
料を払うのは間尺に合わない、とまで思ってしまうのです。

〜10月
◆抽象作品を説明?
 徳島のアーティスが作品(光を駆使した抽象作品)についてその意図を語っている番組を見ました。ところ
が、よく耳を傾けて聴いても、その意味するところがさっぱり分からないのです。こうした抽象作品は、元々
作者としての創作意図があって作られたものとはいえ、それをどう感じるか、どう観るかは観る側に委ねら
れるものでしょう。そこを作者が分からせようと説明すること自体、作品本来の意義から外れていると言え
なくもないのですが、その説明がやっぱり意味不明となると、最早作品としての体をなしていない事を意味
します。そもそもロゴスの世界を逸脱している抽象作品にロゴスを持ち込んでも意味がない、とも言えるでし
ょうか。
〜11月         
◆これでも発明?
 外国人が驚いた日本人の発明(だったか?)の中に、電動アシスト付きキャリアーというのがありました。
トランクを運ぶあの便利なキャリアーに電動アシスト機能をつけて更にらくちんに・・という魂胆なのでしょう
が、そこまでする必要があるのでしょうかね? そんな知恵を巡らすなら、もっと別の所で巡らせてほしいも
のだ・・と私などは思ってしまいます。あのトイレに入ると自動的に便器の蓋が開くという類のお節介な商品
開発然り、 そこまでやるか、そこまで意味があるのか?"と不思議に思うのですが、同時にそれをありが
たがって買う日本人もまたいるのも不思議ではあります。


◆主要新聞の発行部数
 元日経のSさんと昔話をしていて知ったことですが、新聞の発行部数はいっときとは隔世の感があるとい
うのです。当時(私が広報にいた90年代末)、読売がトップで800万部台、朝日が500万部台、そしてずっ
と後追いだった日経は300万部達成で、これが当時は記念すべき数字でした。それが日経だと現在は殆
ど半減しているというのです。改めてネットで調べると、2022年度上半期の平均部数では、朝日新聞が約
430万部、読売新聞は約686万部、日本経済新聞は約175万部とありました。 地方紙も減少傾向が続
いているとのことです。勿論この背景には、新聞までネット化の波に晒されたという事情があるわけです
が、それにしても若者ほどものを読まなくなった、情報と言えばSNSに走り、本といえば漫画に夢中にな
り・・・日本大丈夫でしょうか。この続きは最早年寄りのひがみになりそうなので止めますが、あの新聞の一
覧性〜開けば世間が見えてくるといった感覚は懐かしいだけではなく、いずれまた光を浴びるのではない
かとさえ思えてきます。そういえば、当地(小淵沢町)では、新聞配達募集のビラがひっきりなしに折り込ま
れています。新聞にとっての逆風は、私などの世代には隔世の感があるものです。

〜12月
◆日本代表帰国12月7日)
 世界からも賞賛されたワールドカップの日本代表が帰国! 成田空港の入国口には650人の観衆が集
まり、一行を出迎えました。ニュースを見ていると、森口監督、吉田主将はじめとした代表一行が姿を現す
と、一斉に上がった歓声・・と言うか音声は、ありがとう、ブラボーの声をかき消すほどのスマホのシャッター
音でした。スマホを掲げた手が林立し、まさに野次馬軍団が群がるときには付き物のこの光景です。TVで
見る限りはどこか寂しく拍子抜けのする歓迎のいっときのように映ったのでした。

◆ロシアのブラック・ユーモア
 藤原正彦の本を読んでいて印象的だった一行です。そこには;
大統領は無知で無能だ、と言いふらした人が捕まって、203年の禁固刑を受けた。このうち3年が名誉棄
損による罪で、200年が国家機密漏洩の罪であった。
・・・と記されていました。何というユーモア! ロシア人にもこんな一面があったのかと思わせます。
  
〜2023年1月〜
◆ホンダとソニーがEV開発 (1月5日)
 この二社が提携して開発した近未来のEVが発表されました。エンターテイメント性に溢れるクルマ造りが
売りで、両者のテクノロジーが結集されている一台。全部で24のカメラを装着したレベル5での自動運転が
可能で、内部にはかなり大きめのモニターが後部座席や助手席に備えられ、車内で最新のAVを楽しんだ
り、運転席では横長の大型ディスプレーを通して外部との交信も可能といういわば動くエンタメ空間という宣
伝文句です。'25〜26年から受注開始の予定とかで、近未来というよりも、もう数年先に実用化されてこう
いうクルマが走っているということでしょうか。
 これを素晴らしい未来とみるかどうか・・つまりはこういうクルマを欲しいかどうか ・・私にはそんな触手は
微塵とも動きません(尤もそんなお金の余裕もないのですが)。クルマは本来移動を容易にすることともに、
それ自体を楽しむ手段でもありました。時間と空間を容易に超えて非日常の風景に出会ったり空気を吸っ
たり・・そんな体験を身近にすることが魅力だったはずです。現代の若者のクルマ離れが言われています
が、彼らはそんなクルマの魅力よりも、モニター画面のメタバースの方が魅力的なのでしょうか。
 もし、日本のトップ企業がクルマをエンターテイメント空間にすることが未来だと信じ、そして企業の経営
資源を尽くしてそういう未来を提供しようとしているとしたら(どうもこれが現実のようですが)、これはもう見
たくはない未来としか言いようがありません。しかしどうも、これはこの二社に限った話ではないようで、日
本はむしろアメリカや中国からも遅れをとっているらしいのです。
 "効率化は決して人を幸せにするものではない"という言葉が浮かんできます。私には虚像としか映らない
クルマの未来ですが、せめてそこに日本ならではの情緒ある味付けを期待できないものでしょうか。

◆経済団体互礼会(1月6日)
 TVは企業トップへのインタビューで、今年の景気見通しなどに関する何人かの声を報じていた。それを見
ていて思い出すのは、現役時代に役員が外部でする挨拶や取材に際しては、下からいつも資料やコメント
の原稿があげられていたことです。そして大企業のトップが経団連などの経済団体のメンバーになってから
も、その傾向は変わらず、報道対応などに際しては元いた企業からそうした助力があって、企業トップとし
ての対面を保つのに一役買っていました。叩き上げの経営者ならいざ知らず、大体において大企業のトッ
プはこのようにして下から支えられ、偉そうな発信をしているのは、古今東西さして変わってはいないでしょ
う。そして残念ながら、現政権下では、そうした経財界のトップやOBたち大きな影響力をもって日本の行く
末を左右し続けているの果たしなことです。”目覚めよう、ニッポン国民!!” などとつい言いたくもなると
いうものです。


◆筆おろししたら!(1月19日) 
 今年の第一号となる水彩画を描き始め、 彩色を施そうと筆を取りだしました。その前に、長らく放置して
いたパレットの汚れを落とそうと水入れに筆を付けると、なんと水は乾えあがってしまったようで空っぽにな
っていました!! 思い返すと12月以来絵を描いていませんでした。このひと月ちょっとで、五槽の水差し
の水全てが蒸発してしまったということです。恐るべし、冬の乾燥!

〇何もない2023年こと始め(1月23日記 

 事はじめとして書くべきことが、実は何も思い当たりません。さあ今年は・・と、これまではたとえとるに足ら
なくても何かあったのでしたが、今年は本当にないというのが実情です。少し勿体ぶって言えば、昨年は個
展という個人的には大きなイベントを終えたので、今年以降は次なる個展に向けての緩やかな始動の年が
明けたのだというほどの認識はあるのです。しかし私にとっては個展がすべてというわけでもありません。
年齢的なことい伴う生活環境の変化をそろそろ本格的に模索し始めなければならない、年でもあり、そうな
ると身辺整理が大変なことは何人かからも聞いていています。もうそういう事々に手を付けねば・・・という
意識もあります。一度書いてみた終活ノートも見直さねばならないとこが出ています。いろいろと数え上げる
とやるべきことは出てくるのですが、それらに手を付ける前の一呼吸・・そういうときに当たるのが今頃なの
かもしれません。

そんな風にして明けた2023年ですが、心身の弛緩状態ゆえか、1月11日にギックリ腰をやらかしてしま
いました。今回はアッと思った刹那のことではなく、何か右腰に鈍痛が始まっている・・というような緩い感覚
で始まり、次の日からはかなり重度な腰痛状態となったのでした。これまでの経験から、一週間ほどは不自
由をするかと覚悟をしたのですが、がこれを書いている十日以上経過した後になっても、変な態勢となると
痛みが走る状態が続いています。これまた80歳の身辺具合故ということで、抗ってもしょうがないのかも知
れません。

そんな威勢の上がらない1月も、あと一週間で終わりです。ここまでは比較的暖かな冬でしたが、今週は何
十年に一度という寒気がやってくるそうです。その前兆なのか、昨日あたりから雲行きが忙しなくなってきま
した。今年は殆どない積雪も、週半ばではありそうです。積雪で忘れられないのはあの大雪、このFノートで
遡ってみると、それはもう9年前となる2014年の2月のことでした。その日は明けてみると、クルマががす
っぽりと雪に覆われて見えなくなっていたのでした。ちょうどクルマを買い換えたあとで、新車のフォレスター
が納入されたのが、その年の4月でした。そのクルマもこの3月で4回目の車検を迎えます。そのクルマで
すが、クルマ好きの私も買い換えはもう諦めるしかないかと思っています。いまのクルマはよく走ってくれて
いて何の不満も感じられませんし、もう新車のウキウキ感は大分失せてしまった年ごろなのでしょうか。・・と
もかくも、こうして緩〜く年明けの日々が過ぎ、気が付けば1月も終わり近くになっています。












フィールドノート2019〜2022
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フィールド・ノート 2015〜2018
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フィールドノート2011〜2014
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フィールドノート2007〜2010年
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フィールドノート2003〜2006年
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2月22日付東京新聞(中日新聞)記事
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水彩教室
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別掲エッセイ
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栗原成和の水彩画集〜八ヶ岳山麓から〜
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水彩の道具などQ&A
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