一言ご挨拶
ご来場ありがとうございます。「おいでやギャラリー」での個展は2年ぶり、これで4回目となりました。小淵
沢に移住してから7年間、相も変わらずここ八ヶ岳界隈の風景を描き続けております。私の知り合いの画家
には、当地で5年間風景を描き続けてから"もうここを描くのは卒業した"として都会に帰っていった御仁がい
ました。"卒業した"という言葉、これには少々違和感を禁じ得ませんでした。一生富士山をモチーフとして追
い求めている画家もいますし、生涯最上川を描き続けた画家もいました。どんな風景であっても、そこに注
がれる眼差し如何によって風景画の世界は如何様にも広がり、深まるものだと思うのです。それを卒業した
とするなら、風景に対する感度不足もあってのことと言えるわけで、そうであれば描く面白味も失せてしまう
ことでしょう。
かく言う私には、八ヶ岳界隈を一生のフィールドと決め込むほどの覚悟もなく、卒業への見通しが格段ある
わけでもありません。確かに、移住当初と較べれば、風景から受ける鮮度感はそれなりに薄らいできてはい
ます。それでも描き続けているのは、その時々の心境とか、感興を覚える対象とか、要するに描きたいと思
う風景が年齢なりに変わってきたり、突如として絵心を突き動かす対象に出会ったりするせいだと思ってい
ます。昨年春には、あの震災直後に咲いたサクラに生命の息吹を感じ、サクラばかり描いていました(是非
展示したかった作品も何点かあったのですがお見せできなくて残念です)。そしてここ2、3年、私は山麓界
隈にある集落に目が向くようになってきました。今回の展示作でも半数以上はこうした集落をモチーフとした
もので、これまでの傾向とは大分趣を異にしていると感じられるかも知れません。遡って移住当初は山や森
など、自然一辺倒の風景ばかりを追求していたことを思うと、隔世の感もあります。いま何故集落か? 自
問してみますと、周囲の風景へのごく普段着の視線とか風景への温もりの追求といった理由に加えて今ひ
とつ、かつて日本の原風景をなしていた集落への憧憬と一種名状し難い衰退美のようなものをそこに感じる
ことが一因かと思われます。・・・などと思いを巡らせる一方で、以前の様にふと無垢の自然に目を凝らして
描いたりすると、これがなかなか新鮮な気分でもあるのです。こうなると何やら私が浮気性なだけと取られ
かねませんが、この山麓には多少の浮気心には十分応えてくれる多様な風景があることは確かですし、多
少の浮気心は絵心を動かす大事な要素だと勝手に解釈し、面白く描き続けてゆければと思っています。
最後までお読み頂きありがとうございました。引き続きごゆっくりとご覧下さい。
2012年11月 栗原成和
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