山麓絵画館


フィールドノート2011〜2014


<↓ 2014年>


○ もう今年を振り返る時節に (12月23日記)

 毎年師走も押し迫ると思うこと、書き留めておこうと思うこと・・・これらがいろいろある一方で、どう纏めていいやらその方向性が定ま らないのが昨今の傾向でしょうか。まあ、年とともに広範囲に及ぶ複層的な思考が衰えているのは仕方ないとして、五月雨式に思い つくまま年の瀬の走り書きです。

★ 自然災害
 私の住む八ヶ岳南麓は、いろんな点で本州の中央に位置すると言えそうです。日本のおへそと標榜する場所はこの周辺に結構あっ て、その多くが辰野町とか松本とか小川村とか長野県に属していますが、当山梨県でも韮崎がそのひとつのようです。この"おへそ"、 どこが最も相応しいかは解釈の方法によってまちまちですが、日本列島を折りたたんでみると、わが北杜市はその折り目となる糸魚 川静岡構造線に沿った地点、いわゆるフォッサマグナの西の端という中心的なところに位置しています。列島の地質構造に大きな変 化があれば、大災害と無縁ではいられないでしょう。今年も豪雨とか地震、噴火、大雪と自然災害が続発した年でした。長野県北部で の地震があった場所は静構造線に沿った場所でしたが、私の住む北杜市は幸い揺れも軽微そのものでしたし、御嶽山噴火の折も少 しだけ灰が舞ってきた程度で済みました。台風にしても周囲を囲む大きな山塊が緩衝材となってくれるので、風の被害はさほど受けな い土地柄です。しかしながら、明治時代まで遡ると、台風による豪雨で甲府盆地はとてつもない水害があったようですし、この八ヶ岳 山麓にしても大規模な土石流災害に見舞われています。想定外(この言葉は気象に関してはだんだん死語と化しつつありますが)の 豪雨とか噴火とか、この周辺にしてもいつ何が襲ってくるか知れたものではありません。不気味な噴火の予兆めいた話も耳にします。 富士山が遠からずにきれいに見えるということは?・・・10万年前に噴火したというこの八ヶ岳だって?・・・、列島の大構造線という地 質上不安定な土地柄、何にしても自然はずっとおとなしいままとは言い切れないのです。まあそんな果てしない想像ばかりしても始ま りません。大体その"Xデイ"まで私らは生きながらえることができるのだろうか? 思考を止めて我に返るのはこんなとき、この話もこ の辺をオチとした方が良さそうです。

★ 今年の業績?
 あえて業績などという言葉を使ってみましたが、商売上のことでなく、何かの目標に向かってのステップを刻むわけでもない私の場 合は、平たく言えば"何かやったこと" それも振り返ればこの年と他の年を区別して捉えられる目印となるような事態のことを言いま す。月日の順を追って思い返しますと;−

・ やっぱり2月の大雪は欠かせません。その際、我が家への50bほどのアクセスを確保すべく奮戦した肉体労働は、この年にして は我ながら頑張った業績と言えるものです。人一人通れるだけの道をつくるにも120〜30pの雪をラッセルし取り除くのはまさに重 労働。ナップサックに水とチョコレート、それにKURE556(スコップへの雪の付着防止のため)を詰め込んで、一日がかりの大仕事を終 えると、私としてはもう近来にない達成感です!おまけに「案外やるものね!」と女房からお褒めの言葉が・・・。ついでに言えば、雪に 閉じ込められた数日間は、家に籠る以外にやることなしという開き直りというか閉塞感ならぬ開放感を味わった時間でもありました。 大雪に絡む全てのことがまさしくこの年固有の出来事となるものでした。

・ 新車がやってきた!それも消費税の上がる前の3月末日近く。私はこの年にして、と言うか、仲間内で眺め渡してみても、結構な クルマ好き人間と言えそうです。ですので車種選択にはかなり前から雑誌などを買いあさってあれやこれやと半分楽しみながら検討 を重ねてきました。そして最終的には使い慣れ信頼を寄せてきた同じフォレスターのニューモデルを購入することに。結局の処、他の クルマ(いずれもSUV)も交えていろいろ比較検討してきたのは、その選択を正当化し得心するするために通過する儀式のようなもの であったかも知れません。そして手にした新車は満足のいくもので直ぐにも手足に馴染んだ新しい相棒です。あれほど気にしていた性 能とか諸元の数字などはどこ吹く風。人間関係とか諸事一般こういうことなのか、つまり相棒はどう選んだかよりもどう付き合っていく かが大事というわけです。そろそろ免許も返上しては?などと暗に問いかけられるような年代、これが最後の新車となるのかとちょっ ぴり感傷も伴う一事でした。

・ 教室展を2年半ぶりに開催したのは6月でした。水彩教室の生徒さん有志十数名の作品お披露目という機会は、私にしてみれば 個展以上に気を遣う仕事でした。音楽の演奏会、発表会などは大体年に一度は恒例行事となるものですが、この教室展となると、普 段は楽しみながら上達するという緩い目的意識を共有するだけでお披露目を前提としていないわけですから、教える方も教わる方も 常にないプレッシャーを受ける仕事とあいなる次第なのです。それだけに、予期した以上の観客動員とか好反応(その多くは世辞が かなりあったにしても)を得られると、やっぱり達成感は大きい…特に生徒さんが感じ取る手ごたえは、必ずやその人の力量を押し上 げる結果に繋がるもので、やって良かったと胸なでおろす業績でした。

・ 9月の当地での個展に関しては既にこのFノートでも触れましたが、前々から予定していたことではなかったので、ちょっとした飛び 込み的な性格の個展でした。初めて使う会場、その会場固有の客層、2週間という長丁場・・・などなど、いろいろ勝手が違った分、苦 労もしましたがそれなりに新しい経験と多くの反応を得られ、これもやはりこの年に特有な出来事としてここで取り上げておきたい一 つの業績と言えるでしょうか。

・ 高校のクラス会をやったのが10月。この八ヶ岳山麓に東京周辺から同級生OBOGを呼んでの5年ぶりのクラス会でした。それだ けなら別にどうという話でもないのですが、私が幹事役として手をあげて動き出し、実現に至ったという点で私には特別であったので す。幹事を買って出たのは東京での私の個展の都度同級の誼として盛り上げてもらったお礼の意味合いがあってのことでした。企画 から実行まで、果たして遠路人が集まるだろうか?みんなが喜んでくれる宿とか訪れる先はどこだろうか?などなど、それなりに気を 遣い、念入りに下見を重ね準備をしてきた次第で、それに天が味方をしたものか、当日は絶好の好天に恵まれ参加したみんなが大 いに喜んでくれました。開催者として胸をなで下ろした、とただそれだけのことではあったのですが、この先八ヶ岳くんだりで昔のクラス 仲間が一同を会するような機会はもうないかも知れない、そう思うと今回のような場面を主導できたことは嬉しい心の業績と言えるも のでした。

・ PCのトラブル数々は負の業績ともいうべきことで、今年はPCに悩まされた1年でした。
 一つはXPから8.1への買い替えです。一体この使い慣れたOSを取り換えねばならない事態とは、本当に世間一般で許される仕業な のでしょうか? 私のごときユーザーにとって新しいOSは使い始めた瞬間から謎解きとイライラを伴うものです。使い慣れたペンと用 紙、そのどちらも新調しないと通用しなくなりますよ! と言われるような理不尽な話で、IT弱者にはちゃんとそれなりの道を残してお いてほしいと切に願うのは私だけでしょうか。1万円という厚いサポートの手当てを払って事あるごとに電話をしてご教えをこうのもおっ くうで気の引けることですが、それなしには私などはやってゆけません。しかし道具とは恐ろしいもので、だんだん使い慣れてくると思 考回路も手の動きも馴染んでくるようで、いつの間にかあの1万円もかなり使い残した感があるのですね! ありがたいような勿体な いような・・・。
 以上が夏場の話で、11月になると今度は併用してきたXPのPC(このHPを動かしているソフトが8.1には対応していないため)が起 動しなくなってしまったのです。メーカーに問い合わせると、この症状はもう初期化するしか手はないと言います。仕方なくPC110番的 な業者に電話をして診てもらうことに。やってきたスタッフが粘ること3時間、初期化するまでもなく起動させる手立てを講じてくれ、XP は無事復活! 併せて新しい8.1の方でHPソフトの機能を活かせる手立ても施してくれました。基本料金+診断費+修繕費合せて2 万数千円なり!しかしこの対価、相手は商売だしこちらは暗闇から抜け出ることができたのだから納得できる金額です。余談ながらこ のPC便利屋さん、さすがプロだけになまじ詳しい素人とは較べるべくもない技能を身に付けているものです。こういう御仁が身内とか 身近にいればどんなにいいことかと、あらぬ想像を巡らせたりするのでした。現在このHPは、いろいろ試してみるとやはりXPを使って 動かす方がより現実的なので、そのようにして更新している次第です。

 とまあ取り留めもない中身でしたが、こうしたところが私の業績・・・つまりは重大ニュースでしょうか。



○ 雪化粧の季節に思うこと(11月29日記)

 降り続いた雨が山では雪、そんな日が明けた朝には予期した通り眩いばかりに白い峰々が目に飛び込んできます。それは大気中 の塵が一切浄化された深い空の青を背景に、白い彫刻が展示されたかのような自然の情景なのですが、毎年味わっていながら改め て感動させられる光景です。そして思わずカメラを向けて撮影してしまうのも、これまた毎年の慣わしのようなものとなりました。しかし この季節、日が中空を過ぎる頃になると、遠くで見ていてもはっきりそれと分かるほど、山の雪は解けて岩肌が濃く現れてくるのです。 化粧が落ちて地肌が現れるのと同じです。そんなことを繰り返しながら、徐々に山々は雪化粧を濃くしてゆきます。まあ言ってみれ ば、少しずつファンデーションを整えた上に、しっかりと化粧が施されていくといったところでしょうか。どうも化粧とは縁のない私として は、この辺の表現となると語彙が限られてくるのですが・・・。

 さて、以上のようなことを書くきっかけとなったのは、一昨日の雪明け快晴の日に八ヶ岳がよく見える明野町は浅尾という所に行って スケッチしていた時のことでした。都会からやってきた同年輩と思われる男性が、カメラを手に私のところにやってきて話しかけてきま した。「いいですね〜、こんな天気のいい日に絵を描けるなんて・・・」とかそういうことを言ったあとで、「ところであの雪はいつ降ったん でしょう?」と疑問符を投げかけてきたのです。 「いや、今朝までの二日続きの雨が山では雪だったんですよ」・・・とさりげなく私。そ の男性は「なるほど」といたく納得した風で、その時私は、この冒頭に書いたようなことが、暮らしている者に染みついた感覚であった かと、改めて知らされた次第でした。その男性、加えて「この辺の紅葉は今どんな具合なのでしょう?」と第二の疑問符を投じてきまし た。それは目にしている通りなのですが、咄嗟に察した私が「もうピークを越えて落葉が始まっているところです」と応じると、これまた 「なるほど」と納得し、「でもこれはこれでいいものですよね」と付け加えた私の言葉に、「そうですね」と得心したように頷いてその場を 去っていったのでありました。つまりはこういうことです。私ら山麓に暮らす者がいつの間にか身につけた季節感というものは、それな りの生活感として日常の中に埋没しているところがあるわけですが、そこが垣間見えると都会に暮らす人には新鮮に映るのだというこ とです。ウ〜ン、あの男性は何年か前の私の姿でもあったはずで、年月の経過とはひょんなところで感じるもののようです。
 参考まで、と言うわけでもないのですが、その時に描いたスケッチをこのページに載せました。もう昼近い順光のっぺりした風景・・・ これを描くには意図的なメリハリが必要なのですが、そう分かっていてのっぺりとした絵に陥ってしまったのは、絵描きとしてのキャリ アーに欠けるせいなのでしょうか? どうもまだ生活実感ほどには絵描きの技法が身についてはいないのかも知れません。

   もう少し修正を施した上で、山麓絵画館に展示することにします。



○ 秋の夜長に(11月14日記)
 以下は徒然草に倣って小エッセイ風に書いたものです。あまりFノート的ではありませんが。

★ 冬が近いと・・・
 昨日、甲斐駒の初冠雪を認めたとTVで報じていました。昨年より少し遅いようで、富士山の冠雪からひと月ほどたってからが通常 のタイミングだそうです。調べてみると、富士山の初冠雪が今年は例年より16日遅くて10月16日でしたので、大体この通説通りと言 えるでしょうか。我が家からちょっと出て振り返ると、八ヶ岳は上1/3ほどが雲に隠れたままでしたが、視界に現れている所でもうっす らと積雪が認められました。当家や臨家の庭木はすっかり落葉して、南方向には空いた木立を縫って甲斐駒から鋸にかけての稜線 がシルエット状に見えるようになりました。そのうち東南の林を縫って富士山が少しだけ見えるようになるでしょう。冬だけの風景です。
 この季節になると、日常生活もいよいよ冬ごしらえが本格化します。何よりも暖房。当家はすべて電気暖房で主暖房は夜間電力を 使って蓄熱するタイプのものなのですが、この電源を入れてしまうともうあとがないといった心理が働くので、繋ぎとしていまは赤外線 ストーブが活躍しています。これが古くなったので、先日家電量販店に行って遠赤外線ストーブの2014年ヴァージョンなる代物を買っ てきました。ちょっと値が張りましたが、柔らかな温かみときめ細かな運転設定があるなかなかの優れモノです。このFノートで暖房の 話など場違いなのですが、久々に手にした家電の世界でも、クルマ同様技術革新は進んでいると再認識できた次第です。医療の世 界もしかり、何事につけ私たちは技術革新の恩恵にあずかっているわけで、爺むさい話ですが(いやいや私もすでに爺でしたが)、快 適さを増してくれる文明の利器とはありがたいものです。その一方で、何事につけもっともっと不便で、肉体的なロードが今よりずっと きつかった頃、つまりは若かりし頃を思い返すと、私らは暑い寒いそっちのけで熱中していたことがあったわけで、そんな時代がふと 頭を過るのも、冬ごもりが近づいたせいかもしれません。 先日は買い換えたクルマ用の冬タイヤを注文、また1年で驚くほど伸びた 庭木を剪定、冬着も冬用布団なども引っ張り出して、冬への備えに事欠かないこの頃です。

(以上に関連して話題を転じた続編とも言うべきものを「別掲エッセイ」に載せました)


○ 秋深し(11月6日記)

 10月末から11月に入るころ、我が家の周辺は紅葉のピークが訪れました。いっときは、今年の紅葉はいまいちと思っていたので すが、どうやら日を経るにつけ鮮やかさが増してきました。例年より紅葉の訪れが早く、その後の推移も紅葉の二枚腰ともいうべき持 続力を見せているので、その分秋は長く続いているという感じがします。昨今、春や秋はあっという間に過ぎ去ってしまうあっけなさが あったのですが、今年は珍しい秋の安定感といえそうです。それなのに・・・と言い訳がましいことを書きますと、私はこの紅葉のシー ンをあまり絵としてとらえていません。言い訳の一つは、先週28〜29日の二日間、地元八ヶ岳山麓で高校時代のクラス会を開催し たことがあります。これは、いつも東京での個展を盛り上げてくれて来た高校時代の同級生たちにいくばくかの恩返しをしたいと、私 が幹事役を買って出て企画し、実現の運びとなった久しぶりのクラス会です。「高原へいらっしゃい」との謳い文句に応じて参集した1 5人に高原の秋を満喫してもらいたいと、地元プロデューサー的気分で大分以前から何回か紅葉の具合を下見し、行程も何通りか考 えたりしてきた経緯があったので、冒頭のような紅葉観測がいつもより綿密かつ広範囲に出来たという次第です。そして私の場合、こ うして飛び回ることはそのまま絵の素材としての下見ともなるもので、まあそれにしては実際に描いてはいないのですが、この間多く のモチーフも仕入れることができました。
 幸い、クラス会はこれ以上ないという好天に恵まれ、二日間は最高の紅葉日和! 遠路集まった同級生のみんなに大いに喜んで帰 ってもらえてホッと胸をなで下ろし、今度は私自身の秋が始まったというというところなのです。そんな一連の日々の中で撮影した秋の 光景を少しだけ披露します。


10月16日 奥蓼科の御射鹿池

10月16日 八千穂レイク付近の白樺林

 10月25日 通仙峡〜本谷川渓谷      

10月25日 瑞牆山(自然公園から)
10月30日 
大門ダム山道で
見かけたレモン
イエローの樹

11月4日 白州尾白の森付近

 蛇足ですが、70台を少し回った同級生たちの集いというのは、想像していなかった事態が続出し、幹事として面食らうとともに、これ はこれで大いに笑い、楽しめる要因となるものでした。つまりそれらは、忘れ物、なくしもの、迷子、遅刻、勝手なふるまいetc ・・・・と、 要するに小学生に戻ったような幼稚性と、それを笑い飛ばす老人力ともいうべきものを併せ持った世代の共通項なのであります。そ れがまた青春の一幕を共にしたという懐かしさと化学反応を起こし、再開のひと時を包む不思議な雰囲気となっていたわけなのであり ます。スミマセン、余談でした。



  ○久しぶりの"おわら" (9月5日記)
 今年はどうしようか、そんな思案を毎年巡らすのが昨今のおわらを前にした時期でのことです。ちょっと記録を辿ってみると、ここ数 年は一年おきといったペースで行ったり行かなかったりを繰り返しています。ひと頃のようなスタミナが失せていることと、絵の素材とし て追い求めるエネルギーが枯渇気味となっていることが相俟って、私のおわらそのものへの意欲が細ってきていることが背景としてあ ります。

 それと・・・。これは前にも書いたのですが、行きつけだった「かどや」という飲み屋が店を閉じてしまったことも、おわらからやや足が 遠のく一因となったことも否めません。あのストーブを囲んだ四角いテーブル席に十数人も座れば満杯という狭さに加え、およそ装い とは縁遠い店内なのに、長老のお婆ちゃんとその家族の人たちの飾らぬ対応と、必ずと言っていいほど顔見知りが来ているという暖 かさと気安さは、この店の他に代え難いところでした。いわば八尾に辿り着くと先ずはこの店でわらじの紐を緩めるといった風な場所 で、壁には毎年私が補給してきたおわらの絵の絵ハガキが貼ってもありました。それがお婆ちゃんの死後閉店して3年目、ひょっとし て今年辺りは家族の誰かが店を再開してはいないかと店の前まで行ってはみたのですが、入り口は板張りされた状態のまま。どこか これに代わる場所がないものか、そんな想いを抱きつつ、今年は上新町の居酒屋さんで一杯やりました。山麓の仲間夫婦もおわらに やってくるというので、その店で落ちあったりもしてわけです。何だか飲む話ばかりて恐縮ですが、お祭りに酒は付き物、理屈は抜き にして気持ちよく飲めることは、人生の喜びであります。この年にして人生も何もなかろうという声が聞こえてきそうですが、やっぱり気 分よく飲みたい・・・そういう想いだけは消え失せそうもうもありません。
 
 おわらに話を戻します。私が行ったのは最終日の3日の日だけ。これがここ何年かの慣例で、当日は昼間のおわらはありませんか ら、町に入り駐車スペースを確保したらあとは夕方を待つのみです。夕方=おわら開始という前に、飲み屋で一杯そして腹ごしらえが 必ず入ってきます。実は出かける前と前々日に私の携帯宛に二三の電話があり、それがまたおわら行きを後押ししてくれた要因とな るものでした。中には何年ぶりかで声を耳にする女性もいました。どの電話も"今おわらに来ているのだけど、ひょっとして栗原さんも 来てる?"というものだったのです。もちろん私も町に居合わせているなら喜んでその人達と落ちあうところなのですが(無論落ちあう 場所はこういう場合も「かどや」でしたが)、私は家にいてだらだらしている身です。電話を切ってから改めて思ったのは、思った以上 に多くの知り合いの人たちの間に、おわらといえば私の名前が浮かんでいたのだということでした。その当の私がおわらの期間なの に知らぬ顔で山麓に留まっているのは何事か!!自身をなじるような心理状態が後押しし、同時にやっぱりおわらの匂いを嗅ぎたく もなって、八尾にクルマを走らせることとなった次第です。
 

 さて今年のおわら、と言ってもくまなく歩き回るわけじゃなし、あれもこれもといった貪欲さはどこかに引っ込んでしまっているのです が、天気にも恵まれて順調にきているようです。いつもクルマを止める町民広場周辺は、仮設トイレも流し台も大半がその姿を消した 感があり、随分とスッキリしています。特設ステージもなくなっていて、言ってみれば我々のおわら難民のごとき存在にとっての利便性 はやや薄れた感はあります。しかし、この清潔感、スッキリ感の方がずっと好ましいものです。今年はまた3日間ともウイークデイであ ったせいか、人出も割合と穏やかなようです。酒ごしらえと腹ごしらえのあと、例によってふらっと街を歩き、おわら節を耳にし、人だか りを見つけては人垣の後から踊っている姿を垣間見て過ごしました。これが昨今の私の行動パターンで、観る意欲に取って代わった かのように、最近はおわら節の耳障りの方がよほど気になってきています。これは聴かせる演奏だとか、これはいまひとつとか、知ら ぬ間に私の神経は聴覚の方により多く向かっているようです。ですので、静まりかえった深夜に地方だけの流しに出会ったりすると、 私も思わず聞き耳を立てたり、少しくっついて歩いたりしています。演奏が身に染みると、これぞおわらの醍醐味であり、しみじみとお わらの良さに包み込まれる想いが強くするのです。唯一残念なことは、そういう静まりかえる深夜まで私自身の身が持たないという哀 しい現実です。飲み屋だって12時まで。その先は路上のどこかで休むか、一度クルマに戻って休憩した後出直すとかしなければなり ません。後者の場合は街中からの長い坂径を往復せねばならず、これが疲れて酒の入った身にはかなり骨です。まあそんなこんな で、私自身の物理的限界によって、おわらとの付き合いが制限されてきたのも、今年はどうしようかなどと毎年考えてしまう一番の背 景としてあるものです。

 以下は余談です。もう夜中の1時を回ってクルマに引き返そうと鏡町から坂道を下って井田川に出る辺りである所から声をかけられ ました。それは往きがけに見たイワナの塩焼きを食べさせるブルーシートと建設用の足場を組み合わせた仮設小屋の主人で、"ちょ っと寄っていかんかね、もうただだから"というのです。それこそイワナが疑似餌に誘われるように、夢遊病者のように私はその小屋に 入り込み、この店の主人と、どうやら同じ運命を辿ったような二人の客と、たちまちうち解けて飲み始めていました。骨酒に加えてイワ ナも出てきます。敷物を張りつめたフラットな床がこれまた気持ちよく、そのうちゆったりと横になって背筋を伸ばしたりと、こいつは快 適な気分です。そのうち、ちょっと家まで戻るからと行って立ち去った店主の留守番まで務めるという思わぬ展開と相なりました。その 店主、八尾の住人で「八尾風の会」と名詞にありましたが、つまりはおわら大好き人間で商売そっちのけのボランティアといった感じ で、この仮説の飲み屋を設営していた素朴な風情の御仁でした。来年来たら同じようにこの仮小屋があるものかどうか、知るよしもあ りませんが、やって来たら先ずは顔を出したい。風が通り抜けるこの仮設小屋は、文字通り二百十日の風が吹き抜けるような心地よ い後味を残してくれたのでした。


○ 夏の季節と水の絵・・・とりとめのない話(7月15日記)

 梅雨明けまであと少し、ここ八ヶ岳山麓でも早くも真夏日となったりしています。とはいえ、梅雨空に戻ると朝夕は長袖に手を通した りするのは高原ならではのこと。そんな中、晴れ間を縫うようにスケッチに出るのですが、日向は強烈な紫外線で手の甲が焼け、白い 画用紙の照り返しが目に刺さってきます。塗った絵の具はたちまち乾いて滲みやぼかしは困難になるのも夏のスケッチでのハンディ キャップで、夏場はそれ相応の覚悟の上で戸外に出なければなりません。どうしても敬遠しがちとなるものですが、そんあとき例えば スケッチ用のポータブルなパラソルがセットできる仕掛けがないものかと思ってしまいます。器用な人なら自作を試みるのでしょうが、 工作が苦手な私などは端っから他力本願、どこぞに売ってはいないかと、そればかりをあてにして一向に埒が明きません。 かくして 夏の風景の絵が少なくなるのは避けられない傾向と言えるのですが、加えて夏の木々は憎々しいほど単調な緑と化しますから、風景 から触発されるところも少なくなってゆくものです。それで、たまさかスケッチをと思い立つと、どうしても涼しげな水辺を求めてしまいま す。夏はこの水っぽい絵が多くなるのは人情というもの。このHP上でも、2014年夏の絵は、全て水のモチーフが絡んでいます。
 その水という点では日本は恵まれていると今さらながら思います。何と言っても高温多湿、結構な雨量があって急勾配の山地が多 いこの国では、様々な水の表情が風景に変化を与えてくれています。そしてこの瑞々しい風景というものは、水彩で描くのに極めて適 した素材とも言えるものです。こういう話は以前このFノートでも書いたかも知れませんが、何せかなりの忘却力を誇る昨今のことです から、話がダブっても平にご容赦願います。そしてこのことも既に何度か触れているのですが、ここ八ヶ岳の裾野では先の瑞々しい日 本の風景とは少し趣を異にしています。火山性堆積物からなる大地ですから、雨水は地中にしみこんで流れを作ることが割合少なく、 水量豊かな流れとか自然の湖水を求めるのは難しい話と言わざるを得ません。にもかかわらず、山麓で水の表情を描きたいがため にあちこち走り回り、頭の引き出しに入れてある限られたスポットを訪れては、手を変え品を変えて作画に繋げていくわけです。とま あ、これは愚痴というよりも、むしろ結構楽しい仕事として書いているわけなのですが・・・。

 夏場に限らず、私は水を描くのが好きです。水の風景と言っても、湖水や流れだけではなく、代かきの頃の田圃も水の風景ですし、 雪だって水の化身です。青々と繁った樹木にしても体内と根元に水を湛えていますし、様々な造形が面白い雲も正体は氷ですから水 そのものとも言えます。多くのこうした潤いのある風景を有するのは日本の美質と言っていいもので、水っぽいのは何も色町だけでな く、私らの周りに広がる風景にしても然り・・・というわけです。水っぽいかどうかは別として、水はまた生命の根元であり、水の風景は 生命の証とも言えるものです。ですから、水の存在を描くということは、その風景から生命を掬い取って描いているわけです。だからど うなの? と問われるとこの話の落としどころが見えなくなってしまうのですが、この下りは夏の絵から始まって水を描く哲学的な意味 合いを無理矢理くっつけているいわばこじつけの類の話です。いずれにしても色即是空ではありませんが、水はそれ自体には色も形 もないものです。水を描くということは従って、そこに映るものや色を描くことであり、周りを取り巻く様々な色や形を描くことでありま す。つまり周囲との因縁によって存在するその因縁の様を描き出すところに水の面白さがあると言えるでしょうか。いよいよ話は禅問 答的で仏教の思索的な世界を覗き見るような展開となってきましたが、この先への展開ができないにところが筆者の限界であります。 夏の絵が蛍のようにあちこちへと飛び火させては勝手に楽しんでいるという次第で、ここまでお読みいただいた方には、大変ありがと うございました。


○ 梅雨の合間に(6月23日記)

  梅雨入りして20日余り、梅雨らしくもあり、らしくなくもあり、このところ異常気象が常態化した中で、本来の梅雨とは どういうもので あったのか、それすら判然としなくなってきた昨今です。さてそんな折、気が付けばもう今年も半分が過ぎ 去ろうとしている光陰につい て改めて驚きを禁じ得ません。それは一概に早過ぎると片づけられる感覚だけではなく、ど うも月日の経過のありようが判然としない という、つまりは時間の間尺が合わないという面をも併せ持つように思えて仕 方ありません。例えば、大分前の話のように記憶分類さ れていた感のあるあの大雪が、この半年の中のことであったといった感覚のミスマッチとも言うべきことです。それは単に歳をとって惚 けただけの話ではない の? と言われればその通りかも知れません。しかし今年の5月で72歳、自分の惚け具合を多少は認識して いますが、まだ それを肴にして楽しむ余裕だってある私です。この間尺のずれというのは、やっぱり異常気象による長年身に染みこ ま せてきたてきた季節に対する感覚のずれと無縁ではないようにも思われるのです。あの大雪も、風薫る季節の夏日も、 そして個 人的には、友人の訃報や教室展への奔走など、どれもがこの半年の間の話です。そういう意味ではいろんな ことが詰め込まれた半 年という光陰が過ぎ去ろうとしている、そんな感じを抱く昨今であります。
 そんなわけで(どんなわけだか?)、このFノート、4月半ばから暫く中断していた間のトピックスを綴ってみます。 

★ 小諸なる・・・

 "小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
   緑なすはこべは萌えず 若草も藉くによしなし
  しろがねの衾(ふすま)の岡邊 日に溶けて淡雪流る・・・"

 いっときは全てを諳んじていた藤村の「千曲川旅情の詩」。私の好きなこの詩の舞台である小諸の懐古園にはこれまで一度も行っ たことがありませんでした。新緑の鮮やかな5月初め、その懐古園に妻を伴って遠出。141号をただ北上するこのルートは、八ヶ岳の 姿も見えなくなると右手千曲川に近寄ったり離れたりしながら、やがて佐久平に入ってゆきます。この佐久平という名称、佐久盆地の 通称だそうで、この辺りの地理については小諸と佐久と軽井沢の位置関係が今ひとつ頭に入っていなかった私には、長野新幹線の 「佐久平」という駅名で知っていた程度です。かつて在京の若かりし頃、まだ長野道ができていなかった時代に志賀とか妙高方面に良 くスキーに行ったときには、国道18号線をただただひた走っただけで、ここら辺りは素通りでした。さらにそれ以前、信越本線を利用 していた時代にも、横川駅で釜飯を買った記憶があるくらいで、地理好きの私としては珍しくこの一帯が空白地帯でした。おまけに、 軽井沢という所はどこか自分とは縁のない世界といった感覚があり、夏のハイシーズンなどは近寄らないに越したことはないと、いま でも思っている節があるので尚更疎い一帯というわけです。
 
懐古園の大ケヤキ              展望台より望む千曲川

 さて、話を懐古園に戻します。カーナビを大分使いこなせるようになったお陰で、懐古園には何の苦もなく到着、さらにその付近の美 味しそうな蕎麦屋も何軒か登録しておいたので、こちらにも問題なくに辿り着くことができました。懐古園については今さらとやかく書く ことはないのですが、戦国の小諸城趾がそのまま公園として管理され、藤村はじめ多くの文豪ゆかりの地ということで、文字通りどこ かゆかしい夢の跡という雰囲気をこの公園は宿しています。一番印象的だったのは、見事なケヤキの大木が園内至る所に自生して いることで、中には樹齢五百年を超えるものもあるそうです。生長して背の高くなったケヤキの林越しとなるせいか、展望台からの千 曲川俯瞰は、今ひとつ全方位には望めないものでした。この懐古園から藤村の詩と千曲川の流れを結びつけるには、少し想像力を 要するようではあります。それでも新緑の溢れる手前の森と、その下に見え隠れする千曲川に対岸から落ち込むように迫る新緑の森 は、柔らかでこの季節ならではのものでした。
 
 懐古園をあとに、その直ぐ下にある「はりこし亭」という蕎麦屋で舌鼓をうちました。この蕎麦屋に隣接する藤村の泊まった「中棚 荘」、という旅館は、かつての名残を留めるような意匠のままで、こちらには一度ゆっくりと泊まってみたいと思わせる雰囲気でした。 その後、クルマで川縁の道を少し走ってみましたが、今回もまたここぞという岸辺にはたどり着けず、"いざよう波の岸辺"は、未だ想 像の世界に留まったままです。そのあと、軽井沢に足を伸ばそうと追分宿まで行ったのですが、時間の関係でその先は諦めて帰路に 着くことに。その追分宿辺りで西軽井沢という看板を目にしていたので、ある店先で「この辺りはにしかるいざわちょうという所です か?」と尋ねたところ、「にしかるいざわまちという地名はありません」と"まち"を強調した答えが返ってきたのが印象的でした。"西軽 井沢"という名称はないという意味と、県下では"ちょう"ではなくて"まち"という読みであるとの二通りの意味が込められていたのだと 思われます。それで、長野県の町名で"ちょう"と音読みをするのは二つだけと聞いたことを思い出しました。それが何という町だった か、記憶はもう闇の中ですが・・・。

 実はこの懐古園行きの半月ほど以前にも、一度千曲川というモチーフをものにしようと佐久平を走り回ったので、今回の遠出と合わ せてこの辺りの土地勘がいくらかついてきた感があります。地図好き、地理好きの私としては、千曲川の追求というテーマもこれあり、 今度は川沿いをもう少し下って上田あたりまで足を伸ばしてみようかといまから手ぐすねを引いています。

★ 教室展〜個展のことなど
  6月の教室展は2度目で前回以来2年半振りのことでした。この種のグループ展は、全てマイペース、自分好みで進められる個展 ばかりやって来た私にはかなり勝手の違うもので、正直言って骨の折れる仕事でした。自分の作品は二の次。やはり生徒さんの作品 を少しでも引き立たせたいという一心で、そのために腐心するのが教室展です。普段作品を展示して見せるといった経験に乏しい生 徒さんにとっては、自作を大勢の人の目に晒すことは、どこか自分をさらけ出すようで、そこにためらいと緊張感をが伴うものです。そ の壁を乗り越えンと、作品作りに熱が入り、ときに自暴自棄となり、"え〜いままよ"、と開き直ったりもするわけで、そういう過程が次の ステップに繋がるいい経験となるとkろに教室展本来の目的があると言えるでしょう。今回のイベントを通して寄せられた声は、出展者 にとっては予想を超えて勇気づけられるものてあったことは、生徒さん各位にとっては大きな励みとなったに違いありません。先生役 の私にしても、やって良かったと思わせる達成感を感じられたのは嬉しい限りでした。

 さて、当Fノートの年初に、今年は珍しく個展は何も予定がないという趣旨のことを書きましたが、当HP扉にも告知しました通り、9月 の下旬に甲斐小泉駅に隣接した「ギャラリー&ショップ亜絲花(あしはな)」 で個展をやることとなりました。実は、昨年のうちからこのギ ャラリー私としてはを使いたい旨申し入れてあったのですが、ギャラリー側の新年度の運営方針が決まらないまま年を越し何の音沙 汰もなかったので、私としてはもう使用は諦めていたのでした。ところが4月に入って一定の期間限定なら使用可能ですが如何?との 打診を受け、急遽やることとあいなった次第です。いつも使用させてもらっている当地「おいでや」さんよりも広い会場なので、私の作 品だと悠に30点は展示できそうです。当地の個展でご案内させていただく皆様には、昨年11月の京橋での出展作はまだご覧いただ いてはおりませんので、このときの出展作も交えた最新作を観ていただきたいと考えています。自分で言うのは憚れる向きもあるので すが、教室展と違った個展ならではの"クリハラワールド"を存分にご堪能いただければと思っています。



○ ちょっと遠出・・恵那〜木曽路に春を求めて(4月10日記)

 いつかTVで見た恵那の布草履でも物色がてら、一足早い里の春を求めようと思い立って出かけました。取りあえずは中央道を南 下して恵那まで走り、道中食事と花見をし、あとは適宜ドライブをして、といったルートも決めていない遠出です、実は3月の最終週、 消費税の上がる前に待ちに待った新車がやってきたので、新しいクルマとの蜜月のいっときを楽しもうという寸法です。端っから横道 に入ってt恐縮ですが、最近のクルマは至る所IC化と言いますか、情報制御が進んでいて、10年間買い換えをしていなかった私には 面食らうことばかりです。物理的なドライブフィール以前に、諸々のシステムを習得しておかないと自分のクルマとはならないような気 がするのですが、この使いこなしには何だか新しいパソコンと格闘するようなところがあります。スマホなど縁遠く、カーナビだって初め てという私にとって、これは相当なもどかしさで、何冊かのマニュアルとくびっききで、この難問をクリアーしようとトライ中です。それも 実車する中で慣れ親しんでいくのが一番という思いもあってやたらとドライブをしたがるわけです。   

 さて、クルマのことはさておき、中央道からで眺める懐かしの伊那路では、久しぶりに目にした南アルプスが圧巻でした。あの伊那 谷の向こうの高みに居並ぶ千丈ヶ岳から北岳、間の岳、さらに南に姿を見せる塩見岳など、悠揚迫らざる白い山並は、もう日本第一 級の山岳風景と断言して憚るところはないでしょう。進行方向右側には宝剣や空木岳といった中央アルプスの山々が車窓を流れてゆ きます。この両者を隔ててゆったりと広がる伊那谷は、南下するにつれ春の装いを増してゆきます。いいですね〜、このゆったり感が 伊那谷の魅力! ときを改めて描きに来ようといつも思うのですが、なかなか果たせないままです。その先、駒ヶ根、飯田を通過し恵 那山のトンネルを抜けると岐阜県入り、里はますます春めいてサクラのあちこちに華やかな彩りを添えています。恵那ICで下りて恵那 市の観光物産館へ。そこには例の布草履がいくつかおいてあるとの情報を得ていました。以下、順を追って旅のメモを記します。

・ 先ず布草履・・・ 恵那市の物産館には7,8足しかおいてなく、そのどれもが魅力度、値段とも率直に言って期待外れ。物産館の人 の話では、TVで取り上げられて以降、引き合いが増え品薄状態が続いているとのこと。手作りの現場である「ささゆりの里」という場 所まではクルマで4〜50分南下せねばならず、この日布草履のことはもう忘れることに。それにしても、TVの威力を改めて思い知ら された第で、我々もすっかり期待を増幅させていた一人だっとのでした。

・ 極上であったお蕎麦とお菓子・・・ 物産館で仕入れた情報をもとに訪れた恵那狭近くの蕎麦屋「照久庵」は当たりでした! もう1 時をまわった頃なのに店の前には結構な数のクルマが。店構えとか入った雰囲気でこれは美味しそう、と感じた印象は、店を出たあ とも裏切られるところが皆無でした。店の応対も好ましくお蕎麦は香りも味も美味、訊ねると9.5割蕎麦とか。こういう美味しいものに 巡り会えただけで“いい旅度”が一気に増すものです。そのすぐ隣にあったこちらはもっと店構えも駐車場も大きな「恵那 川上屋」は、 多種多様な和菓子を中心に、店の一角には洋菓子もおいてあるお菓子屋です。こちらも人気店のようで、品定めや試食をして店内を まわるだけで、楽しくなります(私は甘いものも好きないわゆる両刀遣いです)。女房は何種類かを少量ずつ篭に入れての買い物に、 すっかりご機嫌の様子です。

木曽路〜・・・ 今度は国道19号を北上、道中サクラが至るところ満開です。木曽路に入って左側を見下ろすと、木曽川が岩をはみ 淵を造りつつ流れているのが見えます。この青緑色の流れと白い岩の岸辺が木曽川の特徴のようで、途中流れ近くまで下ってみると 真っ白な砂州が広がっていてこれまた印象的でした。当初は寝覚の床を目指すつもりだったのですが、こうした光景を度々目にする と、わざわざ寝覚ノ床まで行くこともないかと、目的地は妻籠ひとつに絞ることに。 そしていつの間にか岐阜県から長野県に入ってい ます。

  フォレスターの新車


特に名もない木曽川の景勝地。畑中の道をクルマで下りてゆくと
真っ白な砂州が青緑色の流れと好対照的をなしていました。


   国道19号沿いの風景。民家と満開のサクラがお似合いでした。

妻籠宿・・・ この山間の宿場には、30歳代の初め頃だったか一度来たことがありました。もう40年近く前の話で、このときは仲の よかった夫婦と4人での旅行で、実は寝覚ノ床もそのときに立ち寄っていたのです。2,3泊の旅行をご一緒したI夫妻は、お二人とも 他界してしまい,、いまはノスタルジーを共感しあうことができないのが残念です。
 この日は月曜日であったせいか案外と観光客は少なく、その点では静かな宿場の春を感じ取れたのが幸いでした。妻は民芸品の 物色に楽しげですが、私は昔を伝える宿場の佇まいを、終始絵的な観点から眺めてばかりでく、帰ってからこの宿場の風情を描き起 こそうかと写真を何点か撮って回るのでした。それにしても、この古い宿場を訪れる人の中には結構外国人、それも西欧系の人たち が多く、今やどこに行っても目にするアジア系の観光客が殆ど見当たらないというのは、昨今珍しい光景と言えるかも知れません。

妻籠宿では西欧系の観光客が目につき、これが不思議と
お似合いなのです。

 このあとは木曽福島を経由して権兵衛峠のトンネルを抜け、再び伊那谷へ出てから中央道へと帰路を急ぐだけとなりました。日帰り のドライブは、半分が美濃から木曽路を辿って歴史と風土を味わった旅となり、残りの半分は新車との付き合いを深めた旅でした。特 に、これは笑われそうですが、いまさらながらのカーナビ体験と、初の各種クルーズ制御体験は、便利さとお節介さうを相半ばして感 じつつも、なかなか新鮮な体験でした。



○ 大雪その後(2月19日記)

 ちょっと時系列を追って書いてみました。
 皆様からお見舞いの電話やメールを頂いており、ありがたく思っています。
 ただ、こんな写真を撮ったり記録を載せたりできるくらいの余裕があることも、お伝えできればと思います。

2月15日(土) 
 
 ・ 2日続きの降雪が漸く止みました。
 ← 雪を押しのけて玄関を開けると雪の山が。 この中にクルマが埋まっています。
 ・ 中央奥のデッキ部分も雪で満杯。
 ・ この日はそのデッキの雪を取り除き、物置への通路を確保しただけで終わり。
 ・ 世間は一体どうなっているのやら・・・。


2月16日(日)
 ・ 一日たってこの日は快晴、
 ← 除雪を終えたデッキの右下に玄関から物置へと開削した通路が。
 ・ この日はクルマの掘り起こし作業も ↓天井部分の雪を取り除いた段階。

2月17日(月)
 ← 当家玄関先から南(手前)に続く約60bの緩い坂道を切り開きました。
   と言っても二日がかりで漸くラッセルができた程度。


2月18日(火)
 ・ そして18日、缶詰状態3日目にして、待望の重機がやってきてくれました。
 ・ これで当家も陸の孤島から脱却できましたが、その先の一般道もクルマ
   のすれ違いが困難な状態 買い物も品薄という状態なので、不要不急の
   外出は控える状況が続いています。
 
 ・ この日から、中央線や中央道が開通、一部のICの出入りは止められている
   ものの、待望の物流が再開。


○ 雪こもごも(2月14日記)

 この冬は雪が降らない・・などと言っていたら、なんと2週連続の爆弾低気圧来襲を受け、週末にかけて大雪に見舞われることとなり ました。これを書いている14日は朝から雪が間断なく降りしきっています。前回の降雪は8日、このときは当家前の道で50p、朝は コンクリートのステップを上がった位置にある当家玄関ドアも、雪を押しのけて開けて外に。クルマはその外観を一切隠して丸みを帯 びた雪の塊と化しています。現在当家にあるのは軽が一台だけ。これまで降雪があれば勇んで飛び出した相棒のフォレスターは、丸 9年乗って4月に車検、おまけに消費税も上がることだし、買い換えるなら"いまでしょ"と、既に中古業者に手放してしまったのです。 それで残った軽のドアを這々の体で開け、エンジンをかけて動かそうとしたのですが本の数pほど前に揺れ動いただけ。クルマでの ラッセルは諦め、今度は徒歩でラッセル。道を耕すようにして歩くのですが何せ当家へのアクセス路は、北に向かって50bほどの緩 い上り道。おまけに行き止まりが当家で、こんな枝道には市の除雪車も入ってきてくれませんから、自分で除雪するしかないのです。 それで次にスコップで除雪を始めたのですが、これはもう長続きしません。下の方にあるAさんの話だと、この山麓では13年前に大 雪があったのですが、今回はそん時よりも積もっていると言います。2,3日はクルマの使用を諦めねばならないと諦めて部屋に戻 り、TVでも見て過ごそうかと方針転換。そしれ暫くあってから、ご近所のFさんがやってきてくれ、今度は東隣にある茅の原の地主さん がユンボを出動して除雪してくれると言うのです。ややあってから、そのユンボの頼もしい除雪ぶりを見て、やれこれで助かったと一安 心たのでした。良き隣人を持てたありがたみを思い知らされたのでした。

 それが1週間前のことで、今度は殆ど同じ位・・・イヤイヤ夕方近くになってみると、先日よりもずっと積もりそうな勢いで降りしきって います。何と言っても先日の積雪のあと、また前回以上の積雪があるとすると、これはもう雪国並の様相を呈してきそうです。前回の 轍を踏むまいと、今度は日中に2度も軽を動かしてラッセルを試みたのですが、夕方になるとその轍も殆ど新雪に没してしまっていま す。おまけに今回は明朝まで降り続くらしい・・・こうなるともう、あくせくしても始まりません。雪のせいで賑やかなのは当家デッキにあ る野鳥の餌台です。ここには朝から野鳥が群がってきています。久しぶりにその喧噪ぶりを撮影しましたので、数枚ご覧いただきま す。そんなわけで、山麓はすっかり俄雪国と化しつつあります。それなのに、好きな雪景色をものにすべく走り回る相棒がいませんの で、こちらの方は指をくわえて見ているだけ。でありますので、雪景色の新作も暫くは登場しそうもありません。郵便も宅配便も当分は やってこられそうもなく、静かと言えば静かですが、明日はまた重労働を強いられそう。今晩は我が身にアルコール燃料をたっぷり注 入して明日に備えることとします。


除雪作業の前に一枚、一面の雪野原
(9日朝)



今度は本格的雪国状態、手前の
小山の中にクルマが(15日朝)

当家デッキと野鳥の餌台、その奥、向かい
の家の屋根に注目 →


餌台は定員オーバー、順番待ちも(14日)
ここにはシメ、カワラヒワ、アトリが・・。

右上から 「私も入れて」 (14日)

<2月15日追記>
 一夜明けた朝はまだ雪が降り続き、風景は一変! この山麓では見たことのない雪の海がひたひたと水嵩を増し、我が家も隣の 家々をも小島のように孤立させてしまいました。どのくらい積もったのか、計測するには胸まで没する雪に浸かりに行かねばなりませ ん。昨夜はアルコールエネルギーをたっぷり注入したのだから、今朝起きたら一番に雪かきを、と思っていたのですがあまりの積雪に 圧倒され、こうなると焦っても仕方なし、止むまで腰を落ち着けてと腹も据わってきます。大雪が止んだのは9時頃だったでしょうか。 その後のTV報道だと甲府で114p、河口湖で143pと、観測史上最多の積雪となったようです。120年来の大雪と言うことで、この 辺りももちろん例外ではありません。太平洋岸沿いを進んだ南岸低気圧というのだそうですが、この進行具合に伴う風向きの変化と 北からの上空寒気とが相俟って、甲信地方で特に馬鹿雪となったと言います。私自身、このような雪の中にいた記憶は、スキー場で しかありません。まあその意味ではまさに歴史的な一日に遭遇したということですから、そこの処を楽しみながら除雪という格闘に取り 組んでゆくしかありません。当面はこの孤立状態も仕方ない・・・と覚悟を決めつつも、お昼前に除雪作業に乗り出しました。しかしこ の日は、我が家の玄関周りとデッキに降り積もった雪を取り除き、玄関から物置(ここに食料を保管した冷凍庫がある)への道を確保 するのが精一杯。明日以降、下の道から我が家へのアクセス確保に向けて、気の遠くなるような除雪作業に乗り出さねばなりませ ん。焦らずコツコツと・・我が身に言い聞かせるのは淡々とこの言葉だけ。その後の報道では、道路の麻痺、交通寸断、県は自衛隊 への救援要請・・・と、未曾有の事態が段々と明らかに・・・。続きはまた記すことにします。



○ 冬晴れ続く山麓(1月24日記)

 年が明けてからこの方、降雪が殆どありません。大寒が過ぎて本来なら一番寒い時期なのに、ひと頃ほどの寒さまでは届かず、こ こ数日間は気温も緩んで季節が一月ほど先行しているような具合です。こうなると冬タイヤを付けた意味もないくらいで、雪景色をと 構えていた私などは、ずっと拍子抜けしっぱなしです。そんな折、本日は3ヶ月に一度の眼科検診でしたので、病院のある富士見町か ら原村〜茅野方面に足を伸ばしてみました。眼科検診は緑内障予備軍と診断されてこの方もう3年ほどになるでしょうか、目薬を常用 し定期的に検診を受けて、その進行を抑えている次第です。
 
 富士見町や原村は、私のいる小淵沢よりもぞっと北西に回り込んだ八ヶ岳の西麓に当たる一帯ですので、例年こちらの方が雪も多 く、気温も低いわけです。それが今年のドライな冬で、特に気温が上がった今日などは、いつものような寒々と開けた一帯の雰囲気と はかけ離れています。農道に入っても積雪が少なく、冬タイヤの威力を発揮するまでもありません。ただ、原村も北西の酒井の辺りま で来ると、さすがに農道にも雪が残っていますが、これとていつもよりもずっと少なく、細い農道に分け入ってみても轍を付けるほどで はありません。よほどの暖気で上昇気流が激しかったせいか、八ヶ岳上空には笠雲がきかけています(写真)。そんな中、遠く北アル プスだけは圧倒的な雪の造形を誇って、今日はくっきりとその姿を見せてくれていました。
 ここまで来たのだからと、かねてより行ってみたかった冬の御射鹿池を見ようと、奥蓼科に足を伸ばしてみました。山道をつづら折 れつつ上って行くのですが、どうもこちらも一向に冬山の気配が増す雰囲気ではありません。道も大半の舗装面が出ているので運転 も殆ど気を遣わずに済みます。それで、実は危うく池の所在に気付かず、一度その横を走り抜けてしまいったのです。おかしいと思っ てUターンし、この辺りと思うところを徐行してみて、我ながら間抜けであったことに気付きました。そこは池も岸辺も区別がつかない一 面の白い雪野原だったのです。1600bという高度です。ましてこの湖面は静止した状態を保つのが特徴ですから、当然冬期は凍結 してその上に雪が積もっているわけで、つまりは水面が隠れてしまっていて当然だったわけです。周囲の森もすっかり冬枯れで彩りを 欠いています。こちらの方は想定通りだったのですが、私は今日のこの光景を目の前にするまで、その冬枯れの森を湖面が映しだし ている光景を思い描いていたのでした。それが一面真っ白だったので、その辺りの風景を目で追いながらも通り過ぎてしまったのでし た。今日のような暖かい日が続いても、あの鏡状態の池が甦るまでにはまだまだ日数を要しそうです。ちょうど芽吹きを始めた頃にま た訪れてみようと、そそくさとその場をあとにしました。

 そんな半日を写真に収めましたので、何カットか掲載してみました。

八ヶ岳上空に笠雲出現?
  
原村の農道から。中央が蓼科山。

原村の農道は所々雪、左奥が車山
  
  御射鹿池は一面の雪野原              終日北アルプスが・・。中央が穂高連峰、右端が槍ヶ岳。



○ 今年は何を・・・(2014年1月6日記)

 毎年のことでこんなタイトルで書き始めたのですが、何かやりたいこと、特記しておきたいことがあるわけではありません。今さらな がら若い頃を振り返ってみますと、年の始めには希望も膨らんでいたし、情熱もエネルギーもいくらでも湧いてきそうな、取りあえずは そうした気分だけでも盛り上がっていたのが、年の始めというものでした。尤も、いざ走り出してみると、現実と日常の流れの中で、抱 負めいたことはとかく噛み合わないまま空回りしつつ、いつしかフラストレーションの塊と化していったのも、若気の年月であったわけ ですが・・・。

 さて、この下りは淡々と今ある私自身の心境のようなもの綴るところでした。私は今年が年男、つまり5月に72歳を迎えます。もう何 度となく書いたり言ったりしてきたように、かつてもっと若かりし頃には、七十台と言えばもう爺さんもいいところだと、そういう感覚で見 ていたかと思います。余生を悠々自適で送る年代であり、従って周りからは静かに見守っていてあげればいい、といったほどの感じで しょうか。それが、いざ自分がその年代になってみると、どうも様子が違います。先ず、それほど爺ではないぞ、とこれは強がりではな く実感として感じていることです。かつて周りから見てその世代を想像していたほど達観してわけではなく、それほど涸れているわけで もありません。そりゃー前途洋々と言えるほどの未来はどこかに消え失せていますが、小さく灯る希望の光くらいは残っている、・・・つ まりは、不惑とまでは行かないどこか生臭いところだって残っているといった感覚でしょうか。それに私らよりももっと年上だって、元気 な人は元気、見ていて勇気づけられる人だって大勢おられます。その一方でしかし、似たような年格好の人たちの訃報に接することも 多くなっているのも事実です。気分的にはまだまだと胸を張ってみても、体調はあちこちからきしみが聞こえていますから、まあ、そう いう辺りを総合的に捉えると、私などはさしずめ爺の初心者とでも言えばいいのでしょうか。達観して動じない心境にはほど遠いもの の、そうそう細かいことに拘って先に進めないという訳じゃない・・・そんなところで爺初心者か、爺見習いと言うべき年格好ではないか と思っています。

 何だか年代感のような話になってしまいましたが、今年のことでした。今年は実はこれというビッグイベントを予定していない珍しい 年なのです。ここ何年かずっとそうであったように、次の年の個展会場を予約しているわけではなく、画集も作ったばかりだし、依頼さ れた寄稿だとか講習といったextraordinaryな予定も皆無です。これはここ十有余年来はじめてという珍しい事態ではあります。言い換 えればしかし、何にも拘束されずに自在に振る舞えるわけで、そういう意味での楽しみはあります。一つだけ予定がありました。それ は2年半ぶりに私の主催する水彩教室の教室展を開催することで、5月末から6月頭のタイミングを考えています。生徒さん達のため に一種の晴れ舞台を用意するという仕事は結構気骨が折れるのですが、やり甲斐もあって楽しいものです。音楽も然りで発表会とい うものは、それに臨んで経験を踏むこと自体が、間違いなく実となるものです。まあ、予定と言えばそれくらいなので、肝心の絵を描く 方は、何か自分なりの拘りをもっと追求してみたいという漠然とした想いはあります。ある種のイメージは頭の中にあるのですが、これ は説明し出すとつまらないものになってしまいそうなので、勝手に膨らませて楽しむことにします。ご期待下さい・・とは、他人様というよ りも自分に向けて発したい言葉と言った方が当たっているでしょうか。

 さて2014年もあっという間に動き出した感があります。実は年末にぎっくり腰に見舞われ、正月はそれこそ爺さながら、慎重にゆっ くりとした動作に終始して過ごしていたのです。それで気が付けば世間での正月休みは終わり、いつもより賑わっていた山麓界隈がま た静けさを取り戻していて、どこか寂しい気もしています。そんな感傷に浸っているわけにもゆかず、また動き出した日常に、私も癒え た腰をどっこいしょと上げて繰り出してゆかねばなりません。
どちら様も、本年もよろしくご愛顧いただけますよう、お願い申し上げます。


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 <2013年>

○ 2013年歳の瀬(12月26日記)

 いよいよ今年もあと僅か、という気分が切迫感を伴ってくる頃合いです。もう何十回と1年の総括をし、このFノートでも書いてもきまし たので、正直のところ、今更何か書きたいことが特にあるわけでもなく、あてもなく書き始めます。

 私にとって今年の最大のイベントは、やはり画集作りでした。古希になった昨年から、この辺で私が培った絵の世界ともいうべき ものを集大成するような本ができないかと、思っていたのです。それほど大業な代物ではないにしても、一つ区切りをつけられるような 本を作りたいといった想いでした。どういう本を作るか・・・そこには、内容の前に出版の形態とか、コストの問題、売り方の問題など、 いろいろ考えねばならない現実的な問題が横たわっていました。年初からいろいろ迷走を続けた挙げ句、これでいこうという決め手に なったのは、自分で作りたい本、私の絵の世界を私らしいやり方で表現できる本を作る、という一事でした。結果として、私は市販の 道が開かれていた某出版社との共同企画を諦め、中身や体裁の全てについて、私のやりたいように進められ、自分で得心がゆく自 費出版の道を選ぶことになったのです。世に打って出られればといった野心めいた炎の揺らぎはいつの間にか消え去っており、ごく 自然体の心境になっていたのです。この過程だけでも何ヶ月かかかっているのですが、そう決めてからは、猛然と本作りに向かってス パートをかけ、中身の企画から絵の選択、文章起こし、印刷会社やデザイナーとの度々の摺り合わせなどに没頭してきました。何と か本の全体像が見えてきたのが初夏の頃。そして最終的に入稿に至ったのがお盆の前、修正とか色校を終え、あとは上梓を待つば かりとなったのは秋口のことでした。発刊なってから身近な人たちへのお披露目、まとめて販売できる東京での個展準備へと、漸く手 にしたこの画集を味わっている間もなくめまぐるしい日々が続きました。

 京橋の「ギャラリーび〜た」における個展は、東京での2年ぶりの個展で、それ自体が2013年のビッグイベントではありました。 しかし、画集の出版後というタイミングは、個展との相互補完をしつつ私の絵の世界をお披露目できないかという意図が始めからあり ました。そのためにはある程度まとまった部数を個展という場所で捌きたいという願望があったわけです。客観的に自身を評価すれ ば、結果は敢闘賞と言ったところだったでしょうか。それでいいのです。私としては画集作りと個展という二つのやるべきことを、何とか やり抜いたとからです。画集も"飛ぶように"とは言えぬまでも、お陰様で大勢の方々に買っていただけ、途中で山麓の仲間に預けて おいた段ボール詰めの画集を急ぎ送ってもらい補充したほどでした。そして毎回思うのですが、大勢の皆様のご来場を得られたとい う一事は、画集云々とは関係なく、何と言っても作家として一番嬉しいことに変わりありません。のちに芳名帳の整理をしてみると、今 回も毎回お越しいただいている方々がとても大勢おられたことに感謝の念を新たにする一方、記憶力の乏しい私には会場で気付か ないまま、大変失礼をしたことの後悔を感じています。もう一点は、今回は前々回とかもっと以前にお越しいただいた方々が、数年の ブランクを経てまたおみえになるというケースも多く見受けられました。 勝手な言い方をさせてもらえば、私の過去の作品たちが大勢 のリピーターを動員してくれたということで、これまた作家冥利に尽きる一事でした。そして、搬出入や会場作りとか運営とか手伝ってく れた仲間の方々には改めて感謝の念に堪えません。今申し述べてきた方達が、もしこのFノートを読んでもらっているとしたら、この場 を借りて改めてお礼申し上げます。"ありがとうございました"。

 東京での個展は疲れるのは覚悟の上でしたが、今回は特にくたびれ果てました。むろん加齢が第一の要因なのですが、もうひとつ は、八ヶ岳山麓という空気が澄んでのんびりとした大地で暮らしているうちに、都会で暮らす免疫力がすっかり低下してしまったことも あります。自分で望んでやったことなので別に文句を言っているわけではなく、率直な感想に過ぎないのですが・・・。まあその疲れも また、達成感に繋がっているのかもしれません。

 画集のことを書き綴った次いでと言っては何ですが、いくつか聞こえてきた声をご披露したいと思います。特筆すべきは(などと著 者自身が言うのも憚れるのですが)、掲載した作品そのものはさておいて、文章を興味深く読ませてもらった、感じ入った、参考になっ たといった感想が結構多かったことです。それも、絵を描かれる読者からも描かれない読者からも等しく寄せられた声でしたので、私 としては大いに溜飲を下げる想いでした。今回のこの画集は、単に作品展示に留めず、先にも少し触れましたが、私の絵の世界を複 合的に垣間見てもらえればという想いを込めて編纂したものです。画集ですから掲載作の選定にはもちろん最大限の気を使ったわけ ですが、かなりのページを割くことにした文章部分は、第一に読んでいただける文章であること、技法について触れても技法書に陥ら ないこと、絵を描かれない読者の目をも惹くような中身であること・・・などに絶えず心砕きながら文章を綴りました。そして嬉しいことに と私なりに手応えを感じた次第ですが、これ以上は我田引水、自慢話かと読者のひんしゅくを買いそうなので止めておきます。本心を 言いますと、もっと大勢の読者の目に触れてもらえれば、というところなのであります。

 間もなく2013年も暮れようとしています。来年の大きなイベントは目下のところ何も計画がありません。個展も含めて何の予定も入 っていないのは、ここ十年来なかったことです。のんびりと、またアレコレ考えを巡らしつつ、私の絵の道に歩を進めてゆければと思っ ています。 どちらさまも、良いお年をお迎え下さい。



○ 台風一過、秋たけなわ(10月28日記)

 今年の紅葉はどんなものか、久しぶりに秋晴れとなった日曜日に、紅葉取材に出かけてみました。私の住んでいる標高千bあたり では、樹種によって既に黄葉を通り過ぎて散り始めていますが、どうも全体的にはまだ緑が残った感じです。この辺りに多いコナラや クリの木がまだこれから、というところなので、それに引っ張られているようでもあります。ところが、この秋晴れの日、南アルプスを眺 めやると、山腹は既に一面がしぶい黄色と橙色の混合色に覆われています。冠雪はまだ認められませんが、こうなるともうじっとして はいられません。そこで、西に足を伸ばして八巻道路を走ってみると、もう紅葉は真っ盛りとなっているではありませんか。多少標高 が高いとは言え、要は台風ばかりでろくに外出もしていなかったうちに、季節はちゃんと進行していたというわけです。私は画集の売り 込みとか個展の準備でこのところ結構忙しいのですが、やっぱり秋の日射しの下に身を置いて、空気を一杯吸いながらスケッチの一 つや二つはものにしたくなります。この日は日曜日だったこともあって、山麓には行楽客が結構来ています。彼らも秋晴れを長く待ち わびていたに違いありません。自然文化園という所に片隅にある"まるやち湖"は、白樺中心の黄葉に彩られ、背後の八ヶ岳もスッキ リと見え、湖面に映っている光景がきれいです。そこでスケッチを一点。そのあと、原村の気持ちよく広がった山麓で写真を撮りながら 還ってきました。
 


原村の中央農業実践大学構内にて
こちらも原村の広大な畑地帯。



○ 秋の気配とパイの店の話(8月30日記)

 漸くですね〜、大気が入れ替わって高原の涼やかさが戻り、そして朝晩などはもう窓を開けっ放しとはいかなくなりました。まだ暑さ のぶり返しはあるでしょうが、それでもススキの穂が少し白んで揺れているのが目につくようになり、雲も輪郭がぼけて漂うような気配 となっています。あの山の端からにょきにょきと湧き上がっていた入道雲も、最早過去の風景になってしまったかと思うと、待ち望んだ 秋なのに少し寂しい気もするから不思議です。それで、もう少し北の方に行くと、秋の気配がもっと濃厚かと思い、一昨日は野辺山か ら小海町あたりまで様子見を兼ねてドライブをしてきました。兼ねて・・・と書いたのは、もう一つ目的があってのことで、それはずっと 以前にTVで見たか何かで知った美味しいパイの店が小海町にあるという話を思い出し、この際そのパイにありつこうという意図があ ってのことです。北上してみると、道ばたに咲くコスモスを見かけたりはするのですが、南麓とさして変わりはありません。それで、こち らの偵察は簡単に終わりにし、次なる目的のパイの店探しを始めました。

 このパイの店、一応ネットで調べて店の場所だけは地図上で見当を付けておいたのですが、なかなか辿り着けません。国道からの 曲がり角を見過ごして別のアクセスを辿ったのがそもそもいけなかったのですが、どうも勝手が違います。大体、地図通りにはゆかな い理由は二つあると常々思っていて、その一つはイメージしていた風景と実際行って目にする風景の違い、もう一つは地図上では知 り得ない傾斜とか坂の存在です。この2点で想像とかけ離れていると、そこで先ず面食らうものです。私が描いたイメージは、人気の ない商店街らしき所にある小さなパイの店・・・という程度のものでした。小海町といっても小さな町ですし、駅と役場、それと駅周辺の 商店街くらい頭に入っていれば、さほど見つけるのは難しくないであろうと多可をくくっていたのです。ところが、行ってみると小海町は 駅から東側はもう山が迫っています。その山の斜面に住宅地がせり上がり、道はクルマがすれ違えないほど細いのです。こうなると、 地図上で得た平面的な概念はもう脈絡を欠いて訳が分からなくなります。確かこの辺のはずだが・・・?と堂々めぐりをするだけです。 漸く自転車の通行人を掴まえて訊くと、ちょうどそちらの方に行くのでついてきたら教えます、とのこと。クルマを切り返し、自転車のあ とをとろとろと上ってゆくのですが、これが何度も往復していた道です。その坂道の途中で自転車が止まり、そこから分岐する道のさら に高い所を指さして「あそこです」と教えてくれました。ウ〜ム、看板なし、立て札ナシ、近づいて初めてそれと分かるのは入り口のガラ スに書かれた"パイの店敷島屋"だけ。おまけに、普通の住宅の一角といったごく小さな店です。私は元々地理勘は良い方なのです が、これは発見困難。ナビがあれば辿り着けるものなのか、私のクルマはナビなしなので何とも言えません。話は横道に逸れます が、最近の地図検索は相当精度が上がっているようですね。例えば私の家などはこれという目印もなく、この一帯はまた番地の並び 方などおよそ秩序だっていなかったので、つい最近まではピンポイントで"ここ"と教えてはくれなかったのです。それがどうでしょう、念 のためと思って検索してみると、何とピンポイントで当家を指し示してくれたので驚きました。これがGoogleの地図検索となると、一軒 一軒の平面形まで示しているではありませんか! こんなことで驚くのは如何にも田舎者なのでしょうが、確かに私は田舎者であるこ とを再認識させられた次第です。 話を戻してパイの店ですが、辿り着いたのが午後で、もういくらもパイは残っていなかったのです が、その中から見繕ってなんこか買い求め、帰ってから食しました。その報告だけしておきますと、「これは旨い!苦労して辿り着いて 良かった!」・・・ でした。グルメレポートではないのでこの話はここで切り上げますが、既に知る人ぞ知る有名店のようですから、もっ と知りたい方は調べてみて下さい。

 さて、秋の気配ですが、北上するまでもなく、当家周辺の道ばたで見かけました。写真は、既に頭を垂れ始めた稲穂を背景に揺れ るコスモスと、ハルジォンか何かの花に止まっている蝶々(何とかシジミ?)です。小さい秋見つけた♪ といったショットです。
    



○ 酷暑お見舞い〜画集の話など(8月14日記)

 前回、梅雨明け間もない時に列島を襲った猛暑について書きました。そのときに、この調子では8月はどうなってしまうのかと不安を も洩らしたのですが、結果はその不安的中! もう果てるともない日照りの下で息を潜める状況が続いています。しかし実は、これを 書いている14日夕方は、久しぶりに涼しい風が部屋に入ってきてホッと一息継げる状態となったので、これ少し余裕ができているわ けです。何しろここ避暑地でもある小淵沢で35度、36度という凶暴な暑さに見舞われた1週間、もう避暑地も何もあったものではあり ません。これまでは日中相当暑くても、夕方以降はクールダウンしてくれるので、さすが高原と思っていたのですが、今夏はどうも様子 が異なるのです。こういう事は、私が移住して8年の間でなかったこと・・・と言っても、人々が「今までなかったこと」というのは、もう珍 しい事態ではなくなっているようなので言わずもがなではあります。信じ難いと思われるかも知れませんが、私は移住してこの方、クル マのエアコンは滅多に入れることなく夏は凌げていたのです。それが東京並みでエンジン始動とともにエアコンを入れる毎日。夜だっ て大概は長袖のパジャマで過ごしていたのが、今年は半袖七分の上下。こんなことを書くのも、これまでは都会の皆さん、大変ですね 〜といった余裕があってのお見舞い的な口調であったのですが、今回はどうも様子が違います。もう同類相哀れむといった類の状態 であるわけです。こうなると、高気圧が不吉なものに思えてきます。山梨県では、甲府盆地の暑さが日本有数なものとして、今年は良 く報じられていますが、我が八ヶ岳高原にしても、この盆地の熱波が上がってくるようです。暑さ対策では弱者の高原族としては堪った ものではありません。お陰で、毎晩氷をたっぷりと入れた焼酎のオンザロックの世話になりっ放しです。

○ 画集作りの話 (8月15日記)

私はここ2ヶ月ほど、画集作りに没頭してきました。扉の所で告知しました通り、画集の第2弾ともいうべき本作りは、漸く著者としての 私がやるべきことを終え、掲載する作品の全てをスキャニングのために印刷会社に収め、一応あとはデザイナーから上がってくるも のを待つという状況に漕ぎつけました。そういう次第で、暫くお休み状態であったHPの作業も再開しなければ・・・と思い立った次第で す。
 
・・・・・・・・・・・・・・この先は、予告コーナーでどうぞ


○ 八ヶ岳山麓の猛暑(7月11日記)

 この一週間、日本全国から猛暑の様子が伝えられています。梅雨明けしたばかりの7月上旬、この分だと夏本番の頃はどうなって しまうのか、みんなうんざり顔で不安に思っていることでしょう。私の住む八ヶ岳高原(千b)においてさえ、連日33〜34度とこんなに 高い気温が続いたことは私の在麓8年間ではなかったことです。朝から暑気が漂い始めるし、昼過ぎともなると見渡す山々の上には にょきにょきと積乱雲のオンパレード。連日、TVでは日本一暑かった所として39度超えの甲州市勝沼が登場し、それに次ぐ暑さの常 連、甲府の様子なども報じられています。この2都市、今週はどういう訳か日本で1,2位という順位の関係で、勝沼に至っては名だた る猛暑の熊谷や館林、岐阜の多治見と肩を並べる地位へとデビューしたかごときなのです。甲府と我が北杜市では、日中で5度前後 の気温差があり、このところもそんな気温差を保っているから堪りません。大体暑さ慣れしていないのです。午後になるとエアコンなし はかなりきつく(この辺でエアコンのある家は殆どないのです)、どこか涼みにと思ってもスーパーくらいしか思いつきません。尤も、当 地では夕方からはクールダウンがありますし、夜も多少寝苦しいくらいで何とか凌げるのがありがたいところです。イヤ、ありがたがっ ている場合ではありません。元々私らは清々しい高原の大気を求めて移住してきたわけなのですから・・・。それが暑気に侵害されつ つあるとすれば、由々しき事態とも言えるのです。などとぼやきながらも暑い夏をここ八ヶ岳高原でも実感せざるを得ない毎日です。 千bにしてこうですから、下の甲州街道まで下ったらどれほど暑いことか、いやいや、そこから更に韮崎、甲府へと下ったらもうジェジ ェーッ!に違いありません。というわけで、結論として当地はかろうじて天空に近い高原の面目を保っていると言えそうです。

 それから水の問題。関東地方の水瓶は猛暑報道の陰に隠れてあまり報道されていないようですが、このところ雨がさっぱりの山梨 県から見ていると、他人事ではないように思われます。県下、特に平野部での日照りと水不足は、農産物なかんずく県の誇るモモや サクランボなどの果物のできに影響しているようです。田圃が干えあがりそうになった韮崎市では、農家が防火水槽から水を取り付け る騒ぎがあったばかりです(これは条例で禁止されていること)。八ヶ岳山麓でも、美味しいお米の産地は徐々に高い所へと移りつつ あるようで、この山麓は湧水にも恵まれ、大口の水需要を賄う大門ダムも水位に問題はないようですから、その点は有利なのだと思 います。
 また話は戻りますが、当地は夏休み入りを控えて、早くも避暑客が結構増え始めているようです。クルマの数が増えていますし、IC 近くのコンビニなどは駐車場が混み合っています。そうなのです、やっぱりここは避暑地、そういうことに改めて気付かされます。これ を書いている傍らで窓の外を見上げてみると、今日はそれでも雲があって、しかも風があるせいでうっすらと刷毛で掃いたような雲の 様子です。いくらか凌ぎやすくなるのかも知れません。

 皆様、暑中お見舞い申し上げます。
・・・・・と書いて、暑中見舞いは時期的には早すぎるのか?と思ったりします。それほど早い猛暑入り、案外その分早く夏が遠ざかる のではないかと、実は私など、若干の期待も込めた推測をしているのですが・・・。。



○ 富士山のこと(6月22〜23日記)

・ 世界文化遺産・・・でも素直にははしゃげないところも。

 このFノートを書いている本日、プノンペンで開かれていたユネスコの世界遺産会議で、富士山の世界文化遺産登録が正式に決ま りました。日本で17番目の世界遺産登録、ニュースでは長年の念願がうかなって地元や関係者は喜びに沸き、日本中がこの明るい ニュースに湧いていると報じています。果たしてそうか? あまのじゃくな私などはちょっと小首を傾げてしまう節があって、少しはしゃ ぎすぎではないかと思ってしまうのです。世界遺産に登録されようとされまいと、富士山は富士山、日本人の誇りであり、心の象徴で あることにいささかの変わりもないはずです。我々日本人にとっての富士山の価値とはそういうものです。それを何だ、このはしゃぎよ うは・・・とまあ思ってしまうのですね。 そもそも2003年の自然遺産登録に失敗したので、今度は文化遺産で、という変わり身も如何 にも唐突で安っぽいではないかと私はかねがね思っていました。芸術や文化の源泉という趣旨は分かりますが、具体的に富士山の 何が、そしてどこが世界遺産なのか、いくつかの構成資産によって成り立つのだそうですが、どうもピンと来ません。自然遺産登録の ネックとなったゴミ問題や自然保護そのものについて、徹底して汚名を返上していく道こそ、我々日本人が先ず辿るべきでしたし、そ こを起点としてなお世界遺産に拘るなら、再度自然遺産として、或いは自然と文化の複合遺産として再挑戦するのが本筋ではなかっ たでしょうか。第一、その方がずっと格好がよかったと思いませんか? そしてどうせなら複合遺産の方が、富士山の実態として相応 しいし、富士山のおかれた日本の実情や我々日本人の心情に近いものだと思ってしまうわけです。
 まあいいではないですか、何にしても世界遺産としての市民権を得たのだから・・・という声が聞こえてきそうです。確かに、世界の名 だたる山とか観光地は軒並み世界遺産となっているようですから、そこに富士山が名を連ねていなかった方がおかしかったと言える かも知れません。ですからこの際何歩か譲って素直に喜ぶとして、問題はこれから。資産の保護という最大の課題がずっと付きまと います。富士山への入山者は年々増えていて、これが世界遺産ともなれば更に増加すること請け合いです。そこで、規制策として入 山料を取ろうという動きが大分前からあって、これには静岡県が前向きに対応していたのに対し、山梨県はつい最近まで消極的でし た。横内知事によれば、観光客減少に繋がらないかとの懸念が、躊躇する理由らしかったのですが、これでは本末転倒。そもそもお 山の保護や安全のために入山者の数を規制しようという趣旨ですから、諸々の規制は強化されて然るべきなのです。それなのに、観 光収入の減少を懸念しているとしたら、遺産登録は観光振興がお目当てであったことが見え見え、県民の一人として恥じ入るばかり です。アメリカの世界自然遺産となっている国立公園では、自然保護のために徹底して公園内への立ち入りを規制しているのが普通 です。観光マネーに現を抜かす前に、類い希な富士山を大事にしていく姿勢への回帰が、遺産登録の意味であって欲しいものです。

 北斎の冨獄三十六景展、観に行ってきました。

  NHK甲府と山梨県立博物館共催のこの展覧会を観に行きました。富士山の世界文化遺産登録のタイミングを睨んでの企画なの ですが、そのことは私には関係ありません。展覧会など滅多に寄りつくことのない私ですが、今回は三十六景プラスのちに加えられた 十景の計四十六点が勢揃いとあったので、この際是非観ておきたかったのです。 およそ180年前の江戸時代後期、風景画に画期 的な扉を開いたこの浮世絵師、のちに印象派の画家達を唸らせた北斎の絵とはどういうものであったのか、その真骨頂である冨獄 図を間近にしてみたいという気持ちでした。そしてその言葉通り、版画のサイズはほぼB4くらいと小さなモノでしたので、接近して眼鏡 を外して(私は強度の近眼なので眼鏡は外した方が手元はよく見えるのです)、顔を近づけて食い入るように画面を見るというまさに 北斎を間近にする形となりました。

 一言で感想を言えば、いろいろな点で予期した通りの観応えのあるものでした。特にユニークな構図と動きを取り入れた作画に思 わず"なるほど"とひとりごちることしきり。全作をくまなく楽しませてもらったというのが偽らざる感想です。

「神奈川沖浪裏」

「五百らかん寺さざゐどう」
数人の眺める先に富士山が・・・
おそらくそれまでは風景画といえば山水画や華美な装飾を施した襖絵のようなものが主流であったであろう時代に、北斎は持ち前の 構想力とデッサン力を発揮して、実に大胆で画期的な試みをしたものです。46点のそれぞれが、独特な構図、独特なシチュエーショ ンを想定して描かれています。このバラエティーに富んだ発想は、もう驚きとしか言いようがありません。そして気付いたことは、人物 のない絵は有名な「赤富士」や稲妻をあしらった「山下白雨」を含む数点だけで、大多数は大小様々な人物の表現と配置によって、風 景に動きと生き生き感を与えているということでした。人物といっても、その大半は町衆、村人、職人、旅人といった庶民たちです。さ すが浮世絵師、北斎は冨獄図の制作に当たって、いつもの美人画や風俗画の愛好家と同じ庶民への眼差しを持ち続けていたに違 いありません。とはいえ、絵の品位というものは、その細部にまで宿っていて、この点ではのちに台頭してきた歌川広重とは一線を画 すところがあると思います。俗と非俗の絶妙なブレンド感とかその振幅の幅というものが、北斎の北斎たる所以ではないか、そのよう に思えてくるのでした。
 作品一つ一つを取り上げてのコメントはきりがないので控えますが、やはり圧巻はあの「神奈川沖浪裏」。あの大胆で斬新な構図は 元より、飛沫の文様と表現は、ここに北斎の真価を見る想いです。ゴッホ達が目を見張ったのも肯けます。動きのある人物描写とい い、写真のない時代にあれだけ描けるのは、やはり常日頃の観察眼とスケッチのなせる技なのでしょうか。

 その一方で、ちょっと"あらっ"と首を傾げたくなるところもいくつかありました。先の観察とかスケッチに関連することなのですが、例 えば富士山の形、遠景と近景を描き分ける手法などについてです。富士の形状については、どの絵も基本的にはさほど変わらない形 で北斎は描いています。しかし、どういう訳か、これが甲州各所からの絵柄となると、山頂の形や山腹の表情に変化をつけているので す。その形状の中には、正しくはこうは見えない、むしろその逆だと思われるものも数点ありました。これらは現場でスケッチしていれ ば描き損じたりはしないことで、おそらくは何かの資料とかイマジネーションを基に描いているせいの勘違いかと思われます。もうひと つは、多くの方が気付かれるであろう描いている目線と描かれた風景の遠近線の矛盾です。しかしこれは遠近法などの技法が確立さ れていない時代ですので、指摘する方が酷だと言えるでしょう。逆に苦労して作画をしている痕跡が窺えて興味深いところですし、矛 盾を感じながらも新しい構図に境地を開こうとしている北斎の気概さえ滲み出ているように見えます。いずれの点も、だから減点という 気はさらさらありません。かえって時代背景が窺えて興味深く観察させてもらった次第です。

 北斎75歳の時の「冨獄百景」という本のあとがきにある言葉が印象的でしたので、一部をご紹介します。
「私は6歳からもののかたちをうつすのが好きで、50歳ころから絵を描いてきたけれど、70歳よりも前にかいたものはうまくない。73 歳でやっと生き物や植物がどのようなものかわかってきた。だから80歳ではもっと・・・・・」
とても感じ入ってしまう言葉です。
 北斎のような画家が富士山をテーマにした絵を残したところにも、どこか歴史的な曰を感じざるを得ません。当時富士山を描きたい と思っていた画家がいたとしたら、さぞかししてやられたと思ったことでしょう。後生の私たちは、それが北斎であって良かったとつくづ く思うわけです。そしてこの冨獄図が、先の世界遺産登録への足がかりとしてあったでしょうし、冨獄図の庶民性という点では、のちの 銭湯の富士山にも繋がる幅広い影響力を後の世に与えたと言えるかも知れません。

・ 私と富士山の絵について

 私自身は、富士山の絵を描くことはごく希です。ここ八ヶ岳山麓から見る富士山もなかなかなものですが、描くとなるとどうも敬遠しが ちです。何故かと言えば、あの端正なシンメトリックスが、なかなか絵の味として表現写し難いからです。ですから、描くとしても富士山 のある風景といった形とならざるを得ず、しかし画面の中でどのように富士山を描き入れたとしても、富士の持つ存在感は格別で、そ の絵を支配してしまうところがあります。加えて富士山の霊験あらたかな姿は、日本人の誰もがその人なりのイメージを持っているも ので、絵を見る側としてはそのイメージを重ねて観ることになります。そういうモチーフを描くとなると、やや勝手が違ってきます。それ やこれやで、私は富士山から触発される精神性のような部分では、おそらく人並みのものを持ち合わせているのでしょうが、それが絵 心の触発には繋がらないというところが、富士の異質な部分として私の中にあるのです。だから、富士山は絵とは切り離した心情で眺 めていたい、そういう気分が強いわけです。
 ここ八ヶ岳山麓に移住して間もなくのとある夕方、日没の残照に浮かぶ甲斐駒があまりにも素晴らしかったので、クルマを止め畦道 で写真を撮っていました。そこに近所の家のお爺さんが現れて、「ほらっ富士山がきれいだから撮りなさい」とわざわざ富士の方を指 指すのでした。苦笑いしたくなるのをこらえて、「はいそうですね」とカメラをそちらに向けたのですが、そのとき感じたのは、ここ八ヶ岳 山麓でも富士山は日本一にして唯一絶対だということでした。甲斐駒や八ヶ岳など、名峰に囲まれた環境の中でもそれは同じことな のです。山麓からは日本百名山のうちの7峰を一望に収められる場所もあるのですが、おそらく地元のお百姓さんらにとっては、富士 山以外の山は見えても見えなくてもさして意味がないのかも知れません。ましてや他の山の名前など一々覚えるまでもないのです。私 の推理通りか否かは別としても、富士山はどこに行っても日本人が共有する心象として存在しているのは確かなようです。



○ "野"について(6月10日記)

 先週初めのことですが、再び安曇野へ今度は妻を伴い一泊旅行をしてきました。"再び"というのは、水彩教室のスケッチ旅行で4 〜5月と下見も含めて2度行っているからです。今回は梅雨入り後すぐの梅雨休み(?)で晴れ間が続き、安曇野でも気温が上がって 汗ばむほどでした。温泉宿でゆっくりするのが第一の目的でしたが、併せて安曇野の土地勘を養い、今後のスケッチのポイントを発 掘しておくことも目的の一つでした。なので、今回は絵の道具は持参せず、あちこち移動してはもっぱら写真を撮ってきただけです。 一泊旅行と言っても当家からクルマで1時間もしないうちに安曇野に降り立つことができるわけで、旅先で忘れ物に気付いたら家に取 って返すことだって可能なくらいの距離感です。それほど近く同じ山間の土地柄なのに、八ヶ岳山麓とは眺めわたす風景も、そこに吹 く風の臭いさえも、随分と違ったもののように感じます。だからこそ一泊を費やしてまでわざわざ出かけるわけで、狭い日本なのに変 化に富んだ自然と風土というものを改めて知らされる思いです。

 さて今回は、安曇野という名前に触発され、"野"について書いてみる気になりました。元より、絵とは特に脈絡のない話ですし、着地 点も分からないままです。"野"のつく地名について、頭に思い浮かべてみるといくつか挙げられます。北から、富良野、遠野、武蔵 野、吉野、熊野、安曇野、嵯峨野、津和野・・・などなど。どれもおしなべてなかなかいい響きを持った名前(地名)です。"野"には、ど こかゆかしいイメージが宿っているようにも思えます。冒頭の富良野を除けば、事実そこには民話とか歴史上の逸話があって、民族 的或いは文学的な素性を持ち合わせている・・・そんな共通項で結ばれていると言えるでしょうか。いずれも"野"というくらいですから、 野原とか山野といった自然のロケーションにあって、都会の文明からはやや距離を置いたシチュエーションにあると言えます。そこに 人が住み着き、長い歴史を経て特有の風土を築いてきた、そんな共通項に括られるように見えます。かなり感覚的な言い方ですが、 そこにはちょっと違う世間があり、それが独特のゆかしさを漂わせる所以ではないか、すくなくともそんな想像を膨らませる何かがある わけです。再びここで富良野はちょっと例外であると断っておく必要があるでしょう。何せあの広い北海道です。北海道自体が新しい、 開けた、そしてやや日本離れした土地柄ですから仕方ありません。しかしその北海道の中でも、富良野にはちょっとおっとりした平和 なイメージが感じられます。"野"がつけば、どこも先の共通項で括られるかというと、そうでもなさそうです。例えば習志野とか嬉野、あ きる野、秦野もありました。これらは、先の"野"に引っ張られて、いい響きのように感じられるのですが、実際はごく普通の市街地とし ての空間と言えそうです。同様に、武蔵野もいまや余りにも漠然とした広い空間の中に埋もれてしまった感があるので、少し事情が違 ってくるかも知れません。

 再び何故"野"なのか、それが何故独特の風土と関係してくるのでしょうか。先のような風土の土地に偶々"野"がつく所が多いの か、或いは"野"のつく場所だからそういう風土が成立したものか、因果は分かりませんが、今暫く想像を巡らせてみます。いずれの" 野"も海沿いではなく、内陸に入った場所、どちらかと言えば山間部の、或いは山を控えた野であると言えそうです。島国という日本の 特性からでしょうか、海への開口部を持つ場所は常に外部との交流の窓口として機能し、そこに人々が集まり商業も産業も発展して きました。つまり文明が進んできたわけで、それが近代都市の成立に欠かせない要件であったと言えるでしょう。それに対して、ここで 並べた"野"の場所は、どれも文明発展の流れとは一線を画したロケーションにあり、外部とは極めて細い糸で結ばれていただけで、 それ故に独自の文化を育んできた場所と言えるでしょう。近代化とは無縁であったばかりか、むしろそれに背を向けてきたところに、 ある種の意志とか思想があったような気さえします。そこだけ時間がゆっくりと流れているような、そんな感じを受けるわけで、"野"の 風土を培い、人が"野"からイメージする源泉は、まさにこの辺にありそうです。ちょっと小難しい話となってしまいましたが、私は"野" の響きが好きです。どこかゆかしく心地よい感じを覚えます。野という一音節だけが醸し出す魔力のようなもの、こういう言葉はおそら く英語などには存在しないのではないでしょうか。いいですね〜だから日本語は、だから日本は・・・という流れとなってくるわけで、風 呂敷を広げた割には、奥行きにも説得力にも欠ける帰結となってしまいました。そうすると「絵」にはどう関連するの? と訊かれると、 これまた説得力のある答えが見出せない状況です。強いて言えば、日本的なるものへの郷愁というDNAが、絵を描くモチベーションと して我が身にも備わっている・・・とまあ、それくらいのところでしょうか。



○ 田に水が(5月12日記)

 ここ山麓もご多聞に漏れず、5月に入ってからは暑すぎたり寒過ぎたりで、なかなか風薫る季節とはゆかぬ日が続きました。昨日の 久しぶりの風雨が去った今朝もクリアーな快晴でしたが、気温は当地でも夏日となるという予報です。それでもこの快晴に誘われるよ うにスケッチに出かけました。ちょうど田に水が張られたタイミングであろうと思った通り、まさしく青空を映した水田があちこちに広が り、立ち働く人影が多数あります。水を張って土壌の安定を図るこの時期、満を持して田植えを待つこんないっときは、まさに春の風 土記と言っていい光景で、農業に携わらない私らにしても胸躍らされるのは、私たちが水稲民族のDNAを受け継いできている証かも 知れません。水面に映った残雪の南アルプスも見事で、それを愛でているだけで山麓に暮らす幸せさを感じます。いくつかの狙いを 定めておいた場所をめぐり、高根町の東井出という地区にやってくると、ここも水田に耕耘機が動き、田の縁をならす人影があちこち に。地区の小高いお墓のある場所に腰を落ち着け、水田越しの集落をスケッチしました。5月の強烈な紫外線がスケッチブックにも降 り注ぎ、長い間画面を凝視していると目が眩みそうになります。それでも粘ってデッサンから彩色へ。途中水田のあちこちで立ち働い ていた人たちが午前のお茶でいっとき姿を消し、再び舞い戻ってくる頃に漸く彩色をし終えました(→山麓絵画館)。帰ってから腕時計 のあとがくっきりと真っ白に目立っていることが判明、もちろん顔も急に山男となったように日焼けしているのでした。


↑北岳(左)も甲斐駒も水面に影を映しています。
 ← 田園地帯の小高い場所からスケッチ



○ 山麓の春を探りに(4月24日記)

 22日、夜来の強い雨が上がっての晴れ間だったので、これはスケッチ日和かと当てもなく外出。写真を交えてこの日の記録をご披 露します。
・ 案の定、山は雪だったようで甲斐駒も八ヶ岳もときならぬ雪化粧でした。久しぶりに浅川の集落へ行ってみようと思い立ち、途中撮 影をしながらクルマを走らせました。南麓ではソメイヨシノなどと入れ替わって八重桜が満開、まだ浅い新緑の中でその色彩を放って います。国道141号線から逸れて集落へと抜ける谷間は、もうかなり春めいた光景です。そして集落を見下ろすいつもの丘につくと、 予想通り八ヶ岳が新雪で輝いています。農家の人々は田を耕し終えて水を曳くのを待っているといった頃合いのようで、掘り起こされ たばかりの土の表面が陽に晒されていいました。何度来ても絵心を動かしてくれる光景で、いっときスケッチブックを広げ、集落の家 並みを描いて過ごすのでした。このかけがえのない風景の中に、もしかすると無粋な高速道が割り込んでくるのかも知れない・・・と、 これは先日聞いた話明から想像したのですが、何でも中部横断道の予定ルートは、この辺りでは集落南側の海岸寺の峠をトンネル で抜けてきて集落の背後辺りを通過するらしいのです。そう言えば、途中、滅多に行き交うことのない谷を越す道で何やら新しい道が 建設中でした。これはひょっとすると横断道建設に向けての工事車両などのための先駆け的な工事なのかもしれないと改めて思った のですが、集落の人々はどう受け止めているのでしょうか。これも聞いたことですが、どうも反対の声などあげてはいないという話らし く、長くこの山懐に閉ざされたような地で暮らし糧を得ていた住民達の胸の内は、たまさかやって来てはその鄙びた風景に喜んでいる 我々には想像のつかぬところにある・・・としか言い様がありません。


八重桜の咲く山麓、ときならぬ降雪で
甲斐駒が一段と白く輝いています「。


野辺山の高原野菜の畑は積雪で真っ白!

←浅川の集落の背後には、この季節にして
 は残雪の豊富な八ヶ岳が。 

・ 集落をあとに清里に出てみると見渡す景色がガラッと変わってきました。雪をかぶっているのは八ヶ岳だけではなく、平沢峠の辺り も真っ白、国道沿いの立木にも所々雪が残っていて、季節は冬に逆戻りしたかのようです。野辺山のレタス畑に行ってみると見渡す 限り積雪の中です。標高1300b前後のことですから、昨夜の雨が雪であって不思議はないのですが、4月下旬にしてこの光景はち ょっと驚かされます。気温もお昼を過ぎた頃なのに2度までしか上がっていませんでした。ここから信州峠を南側へと越えて瑞牆山の 麓に抜け、いくつかのお気に入りの集落の様子を見てみようとクルマを走らせました。峠を越えられるか、私のクルマはとうに夏タイヤ に履き替えてしまっているので、多少の不安はありましたが、行ってみると道路は問題なし。峠から南へ抜けると、これまた嘘のように 積雪の痕跡は何もありません。一人瑞牆山右奥に金峰山だけが白く輝いていました。このアングルからの二山のトゥーショットはかな り珍しいものと言えます。


信州峠を越えると瑞牆山(左)と金峰山
のトゥーショットが。

山間の集落では野良で立ち働く
人たちの姿が。

須玉川は柔らかな黄緑のヴェールに
覆われています。
・ 黒森〜和田、小尾、比志といった私のお気に入りの集落の様子を窺いつつ更に南下。積雪のために農作業中止状態であった川 上村とはうってかわって、こちら側はぽかぽかと暖かく、田畑のあちこちで立ち働く人影があります。新緑はその始まりといった時期 で、いずれの集落でも田に水が張られるのは間もなくといった頃合いでした。残雪の山岳風景もさることながら、こうした山懐にある鄙 びた光景もいいものです。過日、この集落の住人と接したときに受けた印象は、Fノート(11月22日記)に書いた通りで、表面だけ見 るのと接して人心に触れるのでは大きな違いがあります。それでも集落という絵の対象としての魅力は、いささかも損なわれることな く、私の絵心を捉え続けます。先の浅川集落で思ったことといい、私のような訪問者はただただその風景から受ける感興を絵にする だけです。あと一週間ほどしたらまた来なければならない・・・そう思いつつこの一帯をあとにし、八ヶ岳南麓へと舞い戻る須玉川の橋 を渡ると、眼下の河原は柔らかな新緑のヴェールをかぶったようで素敵でした。


○ 安曇野へ(4月20日記)

 安曇野・・・どこかゆかしい響きがあり、そこだけ違う風が吹いているようで人の心を惹きつける地名です。語源は、古代北九州から この地に移り住んだ安曇族に由来するという説があるようですが、この地名に含まれる地域とはどこからどこまでなのか、確たる解釈 はなかったかに思われます。それが、平成の市町村合併で安曇野市が生まれ、行政上の線引きがはっきりしました。この線引きが 唯一絶対の安曇野というわけではないのでしょうが、何であれ"名は体を表す"ところがあって、私らのような部外者の見る目に一応 の定点を与えてくれたような気もします。

 さてその安曇野に教室の一環として一泊泊まりのスケッチ旅行に行くことになり、先日何人か連れだって下見に出かけてみました。 十数人の部隊が移動するのも留まって描くのも一緒にするとなると、それなりに下調べが必要になってきます。私自身安曇野は何度 も通過してはいるものの、その舞台の中でスケッチをしたことがなかったので、いろいろ見当をつけておく必要もあったわけです。そも そも論として、安曇野に行くとは、そのどこで何をしに行くのかという点が定まらない限り、ちょっと漠然として捉えようがありません。あ る人は美術館やお洒落なカフェを、ある人は蕎麦やわさびなどの名産を、ある人は北アルプスの山懐に・・・と、人それぞれがもってい る安曇野のイメージによって、目的は様々でしょう。私たちの場合、そこで描く絵のイメージは、田に水が張られているであろう5月連 休明け、残雪の北アルプスと所々にある屋敷林の織りなす光景が合わせ鏡のように広がっている・・・とまあ理想的にはそんな光景で す。
 
 当日行ってみると、ICの名称も豊科から安曇野ICに変わっていました。そこで下りて、一応当たりを付けておいた場所周辺をいくつ か周り、いくつかの候補地となり得るポイントを見出すことができました。フラットに広がる耕作地は、その何割かが麦畑で既に青い穂 先が伸びており、田圃となる場所ではあちこちで耕作機械が動き出しています。縦横に造られた大小の用水路から水が曳かれるのも 間もなくといったところです。この日はあまりクリアーな天気とは言えなかったのですが、見上げれば安曇野のシンボルとも言える常念 岳が残雪をたっぷりと湛えて聳えています。本当に形のいい山容で、やっぱりここでスケッチするとなると、自然とこの常念のピラミダ ルな姿を描き入れることになりそうです。意外だったのはサクラがもうとうに散ってしまっていたことでした。ここは大体5〜600bの標 高のはずですが、我が北杜市と較べればずっと北に位置しているので、今頃が盛りかと思っていました。その後、宿となる烏川渓谷 の「ほりでーゆ〜四季の郷」に足を運んで、そこでフロントの方から現地の情報をいろいろ仕入れることができました。この渓谷沿いも 新緑が萌え始めたところで、こちらも絵になりそうです。ホテルの方からもらったロケマップなるものを見ると、何と数多くの映画やTV ドラマのロケがこの安曇野で敢行されたことでしょうか。実に多くのスポットが映像や物語と相俟って安曇野の観光資源としての価値 を高めてきたかが分かります。そういえば、日本にやってくるアジア系観光客の多くが日本のドラマのロケ地に足を運ぶといいますし、 私ら夫婦だって北海道の富良野に行けば、倉本聡のドラマゆかりの場所を見に行ったりします。その場所の風景とか佇まいというも のは、背後に潜む物語という旋律が流れるだけで、たちまちイメージが増幅されるというわけです。観光都市を宣言している我が北杜 市だって結構ロケ地として使われているはずなので、ロケのための環境整備とか誘致やPRのシステムとか、それら有効に活用する 手だてを考えればいいのに・・・と思ったりするのでした。
 北杜市が出たついでにちょっと調べてみると、この安曇野市は人口が99,348人とこれは想像をはるかに上回る数字です。因み に面積は331.82平方qで、北杜市の602.89平方q、人口48,874人と較べると、安曇野市は半分強の面積の中に倍以上の 人口を擁しているということになります。だからどうなの? と訊かれると返答に窮するのですが、安曇野市にはほぼ中央を大糸線が 南北に横切っていて、その駅は数えると市内に9つもあります。市としての地理的な中心軸を備えている上に、隣接する松本市のベッ ドタウンという位置付けもあって、北杜市よりも都会に近い要素を兼ね備えているとも言えそうです。こう考えてくると、前段に書いた市 の概念が掴みづらいといった下りは一部訂正せねばなりません。居住域が三つの山麓に分散し、ここという中心地を欠いた我が北杜 市の方が、よほどその概念を把握しづらい所ということになります。

 そんなこんなと北杜市を引き合いに出した背景には、安曇野が八ヶ岳を擁する北杜市と並び、都会からの移住先としての共通項を 持っているせいでもあります。私たちはそんな共通項のある北杜市から安曇野市へとスケッチをしに遠征するわけです。何故そこに 出かけるのか? 改めて自問してみるに、山岳風景とかその自然度という点では北杜市だって負けてはいません。それに、都会的な 味わい(北杜市よりも・・という話ですが)を絵に求めて行くわけでもありません。確かに、北アルプスの存在とその豊富な水源がもたら すいくつかの河川と複合扇状地がつくり出す風景となると、北杜市とは自ずと趣を異にしています。しかしどうも、一番の誘因は冒頭 に書いた安曇野という響きと無関係ではなさそうです。知らず知らず、私たちも安曇野が奏でる音律に誘われているようで、その音律 とは私が再三このFノートでも触れてきた風土そのものと言い換えていいのかも知れません。それが絵心を誘う根っ子のところにある のでしょうか、ともかくも、GW明けの安曇野が今から楽しみです。



○ 今年の山麓サクラ事情〜開花が早けりゃ散るのも早い(4月16日記)

 東京や甲府盆地でのサクラ満開から3週間あまりが過ぎた今、私の居住地である標高千b辺りでちょうど満開の時期を迎えていま す。ということは、サクラの多いここから下の方に足を運ぶと、もうどこを見渡しても軒並み葉桜となりつつあってちょっと寂しい気分で もあります。ここから上はヤマザクラの領域となりますから、ここ八ヶ岳南麓では桜前線が一番高い所まで上り詰めてしまったというわ けです。ただ、西麓を北に回り込むと、満開のタイミングも少しずつずれていくので、富士見や原村、さらに茅野方面にかけては、これ からがいい季節となってきます。このタイミングでも昨年より1週間から10日間ほど早いと言えそうで、例えば昨年同じ4月16日頃撮 った写真を見ると、満開だったのは標高500b前後の甲州街道付近、24日撮影の写真でちょうど千b付近の見事な満開を捉えて いました。当然のことながら、開花が早ければ散るのも早いということで、つまりは寂しくなってしまうタイミングも早くやってきたという わけです。その分、春が長く続いてくれればいいのですが、昨今のパターンからすると、春らしい日々がさほどないまま夏がやって来 そうな気配であります。気温の乱高下とか花粉の飛散とかがあって、外出のタイミングを逸していたら、気が付くと季節は久しぶりに黄 緑色の彩色を施すことの多くなるステージへと移りつつあるのでした。

 そんな中、遅ればせながら富士見町方面にサクラを求め、信濃境の駅からほど近い南中跡のサクラ・・・ここは私が最も推薦したい サクラのスポットの一つなのですが・・・に行ってみました。 それで驚いたことに、何と校庭のど真ん中に何かの実験施設が造られて いるではありませんか(写真参照)。何でも、太陽光を集めて熱源として使うといった要は再生可能エネルギーの新しい用途開発に関 連した国の助成金付き事業の一環らしいのです。しかし、その趣旨は良しとしても何故この場所に? とこれはもう違和感どころか、 思わず我が目を疑う信じ難い光景の出現です。こういう残念な事例は他にもいろいろあって、その代表例が韮崎にある有名な「わに 塚のサクラ」です。これは樹齢320年と言われるエドヒガンの一本桜で、夜にはライトアップされるほど見事なのですが、すぐ南側には 殆ど木に接するくらいの所に高圧線の鉄塔があり、無様にも電線が横切っているのです。このサクラが植えられ、ここまで大きく生長 してきたのはかなり広々とした畑地の中です。送電線工事の頃には当然このサクラは万人の目を惹き心をいやしていた存在であった はずで、送電ルートをちょっとだけ変えるとか、それくらいの配慮は当然あって然るべきだったのです。しかし事実はこの有様で、とに かく効率一辺倒を優先させたのか、はたまた景観などお構いなかったのか、人間の無神経さ、無粋さ加減には腹立たしさを禁じ得ま せん。


サクラの見事だった校庭には
異様な施設が建てられました。

こちらのサクラは金網で囲まれて
近寄ることもできなくなりました。

高森観音堂の垂れだけは風情を大事に
管理されていてホッとします。

  もう一つ残念だったサクラの風景は、これもその見事な姿を誇っていた高根町は泉龍寺というお寺のソメイヨシノです。昨年までは3 本ほどが集まって大きな樹幹を作っていたのですが、どうも真ん中の一本が伐採されたようで、それがスカスカとなっていたのには驚 かされました。尤も、こちらの方は害虫の発生とか病気の予防といった何か理由があってのことと推察されるので、様変わりは仕方な かったのかも知れません。 
 いずれにしても、見事なサクラの風景というのはいつまでも保証されているわけではないようです。それどころか、次の年には変わり 果てているというサクラを取り巻く危うい環境が、この風光明媚な山麓にはあるようなのです。いや、今や都会の方が景観には神経質 となっていますから、八ヶ岳山麓のような自然豊かな田舎では、かえって警戒せねばならないことなのかも知れません。そこに手を染 めているのは必ず人間の側で、サクラに罪はありません。しかしその一方で、人間は天然記念物に指定されたりすると、今度は寄っ てたかって手をかけて生かそうとします。そうでなければ燃え尽きているかも知れない自然の命が細々と保たれて、樹齢千年を越えて も老いさらばえたその姿を晒しているようなケースさえあります。そこまでやらずとも・・と思うこともありますし、そんな金や人出などを かける以前に、配慮一つでサクラの命を輝かせるケースがたくさんあるはずだと思うのです。いやはやどうも、このままだと振り上げ た拳が降ろせなくなりそうなので、この辺で止めておきます。


○ ちょっと花曇りの実相寺(3月30日記)

 実相寺の樹齢2千年と言われる有名な神代桜はもう満開・・・というTVのニュースに誘われ、武川までひとっ走り行ってきました。古 木の残り少なくなった枝に、それでも毎年花を咲かせているのは健気で立派だと思うのですが、私のお目当てはどちらかというと周辺 のサクラの木々やそれらが織りなす春の景色です。特に、間近に迫った甲斐駒や鳳凰三山を背景にしたさくらの風景はこの場所なら ではのものです。しかし、残念ながらこの日は花曇り、あの陽の光を浴びた白い華やぎはお預けと言ったところです。それに、神代桜 は報道の通りもう満開なのですが、肝心の周辺の木々はまだ7分咲きと行った感じ。晴れた光がないと、サクラは花びらの影とか萼 などが合わさったややくすんだピンクの色を呈すのですが、今日はまさにそんな色合い。加えてまだ蕾も多かったので、写真のような 具合でした。
 実相寺の上、標高差にして百bもない真原の桜並木はまだ開花間もないといった感じ。並木沿いにあるいつも蕎麦を食する店は、 行ってみると4月1日から開店とのことで、人影がありません。それにしても今年の開花から満開へのスピードは誰の予測をも上回っ たようで、実相寺周辺の出店準備も十分ではなかったので、関係者誰もが慌てているそうです。それはそうです、昨年、実相寺周辺で 満開のサクラを撮影しまくったのは4月18日のことでしたから。

 鳳凰三山が背景に連なっています。

 途中20号線から見えた釜無川沿いのヤナギは黄緑色の芽を吹き始めていました。花付の良し悪しが1年置きにやってくるコブシ も、その順番通り今年は既に見事な花付を見せています。 サクラほど寒暖に敏感ではないモモやスモモなどとの開花時期がダブっ て、この分だと山麓ではウメも含めて一斉に咲き誇るさまが今年は見られることになりそう。甲府周辺では既に本番を迎えているそん な花前線は、徐々に迫り上がって、山麓が百花繚乱の様相となるのはもう一週間かそこら。厳しい冬越しをした野菜が甘くなるのと同 じで、今年の春は花々が私たちを大いに楽しませてくれそうです。尤も、黄砂だとかPM2.5といった曲者が水をさすこともあるのでそ こは要注意! 何とも厄介なモノを発生させてくれるお隣さんです。

<以下、31日に追記>,
 我が家の庭で撮った春、現在はこんな感じです。

ジューンベリーは亜も無く花芽が銀色に

ライラックの葉の芽吹きがもうすぐ

フキノトウはもういくつもお腹に・

スモモの花芽、そのうち白い花に

ダンコウバイは林を彩るトップバッター

三つ葉ツツジはもうすぐピンクの蛍光色

一輪開花したのはオウバイ

我が家の好物、アサツキはこれだけ生長

クリスマスローズはとうに満開



○ 漸く気温が緩んで・・・(2月27日記

 もう2月も終わりという頃になって、漸く暖かな日射しを感じる一日がやってきました。我が家のデッキにある温度計も、赤い柱が久し ぶりに10度より上の方まで上っています。明け方近くまで降った雪が5センチほど積もったのですが、それもみるみるうちに溶け、隣 の急な斜面の屋根からはときどきドドッと雪崩落ちる音が聞こえてきます。今年は本当に寒く、おまけにこの山麓でも雪が多く降りまし た。当地に来て8度目の冬でしたが、これほど度重なる降雪に見舞われた覚えはありません。大体はクルマのスノータイヤもそれほ ど役立たなかったか、と思って春を迎えていますが、今冬はこれに随分助けられたと言えます。寒さも結構堪えた冬で、先の気温計も 度々マイナス10度を下回って、日中でもプラスに届かない日が結構ありました。そういう冬でしたから、この暖かさは何だか懐かしく、 今日などは窓を開け放って掃除をしたくらいです(実は、明日来客があるので、本日は絶好の掃除日和でもあった・・という次第で す)。風さえも気持ち良く感じられました。
  デッキの下を覗いてみると、フキノトウが一つだけ芽を吹いていました。このフキノトウ、昨年だと今頃までにはいくつも摘んでは食し ていたのに、今年はこの一つが初ものです。暖かさに誘われたのか、暫く姿を見ていなかったアカゲラがやってきて、餌台周辺を物色 していきました。これとは逆に、寒い日には餌台に群がりヒマワリの種を奪い合っていた野鳥たち(下の写真)が、今日は姿を見せま せん。カワラヒワやシメ、アトリといったアトリ科の常連たちですが、窓を開け放していたから警戒されたのでしょうか。しかし、その後 窓を締め切ったあとも夕方まで静かなままでしたから、この陽気で行動パターンを変えたと見られます。天気予報によると、明日もこ の陽気が続く様子。そのあと再び気温が下がるようですが、ひと頃のような寒さにはならない模様です。何と言ってももう3月。三寒四 温が始まっているようで、ということは、花粉の脅威に晒される季節にも突入ということです。クルマで走る道々、見かける杉の木は不 気味な赤茶けた装いでしたし・・・。

 さて、寒いの暖かいのと言っているだけで、絵の方はどうなったのか? という声が聞こえてきそうです。仰る通り。面目ないという か、季節は漸く動こうとしているのに、絵の方は停滞状態が続いたままなのです。家を空けたり何かと所用があって、手をつけては休 止という繰り返しで、描きかけのままの絵が2点、一向に先に進んでいません。絵はやはり落ち着いて継続的に時間を取らないと・・つ まりは、気分が乗って落ち着いた状態が続かないと、なかなか思うようにはかどらないものです。それに、これは年齢のせいか、エン ジン全開までに何かと手こずるようなところがあって、没頭の境地に至るのは容易なことではないのです。エトセトラ、エトセトラ・・・ま たまた言い訳のご託を並べているだけで、我が身を情けないと自分でも思っています。乞うご期待、春は近いのだ、そのうち会心の作 を・・などと、せめて自らを盛り上げてこの項を終えたいと思います。

 絵の代わりというわけではありませんが、この冬捉えた野鳥の写真をご披露します。
        
ここと中央の柱
の右にシメが飛来





←餌台のてっぺん
もシメ
      


この写真には8羽、4種類の野鳥が映っています。


○ 山麓も結構積もりました(1月18日記)

 先週末から降り出した雪は、当地でも結構積もりました。我が家周辺で45〜50pといったところで、積雪量だけからいえばここ数 年で一番積もったと言えるでしょうか。ただ、成人の日の未明からの強風で、木々の雪は吹き飛ばされ、我が家もデッキの欄干上の 雪はあらかた飛ばされてしまいました。なので、雪景色としては風情に欠け、おまけに朝方は山も薄雲に隠れていたので、ここ一番で 取材に出かけねばという焦りもなく、私も朝から雪かきに専念できたという次第です。玄関を出ると地面より一段高い所にあるはずの たたきが逆に積雪面より低くなっており、地面との段差が埋まってその先の茅の原へとの一面雪の海のように繋がっています。写真 のように、我が家の軽乗用車はすっぽりと雪に埋まって、一クラス上のミニバンのように。これくらい積もると、庭の日陰部分は当分解 けないのですが、先を続けさせてもらいます。その朝はまた、結構気温も上がったので雪のさらさら感はなく、粘り気のある雪と化して 雪かきには手こずりました。日も上がる頃は一般道の大半は除雪車の出動で、一応走れるようになっているのですが、当家へのアプ ローチは未舗装の細い私道もどきの道なので、そのクルマも入ってきてくれません。仕方ないので自分のフォレスターを動かして何度 も往復し、轍を広げてアクセスをし易くするという、いつもながらのラッセルのやり方です。このフォレスター、二世代前のモデルなので すが本当に雪に強く、さすがにスバルの誇る四駆、4〜50pの積雪でもちゃんと駆動が利いてググッと前進してくれるので頼もしい限 りです。


一夜明けてククルマはスッポリ


数日後、明野の農道で(背後に甲斐駒)

 その積雪から数日、今度は気温が低い日が続き、雪がなかなか解けてくれません。先ほど書いたように、余りワンダー名雪景色で はないのですが、一応あちこちに取材に出かけました。そのときの写真も一点載せます。今年の寒さは全国的ですが、ここ日照時間 日本一の八ヶ岳南麓でも、今年は雪が例年になく多い冬となるのかも知れません。



ここから上↑ 2013年〜
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以下、2012年


○ もう1年、また1年、と師走行き (12月27日記)

 川柳ではありませんが、師走も押し迫った今頃、何かを思い何かを憂うる年の瀬です。1年前はどんなだっただろう? ちょっとこの Fノートを紐どいてみると、12月の半ば過ぎに早くも今年の総括めいたことを書いていました。昨年は震災のあった年でしたから、誰 しもが大なり小なり"命"について思いを新たにする特別な年でした。そういう年の瀬に、私は来年(つまり今年)は古希を迎えるので、 何か記念すべき仕事をしようと一応は考えていたようです。他人事のような言い様ですが、一年も経ってしまうとそういう気概があった ことも記憶から抜け落ちていたという次第です。しかし、例えば東京での絵の活動を広げようとか、画集は第2弾の制作にかかろうと か、それなりに意欲的ではあったのですが、どれも今日現在尻切れトンボに終わっています。確かなことは、私が5月に古希を迎えた という事実だけ。そして思ったこと・・それは、私自身が若い頃見ていた70才の老人(どうしてもこのような呼称で言ってしまうのです が)に自分自身がなってみて、「何だ、そんなジジイではないぞ」という実感とも優越感ともいうべきことです。これは勇気付けられる事 実であり、一面強がりと言えなくもなく、しかし一番いけないのは、そんな大層なことではないのだから、格別気張ってやることもないで はないか・・・といった都合のいい方向に逃げ道を作ってしまったことかも知れません。もう古希だ、あとが余りない、といった危機感を 緩め、自分でテンションを下げてしまったようところがなきにしもあらず・・なのです。
 それともう一点、私がそれなりに意欲的に取り組んだことの効果が、どうも期待したほどのものではない・・・といった失望感に替わっ たことが一度ならずありました。一応私も絵描きとしてもっと認知度を上げたいという人並みのスケベ根性というか野望めいたものも あったのですが、その点で余り手応えもないままだと、多少人様を感心させたり耳目を奪ったとしてそれが何だ、という一種冷めた気 分がちらちらと脳裏を彷徨い始めたのも事実です。 つまりは、古希となって私は何かがプツンと切れたようで、そのことで開き直り、 肩の力を抜く方向で作用すればいいのですが、反対に何事にも消極的になるようだと、これは問題と言わねばなりません。一体どっ ちに転ぶのか、その答えを出すのは自分自身でしかないわけで、これを良い方向に仕向けていくことが、私にとっての来年のテーマ になるのだと思っています。何事も虚心坦懐に・・・これなのです。

 さて、それにしても寒い12月、厳冬期のような師走でした。今朝などは寝ていてもいつになく寒いので、未明に起きてウッドデッキの 寒暖計を見ると、なんとマイナス14度! これは当地に移住して経験した最低気温とタイの記録で、もちろん12月としては初めての ことです。暖房も全てオール電化の当家としては、昨今の電気代値上げもあって電気代も鰻登り。何やら所帯じみた話となって恐縮で すが、そうなると改めて思いが至るのは、このフィールドノートのこと。 そもそもは、絵の舞台となるウターフィールドと、絵心というイン ナーフィールドのことを書く場所でした。まあ、脱線もご愛敬ですが、みみっちい話は御法度でした。
 それにしても例の笹子トンネルの事故は、年末年始を迎えて県下の経済にも影響大と言わざるを得ないようです。当家近くにある小 淵沢の道の駅も、県外ナンバーのクルマは少なく閑古鳥が鳴いています。顔見知りのペンションの人もレストランの人も、あの事故以 来客足がばったり減ったと嘆いています。ちょうど明日から下り線を対面交通として開通させる予定のようですが、当地はいつになく 静かな年末年始となりそうです。

 何やかやと言っても“いい絵を描きたい”という想いには何の翳りもありません。来年も「いい絵を描くぞ〜」と小声ながら雄叫んで、 今年のFノートを締めくくりたいと思います。
〜〜 これをお読みいただいた皆様にとって、2013年がいい年でありますように 〜〜



○ 空しく終わった訪問(11月22日記)

 いいことを思いついたと直ぐ実行に移したのに、全ては水泡に帰したという話です。それは気に入って良く絵にしている須玉町は小 尾の中にある御門という集落に個展前に訪れたときのこと。先週終えた個展に出展した風景画は全部で22点、そのうち半分が集落 をモチーフにした絵で、この中にこの御門の集落を描いた絵が4点も入っていました。実はこの小尾という地名は土地の人にも余り知 られていないようで、これは会場でいろいろ話した中で分かったのですが、小尾がどこにあるのか把握していなかったり、ましてやそ の中の御門(みかど)という地区があることを知っていた人は皆無でした。私はこの御門の集落が好きで、傍を通っている県道を走る たびにその佇まいが絵心を捉えていました。これほどマイナーな集落ですから絵に描かることも少なかろう、折角の機会なので集落 の人々に観てもらうのも一興ではないかだろうか。そんな気持ちが行動を起こさせました。集落の皆さんのためのビラを作り、自分た ちの集落の絵をご覧になりませんか、といった問いかけを書き入れたのです。多分集落の中には公民館があるはずなので、そういう 場所にビラを置いてもらえればいい、そんな軽い気持ちで出かけました。集落に入って先ず、人影を探すのに苦労しました。静かで す。人がいないのです。漸く見つけたお年寄りの婦人に、実は・・・と話しかけると、何とも胡散臭そうに一瞥され、一体何しに来たの か・・といった面持ちです。「イヤ実は私絵を描いておりまして、今度個展をやるのですが、その中にこの御門の絵が数点入っているん です。それで・・・・・」とこの辺まで言って、どうも私の話は上滑りしている、相手はちゃんと聞こうとしていそうもない、そういう雰囲気が 否応なしに伝わってくるのでした。余所者が変な話をしかけている、付き合うと面倒そうだ、そういう気分が表情から明らかです。話を 続けても埒が明かないと踏んで、「それではここの区長さんを教えてくれませんか」と話を切り替え、その名前と場所を聞き出しまし た。「多分いま行ってもいないよ」と言われた言葉通り、このあと直ぐに訪ねたそのときは不在でした。

 いっとき隣の神戸(ごうど)という集落に行き、ここには知る人ぞ知る都会から移住してきた焼鳥屋があって、私も何度か焼き鳥を買 いに行っています。そこで注文をして焼き上がるのを待ちながら、ここでも"実は・・・"と御門に出向いた話をすると、言下に「まあ無駄 でしょう、誰も見に行かないね」と言われてしまいました。みんな年寄り、町に出ることも殆どない、だからビラなんかを持って行っても 無駄だ、と言うのです。絵を観に行くなど彼らの行動パターンの中にはないと断言しているわけで、さすがに私もそんな雰囲気を感じ 始めていたものの、ここまで言われると気持ちが挫けます。そもそも私のアイデアは見当外れもいいところだったと自覚はしつつも、 小1時間かけてやってきたのだから、せめて区長さんに会って当初のお願いだけはして帰ろうと再び御門の集落に向かったのでし た。今度は区長さんは在宅でした。ところが、声をかけても奥の方から返事があっただけで、なかなかご本人が出てきません。漸く面 倒くさそうに戸口に姿を現したステテコ姿のご老人、「ちょっといまガスをつけているから」と落ち着きません。そこで手短にまた「実 は・・・」と切り出しました。しかし、説明する傍から空しい空気が話を気拭い去ってゆくようで、案の定、面倒臭い、早く切り上げて欲し いという態度があからさまです。こちらの説明を最後まで聞くことなく、「それじゃ、回覧しとくから、それでいいでしょ」と言い、「ガスつけ たままだから」と再びガスのことに触れて、そそくさと奥の方に姿を消していってしまいました。う〜ん、何も耳を傾けてくれず、関心の 欠片も見せてくれなかった・・・目の前の現実を受け入れざるを得ないのでした。一人区長さん宅の戸口に立ちつくす私は、完全に宙 に浮いた存在で、場違いな来訪者を絵に描いたようであったに違いありません。「それでは、ここにビラをおいておきますから」と、十 数枚のビラを上がりかまちに置き、私は空しく区長さん宅をあとにしたのでした。
 夕餉の支度だったのでしょうか、一人で忙しなくしていた様子からすると、どうもこの区長さん、独り住まいのようです。あとで知った のですが、この集落の人口は三十数人、お年寄りばかりで私の見る限り家屋の半分は空き家です。だから静か、だから人影もなく、 つまりは限界集落の最たるものと言えます。私は肩すかしを食らい、こんなことを思いつくのではなかったと後悔ししつつも、別種の感 慨もまた湧いてくるのでした。山深い限界集落の現実、一生をそこに暮らし、やがて一人減り二人減り、そしていつかはここで自らも 終末を迎える、そうした集落の現実を、私は今日垣間見たわけです。毎日決まったことをやり、ごく少数の村人達とだけ会話を交わ し、畑仕事から帰ると食事をし、場合によっては晩酌もし、おそらくTVでも見ながらあいも変わらぬ一日を閉じるであろう彼らの姿が頭 を過ぎります。そう言えば、老人の多い地区によく見かけるゲートボール場も見かけませんでした。そうした日常にうずくまる彼らにとっ て、自分の集落の絵などを見て今更何の感興が湧くでしょうか。絵を観に行くなど、生活の暦にはそもそも入っていないのです。この 集落にやってくる前には、そこまで思いも及びませんでした。結局の処、私は自分の考えが浅はかだったことを反省し、しかし不思議 なことにこの集落やそこで出会った人たちへの恨み節などは一切湧いてこないまま、帰路のクルマの中でアレコレ考えを巡らせたの でした。

 以上のような話をのちに古民家再生の仕事をしている御仁に話したら、さもありなんと頷きながら、こんな話をしてくれました。この八 ヶ岳山麓一帯にも古い茅葺き屋根の家が多く、中にはトタン挽きもせずに昔ながらの茅葺きを維持しているかなり立派な民家もあり ます。そうした民家の主に会って話を聞かせて欲しいとか写真を撮らして欲しいと頼んでも、大概の人が最初は戸惑ってネガティヴな 反応を見せるそうです。私が味わった"何しに来たのか"といった怪訝な顔付きをする一方で、細々としか家を維持できていない自分 の立場への引け目を感じているようだと言うのです。静かにしといて欲しい・・さしずめそんな気持なのか、私の体験からどこか理解で きるところがあります。
 私は、個展会場に張り出した「一言ご挨拶」の中に、集落に目が向くようになったのは、日本の原風景への憧憬とある種の衰退美を そこに感じるから・・・といったことを書きました。実際にそうした集落を訪れてみれば、確かに衰退美の欠片があちこちに散りばめら れているのですが、それは同時に"寂寥感"のようなものとも言えるでしょうか。さらにもう少しズームアウトして見ると、山間部の集落、 就中この界隈の集落にありがちな閉鎖性というものは、住人達が他の選択肢には背を向け、好んで世間との繋がりを薄くしつつ辿っ てきた彼らの自然体の姿のようにも思えてきます。衰退美にしろ寂寥感にしろ、それは我々のような第三者が勝手に覚える感傷であ り、住人達の現実に照らせば、また別の感慨にとって替わるに違いありません。

 あのビラは本当に回覧されたのだろうか? その結果も分からないまま、私は11日間の個展を終えたのでした。そして全期間を通 して、御門の集落から誰かが見えたという形跡は一切ありませんでした。個展が終わって10日間、いまは御門の集落も木々の葉が 枯れ落ち、冬支度も終えて、ひっそりと佇んでいることでしょう。そして私はこれからもまた、御門の集落に惹かれて絵を描きに行くこと は確かです。


○ 個展余話・・・現地「おいでや」での個展を振り返る(11月18日記)

 個展を無事終えて、先ずはご来場頂いた皆様に心より感謝申し上げます。皆様あっての個展です。ありがとうございました。以下、 個展開催当事者の率直な想いを綴ります。

・ どうも様子が・・・
 出展作は力作揃い、私としてはかなり自負していたのですが、そういう気持ちは"だからこそ・・・"という余分な期待を生むものか、蓋 を開けるとどうも肩すかしをくわされたような気持ちにさせられるのでした。どうも客足が思ったほど伸びない、どうも会場での熱気が 期待したほど伝わってこない・・・それは特に中盤にになって感じられたことで、これが良くある仲弛みであったのかも知れません。個 展を開催する側とそれを(案内を)受ける側では、元より意識の差が180度あって当然、意気込んでいる主催者の気持ちは往々にし て空回りしがちなものです。それを承知の上で、この腑に落ちない雲行きを感じたのは、中盤に至ってもリピーターが少ないような印 象を受けたからでした。2年半ほど前にここで開催したときは、その前年に引き続き2年連続の個展でした。前年の印象が手伝ってか 会場では昨年に続きお見えになったという方が多かったように記憶しています。どうも勝手が違うぞ・・と思われたのは2年半のブラン クのせいか、或いはまた、こんなご時世に個展などは場違いに映っていたものか、ともかく余計なことまで考えてしまうのでした。
・ それでも・・・
 いちいち来られた方に尋ねたわけではありませんが、今回の個展では初めて私の作品に触れる方が多かったのは事実です。そう いう方々はしかし、把握した限りでは新聞の案内で知って観に来られたり、人から薦められたり伝え聞いて来られたというケースが多 いことで、これはこれで開催当事者としてありがたいことではあります。気を取り直したり、その一方で、尹の一番に来られるであろう と思われた人たちが一向に姿を見せないでいると、ありもしない憶測を生んだりで、冒頭のどうも様子が違う・・といったネガティヴな気 持ちを煽ったりするのです。今回に限った話ではありませんが、個展を開催するということは、少なくとも悲喜交々いろいろな感慨に一 喜一憂するものです。
・ 嬉しい悲鳴も
 これもまたいつも思うことなのですが、作品を前にして感嘆の声をもらしたり、作品と対峙するように暫く留まったりと、熱心にご覧い ただく方が必ずおられることは、絵描き冥利に尽きます。調子に乗って少しだけ自慢話をさせてもらうと、私の個展ではそうしたお客 様を見かけることが多く、時に作品を介しての会話が弾みます。冒頭に書きました力作揃いという自負は、こういうときに手応えを感じ たりします。会話の中には技術的な質問に対する受け答えも多く、そうした質問をされるのは、ご自分で描いておられる方々が大半で す。水彩に限らず油や日本画の方もおられます。中には相当画歴があろうかと思われる人もおられるのですが、私は訊かれたことは 最大限お答えすることにしています。”いいことを知った”“私の個展に来て良かった”と思ってもらえるなら私も嬉しい、そういう一心か らです。お客様との会話の中で、作家さんの中には出し惜しみをする人も多いと聞きますが、私にはそういう気はさらさらありません。 絵を描く上で技術的なことは確かに大切な要因に違いありませんが、それ以上に絵心とか、感じ方の方がもっと大きな要因となり得る もので、こちらの方はお答えの仕様もないからです。 “絵は描いたその人を表す”とするなら、技術的なことはほんの一要因に過ぎな いと言えるわけですが、“されど技術”で、話題は尽きません。
・ 11日間
 これは私にとって長丁場と言えます。毎日会場にいて大勢のお客様に対応するのは疲れるでしょう?とよく訊かれますが、疲れるの はむしろお客様が来ない暇な時間ばかりが多いときの方で、そういうときは時間のたつのも長く感じられるものです。この長い期間を 通してみれば、冒頭に書いた肩すかし感のようなものは大分修正されたことも事実です。いろいろな事態や感慨が入り混じった11日 間でしたが、結論としては、入場者数もそれほど落ち込んでいたわけでもなく、思いの外絵が売れたという嬉しい事態にも恵まれまし た。絵を買って頂くということは、手塩にかけた作品がいい出会いを得ることができた、ということで、絵描きとして他に替え難い喜びで もあります。そして最後は、ご来場いただいた皆様への感謝しながらの幕引きとなったのは、終わり良きものは・・・と言えるでしょう か。来場者数も、後に集計してみると09年、10年のときよりも増えていました。してみると、11日間が随分と長く感じられ、どうもすっ きりとした気分で通すことができなかったのは、年のせいなのでしょうか? いやいや、年のせいならもっと泰然自若、悟った境地で臨 めたことでしょうから、これはその逆で、私がまだ若造のせいかと思えたりもしてきます。「まだ修行が足りん」という声が、どこからか 聞こえてくるような気もします。何にしても、先はまだ長く遠い・・・そのように思うことにしておきます。

 個展のこと、もっと違ったアングルでの裏話もあって、それは別の機会に譲ることにします。


○ 八ヶ岳、池をめぐりてこもごも(2012年10月23日記)

 昨日、天気が良かったので八ヶ岳山麓の秋をチェックしに出かけ、結局南八ヶ岳をぐるっと一周することになってしまいました。私の 場合、季節季節のポイントのチェックや新しい場所の発掘は、自分で描くためと、教室のスケッチ場所選定のために必要なのです。も ちろん、これという風景に出会えればそこでスケッチもします。
  先ず原村の自然植物園にある"まるやち湖"へ。ここは標高1200bくらい、紅葉はまだこれからというところです。そのせいか、池 の畔に人はいませんでした。しかしこの場所、過去何度も描いているのですが、ここ2,3年で池の周辺が必要以上に整備されてしま って、かつての野趣がすっかり影を潜めてしまったのが残念です。公園と名付けると、とにかく隅々まで小綺麗にしてしまうのは如何な ものか・・・大体名前に"自然"がついているのですぞ!!と恨み節も口をついて出ようというものです。
 次に、八ヶ岳西面沿いに北上して、人からいいと聞いていた唐沢鉱泉へ。最後は砂利道を走ってかなり山奥に入り込みます。標高 1300〜500bあたりを通過するのですが、ちょうどこの辺りが紅葉のピーク。ここでは黄葉と書くべきでしょうが、シラカバやナラ、ケ ヤキ、それにカラマツなどが主体の明るい林を縫ってでこぼこ道を走ります。ただ、期待した唐沢鉱泉に着いても開けた場所は殆どな く、風景として切り取れるような展望はありません。一旦分岐点まで下って今度は夏沢鉱泉方面に。また未舗装路を走ったのですが、 こちらも道中は林の中ばかりで、通行止めとなる登山口まで来ても、手前の梢越しに漸く向かいの尾根の写真が撮れる程度です。ど ちらも登山のための起点となる場所で、景色を楽しみたい人は足で登りなさいということです。骨折り損で、クルマであわよくばと考え た方が間抜けでした。
 また少し下って、今度は一本北側のこちらはちゃんとした公道に出て、奥蓼科温泉の御射鹿池を目指しました。御射鹿池は今度の 個展の案内ハガキに使った絵の場所で、こちらは夏の緑滴る季節を描いたものですが、紅葉のときもきっといいはず。ここで本日は スケッチをしよう、池のそばに近づいて驚きました。池の手前から道路上にクルマが何台も駐車しています。その先には何と観光バス までもが停まっています。言うまでもなくこの御射鹿池目当てで、当然のことながら、池の畔にはカメラを手にした人がうようよと。確か に池の周辺は紅葉してあの静止した湖面は期待通りのものでしたが、何だか半分興ざめしてスケッチをする気力が失せてしまいまし た。池の先の明治温泉入り口に入る辺りもクルマが所狭しと駐車しています。観光バスは5台もいました。今日は週末でもないのに、 そもそもこんなに有名な場所だったのだろうか? 最近TVで取り上げられたりしたのだろうか? 疑問が湧きますが、これは現実で 仕方ありません。ここは、かの東山魁偉が白い馬の絵を着想した場所ということで、もちろんそれなりに知られた場所だったのです が、私が過去2回来たときは、来ているクルマも数えるくらいでした。まあ、私も来訪者の一人、私の来た目的だけが正しいというもの でもありません。しかし、あの観光バスのツアーのイージーさはどうでしょうか。この池の畔は本来立ち入り禁止で、そのための柵も設 けられているのですが、私と同じシニア世代のしかも軽装の人たちが、ガイドに促されてその柵を乗り越えている姿はいただけませ ん。これでいいのだろうか??と思いつつ、早々にその場を離れることにしたのでした。
 綺麗に整備されてしまったまるやち湖     端の道路はクルマだらけだった御射鹿池   紅葉はこれから、人影のなかった松原湖

 当てが外れて時間が余ったので昼食を買うために一度茅野郊外まで下り、再び引き返して今度は麦草峠を越えて八ヶ岳を一周して 帰ることにしました。横谷渓谷はさぞ紅葉の盛りとは思いましたが、ここも描ける場所が確保できないことは知っていたので、その入り 口をかすめて麦草峠への横断道に。次第に黄葉もピークオフとなって、カラマツの渋い黄色だけの世界になってきます。峠は標高2 千メートル強で晴天なのに気温は10度。白駒池への入り口には有料駐車場があって、ここも月曜日なのにクルマで一杯です。その 様子を横目に、小海町への下りにかかると、途中浅間山が左手ずっと先に見えてきます。稲子湯方面とあるのでちょっと寄り道して 下ってみたのですが、こちらもこれというほどのポイントがなく、また横断道に引き返して松原湖まで下ってきました。湖周辺はまだ色 づき始めという段階ですが、昔から観光地として開けていた場所なのに来訪者の影が殆どありません。そう言えば、一昨年紅葉の絵 を描きに行ったときも、さほど人影が多かったわけでもなく、湖畔のボート屋もヒマそうでした。観光地というのも栄枯盛衰があるよう で、あの御射鹿池の混雑と好対照だったのが印象的でした。
 そこから野辺山に出て、ちょっと気になっていた美鈴池を目指しました。こちらは八ヶ岳高原ロッジ周辺の散策路の途中にある小さ な池で、この夏に行ってスケッチをした所です。もう紅葉はピークを回っていましたが、それなりに絵になる風景です。この池も周りの 木を随分と切ってしまったので、ひと頃の自然の趣はやや失われているのですが、その替わりというか、これが伐採の目的だったの か、池を巡る遊歩道が整備され、対岸に行くといつも描いていた辺りのポイントを振り返って見渡すことができます。写真や絵的な観 点からすれば、多少は選択肢が増えたので、私としても伐採はある程度納得、まあ許すか、という感じではあります。我ながら、なか なか小うるさい絵描きではあります。

 その後、数年前に一度行ったことのある川上村は信州峠近く 山間にある人工池にも行ってみましたが、これは何とも殺風景で一 瞥して引き返しました。そうこうしているうちに日もかなり傾いてきたので、清里の清泉寮経由で帰ってきました。八ヶ岳も東南麓となる と、今日走ってきた西麓〜北部方面に較べて紅葉の進行もグッと遅くなっているのがよく分かります。もちろん気温差があるからです が、それはまた風の強弱とか冬場の雪の多寡だとか、地形的な特色をも反映してもいるわけです。そんなこんなで、八ヶ岳周辺の紅 葉シーンは、その場所や標高からしてこれからまだまだ続くことになります。私的には来週後半は個展入り、そして紅葉を描くシーズ ンも本格化、何かと忙しないいっときもまた続くことになります。






○ 今年の秋は・・・(10月13日記)

  ここのところ秋らしい澄み切った空が広がる毎日ですが、この季節は確かに天がくなっているようで、気持ちもスッキリするというもので
す。今朝などは冷え込んで5度を悠に下回り、当家では凍結予防の水道栓ヒーターが作動していました。
先日、山麓では間もなく一面の刈田が広がるだろうということを書きましたが、未だ所々刈り入れが終わっていない稲田があって、そこは
黄金色からやや茶がかった色に変わってきています。お米作りをやっている人の話では、今年の出来は病気こそなかったものの、ひび割
れが生じるなど不良であったそうです。雨が少なく、あれだけの暑さだったので、やはり・・という感じではあります。野菜でも毎年一年生と
言われるほどですから、お米作りとなると毎年厳しい受験勉強をクリアーしないとならないというほど大変なのでしょう。そうした悲喜交々に
終わりを告げるかのように、刈田のあちこちに天日干しのはざ架けや藁ボッチが列をなしています。毎年のことながら、本格的な秋への前
触れのような光景です。

 先日触れた紅葉のことですが、例年だと9月中には届けられる北海道からのきれいな紅葉便りを見た覚えがなく、一体どうなっているの
かと思っていたそんなとき、東北北部だとか本州も標高の高い山地では、紅葉がもう見頃を迎えているという報道を目にしました。映像で
見る限り、それはかなり見事な紅葉です。それで思い出したのですが、昨年乗鞍高原に行ったのはちょうど今頃のことです。さらに雨飾山
や奥裾花高原に行ったのも10月下旬のことでした。今年は11月早々に個展を控えているせいか、紅葉をチェイスする気持ちが希薄だっ
たので、気が付けば紅葉前線が下がり始めていたというわけです。どこか冷めた気分の秋云々だと書きましたが、紅葉の便りはいくつに
なっても心騒ぐものです。尤も、この山麓界隈では落葉広葉樹の多い秩父山系でも紅葉が見頃となるのは11月に入ってから。個展が2日
〜12日ですから、終わったら素早く取材やスケッチに行かねばなりません。ただ、この秋は全国的に熊の出没が頻繁におきているようで
す。懇意にさせてもらっている夫妻の話では、息子さんが赤岳を目指して登坂中に、サンメドウズ・スキー場の直ぐ上の沢沿いで熊に遭遇
したそうです。今までは余り聞いたことのない出没の場所です。かつて熊は生息していないと言われていた八ヶ岳でもここ何年かは目撃情
報が相次いでいて、この分だと今年はもっと増えそうです。同夫妻の話では先週行った乗鞍高原でも、一ノ瀬園地では連日熊が出没して
いるので警戒態勢が取られていたとか。熊の好物のブナの身は何年に一度、大不作に見舞われるとのことですが、猛暑の続いた今年は
ブナに限らずミズナラやコナラのドングリも大不作の年となったようです。そういえば、今年は栗の実がかなり早くから落ちていると感じるの
ですが、これも不作の表れなのでしょうか。熊に出逢わずに、落ち着いていいスケッチをものにしたいものです。


○ 黄金色の季節(9月28日記)

 大地が黄金色のパッチワークに彩られる季節。稲穂はすっかり頭を垂れ、あちこちで刈り入れが進んでいます。彼岸であった先週末は
稲田の至る所、家族総出で稲を束ねては稲架(ハサカケ)をする光景が見られました。最早日本の田園地帯の風物詩と言えるものです。
今年はあれだけの日照りでお米はどうかと思っていたのですが、これまで台風にやられることもなくこの辺りではいい出来のようです。目下
のところ刈り入れは順調に進んでいると思ったら、何やら台風17号が本州に上陸しそうで、この週末は追い込み作業となる模様です。そ
して間もなく辺り一面に刈田が広がる頃となると、もういつでも本格化な秋を迎えられるし、気の早い向きにはもういつ霜が降りても大丈
夫、といったある種安堵感のような空気が、この山麓一帯に漂い出します。今年の紅葉はどうなのでしょうか。日照量が多く雨が少なかっ
たので、この先冷え込みが続くようだと結構期待が持てるかも知れません。私どもとしては当地で8回目の秋を迎え、自然も文化的風土も
いよいよ秋たけなわの賑わいを呈してくるわけですが、かと言ってさほど胸の高まりを覚えるでもなく、どこか達観し、どこか控えめながら
の期待感ありで、ウ〜ン我ながら余り可愛気のない心境ではあります。

 絵画的に言えば、先ほどの刈り入れ前の黄金色の大地が、今年はいつも以上に目を惹き、現在そうした絵を制作中です。11月の個展
にも出展しようと思っているのですが、その前に当HPにも登場させる予定です→ 描き上げましたので掲載しました。今暫くお待ち願いま
す。そして、秋たけなわと来れば、紅葉と集落といったモチーフで描いてみたい場所がいくつかありますので、こちらの方も手ぐすね引いて
待っているところです。さほど盛り上がらぬようなことを書きましたが、絵においてのみ、季節の移ろいはいつも活力を与えてくれるものが
あります。


○ 今年の"おわら風の盆"(9月4日記)

 昨年は9月に個展が控えていたので断念したおわらでしたが、今年は2年振りで行ってきました。と言っても、気力体力とも最早自信喪失
の昨今、八尾滞在は最終日である3日〜4日の朝だけです。何度行っても最初耳にするあのおわら節は心を捉えるものがあります。その
音源がCDであれ、DVDであれ、八尾の町で聞くと心にスーと染み渡ってきます。オーバーな言い方かも知れませんが、これがいいので
す。これだけで、その先どうであれ"やって来てよかった"と思うのです。

 さて今年のおわら、何年ぶりかで頭2日間が土日となって相当人出が増えたと言います。しかし雨に祟られて、特に1日の雨が凄かった
ようで、お天気ばかりはどうしようもありません。私の行った3日も天気予報では当日近くになると俄に傘マークが増えてどんどん悲観的な
ものになってきました。こういう場合、私としてはいつも行き着けている飲み屋さんが救世主となり、そこに行けば店の人たちや顔馴染みの
お客とも再会できるので、雨なら腰を落ち着けて・・・という別の楽しみもあるわけです。ところが・・・です。そのお店「かどや」さん、いつもの
通り夕方になってから先ずは訪ねてみたのですが、ナント閉店となっているではありませんか! ちょうど裏側の家に仮設の飲み食いでき
るスペースがあったので取りあえずはそこに陣取ってビールでもと入っていくと、そこには既に友人仲間が。店主らしき人の話では、かどや
の名物お婆ちゃん(もう90歳代後半で、お子さんやお孫さんたちと店を切り盛りしていた)が今年2月にベッドから落ちて入院し、そのまま
退院できずに店も仕舞うことになったとか。ウ〜ン、ここの店の壁には私のおわらの絵ハガキが10数枚貼ってあって、私も訪れる度に新
作を補充していたのでした。閉店は何とも寂しい限りですが仕方ありません。私らは毎年一度訪れるのはおわらのときだけです。八尾の町
自体、私たちはこのおわらのときだけやってきて、終わればそれっきりで去っていく通りすがりの旅人のようなものです。そう考えれば、年
中この町に暮らし、人生を送る町の人々とは、ほんの一瞬触れ合ってきただけでした。ですから、これまで高齢ながらずっと店を続けてき
てくれただけで感謝せねばなりません。

 さてそのおわらです。私が行った3日の日はお昼のおわらは一切なし、夜のとばりが下りた7時から各町内で一斉に始まります。交通規
制がかかる夕方までに八尾に入り、いつも駐車しているスポーツ公園広場脇に行ってみると、そこはもう満杯。漸くクルマ一台が入れられ
るスペースを発見し、何度も切り返してそこに治まることに成功、取りあえずはそこに一夜の宿を確保したわけです。八尾の町中ではここ
何年か年とともに駐車規制も厳しくなり、かつて直ぐ傍にあった仮設トイレだとか洗面台などもずっと数が減ってなおかつ遠くに設置される
ようになってきました。広場の中心にあった特設のステージもなくなっています。これらもまた仕方のないことで、なるべくバスか列車で、ク
ルマで来るなら町からかなり離れた所定の駐車場へどうぞ、というわけです。そこからはシャトルバスのサービスもあるのですが、これが夜
の11時に終わってしまうのが玉に瑕、歩けば約1時間、タクシーで数千円かかるので、勝手裏を知った私などはこうして町の中にベースを
確保してからおわらに繰り出すという寸法です。混雑を緩和し、後々の掃除の整理の手間も少なくし、そしてなるべくスッキリとおわらを運
びたいという町の意向が伺えます。元はといえばおわらは観光のための行事ではありませんでした。自分たちだけで楽しむおわら・・これ
が原点にあったわけです。そこに時代の波が押し寄せて、見せるおわら、観てもらうおわらもまた大事な要素となってきました。そしてlこの
両者のせめぎ合いの上で、おわらを敢行し、必要なサービスと規制を施してきたと言えます。もう十年以上も通い続けたおわらですから、
私なりにそうした時代の流れも感じます。そしておわらの実演を観ていて感じることの一つが、年々踊り手の数が減ってきたという事実で
す。各町内の流しや輪踊りを演じる踊り手が少ないのはやはり観ていても寂しいものです。その一方で名手と言われた三味線や鼓弓、そ
れに歌い手といった地方の人たちの老齢化という問題もあるようです。長い目で見れば、おわらがおわらとして存続していくための必要な
策を、考えていかなければならなくなった現実の一端が、一番感じ取れたのも今回のおわらでした。今回、3日間の人出は26万人でこれ
はかなり多い方と言えます。最大の理由は初日、二日目と週末が重なったためで、月曜となった最終日は5万人だったとか。私の行ったそ
の最終日の夜などは、幸い雨にも降られず、いつもより空いていたのでゆっくりとおわらを鑑賞できました。

 それにしても、年々おわらを体験することがしんどくなっています。もう徹夜で朝までとはとても行かなくなり、今回も日にちが替わって4日
となると2時過ぎまでが限界、その後はクルマの宿に戻って爆睡状態となってしまいました。ダメですね〜、こんなことでは。写真を2点、ご
披露します。左が上新町、右が天満町のおわらです。


○ 9月1日(9月1日記)

 9月と聞けば世間では下半期突入。秋は直ぐそこまできているという時節ですが、日本全国相変わらず残暑が厳しいようです。それで
も、昨夕から夜にかけての一降りは、久しぶりに大地を潤してホッとした気分をもたらしてくれました。そして今日も、室内がやや蒸し暑かっ
たので窓を開けると、ナント、爽やか空気が一瞬のうちに部屋の中を満たしてくれました。ここ数日来、ひと頃よりも日陰が少し長くなりつつ
あるのが目立つようになってきましたし、明らかにこれまでとは違った大気が漂い始めたようです。見上げる空にもひと頃は毎日のように
盛り上がっていた積乱雲が見当たらす、替わって輪郭が切れ切れとなった雲の集団が風に運ばれて流れています。漸く・・という想いは、
ここ八ヶ岳の高原にいても湧いてきます。"高原にいても"と書きましたが、“高原だから”一足早く秋の気配がやってきたと書くべきでした。
よく見れば、我が家のジューンベリーの木も、所々黄色くなった葉が散見されます。尤もこの木は深い赤に染まるので、まだその序章とは
言えないようですが、その奥のススキの穂も目立つようになってきています。当地では、もう一週間ほど前から小・中学校では新学期が始
まっています。稲穂も大分色づいてきました。間もなく黄金色になると秋は確実にその歩調を早め、里では刈り入れが始まります。日めくり
カレンダーのように収穫の秋が進んでいくことでしょう。そう言えば、先日知人が送ってきてくれたピオーレという種なしブドウの何と瑞々しく
美味しかったことか!この夏はこれだけ太陽の恵みを受けたのだから、不味かろうはずはないのですが。果物王国の山梨、面目躍如と言
った処です。

 そしてもうひと月もすれば、秋の催し物が次々と始まります。私どもも所属している倶楽部の文化祭だとか、知人の参加する作品展示会
とか、私自身も11月初めからの個展に向けた案内状の発送とか、畑仲間での収穫祭といったごく個人的な催しも控えています。画集の第
2弾の企画も始めなければなりません。実は、このHPにまだアップしていない秋の絵も何点か描き上げています。個展や画集用に描いた
もので、季節がきたら掲載していく積もりです(結構律儀なのです、この辺は)。そして、そうこうしているうちにその先の長い冬が・・・・まあ
今はそこまで触れないでおきましょう。いい秋にしたいものだと、早くも残暑を忘れたような気の早いFノートでした。


○ 音楽は鳴っているか(8月16日記)

 こんなタイトルで書き始めたいと思います。暦の上では立秋が過ぎましたが、まだ長い残暑が続くのは例年の習いです。しかし当地では、
耳を澄ますと夜のとばりの向こうから虫の音が聞こえてきます。そういえば夕方はカナカナがしきりと鳴いていました。我が家の周辺は東
側が茅の原で開けていて、その向こう側から下(南)の方にかけて、森が続いています。こう書くと大自然の中のように聞こえるでしょうが、
南前は別荘、西隣と裏側(北側)は定住者の住居が建っています。つまり、生活の息遣いが適度にあるという一帯で、家々の奥には森が
あって、その林縁が空との境をなしています。このFノートで何度か書きましたが、こうした場所を住処として多くの野鳥がいるのですが、夏
場は山の上や北の方に渡っているようで余り姿を見せません。森の中からは時々キジも出没しますし、四つ足の獣もこの森をつたってか
なり下の方まで移動しているようです。昨夜はキツネが森から茅の原に向かって歩いているのを目撃しました。秋から冬にかけては鹿がや
はりこの森を通路として山から下ってきます。人里に食料を求めてのことで、今のところまだ山にはふんだんに食料があるようです。
  さて、 すだく虫の音に話を戻しますと、虫の音に風情を感じるのはどうも日本人に特有のことだと聞きます。例えばあの広いアメリカの
大地では、虫の方も相当大きな音量でないと雌の耳に届かないというわけで、虫の発する音圧レベルがそもそも違うのだそうです。だから
虫の音は雑音で、風情どころではないのです。そう言えば、鹿(しし)おどしとか風鈴とか、静寂と音の醸し出す雰囲気に風情をそそられる
のもまた、日本人に独特の感性と言えるでしょう。こうした心地よさを生み出す音の仕掛けは、まさしく文化であり、もう音楽と言ってもいい
ものだと思います。かなりはしょった物言いをしますと、大陸にはない箱庭的な自然というか、人と自然の距離感が、日本人に独特の心地
よさを編み出してきたと言えそうです。改めて島国であり単一民族である我々日本人に育まれたDNAを感じざるを得ません。
 こんな感想を新たにしたのは、つい最近終わったばかりのあのオリンピックでした。その開会式とか閉会式をTVで観ていて、何とまあ彼
ら(西欧人のことですが)は音楽が好きなんだろう、改めてそう感じたのは私だけではないと思います。音楽が・・と言うよりも歌が好き・・と
言った方が適切でしょうか。あれだけ次から次へと繰り出される歌の数々、ミュージシャンの数々、そしてそこにはビートルズもそうですが、
往時のヒットナンバーを今でも慕い愛し続けている彼らの民族性が見て取れます。ちょっと難しいことを言いますと、言葉を発することによ
って自己表現をし、意志を通わせる西欧の国ならではの文化的土壌がそこにあります。歌の国ならではのそうした光景は、鹿おどしや風
鈴のDNAが流れる私などには、途中で辟易をとして疲れを感じるほどでした。同じような感想は、王室の結婚式とか何かの記念式典や追
悼記念式典などを観ていても覚えるものです。ここには賛美歌が多く混じってくるわけですが、考えてみれば、キリスト教自体が信心と歌と
の欠かせない繋がりを持った宗教でした。

 少し絵のことに触れます。西欧において宗教絵画からの脱却を象徴する印象派の絵は、屋外に出でて光と影を追求した絵画でした。風
景画なるものが台頭してきたわけですが、そのモチーフの大半は人と人の織りなす景観であったと言えるでしょうか。例えばアルプスの峰
峰だとか、北欧のフィヨルドだとか、自然を描いた作品が余り見当たらないということは、私がかねがね抱いていた不思議でした。活動の
環境からしてそうした自然溢れる場所に行ける交通手段とか道路が整っていなかった時代のことです。その辺を割り引いて考えないわけ
でもありませんが、しかしその前に、どうも彼らの活動舞台周辺の自然というものは、案外と平坦で変化の乏しいものであったことも看過で
きない要因であったと思われてなりません。日本では身近な変化に富んだ山河、入り組んだ海岸線とは少なからず趣を異にした大味な大
地が彼らを取り巻いていました。変化とか多様性に欠ける分、彼らは色やタッチの変化を画面に持ち込んで、それが表現の多様性に繋が
っていったのではないか・・・穿った見方かも知れませんが、あながち的外れではなかろうと私などは思ったりするのです。そして何と言って
も、印象派の画家たちを取り巻いていたのは、長い歴史の中で築かれてきた景観、人間の営みが文化として集積された景観でした。その
中で空気を吸って生きてきた彼らが、そこに絵のモチーフを求めたのは、ごく自然な成り行きであったと言えるでしょう。その点日本ではど
うでしょうか。繰り返すようですが、ここが言いたかったポイントで、この島国は多様な自然環境に充ち満ちています。山や谷や流れ、植生
にしても実に多様です。その中で人が係わって残してきた景観もまた多様だと言えます。先ほど書いた島国ならではのほどよい人と自然
の距離感にしても、繊細な風土を創りだしてきた理由の一つだと言えるでしょう。多様で繊細・・・こういう点が、日本の風景のキーワードと
言えます。我々はそこで育ち、呼吸をしてきたわけですから、同じキーワードが、日本の風景画からも引き出せるのではないか。むしろ、そ
こを感じ取れる絵が、日本の風景画の美質でなければならない・・そんな思いに私は駆られたりします。とはいえ・・これは批評家的な蘊蓄
のようなもので、私が常にそのことを意識して描いているわけではなし、私の絵がそんな美質を備えているという気はなおさらありません。

 長くなりましたが、以上が今回のタイトルと絵画に関連した私の勝手気ままな雑感でした。残暑厳しい中での退屈しのぎになってもらえた
ら、大いに多とすべきです。
 これを書き終える翌17日には、雨音が心地よく聞こえています。久しぶりの雨に伴ってクールダウンした大気が気持ちよく、夕方には気
温が20度まで下がりました。この雨音もまた音楽?と思いつつ、そうか"雨だれ"というショパンの曲もありましたし、雨を歌ったポップス系
の歌もたくさんあるので、雨音と音楽の関係は万国共通なものかも知れないと思うのでした。尤も、一度降り出すとゲリラ豪雨となる昨今の
雨はその限りではありませんが。


○ 暑中お見舞い申し上げます、当方まる7年です。(7月27日記)

 久しぶりのFノートです。"夏ですね〜"などと今さら何をという話ですが、私ども夫婦が八ヶ岳山麓に越してきてからちょうどまる7年となり
ました。それは7年前の7月28日、いろいろなしがらみやら未練やらを吹っ切って、夏の盛りに私どもはこの山麓にやってきたのでした。
家が建つまでの仮住まい先に当座の荷物を運び込み、ここが最後の青山かと様々な感慨を胸に、当面は環境の変化と生活の周辺を整
える忙しさに心身を紛らわせての毎日が始まりました。希望に満ちた船出とは違って、ある種開き直っての再スタートといった心境で、もう
この点に分け入ることは避けますが、それはいろいろあったわけでした。その一方で、取りあえずはあの都会の息苦しい暑さからは開放さ
れたという安堵の思いもありました。ですから、夏が来たという思いは、指折り数えて何年という、私らの身の上に過ぎた年月といつも重な
ってくるわけです。

 さて、Now and Then のイマの方に話を戻します。一月ほど前に"今年も半分が過ぎた"と思ったばかりでしたが、もう夏の盛りです。 "夏
が来れば"・・・とくれば、 ♪夏が来れば思い出す 遙かな尾瀬 遠い空・・・ この中田喜直の「夏の思い出」がオウム返しのように口をつ
く人は、私と同世代の方か或いはちょっと前後した近い世代の方ということになるでしょうか。この歌が世に出てきたのは1949年と言いま
す。"歌は世に連れ、世は歌に連れ"とこれまた余り聞かなくなったフレーズですが、PCも携帯もなくメディアも未発達であった当時、この歌
と世が連れ合った時間は現在のスピード感覚からすれば想像を超えて長かったわけで、それだけに私らを含む世代では尾瀬と言えば夏
というイメージが定着してきたのだと思います。しかしどうでしょうか?いまはこの歌を聞いたことがない、知らないという人の方が多いのか
も知れず、つまりはまあ、世間というものは、私のような古希のオッサンには思いもつかぬほど変わってきているのかも知れません。オッ
と、また脱線していきそうですので元の八ヶ岳山麓の夏に話を戻さねばなりません。

 今週に入ってから、人出が俄に増えてきました。世間は夏休み突入ですから、人とクルマがどっと当地にシフトしてきているのはいつもの
ことです。いつも以上に店に人が群がり、いつもはスムースに通過できる交差点も何台かクルマをやり過ごしたりしなければなりません。普
段は意識することがないのですが、こうなってくるとやはりここは観光地であり、私たちはその中で日常を送っているのだということに気付
かされます。これからお盆にかけて、こういう状況はますます顕著になってゆくことになります。
 私の住む標高千bの辺りでも、梅雨が明けて台風がいくつか通過するといよいよ夏本番の暑さと向き合うことになります。強烈な日射し
の下、半袖姿でスケッチでもしようものなら、忽ち腕が真っ赤に焼けただれます。画用紙の白が目に刺さるようで、日向で描くのは至難の
業です。しかしそこは高原でのこと、日陰に入ればそれなりに涼しいのですが、描きたい風景と描く歩しション取りがそのようにうまく行くと
は限りません。むしろそれは希なことですから、必然的に野外でのスケッチの機会は減ります。私の水彩教室も9月まではお休みです。暑
いだけでなく、木々は憎々しいほどに緑が増して風景が単調になりますから、描く面白味にも欠けてきます。木と言えば、私の家の庭など
は手の施しようもないくらい生い茂って、段々地面に日が差し込まないようになってしまいました。7年前に植えた手を伸ばした辺りの高さ
だった何本かの苗が、いまは屋根の高さに十分届きさらにはその上に突き抜けるほど生長してしまったのです。木も草もその旺盛な生命
力とは大したものです。さて今日も真夏日で、少し開けた場所に出ると、遠く甲府盆地辺りの上空は積乱雲がいくつもの山をなすように立
ち上がっています。秩父連山の上空では、次々と新しい積乱雲が発達して盛り上がり、上空にもう一つの白い山並をつくっているかのよう
です。強烈な夏の日射しの下では、ものの陰がより濃くなって風景がコントラストを増してゆきます。密集した木々が日射しを遮る林などで
は、木陰がその暗さと広がりを増して、こういう点もまた絵のモチーフとしてはますます無愛想となっていく所以です。とはいえ・・・、ここはみ
んなが避暑にやって来る観光地です。私としても言い訳ばかりしないで、何か夏らしい絵を描かねばなりません。オリンピックでTVを見る
時間も増えることだし、そうこうするうちに直ぐお盆を迎え、気が付けば秋の気配が漂っているということになりかねません。夏の思い出を
歌った歌はたくさんありますが、"秋がくれば思い出す"という歌は特段浮かんできません。今さら良い思い出作りなどといった年格好でもな
いので、せめて夏らしいいい絵でも残せれば思っています。


○ 今年の春アレコレ(5月25日記)

 サクラgone ・・・
 つまり、サクラは行ってしまったというほどの意味で、もう一月前の話です。私の普段の行動領域である標高千b内外でのことで、桜前線
が漸くこの辺りまで上がってきたと思っていたら、初夏を思わせる気温となったり、一転寒い風雨の日々がきたり、こうした天候不順もあっ
て、ゆっくりと満開の風情を楽しむ間もなく、気が付けば既に散り始めているという案配でした。一体に今年は寒かったので開花が遅れた
のですが、漸く咲きほころびたと思ったら、開花の遅れを取り戻すかのように満開の期間をグッと短縮させて辻褄を合わせたという感じな
のです。昨年のサクラとの出会いが強烈であった分、今年はごくあっさりと通り過ぎていった感が否めません。

・ 風薫るべき5月は暑かったり、寒かったり
 まさしく風薫る5月は、山麓でも一番輝きを放つ季節です。その5月も、今年は気候変動が大きかったようで、季節は一月かそれ以上も
先行したり逆戻りしたりで、どこか変な様子のまま終わってしまいそうです。むろん輝く新緑と残雪の山々、水を張った田圃などの織りなす
春の風景にうっとりする日もありましたが、それが長続きしなかったという印象が強いのです。尤もこうした春らしい日々が年々少なくなって
行く傾向は、このところずっと続いているのですが、それを惜しむ気持ちがこれも年々大きくなっていくのは、やはり年のせいもあってのこと
でしょうか。ウ〜ン、言いたかないのですが私も5月初め、ついに古希となった次第ですから、これも仕方ないことではあります。まあしか
し・・・と今度は自らを慰めてもいるのですが、古希といっても今や古来希なことではなくなっているわけで、つまり、そこら中にうようよいる
年代ということではあります。
 先ほどのサクラといい、春を恨めしく唱えておきながら、実はこの季節、私は自らを忙しく追い込んで落ち着きを欠いた日々を送っていた
のでした。集まりに参加すべく上京したり、増設した教室等の機会に追われたり、伊豆くんだりまで遠征したりで、要するに私自身が春をじ
っくり満喫できる余裕とか気分を持ち合わせていなかったという反省もあるのです。だから何をかいわんや・・・ちょっと不順な季節の進行と
年回り故のあれもこれもといった短兵急なところが相俟って、春への恨み節を増幅させていたことに改めて気付かされるのでした。

・ 伊那
 これもまた春を忙しないものにしている一要因なのですが、ここ20数年間、春には一度伊那へという習慣が続いていて、今年もまた出か
けました。と言っても、我が家から伊那は入笠山のある山塊をひとつ越えたその先なので、大袈裟に言うほどのことではないのですが、し
かし誘うべき人を誘い、現地で会うべき人と会い、宿も確保し・・・ということになると、身一つで気軽に出かけるのとは自ずと違った行事め
いたものになってくるわけです。かつては伊那の山中一角には一帯の別荘地を所有する人たちのための山荘施設があり、私の親が昔購
入して姉がその名義を引き継いだ名ばかりの別荘地がある関係上、毎年その施設を利用させてもらって大いに楽しんできたものでした。
しかしその山荘も、周辺が別荘地としての体を失った感のある現在はある個人の手に渡り、私らも当然利用できなくなって数年が経ってい
ます。従って都度宿をとる必要があるのですが、にもかかわらず伊那行きは続いています。中央アルプスと南アルプスに挟まれた伊那谷
は、谷と言うよりも悠揚迫らざる広がりを持った盆地と言うべきところです。その最低部に天竜川が流れ、東西の天空には雪の峰々が浮
かんでいるといった面持ちで、私のいる八ヶ岳山麓とも似た地勢であるのにどこか違っている、どこかのんびり感が漂っている、だから空
気の味も違う・・・という感想をいつも抱く所です。そんな伊那行きの最大の動機は山菜。コシアブラ、ウコギ、フタバハギ、タランボ、ウル
イ、アサツキなどなどなど、伊那で採れる山菜はふんだんにあってこれがとても旨いのです。土地の人に手ほどきを受け、毎春連休の前後
に訪れては山野を歩き回って採取し、その日に山荘で美味しく食し、したがって酒も美味しく進み、かけがえのない春を満喫してきたのでし
た。

・土地の味、店の味
 その山菜が旨いのはそれこそ土地柄でしょうか、例えば伊那から持ち帰ったコシアブラの小さな株は今や我が家の庭で4bほど生長し
ましたが、この新芽を採って食しても香りが殆どしない、同様にフキノトウも今や我が家の庭にはびこるようになりましたが、これがまた香り
一つしない、と言った案配で、これは土のせいだと私は勝手に決め込んでいます。
 味ついでにもう一つ、昨年食べて美味しかった店に入ると全然期待外れだったというよくある話です。昨年は舌鼓をした杖突峠の蕎麦
屋、今年も入ってみると何かメニューが違う、出てきた料理の味も全然違うで、店名も店内も同じなのに、まるで別物です。帰りしなに厨房
を覗くと"いやこの人ではなかった"という人が働いていて、のちに経営が変わったという話を聞いて納得した次第でした。店の味について
もうひとつ、今度は駒ヶ根IC近くでお蕎麦とソースかつ丼を出す店のことです。こちらは店名が変わっていたものの、若い店主夫妻は同じ
で味も感じもいい店です。蕎麦屋らしく醤油とだしの利いたソースかつ丼は、昨年食べたその味が忘れられずに伊那から遠征して食べに
いったのです。そのソースかつ丼、美味しいには美味しいのですが、覚えている味よりもちょっと甘みとジューシーさに欠けるといった印象
でした。味の記憶とは不明瞭なようでしかしあながち見当外れというものでもなく、食べたときの体調とか腹の空き具合で微妙に異なる面も
無視できないとしても、案外と確かなところがあるもので、ですからその店の味が変わったと言う印象は、的外れではないと思うのです。恐
ろしいと言われる食べ物の恨みと常に隣り合わせの世界、たかが店の味では済まされない大変な世界だと改めて思うのでした。

 話はころっと変わりますが、駒ヶ根で時間つぶしのために訪れた光前寺と いう天台宗のお寺は、その佇まいといい年輪を重ねた杉の古
木といい、素晴らしい古刹でした。ここは、光苔とか霊犬伝説、さらにはしだれ桜で有名なようですが、紅葉もさぞかし綺麗だろうと思わせ
ますし、何と言っても国の重要文化財に指定されているという実に深閑として精霊な空気を漂わせた境内全体がとても魅力的でした。また
行ってみたい、そう思わせるお寺などそうそうはないものですが、是非また行ってみたくなった光前寺でした。


○ サクラ前線急浮上(4月26日記)

 我が山麓も桜の前線が迫り上がってきて、漸く私が住んでいる千b辺りに届いたところです。24,25日と暖かい日が続くと、開花は一
気に進んだようで、私のように日がなチェックをしていても、このスピードには驚きを禁じません。例年よりも数日遅い開花〜満開のカレン
ダーでしたが、貯まった遅れを一気に挽回せんとするような勢いを感じます。それと、今年は余り見かけていなかったコブシも、ここのとこ
ろサクラと歩調を合わせるように咲き出し、あちこちで見かけるようになりました。とはいえ、やはり今年はコブシの不作年、開花のタイミン
グが遅かっただけではなく、花付もかなり貧相な感じです。以前予想したように、現在はサクラとコブシ、それにこれもやはり咲き遅れた感
のあるウメが、同時に咲きほころんでいる八ヶ岳山麓です。この分だと、千bより高い所や、西北に隣接する富士見町や原村にかけて
は、GW入りしてからがサクラの見頃となりそうです。

 昨日は友人に誘われて花見をしてきました。場所は、長坂駅から少し南東に行った所にある農業大学校の境内、直ぐそばを中央線が走
っています。きっと車内から我々を見ては羨ましく思っているに違いない・・とそのように勝手に想像するだけで、楽しさが増します。この辺
りは標高700bちょいと言った所で、サクラは散り始めていていました。少し風が吹くと文字通り花吹雪、お酒やつまみの上にも花びらが
ほろほろと散り落ちてきて風情満点!車座をなすのは風情とはやや相容れない、酒飲み男4人でしたが、それでも「どうだい、この風
情!」を連発して悦に入るのでした。サクラといえば、昨年の今頃はサクラの開花に生命観を吹き込まれたように感じ、これが私自身の震
災後の体調不良から立ち直るきっかけとなってくれました。それが1年経つと、この花見を楽しんでいる私がいるわけで、何とも現金といえ
ばそれまで、返す言葉もありません。
"願わくば、花の下にて春死なん・・・" 西行法師の心境が、このときばかりは身に染みるのでした。

 明けてこれを書いている26日は朝から雨。止んでも靄がかかって昨日とはうってかわって季節が戻った感じです。でも、サクラの季節に
なると、何日かはこのような天候に見舞われるのが常で、その度に気をもむことの多い春先のことです。


○ 海を求めて西伊豆へ(4月14日記)

 一度海を描いておきたい、それもこちらで桜が開花する前に、という思いが強くありました。晴れ間の続きそうな2日間を選んで以前泊ま
ったことのある松崎の宿を急遽予約、女房を連れて出かけました。描きたいイメージとしてあったのは、鄙びた漁村とのどかな春の海の光
景です。往きは甲府南から精進湖に抜け、朝霧高原を通って富士宮、沼津を経由する富士山の西側ルートをとったのですが、やっぱり伊
豆は八ヶ岳山麓からは近いようで遠い所です。特に沼津から伊豆半島に入り込む辺りの混雑地帯を抜けなければ辿り着けないという、こ
れは一つの心理的な壁と言っていい要因があるせいもあります。沼津の市場でで昼食をとってのち、念願の海縁に出ると待望久しい海の
青と輝きが迎えてくれました。そして、想像以上だったのは、低山の山肌がヤマザクラと芽吹きの木々が入り交じって、春めいた柔らかさと
美しさを見せてくれたことです。日頃残雪の山とまだ冬枯れの残った森を目にしている私には、この温もりのある低山の風景もまた新鮮に
映ります。道中至る所でクルマを止め、シャッターを切りまくりました。この海岸線を下って松崎までには、途中、戸田や土肥を通過し、地
図上で目を付けておいた2,3の漁港もあります。先は長そうですから、ここぞという場所で腰を落ち着けてスケッチをすることができませ
ん。大瀬崎を回り込んで南下すると、つづら折れの道が続き、いくつもの峠を上り下りし、岬を回りこみ、ときに海原を俯瞰しながら進みま
す。海はいよいよ伊豆らしいエメラルドグリーンを流し込んだような色になってきました。

 とまあこの辺りまでは良かったのですが、土肥温泉を過ぎてから立ち寄った宇久須、安良里、田子といった海岸や漁港にどこか違和感
を覚え始めました。ちょっと風情を欠いてピンと来ないのです。訪れる人の多い伊豆のことだから鄙びた感じを求めるのは無理として、海
辺に出てみるとその決定的な理由が分かってきました。どこも海岸線はコンクリートの防潮堤が張り巡らされていて、かつて海を望んでい
た家並みと道路は、高さ数bの分厚い壁の陰で遮断された状態となっているのです。そこには、海と家並みの同居するかつての漁村の光
景が存在していません。そればかりか、一種自由を奪われた施設の中・・・といった感じさえ否めません。これは、明くる日松崎からさらに
南下していくつかの漁港のありそうな場所に下りてみて、どこも皆同じ状況にあることが分かりました。それで改めて気付かされたですが、
ここは静岡県の伊豆、東海地震による津波への備えがかなり厳重な土地柄で、集落のある海岸線のコンクリートによる護岸工事もかなり
早くから進められていたわけです。もちろん、住民や行政にしてみれば、風景だとか、旅人の風情などと言っていられる場合ではありませ
ん。しかしその一方で、こうして目にしている光景は、あの3.11以降、半分意味のないものになりかわっている・・・そんな矛盾を孕んだ光
景でもあるのでした。西海岸の最後に立ち寄った妻良港は、二重の防波堤に囲まれて、その内側はコンクリートの埋め立てヤードが広が
り、かつての面影がすっかり消えていました。最早、伊豆に思い描いたような光景を求めるべくもないと、知らされる思いでした。ただ、深い
蒼を湛えた海はかつてと変わりありません。そこに岬や崖をなして落ち込む陸の様相も伊豆ならではのものです。防潮堤の所々にあるゲ
ートの外に出てみれば、そこには漁船や漁具が漁師の生活感を醸し出している波止場の風景がありました。家屋の屋根瓦の色にしてもそ
うなのですが、漁船の意匠などもどことなく明るい色調で派手めです。明暗こもごも彩りに満ちた南国伊豆2日間でした。結局の処、スケッ
チをしたのは一点だけ→ 山麓絵画館。漁船の停泊している様は面白い絵柄で、これから何点か絵にしてみたいと思っています。

 余談ですが、復路にとった下田〜天城峠〜修善寺〜伊豆スカイライン〜芦ノ湖スカイライン〜御殿場〜河口湖〜甲府の道のりは、変化
に富んでしかし長〜い道のりでした。途中の御殿場界隈では渋滞に巻き込まれたりして、やっぱりこれが伊豆と山麓を実際の距離以上に
遠く感じさせている要因かと思いました。結局のところ富士を挟んで西を行っても東を行っても伊豆への往来は普段山麓生活では経験す
ることのない混雑という壁を越えねばならず、これが心理的に伊豆を遠く感じさせる犯人と言えそうです。最後は雨も降り出し、日も陰って
薄暗くなった頃、漸く中央道に乗って八ヶ岳山麓に帰り着きました。もう一つ余談。私らの帰った翌日が第2東名の開通日に当たる日でし
た。この新東名道も渋滞緩和のみならず、災害時のインフラ確保が大きな目的となっているものです。大災害への備えが、日本の風景を
変え始めていると言えるのかも知れません。


○ 山麓の動植物事情(4月2日記)

 今年の冬は寒く、長かった・・・誰もが抱く感想だと思います。さすがに、もう4月という段になって、日中はぽかぽか陽気となる日も出てき
ました。大気も霞む日が多くなって、あの残雪の山々も薄いカーテンの向こう側に佇むようになってきています。"梅は咲いたか、桜はまだ
かいな♪" と歌いたいところですが、その梅も山麓界隈では漸くほころびて、目につくようになったばかりです。当県では甲府の開花が1
日、見頃となるのは次の週末辺りと予想されていますので、私のいる千b付近だと、それより十日ほど遅れるでしょうか。

 今年は野鳥の飛来が随分と減ったように思えます。数そのものものもさることながら、やってくる種類も少ないのです。それは、よく餌
のヒマワリの種を買う店の主人も言っていました。ヒマワリの種の売れ行きが昨年よりずっと落ちたと言うのです。今冬一度も目にしていな
い鳥がシメやホオジロ。昨年は団体でやってきてはうるさいほどだったイカルも、一度つがいが飛んできたのを見ただけです。アトリを見た
のも数えるほど。こういう状態ですから、我が家の餌台もカワラヒワとシジュウカラ、そして木に吊る下げた油粕のような餌にはエナガが、
ほぼ独占状態となっています。
 野鳥の飛来が減ったひとつの理由として、この界隈の市有林や町有林の伐採が挙げられそうです。相当規模で行われているこの伐
採、松や杉の植樹林では、数十年おきに更新しているのですが、昨年あたりからこの更新期がやってきているらしく、あちこちで伐採が進
んでいるわけです。最初はすわ不動産開発か、と警戒したのですが、根こそぎ抜いているわけではないので、そのうち計画的な伐採である
ことが分かりました。伐採のあとは広葉樹も交えた林にすればいいのに・・・と誰もが思うのですが、同じ針葉樹林としての再生を促していく
のだそうです。それは、地表に顔を出している実生が伐採後に日当たりを得てほっておいても育つからで、それを選別してゆけばいいだけ
の話となるからです。なるほどこれなら植林の手間とコストがかからないというわけで、ウ〜ン、半分納得せざるを得ない話です。それで
も、自然環境と観光都市を標榜する北杜市ですから、針葉樹林を混交林に変えてゆけば、それだけ観光資源となって山麓の魅力が増す
はずなのに・・・。植林のコストという問題もあるのでしょうが、趣旨に賛同してくれればボランティアも大勢集まるだろうに・・・。私などはつい
そう考えてしまいます。野鳥飛来の現象と林の伐採はおそらく因果関係があるのでしょうが、私の住む地区の長老に聞くと、そもそもこの
辺には高い木や林などなく、低い灌木と草地ばかりで、従って見通しが良くて眺めもずっと良かったそうです。それは八ヶ岳山麓での別荘
地開拓や移住の始まる以前、つまり3,40年以前の話で、今私が書いた林や高い木々にしても、全て人が植えてこうなってきたということ
です。そう言えば、広大な八ヶ岳山麓をぐるっと取り巻いているカラマツ林にしても、自然林でこれだけの単独種の群生はないわけで、やは
り植林から始まって現在の姿があるわけです。

 この話とどう関係してくるのか、一方で、山麓のそれも人が居住する一帯での鹿の出現がかなり増えているのは、昨日今日の話ではあ
りません。先日の夕方も当家の直ぐ下にある草地で、はじめは何か枯れ草のロールでも置いてあるのかと思ったら、何と地面を突っつい
ている風の十頭の鹿の群でした。その草地の一端には野菜畑や飼料用トウモロコシの畑があるのですが、もちろん今は種も蒔かれていな
いし、収穫した残りが置いてあるわけでもありません。草の芽でも食べていたのか、私が歩いてその草地の方に近づくと、一頭また一頭と
私を避けるように傍の森の方に移動を始め、最後は早足で林の中に姿を消してゆきました。夕闇迫る中、白いお尻の部分だけが目立っ
て、それが一斉に森に向かって動いている様は、一種提灯が揺れ動いて移動しているような感じです。一瞬、キツネの嫁入りの光景を垣
間見る思いでもありました。因みに、この場所で鹿を見かけるのは二度目ですが、こんな群がいるところを目撃するのは初めてです。もっ
と早くから気付いていれば、カメラを持ち出して撮影できたところです。 とまあ、こんな悠長なことを言っている場合ではありません。鹿の
出現する範囲が下へ下へと年々広がってきているのです。鹿は畑を荒らすという食害の面で有害動物と言えるのですが、元々は彼らの世
界に人間様が進出してきたのですから、悪者扱いは肩身の狭いところもあります。その鹿の出現、標高1200b前後を走るいわゆる八巻
道路は、冬ともなれば鹿が大手を振って行動している一帯として知られていましたが、その道路を使ってクルマ通勤をしている友人によれ
ば、山に餌のなくなる冬期はもちろんのこと、最近は冬場以外でも大きな群が出没するのだそうです。この一帯はまた、かつて別荘地開発
が盛んで、広大な別荘郡が林の陰に隠れています。それが世代交代で別荘に訪れる人も少なくなり、広範囲で無人化の状況を来している
ことも無縁ではないでしょう。かつては、小海線より下にはなかなか下りてこないと言われていたのですが、昨今はこんなことに全く関係な
く、ときに中央線を超えて下りてきているようです。中央線の下をさらに南下していくと、今度は南側の七里岩沿いの森に生息する動物が
頻繁に出てくるようになります。私らの畑のある一帯はこの七里岩沿いの森に近く、そこでは鹿よりも猿やイノシシの出没が深刻な食害と
なっています。
 そもそも、鹿は旺盛な繁殖力で知られている動物で、食物連鎖の上部にあたる動物もこの山麓にはいないはずです。それに、本来の生
息域である山麓の高い所の森で最近開発が進んでいるという話も特に聞こえていませんので、彼らは自ら増えすぎた結果、恒久的な餌不
足を招いている事態だと言えそうです。それに、忘れてならないのは、ここのところ駆除する側の老齢化と人手不足という深刻な問題も手
伝っているという事実です。対策に手を焼いているのは、ここ八ヶ岳山麓に限らず、県下山間部の大きな問題となっています。人と自然と
の共生という問題は、私らのように農業を生活の糧としているわけではなく、自然に近づきたいがために移住した輩にとって、軽々に論じら
れない問題ではありますが、日々状況を目の当たりにして、改めてこの問題の根深さを思い知らされるのでした。


○ 野焼き(2月6日記)

 既に今年も36/365日が過ぎ去り、立春を迎えてなお春近しの気配はありません。そんな寒さの僅かに緩んだ昨日、所用でクルマを走
らせると、谷戸という開けた所でいつもの甲斐駒風景に目をやると、眼下の畑地のあちこちから煙が立ち上っています。かなり広がる視野
の中、結構広い面積からその煙は立ち上っているのです。薫炭(籾殻を蒸して作る肥料)作りにしてはこんな時期だったか?畑の冬仕舞
いで残骸を燃やすのは12月だし、この時期、そんな光景を見ていたような気もするのですが、それが何であるのか余り気に留めていませ
んでした。所用を済ませた帰り道に、その正体を見極めんと煙の多い一画に近づくと、煙が県道にまで立ちこめてよけて通らねばならない
ほどです。道ばたの土手からは赤い炎がチロチロと斜面をなめていて、一瞬、山火事ではないかと疑ったのですが、畑地のそこここに人
の姿があるのに特に慌てた様子はありません。それで、これは野焼きかと思いが至り、そうなると私は写真を撮りたくなって、ちょっと厚か
ましくもクルマで畑地の一画に乗り入れました。農家の人に訊くと、芝焼きをやっているのだと言います。例年だと1月中にやるところを、今
年は雪があったので遅れたとか。村人総出といった趣で何人かが手分けをして筒状のバーナーをかざして畦道の斜面に火を放っていま
す。それにしても、芝などはこの斜面には生えていないはずです。要するに野焼きなのでしょうがしかし、阿蘇でも若草山でも、野焼きは雑
物を焼き払い、燃えかすを肥料としてまた美しい草地を甦らせるための一種の新陳代謝を促すものです。一般的に言う芝焼きもこれと同
じ理屈でやるものだとすると、この田圃や畑の入り交じった一帯の野焼きは、何が目的なのでしょうか?決して美的理由でやっているわけ
ではないだろうし、だとすると、雑木などの芽吹きを押さえ、刈りやすい草だけの土手とするためなのか、或いは野焼きは害虫の発生を抑
えるとも言われているようだから、それが目的なのか、その理由までは聞き忘れてしまいました。(・・・後日、推察した理由の通りであること
が判明しました)
      バーナーで点火                  まるで山火事と見まごうばかり          すっかり煙幕が張られてしまいました

写真のように、立ち上る煙がうつろい、ときに風景に煙幕をはってしまう様は、冬の風物詩と言えるでしょう。そしてもちろん、野焼きは来る
べき春に備えての年中行事に違いありません。春はそこまでやってきているはずなのに、その足音がなかなか聞き取れないのは、この寒
い冬のせいばかりではなく、そこに、昨年遭遇したあの大震災の一周期という忘れ難き事由があるせいなのかも知れません。そんなことを
書き連ねているうちに、窓の外は雪が舞い始めました。ここ八ヶ岳山麓ではそんなに積雪に見舞われることはないのですが、我が家の周
りの日陰はそれでも雪が溶けないままです。何にしても今年は平和な春を迎えたいものだと願わざるを得ません。


ここから上↑ 2012年〜
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下 2011年



○ 師走も半ば、今年も残り僅か(12月18日記)

 ここ一週間で山は随分と白くなりました。八ヶ岳は私の住んでいる所からだと白い岩峰は権現岳しか見えませんが、お隣の富士見町まで
走ると、八ヶ岳西面は一段と雪が増え、主峰の赤岳や阿弥陀の白く峻厳な岩肌が目に飛び込んできます。いよいよ厳冬期突入、冷たい大
気を運ぶ北西風が、時に我が家を揺するほどに吹き付けてきます。師走も半ばを超え、今年もあと2週間を切りました。いつも迎える年の
瀬がまたやってきます。そしてこういう時期になると決まって振り返るこの1年、やはり今年は大変な年だったな〜・・・これに集約されるよう
です。

◇大震災
 震源地から数百キロ離れた八ヶ岳山麓でも、"そのとき"は強烈でした。停電の一夜が明け、TVで目にした画像はもっと強烈でした。そし
て、得体の知れぬ恐怖心を覚えた原発事故。大地震と巨大津波という自然災害としても千年に一度という未曾有のものであったのに、人
災としてかつてないほどの深刻な災害が加わったのです。被災者に対してどう気持ちを向けたらいいのか、そのことと同時に、この先日本
がどうなってしまうのか、誰もが戸惑いと得体の知れない不安を抱くことになりました。被災者との距離や心理的隔たりは埋めようもありま
せんが、いつか厄災が我が身を襲うかも知れないといった恐れと不安をみんながごく身近に覚えたことも事実でした。おののきと嘆きと祈
りと・・・日本人は同じ心の軌跡を共有しつつ震災以降の月日を送ってきたとも言えるでしょう。
私はここで、何一つ偉そうなことを言える身ではありませんが、今年というこの1年は、誰もが大震災に照らして我が身や我が家族を振り
返る年となったことは確かでした。

◇私自身
 もう何度も人に話したり、このHPでも書いているのですが、私は、大震災後の“なにがしか”とどう連動したものか、脳内出血という事態を
招いてしまいました。幸いその後の経過が良かったために大事には至りませんでしたが、それが元で煙草を止めたり食生活や血圧のケア
ーを始めたりと、私自身がそれまで遠ざけていた(などと粋がってきたのですが)健康ケアーを人並みに心がけることになったのです。それ
が春先のことで、個展も控えたこの年なのに、絵筆を取れない日々が続きました。そして一月余りが過ぎ、こんな年にも拘わらず、見事に
開花してくれたサクラは、私の心に化学反応を引き起こしてくれ、私は無心にサクラを描き始めました。そしてサクラを描き続けたること
で、いつもの絵心を取り戻していったのです。私自身を大災害に照らして振り返ると、この一連のことがひとつの曲がり角としてやはり一番
印象に残ることでした。そしてサクラは私自身にとって再生のシンボルとなったのでした。

◇一年を総括する?
 年の瀬は1年を総括するときで、今年がどんな年だったか、十大ニュースとか、ナントカトップテンとか、はたまた社会を反映する流行語
まで、いろいろと振り返って総括するのが世の常です。我が身を振り返って総括する人も多いと思います。私もそんなことをやっていた頃も
あったかと思うのですが、最近はこれといって総括することもなくなりました。大体1年を振り返って何があったのか、子細に思い出すのは
難しい仕業となっているのです。それに、そもそも総括するというのは、来年の計として我が身を律したり励んだりする意図を持ってのこと
でしょうが、その"今後"も段々長くはなくなると、一々計をたてるのも億劫と言うか、意味が薄まってきているという一面は否めません。まあ
それでも年の瀬は、1年というときの物差しを否応なく意識するものです。誰もが何かと感慨にふけったり、来年はどうしよう・・・くらいのこと
は考えるでしょう。そしてここ何年かは、また一つ歳をとることなど意識の外においたまま年を越したいと願うようになっています。そうは言
っても、私たちは暦という"時の枠組"から抜け出すことはできないのだから仕方ありません。そんなこんなが入り交じって、ある種複雑な感
慨、と言うか感傷を抱くことになるのが年の瀬です。

◇年賀状に何と書く?
 そしてもう年賀状を作る季節です。もらえば嬉しいものなのに、出す側になるとかなりの骨となるのがこの年賀状。それも、来年のそれに
は浮ついた慶賀の気分は控えた方がいいといった風潮にあって、これは国民的気分と言うべきもののようです。郵政省は例年通り年賀ハ
ガキを発行し、一枚5円を義援金に回す年賀ハガキを用意していました。そんなことを知らなかった私は、いつも通りのインクジェットのハ
ガキを買ってしまったのですが、知っていれば考えたのに・・・という人も少なくないでしょう。しかしそんなに気にすることもないのだと、改め
て思ったりもしています。これほど日本人の心にのしかかった大災害です。これまで何らかの支援を差し伸べている人が大半であるに違い
ありません。だからこの義援金年賀ハガキには、駅前での街頭募金に応じたのに、別の駅で募金を頼まれたときと似たような気分を味わ
っている人も多いでしょう。いやいや、ことはお金の話ではなく、年賀状に書く言葉のことでした。TVでは、"絆"だとか"手を繋ごう"とか、被
災者と私たちはどこかで繋がっているといった趣旨の言葉が多くなりそうだと報じています。理解はできますが、どこか同じ気分を強要して
いるようなところも否めません。それならば、修辞を弄することなく、率直な気持ちを綴るとか、そういうものが思い浮かばないなら、いつも
通りの年賀の言葉でいいのではないか・・・とも思うのです。お互い、生きて年賀を交わすだけでも幸せ者、そういう者同士が交わす賀状に
"賀春"とあるのはごく自然だし、それでいいのだとも思うわけです。

◇最後に絵のこと
 先に総括について触れましたが、私の場合一つ言えるのは、今年はどんな絵を描いたか、と言うこの一点についてです。毎年どこかで1
回は個展をやっていますから、そこをめがけて・・・と言うか、それが一つのモチベーションとなって、作品を手がけ残していくことが毎年の
ならいのようになっています。総括として分かり易いといえば分かり易いわけです。しかし、だからといって、どんな絵を描くか、描きたいか
といった1年の計があるわけではありません。創作というものはそれに向かっているときの心境や気概が源となっているものですし、1年を
区切って作風をどうこうするというのは(そういう人もいるかも知れませんが)、自らを束縛しかねないので、私は敬遠する方です。ただ、創
作とは別にして、来年は絵の仕事として手がけることが控えています。予定と希望を含めてですが、一つはクラブツーリズムからのオファー
に端を発し、東京での教室の機会が開けてきそうだということです。3月に一度その機会を持つことは決まっていて、それは当地へのスケ
ッチツアーにリンクしたものです。その先の継続性についてはまだ何とも分からないのですが、東京で個展をやる度に東京での教室につい
て、質問や希望の声を多く聞いてきましたので、そうした声に応える一つの契機になればいいとは思っています。もう一点、来年は画集の
第2弾編集にかかろうかと考えています。来年は古希という年格好からして、そのエネルギーがあるうちに取り組んだ方が良さそうだという
のが一番の理由で、古希を記念して・・・という心積もりでは毛頭ありません。そして来年に限らずいい絵・・・自分で得心のゆく絵のことです
が・・・を描き続けられたら、と思っています。相変わらず皆様のご贔屓にあずかりたいものと、心より願っています。


○ 消え去るモノについて・・8月31日のノートに追加(11月11日記)

 今回は復活の話です!! 8月にはこのように書きました。
東京地図出版の出していたワイドミリオンというシリーズの中の"日本中央圏道路地図"。この地図は何年かおきに最新版に買い換えてい
たのですが、絶版となってしまいました。
それが、先日、他の本を探しに韮崎の本屋さに行き、道路地図のコーナーに立ち止まって一渡り覗いてみると(私は地図が好きなので、本
屋ではよくやるのです)、見慣れた装丁のワイドミリオンシリーズの中に「日本中央圏」とあります。アラ、今頃まだ在庫があるのかと手にと
って背表紙を見てみると「2012年発行」とあるではありませんか。これはしたり!復活したのです。直ぐさま買い求めました。値段は¥40
0下がって¥3000(+税)。帰ってページをめくってみると8ページ薄くなっていて、それは巻末の高速道の距離と料金表が割愛されてい
るためでした。代わって圏内主要道主要IC間の距離と料金が示された見開きのページがあり、道の駅の索引も追加されています。高速道
は今やいろいろな料金割引の体系があり、料金設定そのものについても長い目で見ると流動的だから・・と言うことでしょうか。しかし距離
だけでも全路線の記載があったのはそれなりに意味があるものであったと思うのですが、まあ、細かいことは抜きにして、とにかく復活して
くれただけで拍手喝采です。私の手元にあったのは2004年版でしたから、何だか7年間の空白が埋められたようで、暫くはドライブのとも
だけでなく、暇つぶしのともとして、私を楽しませてくれそうです。間違いなく他社のものより優れたいい道路地図です。そしてこの時代、い
いモノが復活してくれるのは、ありがたく歓迎すべき事態に違いありません。


○ 二つのブナ原生林(10月25日記)

 二つとは、一つが小谷村の雨飾山、もう一つが鬼無里の西端にある奥裾花です。いずれも北信州、私の住む八ヶ岳山麓からはそう遠く
ない所にあるブナの原生林として、私はかねてから訪れてみたかったところです。先週欲張って二カ所に行ってきました。来年以降の個展
や画集の第二弾に向けて秋の絵がどうも不足気味だったので、紅葉取材が主たる目的でした。ただでさえ、今年の紅葉は欲求不満気味
です。当地でも山沿いを走り回ってみると、ケヤキが色づく前に涸れて貧粗な様相を呈しています。家の庭を見渡しても大半の落葉樹が我
が身を染め抜くのを諦めてしまった感があります。それなら久しぶりにブナ林の秋を訪れてみよう、本当は東北まで遠征できればいいので
すが、割と近場でも目的は叶えられそうだと思い立ち、そうなると善は急げ・・です。雨飾山は長野と新潟の県境にある山で、中腹にある鎌
池は紅葉で有名です。奥裾花自然園は水芭蕉の群落が謳い文句のようですが、私はここのブナ林にかねてより目をつけていて、以前か
ら鬼無里と白馬を結ぶ県道を走るたびに、そこから逸れて奥裾花川沿いを遡上してみたいと思いつつ、実現していなかった経緯がありま
す。出かける前日にまたまた軽く考えて、ウイークデイなら雨飾山の公共の宿がとれるだろうと電話をすると、1週間ずっと満室とのこと。
例の高齢者の旺盛なレジャー意欲故かと思いながら行ってみると、やはりその通りでした。結局宿は二つの地点の中間にある白馬村のホ
テルにしました。むろんこちらも、私と同齢者が客の太宗を占めていると言っていい状況でした。

 それはともかく、ブナの原生林の紅葉は、期待に違わぬ素晴らしいものでした。やはりブナの森というのは、その深さとか母なる味わい
が何ともいいものです。それが鎌池では最初は霧の中に潜んでいたのですが、霧が晴れてやがて本来の色や形を現し始めると、まるでオ
ーケストラがそのカラフルな音色を一斉に奏で始めたようでした。奥裾花では快晴の空をも遮るような森の高さと深さを味わいました。ここ
は長野市の私有林として保護でされており、ブナをはじめミズナラやカエデ類が混在する見事な落葉広葉樹林です。木々が貯めた地下の
ダムが池や湿地を育んでいて、自然の長い営みが体内に染み渡ってくるような森の潤いです。自然園はその名の通り原生林の中に小径
がつけられているだけの手つかずの自然に溢れた広い一帯です。クルマはその手前の観光センターのある場所までしか入って行けない
ので、そこからは徒歩か乗り合いのシャトルバス(ミニバン)でしかアプローチできません。最初はそのさわりだけでも味わいたいと思って徒
歩で入り口まで辿り着き、そこから自然園に入ったのですが、分岐点毎に吊された熊よけのフライパンや板きれをがんがん叩き鳴らしては
その先へと進むうちに、結局2時間半かけてアップダウンの続く自然園の中をほぼくまなく歩き尽くしてしまいました。小淵沢の家の近くの
坂道を上るのにもゼーゼーしていた私としては近来にない珍しいことで、これは禁煙の賜と言えるでしょうか。それにしても奥裾花のブナ林
には立派なブナやミズナラの株が多いのに驚きました。樹齢三百年を超えるとも推定される森の長たちとも対面し、足下の灌木から梢の
高さまで装いを凝らした森に包まれていると、それだけでもう訳もなく嬉しくなってくるのでした。

紅葉の鎌池

黄葉したオオバクロモジ

奥裾花自然園入り口近くのブナの原生林
  話を戻して雨飾山の鎌池のことです。紅葉自体はこちらの方が鮮やかだったのは、やはり水辺に接した森のせいでしょうか。池の標高
が1200メートル強なので、この辺りが紅葉のピークであったことも重なっていたようです。雨飾山は深田久弥の日本百名山として有名で
すが、紅葉のシーズンともなると、訪れる人の大半がこの鎌池目当てと言えそうです。ですので、池の周りにはカメラを手にした老若男
女・・・と言いたいところですが、高齢男女が圧倒的に多いのでした。むろん私もその一人に過ぎないのですが・・・。水辺に向けて開かれた
ポイントにやって来ると、そういう場所は既に先着のカメラマンで賑わっています。三脚を据えてじっくりとシャッターチャンスを待っている人
も多くいましたが、その点、こちらは絵を描くための撮影です。一瞬脳裏に刻まれる絵のイメージをカメラで切り取るといった案配ですの
で、ズームレンズを頻繁に動かしてはフレーミングを決め、素早くシャッターを切るだけです。それで枚数だけはかなりのものになります。
当初この池では水辺の後方に構えてスケッチでもしようと思っていたのですが、そういうスペースも殆どないことが行ってみて分かりまし
た。雨上がりで径もぬかるんでいて、そこを大勢の人が行き来するので足場の確保も難しい状態です。そして、これが紅葉シーズンの常な
のか、池のそばの駐車場は満杯で次から次にクルマがやってきますし、池を巡る人たちも一周すれば自然と次の来訪者に入れ替わると
いった具合ですから、長時間留まって心ゆくまで紅葉を楽しもうとしてもなかなか許されない事情があるのです。それほど人を惹きつけるス
ポットということでしょうが、それはこの目で見て確かに納得のゆくものではありました。この点はクルマをシャットアウトしている奥裾花は、
知名度が低い分だけ訪れる人も少なく、野趣に富んだ好ましいスポットと言えます。ただ、森の中に腰を落ち着けて独り絵でも描いている
と、こちらは熊に遭遇する恐れなしとは言えません。それほど無垢の自然が味わえるということです。

 ブナ林の光景を描いた作品の一部は、近々掲載の予定です。


○ 乗鞍高原に行くと・・・(10月12日記)

  10日〜11日と一泊二日で乗鞍高原に行って来ました。今頃はちょうど乗鞍高原あたりの紅葉が良いのではないか、と踏んでの行動
です。乗鞍は西側の緩やかな斜面にあるキャンプ場には何度か行ったことがあるのですが、東側の人が集まる一帯には冬のスキーシー
ズン以外には行ったことがありませんでした。行動の基地として格好な休暇村に泊まろうとネットで見るとこの1週間は平日も全て満室で
す! とは言っても3連休最終日なら空きがあるのではと電話をすると、ちょうど一組キャンセルが出たので今ならその和室を確保できま
す、と言われ即予約。やはり紅葉シーズンのせいなのでしょうか、それにしてもこの混み具合はどういうことか、と驚くのみでした。
  中央道松本で下りて「上高地方面」の交通標識に従って走るのですが、この道は何度も利用している馴染みの道です。毎年「おわら」で
八尾に行くときも、高山に行くときもここを走って安房トンネルを抜けます。途中昼食で入った道沿いのレストラン・・・「アンダンテ」、見かけ
は余りさえない店ですが、ここのステーキ丼は絶品でした。値段も千円でおつりがくるお手ごろ価格。旅の途中でこうして知らない店に入り
大当たりとなると嬉しいものです。 出しなに訊けば、ステーキ丼の肉は信州牛ではないのですが、高い肉を使って美味しく食べさせるのは
料理とは言わないそうです。確かに。帰りに立ち寄った蕎麦屋も美味かったな〜。店の名は覚えていないのですが、風穴の里という道の駅
を少し下った右手にある民芸風の店構えでした。

  食べログはこれくらいにして、いよいよ乗鞍方面に左折し、徐々に高度も上げていくのですが、どうもあの紅葉が下りてきている様子が
窺えません。それは乗鞍高原の中心、標高千4〜5百bの辺りにやってきても、あの期待した鮮やかさは影を潜め、どことなく地味な紅葉
シーンなのです。これはちょっと時期尚早だったか、と始めは思ったのですが、その後あちこちを走り回って、紅葉のピークは千3〜4百b
周辺まで下りてきていたことが分かりました。つまりどういうことかと言うと、今年の紅葉は外れということです。それは翌日バスで標高270
0bの畳平まで上がってはっきり照明されました。カラマツからダケカンバ、やがて森林限界に至る木々の様子を見ていると、本来黄色に
色づいているはずのダケカンバが全て茶色に変色してしまっています。少し下の一帯で既に黄葉し始めているカラマツもまた冴えません。
やはり9月に入っての異常な暑さとかその後の気温低下と更には再び上昇といった気候変動が思わしくなかったせいでしょうか、木々達が
うんざりして身を染めるのを放棄してしまった感があります。それでも2日間にわたって走り回り歩いてみると、一の瀬園地といわれる一帯
が結構見られる色づき具合で、それが標高で言うと千3〜4百b辺りです。園地などと命名されているので、何か人工的に整備された一帯
を想像していたら、ここはなだらかな山の斜面を落葉広葉樹林が覆い、平地には湿地帯や流れあり、灌木が点在して、ほどよい高低差と
かなりの広がりを持った一帯なのです。その中には遊歩道がほどよく整備されていて、時間をかけてこれを一周すると多様な自然と接する
ことができ、気分爽快となること請け合い(私は一周していないので推察です)。乗鞍高原にはいくつかの滝や池もこの園地の中にあり、
“一の瀬園地”の持っている穏やかで豊かで広やかな自然の箱庭の存在こそ、乗鞍高原の一番魅力的でユニークな資質ではないかと今
回行って思いました。バスで入れる最高地点と言われる2700bの畳平も、そこに広がっている一種殺伐とした光景は絵にも写真にもし
難く、山登りでもしない限りは次のバスの時間まで少しもてあましてしまうほどでした。
  写真はいずれも一の瀬園地、右写真後方に乗鞍連峰が。

  以下はフィールドノートとはかけ離れますが、泊まった国民休暇村では驚かされたことがあります。夕食は広い食堂でのバイキングなの
ですが、悠に200人は収容できそうなこの食堂、見渡せばそこにいるのは私らとほぼ同じ年格好の熟年世代ばかりなのです。それも夫婦
者が圧倒的に多いのです。これはどういうことなのでしょうか? と、その中にすっかり溶け込んでいる私ども夫婦が不思議がっているのは
可笑しいことなのですが、いわゆる親子ファミリーの図も若い男女の図もみられないこの光景は、一種異様な雰囲気を放っていると言うべ
きでしょう。三連休最終日の夜だから働き盛りは既に帰ったあとと言うこと? してみるとこの日以降の1週間満杯なのは、こうした熟年世
代の仕業なのでしょうか? してみると、今や日本の観光業は、こうした世代の貢献抜きには語れないところにきていることになります。明
くる日の畳平へのシャトルバスの中でも事態は同じでした。むろん若い人の姿も見かけましたが、これは極めて少数派。みんながカメラを
手に、地図を手に、旺盛な好奇心と行動意欲で振る舞っている様子は、何やら微笑ましく、ちょっと異様でもあり、また元気づけられたりも
する光景でした。再びスミマセン、自分のことは棚に上げての言い分でした。肝心の絵の取材では大した収穫はなかったものの、そんな、
こんな・・・の乗鞍高原でした。


○ 2011年 個展のこと諸々(9月24日記)

 今年の個展は、暑〜い暑〜い1週間の中で明け暮れました。9月の中頃なら暑さは幾分和らいでいるだろうという甘い観測は見事打ち
砕かれ、暑くて蒸して不快指数の高かったであろう毎日でした。そんな中を画廊までお運びいただいた大勢の方々に対し、心より御礼申し
上げます。画廊の方からもこんなに来ていただいて私たちも嬉しいと喜ばれました。:これまで何度も来ていただいている方々はもちろんの
こと、ネットを見て来られた方々、人に薦められてきた方々、朝日新聞(東京マリオン)を見てこられた方々など、初めてご覧いただく方々も
思いの外多くおられ、回を重ねるに連れて多様で多層なお客様からご支援いただいている実感を持てたことは、大変ありがたく感謝の気
持ちを新たにしました。
 さて、今回は昨年よりは手狭な画廊でしたが、額サイズで言うとスケッチ4Fから大全紙まで織り交ぜて30点を展示しました。特に画廊の
サイズに見合うと思われた三三の額サイズを意図的に多く出展もしました。特徴的だったのはやはりサクラをテーマとした絵が7点あった
ことでしょうか。春先に私の絵心を甦らせてくれたモチーフだけに、何処か皆様の気持ちに届いたところがあったのか、ご好評をいただき
ました。お買い求めいただいた作品もこのサクラを描いたものが多い結果となりました。
 今回もまた、水彩を習ったりしている方々から多くのご質問を受けました。一番多かったのは、サクラを描く技術に関してで、私は何度と
なく、周囲の色で塗り残してその姿を描くという白抜きの技術を説明することになりました。この白抜きは透明水彩の表現の一つなのです
が、桜や水の流れをモチーフにすると自ずとこの技術を多く使うようになりますし、私はマスキングを極力使わないようにしていますので、
余計念入りな描き方となる傾向があります。そこに多くの方が目を凝らすわけですが、むろん、そうした技は本来絵そのものの説得力の陰
に隠れているものでなくてはならず、その技術的な側面だけが目立ってはならないのは言うまでもありません。その点は改めて自分にも言
い聞かせておかねばならないと思うのでした。
 もう一点、ちょっと書き留めておきたいのは、絵のサイズに関することです。通常、公募展応募には30号、50号以上といった規約がある
ようで、これは油彩などに引っ張られる形で水彩画にしてもこのサイズ以上でなくてはならず、それに引きずられる形で各種絵画団体の絵
描きさん達は、競って大きなサイズの絵を描く傾向が強いようです。例えば50号、60号、或いはそれ以上というサイズをものにすることが
ステップアップに欠かせないといった風潮があって、私は常々疑問に思っている者の一人です。そういう水彩画はいわゆる透明水彩には
不向きで、多くはアクリルとかガッシュといった不透明水彩を使ったものが多いようですが、このサイズを競う傾向とは一体何なのか、それ
でなくてはコンテストの会場では目立たないから、という以外にどんな理由があるのか? 私はまだ納得のいく説明を聞いたことがありませ
ん。別に小さなサイズでなくてはならないと主張するつもりはありませんが、大きいことが良いこと・・・が水彩画、特に透明水彩の絵ほど似
つかわしくないものもないでしょう。何故こんなことを書くかといえば、偶々複数の方から、先生は大きなサイズの絵は描かないのですか?
 と質問を受けたからです。私はごくシンプルに、水彩画は家で飾ってもらって心地よいサイズが一番いいサイズだと思っている、と答えて
います。それぞれの家の事情がありますから心地よいサイズも様々でしょう。いずれにしても、コンテスト目当ての大きなサイズという動機
がいい水彩画を生み出す土壌となるとは思えません。サイズの大小は水彩画の本質とはかけ離れたものであると、改めて指摘しておきた
いと思います。
 
 毎回訊かれることの一つに教室のことがあって、今回も何人かの方々から東京で教室を開く予定はないのですか?というご質問を受け
ました。会場の手配とかまとまった人数を集めるとか、どうもそういうことを考えると、やはりどなたかマネジャー的なことをやってくれる方が
いないと、私一人ではおぼつきそうもありません。かと言って、私はカルチャーセンターからお声がかかるほどの著名画家でもなく、必然そ
うした機会とは遠ざかってしまいがちです。私は当地(八ヶ岳山麓)では水彩教室を開催していますが、目下のところ定員が一杯です。そし
て小さな声で言わせてもらうと、参加希望者が常時控えているという状況であります。東京近辺に在住の方々には、なかなか教室へのご
案内をしにくいのですが、例えば何人かのグループで来麓される折に現地でのご案内とか必要なら指導とか、ご相談には応じております。
この点、昨年までは私が主導してこちらで水彩キャンプ的なことを企画する積もりもあったのですが、いろいろあって現在はその予定は立
っていません。と言うよりも、率直に言いまして、私には企画から全てを運営するエネルギーをなくしている状況ですので、どうか悪しからず
ご理解願います。ただ、上記のようにお声をかけて頂ければ、ケース・バイ・ケースで対応が可能ですので、その際はメールなり、お電話に
て事前にご連絡下さるようお願いします。

 個展は自分の作品を見て頂くという一方通行的な機会ではありますが、会場での触れ合いはまた、自分自身を見直す場でもあります。
それは会場で絵をご覧になっている皆様を私が見て、或いはお話しして感じることで、描くという私の行為が皆様の目や心を通して私に跳
ね返ってくる個展ならではのやりとりにあると思います。それがまた、年々疲れの度合いが大きくなってくるとか、もうこの辺で一区切りした
いといった私の気持ちを抑え込んで再び個展開催へと向かってしまうエネルギーのようなものでしょうか。本来、お出でいただいた皆様一
人一人にお礼状を出すべきところですが、それを割愛してしまう無礼を平にお許し願いたいと思います。


○ 消え去るモノ・・について(8月31日記)

 個展までもう2週間を切りました。昨日までに全出展作の額装を終えて、前にも書きましたが、今回は珍しく順調、余裕さえあるのです。
唯一問題だったのは、水彩画の装丁に欠かせないマット紙の手当でした。これまで入手できていた気に入った色のマットボードが手に入り
難くなったばかりか、今後廃盤となってしまうという困った事態なのです。問題のマットは、ミューズ社の2o厚マットボードでマーメイド系の
色のこと。そのうちの何色かが繊細で柔らか、そしてシックな色味で私の大のお気に入りです。何処の画材屋でも扱っているという代物で
はないので、個展の都度決まった画材屋さんでまとまった点数を注文し切ってもらっていました。似たような色は他のメーカー、就中日本の
メーカーのカタログからは見つかりません。それで今回は、このマットを扱っていてかつ在庫があるか、手当可能でありそうな他の店を苦労
して探し出し、漸く一部の色について手当可能とはなったのですが、他の何色かについては入手できず仕舞いです。 結局は他の絵で使
っていたマットを外して個展ように回すとか、他の色に代替して注文するとかして、何とかカバーしたのですが、今後のことを考えると思い
やられます。別に、そのマットを欠いては個展ができないという訳ではありません。ただ私は、そのマット紙の繊細でお洒落な色合いが好き
なばかりか、額装すれば作品を引き立てて自らはちゃんと引っ込むという・・・そんなマット紙の鏡のような存在を誰よりも評価していたの
で、残念で仕方ありません。と同時に、そんな優れた製品にさほどの頓着も見せない(ように見える)作家とか流通業界に、疑問を抱かざる
を得ない節もあるのです。もちろん私同様残念がっている御仁も少なからずいると思うのですが、大方の目は曇っていたとしか言いようが
ありません。

 このマット騒ぎで思い出すのが、やはり私にとっては残念極まりないくつかの消え去ったモノです。同じ絵のジャンルでいえばセヌリエとい
う水彩紙がありました。偶然にも先のマットと同じで生産国はフランスです。絵の具の浸透性とか発色、ぼけ具合など私が一番気に入って
いた紙だったのですが、いつの間にか店頭から姿が消え、ネット上でも手当てできなくなり、のちにメーカーの方で生産中止となったことを
知りました。何故?と愛好家なら誰しも思うのですが、生産者からすれば、経済合理性は至上命令、つまりは需要が少なければ採算が合
わないという一事は無視できないものでしょう。使う側の声に一々耳を貸してもいられない事情は分かりますが、それなら値段を上げると
か、"いいモノ"への拘りの姿勢を訴求するやり方とか、対応の仕様があったのではと思うのです。どうもしかし、そうした細かな対応をとる
余裕がないほど世知辛くなっている昨今の市場環境というものが背景にあるようです。間違いなくいいモノではあっても経済合理性の前に
は消え去る運命にある、そしてどうも私には、そういう結果的に消え去るモノを愛してしまう巡り合わせが多いような気がします。

 そんなケースはかつて都会の何軒かの飲み屋についてもありました。ちょっと隠れ家的なリラックスできる店、むろん酒と肴が美味しい
店、値段手頃・・・。だから何度となく利用していた店が、ある日姿を消していたり、店を畳んでしまうという風の噂を耳にしたり、そういうケー
スが一つや二つではありませんでした。これもやはり経済合理性のなせる技で、そういう消え去った店のあとに入ったり、リニューアルして
店開きするのは決まってチェ−ン店なのです。世知辛い世の中は、酒飲みの世界をもずっと侵してきたわけです。道路地図でも似たような
ことがありました。東京地図出版の出していたワイドミリオンというシリーズの中の"日本中央圏道路地図"。この地図は何年かおきに最新
版に買い換えていたのですが、絶版となってしまいました。この道路地図のユニークなところは、北は南東北から西は関西周辺までという
広範囲を1/10万というメッシュでカバーしていた点です。見やすいし情報量も結構多く、他者の追随を許さない優れものでした。私のように
カーナビを持たない者にとって、道路地図は大事であるばかりでなく、元々地図を観るのが好きな私には、この中央圏道路地図は大変な
お気に入りで、良くそのページをめくっては想像力を巡らせていた代物でした。それが絶版の憂き目となったので、このときばかりは出版
社に問い合わせをすると、ネットやカーナビに押されて地図本は劣勢となり、採算に合わないものから切り捨てにしてゆかざるを得ない状
況を説明してくれました。またもや、私の好みが採算に合わずに切り捨てられるという現実です。因みに、この道路地図本の業界は今やS
社の独断場の様相を呈し、私の贔屓にしていたミリオンシリーズは本棚の片隅に追いやられています。S社の地図は見た目にスッキリして
いて、私も他に選択肢がないので何冊かを所有しているのですが、明らかに情報量が不足しています。競合他社の撤退による寡占化状
態にあぐらをかかれては、消費者にとってろくなことはありません。

 ここに書いた消え去るモノは、どれも私の嗜好、私のニーズに照らしての話です。それらはしかし、時代とともに消え去る価値観として括
られるような気もします。優れた製品誕生の裏には優れたセンスの人間がいる、そこにクオリティーの源泉が宿る、それがいいモノとして評
価される、企業も潤う・・・こうした好循環とは最早時代の歯車とは噛み合わなくなってきているのでしょうか。それもこれも、世の中変わった
とか、近頃の若いもんは分からんとか、そうした熟年世代の世相観に相通じるものだとすると、これはかのマッカーサーの言葉を思い出さ
せます。“老兵は死なず、ただ消え去るのみ”、ウ〜ム、消え去るのは私の方だったか? とさえ思われてくるのでした。


○ 残暑猛々しく(8月12日記)

 暑い、暑い、の毎日、その暑い話を書きます。立秋を過ぎてますます暑さは盛ん、都会や内陸にお住まいの皆様には、堪ったものではな
かろうとお察しします。しかし、節電にしても然りで、多少のことは辛抱せねばと思う気概の底には、厳しい被災地の現実に思いを馳せる今
や国民的意識と言っていいものがあるからでしょうか。さて暑い話など、私のように八ヶ岳高原に住んでいる身で何をほざくか、ということに
なるのですが、高原とてやっぱり暑いのです。来る日も来る日も山沿いには積乱雲が次々と誕生し、迫り上がってゆきます。最高気温こそ
31〜32度というレベルですが、紫外線をたっぷり含んだ日射しは強烈、風がないと日陰に入っても涼味を感じません。ただ、夕方から夜
になれば、ずっと凌ぎやすくなって熱帯夜とも無縁ですから、そのあたりが高原の良さではあります。
  そんな暑さが続いた一昨日は風もなく、家にいるとあまりにも暑いので(この辺の家にはエアコンがないのです)、女房とどこかに涼みに
行こうという話となったのです。しかし、ここは本来都会から避暑地にやってくる高原なのですから、何処に行くと言ってもおかしな話ではあ
ります。例えば当家よりもずっと高い清里や野辺山まで上がればそれなりに気温は下がるでしょうが、日射しはもっと強烈になります。加え
てその辺りは木陰も少なく、観光スポットにはこの季節人で一杯です。涼しげな水辺となると当家よりもっと低い所を流れる釜無川の辺りで
すが、ここよりも3〜4度は気温が上がります。そこで足が向いたのは、ホームセンターとかスーパーという大型店舗。冷房の設定は上げ
てあるものの、エアコンのある室内空間でサンダルのまま行ける所といえば、この他には思い浮かばないのです。おまけに行き帰りはエア
コンの効いたクルマですから、これが一番手っ取り早く涼める方法ではあります。その代わり、買わなくてもいいものを買ってしまったりしま
す。何とも味気ない話ですが、これも避暑地の現実ですから仕方ありません。こうした大型店舗もこの季節は別荘族とか観光客が大勢来
店しているので普段よりも賑わっています。そして明日からはお盆、八ヶ岳山麓でも1年中で一番人口密度が高まる季節です。そんなこと
で、私たち山麓民も暫くは息を潜めるように毎日を送らねばなりません。畑に行くのも少しでも日射しが弱まる時を見計らって、十分な飲物
と首を冷やす首巻き(これをなんて言うのか?)を欠かすことができません。暑さで元気なのは雑草だけですから、草刈りが一番の労働と
なってきます。ちょっと油断して半袖のまま畑仕事をしようものなら、むき出しの二の腕は直ぐに水ぶくれ状態となること請け合いです(経験
者だから言えることです)。

 この尋常でない暑さ、私たちが山麓に移住して6年この方、前半の3年と後半の3年とでは明らかに状況が変わってきています。温暖化
の例証とも言うべき生活実感として;
・ クルマでそうそうはエアコンの世話になっていなかったのに、ここ2、3年はこれをかなり使い出し今年はもう大活躍。
・ 多少暑くても前半は結構頑張ってスケッチに出ていたのに、ここのところはその気も起きない(尤もこれは年のせいもあり)
・ 夕方からのクールダウンが高原の良いところ、それがなかなかクールダウンとまではいかない。
・ 就寝時に、私らが越してきて2,3年は、大体窓は閉め切り、パジャマは長袖でちょうど良かったのに、昨年当たりからか、天窓を開けた
まま、パジャマも夏仕様のものでないと凌げなくなった。
その他、年間レベルで言うと、冬季は積雪がかなり少なくなっていて、このフィールドノートでも度々書いているように、積雪のあった朝にク
ルマを駆って勇んで外に出る機会も、ここ3年ほどはめっきりと減っています。 美味しいお米の産地にしても、この辺りだと武川米が代表
格でしたが、最近は評価の高いお米がその武川のできる標高500b前後から、釜無川を越えて北上し、800b以上の所でも作られるよ
うになっていることも、温暖化の一つの例証でしょうか。

 それはそうとして、ここ数年、日本列島で最高気温を記録するのは関東内陸部の熊谷とか館林、岐阜の多治見などが常連となっていま
す。全国の気象情報を見ても、南の那覇や鹿児島よりも大阪とか名古屋の方が例外なくと言っていいほど高い気温です。東京だって負け
てはいない。どうもすっきりしないのです。だって暑いのが相場だったのは、概して沖縄や九州だったのではないでしょうか。今の気温状況
だと、夏場に関東、関西から南九州や沖縄に行くのは、少なからず涼しい方へと移動するということになります。都市部にはヒートアイラン
ド現象による温室効果があるのは分かりますが、それだけでもなさそうです。温暖化と緯度による寒暖の関係変化、内陸部 vs 海岸部の
気温の関係変化が、この日本列島でどんな具合におこってきているのかいないのか、ちゃんと知りたくなってくるのは私だけでしょうか。


○ 8月突入〜来月は個展なのですが、さて・・・ (8月2日記)

  何度言っても何度聞いても実感を伴う言葉・・・ それは“月日の経つのは何と早いことか”ではないでしょうか。今年ももう8月を迎え、私
たちがこの八ヶ岳山麓にやってきてから、ちょうどまる6年が過ぎ去りました。そしてあの大震災からもう4ヶ月半、被災者ならずとも簡単に
は癒えない傷跡を心の中に残し、あの原発事故の経過とも相俟って、今年はいつもとは違う時が刻まれているかのようです。それが私と
いう一個人にとってどのような意味合いがあるのか、よくは掴めないまま、それでも光陰矢のごとく月日が過ぎてゆきます。私の場合、来月
になると12日からの個展が控えているのですが、その割には漲るものがいつもほどなく、それが今年という年のせいなのか、或いはそも
そもの年齢のせいなのか、どうにもよく分かりません。

  しかし、誤解なきように言っておきたいのは、制作が手抜きになったりしたことは一切ないということです。それどころか、今日現在で必
要な点数は既に描き上げていて、その多くはむしろいつも以上に心情を注ぎ込んだ作品となっています。準備状況としては、前倒しで進ん
でいるのは珍しいことです。当HPのトップにも書きましたが、そもそも今回の個展(それは会場確保の関係で2年以上前から決めていたの
ですが)では、一度「おわら風の盆」だけの個展にしたいと考えていました。少なくとも、おわら主体で行きたいと、実際年が明ける頃からい
ろいろな作画の構想を練り始めてはいました。おわらの場合は、風景画と違ってその辺に題材が転がっているというわけではありません。
撮り貯めた写真とか、DVDなどから起こしたカット写真などを参考にして作画をします。踊りの所作や衣装の図柄などは正確を期すことを
信条としていますので、それなりの資料も必要、おわらの絵は手間も時間もかかるのです。そうこうしているうちに、3.11が勃発しました。
そしてほぼ時を同じくして、私は異常な頭痛に悩まされ始めていました。医者から高血圧が原因と診断され、脳外科に場所を移してMRIと
CTスキャンを受け、そこで左側脳室内出血という事態が判明したのでした。1週間を経て幸い出血も止まり、出血痕も退いているという良
好な経緯であったことから、もう大丈夫でしょう、しかし危ないところでしたと医者から告げられたのでした。大袈裟に言えば、この世に再び
復帰できたという気分でした。それが折しもサクラが咲き始めたときに重なったことから、私は自らの気持ちのおもむくまま、サクラの春を
描き出しました。自然はあんなに無惨な震災をもたらしながらも春を運んできてもくれる・・・春は再生へのシンボルのように感じられまし
た。その反面、気がつくと「おわら」を描こうという気持ちが遠のいていたのです。そこで改めて分かったこと、それは、私が愛するおわらの
哀調とか詩情というものは、平常心という心の下敷きがあってこその感興だということ、ましてその絵を描くとなると、それなりに心の余裕が
必要だということでした。私は素直に趣旨変えをし、個展は春を中心とする四季の風景が主、おわらは副として臨むことに決めました。

  現在、必要な点数は揃ったと書きましたが、その中にはおわらの絵も7点含まれています。いつもより数が多いばかりか、これまで取り
上げなかったモチーフも描いています。月日とともに心の余裕が出てきたのと、年明けから始めた準備も役に立つ結果となりました。・・・と
まあ、作品についてはそれなりに気合いが入っている、と言いたかったわけです。どこか漲るものが感じられないというのは、別の面、別の
理由からで、それを今突き止めようと書き進めると私の絵描き人生にも係わって袋小路に入り込んでしまいそうですから止めにしておきま
す。淡々と前に進む、前に進める、いまはそのことに尽きるでしょうか。昨日個展案内のハガキを大量郵便局に持ち込みました。滞在中の
ホテルも予約完了。お盆前に額とマット合わせ、それに注文を済まさねばなりません。細々としてこともあるのですが、いろいろと段取りが
ついてくると、ちょっと描き足したいという気が起こってくるのが常です。それでまた制作に戻ったり、この分だと今年は諦めていたおわらに
も行けるかも知れない、結構余裕ありかも・・・ とまあ、こうしたゆとりの連鎖がもしかしたら漲るものを消去しているのかも知れません。
  今回もまた、多くの方々にお運びいただければ、絵描きとして大変嬉しく思います。


禁煙〜その後(7月6日記)

  絵とはまるで関係のない禁煙の話、思いもかけずに好評でしたので、図に乗って続きを書きました。
  別掲としますので→こちらでどうぞ


○ 水を求めて〜山麓川事情(6月26日記)

  初夏というのはいつ頃までのことなのか、梅雨時の6月はまだ初夏という感覚はあるのですが、早くも猛暑で記録的な最高気温が出る
日々が続くと、最早真夏としか言えません。季節の移り変わりはここ十年ほどで大分変わってきたようで、極論すると春と秋が僅かばかり
しか続かないという感覚でしょうか。自然を愛で描いたり撮ったり詠んだりする人にとってはもちろん、四季を愛する日本人にとって、歓迎さ
れざる現象と言えるでしょう。そのことは別として、真面目に降っている今年の梅雨時、その晴れ間となるとこの希少な機会をものにしよう
と外出が増えます。もちろん絵を描くためで、自ずと涼しそうな水辺を求めることが多くなります。と言っても八ヶ岳山麓には実はそれほど
涼味たっぷりの場所があるわけではありません。何しろ火山台地ですから、雨水は地下にしみ込んで地表を流れ下ったり貯まって湖を形
成するようなことなどそうそうはないのです。その点・・・と懐かしく思い出すのは東北の河川です。最上川、寒河江川、只見川、阿賀野川
ETC・・・蕩々と流れ下る様は、これこそ川だと思わせるものでした。どの川でも岸部に立ってスケッチをしましたが、川の流れが上空の空
気も冷やして一緒に運んで流れるといった感じでした。

  とまあ、当地で無い物ねだりをしても始まりません。我が北杜市だって自慢できる山ならあるのです。そうなのです、川の絵を描くとなる
と、この自慢の山々との合わせ技ということになります。別に合わせなくてもいい訳ですが、川単独の風情とか表情となると、管理河川が多
くて味気ないとか、そもそも川辺まで接近ができないといった難点もあってままなりません。例えば甲州街道に沿って流れる釜無川は、この
辺では一番水量が豊富なのですが、田圃や畑に隣接して流れていることから、昨今は電柵が張り巡らされていて、川岸に降り立つことが
できません。川向こうの森から河原づたいに入ってくる動物をシャットアウトするためです。私がかつて描いたことのある2カ所のポイント
も、今は立ち入り禁止です。一方南アルプスから流れ下る川はどれも急峻な山地を流れ下るので暴れ川ばかりですから、昨今は過剰なほ
どの堰堤が設けられ、護岸もコンクリートで固められています。清流で有名な尾白川にしても、気軽に徒歩で近寄れる所となると、もう堰堤
だらけで趣のある川とは言えなくなっています。昭和34年の台風時をはじめ過去何度も大洪水を引き起こした名だたる暴れ川、大武川も
近年大規模な河川工事が漸く一段落し、いまは可能な限り直線的に固められた護岸に守られています。野趣は望むべくもありませんが、
徒歩なら川縁まで接近できますので、広い河床を蛇行しながら流れ下っている動的な水流を捉えることができます。残る大きめの河川とし
ては、瑞牆山辺りを水源として韮崎を縫って流れる塩川があります。この川もごく一部(韮崎の道の駅)を除いては流れに接近できません。
遊歩道が整備されていますが、意外と川が視界に入ってこないようです。そんなこんなで山麓(ここでは南麓と言った方がいいでしょうか)
の川の絵となると、背後に山が入った風景となってしまうわけです。

  言い訳めいた話はこの辺にして、ともかくもここ数日は晴れ間があると川辺をうろついて探索を続けてみました。その結果は3点の絵
(スケッチ)として山麓絵画館に掲載した通りです。狙っていた山々との合わせ技は、新たにいくつかの場所が発見でき、今後また描いてみ
たい風景の引き出しを増やしてくれました。塩川と八ヶ岳については、この川が韮崎にかかり、流れが南東に向かってからのち、八ヶ岳が
後方に入ってくる何処かいい場所があるはずだと、折を見ては探索してきたのですが、帯に短し襷に長しで、これがなかなか見つかりませ
んでした。それで今回、当たりを付けておいた付近の橋で漸くそんな風景にヒットすることができました。これが住宅街や田圃の中の入りく
んだ細い道を通り抜けて漸く橋のたもとに出られる所で言葉ではとても説明できそうもありません。それにクルマ一台しか通過できない狭
い幅で、近隣の人しか使いそうもないマイナーな橋です。地図では岩根橋とあります。その代わり飛沫を上げて流れる早瀬が眼下にあり、
上流眼前には八ヶ岳が広がっています。これだったのです!探していたのは。ということで欄干をイーゼル代わりにして、立ったままのデッ
サンをしてきた次第です。もう一カ所、釜無川が韮崎に入って間もない辺りに橋が架かっており(地図で見ると入戸野橋とあります)、この
上から上流方面を見た景色も、遠く八ヶ岳を望んで気持ちのいい広がりを見せていました。初めて訪れた場所でいい発見があると嬉しい
ものです。釣り人が魚影を求めて渡り歩いた末に魚にヒットしたのと似た喜びでしょうか。私は釣りをやらないので想像に過ぎませんが、そ
う言えば探索を続けた3日間、釣り人に会わなかったのはどうしてだったのか。相次ぐ河川工事で魚がいなくなったものか、或いは渓流釣
りはもっと上流とか源流に近い所となるので、私のような絵描きがうろつく辺りとはそもそも行動流域が違うのか、今度誰かに確認してみた
いと思ってます。ここに書いた山麓川事情も従って、南麓のそれも普通にアクセスできる領域のことですので、その点ご承知置き下さい。

ps 釣り人云々について、あとで分かったことがあります。 釜無川の鮎解禁日は今年は7月3日でした。私がうろうろしていたのは解禁日
前のことだったので、釣り人を見かけなかったわけです。のちに教室の生徒さんを連れて釜無川と大武川の出合いに行ったときは、長い
竿を垂らした鮎釣りの人たちが大勢来ていました。


○ 煙草との惜別・・・タバコ飲みだった人には分かる話?(5月29日記)

  絵とはまるで関係のない話ですが、梅雨入りの退屈凌ぎに一文を供します。
  このフィールドノートとも何の関係もない話ですので、別掲とします。→こちらでどうぞ


○ 水と緑の季節(5月23日記)

 5月の山麓は、いっとき本当に表題のように水と緑が滴るような日々となります。田圃は水を湛えて広がり、新緑は日一日と潤いを増して
大地を染めてゆきます。八ヶ岳山麓は広く緩い裾野をひいていますので、田圃は棚田というほどのものではありませんが、何処に位置して
いても緩い段々状態で迫り上がっているのです。その一段一段が水を張った大きな舞台のようでもあり、人々はそんな舞台のあちこちで
立ち働いています。田植え時の週末ともなると、一家総出で田に出るといった面持ちで、いくつもの舞台が常にない人数で賑わっていま
す。ちょっと日を置いて行ってみると、どんどんと田植えがはかどっていくそんな光景は何と平和であることか。被災地のニュースに接して
いると、なおさらそんな感想を覚えます。こうして巡り来る季節に応じて働くことができる幸せをつくづく感じざるを得ません。・・・と、私は農
家の皆さんのように立ち働いているわけではなし、絵を描いたり写真を撮ったりしている傍観者に過ぎないのですが。せめてスケッチでもし
ておこうと(何が"せめて"か意味不明ですが)、天気がいいと出かけています。この水田の風景を描ける期間はごくごく短く、あっという間に
周囲の緑は憎々しいまでに生い茂り、水田は稲の浅緑に染まってゆきます。そして世間では衣替えの季節へと足早に過ぎてゆくのです。
しかし、水がある風景というのはいいものですね。見た目にもまた体感上も清々しいばかりか、私たちはこの水によって生かされていると
いう実感が改めて沸き上がってくるからでしょうか。そんな水の季節です。

  余談めいてきますが、八ヶ岳山麓とこの水との関係で言うと、興味深い事実があります。それは八ヶ岳南麓にある市町村は、概して八ヶ
岳の斜面を上から下にかけて南北に細長い行政区画となっていることです。北杜市内で言えば小淵沢と長坂、それに大泉の三つの町の
区分もそうで、それぞれが、上(北)は八ヶ岳山嶺から下(南)の裾野に向けて扇状に広がっているのです。町内の区割りにしても小淵沢や
大泉では北から南に細長く区分けされています。例えば私の居る小淵沢町の上笹尾という区割りは、北の高い場所から南の低い場所に
末広がりの繋がっていて、高低差で言うと1700bくらいあるでしょうか。こうした区割りは水利との関係で成立したものと思われます。八ヶ
岳山麓は火山台地ですから雨水は地下に潜り伏流水となってあちこちから湧きだし、その流れに沿って集落が形成されてきたことが、村
割りの基礎となり今日の行政区画に繋がっているわけです。今や旧跡となっている三分一湧水(湧き水を三方向に等しく流す水路がある
所)も、人々が湧水の恵みを受けて田を耕し、生活の糧を得て集落を築いてきた歴史を物語る場所です。それにしても、八ヶ岳山麓では至
る所伏流水が湧き出ていて、1年中水が絶えることがありません。私も仲間と小さな畑をやっていますが、畑地の傍の側溝引かれたこの
湧水の恩恵を授かっています。

  水と緑の織りなす山麓の写真をいくつか載せます。どれも水の張られた田圃ですが、この季節に湖が現出したと見まごうばかりの風景で
す。


○ 肩すかしだったサクラ取材(5月5日記)

  私の住む辺りはもう葉ザクラとなったので、もっと標高の高い清里から野辺山〜川上村周辺へとサクラを求めて出かけてみました。期
待に反してこの辺りではこれはというサクとの出会いはなく、南麓では散ってしまったコブシが今を盛りと咲き誇っていたのは、さすが北海
道並みの気候風土を持つ高原地帯ならではのことです。しかし、高原野菜の畑から少し下った川上村の人里でも事態は似たり寄ったり
で、サクラもあるにはあるのですが、目立って群生していたり、人目を惹いたりするサクラとの出会いがなかったのは、ちょっと意外でした。
日本国中、大体何処に行っても春になればサクラが短い命の華やぎを解き放つような光景を目にするもので、それは私のいる八ヶ岳南麓
でも同じです。しかしこの日に走った清里(141号より東側)や野辺山〜川上村では、ついぞそのような光景を目にしなかったのはどうして
なのか・・・。以下は私の想像に過ぎないのですが、サクラというのはヤマザクラを除いては人の手で植えられたものばかりで、例えば山の
中で自生しているコブシなどとは氏素性が異なるものです。人がサクラの木を植える・・・その心にこそサクラの情景が宿っているのだと思
います。その心とは、サクラを愛でる気持ちはもちろんのこと、それが田圃の際なら豊穣への祈りとか、学校の校庭なら成長への願い、寺
社なら魂への尊厳といった日本人の心情に寄り添ったものであると言えるでしょう。その心情はまた稲作文化の長い歴史とも係わっていそ
うで、そうしてみると、私がこの日走り回った一帯は、少しく状況が異なるようです。冬は北海道並みとなる寒冷な気候は、元々稲作には不
向きな風土であったことでしょう(少なくともかつての稲作技術では)。加えて、現在高原野菜の産地として潤っている一帯は、主として昭和
に入ってからの厳しい開拓によって切り開かれた地域です。稲作文化の長い歴史とは異なる風土という辺にサクラとは比較的に縁の薄い
所以があるのでしょうか。サクラの存在具合によって、春の趣は随分と違ってくるものだという体験をした次第です。
  稲作文化ついでに、この日訪れた最初の浅川集落は、清里ではなくその南隣の高根町の北端にある村で、おそらく稲作の北限的な場
所だと思われます。ここでも期待したようなサクラとの出会いはなかったのですが、ちょうど田に水を曳いている最中で、図らずも水田に映
る八ヶ岳の風景に出会えたので座り込んでスケッチをしてきました→山麓絵画館

○ GWはAKT?

  さて、そのサクラ巡りの日に帰路清里駅周辺を走って人出の多さに驚きました。私がスケッチしたり撮影したりする場所は、人影もまば
らという静かな所が大半で、いまGWの最中にいることなどともすると忘れてしまうくらいです。なので、この人出は余計ギャップが大きかっ
たのです。例えば八ヶ岳の展望が広がる平沢峠の駐車場では、溢れたクルマがかなり遠い路上までを覆い尽くしていました。野辺山の割
と地味な蕎麦屋で昼をと思って行くと、そこも駐車場が満杯。清里駅周辺はかつての賑わいが戻ったかのような都会的な活気に溢れ、清
泉寮も前の道が渋滞、エトセトラ。如何にGWとは言え、この山麓でこんな人出を見たのは珍しいことです。確か昨年は例の高速道路休日
千円効果でどっと人が繰り出したのですが、それでも八ヶ岳近辺は素通りされたらしく、清里の住人からは閑古鳥状態だったと聞いていま
す。それが今年はこの人出! 震災ショックから抜け出して徐々に日常が戻ってきたとはいえ、人々の心理はやっぱり控えめ、まさに安近
短一色といった感じではあります。因みにタイトルのAKTは安近短の略(AKBの間違いではありません)。余談ですが最近CMでもTNP=
低燃費というのがありますね。この種頭文字を三つ取り出す簡略表記は、英語圏では元々頻繁にあるものです。BBQ=バーベキューなど
はその代表例でしょうか。日本語でこれをやると結構クイズめいて面白いものです・・・いやいやそんなことを言うと、国語保護派に叱られ
そうですが。


○ 今年のサクラ〜前回の続きです(4月22日記)

  八ヶ岳山麓では、私の住む標高千bあたりで漸くサクラが開花しました。どうもここ数年で較べてみると1週間から十日ほど遅い開花の
ようです。尤も広い山麓の下の方は既に満開で、それが中央線の走る800b付近をを通過して上へ上へと満開前線が上がってきている
ところです。前にも書きましたように、私はこのサクラの春を心待ちにしていました。サクラの咲く風景は毎年それを目にしているのに、いつ
も何と新鮮で心が開放されることでしょうか。今年は特にその感が深く心に染みます。ですからサクラの絵をたくさん描こうと思い、現に描
いている最中で、徐々にこのHPにもアップして行く予定です。こんな気持ちでこの山麓を走り回ってみると、これまで気付かなかったサクラ
の風景との出会いが結構あるものです。こちらの気持ちに根負けして、その姿、佇まいを私の前に現してくれた、そんなサクラの織りなす
風景ばかりです。そしてそれらの大半が、特に名のあるサクラのスポットではありません。元来あまのじゃくな私は、いわゆる銘木とか名所
に足を運んだりすることが少なく、大勢が殺到するような有名なサクラとなると端から敬遠してしまうのが常です。韮崎には有名な「わに塚
のサクラ」というのがあって、それは大きくて見事な一本桜なのですが、あのカメラマンの三脚の放列には辟易とするものがあります。小淵
沢にある「神田の大糸桜」は、もうつっかえ棒だらけで生かされている姿が痛々しいばかりです。もちろん名所と言われる中には絵心を誘う
例外もあって、例えば北杜市ではかなり有名な蕪の桜並木とか、武川の実相寺とその周辺も魅力的なサクラがあって私も画にしていま
す。
 下の写真2点は、いずれも見事な端の樹形ですが、特に名のある木や場所というわけではありません。

   話がちょっと横道に逸れますが、サクラに限らず日本中何処に行っても、定評のある風景のスポットとなるとカメラマンが実に多いもの
で、こんなにカメラ愛好家がいたのかとその都度驚かされます。ただ、私がいつも不思議に思い解せないのは、何故大勢があんなに同じ
立ち位置に群がり同じ方向にカメラを向けているのか、ということです。カメラ愛好家の世界とは、どうも写す場所、時間、方角といった固
定観念が支配している世界なのか、“我が道を行く精神”を愛する私にはどうにも理解できません。例えば一人サクラの木に近づこうもの
なら、背後から罵声が飛んできます。かく言う私も昔からカメラは大好きでしたし、現在もカメラは手放せない一人ですが、あの数を頼みと
しているかのようなカメラマン達の習性には抵抗感を禁じ得ません。
  話を元に戻して、私が絵に描くサクラは私が探し、出会ったものでなければなりません。まあこれはサクラならずとも同じなのですが、こ
うして見つけたスポットの多くは何でもない集落の片隅だとか、畑地や疎林の傍らとか、或いはその名も知れ渡っていないお寺の境内とい
った場所が大半です。田舎だと、学校はその跡地も含めてほぼ例外なくサクラが咲き誇っています。そこにはサクラに寄り添った歴史とか
生活が刻まれているわけです。それは全国どこに行っても同じでしょうが、八ヶ岳山麓ならではの特徴的なサクラの風景と言えば、その多
くが背後に残雪をいただいた山を配しているということでしょうか。この山麓に絵心を誘うそんなポイントがたくさんあることを改めて知ること
ができたのは嬉しいことです。この春はそういうサクラとのいい出会いをたくさんしつつあります。むろん、花の命は短く、その上この八ヶ岳
山麓は広大なので、サクラが咲いている期間は高低差がある分だけ長いとは言え、結構忙しく走り回らねばなりません。View hunting には
貪欲な私ですから、ついあれもこれもとなって必然カメラの力を借りることも多くなります。加えてサクラの季節には雨が付き物、雨ならずと
も曇天ともなればあのサクラの輝きは半減してしまいます。そういう点でも儚いものですね〜、サクラというのは。そんなこんなで今年のサ
クラのあれこれ、サクラに触発された画のいくつかをこれから徐々にお披露目させていただきますので、お楽しみ下さい。  →2011年春の作



○ 今年も春の訪れが(4月14日記)

 大震災から一月、私たちは相変わらずTVに映る被災地の映像を見ては一喜一憂し、溜息と祈りをない交ぜにした状態ので春を迎えて
います。私の住む八ヶ岳山麓の千b付近ではまだサクラは開花していませんが、コブシの白が冬枯れ色の森を彩り始めました。今年はコ
ブシの当たり年のようで、明らかに昨年とは違う花の付きようです。あと一週間もすればサクラも開花を迎え、その頃になるとモモやスモモ
なども一斉に色づいて、春爛漫の様相を呈します。自然は時に計り知れないほどの牙をむきますが、いつも変わることなく美しい四季を運
んできてもくれます。今年はそんな春のスケッチのタイミングを待ちきれずに、私は春の画を描き始めました。全て私の引き出しにあった春
の画題を元にして描いているのですが、とにかく明るい画を描きたいという気分が強かったのです。大震災による暗い気分を払拭したいと
いう思いと、今ひとつには私自身が遭遇した思わぬ事態もあってのことです。それは、高血圧が災いした左側脳室内出血という思わぬ疾
患で、そもそも不摂生のしっぺ返しとも言うべき事態でした。こちらの方はその後脳外科の先生から経過状況も良くもう心配はないとの診
断を得ているのですが、そんなこんなで私としては生への執着が自ずと高まったものか、明るい画を描きたくなっていたようです。4月に入
って展示したサクラ2点と本日アップした早春の川の表情を描いた1点は、そんな背景があって描かれた作品です →2011年春の作品

  サクラと日本人というのは不思議な間柄ですね。ほんのいっとき春爛漫を周囲の誰よりも高らかに告げたかと思えばはかなく散ってし
まう・・・そんな淡泊さを愛する日本人のメンタリティーというのは、やはり私たちが共有するDNAのせいなのでしょうか。そのサクラを描くと
いうのも一種不思議な体験と言えそうです。通常風景画として描くサクラは、誰もがよく知っているサクラの花の一輪一輪ではなく、サクラ
の樹全体の形や枝振りなど、サクラの樹形であることが殆どです。そしてまさしく日本人の愛するサクラとは、多くの場合こうした姿とかそ
れが醸し出す風情にあると言えるでしょう。それがソメイヨシノでもエドヒガンでも、或いはヤマザクラであっても、形や色の違いを越えて共
通するこうした風情を私たちは愛しているのです。であるにも拘わらず、多くの日本人にとってそうしたサクラの樹形となると、皆さん花の形
ほどには確たるイメージを持ち合わせていないように思われます。例えば生徒さんにサクラを描かせると、こうした姿を捉えるのに結構苦
労しているようです。どうしてなのか、ちょっと考えるにサクラの姿というものはある種雲がたなびくようなフワッとした感じです。淡いピンク
の樹形は、多くの場合それ自体が存在を主張しているわけではなく、その背景の中に自らの姿を浮かび上がらせていると言った方が当た
っているでしょう。私たちは無意識的にせよ、その背景との調和の中でサクラの姿を捉えているわけです。この、サクラが周囲との調和に
よって生かされるという点も、日本人のメンタリティーに適っているのかも知れません。
  サクラ余話のようになってしまいましたが、このたおやかさ、この高貴、この爛漫さを、今年も描けるのは春の大きな楽しみです。


○ 春近し、されど・・・(3月21日記)

  今日は3月21日、春分の日であったと今朝気付かされました。巨大地震と巨大津波の悲劇によって、暦というものが何とも空しく、しかし
時は確実に経過ししていて決して止まったりはしません。我が家のデッキ下にはフキノトウが数えるともう10個以上芽を出しています。思
い返せば16年前、同じような感覚を抱いたのが当時の関西淡路大震災と、それに続いて起こった地下鉄サリン事件でした。相次ぐ大事
件のあった年が、やはり春を間近にした頃であったのは、何という皮肉な巡り合わせであることでしょうか。しかし、今回の東北関東大震災
はその規模と被害者数において、そのいずれをも凌駕する空前絶後の天変地異です。目下のところ原発事故がこの未曾有の災害を一層
深刻なものとしています。私たちはその動向を報道で知り、救済の様子に一喜一憂しつつ、そして計画停電やガソリン不足など多少の不
便を凌ぎつつも、春に向かった日常を送ることができるのです。被災地のことを考えれば不遜な言い方かも知れませんが、改めて幸運を
噛みしめざるを得ません。
 今回の大災害で海外からは前例のないほどの励ましと援助の意志が伝えられる一方で、希代の災害に見舞われながらも冷静さと団結
心を保つ日本人に対する賞賛が寄せられています。特に知人が送ってくれた韓国の人民日報社説は印象的でした。


以下、その要旨を抜粋します。
「・・・・・ 日本列島が連日、地震、津波、原発危機に呻吟しているのだ。もっと驚くのは不思議なほど冷静な日本人だ。 死の恐怖の中でも
動揺しない。 避難要員に従って次々と被害現場を抜け出し、小学生も教師の引率で列を乱さず安全な場所に移動した。 地下鉄・バスの
運行が中断すると、会社員は会社から支給された緊急救護物品をかついだまま静かに家に帰った。 みんな走ることもなく3−4時間ほど
歩いた。 翌日はいつも通り会社に出勤した。 想像を超越した大災難と日本人の沈着な対応に全世界が衝撃を受けている。 私たちは大
規模な自然災害が過ぎた後に発生する数多くの無秩序と混乱を目撃してきた。 昨年22万人が犠牲になったハイチ地震がその代表例
だ。 「地震よりも無法天地の略奪と暴力がもっと怖い」という声が出てきたほどだ・・・・。
・・・・・ 日本人は沈着な対処で阪神・淡路大地震を乗り越えて自ら立ち上がった。 今回の大地震の傷もいつか治癒されるものと信じる。
むしろ私たちは日本を見て、韓国社会の自画像を頭に浮かべる。 災難現場でテレビカメラが向けられれば、表情を変えて激しく泣き叫ぶ
ことはなかったか。 天災地変のため飛行機が少し延着しただけで、一斉に大声で文句を言うことはなかったか。 すべての責任を無条件
に政府のせいにして大騒ぎしたことはなかったか。 隣国の痛みは考えず、韓国に生じる反射利益を計算したことはなかったか…。 私たち
は自らに厳しく問う必要がある。 また災難と危機の際、韓国社会の節制できない思考と対応方式を見直す契機にしなければならない。 私
たちは依然として日本から学ぶべきことが多く、先進国へと進む道のりも遠い。」
 
 さて、ここに書かれているように、私たちの行動は十分称賛に値するものでしょうか? むろん被災地の様子や賢明な救援活動を報道で
知る限りは然りと言えるでしょうが、その一方で"すわ"と買い占めに走るような事態はその限りではなさそうです。かく言う私も、震災のあっ
た翌々日、単一電池の在庫がなかったためにいくつかの店頭を探し回る羽目になり、その手当がならないまま停電のないお隣の長野県ま
で出向いて漸く発見、その店で残り僅かな電池パックを必要以上に買ってしまいました。反省。誰しも備えは十二分にしておきたいもので、
特にこうした大災害のあとではなおさらその心理が働くのは否めません。しかし・・と一呼吸をおく余裕が大事で、それこそが冷静な態度と
言えるでしょう。私たちは災害後日時を経過すれば現状の多くを報道で知り得るわけですし、一人一人の冷静な生活態度がいま如何に求
められているかも判断しうる立場にあります。人民日報や他の国々の賞賛に本当に値するかどうか、反省も込めて今問われているのは私
たち一人一人とも言えそうです。


○ 未曾有の大地震、大津波(3月13日記)

 概ね何事もなく、ただ日々や四季折々のちょっとした変化に身をやつし、世間の喧噪を眺めたり、ときに少しばかり身を以て感じたりと、
私たちの生活はそんな事々の積み重ねです。それがあるとき何の前触れもなく襲ってくる天災。一瞬にして何千、何万の人たちの運命を
変えてしまう未曾有の事態。そういうものが確かにあることを歴然と示してくれたのが今回の東北関東大震災です。途方もない被害の全貌
は未だ知れない現在、遠く八ヶ岳山麓に暮らしている私は言ってみれば傍観者に過ぎないのですが、日々TVに流れてくる情報に見入って
しまうのは、或いは同じようなことが何時か我が身にも起こるかも知れず、だから・・と言うべきか、傍観者と言うよりも何処かで我が身に置
き換えて推移を見守らざるを得ない気持ちになるのかも知れません。先にクライストチャーチの地震について書きましたが、その記憶も消
し飛んでしまうくらいの災害が、この小さな日本列島の中で起き、現に進行中です。それは世界が注目している事態であり、ましてや日本
人なら誰しもが目をそむけてはならない現実と言えるでしょう。個人的にはせめて義援金に協力するとか、停電など多少の我慢は惜しまな
いことくらいしかできません。あとは祈るしかありませんが、この際、政治も産業経済界も気持ちを一つにして難局に対応して欲しいもので
す。まさにこの空前絶後の災害をどう乗り越えていくか、そこに国民生活の当事者である私たちも関心を寄せ、協力できることは些少なり
とも実践してゆくことが、今問われているのだと思います。世界もまた、その点に注目しているのではないでしょうか。
  私のHP、私の体験を書こうと思ったのですが、震災当日は震度5弱の揺れと翌朝までの停電があった程度。その後我が家では給湯
設備に故障を来してお湯にありつけないといった事態となっていますが、被災地のことを思えばいたって平穏と言える日々です。また機会
を見て綴ってみたいと思います。


○ 徒然なるままに(2月25日記)

・ クライストチャーチの大地震
 それこそ何気なくTVを見ていて"クライストチャーチにM6.3の大地震"のテロップが流れ、驚きました。エッ、NZに地震があるの?はじ
めはそんな疑問に駆られ、そういえば友人夫妻がクライストチャーチに滞在しているけど大丈夫か?と思いを巡らせました。この街への親
近感は、私ども夫婦がもう30年も前にNZ旅行をした折に立ち寄って一泊したからです。当時私らはシドニーに駐在中で、正月休みを利用
してNZの南島を旅したのでした。落ち着いた市街地や水と緑に同化したかのようなクライストチャーチの佇まいに、海外に住むのだったら
こういう所がいいと二人とも思ったものでした。戸建て住宅はどこも庭自慢で、通りがかりの我々にも"庭を見ていかないか"と進めてくれま
した。あのあえなくも崩れ落ちた煉瓦造りの教会は、まさしくこの都会を象徴する存在でした。いい印象ばかりだったので、深い傷口を負っ
たこの街の映像をTVで目にすると、本当に痛々しく思われます。それにしてもNZは地震国であったのに建物の耐震性とかはどうなってい
たのでしょうか。そんなことよりもいまは日本人をはじめ多くの犠牲者への哀悼の意と、多くの行方不明者に対する救助の手が最大限及び
ますよう祈るばかりです。先の友人夫妻、郊外に住んでいて無事であったことは3日後に確認できました。漸く電気が復旧したとのことで水
はまだ、ライフラインの断絶は経験してみないとその不便さは想像を絶するそうです。

・ 表現は須く翻訳である。
 シェークスピアの全訳をライフワークとしている松岡和子さんは、高校時代の同級生です。親しい友人の中で有名人といえば、私の場合
は彼女くらいでしょうか。その彼女が先日NHK教育ChのN響アワーにゲスト出演しました。"音楽家はシェークスピアがお好き"というタイト
ルだったか、"ロミオとジュリエット"や"夏の夜の夢"をはじめ、いくつかのシェークスピアに触発された曲を取り上げて、音楽とシェークスピ
アの係わりを演奏とトークで語り継いだのですが、友人が出演しているということは度外視しても、とても興味深く面白い中身でした。中で
も、番組の最後に司会の西村氏が「松岡さんにとってシェークスピアとは?」と質問し、それに彼女が「言葉によって世界を作った人」と答え
たのに続き、彼女が語った言葉が印象的でした。それは、表現というものは芝居や音楽を作ること、ものを書くことや話すことなど、何につ
けても翻訳だと思う・・・と語った下りです。五感で捉えたものを脳細胞で咀嚼し、それを表現するという表現に繋がる一連の行為は翻訳で
あるということです。なるほど言い得て妙!それは彼女が長らく翻訳という仕事に付き合い我が身に染みこませているからこそ出てきた言
葉でしょうか。それに、私は絵を描いているので、これはなおさら共感できる言葉です。絵をどう描くかも個々人の翻訳作業によるもので
す。その仕方は人様々で、そこに個性が存在します。私も教室をやっていますが、生徒さんに教えていることも、筆使いだとか色の出し方
とか技術的な事柄は、そうした翻訳の領域に立ち入っている部分も相当あると言えます。むろん、個性そのもの、つまりは翻訳の本質は
教え用もありませんが、一通りの表現法=翻訳の技術を教えていると言い換えてもよさそうです。ところで、言葉とは人間の本質であり、文
化や文明の源泉でもあるわけですが、しかし言葉以前に人間は絵を描いていたのは、世界各地で発見されている洞窟画で明らかです。誰
の本だったかホモサピエンスは同時にホモピクトルスとも言えると書いてありました。絵を描くという表現手法は、人類にとって言葉以前か
らの大事な翻訳の仕事であったわけです。だから何? と問われると・・・ん、返す言葉もないのですが、何かと連想を膨らませてくれた彼
女の言葉だったという次第です。

・ 春の兆し・・でもその前に
 これを書いている今日は、ここ山麓でも日中の気温が10度を上回るという暖かな一日です。例年にない量の花粉が飛ぶという気象情報
も、いよいよ現実のものとなるようで気になり始めました。私も軽度の花粉症患者で、昨年は何ともなくやり過ごせたのですが、今年はそう
はいくまいと腹だけはくくっています。
  話は前後しますが、今週月曜日の朝にかけて降った雪は、当家で30pほどの積雪となりました。それも殆ど溶けてしまっているのです
が、実はその積雪の朝、私は雪かきも割愛してクルマに飛び乗り、ここ久しく飢えていた雪景色を仕入れようと、川上村探索に出かけたの
です。こちらは少なくとも50pは積もっていて、走る先々で雪かきの雪上車に出会いました。お目当てのポイントがいくつかあってそれらを
回ってみると、期待外れの所あり、期待に違わぬ所あり、しかしそれ以上に、予期していなかった雪と光の織りなす光景に出会えたのが嬉
しく、やはり多少冒険でも来てみなければ始まらないとつくづく思った次第です。八ヶ岳はあと少しで赤岳の頂上も雲間から見えるのに、と
いった天気でしたが、これはものにできるという画題も結構仕入れることができました。現在はそれらを絵に起こし始めているところです。
当日は勢いづいて、いっそ信州峠を越えて増富の方に抜けてみようという気になり、漸く雪かきを終えて一車線だけ確保された峠道を走っ
てみました。すれ違いするクルマがなかったので事なきを得ましたが、まあこんな日にカメラをぶら下げて嬉々として飛び回っている人は皆
無。こういうときが、やっぱり私は他人とは違った変わり者かと感じるときです。峠を越えると何と雪の瑞がき山がその全貌を見せてくれて
います。これは滅多にお目にかかれない光景と、夢中でシャッターを。
 タイトルは春の兆しでしたが、そこまで引き返すことができそうもないので、この辺りで打ち止めとします。雪は通常3月に入ってからドカッ
とくることが多いのですが、冬らしい降雪となるとどうもこの日のものが最後となるかも知れません。


○ 冬の山麓余話(2月14日記)

 今年は寒いといわれた通り、当家付近(標高千b)の山麓でも1月は最低気温がマイナス10度前後まで下がることも珍しくなく、その一
方で本当にドライな日々が続きました。それが2月も上旬を越す頃になると寒さが緩む反面、今度は降雪の日々が続いています。太平洋
低気圧が列島沿いに北上する冬の気圧パターンが戻ってきたためで、当地でも先週末に25pほどの積雪、本日(月曜)になると、一旦溶
け出したところにまた雪です。ニュースでよく都会の気温が零度を下回ったとか、積雪があったとか騒いでいる事態を取り上げています
が、私らとしては心中せせら笑うしかありません。かく言う私らももまた、雪国の人たちからすれば、大したこともない事態に何を一喜一
憂・・・とせせら笑われているに違いありません。

 雪が降ると、我が家は俄に野鳥の飛来で賑わいます。山の食糧事情が悪くなると我が家に限らず餌台が置いてある家屋地帯へと野鳥
たちの大移動がおこるのです。こうなるとヒマワリの種の需要も急増、買い置きしている分は一挙に減って、人々は店頭に買い出しに、そ
してたちまち品薄という事態を招きます。私もいつも買う店に行くと、この雪で品切れということで、入荷を待たなければなりませんでした。
野辺山とかさらに先の小海町辺りからも買いに来るお客さんがいるそうで、遠方の方は10キロ詰めを何袋も買い求めて帰るとか。人間が
かなりの数の野鳥を養っていることになります。こうなるともう野鳥とは言えないのかも知れませんが、何はともあれ、こうも野鳥たちが集ま
ってくると、ついついカメラを取り出しては撮影してしまうのも山麓の冬ならではのことです。つまりは、これと言って取り急ぎやることもない
冬の日の"ヒマ"つぶしを、野鳥たちがちゃん演じてくれるというわけです。この日はシジュウカラやヤマガラといった常連さん、カワラヒワや
スズメなどの団体さんに加え、珍しいところではマヒワが混じっていて、シメやアカゲラもやってきました。今年はまだイカルやアトリの飛来
がなく、毎冬目にしているホオジロもまだ見ていません。その一方で、最初は山鳩かと間違え、その後シロハラと同定できた鳥がやってき
たりもしています。野鳥の世界で何が起こっているのか、鳥たちがトゥイッターをやっているわけではないので知るよしもありませんが。
 余談ながらこのトゥイッター(twitter)、日本では"つぶやき"と称されていますが、この言葉自体は本来"さえずり"(または"さえずる")を
意味しているはずです。英語の辞書を引けば一目瞭然のことで、"つぶやき"にはれっきとした他の英単語があります。ネット上もて囃され
ているトゥイッターは、本来小鳥がピーチクパーチク囀っている様から来ているはずで、これが日本では"つぶやき"となってしまい、そうな
るとやや重く暗いイメージになってはいないか?と不審に思っているのは私だけでしょうか。どうもこのITやネットの世界には、腑に落ちな
い日本語表記があって、私は"だから信用がおけぬ"などと勝手に思っている少数派です。
 野鳥の写真を何枚か載せてみました。



餌を啄んでいる鳥、飛来してくる鳥、
近くで待機中の鳥・・・この賑やかなさえずり
の声こそ"twitter" です。


練り餌に群がるスズメ、写真の中だけでも8羽はいま



マヒワが一羽、この日の群に混じっていました。


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