山麓絵画館


フィールドノート2007〜2010年



以下は2010年


○ 年末点描〜エッセイ風に(12月末日の何日間で記)

  もう何回迎えたのだろうか、この年末年始。そして触れたくはないのだが、あと何回迎えることができるのだろうか、この年の瀬と年の
端。どたばたとして忙しなくもあり、しかし大掃除とか年始を迎える準備とかやることは定まっているのでかえって妙に落ち着いた面持ちで
あったり・・・。ともかくも旧年の計はご破算となって新しく入れ替わることになるこの時節である。八ヶ岳山麓という静かさこの上ない地で暮
らしていると、世の中の時間がどんな具合に進行しているのか、皆目分からない。Uターンの混雑だとか、アメ横の賑わいだとか、はたまた
仕入れ時を控えた神社仏閣の慌ただしさとか、すべてはTVの画面から伝わって来るのみである。おまけに今日はひがな雪模様で、さして
積もりそうもないのだが、しんしんと舞い降りてくる雪片は一切の音を遮断してしまうかのようで、なおさら静かさが際立つのであった。

  今年もまた・・という感慨のわき起こる理由の一つは年賀状を書くという行為であるようだ。年に一度のことながら年とともに億劫となり、
できれば出さないで済ませたいとも思い、しかし一方で、人生で触れ合ってきた方々に対するせめてもの繋がりの証として、年賀状なしで
は申し訳が立たないという気持ちにもなる。繋がりの証と言うよりも、私のように地理的とは言え八ヶ岳山麓くんだりに居住している者にと
っては、"生きていますよ"のサインを発するとためと言った方がより直截な表現であろうか。ほどほどのお付き合いをせめて賀状の上でと
思う向きも多いのではないか。最近郵政公社のTVCMで「お正月はあなたの心の中に居たいから」というコピーが流れている。これは蒼井
優が言うからいいのであって、私どもの年代ではちょっとこそばゆい。しかし、程度の差こそあれ、祝福を送るという行為には、送る側のこ
とを忘れないでという気持ちが大なり小なりあるだろう。様々な顔が浮かび、様々な思いが交錯しては、結局はずるずると賀状の往来を続
け、そして賀状の数は一向に減らないまま、また苦労して年末をやり過ごすという寸法なのだ。私の場合、宛名は印刷です済ます省力化を
させてもらっているから、せめて一言自筆で記すことにしている。しかしその一言が難問である。"今年もヨロシクお願いします"はあまりに
も定番過ぎると思いながら、結局は定番まがいの一言に終わってしまうのがおちである。まあそれでも何も書かないよりましだ、という理由
で自らを正当化している。きっと相手もまた同じように悩んで結構苦戦しているはずだし、何と言ってももらう側からすると、その一言のある
なしで随分と印象が異なることをずっと体験してきているから、無理してでも一言ひねり出す。あれやこれやでいざ正月を迎えれば、人間
げんきんなもので、さて年賀状は何時来るのか、誰から来るのか、配達を待ちわびるのもお正月の一風景である。

  いよいよ大晦日も迫った一日、私はアトリエの模様替えを断行した。大袈裟だが、以前から絵を描く机の採光具合の改善を図りたく、そ
のためには机を加えたり、かなりの量の絵の道具やPC関連機器の移動をしたりでで結構厄介なのだ。それでも手を付けると、一体どこに
失せてしまったかと思っていたものが出てきたりする。部屋の隅や複雑に絡み合った電気コードの周辺は埃の山である。掃除をするとそ
れこそ長年の垢を落としたようで気持ちはいい。まあ要らぬものはごまんとあるもので、大体5年も6年もその存在さえ忘れていたモノども
などは、端っから要らぬモノであったのだ。そう思いつつ、人間の物欲とはあさましいものらしく、一向に無駄が積もる傾向が絶えないでい
る。

 細切れにこれを書いているうちにいよいよ大晦日を迎えた。アトリエはまだ片づかないままである。またまた年を越すことになるのか、根
気との闘いはいつも負け続けている。大晦日で気にくわない最大のことは、紅白歌合戦である。NHKはずっと前からこの宣伝に明け暮れ
ていて、それも気に障る。私はあまのじゃくだから、意地でも紅白は見ないで過ごしている。TVなど見なければいいのに、とお思いだろう
が、静まりかえった周囲の佇まいはまるで外界との接触が途絶えたかのようで、さすがにTVくらいはつけて置かないと間が持てない。紅白
のどこが嫌いかと言えば、あの金のかけよう、あの盛り上げたままで歌が終わればストンと次に移ってしまうしらけさ加減、男と女のどちら
が勝ってもいい話をかくも大袈裟に仕立て上げる演出、それに最近では名前も知らず、年端もゆかぬ安物タレントが横行する傾向・・・そ
れらの全てが嫌いなのである。1年の締めくくりなどと抜かして現となっている世間も気に障る。まあいいや、この狂乱が通り過ぎるのをひ
たすら待つのみである。

 そんなこんなと書き連ねて、実はどうでもいいことばかり。大方の方がこれを読んで下さるタイミングは、もう新年を迎えたあとのことであ
ろう。既に旧聞に属する話として水に流してもらえれば幸いである。


○ 山麓の初降雪(12月8日記)

 初降雪といっても3pほどの積雪ですが、私の居る千b付近ではっきりと認められる積雪は、今シーズンこれが初めてです。とはいえ、
日中にかかるとクリアーな青空から降り注ぐ陽光がたちまち雪を溶かし始め、日向と日陰の斑模様に。八ヶ岳山麓というと、一般的にはさ
ぞかし雪が多かろうと思われているようですが、実は一冬で積もることはそう何回もないのです。特に南麓では冬は乾いた晴の日が多く、
この辺りが年間の日照量日本一を謳っている理由がよく分かります。十年近く前には1bほどの積雪があって外出もままならなかったと先
人たちから聞いていますが、その後はそうした事態の遭遇がないのは、これも温暖化の影響でしょうか。そろそろスタッドレスタイヤに履き
替えねばなりませんが、実は一冬を通してこれがないと大変という日は極少ないのが実情です。尤も私の場合、積雪があるといざ非日常
の山麓風景を求めて走り回るので、冬タイヤは欠かせません。

 一応白くなった今朝は、我が家の餌台が鳥たちで賑わいました。これまでヤマガラやシジュウカラの一人舞台だった餌台にカワラヒワが
例によって団体で押しかけ、シメもやってきては他の鳥を追い散らし、そしてこの冬初めてのスズメも登場しました。これからはそんな野鳥
の饗宴が楽しみな季節です。饗宴といっても、彼らは互いに争いながら餌を求めているだけなのですが、その様子を見ているとかしましく、
可愛らしいものです。どういう訳か、ヤマガラとシジュウカラは共同行動をとっているようで、彼らが餌場に群がると、それをどこからか察知
した他の鳥たちも群がってくるというケースが多いようです。野鳥たちの頭の中にある餌場の地図に我が家が入っているのだと思うと、つ
いついこまめに餌のヒマワリの種を補充してしまうのです。
 午後になって外出すると、山々は一段と雪化粧を施したようで、思わず写真を撮ってしまいます。毎年同じ時期に同じような写真を撮って
しまうわけですが、1年ぶりとなるとこれが新鮮な景色に映るのはどういうわけなのでしょうか。だってそのうちにこうした雪山の景色は日常
のものとなってしまうわけで・・・。おそらくこれは、毎年のことながら初鰹を食すのと同じで、つまりは初物ということなのでしょう。雪化粧を
施した山々の登場は、そこからまた1年が始まるという区切りとなっているのかも知れません。そこにまた一年生きてきたという感慨が宿っ
て、だからありがたく、リフレッシュされる気分となるものとみえます。この日、気温は南麓の昼過ぎで6度くらいだったのに、野辺山の広い
畑地に行ってみると、気温はみるみるうちに下がってついにマイナス1度!畑も路上も雪がかぶっていて季節が一変していました。

 この日撮った野鳥と風景の写真をいくつか載せます。



ヤマガラとシジュウカラ・・何か打ち合わせ?
野辺山の畑地は雪の中、日の陰った八ヶ岳が。



東の一角からの珍しいアングルの一枚。
金峰(奥)と瑞がき山(手前)が顔を覗かせている。

<10日追記>
  所用で富士見町に行ってみると、八ヶ岳の西面はいつも見ている東南面とはまるで別世界のような雪嶺を連ねていました。その写真を
追加して載せます。


  ↑北八    天狗岳     硫黄岳・横岳  阿弥陀岳、赤岳  右権現へと続く


○秋の近況あれこれ(10月21日記)

 このフィールドノート、どうも4ヶ月も間が空いてしまいました。個展が間に入ってなかなか余裕がなかったこともあるのですが、もうひと
つ、このHPにまとわりつく原因不明の画像入れ替わりという現象にうんざりして、全体的に私自身が退いているところも否めません。この
際、新しいHPビルダーを使ってHPをそっくり作り替えてしまおうかとも思っていて、その場合サーバーの乗り換えなどどうやったらいいの
か、旧サイトを生かしてやるにはどうしたらいいのか・・・・etc 億劫な上に確信が持てないのでなかなか動き出せません。誰か詳しい人が
いたら教えを乞いたいところです。

 とんだ言い訳から始まってしまいましたが、久しぶりのフィールドノート、八ヶ岳山麓の近況を綴ってみたいと思います。あの長く暑かった
夏の記憶が次第に薄れ、気がつけばここのところ暖房の欲しい日も出てくるようになりました。すっきりと秋めいた日々はまだこれからなの
か、或いはもうやってこないのか、季節の移ろいはどうも緩やかさを欠いて、極端に走る傾向が年々強くなっているように感じます。だから
秋をじっくり楽しめる日数が減り、春もまた同様であっという間に夏の入り口に来てしまうという年が多くなっているように思えて仕方ありま
せん。
  さて山麓の秋、すでに路上にクリの実が落ちていたり、空には鰯雲が広がっていたり、当家東側の茅の原はすっかり白い穂に埋め尽くさ
れていたりで、ともかくも秋は進行中ではあります。遠方の人からは八ヶ岳も紅葉の盛りでしょうか、などと便りをいただいたりしますが、私
の居る千b界隈では紅葉はその入り口にかかっているというところ。八ヶ岳を見上げると上から次第に黄葉が下りてくる様が分かります
が、さしてはっきりはしないその前線は、いま1500b辺りでしょうか。ここのところ大分平年並みかそれ以上の気温の下がり具合なので、
あと1週間で私の居る辺りも大分色づいてくると思われます。目下のところは、サクラ、シラカバから始まった紅葉がカツラやナナカマドに
移っていますが、この辺で一番多いコナラやクリとなると、樹冠はまだ緑色でそれがちょっとくすみかけたというところです。しかし、道ばた
のドウダンツツジを見ていると、あの鮮やかな赤になる前に、半分枯葉色が混じってしまう雲行きで、やはり暑い夏の影響が出ているよう
です。全国的にドングリの発育も悪く、熊の出没が相次いでいるといいますから、森の装いもいつもとは違うのかも知れません。

 クマといえばこの山麓にクマはいないと思われていたのですが、2,3年前から信じられないような場所での目撃情報が相次ぎました。広
大な山腹の大半はカラマツに覆われていますので、本来クマの生息には適っていないはずなのに・・・です。ただ、東隣の秩父山系の西端
や、南対岸の南アルプス北端はクマの生息地なので、どうやらそこら辺りから遠征してきたのではないかと思われます(私の勝手な推測で
すが)。だとすると、かなりの距離を移動していることになります。私の住んでいる一帯には森があちこちに残されていますので、そのうち近
くに現れても不思議ではないわけですが、よく言われるターゲットとなる柿の木はこの辺では少ないし・・・。小動物は結構いて、当家付近で
もキツネやキジは時折見かけます。タヌキだかテンの類は目撃こそしていませんが、足跡や地面を荒らした痕跡などを見かけます。先日
来、デッキに置いていたサンダルの片方がなくなっていて、そのうちもう片方も消えてしまいましたが、これなどはタヌキかテンの仕業かと、
彼らに嫌疑がかかっております。

 個展後暫くは絵を描く気にならないのが常で、私は目下そのような状況にあります。そのうち自然と描きたくなる気運を待っているという
か、いま暫くのんびりとやるか(と言ってもこの間、普段ほっておいた家や畑の仕事をしなければならないのですが)、現在は束の間の踊り
場にいるというところでしょうか。


○ 日本の美しい村(6月21日記)

 この春、2度にわたって信州の白馬村と小川村に足を運びました。6月に入ってからは仲間と泊まりがけで小川村を訪れたので、それも
入れると3回になります。何故こんなに集中的に?と言えば、この二つの村には描きたかった絵の素材がたくさんあることと、9月の個展
(銀座)に信州の風景を出展したいこともあったからです。ところで、長野県にはこの"村"のつく市町村名がたくさんあることが、以前から気
になっていました。ネットで調べてみるとその数35で全国第一位とあります・・・やはり。市町村数は77でこれは全国第二位とありますか
ら、村の数も自ずと多いのでしょうが、何故こんなに村が多いのか?山国だから元々山村が多いのは当然として、しかし誰か本当のわけ
を知っている人がいたら教えて欲しいものです。町というのは、人口とか市街地への人口集中割合あるいは産業の有無など、地方自治体
がそれぞれ一定の要件を定めてはいるようで、申請ベースでそれを満たすかどうかをチェックするのだそうですが、では村の要件となる
と、これは特に定められていないのが通例のようなのです。それに、どう見ても村の方が自然なのに町と称するケースがあったり、また逆
の場合もあったりで、確たる基準など存在していないようにも思えます。一般的には町が格上のようなイメージがありますが、長野県を見て
いると、どうも格下に甘んじて村としているわけではなさそうです。むしろ"村"でいたいといった意志のようなものも感じるのは私だけでしょ
うか。

 さて、かく言う私、実は"村"の響きが好きです。今や町よりも村の方が貴重で好感度も高いと思うのに、その名称が少なくなりつつあるの
は寂しい限りです。市町村合併の嵐で市や町への昇格といった風潮に加え、どうも馴染まない地名が増えてしらけた印象も拭えない昨
今、昔からあったナントカ村という名前を残しているのは、それだけでも喝采を送りたくなりなります。風土を守り文化を維持したいという郷
土意志をそこに感じるのです。それに、これは私の友人知人の誰に聞いても同意見なのですが、かつてあった○○村が○○町となったこ
とを快く思ってはいない傾向が大です。当の住人は町の方がいいのか、その辺りは分かりません。どっちにしても、過疎化、高齢化が進ん
で名称どころではないのが現状かも知れませんが、町として埋没してしまうよりも村を名乗っている所には一種の誇りを感じ、好感度もず
っとアップすると言えるでしょう。時代のキーワードであるエコとか自然保護、スローライフとか歴史への回帰といった風潮にも、村の名称は
適っています。住人の温もりをも感じ、そして固有の歴史や文化を想像させますから、訪れてみたくなるのは、決まって村の方です。私の
住んでいる北杜市も、かつては大泉村とか明野村とか風情のある名前があって、それに惹かれて移住した人も少なくないと思うのですが、
今や全てが町と称して味気のない響きとなってしまったのは残念でした。直ぐ近くの原村は合併に抗して原村の呼称を残し、友人によれば
行政も住み心地も満足度の高いものだといいます。尤も、原町では何かタニマチとかハナマチを連想させ、妙な響きとなってしまったでしょ
うが・・・。

 "村"へのオマージュ、最後は表題の「日本の美しい村」についてです。フランスには「フランスで最も美しい村」という景観保存のための施
策があって、最近は日本でもこれを模して「日本の最も美しい村」を推奨し保存するためのNPO活動が生まれています。「日本の里百選」
なる朝日新聞などの後援による運動もあるようで、村を大事にする気運が高まっているのは確かです。私の好きな小川村も、この両方に
名前を連ねています。世界の先進国を見ても、現代人を惹きつけるのはtownではなく、villageの方でしょう。そのことは別として、小川村は
山間のあちこちに集落が点在し、その佇まいが遠景の北アルプスと相俟って、何とも美しく郷愁を誘う景観をつくり出しているところが素敵
です。そこを絵にしたいと私も足を運ぶ回数が自ずと増えているわけですが、小川村から少し南下した大岡村とか美麻村にも魅力的な風
景があります。西に下りた白馬村や小谷村も然り。かつて若かりし頃によくすキーで親しんだ場所ですが、言うまでもなく自然と風土のマッ
チした景観がふんだんに存在します。私の偏見も交えて言えば、どうも絵心を誘う所は村であることが多く、その理由はここで書いてき村
のイメージとも符合しているからと言えそうです。これらの地には決まって日本の原風景の名残があって、信州ではそれが白く屹立する北
アルプスを背にしている点が風景として他に代え難い資質となっていると言えるでしょうか。清々とした水の存在(実はこれも日本に独特の
自然風土です)にも惹かれるのは、以前書いた通りです。いずれにしても、日本の美しい四季、何時までも残しておきたい懐かしげな風土
を絵にしていきたいという気分は、昨今ますます高まっています。信州の村の風景はその一つで、目下のところ、9月の個展に向けてこうし
た風景の何点かを制作している最中ですので、漸次このHPにも載せていきたいと思っています。


○山麓にD51登場!(5月29日記)

 山梨県観光キャンペーンの一環として、SLが甲府〜小淵沢間を走ることになり、この1週間は試運転と本番で沿線が賑わいました。何
と言ってもD51! それも山梨県では45年振りの登場ということです。私は格別の鉄道ファンではないのですが、試運転中のあの"ヴォー
"という汽笛につられて(我が家は線路から3キロほど離れているのですが良く聞こえるのです)カメラを手に何度か線路際に馳せ参じてい
るのです。行って驚いたのはいわゆる撮り鉄の人数が多いこと!特に本日は乗客を乗せた本番運転ということで、いつも畑に行くときに通
る桐畑踏切近辺はクルマとカメラマンと見物人でごった返してます。踏切を渡った先の"山峰の丘"は撮り鉄たちの三脚と望遠レンズの放
列。ここは甲斐駒を望む有数の景勝地で、私は何度も絵を描きに行っていた場所ですが、普段は静かなこの丘がこの日ばかりは駐車ス
ペースもなく、大勢の人々で賑わっています。
 誰もが数百b先のカーブにD51が登場するのを今か今かと待ちわびていると、やがてあの汽笛が二度、三度。ややあってライトを点じ
た黒い駆体と黒煙が視界に現れました。上り坂なので吹き出す黒煙も一段と多く、ザッザッザッという機関音も激しさを増しています。その
勇姿がカーブを曲がると走行音が近づき、あっという間に迫ってきました。夢中でシャッターを切り続けます。運転手や機関士、それに乗客
の何人かが手を振っています。この一瞬(と言っても30〜40秒ほどでしたが)があっという間に過ぎ去り、気がつけば走行音と漂う黒煙を
残して、D51は踏切脇の森影にその姿を没しているのでした。


 やっぱりSLは感動ものですね! あの勇姿、あの迫力、胸の芯を揺り動かすような郷愁・・・。ここにロマンがあるのでしょうか。私など
は、幼い頃に田舎で毎日のようにSLを眺め、少年時代は電化以前だったので、いつも乗車時には車内に入ってくる煙を吸い、そして思い
出の東京〜大阪間「特急つばめ」もSLが牽引したものでした。そういう世代なので、SLの姿も音も煙の臭いも、全てが懐かしいものなので
す。それに・・・、画集の序文にも書きましたが、物心の付いた頃、ひたむきに描いていたのも蒸気機関車の絵でした。その当時隅々まで
描けたSLをいま描けと言われても、これは至難の業となりましたが、何だかまた描いてみたくもなりました。

 さて、私の世代はSLへのそうした親近感があるわけですが、若い世代や子供たちまでもが惹きつけられるSLの魅力とは一体何なので
しょう? 多分ファンの中では語り尽くされているのでしょうが、ちょっと考えてみるとこれが不思議です。今の可・非基準からすれば、非エ
コ、非衛生、非静粛と"非"ずくめなのがSLです。SLはまた、現代文明のキーワードである効率とスピードに相反する要素を兼ね備えてい
ます。にも拘わらず惹きつけられるのは、一つにはそこに非日常の世界をかいま見るからであり、古き良きモノへの共感があるからとも言
えるでしょう。また、世代を超えた魅力の源泉とは、力強く懸命に走り続ける姿、激しいピストンの動きが象徴する一徹でむき出しのメカニ
ズム、無骨な鉄の塊が放つ力強さ・・・と、この辺りにあるのでしょう。その姿が人の心に潜んでいる憧れとダブったり、どこか人生と重なる
部分があったりで、その走行と接すると人の心に化学反応を呼び起こすのだと思います。そこが“ロマン”の所以なのでしょうか。その化学
反応は私らのようなSL体験世代でない人の心にも大同小異でおこるものらしく、だとすれば、SLへの感受性というDNAのようなものが、
多くの人間に宿っていると言わざるを得ません。

 とまあ、SL賛歌めいてきましたが、一方でこのSL狂想曲、地元では受け止め方が様々なようです。無関心派あり、不快に感じている人
あり、沿線の畑を持っている人は迷惑顔であったり・・・。試運転時に汽笛がうるさいとか煙が迷惑とか、そういうクレームもあったと聞いて
います。理解できる向きもあるのですが、何十年に一度のことなので、この際多少は目をつぶってもらうとして、ちょっと残念なのは、当の
小淵沢駅員の対応です。SLマニアの殺到、問い合わせの殺到にややもてあまし気味、迷惑顔の気配が見受けられ、それならば案内の張
り紙一枚でも張っておけばいいものを、と思ったりしました。そもそもSLを走らせるのは、自分たちの住む山梨県の観光PRであり、JRも
提携してのキャンペーンでもあるわけですから、こういうときこそサービス精神、PRマインドを発揮すれば、山梨の印象もずっと良くなるの
です。土地の人の対応こそ一番の訪れる人の心を動かす要素なのですから・・・。
 それにしても、確かによそ県ナンバーのクルマで沿線は一杯であり、私も帰りしな、いつもはすいすい走れる県道が大渋滞であったのに
は驚きました。SLは一旦小淵沢駅に着いてのち、引っ込み線に入って上り用の線路に切り替えるのですが(折り返しは最後尾に連結され
ているディーゼル機関車が牽引)、その様子を撮ろうとこれまたSLマニアが駅周辺に殺到するわけです。だから駅に向かう道は大渋滞、
これも数十年に一度の珍しい光景と言えるものでした。


○残雪と水の風景を求めて〜信州取材(5月13日記)

 GW明けのいい日和を窺っていたのですが、先週の土曜日(8日)、北アルプスのライブカメラでこの日の状況を確認し、かねてから狙っ
ていた白馬方面に出かけました。目的は残雪と水のモチーフをいくつかものにすること。私が抱く信州のイメージには常に"豊かな水"が重
なっていて、それはやはり圧倒的な積雪を誇る北アルプスという豊かな水源を有するからです。特に後立山連峰からは姫川に注いで北上
する流れや、南下して犀川に合流する流れがあって、それらの水脈が織りなす瑞々しい景色が絵心を魅了します。川に魅了されて信州に
やってくる人などそうそうはいないかも知れませんが、こうした水の風景は、私の居る八ヶ岳山麓ではなかなか出会えないのです。八ヶ岳
山麓が水の吸収性が高い火山台地で構成されていることと、水源が比較的積雪の少ない八ヶ岳という独立山系のみであることと関係して
いると言えるでしょう。

  そんな理屈はいいとして、この日は朝早くから押っ取り刀で中央道から長野道を駆け抜け、豊科のICで下りると、直ぐに一面に水を湛え
た安曇野の田園風景が迎えてくれました。水面に映る常念岳が印象的です。暫く訪れたことのなかったわさび田の駐車場に立ち寄って、
そこに注ぐ清涼感溢れる流れにも接してきました。そこから北上するアルペンロードの右手には高瀬川も見え隠れしています。川辺にはど
うやって出られるのか、探索をしてみたいのですが、この日は先の目的がありましたし、眼前には爺ヶ岳から鹿島槍、五竜と続く白い山並
が風景の後ろ盾となって連なっています。もう先を急ぐしかありません。
  大町に入って目的地の一つであった高瀬川を探ってみることにします。初めての土地の場合、私は地図をよく調べた上で地形上どの辺
が良さそうか、予め見当を付けておきます。むろん実際はその通りとは行かないのですが、川筋の場合はいくつかある橋がポイントで、そ
の上に立って俯瞰してみると、どの辺りがスケッチや撮影に適しているかが把握できます。それでこの高瀬川ですが、期待に反していまひ
とつしっくり来ません。流域はアクセスが難しく、林を分け入れば河原に到達できるのでしょうがそこまでは余裕もなく、上流と中流域を行き
つ戻りつした挙げ句、結局はここで時間をつぶすのを諦めました。どうもこの川は渓流釣りにとって魅力があるようで、スケッチにはむしろ
山間の集落近辺の方に多くの素材が潜んでいるようでした。
  そのあと、いよいよ最終目的地の白馬へ。こちらは、昨秋ひとわたり走ってみたので、どこに行けばいいのか大体の見当はついていま
す。五竜、唐松、八方尾根から不帰のキレット、そこから白馬鑓、杓子、白馬と続く白馬三山が、この日はその姿をくっきりと見せていま
す。やっぱり残雪が豊富!かなり裾野近くまで、雪の斜面が白く輝いています。ターゲットは大雪渓を源とする松川。この豊かな水量と岩を
かむ早瀬が連続する川は、背後に残雪の山々を配して、今回お目当ての画題をふんだんに提供してくれています。早速国道が通る松川
橋の西脇にクルマを止め、川沿いを歩くと最初の"ここぞ"というポイントを発見。早速そこで店開きし、時々水しぶきが飛んでくるくらいの
流れの傍でスケッチをしました。しかし、少し気持ちばかりがはやり過ぎたのか、どうも出来映えが今ひとつ気に入りません。お見せするに
は憚れるのですが、たまにはそんな一作もご覧いただくことにします(→スケッチ館)。この場所の風景は帰ってから再度描き起こすことに
して、松川橋からもう一つ上流の白馬大橋に移動。今度は東側のオートキャンプ場にクルマを止め、少し上流に向かって歩いてみました。
そして"ここぞ"の第2弾を見つけ、またまた飛沫がかかるほど川に接近してスケッチ。紙面の幅一杯に迫る流れを取り入れ、白馬岳を真
ん中に配した一作で、こちらの方は狙っていた意図に近いものとなりました(→スケッチ館)。

  日も傾きかけ次第に雲が多くなってきた頃、もう一カ所行っておきたかった小川村に足を伸ばすことに。小川村は北アルプスを望む絶好
のスポットがたくさん
ある所で、短時間ではその一端しか触れられないのですが、この機会に新緑の季節を目にしておきたかったからです。かねてから決めて
いた場所に直行。陰影がなくなりつつあるアルプスを遠景にしたスケッチのスケッチにかかりましたが、時間切れでデッサンを仕上げるだ
けで精一杯でした。帰ってから彩色したものをスケッチ館に載せました(→スケッチ館)。

  こんな具合にスケッチと撮影で駆け回った一日が過ぎていきました。この間、口にしたのはコンビニで買った3個のおにぎりだけ。帰路気
がつけば、白馬で手に入れようとしてとしていた地域マップと「はくば豚カレー」(これは白馬の知人からもらって食したところ、絶品のカレー
でした)の調達をすっかり忘れているのでした。年を考えれば、もっとゆったりした取材旅行を楽しむべきなのですが、どうも画題を巡る旅と
なると貪欲かつ貧乏性も手伝ってか、私自身は決してせっかちとは思っていないのですが、いつもこうなのです。白馬には知人もいたの
に、声をかけるゆとりもないままでした。欲張り取材で駆けめぐる旅は、山々がシルエットになる頃、少し反省しつつ終了となった次第です。


○GWの山麓(5月2日記)

  GW真っ只中、八ヶ岳山麓も1年を通じて一番人出もクルマも多くなる時期。いつも人気のない別荘にもクルマがあり、見慣れないワンち
ゃん連れの散歩をしている人たちあり、そして道路も駐車場も、他県ナンバーのクルマで溢れ、山麓は一大リゾートと化した感があります。
我々が日常的に利用しているスーパーだって、まるで都会の店のよう。普段はいない駐車係も忙しそうです。高速道が大渋滞を招くのがよ
く分かります。

  そんなGW、住民にとってGWは家でじっとしているに如かず・・・なのですが、私はGW突入直後の30日に日和をみてお隣の信州にで
かけてみることにしました。もちろんスケッチをものにするためですが、中央道を下ると晴なのに山が霞んでいます。当初は白馬あたりまで
行ってみるつもりだったのですが、急遽予定を変更し、割と近くなのに余り出かけることのなかった蓼科〜車山方面に目的地を変更。茅野
の市街を抜けてビーナスラインを走ると、既にクルマの数も多く、こちらの別荘地帯も人影が絶えません。峠道を上ると新緑の季節から芽
吹き前へと季節があと戻りして、山はまだ地味な冬枯れを残した装いです。蓼科湖から白樺湖とクルマを止めてみましたが、どちらも観光
地然としていて絵を描くには向いていません。そのまま車山に向かうと、ここら辺の開けた景色と適度にうねった峠道はバイクツーリングに
向いているものらしく、ツーリストたちがあとからあとから上ってきては、気持ち良さげにバンクさせながらカーブを通り過ぎていきます。や
はりGW、ビーナスラインはどこに抜けても賑わいは同じそうだし、相変わらず山もクリアーには見えていないので、霧ヶ峰〜北アルプスの
展望は諦め、大門街道を下ってみることに。こちらは割合静かで、途中街道の横に見え隠れするいい流れを発見したので周りの林に分け
入って探索。諏訪湖に注ぐ上川の支流のようですが、ここは新緑の頃が良さそう。また描きに来ることにして、さらに下ると正面に残雪の
南アルプスが迫ってきました。甲斐駒も北岳もここからだといつもとは違う顔を見せてくれています。茅野市の柏原という地名のあたりまで
下ると、展望が開けて畑や集落がほどよく入り交じった一帯にでました。この日初めて絵心が騒ぎます。例によっていいアングルを探しつ
つ田畑の中を走り、一点スケッチ→山麓スケッチ館
  そのあと、右手彼方の高台に見えていた墓地が気になったので、そこに寄り道してみると、案の定街道からは隠れていた八ヶ岳の全貌
が見渡せます。田舎では墓地は殆どといっていいほど、その場所でベストの眺めの場所に造られているのですが、ここも例外ではありませ
んでした。再びスケッチブックを取り出してデッサンをし、半分色を施して、あとは帰ってから仕上げました。→山麓スケッチ館

  GWの残りは外出を控え、畑の手入れと庭の草取りに専念することにします。


○11日間の長丁場を乗り切ることができました。
〜個展雑感(八ヶ岳山麓「おいでやギャラリー」)〜

   先ず以て、ご来場いただいた皆様に心より感謝申し上げます。

  いつも思うこと、それは、個展は音楽でいえば発表会、スポーツなら日頃の鍛錬の成果を競う競技会のようなものだということです。作
家にとっては作品開示の場であり、いわば檜舞台と勝手に思っている反面、そこに観に来ていただく人がいないと、何とも一方通行で空し
いイベントとも化し得ません。ですから、皆さまのご来場は心に染みてありがたいものです。

  今回の個展、地元八ヶ岳山麓の「おいでやギャラリー」ではこれで3回目。都心で開催した分も含めてちょうど10回目ですが、それは勘
定して分かったことで、特に節目として捉えていたわけではありません。11日間というのは長丁場で、こちらが勝手にやっていることとは言
え、終わると身体はもちろん、頭の芯がぼーっと霞んでいる状態となります。それはひとつには大勢のお客様との対応という日頃ない事態
に接してきたからであり、そして一つには、暇をもてあましてお茶をひいているという逆の事態もあるからだと思います。「誰も来ないね〜」
と妻と言葉を交わしつつ時間をつぶす状態というのも、意外と疲れを誘うものです。そうした日々が11日間続くわけで・・・。それでも私の場
合、この小さな町のギャラリーとしてはいつも一番大勢の来場者があると画廊の人から聞き、ありがたいことだと改めて感じました。
  
さて、そんな個展中、私は会場に詰めて何をするかといえば、実は何もしなくてもそれはそれでいいわけです。作品が主人公ですから、要
らぬ口出しなどせずに十分作品と接してもらうのが一番であるからです。しかし作品と熱心に向き合っておられ方、とりわけご自分も描か
れたりする方だと、いろいろ知りたいことが出てくるのは見ていて分かります。どう描いたのか、どう色を作ったのか、場所は?どれくらいの
時間をかけて? 様々な?がありそうな方々の気持ちを察して、自然に受け答えできるようにしたい、可能な限り答えてあげたい、そのよう
なスタンスをいつも心がけています。絵は本来観る側の主観で感じてもらえればいいことではるのですが、私(作者)がいることの意味は、
ここにあると思っています。 
 
  作品の解説はメモリアルコーナーの小文を参照いただくとして、いつもご質問を受けていて、ここで(文章で)答えられる事柄を、少し取
り纏めて書いてみます。今年は9月に銀座での個展を予定していますので、またご覧いただく機会があれば、参考にしてもらえればと思い
ます。

 デッサンについて
  ・・・かつてはデッサンでコンテ鉛筆とかフェルトペンを使ってみたりしましたが、現在は鉛筆一本槍です。戸外のスケッチ の場合は2B
か4B、アトリエで一から描き始めて仕上げる絵(便宜的に完成画と呼ぶことにしますが)場合はHBが主で   す。スケッチは線と色のコ
ラボレーションですので、意図的に線を残すのですが、アトリエで仕上げる完成画は、より繊細な 色調を重視しますので、彩色をし終えた
のちに必要に応じて線を消したりします。完成画ではデッサンは下地的な役割に  終始することが多いということです。
○ 彩色について
  ・・・全て透明水彩、私の場合はW&Nの"Artist Water Color" を使っています。ガッシュやその他の絵の具は使用してい ません。
 白い部分
  ・・・ これが一番多い質問でしょうか。私の場合、白い部分は全て塗り残しの紙の色です。白の絵の具は一切使っていな いということ
で、それは雪や雲のような白い部分を表現する場合、絵の具の白は紙の白に敵わないという理由と、絵の具  の白を混ぜて作る薄い色
よりも、その分水を多く含ませて作る薄い色の方が透明感が高いという理由からです。白は彩色 するとどうしても濁りがちです。
 使った紙、ついでに作品カードについて
  ・・・ この質問も多いので、私の作品カードには使った紙が書いてあります。作品カードは次のような具合です。
 
桜咲く農道
arches

2009年4月 小淵沢町松向
 


 ← 題名
 ← 使った紙

 ← 描いた風景の季節と場所
   スケッチの場合は描いた年月と同じですが、完成画の場合は必ずしも描いた
     年月とは一致しません。

○ どれくらいの時間で描く?
  ・・・ 一概にお答えできるのはスケッチの場合で、2時間を目処に描いています。それ以上経過すると光線の具合が変わ って風景が
別のものとなってしまうからです。
 アトリエでこつこつと描く完成画の場合はものによりけりで、2,3日から4,5日といったところでしょうか。乾かす時間を取  ったり、集中
力を欠いたり、途中で別の絵を描き始めたりと、状況によって様々です。ここで言えることは、時間をかけてい ればいい絵だとか、速く描く
から価値が低いとか、そうした時間のかけ方と絵の価値は、さほど相関関係があるとは言えな いということです。
○ その他、色をどう作ったとか、どういう順番で彩色をしたか・・・といった点については、作品によって様々ですので、ここ では省略しま
す。

  ちょっと解説めいたノートとなってしまいました。絵はご覧いただく方々の様々な個性や好みによって、見え方も変わってくるようです。衆
目の一致するところこれあり、どうも作者の私とは異なる評価もこれあり。個展をやっていると、そうした様々な見方があることを改めて知
らされ、これはこれで大変興味深いことだといつも思います。メモリアルコーナーの絵の下にある小文には、ご覧いただいた方々の声も少
しだけ書いてありますが、もちろんこれも私自身の見方とは必ずしも一致するものではありません。


○我が家の野鳥たち(1月27日記)

  正確に言うと、我が家の餌台目当てにやってくる野鳥たちのことです。冬の楽しみのひとつはそうした野鳥たちの観察。寒さが増すとと
もにその数も種類も増えて、我が家の庭とデッキは賑わいを増してきました。観察といっても私の場合は撮影をしまくるだけですが、様々な
鳥たちの様々なポーズや表情を捉えられて、これが結構楽しいものです。特に雪の日は山での食料調達が難しくなるせいか、当家の餌台
はときとして食料争いの様相を見せ、撮影もまた俄に忙しくなります。年がら年中の常連さんであるシジュウカラの他に、最近はスズメまで
団体でやって来るようになりました。年が明けて久しぶりのご対面となったのはシメやイカル、それにアトリといった野鳥たち。シメは単独行
動で現れることが多く、はじめはちょっといかついその顔つきから、ボス的なイメージが強かったのですが、これがチッチツと小声で鳴き結
構チャーミングで慎重なところがあるようです。対照的なのがイカル。こちらは初め高貴なイメージでしたが、雪が降ると団体で、それもか
なりの数でやって来てはギョギョギョと鳴きわめきならが餌台に群がります。姿に似合わずかしましいのです。そのうち数にものを言わせて
餌台を占有し追い払いたくもなるカワラヒワも、久しぶりに出会うと「よう来てくれた」といった気分に。餌台を占有する鳥たちには、時々こち
らからちょっと窓際に近づいてどいてもらうのですが、団体さんが散開したあとに直ぐやってくるのは決まってシジュウカラです。ヤマガラと
ともに比較的人間に対する警戒心が薄いようです。むろん四季を通してこの庭辺りを縄張りと定めているせいもあるのでしょうが、私らもこ
のシジュウカラが優先して餌にありつけるよう、気を配っている次第です。アカゲラは鳴き声とドラミングの音だけは近くから聞こえてくるの
ですが、まだ我が家への飛来を見かけません。そのうちあの見事な赤、黒、白の意匠を見せてくれるのが楽しみです。
  
  こうして撮り貯めた写真をみているうちに、野鳥の絵を描いてみたくなりました。昨年は一点だけ描いて個展にも出したのですが、好評
でしたのでもっと描いてみようかと。当地長坂での個展(4月2日〜「おいでやギャラリ―」)も間もなくです。ならば・・と、このところ何点か手
を付けてきました。シメとアトリ、当HPにも載せましたので、是非ご覧下さい。(→山麓絵画館


○山麓は真冬の世界(2010年1月17日記)

遅ればせながら、皆さま、新年おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

 今年ももう17日があっという間に過ぎ去りました。そして今日は阪神淡路大震災から15年。私自身も周囲の近い人たちの中にも、被災
者がいるわけではありませんが、こうした大きな出来事は、人生の長い時間尺の中にそれぞれの形で刻まれるもので、私は当時、3月末
の早期退社を控え東京で最後の勤務を送っていました。サラリーマン生活を終わりにして自分なりに独立し、自分の時間を持ちたい、その
中でもう何十年も遠ざかったままであった絵を描き始めたい・・・そういう気分が横溢していた頃のことでした。独立してどう糧を得ていくか、
私なりに腐心はしていたときでしたから、震災からは一切が無になることへの不安が頭をかすめはしました。大企業でしたので親方日の丸
にすがっていた方が安心ではあったのです。しかし一方で、やはり生きているうちにできること、やりたいことをやっておかねば。そんな気
持ちを震災からもらったところもあって、それが自らの今後を後押ししてくれた節があったかと思うのです。あれから15年、私は曲がりなり
にもこうして田舎暮らしをし、絵を描いていられるわけで、ありがたいことです。冒頭からいきなり横道に入ってしまいましたが、震災記念日
にちょっとだけ振り返ってみた次第です。

 さて、私はいま、4月2日からの当地での個展を控えて、急ピッチで制作エンジンを上げ始めています。急ピッチ・・と言うのは、他ならぬ
これまでの怠け癖故で、実は描きたい素材はたくさん引き出しにしまったままだったからなのです。それでいまは毎日絵に向かう時間を設
けています。昨日は真冬の八ヶ岳を描こうと、寒い中スケッチに出かけました。ここ数日は本格的な冬型で、この日も我が家では日が上が
ったのに氷点下4度。目的地の平沢峠は1500b近い峠なので、雪道を走ってここに着くと、マイナス8度に下がっています。この峠は飯
森山への登山口があり、獅子岩という小型のロックガーデンのような所があるので有名です。ここで雲間から八ヶ岳が浮上する様をものに
したいわけです。快晴で南アルプスもくっきり、なのに八ヶ岳だけは8合目から上が雲をかぶっていたので、待機しているうちにおあつらえ
向きの光景に出会えると踏んでのことでした。峠道も駐車場も雪に覆われ、着いたときは私の他にクルマが一台いたきり。そのうち数台の
クルマがやってきて、大概の人は冬支度で飯森山登山に向かいました。私のようにクルマの中に留まっている者は誰もいません。寒いの
でときどきエンジンをかけて暖を取り、それでも雲は意外としつこくて雪山を隠したままです。仕方ないので手前に見えている木立だけを先
にスケッチしました。正面にサンメドウのスキー場が見えていたので、そこと権現や赤岳との間合い、更には手前の木立との位置関係に見
当を付けてのことです。それでも一向に雲が晴れず、待つこと2時間!漸く権現の一角の雲が切れてきました。そこで権現をスケッチ、さら
に右手赤岳方面への稜線が徐々に現れ、ここから先は写真での定点撮影と、スケッチの継ぎ足しに追われます。雲が切れ初めてから全
て消え去るまでは結構早く、稜線が雲間に見え隠れするといったイメージの瞬間はあっという間に過ぎ去ります。ですので、スケッチは忙し
く、「あらっ、位置関係がおかしい」とか消しては線を入れ直しと、束の間の時間との勝負。と言っては大袈裟ですが、目にした印象だけは
目一杯画面に描き込んでおきたかったので、この日は簡単な彩色だけ済ませて、帰ってから色を加えることに。せっかくなので現場で撮っ
た写真もご披露します。お昼を回る時間となっていたのでコンビニおにぎりを食し、その足で野辺山〜川上村の一部を走ってみました。こ
のとき気温はもうマイナス1度まで上がって、空は真っ青。八ヶ岳も秩父の山々も、遠く浅間山までくっきりと見えていました。こうくっきりと
姿が見えるてしまうと絵心は半減、おまけに午後の日射しで南アルプスはすっかりシルエットです。早々に退散して、家でスケッチの色乗せ
をしました→山麓スケッチ館



稜線は雲の中、ずっとこんな状況


そのうち権現が見えてきて →


やがて赤岳に続く稜線がその姿を・・。


ここから上↑ 2010年
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下 2009年



○2009年のことあれこれ(12月26日記)

 また新しい年が明けます。もう何度目かの "今年も・・・・" というつぶやき、年を追うに連れてめでたい気持ちが薄らいでいくのは、私だ
けではないことでしょう。しかし若い世代はやはり新年という響きになにがしかの輝きを感じるものなのでしょうか。自分がどうだったのか?
 覚えているのは、年の瀬も年明けもいつも仲間とスキー場にいたこと、なのでいつの間にか新年といった感じであったこと、そして幼い頃
に遡ればやはりお正月は楽しみだったこと・・・それくらいでしょうか。まあ、そんなこんなはいいとして、私なりに2009年の絵にまつわる所
感のようなものを綴ってみたいと思います。

 今年は東京での個展をやらず仕舞いでした。条件のいい画廊を予約できなかったこともありますが、一度小休止という気分が強かった
せいもあります。その代わりというか、春先に地元(長坂町「おいでやギャラリー」)で個展を開催したほか、画集作りに取り組んだことがハ
イライトと言えることでした。また、私の水彩教室を軌道に乗せることにも精を出してきました。

  画集づくりは、私の長年の念願でしたが、どこにお願いするか、費用は? 実はこうした具体的な問題に答えを出せないままずっと構想
倒れで見送ってきた現実がありました。急速に動き始めたのは夏に入った頃、人からの推薦もあり、当家からもさほど遠くはない諏訪のオ
ノウエ印刷と面談してからでした。その技術とリーズナブルな価格に納得し、その場で即決。そこから刊行に向けての猛ダッシュが始まりま
す。私が絵を再開して以降、それもかなり本腰を入れ始めてから十年あまりの間に描いた作品から選んで載せるわけですが、哀しいかな
経済的理由でページ数が限定されます。それに伴って掲載点数も限られた中での選択となるのですが、一方で載せる絵のステージも八ヶ
岳山麓を中心に横浜時代から東北、信州、おわら風の盆と一応の広がりを設定しましたので、各ステージで選べる点数も自ずと限られて
きます。こうして57点に絞り込むことになったのですが、どうしても載せたい何点かは人の手に渡っている絵です。印刷会社には現物を入
稿しなければなりませんから、そうした絵は所有者から借りてこなくてはなりません。幸いお願いした皆さんからの快諾を得て、暑い最中、
都心を中心に走り回ることに。先方の都合もありますし、回収先も埼玉から鎌倉までと広範囲にわたっていましたので、小淵沢から二度の
往復をして足かけ3日間、それも夏休み期間中で例の千円渋滞にも巻き込まれたりと、自分で運んだ事とはいえかなりきつい仕事でした。
こうして久しぶりに自分の絵を目にするのは、嫁にやった娘との再会とでも言うのでしょうか(私に娘はいませんが)、ちょっと嬉しく、懐かし
く、面映ゆい想いがするのでした。それでも遠方に行ってしまった作品の回収は難しいしかったので、結果として掲載した57点が私のベス
トチョイスとは必ずしも言い切れないわけですが、それらはもちろん、改めて画集に載せておきたい作品であることに間違いありません。印
刷会社への入稿後、多分人よりも多く先方に足を運び、少し疎まられたかも知れませんが、何とか刊行の見通しを得たのは、秋もだいぶ
深まった時でした。

  こうして出来上がった「栗原成和の水彩画集」は、私が過去10年間、絵に向かっていた時間をある意味で凝縮しているとも言えるもので
す。こうした感慨とは別に、これは絵描きの性分なのでしょうが、確かに定評あるきめ細かな印刷の上がり具合ではあるものの、色味に関
しては一部にどうしても納得のいかないところが残ったのもまた事実です。と言っても、これは描いた本人でなければ分からないほどのも
のなのですが。それも何度も色校をチェックする機会があれば解決できた問題であったのですが、印刷工程における手間のかけ方は費
用と直結する問題です。私の経済事情からすれば致し方なかった・・・と言うよりも、その範囲内で最高の仕上げをしてくれたと言うべきか
も知れません。そして何と言っても、画集を手にした多くの方々から"素晴らしい"とか"感動した"といった声を聞き及ぶにつけ、私としては
多少背伸びしてでもこれを作った甲斐があったと、いまつくづく思っています。早くも増刷やその先の第2弾も視野に入れなければ、という
気持ちが少しずつ湧いてきてもいます。そしてもう一つ、優れた印刷であればあるほど、残った原画との距離が改めて浮き彫りにされる、
という一事です。むしろその距離が、原画の価値を引き立ててくれるものかも知れず、画集とはそもそもそうした存在なのかも知れません。
とにもかくにも、なるべく大勢の方が画集を手にとっていただければと心より願っている次第です。

  水彩教室のことなど・・・教室を始めたのは度々打診されたリクエストされていたことに応えてのことです。 半分は地域コミュニティー活
動的な気分で始め、それが半年、1年とたつと生徒さんの数も増え、多少とも教室の体裁を整えていかなければという気持ちも高まってき
ました。それなりに工夫してやってきたのですが、元々はどこかで習ったり師を定めて修行した経験も皆無な私です。教えるということは、
私の中で感覚的にあったものを引き出して、それなりに理論付けのようなこともやって、相手に分かってもらうという、いわば指導の体系化
が少なからず必要でした。こうした点で、私としては初めての体験であったわけで、私なりの準備作業が必要でした。こうして教え始めてみ
ると、私自身、如何に感覚のみで描いてきたかに改めて気付かされます。もちろん、この感覚というものはそれなりに失敗し、工夫し、見出
して身に付けてきたもので、その過程で私流が出来上がってきたわけです。しかしこの私流自体、かなり可変的な要素で成り立っているわ
けです。どんな場面でどう描いていたか、全てをまとめる定義のようなものは実はないと言っていいくらいです。それでもこの辺りを紐どいて
分かりやすく教えていかねばなりません。一方で謎解きや理屈にのみ走るのは危険ですらあります。絵は元来感覚的な要素に頼る処が大
ですから、私なりの感覚の断片でも掬い取ってもらえればいいという気持ちもあります。こうした中で、いわば最大公約数的な絵を描く要素
を拾い出して教えていくわけですが、これがなかなか難しく、ときに自らを検証する場面も多々あって、つまり教えるとは勉強させられるとい
う事実がこの辺りに潜んでいるのだと思います。

  元々教室に関しての私のスタンスは、誰でも参加すればある程度上手に描けるようにするといった手取り足取りタイプのものとはかなり
趣を異にしています。私の絵を見たことが習う動機という前提を大事にしていますので、それ故に幾分かでも応えられれば、というところか
ら始まっているわけです。それは今でも同じで、いわゆるカルチャー教室のようなどなたにでも門戸を開いている教室とは言い難いところ
があるのです。しかし、始めてみればいろいろなレベルのいろいろな経緯で入ってこられる方もこれありで、ちょっと整合性の付けにくくなっ
ている向きがあるのも事実です。こうした諸々の事情を飲み込んで、そして幸いも生徒さんたちに恵まれて、教室はそれなりに楽しく和気
藹々と進められているのは幸いなことです。そしてもちろん、生徒さんには少しでも腕を上げてもらいたいし、何と言っても上達する楽しみ
を味わって欲しい・・・私はそこに注力して行かねばならないと常々腐心しています。しかし誤解を恐れずに言えば、この上達という一事に
は、教える側よりも教わる側の意識の方がはるかに大きく作用するものだと、最近実感するようにもなりました。その人その人の伸びしろ
という点では、持てる技術の巧緻よりも、そこに臨む姿勢の方がずっと大く係わっているのだと思います。何事につけ物事の基本はそこに
あるということでしょうか。そんなこんなで、ときに我が身を振り返り、ときに生徒さんに目を凝らし、楽しく教室を続けています。ただ、目下
のところ定員はいっぱいの状況ですので、募集は控えさせてもらっているのですが・・。

 ちょっと舞台裏のようなことも書きましたが、この一年、HPをご覧いただき、画集をお買い求めいただいたりで、皆さまのご愛顧に厚くお
礼申し上げます。そして来年も是非ともお引き立ていただけますよう、よろしくお願い申し上げます。何とか期待に応えられるような作品を
ご覧いただけるよう、努めてまいります。・・・・皆さま、良いお年を。


○いよいよ山は雪!(11月18日記)

 昨日は終日冷たい雨、気温も日中でも6度止まりで寒い一日。明けて今日(18日)は燦々と陽が注いでいましたが、一歩外に出ると冷た
い北風に襲われて身震い。そして山は雪に輝いていまいした! 八ヶ岳はこれが根雪となる気配で、千数百bから上は真っ白です。南ア
ルプスは頂付近が雲に覆われていましたが、幾筋もの白い沢が出現しています。富士山もくっきりと見え、東にはこれも真っ白な金峰山
が。昨夜の雨は、高い所では全て雪となっていたようで、いよいよ冬景色の出現です。我が家周辺はすっかり紅葉も過ぎ去って、広葉樹が
細い裸身をさらしていますし、付近の赤茶けたコナラの木々は落葉が始まっています。冬タイヤへの履き替えもそろそろやらねばならない
と・・・。晩秋と初冬の入り交じったこんな季節、久しぶりにスケッチと取材で駆け回ってみました。

 15日にはずっと下って白州方面へ。大気は澄んでいるので陽の光さえあれば、コントラストの利いた風景をものにできますし、白州には
結構スケッチのスポットが多いのです。しかし、この辺まで降りてくればまだ紅葉が・・・という予測は外れ、昨年鮮やかな銀杏の黄色がポイ
ントとなっていたスポットでは、早くも落葉が始まっていました。今年は昨年よりも早く紅葉が始まって、早く終わろうとしているようです。落ち
葉の積もった道を歩いてかねてから狙っていた尾白川渓谷に下ってみると、渓谷の山肌は半分が枯木色。既にクローズしているキャンプ
場に立ち入り、川沿いに出て一点スケッチをしました(→山麓スケッチ館)。背後の山が光線の具合によって燃えるような秋色に映ったの
で、そこで季節感を出してみました。
そして本日は私の日常的な生活圏である千bゾーンをうろうろと循環視察。何しろ山は今年初の雪化粧です。毎年同じように白い初姿を
現してくれて、それはずっと春まで続くのですが、人間どうもこの"初"に弱いようで、そのうち見慣れてくる白い山々に興奮していちいち撮
影してみました。谷戸という所で、逆光の丘陵地形が印象的でしたので、クルマの中からスケッチ。頭を雲に溶け込ませた南アルプスはう
っすらと白い沢筋を覗かしていて、この季節特有の雰囲気を演出してくれていました(→山麓スケッチ館)。




八ヶ岳(三ツ頭)


金峰山


富士もくっきり




○ 紅葉取材(10月10日記)

 台風18号一過の晴れ間に誘われて、昨日取材に出かけた。紅葉の具合がどうかを見るためと、まだ行ったことがない横谷渓谷を知っ
ておくためである。横谷渓谷は八ヶ岳の西麓、渋川という割合豊富な水量の流れが急傾斜を削っていくつもの滝をつくり、紅葉の名所とし
て知られている。その上部には奥蓼科温泉郷があって、この辺りでは鄙びた奥深い自然の佇まいである。八ヶ岳山麓で広葉樹林に覆わ
れた深い谷といえば、ここと川俣川渓谷くらいだろうか。私は以前から気になっていたのだが、地図を見てもどうもアクセスがピンと来ない
まま、もう4年近くもペンディングにしていた場所であった。私の場合、取材というとスケッチとか、とりあえず撮影だけとか、まあいろいろチ
ェックしておくのだが、教室を始めてからは、事前調査の機会が多くなった。教室は多いときは十数人になるから、一人で気軽に出かける
場合と大いに事情が異なるのである。例えばクルマを3、4台駐車できるスペースがあるか、近くにトイレがあるか(女性の生徒さんが多
い)、十人前後が陣取って描けるスペースがあるか・・といった点も考慮しなければならない。そういう条件を満たしてくれる場所は案外少な
いものである。
 さてその横谷渓谷、最上部は1700メートルほどの標高で、そこまで行くと漸く紅葉の世界といった趣であるが、そこから下、特にメインと
なる大滝の付近(写真)になると、紅葉はまだ1週間から10日ほど早いかなという感じであった。渓谷の最深部は、どの地点でも道路から
はかなり歩いて下らねばならない。三つの滝を巡る遊歩道が谷を上り下りして続いているので、歩くことを辞さない人にのみ、この渓谷の
魅力が微笑みかけるという寸法である。先の大滝がちょっとだけ視界に入る展望台を除けば、この渓谷を広域にわたって眺められる場所
はないようだ。私は明治温泉への入り口を下って流れの際に立ち、いくつかのスケッチのポイントを探ってきた。流れの周辺はすこし色づ
いていて、そこから迫り上がる両岸はなるほど紅葉の盛りとなると、かなり見応えのある景観になりそうだ。台風のあとというせいだろうか、
三つの滝はどれも結構水量が多くて、おそらく普段以上の迫力があったに違いない。もう少したてば、八ヶ岳山麓ではなかなか貴重な紅葉
の渓谷風景をものにできそうだ。
                 

(10月12日追記) 3日後に再び出かけた。今度は高原道路から八巻道路を抜けて原村辺りを目指して走ってみた。もちろん紅葉もまだ
走りの段階で、東〜南麓の高原道路はまだこれからという段階だが、西麓に回り込むと随分と黄や赤が目立ち始めた。同じ高度でも西に
回り込むほど気温が低くなるので、つまりは紅葉も早くやってくる。いずれにしてもこの季節、どこを描いても色彩的にはアクセントを欠いて
中途半端となりがちである。何度も足を運んでいる自然文化公園にある"まるやち湖"に行ってみると、明るく澄んだ大気の中、湖面に映る
白樺の林がなかなかいい。ここで腰を落ち着けてスケッチ。いつもとは異なるアングルで、北八ヶ岳の天狗岳辺りを中心に描いてみた。描
いた本人の思い入れもあって、実際以上に黄葉の風情が色濃くなってしまったようだ(→スケッチ館)。

 帰りは富士見高原の広々として田園地帯を縫って走った。あちこちで刈り入れの人影や機材が動き回っている。収穫の終わった田圃で
は、あの藁ボッチが規則正しく立ち並んでいて、この季節特有ののどかな雰囲気が漂っている。一大労働を終えてほっと一息をつく農家の
人たちの気持ちが伝わってくるものらしい。藁ボッチと書いたが、農家の人に訊くと、そんな風には「言わない言わない」と言下に否定され
てしまった。ここらではどうもそんな名前はないようだ。


○天気ぐずつく・・絵も?(8月1日記)

 もう何日夏の太陽を見ていないだろうか。照りつければ暑さを呪い、こうもぐつつかれると不満を漏らすのだから、人間、勝手と言えば勝
手なものである。しかし、本来あるべき日照を得ないと育つべきものも育たない。それでもすくすく育つのは、というよりも育ちすぎて困るの
は雑草くらいのものである。我が家の畑も庭も、あっという間に雑草が縦に横にとその領分を広げてくれるものだから、また草刈りをやらね
ばとうんざりする。日照不足で花や野菜は被害を被っている。今年はトマトの色づきも味も良くないし、ナスも生育不足。ジャガイモは掘って
みると例年と変わりがないように見えるが、もう少し太陽を浴びて乾いた土壌の下に置いておいてから収穫を・・・と思いつつ、そのタイミン
グを計りかねている。先日、津金地区にスケッチに行った折り、田圃脇の道すがら、稲の葉を一枚一枚剥がして発芽状態をチェックしてい
る農家のご主人に出会った。話を聞きながら横で見ていると、1pくらい育っているはずという予想に反して、何と発芽が認められなかっ
た。これだと、まだ追肥ができないタイミングだと言う。お米も心配になってきた。この日、今にも雨の降りそうな危うい天気の中、一点をス
ケッチした→ 山麓スケッチ館

 天気がぐつつき続けると、絵を描くのも少し困った状況となる。私は水彩の教室を持っているのだが、7月はついに夏らしい風景のスケッ
チができず仕舞いであった。湿気で紙が膨張し、鉛筆の乗りが思うに任せないようなこともあった。木々の緑だけはいよいよ濃く潤いを増
しているが、山麓らしい山々の姿が厚い雲に隠れていることが多く、思い返すとここ何日も甲斐駒や八ヶ岳の姿を目にしていない。それで
も、素描は見たままの光景を絵にするのだから、雨模様も曇天もそれなりに移し取ればいいのである。バカボンの父ではないが「それでい
いのだ」。しかし、その「それなり」が難しいようだ。これは何人かの生徒さんのスケッチを見ていていつも思うことで、問題は色味なのであ
る。色合いとか色の具合、つまりは青っぽいとか黄っぽいとか濃い、薄も含めた色のトーンである。横道にそれるが、この色味という言葉、
国語の辞書には載っていない。普段よく使っている言葉なのに、どうして載っていないのか分からない。文字通り色の風味とでもいうべきも
ので、絵画ではその印象ががらっと変わりうるかなり重要な要素である。一般的に、風景にある色とは、おしなべて晴天の時に見慣れてい
る色合いが固定観念としてインプットされている傾向がどうも強いようだ。特に木々や林の緑色について、そのことが顕著であるように思え
る。元々の色とは直射光の下の色なのか、それとも間接光の当たったそれなのか・・・という議論もある。しかし、色彩とは光の加減によっ
て変わり得る性質のものだから、どちらが本当の色かという議論は不毛に近い。当然のことながら、雨や曇りの日には風景の色味は少し
くすんで寒色系になるし、陰影のコントラストもずっと弱くなる。見えたままの色が、描き出すくべき色なのである。それなのに、実際には先
のインプットされた色味で描いてしまう傾向が強い。見たままの色味をパレット上で作ることが先決で、そこが問題解決の最初のステップ
だ。その次は作った色をどう乗せるか(どう描くかという手を動かす技術)となるのだが、通常はその最初の段階がままならないようだ。固
定観念を捨て、目に映る色味を何とか作り出すという試みが大事なのだ。よく観て描くということは、構図やデッサンに限らず、この色味を
作り出すところにも言える。絵画の絵画たる醍醐味とか面白さの一つが、ここにあると言っても過言ではないだろう。
 お天気の話から、何やら絵の話になってしまったが、雨模様の一日、室内でつれづれなるままに綴ってみた。


○北海道は今日も雨だった〜北海道紀行・抄〜(6月21日記)

 北海道に行って来ました。6月10日から道南〜札幌中心で5泊6日、札幌の友人を訪ねる2年越しの念願かなっての旅でした。爽やか
な6月の北海道をたくさんスケッチして・・・という算段でしたが、これはものの見事に目論見外れ。6月の北海道にしては信じられないほど
の厚い雲と雨に見舞われっぱなしだったからです。どうも何時の頃からか、私(あるいは女房のどちらか)が雨男になってしまったのかも。
それでも日が射した時間もあって、そしてそれでも、友人の歓待と案内を得て旅自体は楽しく、いい旅ができました。そんなことで当サイト
上でのスケッチご披露はできませんが、写真を添えての北海道紀行・抄といったものを綴ってみます(いずれ写真を基にした水彩画もアッ
プさせます)。

○ 信州まつもと空港で待機しているとなんとプロペラ機がやってきたのには少し面食らいました。この空港は私の居る小淵沢からはク
ルマで1時間もかからないし、無料で駐車しっぱなしができるので、とても使い勝手がいい空の玄関なのです。それに、JALでは65歳以上
のシルバー割引があって、まつもと空港から飛んでいるのはNAC(JAL系のニッポンエアコミューター)なので、我々夫婦もこれをフルに活
用させてもらいました。余談ですが、今回は道内でJRを使う機会が二度会ったので、JRにもシルバー割引の類がないものか、JR北海道
の予約センターで特急の予約をしたときに訊くと、残念ながらないとのこと。そこまでなら、な〜んだと不満を残して終わったのですが、その
後暫くして先ほど対応してくれたGさんという女性から電話があり、道内でナントカ倶楽部に入会すると割引の特典が得られるとの情報を親
切にも教えてくれたのです。本人がそれも道内で手続きをする必要があったのでこれは諦めましたが、Gさんの対応にはすっかり満足して
しまい、道産子の女性への好感度が一挙に高まってしまったばかりか、JRを許す気分になってしまうのでした。新千歳へのフライトは、曇
天だったので眺めは唯一日本海沿岸が望めただけ。庄内平野から裾野を引き上げた鳥海山が印象的でした。

 新千歳空港からはJR函館本線にて函館へ。車窓から見る一般住宅の家並みがちょっと見慣れないもので、どこか不思議というか、
違和感を覚えるのです。それは、どの家もパステルカラーの積み木を並べたようで可愛らしげで、しかしどこか素っ気なく、そして何よりもこ
んなに広い土地があるのに隣同士かなりくっついて建てられているといった点です。この後も旭川に行く車窓から見分するに、こうした家に
は垣根がなく、むろん門もなく、庭(らしきスペース)には殆どの家屋で木が植えられていないことも発見しました。何故?を考えるに、周囲
が広いし自然が豊かなので庭という空間などあまり重視されない? 樹木や置物で装飾を施すといった虚栄心など論外? 極寒の地なの
で隣同士近接していた方が熱効率がいい? 土地に根ざしても家には根ざさない風土がある? あるいは貧しさと関係している?(それに
しては札幌郊外でも事情は同じだったし、大体内地の戸建て住宅には貧富の差なく樹木くらいは植わっている)、などなど・・・どれも推察ば
かりですが、こんなところにも本土とは違う旅の雰囲気を味わったのでした。

○ 函館には初めて訪れました。ちょうど今年が開講150周年ということで、雨だったので余計そう感じるのか、異国情緒たっぷりです。
函館山に通じる坂道のそこここに建つ普通の住居にもそれを感じます。むろん、古い家が多く先の北海道的(?)家並みとは別物。北海道
ではここと小樽以外は、いわゆる歴史的情緒とは無縁のようです。函館山の頂きは終始雲の中に隠れていたので、有名な百万ドルの夜
景はとうとう見ず仕舞いでした。神戸と長崎を入れた三大夜景とよく言われますが、共通項は漆黒の海によって縁取られた光の洪水、そ
れを見下ろせる適度な高台が近くにあること、それにこれは偶然なのかどうか、三つとも異国情緒と縁のある都会です。光の海という点で
は、例えば大倉山や藻岩山から見下ろす札幌の街ははるかに規模が大きいと友人が言います。我々も昼間眺めた札幌市街の光景から
容易に想像がつきました。元々日本人は三という数字が好きなようで、三大○○はたくさんあるのですが、何故ここが?と疑問に思うことも
結構あるものです。北海道がらみで言うと、札幌の時計台は日本三大がっかりの一つだそうで、他の二つは高知の播磨屋橋と長崎のオラ
ンダ坂とか。まあ、悔し紛れの言いぐさでした。函館がらみで付言すると、一頃函館大学で教鞭を執っていた友人が薦めてくれた「函太郎
寿司」という回転寿司屋は、味、値段とも大満足。朝市内のどんぶり横町はあまりにも観光ずれしていて、ちょっと失望する向きも。あの客
引きの絶えない場外を歩き続けるのはかなり骨でした。

 函館から大沼公園経由噴火湾沿いを北上し、長万部から渡島半島を横断して寿都〜岩内へ。途中自生するブナ林の北限とされる
黒松内に立ち寄り、歌才ブナセンターの人に教えてもらった場所に行ってブナ林の一端を見てきました。北限のブナは樹齢150〜170年
で、本土の250年に比べると寿命が短く、成長が早いと言うことです。また下枝が少なくて幹がすっきりと伸びている点も特徴とか。北限と
いうことで、ぎりぎりそこに適応している姿なのでしょう。実際目にしたブナも若木でスッと直立した小さな株でした。ブナに関連して、後日立
ち寄ったオコタンペ湖という支笏湖から恵庭岳を挟んだ北側にある原生林の中では、ここがブナの移行地であるとの案内書きを目にしまし
た。温暖化などに伴ってブナもその生息地を北に伸ばしつつあるということでしょうか。

雨の大沼公園

寿都の風車群
 日本海側に出て最初に目に入ってきたのは寿都の風力発電用の風車群。その数8基、異様といえば異様ですが、日本海からの強
い風を受けて、悠然と大きな羽を回している様はどこかロマンに満ちていて、またエコを象徴しているようでもあって、なかなか好ましい景
観を呈しています。側に行ってみるとその大きさや風切り音に迫力があります。旅人はこうして喜んで眺めてはいますが、風力発電にはい
ろいろ問題もあるようで、メンテナンスが大変とか、風向きが一定しないことや騒音問題などから、思うに任せない事情もあるようです。確
かに後日行った石狩市で見た風車は2基のうち一基が止まったままで、こうなるとまさしく無用の長物となりかねません。発電ついでに触
れると、宿泊した岩内町のお隣、泊村は原発の村です。原発を誘致した市町村はどこも同じですが、電力料金の補助とか泊村では家の建
て替えなどにも補助が厚いということで、いろいろな恩典を得ています。それに反して、直ぐ隣の岩内町では、当初原発に反対したがため
に何の恩典もないままだと,宿の町民が漏らしていました。いろいろ複雑な事情が裏にはあるようです。

 岩内にある高島旅館はかねてから泊まりたかった宿です。瀬棚町から岩内に移っていまは三代目が経営している海鮮料理自慢の
旅館で、以前から札幌の友人から薦められていました。その宿がコテージ風の現代風建物だったのには面食らいましたが、夕食は噂に違
わず豪勢な海鮮づくし! 刺身盛りはもちろん、二種類の鮑、丸ごと生ウニ、それに平目の活き作り、ナマコ酢とツブガイその他・・。山国
に生活する私らとしては常日頃憧れている食卓で、それを前に興奮すら覚えてしまいます。もちろん、酒抜きで食すなど至難の業です。や
やあってからカニのだしを使った鍋物、さらに焼き魚が出てくる辺りになると目は欲しいのに胃腸が拒否。焼き魚はついに二三回箸を付け
ただけでギブアップする羽目と相成りました。元々北海道行きの主目的は新鮮な魚貝類にありつくことにあったのですが、函館以降この高
島旅館と続くと、既にそれだけで願望は満たされた気分となってしまうのは何と淡泊なことか。早くもチャーハンとかラーメンが食べたくなっ
てきたのには我ながらあきれるほどでした。女房は宿で野菜が出てこなかった点を残念に思い、その後も野菜不足が気がかりのようでし
た。因みに、その後の夕食は、札幌では友人とジンギスカン鍋を囲み、旭川では手軽なホテルの洋食屋でスパゲティ、最後の札幌の夜
は、大丸のデパ地下で買いあさってきた総菜づくしをホテルの部屋で、という有様でした。

岩内付近の漁港〜遠景には積丹半島が

ニセコパノラマライン沿いのダケカンバの森

 友人のクルマでニセコから積丹半島を一周。変化に富んだ海岸線のドライブはこれで三度目ですが、いくつもの岬を貫くトンネルの横
手には、やたらと旧トンネルの入り口が塞がれている光景を目にしました。つまり、海岸線の国道は次々と付け替えられているわけで、こ
れはもう何年前になるのか、TVニュースや実況で取り上げられたあのトンネル崩落による生き埋め事故以来、国土省(当時)がひっちゃき
となって工事を推進してきた結果のようです。また、海岸線に点在する集落には必ずと言っていいほど背後の崖に鉄製の階段が取り付け
られている光景を目にしました。上に畑でもあるのかと思っていたら、友人によれば、これはいざ津波という時の避難階段だそうで、なるほ
ど海と山に挟まれた僅かばかりのスペースに住んでいる人たちにとって、これは命の綱となる建造物だったわけです。入り組んだ海岸線
にへばりつくような集落は、あの広い北海道のイメージとは真反対ですが、冬場の厳しい自然を乗り切ってきたのは、かつての鰊御殿に象
徴される海の恵みあってのことだったのでしょう。この積丹半島を一周する国道、全線開通となったのは結構最近のことらしく、それも原発
ができた後のいざというときの避難路を確保するという目的が後押ししたのだと友人から聞きました。鰊が去り、原発がやってきて繋がっ
ている積丹の歴史の上を我々は走っているとも言えそうです。
 さて積丹ブルーと言われている積丹の海、ちょっと北海道のイメージとは相容れないほどのエメラルドグリーンが鮮やかです。今回、神
威岬では灯台のある突端まで初めて歩いてみました。日頃の運動不足が祟って私は相当息切れしましたが、左右眼下に広がる積丹ブル
ーと岩礁を噛む波頭、急斜面に咲き乱れる黄色のエゾカンゾウ、そして遠い岬が幾重にも重なって続く風景は何とも極上なものでした。お
そらくこんな風景は本州のどこを探してもなかなか見つかりそうもありません。(・・・後日積丹の絵を描いてみましたのでご覧下さい→

エゾカンゾウ咲く神威岬



神威岩を眼下に

石狩湾の浜辺。雨に煙って
うっすらと小樽から積丹半島が。


 札幌は大都会! 至極当たり前のことですが、八ヶ岳山麓くんだりから、それも東京を経由しないでやってきた身に、札幌市内を走る
気分はまさしくこうなのです。函館や小樽を通ってきたのにやっぱりここは大都会です。ちょうどよさこいソーラン祭りにかかったときだった
ので、クルマからはあちこちでおそろいの衣装をまとった一団を目撃しました。この札幌、海が近くなのに海には面していない珍しい大都会
と言えます。古くは海から南北を貫く運河を通って物資が運ばれ、この運河(現在は未利用)を創成川と称してこの川以東が東1丁目、東2
丁目・・・と続き、以西が順繰りに西1丁目、西2丁目・・・。南北は大通公園を基準に北側で北1条、北2条・・・、南に南1条、2条・・・。従っ
て札幌駅は北6条、西4丁目と5丁目の間に当たるということでしょうか。とまあ、これらは全部友人からの受け売りです。その友人は2日
間にわたって札幌の近郊を案内してくれました。藻岩山の山頂からは、今や190万人を飲み込む市街地の広がりが一望できます。石狩
川河口の海と溶け合う荒涼とした一帯は、これが札幌中心からわずか15分ほどの場所とは信じがたいほどです。ここは観光ガイドなどに
は載っていないところ。地元の人にでも連れてこられない限り、こういう場所に来る機会などないことでしょう。河口付近を北上し石狩市に
入って間もなくの浜辺近くには、あとで触れるパークゴルフ場や海浜の別荘コテージが点在し、遠く積丹半島を配した石狩湾が眼前に広が
っています・・・と言っても雨がぱらついていて積丹半島は遙か霞んで横たわっているのが漸く確認できる程度でしたが。別荘はどれもやっ
ぱり小造りで、これもあの北海道的住宅とよく似た風情なのでした。

 幻のラーメンの話です。私は大のラーメン好きで、しかし醤油党ですから札幌のラーメン屋で醤油の旨い店はどこかとネットなどでか
なりチェックしてきたのです。しかし、あまりの数に根負けし、その中から一つを選ぶことなど不可能に思えてきたので、結局は友人の評価
と一致した店(麺処“平成”)で一度食したのみに終わりました。これはこれで十分旨かったのですが、日程的なものや女房の食べたいもの
との折り合いがつかなかったこともあって、函館ラーメンも旭川ラーメンも見送り、札幌でも漸く一軒だけという不本意な結果に終わったこと
が、心残りではあります。このラーメン屋の数だけ見ても札幌は大都会です。札幌の友人も最近はどんどん新しい店ができて、新しいラー
メンが登場するので、とっくにフォローアップは諦めていると言ってました。

 パークゴルフという北海道生まれのゴルフ、これが盛んなことは以前から聞かされていましたが、クルマで走ると確かにこのパークゴ
ルフ場があちこちに散見されました。ドライバーを短くしたようなクラブ一本でパターまでやるそうですが、ゲートボールが前身とのことで、プ
レーヤーは中高年層が圧倒的に多いそうです。これが面白いらしく、札幌の友人はこれにはまりこんでいます。しかし、私の住んでいる山
梨県やその周辺ではあまり見かけないし、長野県ではマレットゴルフのコースを見かけるくらいで、大方の本土人にとって馴染みの薄いゴ
ルフと言えるでしょう。しかし北海道は土地が広いからコースも造り易いし、ゴルフほど金もかからず気軽にできるので人気の背景は納得
できる気がします。それに、何より健康的だと言います。ゲートボールはチームプレーで、しかも四角い限られた空間内で気を張り詰め、時
に気まずい空気となったり喧嘩騒動にもなる陰湿さがつきまとうのに対して、Pゴルフは何と言っても広い空間で思いっきりボールをたたけ
るし、個人のスコアーが勝負を決するので、からっと爽やかな開放感を伴うわけです。これが盛んなのは、後に行った富良野の新プリンス
ホテルでも、ゴルフ場だった場所をPゴルフに切り替えて営業していることからも分かりました。こちらの方が需要があるということで、所変
われば品変わる一つの典型が北海道のPゴルフと言えそうです。

 今回は評判の旭山動物園に行ってみました。最近の若い子は旭山という町があって、それが旭川市にあるとは思っていない人が多
いという話をどこかで読みました。確かに、旭山動物園は知っていても、旭川は知らないという子供はいそうだし、最近のギャル(今は何と
言うのだろう?)たちにしても事情は似たり寄ったりかも知れません。この動物園、女房の動物好きにかこつけて、私も実はちょっと覗いて
みたかった所です。旭川駅でレンタカーをし、開門一番を狙って駆けつけました。何しろこの日は日曜日、富良野まで南下して帰ってきて
再び札幌に汽車で戻るという日程だったので効率重視。なので、人気のペンギン館、アザラシ館、シロクマ館、それに最近できたオオカミ
館を重点的に回りました。なるほど見せ方一つで動物たちが新鮮に見えます。我々の頭上にある綱を渡って動くレッサーパンダが意外と
みもので写真を何枚も撮ってしまいました。それに、これは案外報じられないのですが、駐車場から園内の各館付近にいる係員たちが、
一応に明るくて接客上手という点が印象的でした。旭川という町自体は昨今あまりパットせず、駅前の長いタクシーの列も一向に動きがな
いばかりか、私も町中ではあまり好印象を受けなかったので、動物園の好感度と活気は好対照に映るのでした。

 美瑛から富良野、十勝連邦を望む丘陵のうねりは私の大好きな景色で来る前から期待も大きかったのですが、雨で見事に景観が消
されていました。おまけにこの日は最高気温も13〜4度と寒い一日。ならばと、富良野に直行して倉本聡ドラマがらみの場所に限定したミ
ーハー旅行に方針替えをすることに。2人とも倉本聡ドラマの大ファンで、最近作の「風のガーデン」のために2年がかりでつくりあげたと
いうガーデンが開放されているので、そこを目指します。ランチは最近ここらで評判のオムカレーを新富良野プリンスホテルで食し、そこか
ら送迎のクルマでちょっと行った所のガーデンへ。花の季節にはまだ早かったのですが、あの小さなコテージもあり、一家の愛犬だったホ
タルの墓もあり、訪れるとガクやルイ、そして大天使ガブリエルもひょっこり出てきそうな雰囲気です。言ってみればただそれだけのガーデ
ンに送迎料を含む¥500を払っても足を運ぶのは、そこで物語りを追体験できるからに他なりません。客足が絶えないということで、当初
1年間開放する予定だったところがもっと先延ばしとなりそうだと送迎の人から聞きました。
 女房がついでに「森の時計」という喫茶店にも行きたいと言うので、そこに歩いて着くとなんとまあ、こちらは空席待ちの列です!「森の時
計」は何年か前に放映された「優しい時間」の主人公(寺尾聡)が経営する店で、これもこのドラマのために造ったというなかなかのログハ
ウスです。順番が来て漸くコーヒーを一杯。「北の家族」ゆかりの小屋などは以前行ったことがあるので今回は省きましたが、こうしてドラマ
の舞台となった場所がとっておきの観光資源になる町というのも、全国そうはないはずです。倉本聡のドラマがなかったら、これほど人を
惹きつける町となっていたかどうか。TVの影響力やいいドラマのもたらす余韻がいかに大きなものか、改めて知らされる思いです。
 それはそれとして、ドラマに縁の深い北の峰とか御料といった場所は、本当に緑が心地よく空気が澄んでいて、如何にも北の清涼感溢
れた魅力を宿しています。実は田舎暮らしを夢見ていた頃に、私もこの辺りを候補に考えていたことがありました。しかしやっぱり北海道は
遠く、しかも北海道のへそとも言われる場所の隔絶感や、厳しい冬も考えると現実味のあるプランには至らなかった経緯があります。その
後スキーや旅行で富良野にやってくるのは今回4度目となりましたが、何時来ても重ね合わせるドラマのイメージがあるから、懐かしい印
象を持ってしまいます。尤も、駅前も市街もこの間随分変わったようです。10年ほど前の冬の夜、富良野の駅に辿り着いてから雪の積も
る路地裏で飲み屋を求めて歩いたときの風情など、今は探しようもないほど。これも時代の流れではあります。

風のガーデン

神秘のオコタンペ湖

鏡のような支笏湖
○ 札幌に戻った最終日、友人が支笏湖に連れていってくれました。この日はうっすらとではありますが日が射し続けてくれ、ちょっとだけ
溜飲を下げた思いでした。札幌市中心部からクルマで30分も走るともう原生林の真っ只中。札幌は大都会と言ってもこれが北海道的で
す。恵庭岳に近づくと森はますます深く、北海道グリーンを増していきます。この北海道グリーンとは、道内の緑は新緑の色がさほど変わ
らないまま夏を迎え、内地ほど濃い緑にはなっていかないと友人から聞いて、私がこさえた造語です。前日の富良野の森は雨も手伝って
か、本当に爽やかな緑が滴るようでした。北海道は、カバ類をはじめシナノキやハルニレ、センやミズナラといった落葉広葉樹にエゾマツと
トドマツが混じる混交林なのですが、気候のせいで下生えがくどくなく、どこへ行っても風通しのいい森に巡り会えます。恵庭岳の手前を右
折するとオコタンペ湖というこれは秘境らしい味わいの湖があって、そこに連れて行ってもらいました。湖の全容は見えないのですが、道路
の一角からはエメラルドグリーンの湖面とそれを囲むあの北海道グリーンの景観が望めます。何と言っても人手が何一つ入っていない、も
う内地では考えられないほどのうぶな自然湖の佇まいです。そこに降りていくトレイルはあるらしいのですが、一帯は直ぐにでもヒグマが出
てきそうな静かこの上ない湖の俯瞰でした。支笏湖は北海道で最深のこれももちろん自然湖です。こちらは滑らかで大きな湖面が鏡のよう
に広がっています。水が冷たい!夏でも泳げないほどと言います。

 その足で空港まで送ってもらい、最後は空港内でこれも最近話題のスープカレーをともに食してから機上の人となりました。やっぱり空
港でもラーメンは食べられなかった(しつこい?)。それはそうと、空港はもちろん、どこへ行ってもあの「花畑牧場」は一等地に店を張って
ました。話の種に生キャラメルを買って食べてみましたが、味・値段ともに、当家近くにある洋菓子屋の塩生キャラメルの方ではないかと、
思ったりするのでした。

 北海道は広かった!そしてやっぱり自然が身近で豊富だ! 私は八ヶ岳山麓に居住してここはここで広いのですが、帰って意識して
見分するに、傾斜地の連続で道もカーブが多いことに気付きます。それで改めて思うことは、北海道の平面的な広がりということです。そ
れはまつもと空港近くの田園風景を空から見ていても分かります。畑や町並みの区画ひとつをとっても、入り組んでいて何とも複雑な均整
を見せていました。その点北海道は道が広くて真っ直ぐ、町も畑も区画はゆったりとした五番の目、まあ海岸線や丘陵地帯は別として、こ
んな特徴を再確認したのでした。身近で豊富な自然は一方で厳しさとも隣り合わせ、また万物の輝く季節は短くもあります。そんな環境の
中で育ち、暮らすのですから、道産子に備わっているらしい"おーよそ的"な気分は必要不可欠な資質なのかも知れません。細かなことに
こだわっていても始まらない。太陽の季節は一気に謳歌しなければ直ぐ通り過ぎてしまう。こう考えると、例の住宅事情のことも、よさこいソ
ーラン祭りの爆発も何となく理解できそうです。また、友人が言っていた“北海道では何でも生か焼いて食うだけ。手の込んだ料理などやら
ないんだ”という話が可笑し味とともに甦ってきます。おおらかさは美質である一方、どうかすると、末端神経をバイパスしていきなり中枢神
経に届いてしまう、そんなところもありそうで、それが道産子の喜怒哀楽の大きさというか激しさとして表れているように思えるのです。全く
の独断と偏見で言っているのですが、これは私の多分に好感をこめた感想でもあります。
 
 長い紀行文に最後までお付き合い頂いてありがとうございました。



○我が家の野鳥たち〜その3(4月26日記)

 フィールドノートの野鳥の話が結構好評なので、悪乗りして第3弾です。野鳥について私は詳しいわけでは決してないの
で、写真にものを言わせなければなりません。そのための張り込みが欠かせません(と言ってもTVを見たり本を読んだりし
ながら、傍らに置いたカメラにいざというときに手を伸ばすだけですが)。そんな暇など・・・と言いたいところですが、これが
結構あるわけで、しかも撮影を始めるとなかなか面白く、ついつい時間のたつのを忘れてしまいます。何だか絵を描くときよ
りも集中力を発揮しているようなのです。

 さてその野鳥たち、相変わらず入れ替わり立ち替わりで餌台にやってきてくれます。最近特に目立つのはイカルの群れ、
次にシメの群れ、そしてカワラヒワは四六時中うろうろ。これらはいずれもアトリ科で、行動時間帯や領域が似通っているの
でしょうか、本当に餌台を席巻してしまう傾向が大となりました。アトリ自身は最近余り飛来してこなくなりましたが、この3種
類はしょっちゅう餌台の争奪戦を繰り広げます。イカル同士、シメ同士、あるいは同じ大きさの両者の争い、それらが途絶え
ると執拗に餌台を狙い続けていたカワラヒワがやってきて同じことを。これが日常茶飯事で、同じ部族内だから遠慮も少な
いのでしょうか、ともかく賑やかです。特に、早朝からやってくるイカルの群は、ギャーコラギャーコラと騒いでちょっとはた迷
惑。高貴なイメージが最近は薄れつつあります。

 我が家が贔屓にしているシジュウカラとヤマガラもやっては来るのですが、どうもこれらのアトリ科に圧倒されて分が悪く、
だから、私と女房の出動回数も増えます。シジュウカラたちが餌(ヒマワリの種)を食べられるように、シメやイカルを脅して
一旦遠ざけるわけです。シジュウカラは餌台に飛来しては一粒の種を口にして飛び立ち、近くの木の枝に止まってついばみ
ます。ときにライバルがいないと餌台に居座ることもありますが、概してお行儀がよく、きれい好きなのかヒマワリの殻を餌台
の外に捨てている光景をよく目にします。それが可愛くて贔屓にしてしまう一因です。それに比べてアトリ科の鳥たちはライ
バルさえいなければいつまでも居座る傾向が大です。



イカル同士のバトル
ギャーギャーと賑やかなことこの上なし。




バトルはまだ続いて、手前の手すりではシメが
観戦というか、様子見です。





漸く占拠したイカルが落ち着きを。
それでも優先順位があるらしく、順番待ちが。




そこにシメが割り込むべく挑戦。
 




シメが優勢となって今度はシメ同士のバトルが。



シメの態勢が整わないうちに再びイカルが
後ろからちょっかいを。







束の間の平和
シメとカワラヒワとの同居状態です。





シジュウカラが恐る恐る接近。「入れてよ〜」
「なぬっ」とシメは睨みをきかします。





珍しくアカゲラが。
この可愛い王様は、現れるといつも一人舞台。
 この餌台、最近は変わった来訪者も出てきました。ある時はリスが、そしてあるときは今まで餌台など見向きもしなかった
ハトやアカゲラまでやってきます。リスは、あまりに長く居座るものですからちょっと脅すと大急ぎで下に降り、見ていたら隣
の庭に移動してお隣の餌台にちゃっかり鞍替えをしてました。アカゲラが餌台でヒマワリの種を食べている光景も最近目に
しました。さすがにアカゲラがいると他の鳥たちは退避状態となって近寄りません。



 餌台の珍客
ハトと


ハトはさすがに重量級。餌台に
どっかと腰を落ち着けるとなかなか
席を譲りません。

リスは大食漢。これも現れると際限なく
居座ってしまうので、時間制限で
どいてもらいます。






○ 春たけなわ(4月23日)

 サクラの命、今年はことさら短かったように思えます。私の居る千メートル周辺の山麓での話です。10日ほど前にちょっと
ほころびかけてから寒くなり、わっと開花したと思ったら暑いくらいの日が続いて、満開のサクラを愛でる間もなく気がついた
らもう葉桜といった具合です。開花時期もさることながら、この散り時期も昨年と比べるとかなり早いのではないか、という気
がします。その点、コブシは今年が当たり年なのか、サクラよりかなり早く咲き始めて、まだ芽吹きの始まらないモノトーンの
林を白く彩ってくれました。水彩で使う白抜きのような光景が昨年よりはずっとあちこちに出現して、山麓の春をいやが上に
も盛り上げてくれる存在でした。だから、昨年はできなかったコブシの取材がかなりできて、絵のモチーフが溜まりちょっとほ
くそ笑んでいるところです。さてサクラの散り際、普段はこのタイミングを待っていたように広葉樹の芽吹きが始まるのです
が、どうも今年は芽吹きのタイミングも早いように思えます。だから、散り残ったサクラと新緑が混在している状況が目立つ
ようで、年によって春の表情は微妙に違うものだと改めて感じます。

 さて、花爛漫の様子、いちいちご説明するよりも私のスケッチをご覧いただいて、その一端でも汲み取ってもらえればと思
います(→山麓スケッチ館)


○個展余話(4月2日記)

 長坂町の「おいでやギャラリー」での個展は、11日間の長丁場でした。それでも家からクルマで15分ですからそこは地元
の利、毎日遅めの通勤でもするような案配でリラックスして終始することができました。おいでやの建物は、昭和初期でしょう
か元々は旅館であったものを産婦人科医が買い取り、その医師の死後、遺言によって町に寄贈された建物です。町はそれ
に改修を加え、民芸調の落ち着いた空間を持つギャラリーに仕上げました。私は2年前に一度使っているので、今回が2度
目。4年目となった山麓生活を反映するように、来場者の中には仲間や顔見知りも増え、そしてありがたいことに、私の絵を
観るために県下の遠方からお越し下さった方々や、さらには当地に別荘をお持ちの方々や観光がてら首都圏から足を運ん
でくれた方々も増えて、私としては大変光栄なことでした。このHPを見て来られた方も少なからずおられたことは、絵描き兼
サイト管理者として、とても嬉しく思うことです。皆様に厚くお礼申し上げます。

 もちろん、小さな町のことですから、都心での個展とは自ずと趣が異なります。暇をもてあそぶ時間もたくさんあって、そん
なときには持ち込んだ文庫本を読んだり近くのコンビニに行ったり、管理人の部屋でコーヒーを飲んだりと、退屈しのぎの日
常をやり過ごすといった一幕もありました。来場の方とお茶を飲みながらの団らんが続くこともしばしば。それでも会期中を
通して二百数十名の来場者数を得ることができ、これはおいでやとしては相当多い数字だそうです。確かに2年前の芳名帳
を見ると160余名でしたから、これもまた嬉しいことです。

 変わった来場者もいました。身障者の子供たちをケアーする施設からは十数人の子供を連れがやってきて賑やかな会場
風景が展開されました。そのうちの一人、T君は小学生になるかならない年頃で、大変な能力の持ち主でした。何でも山が
好きで(と言うよりは山の造形が好きというべきでしょうか)、一度見た形が頭の中に記憶され、それをいつでも引き出すこと
ができるということなのです。彼が砂場で砂を盛り上げて作った八ヶ岳の写真を見せてもらったのですが、斜面の緩急とか
切り立った尾根の表情とか、これは思わずうなってしまうほどです。みんながはしゃぎ回っている中、その彼だけが八ヶ岳と
甲斐駒を描いた絵を下から見上げて釘付けとなっていたのが印象的でした。引率の方によれば、描き出された山の記憶が
こうして彼の中に焼き付けられるとのことです。私は彼の能力が多少なりとも理解できるので、大いに共感を覚えました。と
いうのも、私は疎開先で小学校に上がる前、近くの駅でいつも蒸気機関車を眺めては、その細部まで見なくても描けるよう
になっていた頃があったからです。尤も私の場合は蒸気機関車をはじめとする乗り物への興味であったのに対し、彼の場
合は山への興味ということですから、彼の方がよほど高尚と言えそうです。山麓という格好の舞台で、T君がどのように独自
の能力を開花させていくのか、とても楽しみです。

 いつも思うことですが、個展は作品を観てもらう場であると同時に、様々な人たちとの出会いの場でもあります。中には小
学校1年生以来60年ぶりの再会という場面もありました。先ほどの話と関係するのですが、60有余年前の疎開先、幼少の
頃の話です。私の描いていた蒸気機関車の絵はちょっと知れるところとなっていて、たった1年間の小学生時代でしたが、
その頃の私のことを同級生は結構覚えていてくれたのです。ある時そんな中の一人が私のHPを発見し、「もしかしてあの蒸
気機関車を描くマサカズちゃん?」というメールをくれたのです。実を言うと、昨年12月の個展でもそれが発端となって、同
級生2人との第一回目の60年ぶりの再会がありました。今回はその第2弾で、遠路横須賀と富士宮からこの山麓にやって
きてくれたのです。その夜は2人の女性(女性ですよ!)との楽しい会話で盛り上がりました。こんな珍しい話も絵がとりもっ
てくれたわけで、改めて絵を描いていて良かったと思うのでした。

 3度ほど足を運んでくれたOさんというご自身も画家、私と同年配の女性も印象的でした。彼女は“絶句”とか“こんな水彩
画は見たことがない”とか身に余る感想を漏らしてくれたのですが、2度目に来られたときは「おわら風の盆」の絵に魅入っ
ていて、それも余りみんなの足が止まらなかった一点の前で立ち止まっています。その絵から“気”を感じると言うのです。そ
の絵は、私がそれまで絵に描き出そうとしていたおわらの哀調とか情緒だけでなく、昨今感じ始めた“静かなる気合い”のよ
うなものを描き出そうとしたまさにその一点だったのです。お互いの琴線がどこかで触れ合ったのでしょうか、私も驚いて、
そして調子に乗っておわらのことは全然知らないという彼女に、会場に持ち込んでいた三味線と鼓弓の演奏CDを聞かせ、
おわらの説明を縷々していたところ、彼女の目に涙があふれ出しました。感動するといつもこうで、心臓に良くないのだと言
います。こんな感性豊かな人、いや、司馬遼太郎がよくエッセイで書いている「感情量の豊富な人」と言った方が当たってい
るでしょうか、そんな人に巡り会った気がするのでした。

  毎回来てくださる方々には本当にありがたく頭が下がる思いです。極言すれば、個展を開くということは、そうした方々にい
い絵をお見せしたいという思いが大きなモチベーションになっているとも言えます。それなのに、如何せん1対多数という点
で、お顔は覚えていてもお名前や個展との関係性が分からない場合が多く、特に人名を覚えるのが不得手な私としては失
礼の段が多々あったことと思います。この場をお借りしてお詫び申し上げます。これに懲りずに、次回も足をお運びいただけ
るなら、これに勝る幸せはありません。


○ 我が家の野鳥たち〜その2(3月6日記)

 野鳥はいよいよ団体さんが常連となってきました。この時期、特に雪が降ると一層賑々しく飛来します。かつてこんなに野
鳥を目にしながら楽しんだ記憶はなかったので、これも山麓に移住してよかったと思うことの一つです。

 シジュウカラ、ヤマガラ、カワラヒワ、アトリ、シメ、エナガ、イカル、アカゲラ、コガラ、ホオジロ、ミヤマホオジロ・・それにヒヨ
ドリ。数えると12種類の野鳥たちが我が家の珍客となっていて、餌台にやってくる彼らを見ていると、いろいろな特性がある
ことが段々と分かってきましたので、先日書いたことの半分は訂正せなばなりません。

 はじめからの常連さんであったシジュウカラやヤマガラはここのところ分が悪くなってます。と言うのは、カワラヒワやアトリ
の数が急に増え(いずれも20〜30羽の群れ)、おまけに図体の大きなシメまでも数羽の群れでやってきては餌台を独占す
るからです。どうもこれらの群れは相前後してやってくるので、行動をともにしている節もあります。本で調べてみると、この3
種類はいずれもアトリ科とあるのでいわば同族同士。同族と共同行動とは何か因果関係があるのでしょうか? さて、餌台
を占有されると、お行儀よく一羽一羽と入れ替わり立ち替わりに飛来し、ヒマワリの種を一粒ずつ取っては近くの枝に留まっ
てついばむシジュウカラなどは、とりつく島もなくなります。こうなると、判官贔屓の私らとしてはいったん占有組を追い払うケ
ースが増えました。そうやって静かになった餌台に最初にやってくるのが、シジュウカラとヤマガラです。人間への警戒感が
他の鳥ほど強くはないようです。基本的には図体の大きい方が強いようですが、あの可憐なカワラヒワが意外にも気が強い
ことも分かりました。大きなシメやイカルが餌台を独占しているとき、これに突っかかって追い出そうとするのがカワラヒワで
す。しかも簡単には諦めないやんちゃ坊主のようです。アトリは要領がいいようで、混乱の最中、隙を見つけてはめざとくや
ってきて、そのうちアトリ一色の様相を呈したりします。どうも同族間では餌場争いが一段と激しいようで、アトリやカワラヒ
ワ、シメなどは同じ仲間が来ると威嚇も一段と激しくなります。

 シメと同じくらいの大きさのイカルはその姿が如何にも貴公子。餌台を常に独り占めしようとする最強者シメと渡り合うのが
イカルです。シメもイカルだと多少敬意を払うものか、最初は追い出そうとしますが、双方が同居している光景は何度も見か
けました。そのイカル、枝に留まった様子があまりにも風情に満ちていたので、絵にしてみました。(→山麓絵画館)

 雪の日と次の日のラッシュアワー状況〜餌台の攻防を撮影しましたので一部をごらんいただきます。
まあ、見ていると時を忘れさせてくれる野鳥たちです。




餌台の屋根からデッキの手すりまで
アトリが占有してしまいました。


イカルとシメが餌台に。カワラヒワ(飛翔中)が
割り込もうと狙い、手前ではアトリが隙あらばと待機。


いつの間にかアトリがちゃっかりと餌台に。カワラ
ヒワは執拗に接近を繰り返します。それにしても
カワラヒワが飛んでいるときの黄色は鮮やか。


○ わが家の野鳥たち(2月10日記)

 前にも書きましたが、ここのところ野鳥の飛来が賑やかで、しばし私たちの目を楽しませてくれ、気持を和ませてくれてます。ホントに可愛
い! 野鳥の飛来が一番多い季節なのでしょうが、友人が作ってくれた餌台が大繁盛で、これが目当てでやってくるという理由もあります。
つい最近まで風邪をひいて、熱や頭痛に悩まされていた関係で家に閉じこもりがちの日が続きました。そのお陰というか、カメラを横に窓
ガラスの所に陣取っては、わが家の頻客を撮影することができました。それらを一挙大公開・・・といっても素人の手持ち撮影ですのでご披
露するほどのものでもないのですが・・・わが家の隣人たちをご覧下さい。


我が家では愛らしい王様的な存在の
アカゲラ。この鳥がやってくると、先着
の小鳥たちは席を譲ってしまいます。



カワラヒワは、はじめは慎重でしたが、
慣れたのか最近では餌台にもやって
くるようになりました。




エナガは一番小さい部類。数を頼み
にボールの練り餌に群がってシジュ
  ウカラを左端に追いやってしま
いました。



珍しくやってきたアトリ(右)、シジュウカ
ラが警戒しつつ反対側にとりつきます。
アトリはあっという間に姿をくらませてし
まうので、思うように撮影させてくれま
せん。



←常連さんのシジュウ
カラ(右)とヤマガラ。こんな
風に餌台で睨めっこをする
シーンが多いのですが、写真
の感じとは逆で、大体はヤマ
ガラの方が意図太く優先権を
持っているようです。






いつも単独行動でやて
くるシメ。一種風格を漂わせ、
悠然と餌台を独占します。





ホオジロはちょっと控えめ。練り餌に
も餌台にも近寄らず、番で地べた
をほっつき歩いたり、時に枝に留まっ
たまま何か考えている様なそぶり
も見せます。


ヤマガラのショット。



 一番多いのはやはりシジュウカラ。シジュウカラ単独の部隊とヤマガラとの混成部隊があって、これらがやってくると餌台は大賑わい、入
れ替わり立ち替わり餌台を占領し、ヒマワリの種をついばんで皮をその辺にまき散らします。餌台の傍、ヤマボウシの添え木にはボール状
にした練り餌をぶら下げているのですが、中にはその練り餌を突っついては次ぎに餌台にと、忙しげに飛び回っているのはこのシジュウカ
ラとヤマガラです。練り餌専門がエナガとアカゲラ。エナガは数羽でやってきては一度に何羽もそこに群がります。アカゲラはやはり大柄故
の威力にモノを言わせ、いつも単独でやって来ては先着組を立ち退かせてしまいます。翼の黄色がオシャレなカワラヒワは、はじめは庭を
ほっつき歩いていただけでしたが、最近は餌台にも登場するようになりました。餌台の重量級はシメ。これも一羽でやってきてはシジュウカ
ラたちを立ち退かせてしまいます。ごく最近になって、アトリも登場するようになりました。こちらは鷹揚なのか、あるいはシジュウカラたちも
それを知っているのか、平気で同居状態のまま餌をついばんでいます。野鳥は何種類かが群れて行動することも多いそうで、どうもわが
家は餌場の一つとして彼等にすっかり認識されたようで、何種類もの野鳥が一度に飛来することも珍しくありません。

・・・・スミマセン、絵とは関係のない更新でした。


○ 冬一息(1月23日記)

 一挙に気温が上がった一日、雲間が大きくなってやがて山が見えてきたので、実に久しぶりにスケッチ道具をクルマに積んで出かけまし
た。実は個展以来初めてのスケッチ外出。この気温(我が家で7度)なら、清里も野辺山も暖かいに違いない。雪もかなり溶けているはず
だし、あの野辺山のレタス畑を縫う道も走れるに違いない。そう見込んで野辺山に行ってみることに。国道からかなり入り込んだ開拓記念
碑近くに来ると、さすがに除雪の手もおよばす、道は湿雪に覆われて何本かの轍があるだけです。クルマのお尻を振り降り記念碑の丘に
たどり着くと、峰をはうように流れていた雲が吹っ切れて、雪原の向こうに八ヶ岳がその全容を間近にしています。これはいい!気温は5
度、風も殆どありません。普通だと寒風が雪煙を上げて吹きすさぶ広野です。1月にこんな好条件に恵まれることはごく稀なので、スケッチ
をしようと車外に出るとさすがに道路上以外はずぼっと足が潜るほどの積雪です。椅子や道具の置き所がないので、仕方なくクルマの中
からスケッチに取りかかることに。緩やかな登り道の続く先に赤岳が。そこから右手には横岳〜硫黄岳に繋がる稜線が厳しい冬のいでた
ちで見え隠れしています。私の好きな構図です。雲はまだ騒いでいるようですがほどよく途切れて、八ヶ岳のスカイラインが見え隠れしてい
ます。素早くデッサンと彩色を施して出来上がり→ 山麓スケッチ館。窮屈な態勢だった割には伸びやかな冬の八ヶ岳が描くことができた
かと、一人悦に入ってからコンビニおにぎりで昼食を。

 それにしても暖かな一日、午後になると道路上からは至る所湯気が立っています。野辺山から折り返して高原道路づたいにまきば公園
に行ってみました。やや霞がかった大気の向こうに南アルプスが洋々とシルエットを描いています。1400bの高見からは、北岳も随分と
抜きんでて見えます。これも絵にすると面白いのですが、足場が悪く写真を撮るのが精一杯でした。春めいて、冬が一息ついた中で、久し
ぶりに絵心をはしゃがせることのできた一日でした。明日からはまたいつもの冬に戻って、気温も今日より7,8度は下がりそうです。



○ 2009年の年明け(1月1日記)

 年の瀬から年始へ。事を収め事を始めるのも、私の場合これで66回を数えたことになります。当家も庭や家の中の掃除、片付けに追わ
れ、結局時間切れで新年を迎えることになりました。お屠蘇気分で久しぶりのフィールドノートを書いてます。それにしても、世間が皆一様
に同じリズムで年を越しリフレッシュして新年を迎えるというのは、改めて考えると不思議とも言えそうです。誰もが暦という時間の約束事に
従っているわけですが、こんな愚にもつかぬことを考えるのは、勤め人や仕事をしている人ならいざ知らず、そこから離れた私らのような
立場ともなれば、世間一般のリズムは無視したマイ・カレンダーで平然とやってみても良さそうなものなのに、と思うからです。イヤイヤ、か
く言う私も結局は同じリズムに身を委ね、こうした人文暦にしたがって過ごしているのは、世間と歩調を合わせていることへの安心感、一体
感というものがあるからでしょう。人間は社会的動物と言われる謂われでもあります。大晦日は早めに飲んでしまったので年越し蕎麦は買
いに行けず、年末ジャンボはかすりもせず、紅白だけは何とか回避して(以前からあの芝居がかって装飾華美に走った紅白が苦手でし
た)、無事年を越しました。しのこの言っても、世間の暗いニュースを横目にこうして新年を迎えられるのは幸せなことであります。
  今朝はお正月の新聞を二紙ほど買い求めに近くのコンビニに(当家は舗装道路から引っ込んだ場所にあるため、新聞配達をしてくれな
いのです)。新聞なんて要らない、と割り切ってはいるものの、お正月くらいは新聞を拡げて世間を眺め回してみたいわけで・・・。買い物つ
いでに、冷えてきりっと澄み渡った大気と山の様子を写真に撮ってきましたので、少しだけご披露させてもらいます。山麓の新年です。


今朝の甲斐駒、ちょっと雲がかかってました。

  スミマセン、余計なお喋りばかりで。このフィールドノートの趣旨に沿って、絵に関係した話を書かねばなりません。結局のところ、昨年
後半は12月の個展を中心に、月日を費やすることになりました。通常、個展のあとには結構やることがさんあるのです。絵を梱包して送っ
たり、注文をもらった絵ハガキを印刷して送ったり、このHPを更新したり、芳名帳を元に住所録を更新したり、そして絵を収めるべき場所
に収めたり・・・。それらを一応終え、不義理をしていた約束やら予定を実行すると早くも年の瀬となっていました。我がアトリエは依然として
雑然としたままで、個展が終わるまでは控えていたPCやらプリンターの新調、そして虎視眈々と狙っていたCDデッキも新調し、これらネッ
ト注文をした品々が堰を切ったように届いたので、現在我がアトリエには新旧機器が所狭しと仮置きされた状態なのです。絵も年代順に整
理して保管し直そうと思っていているのですが、個展や水彩教室の模写用にとっかえひっかえ出し入れがあったので、まだ整理がついてい
ません。古いモノと新しいモノが混在したままの状態を何とかしようと思いながら、新年を迎えてしまいました。こういう状態なので、個展後
は絵筆を一度も取っていません。というよりも"こんな絵を描きたい"というイメージすら頭に浮かんできませんでした。風景を見ていても、そ
れが頭の画用紙に結実しないまま。しかし漸く最近になって、頭の中に絵のイメージが浮かぶようになってきました。そろそろ・・・と潮の満
ちてくる気運も感じています。でもその前にと、元旦早々に絵の机廻りの整頓にかかっているところです。何ヶ月ぶりかで絵の具ざらやパレ
ットを洗いました。3月には地元「おいでやギャラリー」での個展も控えています。当初は東京の個展に出した作品を地元の皆さんに披露で
きれば、と考えていたのですが、これは嬉しい悲鳴で、相当数が手元から離れていくことになったので、それなりの数を描き揃える必要が
あります。それやこれやで、制作間近! いやその前に箱根駅伝の観戦もありました。まあお正月くらいはゆっくりと過ごして、それからと
いうところです。


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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下 2008年



○ 当地の紅葉前線(10月21日記)

 八ヶ岳周辺の紅葉情報です。この紅葉、いつも思うのですが、黄葉と書いた方が的を射ているように思われます。紅葉の方は数少ない
のですが目立つので一般的には紅葉を用いるのでしょうが、何といっても、日本の植生から言えば山の秋は圧倒的に黄葉の方が多いわ
けです。ただ、黄と赤の中間的な茶系とか橙色系、また若干の緑を残した葉もあるので、見た目には全体的に橙がかった黄色がベースと
なっています。ですので、私の場合、黄葉の森を彩色するときは黄色を地の色で塗り込めます。黄色はその上から色を乗せていろいろ変
化させることが可能です。

  以下、この言葉は漢字変換のままに任せますが、それはいいとして、昨日は爽やかな秋晴れだったので山麓界隈の標高500bから1
400bの高度差の中をスケッチを兼ねて走り回ってきました。昨年と較べると今年の紅葉は一足早くやってきたようです。地形や場所によ
るのですが、10月20日現在で1300〜1400b辺りがピーク。その下はまさにこれからという段階です。八ヶ岳山麓を望見すると2千b
辺りはカラマツの黄色に覆われ、高度を下げるに連れてその色合いはまだ緑が混ざった色に変化してきているのが一見して分かります。
昨日見た限りでは、飯盛山登山口がある獅子岩あたりは既にピークオフ。清里の駅や野辺山の畑あたりはいまピークを迎えているとこ
ろ。多分八ヶ岳高原道路の東沢大橋付近も今頃が一番いいでしょう。ちょっと下って高原大橋付近はまだまだこれからという感じ。瑞牆山
に足を伸ばすと、1400bの瑞牆自然公園周辺はまさに紅葉が圧巻です。そんな黄葉の山腹の上にそそり立つ特異な岩峰群と正面から
向き合うようにしてスケッチ。ただただその迫力に負けぬよう他には目もくれずに描いた一点をご覧下さい(→山麓スケッチ館)。
 そこから下って本谷渓谷から通仙峡、増富温泉にかかる辺りは、来週が見頃という感じでしょうか。里に下りていつも走っている7〜800
b前後の山麓はまだ青々していて、11月に入るまで綺麗な黄葉は待たねばなりません。一方、八ヶ岳の西麓に回り込むと、紅葉前線は
南麓よりもかなり早く通過しつつあります。同じ標高でも北風や北西風が強く当たるので、それが気温差となっているせいで黄葉が早くやっ
てくるのです。ある本で紅葉は一日30bの速さで山を下るとあったのを読みましたが、このペースだと、私のいる1000b辺りでは、あと1
0日〜2週間ほどで紅葉のピークを迎えるということになります。尤もこれは順当に行けばという話で、寒暖の推移が決め手となることは論
を待ちません。当家の庭のカツラは既に散り始めていますし、ナナカマドは半分色づいたという段階です。
 
  黄葉の波が通り過ぎると、いっときの小春日和には恵まれるものの、山麓は寒々とした冬のモノトーンに取って代わります。家々ではそ
ろそろ暖房を入れ始めていますが、我が家は夜間蓄熱式の電気暖房なので、いつ頃その電源を入れるか、これから日々気温との睨めっ
こです。



○ 創作の秋いろいろ(10月13日記)

 確実に秋が深まっていく山麓、こちらにやってきて四度目の秋です。今年は一段と稲田の黄金色が目立つようで、刈り入れが終わった田
圃では、天日干しの光景や野焼きの煙が散見されるようになりました。そんな風景を一点スケッチ→「山麓スケッチ館」)。因みに、天日干
しのお米は主に自家消費で、農協に出荷する米は脱穀して農協で機械乾燥させるそうです。紅葉も順当に進んでいる様子で、当家の庭の
カツラやナツツバキはもうすっかり秋の装いです。

 私にとっては何かと忙しい秋で、第一の要因は12月の個展を控えていること、次に7月から始めた当地での水彩教室がいま生徒さんた
ちの熱意に支えられて早くも熱気を帯びてきたことがあります。月に二回の開催ですが、お陰様で教室参加人員も制限せざるを得ない状
況です。仲間内での文化祭なる行事もあって、これはこれで私は倶楽部内のスケッチ会を主催していますので、会としての出展をすること
になりました。そんなことで毎日が絵三昧といえばリッチな響きがあるのですが、絵に追いまくられている感も否めません。
 そんなある日に鳴った電話では、受話器からいきなり英語が聞こえてきたのには驚かされました。どうも英語圏の人の声質はアジア圏の
人と較べるとやや野太いものだとかねてより感じていましたが、一瞬同じ感じを覚えたものです。サンフランシスコからで先方は聞き慣れな
い名前です。訊けば昨年の銀座での個展を観た方で、嬉しいことに私の作風をいたく気に入ってくれていて、作品を友人に紹介したいので
HPがあれば教えて欲しいということです。用件はそれだけだったのですが、対応していて私のHPは日本語版だけであったことを改めて気
付かされました。このあとはメールによるやりとりですが、先方が知りたかった値段も入っておらず、ましてや日本語だけでは作品の意図
や説明もないときては(これは必ずしもなくてはならないというわけではありませんが・・)、外人が観てどういう感興を覚えるものか、ちょっと
考えさせられました。そこで、私が提携している」ミリオン・アーティスト」という絵のネット販売を目的としてサイトも併せて紹介し、そしてこの
サイトについて私のHPでは一切触れていなかったことにも思いが至るのでした。そこで、このサイトの紹介をしておきます(→「ミリオンアー
ティスト)。

 さて個展まであと四十数日、まだ案内ハガキも作っていないし、額やマット紙の用意も一切していません。何しろ私の住んでいる周辺に画
材屋はなく、甲府や松本まで出向けばそれはあるのですが、私が拘っているマット紙についてはなかなか思うに任せません。作家としては
一番焦り始めるこんな頃合、先日何点か候補作品を並べてみると、秋を描いたものが少ないことに気付きました。折しも秋、いろいろ雑務
もあるのですがこれからスケッチも頻繁に行かねばと言い聞かせているところです。先のスケッチの加えて、昨年来貯めていたモチーフの
中から何点かを描きおこしています。そのひとつ、秋の日だまりの中で農作業をしている老夫婦を素材にした作品は、その光景に接したと
きの何とも心暖まる感じを絵に載せたいと思って描いたものです→山麓絵画館


○ もう9月ですね〜!(9月9日記)

 気が付けばあの積乱雲の暑気が遠ざかり、9月もはや1/3が過ぎ去ろうとしています。このHPのトップページで海の絵に寄せて書いた
一節 「押し寄せては砕け、次々とまたやって来る波にも似て季節は何事もなかったかのように通り過ぎ、移ろいでゆきます」 ・・・これは私
の心境をほんの少し綴ったものです。一月前に一人暮らしをしていた弟を亡くし、不肖の肉親ではあったものの、この世から居なくなってみ
れば心のどこかにポッカリと空白ができたような、私にとってはそんな気分であれこれと事後処理に駆け回った8月でした。 そして、どこか
らともなくひたひたと押し寄せてきた秋。地球温暖化で多少様相が異なってきたとはいえ、「暑さ寒さも彼岸まで」に変わりはありません。季
節は誰の身にも分け隔てなく押し寄せてはまた移ろい去るものですが、そんな季節の移ろいを感じるのも生あってこそ。私は季節の風情
を精一杯筆に掬いとろうと気持を新たにしています。

 気持を新たに・・と書いたのは、12月1日からの個展を控えているからでもあります。まだ日があると思っていたらあと2ヶ月と少々。差し
迫ってから慌てるいつもの性癖はじゅうじゅう承知しているのですが、かなり密度を濃くしていかないといい個展ができなくなるその瀬戸際
に来ています。その他にも一著前に畑もあり、7月から始めた水彩教室も、仲間内での文化祭出展も、弟のことでの上京などもありまし
た。あれこれ焦り出すといい結果を招かないことは分かっていますので、得意の開き直りにものを言わせて臨んでいこうと思っています。

 今年の「おわら」、こんな取り込みのあったあとでしたが、一日だけ行ってきました。演舞場での取材が目的でした。これには小学校のグ
ランドを使って二日間に分けて全11町内が出演するもので、今年はその二日目だけを写真に収めてきました。撮影と言っても夜のとばり
が下りてからのこと、しかも観客席の最後部の少し高くなった場所から小学校のグランドを挟んだ端にあるステージ上の踊り手を撮るので
すから、照明があるとはいえかなりの望遠レンズと三脚を使わないと話になりません。この撮影、今回で3度目となり、都度思ったように撮
影できなくて反省して帰るのですが、今年もまた同じことの繰り返しでした。それでも撮った中から何枚かは絵のモチーフにできそうで、こ
の機会がないとなかなかおわらのいろいろな所作をきっちりと写真に収めることが適わず、従って私のおわらの絵のモチーフも尽きてしま
うことになるのです。
 今年は本当に蒸し暑い八尾で疲れ果てました。その中での取材、いやそのことよりも、私自身が忙しない思いでやってきたためでしょう、
昨年感じたようなおわらの機微に触れず仕舞いでした。蒸し暑いといっても演じ手の方はいつも通り、精魂込めておわらを演奏し踊ってい
たはずです。来年は一つ心身にゆとりを持ってじっくりおわらと対面したいといまから肝に銘じています。


○ 暑いと暑いとぼやいてもしょうがないのですが、改めて「夏」諸々(8月7日記)

 本日は立秋。暑中お見舞いをと思ったのですが、本日以降は残暑見舞いということになるのでしょうか。お盆を控えて、山麓の人口密度
も高くなりつつあります。

 いまさら夏は暑いと言っても始まらないのですが、年々その暑さが身に染みます。加齢のせいなのか、本当に暑くなっているせいなの
か、おそらくその両方による相乗効果なのでしょうが、それは私の住む千bの高原にしても実感することです。子供の頃を思い出すと、どう
も平気で帽子もかぶらずに炎天下を遊び回っていたものです。学生の頃だって真夏のビーチでよく時を過ごしましたが、やっぱりどうも帽
子をかぶっていた覚えがあまりないのです。いまでは、ちょっとした畑仕事や庭の草むしりにしても麦わらが欠かせません。それなしでは、
2,3分でも頭がくらくらしてきます。抵抗力がそれだけ衰えたことは確かですが、かつてよりも暑さが強烈という事実も確かにありそうです。

  さて、この八ヶ岳山麓ですが、連日、晴れると南アルプス上空に湧き上がる積乱雲が旺盛な暑気を物語り、今日もまた暑くなる前兆となり
ます。それは午前中早くからにょきにょきと頭をもたげては徐々に高見を増し、蝉も鳴き止んで太陽が中空にかかる頃になると、空を支配
するように勢力を拡大していきます。全ての生き物が息を潜めて強烈な陽射しを避ける日中〜と言っても、ホオジロと天空を舞うトンビの
鳴き声は聞こえてきますが〜、積乱雲は唯一対称的にエネルギーを誇示するかのようで、やがて夕刻近くになるとおびただしく帯電したそ
のエネルギーが、雷やゲリラ雨となって地上を襲います。これも最近は日常茶飯事。そんな沸き立つ雲の様を窓越しにスケッチしてみまし
→山麓スケッチ館
 ダウンバーストとかガスとフロントとか、新しい気象用語も覚えました。これによる事故もこれまで以上に増えているようですが、これも地
球温暖化の一つの側面に違いありません。ただ、高原のいいところは、日陰に入るとスッと暑さが退いて、夕刻ともなると涼しい大気が取
って替わってくれることです。熱帯夜というものがないので、就寝時は窓を閉め切って薄掛けをしていないと風邪をひくほどにクールダウン
します。人々が避暑にやってくるのもこの天然のクーラー故。暑いことで有名な甲府盆地とは高低差にして700bほどありますので、4〜5
度の気温差が常にありますから、この辺りでクーラーを設置している家は殆ど見当たりません。日中、無風状態となるとちょっと辛い面もあ
りますが、それもやり過ごせる範囲内です。東京や甲府辺りからやってきた人の第一声は「あ〜空気が違う、ホッとする」。私らは日頃そん
な有難味に気付かないほどになっていますが、一方でこの酷暑に都会に出かける勇気は消え失せてもいるのも事実です。

  札幌の友人によれば、お盆の季節を迎えあちこちで夏祭りの賑わいが始まると、もう間もなくやってくる紅葉、そして雪虫が飛び交う季節
の到来が頭を過ぎって、道産子は心のどこかで身構えるものだそうです。ここ八ヶ岳山麓では、季節の進行もそれほど忙しくはなく、秋の
間合いも十分にあると言えます。それでもいま、我が家でもアジサイとコスモスが同時に咲いている状況なので、それなりに季節は凝縮さ
れているようです。夏が凌ぎやすいということは、内陸にあっては冬が厳しいということでもあります。どっちを取るかという問題でもありませ
んが、寒さは暖房の心地よさで凌げます。そういえばこの寒さについても、私らの子供の頃は平気で半ズボンで駆け回っていたものです。
う〜む、再び加齢を嘆いても仕方ないか。しかしまあ、この暑い最中に冬の寒さに想いを寄せるのも一興。皆さまには残暑お見舞い申し上
げます。



○ 東北へ(5月18日記)

 ブナと水の織りなす瑞々しい自然・・これが東北の魅力です。以前横浜にいたときは、そんな東北に惹かれてちょくちょく足を運んだもの
ですが、何と言っても八ヶ岳山麓から東北は遠いので、天気が悪かったら骨折り損となりかねません。予報と睨めっこしつつ14日に急遽
発つことにし、足かけ4日間、あちこちと走り回りました。その距離1379q、この歳にして我ながらよく走ってきたものです。最上川と月山
周辺が一番狙っていたテーマで、本当はもっと北に足を伸ばしたかったのですが、天気の週間予報が下り坂だったので、月山を北端とし、
そこから南下してきました。

 「五月雨を集めて早し最上川」。最上川と言えば芭蕉のこの句が二の次に思い起こされて旅心を誘います。山寺から月山に行く途中に
読んだ句の筈ですから、ちょうど私が行った山形盆地のこの辺りだったのではないでしょうか。東北にはいい川が多く、それは雪解け水や
ブナに覆われた山々が持つ貯水能力と無縁ではないでしょう。もちろん、現在日本にはダムや堰堤のない川は殆どないわけですが、それ
でも本来の川らしい川に巡り会えるのが東北です。今回の目的は、一つにはこの最上川の絵を描くことでした。この機会に、かねてから行
きたかった村山市にある真下慶治記念美術館にも立ち寄ってきました。真下慶治は、最上川の畔にアトリエを設け、その後半生は最上
川ばかりを描き続けた画伯です。私はあまり絵画の鑑賞には興味が湧かないのですが、この画家のことはTVで見て知り、その色使いや
雰囲気が好きになり、一度現物を観たいと思っていたのです。残念なことに、私が行ったときは一水会だかの企画展の最中で、画伯の絵
はたった4点のみでした。折角山梨県から来たのに・・・と記念館の人に話すと、気の毒がっていろいろ説明をしてくれ、真下画伯の描いた
ポイントにまで案内してくれたりしました。そのあと、記念館の敷地を借りて一点をスケッチ。さらにそこから下りて川のビューポイントとされ
る場所からもう一点スケッチしました→ともにスケッチ館に展示。記念館の人によると、川の水量は少ないそうで、雪解けが重なるこの
時期に何故?と思ったのですが、昨今はダムや堰堤によって水量がコントロールされているので時期的な増減は少ないとか。もう五月雨
を集めても、雪解けでも水量にはさほど影響しないということでしょうか、これもちょっと残念なことでした。

 月山は5年前の同じ時期に一度訪れたのですが、そのときは天気に恵まれないままついに月山を一度も見ることなく帰ってきたのでし
た。この月山にも私は一種の憧憬を抱いていて、一つには私がかつてスキーに熱中していた頃、この山が遅くまで滑れるスキーヤーのメッ
カだったことも影響していそうです。もう一つはこれもまた芭蕉の句で「雲の峰幾つ崩れて月の山」という一種名状しがたくそれでいて悠揚
迫らぬ山というイメージから来るものです。その月山は、北の鳥海山や南の朝日連峰と同様、山腹がブナ林に覆われている東北らしい山
です。別に登山するわけでもない私にとっては、このブナ林とそこを水瓶とする豊富な水量の流れが何とも魅力なのです。そんなブナ林
をこれまでも絵のモチーフにしてきました。山梨県にはない潤いのある佇まいです(そういえば最近、長野県の飯山地区にある鍋倉山が日
本でも有数のブナ林があることを知ったので、今度はそこに遠征してみるつもリです)。
 さてその月山。今回は二日目の午後にその白い姿を見せてくれました。西の湯殿山から緩やかなピークである姥ヶ岳を挟んだ東側に月
山の一番高いピークがゆったりと尾を引くような裾野を描いています。この姿を初めて目にしたのは、寒河江川の上流から川沿いの道を
月山湖まで北上してきたときのことです。その前にこれまた白い朝日連峰が左手の空間を仕切るように連なっていました。どちらもこれぞ
東北の山、白い山腹は下がるに連れてブナ林の作る紋様が密度を増し、新緑が濃くなっていきます。こういう風景を見ただけで、私は何と
も幸せな気分に包まれるのです。遠い祖先を辿れば、東北に住んでいた縄文人であったに違いないと思ったりします。そして北上する右手
に見え隠れする寒河江川がまた素晴らしい川です!寒河江川は月山湖からUターンして寒河江市で最上川に合流するのですが、上流の
この辺りはいま間違いなく水量が豊富で、いくつもの早瀬が連続し、大井沢という小さな集落(ここも素朴でとてもいい!)を縫って月山湖
に注ぎます。月山湖はダムのある人造湖ですが、ここに注ぐまでの上流域にはおそらく堰堤らしいものがない川と見受けます。多少の護
岸工事は施されていましたが、おそらく川は本来このように流れていたと思わせる川なのです。


 
大きく蛇行する最上川


月山荘の直ぐ横にある地蔵沼とブナ林 


寒河江川と月山(一番右手のピーク) 
                                    

 月山荘に泊まった翌朝、周辺のブナ林の取材をしたあとに、再びスケッチをしに大井沢に舞い戻ってきました。橋の上で寒河江川とその
先の月山をスケッチ。さらに端の反対側の寒河江川があまりにも魅力的だったので、手早くデッサンだけしました→ともにスケッチ館。2
時間ばかり座り込んでいても交通の邪魔という事態は一切なし。途中、手押し車で通りがかった集落のお婆さん(90歳代?)が私の隣に
座り込んで四方山話を始め一向に立ち去る気配がありません。これも田舎ならではの光景で、私も耳を傾けつつ手は動かし続けるのでし
た。そのお婆さん、何とよそ者の私に月山のことを尋ねるのです。「みんながスキーをするのはどの山かね?」とか、私の絵と照合しながら
月山連峰のピークの名前をいちいち確認したりと、お婆さんの記憶しているその名称は間違っているのですが、いくら説明しても腑に落ち
ない様子です。さらに・・・。私は昨日最上川を描いてきたと言うと、「最上川ってどんな川かね?わたしゃ〜一度も行ったことない」とお婆さ
ん。何とも微笑ましく、しかし考えてみるとこの橋もここに至る道路も、そして月山湖という存在もなかった頃に、ここいらはまさに陸の孤島
でそう簡単には下界に下りられなかった時代もあったことでしょう。山村で生涯を送ってきた農婦にとって、山は農暦とはなっても名前など
どうでもよかったものかと、あとになって納得するのでした。因みにこのあと場所を変えてもう一点スケッチしをし→スケッチ館、一刻たっ
た帰りしなに同じ道を通りかかると、そのお婆さんはまだ手押し車にしがみつくようにして歩いているのでした。

 この日は南下して米沢市の小野川温泉に泊まり(ネットで知った「うめや」という温泉宿で、ここは本当にくつろげるサービスとしつらえで、
温泉も食事もよく、お値段の割には得をした気分になるいい旅館でした)、翌日は吾妻スカイラインを通って裏磐梯〜喜多方〜只見〜小出
〜関越と長野道を通って上田〜八ヶ岳山麓と、取材を続けつつ長い長いドライブをして帰ってきました。途中、喜多方では一番人気という
ラーメン屋で行列に加わり、かつてよく行っていた只見では、懐かしさが募って知人の隠れ家を訪ね(残念ながら留守でした)、田之倉湖で
は再びブナ林の中を走り、長野道に入る辺りでは日もとっぷり暮れていました。
(最後まで読んでもらってありがとうございました)


○ 山麓春模様(4月16日記)

 4月も半ば、八ヶ岳山麓では今、標高7〜800b辺りがサクラの盛り。我が家のある千bあたりでは漸く蕾がほころび始めました。相前
後して開花しているコブシは、今年は心なしか花の数が少ないようです。新府城から穴山付近のフルーツラインでは、白いスモモやソルダ
ムの花に替わってピンクのモモが満開となっています。新緑の前に花々が一斉に開花し、その開花前線が下から徐々に上がるにつれて
春を運んできるのがこの山麓の特徴です。標高2千b以上の山では、今でも山麓が雨だと雪であったりして、サクラの季節でも朝見るとす
っかり雪化粧をしている山を見ることも稀ではありません。
 野鳥の飛来が一番多いのもこの頃です。我が家の庭には練り餌を3箇所にぶら下げているのですが、連日シジュウカラの番、可憐なエ
ナガ、うるさくやってきて小鳥を追い払うヒヨドリ、唯一そのヒヨドリを追い払うアカゲラなどの常連さんがやって来ては練り餌をついばんでい
ます。地面をうろつくのはカワラヒワやヤマバト、最近ではムクドリも飛来してきます。カッコウの鳴き声を聞くともう霜は降りないと言われて
いて農作業の一つの目安となっていると聞きますが、今年はまだその声を耳にしていません。最近そんな農暦として、この辺の農家ではヤ
エザクラが満開になると田植えを始めるという話も聞きました。山麓一帯だとそれが5月の連休明け辺りでしょうか。

 春に3日の晴れ間なしとはよく言ったもので、太陽の覗いたこの3日間が過ぎた今日は、午前中畑に出てジャガイモの種を蒔き終えて帰
ってくると昼過ぎから雨になりました。23日には私が主催する山麓の仲間とのスケッチ会を予定しているのですが、週末は天気の予報な
ので、この巡り合わせでいくとどうも当日は雲行きが危ぶまれます。雨なら諦めがつきますが、曇の日だったら山抜きの風景しかなく、そん
な場合どこに行ったらいいか、自分一人のことなら何とでもなるのですが、みんなを連れて行くとなると作戦も考えておく必要があります。そ
んな意味もあって、ここ二日間は山の登場しない風景を求めて下見をし、ついでにスケッチをしてくるという展開でした。そこで描いた一つ
は岸辺のヤナギが黄緑色に輝く釜無川の春→ 山麓絵画館、もう一つはちょうど満開の長坂町蕪という地区の桜並木です→ 山麓スケ
ッチ館。釜無川ではスケッチが佳境に入った頃に対岸を素早く動く物音と影が・・・目をやると一頭の鹿がかなりのスピードで駆け抜けて
いきました。この川沿いでは猿を見かけたこともあって、こうした獣被害を防ぐために付近の畑は周囲を電柵で囲っています。人獣隣り合
わせの自然環境を釜無川は塗って流れているのです。蕪の桜並木は八ヶ岳山麓ではさほどメジャーなスポットではないのですが、ここの
サクラはなかなか見事! 私の気に入っている場所です。曇天だったので絵コントラストの薄い一作となりましたが、かえって春の淡い雰囲
気が出たかも知れません。


○ 北アルプスを描きに(3月26日記)

  朝起きると快晴!かねて描きたかったまだ雪をたくさん身にまとった北アルプスを描こうと勇んで出かけました。今回の狙いは昨年行っ
た高ボッチ高原と、その隣の美ヶ原高原からの眺望。中央道を走っているときから真っ白な穂高連峰が望めます。ところが、今日はいける
ぞ!とその景色を愛でているうちに、うっかりそこで下りる予定だった塩尻ICを見過ごしてしまいました。これはちょっと珍しいことですが、
ならばと、高ボッチ高原は諦め、美ヶ原に絞り込んで松本ICで下りることに。松本市街を抜けて美ヶ原林道の登り口を漸く探し当てて入っ
ていくと、今度はいくらも上らないうちに通行止めの標識です。冬季閉鎖は地図に記されているのを知ってはいたのですが、もう雪もなかろ
うと多寡を括っていたのでした。しかし4月17日までCLOSEDとあるのでこれは諦めざるを得ません。因みに美ヶ原の南麓を巻いてヴィー
ナスラインに入る県道もやはり閉鎖中でした。
  再び方針転換をして市街地近くに移動。かねてより地図上でマークしておいた高台の場所(長峰山という低い丘陵のような所)に向かい
ました。とっかかりの道を探し出してその頂きあたりに出ると、地図上に展望台と記された所から安曇野越しに白い峰の連なりがよく見渡
せます。ここまで高度を下げると穂高連峰は隠れてしまいますが、三角錐の美しいせり上がりを見せる常念岳が何と言っても主役です。安
曇野をテーマにした絵や写真には、背後にこの山を配していることが多く、それほどにシンボリックな山と言えそうです。私のいる八ヶ岳山
麓では甲斐駒に似た存在かも知れません。道路脇の空き地にクルマを止めて一点スケッチ→山麓スケッチ館。腰を落ち着けたのは展
望台からはかなり離れた場所で、これは例外なく言えることですが、展望台は視界が開けた場所ですから、そこで絵を描くとなると広い空
間という難物を絵にしなくてはならないわけで、従って多くの展望台は普通スケッチの好スポットとは言い難いのです。むしろその近辺を探
した方が絵や写真にいいスポットを発見できることが多く、展望台は一つの目安と考えた方がよさそうです。
  描き終えて今度は犀川沿いでスケッチをしようと再び移動を開始。この日は次々と目標が変わる日です。犀川は、梓川と木曽谷から流
れる奈良井川が合流して始まります。そこから安曇野を北上して今度は北アルプスの懐を源として南下してくる高瀬川とぶつかるようにし
て合流、水嵩を増して長野平野に下り、そこで千曲川に流れ込みます。日本の中枢となる山系の水を集めてやがて日本海に注ぐ川という
ことで、雪解けが始まるこれからはいよいよその流れを太くしていく季節です。芽吹きが始まった岸辺のヤナギはうっすらと黄緑色のヴェー
ルを装っており、その背後に北アルプスの白い峰峰が競うように林立しています。流れとアルプス・・・これも私が描きたかったモチーフの
一つです。犀川は意外とその岸部に出るのが大変で、折角岸部に出られても対岸に不釣り合いなプラントが堂々と建っていたりで、思うに
任せません。これもかねてより地図上で目星を付けておいたポイントへの侵入を何度も試みて、漸く“ここ”という場所を見出すことができま
した。途中の写真を一点掲載します。河原に下りて一点スケッチ→山麓スケッチ館。春を帯び始めた岸辺と未だ真冬状態の後立山連
峰がこの絵に同居しています。
  犀川沿いの道に出て河原に下りたりスケッチをしたり・・・。
  風がにわかに吹いてアルプス上空に忙しく雲を運び始めました。
  背後は雪の後立山連峰です。
  それにしても松本は大都会ですね。往きがけの中央道を走っていると、前方に地上から雲が湧き起こったような一角があり、その向こ
うのアルプスの山々を隠してしまっています。小松左京の「首都喪失」を読まれた方は、あるとき突然東京全体が雲状のものに取り囲まれ
て異空間となってしまう・・・という話をご存じかと思います。一瞬、そんな光景を想像させるものでした。快晴なので本来こんなことはないは
ず?・・と、それが松本の市街が生み出すスモッグだと分かるまでちょっと間がありました。やがて松本ICを下りてその市街を通り抜けると
き、ちょうど朝の通勤帯の渋滞に巻き込まれて納得したのですが、この時は風もなかったのでなおさらのことだったのでしょう。市街を北に
抜けきると、またクリアーな空と白い峰峰が復活するように目に飛び込んできました。ちょっと不思議な体験をした面持ちで、それは都会と
大自然がかくも接近しているから感じる不思議さなのでしょう、自然が鮮やかなだけになおさら不思議感が強調されてしまうのです。この日
は風が昼過ぎから急に強くなり、犀川の岸辺に出た頃は、川面もアルプス上空もかなり騒がしくなっているのでした。

○ 富士山のこと(3月6日記)

 大分気温が緩んだと思ったらまた逆戻り。毎年経験する三寒四温の季節到来です。今日は、強い北西風が雲を吹き散らしてはまた西の
彼方から新しい雲を運び、空は忙しくその表情を変え続けています。野辺山に行って赤岳のアップを描こうと思っていたのですが、こうなる
と山頂付近は白いピークを見せていたと思ったらたちまち灰色の雲に覆われたりで、不安定この上ありません。クルマを走らせていると、
そんな大気の中で富士山がまとわりつく雲を従えるようにその姿を見せています。この分だと、富士山腹は烈風が吹きすさんでいるに違い
ありません。西から運ばれる雲は富士山腹に溜まり、もくもくと湧き上がっては中腹をつたって流れ、あるいは上昇して山頂付近を隠し、新
手が次々と押し寄せては空と富士の天体ショーを繰り広げているかのようです。赤岳は諦めて、そんな激しい表情の富士山を描いてみる
ことにしました。普段あまり描くことのない富士。そのシンメトリーの神々しい山は描くのがなかなか難物なのですが、今日は雲が面白そ
う・・・約60キロ彼方の舞台を眺める想いで、例によってクルマの中で筆を走らせました→ 山麓絵画館

 富士山と言えば、先日仲間と伊豆旅行をした際、いろいろな角度から富士山を見ることができました。伊豆の西岸からは駿河湾越しの
富士を、帰りしなの沼津から国道139号線を北上して甲府に抜けたときは、右手間近に白い富士をずっと見続けることができました。こん
なに近くから雪の富士を見るのは実に久しぶりでしたが、かの大沢崩れというのはもの凄いものですね! 千年前から始まったと言われる
この大規模な浸食と崩落の繰り返しは、現在もなお続いているそうで、富士山の西面を真っ二つに割るように頂上直下からその山麓まで
を削りとっています。自然の脅威が牙を剥きだしているような凄惨な裂け目です。この分だと百年後の姿がどうなっているのか。西から眺
める富士はどうしてもこの裂け目がど真ん中を縦断する形になるのでちょっと痛ましくもあります。その点、わが北杜市から見る富士は実
に伸びやかに裾野を引いた白いたおやかな独立峰!まさに日本一の山と言うに相応しい形を見せてくれます。

 その富士山、最近は世界文化遺産にしようと国と地元では躍起となっていますが、私にはどうにも理解し難い動きです。自然遺産登録が
環境問題などで却下されたわけですが、その理由は文化遺産なら不問に付されることでしょうか? その点も疑問ですし、そもそも登録で
箔をつけて何をしようと言うのでしょうか。世界遺産にしないと保護が進められない? 観光資源としての価値を高めて一層の観光誘致
を、というのが本当の狙い? どうも茶番劇のようにさえ映ります。本来、富士山には世界遺産なんていう冠は不要なのです。そんな冠など
拝さなくとも富士は富士、日本人の心の拠り所であることに何ら変わりはありません。むしろこの際、日本のかけがいのない遺産として再
認識し、日本人の拠り所は日本人の手で守っていく気概を示す方が、日本の現代社会にずっと必要な姿勢だと思うのですが・・・。


○ 只今山麓は雪の中(2月11日記)

  2月に入って断続的な降雪に見舞われました。3日は40p近く積もって、これはここ3年来の積雪でしたが、以降2度雪が降り、溶けて
はまたその穴埋めをするという状況が続きました。一昨日の朝に撮った我が家の写真を載せましたが、クルマもこんな状態です。気温も
低いので溶ける速度も遅いのです。隣家の別荘の屋根は30p近い雪の帽子をかぶりっぱなしです。定住者のいる人家は暖房の温もりが
屋根にも伝わるために溶けるのも早いのですが、別荘の屋根は室内も冷えたままですからずっとこんな調子なのです。だから、そこが別
荘か否かは直ぐに見分けが着きます。道路は雪かきをしてあっても日陰は要注意。
  八ヶ岳山麓、特に南麓は元々さほど積雪があるわけではありませんが、今年は珍しいと言えるのでしょうか。おかげで、私は忙しく取材
に走り回っています。ここにやってきて期待したことの一つは、雪景色を描きたかったということで、それが3度目の冬にして漸くモチーフが
潤沢にあるという事態に恵まれたわけです。スケッチもしましたが(→山麓絵画館)、これから貯め込んだ素材を絵に描きおこしてしていこ
うと思っています。雪野原を取材するのは楽しいものですが、それは絵のためばかりではありません。かつて入れ込んでいたスキーの影
響があるのか、どうにも私は雪の農道など、誰も踏み込んでいない所にクルマで入り込み、そこに深い轍をつけることが楽しくて仕方ありま
せん。30pくらいの積雪なら、我がフォレスターはものともしません。ときに危うく絵の取材がそっちのけになることもあって、しかし、誰も行
かないこういう場所では、そこでしかありつけない絵のモチーフに出会うことも多く、つまり遊びながらの取材ですから、これが楽しくないは
ずはありません。雪は溶けてしまうものですから、じっくり筆を取ってという時間も勿体なくなります。あそこもここも・・・私の引き出しにある
スポットを巡回するといった展開にもなります。都会にいるときもそうでしたが、雪は非日常の光景を見せてくれるから嬉しいのでしょうか。
こんなことを言っては、雪国の人にそっぽを向かれそうですが、人間誰しもその非日常を期待する深層心理があるのでしょう。常にないか
ら心に留めておきたい、描き残しておきたい・・そんな想いも強いのだと思います。
  あれこれ言わずに早く絵を描け! 人に言われる前に私自身にも"そうになければ"と思ってはいるのです。

  2月に入って3度目の降雪があった日の朝。折角雪かきをしておいたのに
  クルマも道路もこんなありさまです。
  (当家西隣には隣家となる家が建設中)



○ 感動の八丈太鼓!(2月3日記)

  時ならぬ八丈太鼓の話です。
  何故このフィールドノートに八丈太鼓かというと、1日、2日と、この山麓で思いっきりその響きとリズムの織りなす迫力に接したからで
す。さらにそれは何故かというと、島には国内外での太鼓演奏の機会に団長的な役割を演ずる高校時代の友人がいて、その友人と共有
していた願望・・・いつか八ヶ岳山麓で、潮騒を運ぶような八丈太鼓を響かせてみたいというその機会が実現できたからなのです。その舞
台は、八ヶ岳ふるさと倶楽部の総会・新春のつどい。私が2年間、倶楽部の運営委員としてやってきたその最後の節目となる行事でした。
彼は、島から第一級の打ち手2名を連れてやってきてくれ、大勢の山麓の仲間の前でとびっきりの演奏を披露してくれました。本当に第一
級、とびっきりの演奏でした。太鼓の音は会場を揺るがし、観衆の心をも揺り動かしてくれました! 凄い! そこでこれを書く気になった
次第です。
八丈太鼓は両面打ちと言って、一人がアドリブの上打ちを、もう一人がリズムを刻む下打ちをします。両者の呼吸で、ときに岩をくだくよう
な強打を、ときに波が引いていくような穏やかさで、ときに息つく間もないほどのアップテンポで、そしてドドーンと両者が計ったようにピタリ
と終止するのです。その間、太鼓の響きとリズムが胃の腑を打ち、いつの間にか我を忘れるほどにこの未体験の太鼓の世界に没頭してい
るという寸法です。
  その八丈太鼓、俄知識ですが、古くは江戸時代に起源を発し、長い時間をかけて島民の生活に欠かせない存在となってきました。かつ
てはもっと素朴で滔々と鳴っていたのではないか、と想像されるのですが、太鼓にかける島民のエネルギーが、このような劇的な演奏にま
で八丈太鼓の奥行きを深め、響きを高めてきたものと思われます。度重なる国内外での演奏活動も無縁ではないでしょう。度々島を訪れ
た永六輔やかの林英哲が、日本の太鼓の原点がここにあると称したという八丈太鼓。その魅力を身近にできた喜びと、そして山麓の仲間
たちの心にもズシンと響きを届けられたのではないかという満足感に浸りつつこれを綴ってみました。未体験の方、いつか是非この魅力に
接してみて下さい。


リーダー格の伊勢崎さんは黄八丈に
襷掛け。枯れた味わい深い太鼓が魅力。
海外の舞台をもこなす奥山さんは、緩急
織り交ぜたまさに迫真の太鼓で聴衆を魅了。








3人の中では一番年若の山下さん。きびきびと
力のこもった小気味いい太鼓が印象的。














八丈太鼓はこのように両面打ち




○ 山麓の真冬日(1月25日記)

  この冬一番冷え込んだ日、久しぶりのフィールドノートです。明け方は我が家のデッキに置いてある寒暖計が、マイナス10度を下回っ
ていました。一昨日降った雪が凍り付いています。それでもここ何日間で最もクリアーな朝、こういうときは今冬またとないと思ってスケッチ
に出動しました。陽は昇って雪山の輝きが随分増したのに、クルマの気温計はマイナス9度! 昨夜来車内に入れっぱなしだった水彩道
具を開けてみると、ペットボトルの水が凍り付いています。家を出て直ぐの枝道に轍をつけながら、慎重な運転でj幹線道に出ると、そこは
凍り付いて光っています。こういうときは、前方から来るクルマとのすれ違いが怖いものです。お互いにスピードダウンして慎重に行き違
い、そんなことを何度も繰り返して目的の開けた場所に到着。まだマイナス7度です。とても長時間外に出ていられないので、今日もまたク
ルマに籠もってフロントシールド越しに雪の八ヶ岳をのスケッチ。地球温暖化上エンジンのかけっぱなしはよくないのですがここはひとつご
勘弁願い、ヒーターの温もりを確保しながらのスケッチです。構図上のポイントとなる雪の農道には、小動物の足跡がいくつか。1時間少々
でほとんどを描き終えると大分陽も高くなってきました。→山麓スケッチ館
  一服するために車外へ出ると、反対側の南アルプスは蒼い陰影の中に、これも隈無くその姿を見せてくれています。この同じアングル
で、先日は甲斐駒を描きました。何だか、甲斐駒と八ヶ岳を代わる代わる描いているだけとお思いでしょうが、実にそうなんでありまして、
雪の山がクリアーに見えるとこの機をのがしては・・・という気が勝って、ついついこうなってしまうのです。それにやっぱり、2月の頭までは
諸々これありで一日中気の向くままに絵を描いているというわけにもゆきません。あまり題材を選んでいられないのです。スケッチ三昧もじ
っくりと作品作りに取り組めるのももうあと少し待たねばなりません(また言い訳・・スミマセン)が、今年こそ季節の移ろいに密着して、思う
がままに絵に掬いとっていこう、と改めて思うのでした。
  帰り支度にかかった9時半頃でもまだマイナス6度。幸い今日は風がほとんどないのが助かってます。だから陽当たりの暖かさが感じら
れます。今週末までが寒気の山で(谷で・・と言うべき?)、一番寒い季節はこれで通り越すのでしょうか。そういえば今年は杉花粉が多く早
く飛び始めるとか。当地ではまだまだ真冬が続きますが、春到来は待ち遠しくもあり、戦々恐々でもあります。



この上↑ 2008年〜
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下 2007年



○古都に想いを馳せる(12月3日記)

 「そうだ 京都、行こう。」・・・JR東海がずっと使い続けているこのキャッチコピーは希代の名文句だと思います。元々は1994年の平安京
遷都記念に向けて作られたコピーだそうですが、日本人の心にはそんな想いが常にあるものらしく、ふと京都に行ってみたくなる気持を実
に上手く言い表しています。私自身も毎年そんな想いに駆られるときがあるのですが、ここのところ何年か行かず仕舞いに終わっていて、
友人から「明日から京都に行く」とか、「京都に行って来た」といった言葉を聞く度に、あ〜暫く行っていないなという感慨を持ちます。それで
は奈良はどうでしょうか。「そうだ 奈良、行こう」とはちょっとしっくりこないようですが、奈良はまた別の趣で旅心を誘います。どこが違うの
か? 私は、奈良を訪れるといつもそこに大陸の臭いを嗅ぐ思いがするのですが、その辺りが趣の違いなのでしょうか。純日本的な文化
が育まれたと言われる室町時代を経ているのが京都であり、奈良はそれ以前の大陸渡来の文化を色濃く残しているということかもしれま
せん。

 数年前まで、仕事で年に一度大阪に行くことがあり、それが終わるとよく奈良に直行していた頃がありました。斑鳩や奈良郡山、橿原辺
りに足を運んだものですが、奈良盆地には一種共通したのどかさとかおおらかさが広範囲に漂っている感覚を覚えるのでした。それが歴
史の重みなのか、私たちの先入観故か、天平の甍が瞼に浮かぶようで、どちらかというと絵心を誘うのは私の場合、奈良の方が大きいよ
うです。事実かつて何点か描いたのも奈良の方が多いのです。といって、京都は描きたくないわけでは決してなく、逆にこれから行って描き
たいという気持が大きいのですが、京都の場合は思い浮かぶモチーフがどれも余りにも多くの写真や絵で紹介されているので、どこか額
縁的になりかねないような気もします。まあ、私の場合は「そうだ 来年こそ京都、行こう」でしょうか。

 いろいろ戯れ言を連ねているのも、この山麓にない日本の文化とか歴史がそこにあるという無い物ねだりという面も大きく、また、前回書
いたように旅する時間が取れない昨今でもあるので、ここのところ、ちょっと古都に想いを馳せることが多かったからです。そこで、かつて
描いた作品をちょっとだけご披露したいと思います→ 山麓絵画館「古都の秋」。このうちの2点は、現在、当家の居間に飾ってある絵で
す。



○山麓に冬迫る(11月22日記)

 冷たい風が吹き渡って、白樺の裸身が大きく揺れています。朝は氷点下に下がることも日常的に。霜に見舞われたダイコンやサトイモも
さぞかしデンプンを貯めて甘味をのせていることでしょう。当家庭の木々は、そのほとんどが葉を散らしてしまってます。もう少し経つと、山
麓では畑のあちこちから煙が上がるようになるでしょう。刈り取った草や野菜の枝葉などを燃やしていよいよ冬ごもりへ。当家でも1週間ほ
ど前に主暖房の電源をONにしました。そんな季節、当家のデッキには先日もいだ柿を干し柿にしたものが何廉かつり下げられています。
これも先日増穂町で収穫した柚子を擦って柚子胡椒作りにかかるところです。昨日などはちょっとはぐれ雪がちらついたりもして、そろそろ
タイヤの履き替えもやらねばなりません。いろいろと冬支度に追われる日々です。

 こういう季節になると、ちょっと気軽にスケッチに・・がためらわれます。何といっても冷たい風が身に染みるからです。かえって冬本番に
なってしまってからの方が覚悟が定まるものです。そこで、貯めておいた画題を家の中で描きおこす機会が多くなります。いくつかのテーマ
があって、それらをどう表現するか、改めて頭の中にあるイメージを解きほぐしたりするわけです。こういう段階はなかなか楽しいもので、い
ざ鉛筆や絵筆を動かす段にかかると楽しさが失せて結構苦しんだりもします。それに・・・イメージを醸成する段階では、あれこれ欲張るも
ので、今朝もTVで京都や奈良が紅葉の盛りというニュースなどを見ると、かつてスケッチしたり写真にとっておいた画題が頭を過ぎり、これ
も描いてみたいという気がおこります。半分はイメージ倒れで終わってしまうのですが、それは現実の話。イメージと現実の間を浮遊してい
るときが"楽しい"のです。さて、そんなことをぐだぐだ書いているだけで、なかなか本腰をあげられない状況です。何せ先の冬支度あり、私
ら夫婦が関わっている倶楽部の仕事ありで、言い訳ばかり書き連ねてしまいました。近々来客もあり、ともかく家の中の絵でも掛け替え
て、ちょっと気分転換をはかろうか・・・・そこから手をつけることにします(皆さんにはどうでもいい話ばかりでスミマセン)。


○ 秋の小川村 再訪(11月4日記)

 昨年訪れ信州の小川村に再び足を運びました。もちろん天気を見定めてのことで、その日は○マークだったのですが朝中央道を松本方
面に向かって走ると、まだ薄い雲の皮膜が拭えてません。長野県の天気予報というのは、あの南北に長い県のことですからよほどピンポ
イントに調べてからでないと当てにならないわけで、この日は北へ行くほどいい天気と踏んでのことでした。塩尻辺りから北上するとまだ雲
が取れませんが、遠くうっすらと白い山並みが見えます。白馬の方面です。これなら大丈夫と今回は長野道を更埴まで走ってそこから戸隠
篠ノ井線経由で県道31号線に出て小川村に入ることに。県道を右に回るその手前から、さっきの白馬三山が白く浮かんで見えてきます。
 本当に小川村という所はその全てが山の中という、長野県では珍しいことではないのでしょうが、山坂ばかりの村です。しかしとにかく、村
役場の前を通り過ぎて鬼無里に抜ける峠道、これはもう第一級の北アルプス展望道です。昨年行った時より約1週間早かったのですが、
その分・・と言えるのか、アルプスの雪は少なく、しかし紅葉はと言えばほぼ似たような感じでしょうか。ちょっとうっすらと霞みが取れないア
ルプスですが、鹿島槍から五竜にかけては殆ど雪がついておらず、そこから北へ白馬の方に目を転じるとこちらの方はもう真っ白の世界
です。同じアルプスでもちょっとした緯度の違いが積雪の差に出ているのです。既に見知った土地勘と言うか私の場合は風景勘と言うべき
でしょうが、それを頼りにいくつかのスポットをチェックして回ります。白馬中心にと見当を付けておいた高山寺というお寺の裏手に歩いて周
りました。どこでもそうですが、お墓のある所は必ず眺めがいいという相場通り、ここは静かな格好の場所です。街道からも奥まったお墓の
隅っこを借りて白馬連峰を背景にした一点を描きました。
 静かな墓地の端っこ、人っ子1人いないと言いたいところでしたが、そのうち一組がやってきて、その姿から職業はお坊さんであるらしく、
絵を覗き込んで話をしているうちに名刺交換をする展開となりました。横須賀から一家でやってきた駒澤たんどうさんという御仁です。名刺
には「一仏一会」とあり、写真家で随筆家、僧侶という肩書きがあってその方もHPを持っておられるとか(帰ってから早速覗いて見ると、奥
行きの感じられる仏像の写真を中心に、魅力的な創作活動が紹介されていました)。駒澤さんの実家は戸隠にあってこれからそちらに向
かうそうです。有名な樹齢800年のカツラがあるお寺と訊けば直ぐ分かるので、是非訪れて欲しいといわれました。この足で直ぐにでも行
きたかったのですが、予定があったのでそれはまたの機会に。ともかく一枚の絵が取り持つ「一絵一会」といったひとときでした。

 雲がアルプスの上を覆ってきたので、今度は峠道から下る枝道に入ってみることに。何とこちらも絵心を誘う山里の風景が至る所に点在
していることが分かりました。大体この辺りの集落はその大半が茅葺き屋根をトタンで覆った農家です。中には茅葺きのままのものもあっ
て、その周りに植えられた柿の木が赤い実をたわわに付けています。時が止まったかと思わせるほどののどかさ・・・と思うのはよそ者の
感慨で、実際にここらで冬を越すのは並大抵ではないことでしょう。雪に耐えて植物には滋養が蓄えられると言いますが、幾世代もここで
耕作を重ねてきた人たちにはそんな滋養が染み込んでいるのでしょうか。ともかくも時折挨拶を交わす村人たちが、言葉少なげですがい
ずれもとても感じがいいのです。「風土」というものを改めて感じさせられ、ますます小川村が気に入ってしまうのでした。そんな愛着を込め
て、山間の集落の絵を一点描きました→山麓絵画館)

 陽が傾いてきてその日は夕刻までに戻らねばならなかったので、絵の道具を片づけて一路帰りを急ぎます。今度は国道19号を松本方
面に走って中央道へ。国道は最後の所が渋滞で、考えてみればこの日は土曜日、紅葉狩りでこの辺りに来る人も多いわけです。何しろ渋
滞とは縁のない土地柄に住んでいますので、ここを抜けるのに随分時間を要したような気がしてなりません。中央道に乗る頃には、シルエ
ットになったアルプスが、あっという間に闇に溶け込んでしまいました。


○ 八ヶ岳一周(10月22日記)

 21日の朝、我が家のウッドデッキにおいてある寒暖計を見ると2度まで下がってました。朝晩はかなり冷え込むようになって、山麓から
頭を覗かせている北岳はもう半分以上真っ白です。甲斐駒や八ヶ岳は北側の一部に積雪が見てとれます。この2、3日、急速に秋が深ま
っていて、山麓の紅葉は今1400b辺りがちょうどピークというところでしょうか。当家周辺ではサクラの葉がイの一番に赤く色づき、シラカバ
は黄色に、カエデ類は俄に色めいてきたという感じです。鮮やかなレモンイエローに黄葉して秋だけは抜きんでて存在を主張するダンコウ
バイは、現在手ぐすねをひいているような具合です。背丈を超えるススキの原は綿の穂が一斉に風になびいて揺れ動いています。今年
は、例年になく動物の出現が少ないようで、例えばいつも猿の被害に遭っているという武川の知人宅では、夏以来一度もその出現を見て
いないそうです。山の実りが今年は豊かなようで、そのせいでしょうか、我が家への野鳥の飛来も少ないような気がしてなりません。

 それにしても日の入りはつるべ落とし。5時をまわると甲斐駒上空に残された明るみが、急激に闇と化してしまいます。それだけ、陽射し
の値打ちも高まるようで、空も抜けるような日が続くとじっとしていられずに出かけます。昨日は飯盛山の登山口に。実はここは八丈島から
やってきた友人夫妻を迎えに行った所で、その時は雲がたれ込めて山の景色が望めなかったのですが、この日の朝、白い北岳を目にし
たので、その登山口から絵を描こう家から再び直行となりました(因みにその友人夫妻は翌朝野辺山のホテルを立ち、その朝は降雪のあ
った八ヶ岳を見ることができたそうで、私もホッとした次第でした。何といっても折角の山麓に来て山が見えないというのは、当地の住人とし
ても申し訳のない想いがするものです)。さてその登山口、日曜日で好天とあって大勢の人が訪れてます。写真を撮ったり山を指さして感
嘆の声を出したり・・・。そんなスポットにわずか20分余りで来られるのも、住人の特権! いや、この特権を手にしたかったからこそ山麓
にやってきたのでした。そこでスケッチ→ 山麓スケッチ館)。そのあと、海ノ口まで足を伸ばして松原湖へ。ここはかなりの紅葉で、さほど
高度はないものの、八ヶ岳も北側に回り込むとぐっと季節の進行が早くなる感じです。湖畔で八ヶ岳をバックにした一点をスケッチ(→ 山麓
絵画館)。この辺りから見上げる南八ヶ岳連峰は横岳を中央にしてゆったりと安定感があり、なかなか魅惑的です。松原湖と言えば、大学
時代の最後の夏に友人とやってきた懐かしい思い出がある所ですが、森の紅葉と静寂が溶けあったような佇まいで、学生時代の時の印
象とはかなり異なっていました。あのときは夏休みでもあり、合宿の学生を中心に人出も多かったので、若い心までが騒いでいたからでし
ょうか。

 実は明くる22日も今度は女房連れで再び同じコースをドライブ。松原湖からさらに上って麦草峠を越えて茅野に抜けるコースです。北八
ツ方面にはこれまであまり足を運ばなかったのですが、一言で言えば水っぽい・・・という表現は誤解を招きそうですが、要するにシラビソ
やツガの深い森、点在するいくつかの湖沼が象徴するように、いずれも乾いた南麓にはない潤いと静けさがそんな表現となるわけです。八
ヶ岳の地学史を紐どくと、海ノ口とか小海という地名があるように、この辺はかつて八ヶ岳の爆発によって堰き止められた大きな湖があっ
たそうで、どこか水っぽいのはその名残とも言えそうです。途中白駒池まで歩こうと思っていたのですが何とその入り口は有料駐車場とな
っています。昔はこんなことはなかったのですが、

  
途中、見事なミズナラの古木が黄葉していました。
どうも自然の中で有料となると白けてしまう性癖のある私としては、直ぐさまそこ
をやる過ごすことにしました。尤も・・と後で考えるに、白駒池や北八つ縦走など
で多くの人が自然の中に立ち入るわけで、この"有料"はいわば環境保全にで
も当てるというなら(県立公園なのでおそらくそんな一面もあるとは思います
が)、私などは直ぐ納得してしまうのですが、それならそのように書いておけば
好感が持てるのに、どうも単なる商魂なのかどうか、これが分からりません。つ
いでに言えば、麦草峠という素敵な名前がありながら、この国道299号線をメル
ヘン街道などと軽薄な命名をしたのはケシカランと私は常々思っています。もう
何十年も前に命名されたので、いまさら欧米か!と叫んでみても始まりません
が。その一方で、峠を越えた下り道の途中、右手の高台に素晴らしい眺めの展
望台があって、目立たない造作であるのも好ましく思えました。この辺りは一面
カラマツの林の中なので眺望の利かないことから、ことからこちらの方は気の
利いた配慮と言えるでしょう。
ここから眺める穂高連峰は真っ白!遠く御岳や木曽駒も望めます。いつも見ている甲斐駒はゆったりと裾野をひく女性的な姿ですが、や
はり南アの雄。やがて道はこ洒落たレストランやペンションが点在する蓼科高原の林の中に下ってゆきます。原村の実践農大に立ち寄っ
て、妻はそこの直売所で何やらを買い込み、漸く女性特有の買い物欲を満足させて一路鉢巻道路を我が家に向かってひた走りました。考
えてみたら、八ヶ岳一周ドライブは初めてのこと。日がな秋晴れに恵まれた一日でした。


○ 秋を描く(10月7日記)
 
  季節が一気に先に飛んでしまったような10月の始まりでしたが、漸く秋に戻ってくれたようなここ二三日です。コスモスもそろそろ峠を越
え、薄く真綿を引いたような秋雲が見られるようになりました。野暮用と気候のせいでなかなかスケッチにも行けなかったのですが、このと
ころちょこっとタイミングをみては出かける機会がありました。ずっとコスモスを描きたくて、その場所も見当を付けていたので早速そこへ。
隣の富士見町に入って間もなくの県道沿いの場所で、ここはコスモスの溜まりのような所です。風が強く、花が煽られてみんな横を向きっ
ぱなしです。実はこの風、スケッチの大敵で、手元が揺れたり、パレットに砂埃が入ったりで、何処か集中力が殺がれるものです。しかし、
以前このフィールドノートで、風も絵に感じ取って描いてみたいと書いたように、これしきのことで諦めてはいられない・・と自らに言い聞か
せ、その場でコスモスを描き続けました。一瞬風の止んだときに花の様子を移し取ります。八ヶ岳の稜線を流れる雲が、ときにその姿をか
き消し、ときに浮かび上がらせたりで、直ぐ傍のコスモスは激しく揺れて、風景全体が常に動いているようです。何とか描き上げたのです
が、その間、強い秋の陽射しだけはずっと降り注いでくれていました。→ 山麓スケッチ館)
 明くる日は殆ど風も収まった秋晴れ。はぐれ雲が空を漂う清々しい日和です! 今度も近くのコスモスが乱舞する所へ行きました。長坂
町の中央道PA近く、越中久保池という溜池の周辺です。しかしそこは、カメラマンが次から次にやってきて、そうか今日は3連休初日だっ
たかと思い至って、そうなるとあまのじゃくな私は急に方針を変え、池の反対側の静かな場所に移動。広やかな秋空を背景にくっきりと連
なる南アルプスを描くことにしました。やっぱり主役は甲斐駒。池の水面にその影を映して、険しい岩の肌を秋の陽に晒しています。風景
全体が実に気持ちよさげに秋の一時を謳歌しているかのようで、ついついいつもより一杯空を入れて描いてしまいました。→ 山麓スケッ
チ館

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○ おわら2007年(9月10日記)

 風の盆はもう何度目になったか? ともかくも、昨年は京橋での個展をひかえて行けなかったので、今年は2年ぶりのおわらとなりまし
た。2年のブランクがあると世の中やはり変わっているもので、八尾の市街では唯一の食品スーパーであったオレンジマートがなくなって、
そこが富山のホテルの休憩所に。大駐車場の感を呈していた井田川の河川敷は乗り入れ禁止に。下新町の八幡社ステージは屋根がつ
いて道路とは高い仕切りで遮られ・・・・と、こんなことを書き並べても馴染みのない方にはどうでもいいことでしょうが、まあ、それほど私に
も通い慣れて町の光景が記憶に定着していたというということでしょうか。もちろん、変わらないのは「おわら」。私はおわらの絵を描いてい
るせいか、どうしてもおわら踊りの方に目が行きがちでしたが、漸くというか、遅ればせながら「おわら節」の音曲の方にも気持が向くように
なりました。ずっと聴いてはいたものの、より耳をそばだてるようになった・・・というか、これも自分で説明が難しいのですが、心の腑に染み
込んでおわら全体が溶けあうような、そんな陶酔を自然と覚えるようになった気がします。

 今年は雨も一時降っただけで、概ね天気には恵まれたおわらでした。新聞によると、初日12万人、二日目と三日目で、それぞれ8万
人、6万人と、計26万人が訪れたそうで、昨年比+3万人とありました。私の受けた感じでは、客層が広がったというか、中には子供連
れ、犬ずれなども散見され、これは今まであまりなかったことです。それだけ気軽にやってこられるようになったということでしょうか、その
分、心配されたマナーも案の定思わしくないようで、これは街の人のみならず、熱心なファンの誰もが憤慨し気にしていることです。特に夜
更けの町流しでは、折角の雰囲気を壊してしまうカメラのフラッシュは断罪ものです。流しの横を追い抜いて平気ですり抜ける無神経さも同
罪で、あの一心不乱、気合いを内に秘めたおわらの演じ手たちに気の毒でなりません。

 その「気合い」といえば、これはゆっくり漂うようなおわらには似合わない言葉ですが、よく観ているうちにそれを感じるようになりました。
裂帛の気合いといった鋭敏なものではなく、繊細で内に秘めて醸造されていくような気合いです。それが、踊り手の手先や足の運び、三味
線のばち加減、鼓弓の弦をこする抑揚、そしておわら節を歌い上げる声帯の緩急に込められているのです。だからおわらは堪らない! 
イヤイヤ、であるので、1年も経つとまた八尾に足が向いてしまうというわけです。そしてだからこそ、観客は無神経であったはならないので
す!かくいう私自身も、初めておわらに行ったときは人を押し分けてでも(そこまではしませんでしたが)見たい、何とかいい写真を撮りたい
と、数々の無礼をしたものと、今になっては恥じ入るばかりです。私がおわら通いをするのは、一つにはおわらの絵をものにしたいからで
すが、もちろん、このおわらを味わいたい、おわらに陶酔したいという本来の気持を忘れていたわけではなく、回を重ねる毎にその気持ち
が勝ってきているのは否めません。やっぱり、おわらの真髄を味わうにはそれなりの時間が必要ということでしょうか。私などはまだまだな
のですが、ちょっぴりそんな境地に近づいたのかも知れません。今年はおわら初体験の友人連れや、ここ2,3年通って馴染みになりつつ
ある飲み屋さん(名前は明かさないことにします)の皆さんとそこのお客さんたちとの触れ合いなど、ちょっと彩りの増した2007年のおわら
でした。
 帰ってから描いた一作があります→おわら風の盆


おわら演舞場ステージ(諏訪町の演技)


天満町輪踊り
(フラッシュ撮影はしていません)




○ 猛暑も峠?(8月25日記)

 イヤ〜暑かったですね!・・と過去形で言えるのかどうか? 8月も下旬にもなるとどこか大気の様子も変わってきたような八ヶ岳山麓で
す。連日TVのニュースを見るにつけ、この高原に越してきて良かったと思うのですが、それでも強烈な紫外線を浴びて、私のいる千bの
山麓でも最高気温は32度ほどに上がりました。終日扇風機を回すなど、当初はちょっと考えられなかったことです。しかし、夕方ともなると
クールチェンジがあり、夜には窓を閉め切って寝ることが多いのはさすがに高原です。
 そんな夏の盛り、私は地元の交流倶楽部のことなどにかまけて、実は殆ど制作活動から遠ざかったままでした。暑いので外にスケッチに
出る勇気も湧きません。それに、この暑さのせいで早朝はすきっと晴れていても、上昇気流がたちまち雲となって山々を覆ってしまうことも
あって、絵心が殺がれるのです。・・・などと言い訳をしていても埒が明かないので、数日前久しぶりのスケッチに出かけました。山は諦めて
ヒマワリと流れを求め、二日間で3点ほどスケッチをしてきました。これも手付かずでずっと気になっていたこのHPを更新して掲載。ヒマワ
リの絵(→山麓スケッチ館)はまさしく盛夏そのものという感じですから、ちょっと涼を感じさせる渓流の絵も欲しいと思い、こちらはよく行く
川上村の谷間で描きました(→山麓絵画館)。と言っても、陽射しの具合がどんどん変わってきてしまうので、半分現場で、残る半分は家で
仕上げたものです。どちらも、9月に大泉町の「花のワルツ」による企画展に出展する予定です。
 8月の降水量は全国的に記録的な少なさだそうですが、7月のこれも記録的な雨で日照不足の煽りを食った野菜たち

は、ここのところ漸く元気付いてきました。特にトマト。自分の畑で採れたとなる
と、それだけで美味さにバイアスがかかってしまうものですが、夏の光をたっぷ
り吸い取った味がします。ジャガイモは早くから豊作で、我が家には多すぎる収
穫があるので、人にあげてばかりです。後先を考えずに、男爵、北明かり、アン
デスの3種類を4つの畝に植えたものですから、こうなるのは目に見えていたの
ですが・・。枝豆が採り頃ですが、早くも猿が出没してやられているようです。一
頃畑に行くといつも足跡があって、それは鹿であったようで、それがこの枝豆の
新芽を食べていた時がありました。元々この新芽は剪定した方がいいらしかっ
たので、それを図らずして鹿がやってくれたわけです。鹿や猿。まあ、彼等の領
域に接しているわけなので、ある程度の共存は割り切らねば仕方ないことでは
あります。

← 今晩の野菜食い扶持はこれくらい?





○ 個展後〜山麓の日常へ(6月29日記)

  個展を終えて10日がたち、絵を購入頂いた皆さまへの発送やらご来場頂いた方々の芳名帳を整理し、漸く日常に戻ってホッと一息つく
この頃です。この芳名帳、会場では大勢の皆さまにご記入頂きましたが、この記録は私の住所録上で都度更新され、次の個展案内の元と
なる、開催者にとって大変貴重な資料となるものです。初めての個展のときにご案内をしたのは、もちろん私の友人・知人関係だけでし
た。それが、回を重ねるにつれて私にとっては知己のない熱心な方々が増え、そして今は、その割合が完全に逆転してしまいました。しか
も、何度もお越し下さるうちに見覚えのあるお顔が増え、そんな方々がまた他の人を連れてこられたり、紹介してくれたりで、私にしてみれ
ば嬉しい限りです。それなのに、私はどうも人の名前を覚えるのが不得手でして、会場で失礼の段が数々あったに違いなく、その点はどう
かご容赦願います。最早“知己のない”などとは言っておられませんので、精一杯衰えつつある記憶力に鞭打って失礼のないように努めま
すので、よろしくお願いします。

  さて、山麓は本日雨模様。梅雨ですからそれらしくなければ困るのですが、どうも梅雨明けは早いらしいと聞きます。山麓の住人たち
は、この雨が降るとホッと一息つくのが常です。それは野良仕事をしないで済むからで、そんな日にはみんな何をしているのか、ひっそり閑
とした戸外からは知る術もありません。もちろん、移住した人達は皆、大なり小なり夢を手元に引き寄せる家を造っているわけなので、そん
な家の中で大いにリラックスしているはずです。これからの季節はその雨が野菜や果物の生長を促すとともに、雑草の生長をも大いに促
すので、雨上がりはソレッと飛び出すことになります。私どもが仲間入りした畑は、個展で10日間ほどほったらかしておいてから行ってみ
ると、ジャガイモやトマトなどの株が随分大きくなっているのに驚かされました。ジャガイモは3種類植えたのですが、中では「北明かり」が
頭抜けて大きく、隣の畝を覆うほどです。心配だった雑草は思ったほど畑を占拠しているわけでもなく、これは高原の気候故なのか、先ず
は一安心しました。下の畑(2箇所に別れているのです)では、サトイモの畝からあの葉が小さく頭を出していて、思わずニンマリです。種を
蒔いておいたオカヒジキが一斉に伸びて、背の低い森林状態を呈しています。畑にはど素人で何でも教わるか、隣の真似事でやっている
だけの私たちですが、こうして生長を見届けるだけでも楽しく、愛おしいものです。そんな気分に乗じて、畑の写真を掲載してしまいます。

左からジャガイモ、長ネギ・・トマト。右手前にアスパラ

手前3列がサトイモ。その向こうがナスとオカヒジキ
  一方、 果物の季節到来で、私どもが所属している八ヶ岳ふるさと倶楽部でも行事が目白押しです。先日最後の消毒を行ったスモモ(大
石早生)は、明日が収穫祭。それから間隔をおいてソルダム、モモと続きます。仲間が手伝っているサクランボ園には、つい先日行ってき
て食べ放題に挑戦。甘い「砂糖錦」でしたが、僅か20分でこれ以上食えぬという限界が。そして来週は、人気のブルーベリー摘みの行事
が控えています。今年は、果物が全体的にやや小粒ながらく良く実り、甘さも乗っていてかなりの収穫が見込めるようです。

  またまた絵とは関係のないノートになってしまいました。が・・・、絵描きにとっても充電期間が必要なのです。私の場合は特に、ひねもす
絵を描いているというわけではなく、描きたいと思い始めてからまた筆を取るという具合で、言ってみれば絵心が自然と甦るのを待つタイプ
です。とはいえ、風景をただ眺めていることは殆どなく、いつもこの風景をこう切り取ってこのように描く・・といった脳回路は常に働いてい
て、これは既に習性となっているようです。ごく近いうちに、また新作を登場させますので、ご期待下さい。


○高ボッチ高原〜山の話(5月26日記)

  21日、日本中が高気圧に覆われるという快晴を得て、かねてから狙っていた高ボッチ高原に。塩尻峠からクルマで20分ほど、新緑の
トンネルのような山道を上がると標高1600メートル強、目の前が開けてうねった台地が広がります。そこに牧場あり、草原ありで、一応尾
根道らしき道がさらに奥に続いていて、そのどこからも素晴らしい山岳風景が望めるのです! 高ボッチ高原とはこんな凄いところであっ
たかと、山を眺めることが好きな私には、何やら天上の別天地のようで、もう感激しきりです。尤も、この一帯には霧ヶ峰から美ヶ原と、天
上の楽園地帯とも言える高原が連なっていて、高ボッチ高原はその西端、松本盆地を見下ろす場所に位置しています。高ボッチ? この
名称が何を意味するかといえば、ダンダラボッチ(これは日本の伝説の巨人だそうで・・)の足跡がそこにあるということから、転じて高ボッ
チと命名されるようになったとか。それはともかく、絵を描く時間も勿体ない感じで、至る所クルマを止めては眺め入り、写真を撮ります。も
ちろん絵を描きに来たわけですが、こうもパノラミックな山岳風景で、しかも悉く中空に浮かぶ残雪の白い峰峰となると、これは雄大かつ
神々しくて掴み所がなく、もうこの目にしている風景をわざわざ絵にするまでもないという気になってしまうわけです。
 さて、その鎮座まします山々です。山の名前など関心がないというお方には馬の耳に念仏ですが、私はその名前と一致させないと気が済
まないたちで、それはどうも山に対する一種の畏敬の念から来ているのかも知れません。その山々・・・松本盆地側180度の視界の左か
ら、中央アルプス北端(多分木曽駒から将棋頭)、その右手奥に御岳の独立山塊、一段と白い乗鞍、正面に移っていよいよ北アルプスの
主峰群が。穂高から槍、常念、蓮華と続くこれも白い屏風、さらに右手にかけては、針ノ木、鹿島槍、五竜、白馬三山と続く後立山連峰が、
視界の霞む彼方まで空との仕切りをなして連なっています。高原を少し移動して東側に目をやると、左正面に八ヶ岳連峰、そのずっと右億
に霊峰富士、手前に戻って鳳凰三山から甲斐駒、その右手に北岳(こんなに直立したスリムな北岳を見られる珍しいアングル)、そして仙
丈の盛り上がった山塊が、いずれも青く霞んだ大気の上に白い上半身をポッカリと覗かせています。これは壮観以外の何物でもない、山
国ニッポンをまさに象徴する凄い景観だと一人悦にいるのでした。


左から、甲斐駒、北岳、仙丈ヶ岳


穂高連峰〜常念山脈


後立山連峰(鹿島槍〜五竜〜白馬三山)
 こんな風に書くと私がさも一端の山男のように聞こえるでしょうが、視界にある山で登ったことがあるのは三峰だけ、しかもずっと昔の若
い頃のことです。その意味ではただ山を崇めるだけの軟弱派です。遠い祖先が内陸に住んでいた縄文人であり、私は微かにそのDNAを
受け継いでいるのかも知れません。"海は産業を育て、山は思想を育む"(だったか)という信州の言い伝えも、私の好きな言葉です。思想
に繋がるのかどうかは不明ですが、雪の峰を見ているとどこか瞑想的な気分になるものです。また、深田久哉の「日本百名山」は私の愛
読書で、未だに気が向くままそのどこかのページをたぐっては読んでいます。登山者ならずともこの本は名著で、その文章も素晴らしく、
山々への想像力を膨らませてくれます。
 さて、高ボッチ高原では、私も意を決して筆を取りました。走り回ってここが一番!というスポットを見つけ、正面の穂高連峰から常念山
脈に至る風景を描いてみました(→山麓絵画館)。帰りしなにはもう一点、東の山並みの向こうに横たわる八ヶ岳連峰をスケッチしました
→山麓スケッチ館)。通りがかりの一人は松本城にお勤めとかで、絵の話〜個展の話となると、是非松本でもという嬉しいコメントをくれま
した。市町村合併で、今では槍ヶ岳東面までが松本市となったとか。もう一組は岡谷にお住まいのご夫婦で、私が松本城の在りかを訊く
と、私の双眼鏡を手にして発見すべく懸命に探してくれました。これは結局分からず仕舞いでしたが、私が陣取った場所からは松本の市街
も一望できるのでした。



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○五月の風(5月19日記)

   八ヶ岳南麓はすっかり緑の裾野をひくようになりました。対岸の斜面も(といっても、甲州街道に沿って流れる釜無川を挟んで向き合う
南アルプスの裾野ですが)、日に日に緑が濃くなりつつあります。それと反比例して、八ヶ岳も甲斐駒も残雪の白い部分が日に日に少なく
なっています。早い所では5月上旬から田圃に水が張られ、いまでは低い所から田植えが始まってます。コブシもサクラもすっかり影を潜
め、それに替わるようにヤマナシの白い花がほころび始めました。連日風が強く、スケッチに出かけるにはちょっとひるむほどです。この
風、イーゼルの上のスケッチブックが飛ばされるくらいの日もあってなかなか手強いのですが、水田に映った山を描こうとすると、ほんの微
風程度でも水面にさざ波を立ててしまって、鏡の役割を果たしてくれなります。残雪と新緑の同居するこの季節は、いつも水田を鏡に仕立
てた構図の絵を描きたくなるのですが、その機会は意外と少ないものです。しかしともかく、風はまさしく地球が自転している証です。千の
風ともなって命を繋ぐ自然現象というわけで、風に文句は言えません。余談ですが、あの「千の風」以来、風に親しみを持つ方が増えたの
ではないでしょうか? 私もその一人、妻はもっとその口です。八ヶ岳南麓ではその風が北西から吹くことが多く、よく言われる冬の八ヶ岳
下ろしもその北西風です。厳密に言うと北にある八ヶ岳から吹き下りてくるのではなく、北風が八ヶ岳を巻いて甲州街道のある谷間を通り
道のようにして西よりの風となって吹き付ける風のことです。「五月雨」という言葉はあっても「五月風」という言葉は耳にしません。聞きませ
んが、風薫る五月といいますから、今頃の風はときに心地よく、新緑をわたって新鮮な空気を運んでくるようで、やはりどこか特別です。確
かに風が薫っている感じです。大地が温もってくると空が霞みがちとなるわけですが、その霞を吹き飛ばしてくれるのも五月の風と言えるで
しょう。
   風と一体化したような絵を描きたい・・・と、今ふと思って振り返ると、そんな絵が少なかったことにも気付かされます。私は常日頃、風景
画に一つの空気感を持ち込みたいと思ってはいるのですが、風をテーマにした記憶がありません。そのうち・・・といっても、来月の個展に
は間に合いそうもありませんが、是非そんな風のような絵をものにしたいと、これを書きながら思っています。


○春と個展準備が同時進行中!(4月26日記)

 4月も中旬を過ぎると、山麓でも一気呵成に春が足を速めます。林を彩る津一番手はコブシ。それを追うように開花するサクラは、現在
我が家周辺では満開をちょっと通り越した辺りです。そんな季節のドラマティックな展開のちょうど最中に、低気圧がいくつもやってきて、ま
るで幕下転落の関取の星取り表のように●●●時々○、そしてまた●●といった天気が続きました。あの暖冬のあとに、冬がぶり返した
ような寒い一日もあり、19日の未明にはときならぬ降雪も。数少ない○の日にはこの時とばかり家を飛び出てスケッチに精を出します。あ
っという間に通り過ぎる春を絵にして個展に出したいからです。どういうわけか、今年はコブシがよく目について心を捉えるのです。コブシは
花足も長いので、山麓の春としてコブシをテーマにした作品が多くなりそうです。そして、カラマツもいよいよ芽を吹いて、森をうっすらと緑の
ヴェールで覆い始めると、いよいよ春本番。それが中央道の下では随分と色づき、いま、我が家のある千メートル辺りへと芽吹きが移行し
てきました。当家の庭をチェックすると、今年植えたカツラが可愛らしい新葉を、ジューンベリーは銀色の花を、ミツバツツジは堅い蕾を、ナ
ナカマドの葉は一端の格好を、それぞれ付け始めています。昨年畦道から何本か失敬してきたムシトリナデシコは、こんなに増えなくても
いいのに、と思うほどあちこちから生えてきて、想定外の領域へと進出してきました。ウキウキしているうちに、雑草もまた進出の機会をう
かがっているようで、現にその先発組は着々と地表に現れ始めました。
  春とは、うららかでのんびりしているようでいて、万物が刻々と時の過ぎる様をあちこちで、そして絶え間なく立証し続けてくれるような忙し
げな季節でもあります。だからこちらもうかうかとしていられません。個展まで既に二月を切ったからで、新作も揃えねば、案内状も作らね
ば・・・で、尻に火がつき始めた状況です。昨年9月の個展は、会場にキャンセルが出た機を捉えて予定していたよりタイミングより早い開
催となったもので、本来予定していたのは、今年6月であったわけです。そのために準備しておいた作品の大半を昨年出展してしまったの
で、結構数を揃えるのに苦労しています。私も人並みに畑も始め、現地のふるさと倶楽部なる交流会では運営委員も務め、そんな中、現
地での個展もありました。結構忙しい田舎暮らしとなっていて、絵描きはもちろん主役の座には居るわけですが、脇役も大事で、これがし
ばしば主役を喰ってしまうのです。・・・いけない、言い訳が過ぎてしまいました。そんな訳で(どんな訳か脈絡がはっきりしませんが)、今回
の個展は、やや軽めの作品を多く揃えようと思っています。軽めというのは、スケッチとスケッチプラスαが多くなるということです。しかし、
どこまでが素描でどこからが素でなくなるのか、完成画とは何なのか。そんな区別があるとすれば、それはあくまで作家の主観で(このHP
では、その主観によって「山麓絵画館」と」と「山麓スケッチ館」とに分けて掲載していますが)、元々区別をする必要もないのかも知れませ
ん。私としては、肩の力を抜いて、戸外での大気に触れつつ描いた作品が多い、というほどの個展にしたいと思っているので、皆さまにも、
春のような軽い気分でお越しいただき、楽しんでもらえれば・・・と思っています。ご期待下さい!


○下界は春爛漫!(4月6日記)

<一宮の桃園に>
 下界などと書くと天空の仙人のように聞こえますが、私の住んでいる千bの所ではまだ春の気配が充満しているだけです。そこで、取材
を兼ねて春爛漫を味わいに甲府盆地に出かけました。かねてから描きたかったあの一宮の桃園、台地がピンクに染まる光景をものにした
かったのです。先日の個展を見に来ていただいた一宮の方に電話で確かめると、いまが満開とのこと。早速中央道を飛ばしていくと、見え
てきました。まさにピンクのパッチワーク。それに沿道のどこを見てもサクラが満開。私のいる辺りから較べると半月ほど早い季節の進行
に、まるでお上りさんのようにうかれます。サクラはやっぱり日本人の心をくすぐりますね。一宮御坂ICを下りて土地勘のない地域を行った
り来たり。個展のお客さんから教えてもらったフルーツ公園の付近や金川の森、そして本命であった釈迦堂PA裏の山の斜面と、どこに行
ってもピンクの桃園が春たけなわを宣言しているうです。そのピンクに混じると真っ白に映るサクラが、ここでは共演者といった雰囲気でと
もに春を盛り上げているようでした。 桃の木そのものは収穫をし易いように剪定されているので、その樹形はちょっと絵にはならないので
すが、これだけ広域にわたって絨毯状態となっているのは、まさに春たけなわ。甲州ならではの独特の光景です。天気も良かったので、そ
の後方には秩父や南アルプスの残雪の峰々がおあつらえ向きの背景に。高台の桃園に陣取ってスケッチ。描き終えた絵を撮影していると
(このHP用に)、園主の方がやってきてしきりと感心してくれ、おみやげにと桃の枝を何本か切ってくれました。名刺を交換すると住所は御
坂町となっていました。いいスポットを探し求めているうちに、町境を超えてしまったようですが、一宮にしてもどちらにしても、その素晴らし
さに変わりありません。場所を変えて、今度は白峰(しらね)三山をバックにもう一枚。何枚でも描きたかったのですが、時間切れとなった
ので後ろ髪を引かれる思いで桃園をあとにしました。情報を教えてくれた山田さん、園主の岡部さん、ありがとうございました。→2点とも
山麓絵画館に展示)


<武川のサクラ>
 明くる6日、今度は女房と武川の有名な神代桜とその周辺へとサクラ見物に。樹齢2千年のエドヒガンはまさに満開、何でも今年は珍しく
花をたくさん付けたとのことで、これも気候のせいでしょうか。幾星霜を経て節くれ立った無骨な幹から枝が伸び、その先に若やいだ花を精
一杯咲かせているその姿は、まさに感動的です。神代桜がある実相寺はサクラの名所というに相応しく、境内はこぼれるばかりのサクラ
の供宴です。ただ、残念なことは、寺の宿坊でしょうか、風情に似合わぬ一般住宅が寺に継ぎ足して建っていたり、電線が境内を過ぎって
いたり・・・といった無神経さです。折角のサクラの園なのに・・・。また、周囲の駐車場では、如何にも観光地っぽい割高な料金を取られた
ことも少し興ざめなことでした。人がこの時期に集中してこの狭い場所に押し寄せるわけなので、我々はその対価を支払わねばならないの
は承知の上ですが、もう少しやり方があるのでは、と思うのでした。実相寺の上にある真原の桜並木は、まだ7〜8分咲き。ここは甲斐駒
や鳳凰三山を背景にサクラが映えるなかなかのロケーションです。ここでもまた、来るたびに観光地っぽくなっているのが少し残念。それこ
そ駐車場を離れた場所に設け、並木への乗り入れには一定の制限を設けるべきだし、並木沿いの出店も規制すべきです。実相寺も真原
も、パーク・アンド・ウオークとし、土産物などはそのパーキングエリアで売ればいいわけです。何やら小言ばかりとなってしまいましたが、
小言を言いたくなるほど素晴らしいエリアなので、行く末を案じてのことです。
          中央が神代桜
<そして穴山周辺に>
 帰りに立ち寄った韮崎から穴山を結ぶ七里岩ラインは、のどかで素敵な雰囲気でした。モモやスモモ、ナシ、リンゴといった果樹園が左
右に続き、一宮と較べるとモモはやや早いといった感じでしたが、スモモの白い花は満開。丘陵地の果樹園越しに姿をのぞかせる八ヶ岳
や甲斐駒の風情も絶品です!今度はこちらにも描きに来なければ・・・花の季節は、一段とスケッチに忙しくなりそうです。それはそうと、一
宮でも同じでしたが、今のところ、こうした果樹園では花の見物に訪れる人達に寛大なようで、私たちも大いに助かっています。それだけに
訪れる側が細心の気配りを欠かしてはならないわけで、最低限、果樹園に入り込むにはお断りを入れるとか、団体では入り込まないといっ
たマナーが大事だと思います。
 小淵沢の我が家が近づくと、サクラの木々は漸く蕾が膨らんで杏色の木立という様相を呈しています。気温も数度下がって、やはり下界
からの帰還といった気分となるのでした。


○地元で初の個展を終えて(3月16日記)

 地元でのデビューとなった長坂町「おいでやギャラリー」での個展を終了し、32点の作品と会場に持ち込んだものの全てを引き上げてき
て、いつも個展のあとがそうであるように、現在はちょっとした虚脱状態にあります。はじめは、この人通りも少ない静かな町で、果たして人
が集まるものやら、と不安もあったこの個展、11日間で230余名のご来場を得ることができました。このギャラリーではかなり多い人数と
いうことです。北杜市の商工会議所が管轄するギャラリーであった関係上、ギャラリー側での事前告知(案内ハガキを市内各所に置いても
らったり、これは私も知らなかったのですが、報道機関へのパブリシティーもしてくれたり・・・)によって、朝日、読売、山梨日々新聞といっ
た各紙がイベント案内で取り上げてくれたことが大きな要因でした。そのため、地元のみならず甲府市はじめ県下の各地から足を運んでく
れた熱心な人達が大勢おられたことは、当初思ってもみなかったことです。甲府CATVも取材に来てくれ、作家と作品をその夜のイベント
案内で放映してくれました。私の所属する「八ヶ岳ふるさと倶楽部」の仲間たちにも大勢来てくれて、会場を賑わしてくれました。
 それでも、午後遅くともなるとかなりの自由時間(?)を弄ぶ日が多く、お陰様で司馬遼太郎の小説一冊を読破することできました。しかし
ながら、このゆとりあってこそ、ご来場いただいた皆さま一人一人に私の水彩画の世界をゆっくりと触れ合っていただけかと思い、また私
自身が皆さまとの新しい出会いを体験できたことが、今回の個展での一番の収穫であったと思っています。そのうち何人かの方々とは、近
い将来、水彩画教室やスケッチ会などをともにできる見通しをも得ることができました。これはいつも思うことですが、個展とは、作家が心
血を注いだ作品群とはいえ、それを観に来て欲しいというある意味では身勝手なお願いをするものなので、それに応えてお越しいただいた
皆さまには本当にありがたいと思います。その上、評価をいただいたり、来て良かったとか感動したと言っていただけるのは、作家冥利に
尽きることです。貴重な機会をもつことができましたこと、改めてご来場いただいた皆さまとギャラリー主宰者に感謝申し上げる次第です。
 この個展を記念して、展示した作品のうち当HPでは公開していなかった作品を何点か展示しました→山麓絵画館
 
 さて、真冬へのスイッチバックで、春の足音がちょっと後ずさりしているこの頃です。個展明けはいつもボンヤリと時を過ごしてしまうので
すが、今回も同様。特に長丁場であったので、疲れもその分なかなか抜けないようです。いや、歳のせい・・もありました。アトリエは引き上
げた作品が箱に入ったまま所狭しと置きっぱなしになってます。もう間もなく春がブレーク、そして次回の個展は6月に銀座で。どうもあまり
のんびりとはできないようで、充電後は直ぐさま野山に飛び出してみる積もりです。


○ 個展間近!(2月21日記)

 地元「おいでや」での個展まで、残すところ10日を切ることになってしまいました。先のふるさと倶楽部がらみでの用向きが相次いだ上
に、欲張ってスキーまでしたりしたので、実は準備がはかどっておらず、ちょっと焦りだしたところです。「おいでや」は、北杜市の市営ギャラ
リーで、支配人の方からマスコミへのパブリシティーもしてくれたらしく、朝日新聞と読売新聞の山梨版が、それぞれのイベント紹介欄に取
り上げてくれることになりました。前者が24日、後者が3月3日の掲載で、これはありがたいことです。・・・で、その個展、当初は意欲的な
新作も・・・と気張っていたのですが、ここに来て少し方針を変えました。地元デビューと言っていい個展なので、私の水彩画の世界を知っ
てもらおうと、これまで描いた作品の中から皆さんに是非ご覧いただきたい何点かを織り交ぜることにしました。この方がかえってバラエテ
ィーに富んだ個展となりそうだと、一人合点するに至ったのです。そうなると少し肩の荷が下りたのか、ここ3日間で描き加えた上高地の作
品2点は、力みが失せて描いた本人としてはなかなか気に入ったものとなりました。昨秋の上高地トレッキングのときの鮮やかな残像を頼
りに描いたもので、個展に先立ってこのHPに掲載します→山麓絵画館)。


○暖冬のまんま春に突入?(2月20日記)

  前回1月の半ばに雪の積もった話を書きましたが、どうもその後は鳴かず飛ばず。二、三度降雪はあったのもの、大して積もらず仕舞い
のまま冬は終わってしまいそうな気配です。それでも、雪の都度出かけてはスケッチしたので、この辺りの雪景色はかろうじて2点、このH
Pにも載せることができました。現在は、標高千メートルの当家周辺でも全く雪が消え去って、八ヶ岳を見上げても雪ののり面はずっと上の
方に押し上げられた形となってます。当家の庭でも、デッキの下ではフキノトウがあちこちに芽を出していて、既に二度も摘んで賞味したほ
どです。この分だとさしたる三寒四温もないまま、春になだれ込みそう。折角買った雪掻き用のシャベルが、デッキの片隅で暇そうにしてま
す。
 そんな中、1週間前になりますが私はスノーシュー・トレッキングの体験をしてきました。私が係わっている「八ヶ岳ふるさと倶楽部」の行事
で、これも雪不足で当初予定していた清泉寮付近では全くお手上げ状態だったのです。そのずっと上に当たるサンメドウズというスキー場
に場所を変えて行事を敢行したのですが、リフトで上がった標高1900bの辺りに行くと、漸く雪を踏みしめることができました。ゲレンデ裏
の林間コースを歩き下っていくと、積雪は申し訳程度。スノーシューもその威力を発揮することのないまま降りてきてしまいました。そのあ
と、折角なのでスキーに履き替えて、午後はゲレンデの上で。そこだけは整備の甲斐あってか、ちゃんと雪がついていて、スキーに支障は
なかったのですが、この分では何時まで滑走可能なのか、関係者ならずとも気のもめることでした。


○山麓は冬日の日常が・・・(07年1月14日記)

 松の内も過ぎて、山麓の日常が動き出しました。といっても、世間の皆さまにはとっくにおとそ気分など消え去っていることでしょう。この
正月、私は全くどこにも出かけずに、ぐうたらと家に閉じこもってTVばかりを見てました。伝統の箱根駅伝は本当に面白かった!毎年これ
を見てから1年が始まる気分ですが、今年も見応えのある展開で、おまけにわが母校早稲田がシード入りを果たしたのでご満悦です。エキ
デンは最早国際語。オリンピックに取り入れてもいい頃でしょうに、一向にそんな話を聞きません。日本陸連しっかりしろ! ともかくも、伝
統を背負った必死の攻防を温い我が家で手枕で横になり、あるいは一杯やりながらでも見られるわけで、このギャップがまた新年らしくて
いいのでしょうか。
 
さて、八ヶ岳山麓は1週間前に降った雪が大地に残
っています。高度の高いところの道は、日陰を通ると
路面が凍っていたりでヒヤッとします。我が家のある
千メートル付近では30pほど積もり、軽自動車はご
覧の通り。庭の日陰はまだ溶けないまま、この分で
は次の降雪まで残りそう。一応毎日が冬日の連続で
すが、マイナス10度を何度も下回った昨年と較べる
とずっと凌ぎやすい1月と言えそうです。さすがに山
は真冬の白さに覆われ、その点では描き頃です。
 地元北杜市の長坂町にある「おいでやギャラリー」という所で、2月3日から10日間、個展をします。今回は、東京での個展ではなかなか
ご覧いただくことができない地元の皆さまへのお披露目のような機会ですので、昨年京橋の「ぎゃらりーくぼた」に出展した八ヶ岳山麓の四
季を描いた作品が大半となりますが、これに新作を加え、これまで公開していなかった数年前からの作品も何点か入れて、合計30点前後
を出展する予定です。近々当HPのお知らせ欄でご案内させてもらいますが、地元の皆さま、是非お越し下さい。
 ぼちぼちとこのHPにも新作を登場させていますが、数日前のよく晴れわたった日に、多分北アルプスが見えると踏ん富士見町のある一
角までクルマを走らせました。予想通り、穂高連峰から常念にかけてのアルプスが遠望が! 雪原から吹き付ける風が冷たく、5分以上外
にいるのは厳しい状況でしたので、クルマの中からスケッチした一作を載せました(→山麓スケッチ館)。


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